戦いに、終わりがあるように。 彼らとの日々にも、終わりがあった。 天井の壁紙の白さが、目に染みた。 ベッドに横たわって、あたしはぼんやりしていた。現実を感じるのが、少し怖い。 隣に放り投げた通学カバンを開いて、手探りでお弁当箱を出す。空っぽだから、軽い。 見慣れたあたしのお弁当箱の中身が、パルの作った可愛すぎるものから、母さんの作るものへ戻ってしまうんだ。 あたしはお弁当箱を、ぽいっと机の上に投げた。乗ったのを確認してから、もう一度ベッドに転がった。 「帰っちゃうんだ」 見知らぬ星へ、彼らの本来の居場所へ。 それは、仕方のないこと。パル達は、地球で生まれたんじゃないから。危険を呼ぶかもしれないから。 頭では理解出来ていて、そりゃそうだよな、とか思っていた。でも、ちっとも受け入れない。 いつのまにか、パルがここにいるのが当たり前だと感じていたし、そうだった。 だから、戦いが始まったら、凄く寂しくて辛かった。でも、戦いはいつか終わるものだし、実際終わった。 メンテナンスの合間にやってきてくれたし、それだけで、寂しいのがちょっと消えた。代わりに、好きが強くなった。 だけど、今度はそうもいかない。惑星ユニオンは銀河を挟んで地球とは反対側らしいから、簡単には会えない。 遠距離なんてもんじゃない、超遠距離だ。いちいち、スケールがでかい話だ。 あたしが大宇宙に思いを馳せていると、ドアがノックされた。返事をすると、インパルサーが入ってきた。 「大丈夫ですか?」 「あたしがあんたに聞きたい」 上半身を起こし、あたしはぐしゃぐしゃになった後ろ髪を整える。 「異存はないって、つまりあんたから帰りたいって言ったってことじゃない」 「そういうことになりますね」 ベッドの前にやってきたインパルサーは、あたしを見下ろした。いつもの口調だ。 別れを宣告してもあまり変化のないパルは、ちょっと変な気がした。開き直ってるのかな。 あたしはベッドから身を乗り出し、こん、とパルの腹部に額を当てる。 「それが正しいって、頭じゃ解ってるの。パルの考えてることも、ちょっとは」 「どんなものですか?」 「あたしを守りたいんでしょ、要するに。あたし達を攻撃されないために、地球から離れるってことでしょ?」 「ほぼ正解です」 身を屈めたインパルサーは、あたしの頬へ手を当てる。昨日、整備したばかりだから、機械油の匂いが強い。 マリンブルーの指先が、軽く頬を撫でていった。あたしの体温で、その手が徐々に温まっていく。 ぱちん、と彼はマスクを開いた。抱き寄せられ、目の前にスカイブルーの胸板が来た。 「でも、もう一つ理由があるんです」 「どんな?」 あたしが尋ねると、パルは呟いた。すぐ前から、彼の声が聞こえてくる。 「お父さんに、会いたいんです。冷凍睡眠中で感知出来ないと解ってはいますが、話したいことが色々あるんです」 「そっか」 パルの手が、あたしの髪を梳いた。ゆっくりと動かされていた手が、止まる。 もう一方の頬も押さえられ、上向けられる。視界に、サフランイエローの目が映り込む。 逆光の中の瞳は、とても綺麗だ。白銀色の頬が、それを受けてぼんやりと赤らんでいる。 「由佳さん」 顔を離した彼は、片手を頬から外した。背に回され、腕の中に納められる。 「あなたが僕を好きだと言って下さったことは、なによりも嬉しかったです」 「パル」 彼に体重を掛けると、しっかりと抱き竦められた。このまま、離して欲しくない。 戦いで受けた傷は、塗装を塗り直してあるから全て消えている。硝煙の匂いも、もうしない。 ひんやりした装甲に腕を回してしがみつきながら、あたしは目を閉じた。彼の生きている音が、良く聞こえる。 駆動部分の僅かな唸り。歯車の噛み合う軋み。装甲の擦れ合う音。そして、エンジンの温かみ。 パルは、やっぱりロボットだ。だけど、生き物だ。強くて速くて優しい戦士だけど、中身は同年代の男の子だ。 だからあたしは、パルが好きだ。心の底から、大好きなんだ。 「しちゃ、ダメかなぁ?」 我が侭なあたしが、顔を出す。感情だけの、子供みたいな部分が。 「このまま行っちゃダメって、ずっとここにいてって、命令しちゃダメだよね」 唇を固く締め、パルは顔を伏せる。 「その命令は、遂行したくとも出来ません」 「解ってる。解ってる、つもりなんだけどね…」 あたしは、横目に机の上の卓上カレンダーを見た。今日から十日後に、パル達はユニオンに帰る。 スコットが言うには、地球での身辺整理とか手続きの関係で、マリーの宇宙船が飛び立てるのは十日後だそうだ。 今日が二月四日だから、帰る日は二月十四日。よりによって、セント・バレンタインデーだ。 今年はプレゼントをあげる相手が出来たから、何にしようか考えようと思った矢先にこれだ。かなりきつい。 だけど、それくらいは考えておこう。でも、パルはチョコレートを食べられないし、どうしよう。 ふと、頭の上で首が動いた。パルもあたしと同じように、卓上カレンダーを見ている。 「意地悪ですよね、スコットさん」 「やっぱり、パルもそう思う?」 「ええ。せっかくですから、手の込んだチョコレートケーキを、由佳さんに差し上げようかと考えていたのに」 かなり残念そうに、パルはため息を吐いた。あたしも、それは食べたかった。 あたしがそんな彼を見上げていると、パルは真剣な目になる。 「由佳さん」 「何?」 「葵さんに、あげたりはしませんよね?」 「んー…どうしようかなぁ」 あたしは、昨日の神田の活躍を思い出していた。強くなっていたし、ちょっとだけどカッコ良かった。 丁度バレンタインも近いし、ここは何かお礼をするのが筋だろう。普通なら。 見ると、パルは困ったような泣きたいような顔をしている。あたしは、少し笑ってしまう。 「情けない顔しないの」 「僕としては、差し上げないで欲しいです。大体、葵さんは一度由佳さんの作ったものを頂いているわけで…」 「そうなんだよねー。クリスマスの時に作ったのと、同じのってわけにもいかないしぃ」 「由佳さぁん!」 本気で泣きそうな声を出したパルを、あたしは小突く。冗談なのに。 「解ってるって。本命がいるのに義理なんて、タチが悪いしね」 「それなら、いいんですけど」 ちょっとむくれながら、パルは顔を逸らす。神田に妬いているんだなぁ。 あたしは白銀色の頬に手を当てて、ぐいっとこっちに向けさせる。そして、口元へ指を入れて横に引っ張る。 人間みたいにふにゃっとしている感触は、何度いじっても不思議だ。思い切り広げてから、離した。 口元の形を元に戻してから、パルは困ったように頬を掻いた。 「久々にそれをやりましたね」 「いけない?」 「嫌ではありませんけど…。どこが楽しいのか、僕にはさっぱり解りません」 がりがりと指先を擦りながら、パルは首をかしげる。あたしには、これはかなり楽しい。 柔らかい金属の触り心地の面白さというかは、生理的なことだ。だから、余計にパルには理解出来ないのかも。 インパルサーはまだ解らないのか、自分で口の辺りを引っ張っていた。変な顔になっている。 ひとしきりいじっても見当が付かなかったのか、難解そうに目元をしかめた。そんな、マジにならなくても。 でも、やっぱり理解出来ないようだった。そのうち、諦めたようにいじる手を止めた。 あたしはそこまで真剣に考え込むことかな、と思ったけど、パルにとっては大事なことなのかもしれない。 「パル」 そう呼ぶと、彼は振り返った。 「なんでしょう」 きょとんとした様子で、サフランイエローの目があたしを見下ろした。 鮮やかなスカイブルーに塗られた胸板の下には、細身に作られた黒い装甲の腰がある。 体の半分以上を占める長くしっかりした足のかかとには、両方とも、銀色のブースターが埋まっている。 すらりとした流線形の両肩アーマーには、横向きに小さな翼が乗っている。もう、これが外れることはないだろう。 マリンブルーの肩アーマーを、上下を分けるように横に流れている、水色のライン。右側の下部に、白い002。 武器の詰まった両腕の先には、あたしが一番好きな、マリンブルーの大きな手がある。 背中に装備されているブースターに挟まれるように付けられている翼は、鋭い先が上向いていた。 あたしは、つい彼の姿に見取れていた。よく見ると、これで結構カッコ良い。 「大好き」 自然に、こう言えるようになった。照れくさいけど、言わないよりはいい。 彼は頷いてから、凄く嬉しそうに笑った。 「僕も、由佳さんが好きです」 その言葉に、気が抜けてしまった。 なんとか押さえていた泣きたい気持ちが出てきてしまい、それはすぐに涙になった。 止めようと思っても、自分の意思が作用しない。それどころか、まだ彼はいるのに喪失感がある。 声を抑えようとするとしゃくり上げてしまい、何か言おうとしても言葉にはならない。 あたしは、せめて涙は止めようと拭い続けたが、制服の袖がどんどん濡れていくばかりだった。 このままじゃどうしようもないので、せめてハンカチを使おうと思い、スカートのポケットを探った。 ハンカチを掴んで取り出そうと手を出したら、急にその手を掴まれた。直後、目の前にパルがいた。 背中の下で、マットレスが揺れる。スプリングの軋みが、ぎしりと止まった。 体のすぐ上に、パルがいる。つまりこれは、押し倒されたと言うことになっちゃったりするのか。 深めに口付けられながら、あたしは状況を理解し、動転してしまった。なんだよ、いきなりこんな。 顎に手を添えられ、唇を開かされた。彼はあたしを押さえ込むように、更に力を込めてきた。 どうしたらいいのか、まるで解らない。さすがに相手が相手だから、ここから先はないだろうけど、けど。 しばらくこの状態が続いていたが、あたしがパルを押すと、離れてくれた。 すぐ上にあるサフランイエローを見ていると、彼は申し訳なさそうに笑った。 「出来ることなら、このままこの星にいたいです。もっと言えば、あなたの傍で永久に稼働し続けていたい」 顎から手を放され、指先が目元の涙を拭った。 「ですが、それは僕の我が侭に過ぎません。あなたを危険に晒してしまうような、感情だけの思考なんです」 「…だから?」 「ええ。帰還することは、理性的な思考の結果です。フレイムリボルバーの言っていた感覚が、よく解りました」 パルは頷き、体を起こした。こん、と胸を拳で叩く。 「エモーショナルリミッターにかなりの負荷が来ましたよ、本当に。感情を抑えるのは、大変ですね」 苦笑しながら、彼はマスクに手を掛けた。くいっと、それが顔へ押し下げられる。 マリンブルーに口元を覆い、それをかちりと填め込む。なんだ、また閉じちゃうのか。 マスクを押さえながら、しゃこんとゴーグルを出し、目元を覆い隠す。 「由佳さんを連れて、戦いも何もない世界へ行けてしまえたらどれだけいいでしょう」 「馬鹿」 起き上がることもないまま、あたしは言い返した。めちゃめちゃ気障ったらしい。 やっぱり、パルも別れるのが辛いんだ。きっと、他の兄弟も同じなんだろうな。 それでも、受け入れるしかないんだ。仕方のないことだから。 また泣きたくなったけど、それはなんとか堪えた。これ以上、泣いちゃダメだ。 次に泣いていいのは、パル達が帰ったあとだ。せめて最後くらいは、笑って送り出してあげたい。 翌日。パルが帰るまで、あと九日。 あたしは、ついそんなことをカウントしてしまう自分が嫌になった。してどうする。 そんなことをしちゃ、むしろ寂しいのが強くなっちゃうだけだってのに。馬鹿みたいだ。 手帳のスケジュールに最初から書かれている、バレンタインの文字が空しかった。 これ以上見ても仕方ないと思い、あたしは手帳を閉じて通学カバンに突っ込む。全く、何をやっているんだろう。 教室にいる生徒の数は、すっかり元に戻っている。次第に皆が、登校するようになったからだ。 マリーはゼルとの戦いを終えたからか、以前よりも晴れやかな笑顔を振りまいている。 鈴音は、教室の騒がしさから逃れるように、窓際にいた。窓枠に寄り掛かって、校庭側を見下ろしている。 あたしはその後ろに行くと、鈴音は振り向いてちょっと笑ったが、すぐに表情を消してしまった。 何か考えているような、そんな感じだ。きりっと唇の絞められた横顔は、ますます美しい。 「鈴ちゃん」 「十日って、微妙な日数よね。せめて三日とかなら、どたばたしてる間に帰っちゃうんだろうけど…」 遠い目をして、鈴音は呟いた。開け放たれた窓から、冷たい風が吹き込んでくる。 しっとりと黒い髪を風に任せながら、鈴音はリボルバーへ振り向いた。でも、またすぐに外を見る。 「銀河の反対側って、どれくらい距離が開いてるのかしらねぇ」 「さっぱり見当も付かないよな」 あたしの後ろに、神田が立っていた。同じように、窓枠へ寄り掛かる。 髪を掻き上げて耳元へ乗せてから、鈴音は神田へ顔を向ける。 「だけど、一番可哀想なのは、さゆりちゃんよね」 「ああ。昨日、イレイザーがユニオンに帰るって話した後は、さゆりはずっと部屋に籠もっちゃってさ」 窓枠に腕を乗せ、神田は目を伏せる。なんだか、兄らしい。 「イレイザーもそれに付き合ってたんだけど、さゆり、泣き通しだったよ。見てるこっちが辛くなるな、ああいうの」 「それで、そっちの小学生二人は?」 鈴音に尋ねられ、あたしは昨日の弟とクー子の様子を思い出した。 「寝るまでオセロしてた。なんか、ひたすら遊び倒すつもりみたいだよ」 「楽しい記憶で別れましょう、ってことかぁ。いいわねぇ、小学生らしくて」 と、鈴音はどこか羨ましげに笑う。あたしも、涼平の考えはいいと思う。 ふと、あたしは教室の中へ振り返った。インパルサーは、遅れた分の勉強を黙々と取り戻している。 次の授業は数学だから、それの予習をしている。あと九日したら帰るのに、真面目なことだ。 それに対して、リボルバーはとにかく男子達と笑っていた。下らない話をして、それでとにかく笑っている。 女子に取り巻かれながら微笑むマリーは、時折寂しげな目をしているように見えた。マリーさんもか。 窓から身を乗り出して、A組の様子をちょっと見てみた。あっちもあっちで、以前と同じだ。 教室側へ体を向けたディフェンサーが、窓枠に腰掛けている。やっぱり男子と話していて、笑っていた。 イレイザーがどこにいるのかは解らなかったけど、声はするのでいるようだ。かなり進歩したなぁ、いっちゃん。 あたしは体を引いて、教室へ体を戻した。この光景も、あと少しで見納めなんだ。 「あのさ、美空」 神田に声を掛けられ、あたしは振り返ると、神田はちょっと言いづらそうにしていた。 しばらく言葉に詰まっていたが、神田は強く言った。 「放課後に、屋上で待っててくれないか」 「あ、うん」 あたしが返事をするやいなや、神田は自分の席へ駆け戻っていった。慌ただしい。 席に座った神田をなんとなく眺めていると、予鈴が鳴る。鈴音はあたしの肩に手を乗せ、顔を寄せる。 「来るときが来た、って感じねぇ。付き合おうか?」 「いいよ、鈴ちゃんは関係ないし。それに鈴ちゃんは、ボルの助と一緒にいたいでしょ?」 「一言多いぞ」 こん、と鈴音はあたしの額を小突いてから背を向ける。言葉の割には、声が照れくさそうだ。 視線をリボルバーへ向けると、やけに嬉しそうだ。鈴音は横目に彼を見たが、足早に自分の席へ戻っていった。 もしかして、とは思うけど。いや、そのもしかがあったのかもしれない。奇跡みたいなことが。 あたしはその予想が正しいのか確かめなくなったけど、今度は本鈴が鳴った。授業が始まってしまう。 自分の席に座りながら、教室の後ろ側へ見た。予習の手を止めた、パルと目が合った。 妙な気まずさを感じながら、あたしは教科書を出した。パルも、神田が何をするのか解っているんだろうな。 何もこんなときに。いや、こんなときだからこそ、かもしれない。 放課後の屋上は、薄暗かった。 日が傾くのが早いせいで、もう空の半分は夜になっている。星も、ちょっと見えている。 あたしは通学カバンを足元に置き、フェンスから土手の方を見下ろした。割れたアスファルトは、もうない。 ゼルとの戦いの名残は、日に日に消えていく。戦闘が収束したから、テレビの報道も徐々に納まってきた。 あたしは白いマフラーを巻き直しながら、空を見上げていた。太陽は、そろそろ西へ消えてしまう。 グラウンドの端に寄せ集められた雪も、明日には全部溶けてしまうだろう。積もっても、大したことなかったし。 泥と水溜まりのグラウンドから、運動部員達が校舎へ引き上げていくのが見えた。もう少しで、来るかな。 すると、階段の方で足音がした。かなり急いで、昇ってきている。 乱暴に駆け上がってきたそれは、ドアの前で止まった。ドアノブが回されると同時に、ばん、と勢い良く開かれた。 スポーツバッグと通学カバンを肩に提げた神田は、ドアを開けたまま、肩を上下させている。 「悪い、待たせたみたいで」 「神田君、今日は訓練はないの?」 「知ってるだろ、右目と胸部に二発の弾痕。胸のとこ、制御系統に当たってたんだ」 あれでよく飛べてたよ、と、神田は苦笑した。あたしの隣に立ち、足元にカバンを置く。 「あ、ゼルの方の弾だよ。ぎりぎりエネルギーチューブは外れてたんだけど、それでもデリケートなとこにね」 「つまり、修理に時間が掛かるってことか」 「そういうこと。ナイトレイヴンに、無理させるわけにいかないしな」 フェンスに寄り掛かり、神田は左手首のコントローラーを見下ろした。最初に比べて、結構汚れてきている。 それは、毎日のようにマリーとの訓練を続けてきた証だ。努力家だなぁ、葵ちゃん。 コントローラーのボタンをいくつか操作してホログラムを出し、ナイトレイヴンの状態を表示させる。 「そうだな…急げば明日、修理が終わるな。本当なら、ちゃんとオーバーホールするべきなんだろうけど」 「パルと、戦うんだ」 あたしはホログラムから目を外し、神田を見上げた。神田の手が止まる。 「時間がないだろ、もう。今やらずにいたら、今度はいつやれるって言うんだ?」 「なんで、神田君はパルと戦おうと思ったの?」 あたしの問いに、神田はしばらく黙っていた。ホログラムを消し、腕を下げる。 「それを答えるのは、用事が終わった後だ」 フェンスから背を外した神田は、向き直った。西日が、逆光になる。 神田の影が掛かり、あたしの視界は少し暗くなる。表情が、良く見えない。 西日を受けたコントローラーの文字盤がぎらりと光って、それがいやに眩しかった。 「美空」 神田の声が、屋上に響く。 「オレは、美空が好きだ」 ついに、言われた。 あたしは真剣そのものの神田を前にして、そう思っていた。 神田は少し表情を緩ませて、笑う。照れくさそうだ。 「一年の頃から、ずっとだ」 何か吹っ切れたように、神田の声は清々しかった。 「美空にとっちゃ、オレはただ同じクラスだったってだけと思うけど」 そんなに長いこと、あたしは神田に意識されていたのか。知らなかった。 ちょっとずつだけど、近付いてきたのは二年になってからだったから、てっきりそうだと思っていた。 あたしは自分の恋の進展がストレートで早すぎたせいか、神田の恋が随分と気長なものに感じた。 左手を掲げた神田は、コントローラーを眺める。手首が曲げられ、文字盤が光を跳ねた。 「ナイトレイヴンに乗ったのだって、美空にもっと近付けたら、てのが最初の理由だったしな」 「神田君」 あたしの声に、神田はコントローラーから顔を上げた。結果は、解っているはずなのに。 頭一つと少し背が高いせいで、見上げる格好になる。でも、パルよりは近い。 「あたしは、パルが好き。だから」 「解ってる。どう足掻いたって、美空の射程範囲にオレが入らないのも、インパルサーを越えられないのも」 戦っていたときと同じような表情になり、神田は悔しげに目元を強める。 だが、それはすぐに緩んだ。神田の目線があたしから外されて、遠くへ向けられる。 「でも、言わせて欲しかったんだ。そうでないと、フェアじゃないだろ?」 「どうしても、戦うの?」 夕日を浴びた神田の横顔は、今までに見たことのなかった表情をしていた。 昨日の戦闘を思い出しているのか、神田は空を見上げる。今は、薄い雲がいくつかあるだけだ。 その雲を動かしていた風が降りてきて、冷え切った冬の空気が吹き付けてきた。あたしは、髪を押さえる。 目線を下ろした神田は、左手を握り締める。決意は、固いようだ。 「オレはあいつを越えられないし、どんなことでも勝てやしない。でも、戦えば対等になれると思うんだ。同じ高度で、同じ条件で戦えば、少しはインパルサーに追い付くことが出来るんじゃないかって思ったんだ」 神田が、あたしへ振り向く。 「インパルサーに、伝えてくれないか。明日の放課後、高校の上空に来てくれって」 「うん。神田君も、頑張って」 「普通はそこで、インパルサーを応援するもんじゃないのか?」 不思議そうな神田へ、あたしは笑う。何を聞くのかと思えば。 「パルが負けるはずないもん。心配なのは、神田君の方。人間だし」 「…お気遣い、どうも」 気落ちした声で呟き、神田はあたしから目を逸らした。ちょっと、悪いことしたかな。 一度小さくため息を吐いてから、神田はスポーツバッグと通学カバンを肩に掛ける。 「それじゃ、また明日な」 「うん。またね、神田君」 あたしは手を振りながら、階段を下りていく神田を見送った。でも、さっきのはノロケじゃないぞ、断じて。 神田の足音がだんだん遠ざかっていくのを聞きながら、あたしはグラウンドを見下ろした。もう、誰もいない。 屋上から見渡せる川の上を通る電車が、駅へ近付いていった。薄暗いから、窓の明かりが良く見える。 通学カバンを持って肩に掛けながら、あたしは神田の言葉を思い出していた。神田が、パルと戦う理由を。 ずっと解らなかったけど、いざ聞いてみてもあんまり理解出来ない。目線を合わせたい、てこと自体が。 戦っていないと、解らない感覚なのかもしれない。そうだとしたら、あたしには解らなくて当然だ。 「戦士の世界、男の世界ってやつかなぁ」 そう呟いて、あたしは自分で納得していた。たぶん、そんなものだ。 戦うことは綺麗じゃないし、むしろ泥臭くてえげつない。なのに、わざわざ戦うなんて。 ここからしてまず、男臭い世界だ。なんかちょっと、カッコ良いとは思うけど。 あたしは、深い藍色へ変わりつつある空を眺める。薄い雲の隙間から、星々が覗いている。 明日、ここで二人は戦うんだ。どんな戦いになるのか、ちょっと楽しみな気もする。 勝つのは当然パルだろうけど、葵ちゃんも頑張るんだろうな。全力で、やり合うつもりみたいだし。 二人にとっては、明日の戦いは最高の思い出作りだ。あたしは、それが凄く羨ましくなった。 「いいなぁ」 あたしは神田に、ちょっと妬いてしまった。 明日は、パルの関心を奪ってしまうのだから。 「男の子って」 04 9/3 |