土手で、あたしはパルの隣に座っていた。塗装が剥げていて、左のアンテナも曲がっているし、ひどい格好だ。 少し離れた位置に、気を失っている神田が転がされている。パルが、コクピットから引っ張り出してきたのだ。 すっかり暗くなった川の中には、ナイトレイヴンが仰向けに倒れている。まだ、本体は回収されていない。 この間よりも、更に冷たくなった風が川から土手にやってきた。あたしは冷えた膝を抱え、息を吐く。 レモンイエローのゴーグルの明かりを感じながら、あたしは彼へ顔を向ける。もう、マスクは閉じてある。 「勝ったね」 「はい。勝っちゃいました」 頷いたインパルサーは、夜空を見上げた。ちょっと、寂しそうな声だ。 ぼんやりと光を放っている彼のゴーグルには、遠くを行く電車の窓明かりが映り込んでいる。 「とても楽しかったです。またいつか、僕は葵さんと戦ってみたいです」 「あたしも、また付き合うよ。ナイトレイヴンがちょっと可哀想だったけど、見てて楽しかったから」 あたしは、パルと神田を視界に納める。抱えた膝に、顎を乗せた。 「やっぱり、パルは強いや」 電車が駅に入ったらしく、細長く動いていた光が見えなくなる。土手の下の道路を、数台の車が通っていた。 ゆっくり流れている幅広の川には、戦いを終えたナイトレイヴンが静かに眠っている。君も、ご苦労様。 ここは、よく戦いの起こる場所だ。あたしがゼルを招いてしまった場所も、パルが戦っていたのも、ここだ。 ゼルとの戦いが始まったばかりの頃、パルがマシンソルジャーをぶっ飛ばして、土手にぶつけた名残がある。 石が崩されて出来た長い線が、土手まで続いている。その先には、へこんだ部分があった。 これもそのうち、修復されて消えてしまうんだろう。 「パル」 こうして彼の名を呼ぶのも、もう少しだけ。そう思うと、切なくなってくる。 「どうして、パルは神田君と戦おうと思ったの?」 しばらく、彼は考えるように俯いていた。ゴーグルの明かりが、足元に向かう。 マリンブルーの滑らかなマスクフェイスには、細かい傷が目立っていた。丁度鼻筋の辺りには、深い傷がある。 内側の銀色が覗いている、鼻筋の上に走った傷をがしがしとやりながら、パルは呟いた。 「一言で言えば、僕は葵さんと仲良くなりたかったからです」 「訳解んない」 「…そう言われると思いましたよ」 ちょっと拗ねたように、パルは顔を背けた。頬杖を付き、彼は続ける。 「僕と葵さんは、似てはいますが違う立場の存在です。それに、僕らは由佳さんを間に置いた形で敵対しています。ですから、互いを認め合うことは、そう簡単に出来ることじゃないんですよ」 「それと戦うのって、どう繋がるわけよ」 「つまり、素直になるためなんです。戦っているときは、恥も外聞もありませんからね」 「要するに、ケンカしてから仲良くなろう、ってこと?」 あたしは、パルと神田を見比べた。パルは頷いた。 「ええ。平たく言えば、そういうことです。僕としては、葵さんと仲良くなれたかな、と思いましたけど」 「なれたんじゃないの? あれだけ戦ったんだから」 そう返してから、あたしは神田が動いたことに気付いた。起きたらしい。 目を開けた途端、神田はがばっと起き上がった。暗くなっていたから、驚いたようだ。 辺りを見回していたが、川に横たわっているナイトレイヴンで目を止める。安心したらしく、肩を落とす。 「神田君、起きた?」 あたしが言うと、神田はこちらを見上げる。まだ少し、眠そうだ。 「今、何時だ?」 「午後六時十二分です。まだ、夜とは言い切れない時間帯ですよ」 と、インパルサーが律義に返した。神田は安堵したように、息を吐いた。 あたしは通学カバンを探り、高校を出るときに買ってきたジンジャーエールを取り出した。 「はい。神田君、ご苦労様ー」 「あ、ありがとな」 ジンジャーエールを受け取り、神田はすぐに開けた。そして、流し込むように飲む。 戦闘と寝起きで喉が渇いていたようで、一気に半分ほど飲んでしまった。満足そうな、高い声を洩らす。 更に残り半分も、さっさと飲み干してしまった。神田は、ジンジャーエールの空き缶を足元に置く。 「そっかー…オレ、投げられたときに気ぃ失ったのか」 「両腕と翼とジェネレーターは、先にフォトンディフェンサーが回収しましたから安心して下さい」 戦闘による被害も出ませんでしたよ、と、パルは補足した。それは良かった。 神田は足を伸ばし、ナイトレイヴンを見下ろす。川の中の黒い機体は、どこか安らいでいるように見えた。 「二度目だな、戦闘中に気絶するのは。まだまだ訓練が足りないな」 「巨大ロボを操縦するのも、楽じゃないってことかぁ」 あたしは、素直に神田に感心した。気絶するほどのことを、よくやっているものだ。 神田は、情けなさそうに苦笑いする。片手を挙げ、ナイトレイヴンを差した。 「情報と一緒に、破損のインパクトがもろに意識に来るから気絶しちゃうんだ。慣れたら、なくなるらしいけど」 「一体化してるんだ。神田君と、ナイトレイヴンは」 「そういうこと。あいつの痛みはオレの痛みで、オレの迷いはあいつの迷いになるんだ」 ざあ、と少し強い風が吹き抜ける。神田の短い前髪が、ふわりと広がった。 神田はインパルサーを見上げ、捻れるように折れ曲がったアンテナを指す。 「インパルサー、そこ、大丈夫か? パワーセッティングが九十のままでぶん殴ったから、ちょっと心配でさ」 「右のセンサーの感知部分に、二十五パーセント程度の損傷があるくらいです。それ以外は、至って平気ですよ」 と、パルは笑う。そうか、と神田は安心したように笑った。 今までの二人は、言葉を交わすことはあっても、睨み合うことはあっても、笑い合うことはなかった。 あたしはこの光景が、やけに嬉しかった。二人が、恋敵から友達になったことが。 これからはきっと、ずっと仲が良いに違いない。絶対に親友になれるぞ、お二人さん。 「美空」 神田は、枕にしていた通学カバンと空き缶を持って立ち上がった。あたしは、それを見上げる。 土手の下で煌々としている街灯の明かりが、神田を照らす。足元に、長い影が伸びていた。 川に沈んでいるナイトレイヴンの目が、僅かに光を取り戻している。水面の赤が、強くなった。 街灯の光で、神田の左手首がぎらりとした。やっぱり、神田の意思にナイトレイヴンが反応しているんだ。 気恥ずかしげに、神田は笑った。その顔は、戦いを終えたからか、すっきりしていた。 「ありがとな」 「何が?」 いきなりお礼を言われて、あたしは困ってしまった。何かしたっけ。 神田はナイトレイヴンを見てから、照れくさそうな声を出す。 「美空がいなきゃ、オレもここまで出来なかった。あいつに乗って戦うなんて、到底出来なかったよ」 「あたし、何かした?」 「何もしてないからだよ。どれだけオレが頑張ったって、どれだけオレが強くなろうったって」 神田はちょっと、いや、かなり不満げな口調になる。 「少っしも、オレの方なんか見てくれなかったからな。まぁ、だから余計に訓練に力が入ったわけだけど」 「あ、ごめん」 あたしは、つい謝ってしまった。凄く、神田に申し訳ない気分になった。 いいよもう、と諦め切ったため息と共に呟いてから、神田はコントローラーを操作する。 瞬時に、ナイトレイヴンが姿を消した。川の流れも元に戻り、巨大な黒い影は、もうどこにもない。 ナイトレイヴンが転送されたのを、ホログラムで確認してから、神田はインパルサーへ目を向ける。 「インパルサーもだ。オレ相手だから、本気じゃなかっただろうけど」 「三分の一くらいは本気でしたよ」 と、パルは悪気なさそうに言う。神田は顔を逸らし、苦笑した。 「そりゃそうだよな。マジで本気出されたら、今頃はオレもナイトレイヴンもスクラップだ」 「葵さん」 立ち上がったインパルサーは、レモンイエローの奧でサフランイエローの瞳を細めた。 「次はいつ、戦いましょうか」 「お前らが帰ってきたときにでも、全力で」 ぱん、と乾いた音が響く。神田の拳が、手のひらに当てられていた。 「次は必ず、勝たせてもらうからな」 ずるい。二人だけで盛り上がっちゃって、すっごくずるいぞ。 あたしはそう思ったけど、言うに言えなかった。神田が、やけに妬ましくて仕方ない。 すぐに終わるし、戦いだからそうそう長引くもんじゃないし、パルはあたししか見ていないと解っているけど。 それでも、やっぱり。胸の辺りがじりじりしちゃうのは、どうにも押さえられない。 あたしが内心で拗ねていると、神田が土手の下を見下ろした。パルも、その方向を見下ろす。 誰かが来たらしく、足音が近付いてきた。立ち上がって、あたしも二人の視線の先を辿る。 土手の横断歩道を渡ってきた二つの影が、こちらを見上げる。赤い横長のゴーグルだから、これはイレイザーだ。 イレイザーはさゆりを抱えると、軽くジャンプし、目の前にやってきた。たん、と膝を付いて着地する。 さゆりを土手の上に下ろしてから、イレイザーは逆手に神田の家の方向を指した。 「葵どの。早く母上どのの元へ戻らぬと、門限を破ってしまうでござるよ」 「それを言うためだけに出てきたのか? 電話すりゃいいだろ、そんなもん」 と、呆れたように神田が呟くと、さゆりがイレイザーに縋る。 「五時半ぐらいに、携帯に電話したの。でも、お兄ちゃんが出なかったの。だから」 「その時間なら、丁度戦いの真っ最中だったんだよ。手が離せなかったんだ」 神田は通学カバンを探り、黒迷彩のペイントがされた携帯を取り出し、開く。 何度かボタンを押して、着信履歴を表示させた。見ると、確かに神田の家から掛かってきている。 「だけど、何もさゆりまで一緒に来なくったって」 あたしも、それが不思議だった。もう、遅い時間なのに。さゆりは、上目にイレイザーを見上げた。 吊り上がり気味の大きな瞳に、イレイザーのゴーグルの色が映り込む。さゆりは、悲しげに目を細めた。 イレイザーに添えられた小さな手が、ぎゅっと固く握られた。身を寄せ、額を押し当てる。 「一緒に、いるの。あと少しで、みんな、いなくなっちゃうから」 それだけ呟いて、さゆりは黙ってしまった。肩を僅かに震わせながら、声を抑えている。 イレイザーは膝を付いてしゃがみ込み、さゆりの肩へ手を置いた。なだめるように、軽く叩く。 俯いたイレイザーは、感情を抑え込んだような声を出す。辛そうだ。 「悲しむな、さゆりどの。拙者は、そなたの影でござる。遠き日になろうとも、必ずやそなたの元へ戻ろう」 さゆりの髪を愛おしげに撫で、イレイザーは顔を寄せる。 「ただしばらくの時、ユニオンへ戻るだけのことでござる」 「でも」 顔を上げたさゆりは、だん、とイレイザーを叩いた。もう一度力を込め、腹の辺りを殴る。 しゃくり上げるのを堪えながら、声を上げる。彼女にしては珍しく、感情的だった。 「いつ、帰ってくるの? 解らないんでしょ、みんな。クー子ちゃんも、教えてくれないし。だから、きっと、みんなは」 「ここに、帰ってこられないんでしょ?」 それは。あたしが、考えまいとしていたことだった。 ユニオンに、彼らが戻るということは。彼らの新たな戦いが、銀河連邦政府との戦いが始まってしまう。 様々なしがらみと思惑が絡み合った、今度こそ、あたしには絶対手出しの出来ない争いの中に向かうということだ。 それが、いつ終わるのか。終わったところで、果たしてまた地球にやってくることが出来るのか。 いや、それ以前に。彼らの戦いが完全に終わるまで、あたしは生きていられるのだろうか。 パルは生き物だけど、体はロボットだ。だから、何十年何百年という果てしない時間も、戦っていられる。 だけど、あたしは人間だ。それに、単なる地球人の一人に過ぎない。だから、時を長らえることは出来ない。 そんなことにならないなんて、言い切れない。むしろ、そうなってしまう可能性の方が高いかもしれない。 さゆりの不安が、痛いほど解った。一度、彼と離れてしまったら、二度と会えないかもしれないから。 この銀河にいる神様は、意地悪だ。戦士達には、僅かにしか平穏を与えてはくれない。 さゆりの肩を掴むイレイザーの手が、握られる。やはり、答えない。 いつもであれば、確実で的確な答えを返す彼が何も言わない。ということは、解らないと言うことだ。 イレイザーは、兄弟の中で一番判断力と計算能力に長けている。彼が答えに詰まるのは、そういうことなんだ。 予測さえも付けられない、ということか。そのせいでさゆりの不安が増したらしく、泣き声が強くなった。 川を辿って吹き付けてきた冬の風が、いつにも増して冷たく思えた。 うちに帰るまでの道のりは、とても寂しかった。 パルは修理のために、マリーの家に行ってしまったし、神田もさゆり達と一緒に行ってしまった。 あたしは街灯で明るい夜道を歩くにつれ、どんどん気が滅入っていった。気分が重いと、足も重くてたまらない。 門を開けて、玄関まで歩き、ドアを開けた。その途端に、クラッシャーが飛び付いてきた。 「おかえりぃおねーさぁん!」 「うぉわっ!」 あたしはいきなりの重量と衝撃に、思わずのけぞってしまった。びっくりした。 よろけたが、なんとか倒れずに済んだ。後ろ手にドアを閉めてから、クー子を見下ろす。 「どしたの、クー子? 涼平と遊ばなくていいの?」 「涼とは、また明日遊べるの。でも、おねーさんは学校が違うし、あんまり遊べないでしょ?」 だから、とクラッシャーは満面の笑みになる。あたしは、つられて笑う。 尖り気味の黒いヘルメットを軽く撫でて、頷いた。 「それじゃ、何がいい?」 「後でおねーさんのお部屋に行くから、その時にねー!」 にんまりとしながら、クラッシャーはあたしから離れた。するっと滑るように、階段へ向かう。 巨大な二つのブースターが乗った背を見送っていると、一度、彼女は振り向いた。 先程の笑顔が消え失せ、とても寂しそうな目をしていた。だがそれをすぐに払拭し、にっこり笑う。 するりと階段を昇っていき、クー子の姿が視界から失せる。あたしは、胸が押し潰されそうになった。 「…無理しちゃって」 クー子は、まだ子供だ。いくら力があったって、いくら破壊能力に長けていたって。 五年生だけど、実年齢は六歳ぐらいの小さな女の子。そんな子がわざわざ気を遣う姿は、見ていて辛すぎる。 あたしはまた内心で、残り日数を数えていた。今日を含めて、残りは八日。明日を過ぎれば、一週間もない。 その間にあたしが彼らに出来ることは、ただ笑って一緒に過ごすことだけだ。 これも、コマンダーとしての役割だ。 部屋に散乱した紙の上には、どれも白い部分のぎりぎりまで絵が描かれていた。 あたしはテーブルに広がった折り紙を揃え、袋の中に入れる。折り紙のクマやウサギも、テーブルを埋めている。 小学生の頃に買ってもらった、あたしの折り紙の本を体の下にして、クラッシャーは眠っていた。 これは、感情を抑え込んだ結果なのかもしれない。人間だって、感情を抑えればかなりのエネルギーを使う。 顔が伏せられ、本の上に乗った腕の間に隠れている。重力制御が鈍ったのか、周囲の紙が浮いていた。 あたしはふわふわと漂うそれらを掴み、集めていた。慣れては来たけど、変な感じがする。 クラッシャーが色鉛筆で描いた大量の絵に描かれているのは、どれもあたし達に関係していることばかりだ。 背景がピンクのものは、自然公園のコスモス畑。万国旗が上部を占めるものは、運動会でのこと。 他にも色々ある。色と髪型から察するに、あたしと鈴音と律子に、さゆり。そして、母親であるマリー。 四人の兄達は言うまでもなく描かれていて、神田も忘れずに描いてある。でも、ちょっと意外だったのは。 「涼平が少ないなぁ」 そうなのだ。ざっと数えて二十数枚もある、クラッシャーの幼い絵の中に弟が少ない。 そりゃ、最初の頃はケンカばっかりしていたけど、近頃はどちらかというと仲が良過ぎるくらいに良い。 だからここまで数が少ないと、返って不自然だった。ケンカでもしたのか、とは思うけど、そうとは思えない。 今朝だって、ちゃんと仲良く登校していた。あたしには、さっぱりクー子の真意が掴めない。 しばらく悩んでいると、クラッシャーが小さく声を洩らす。ゆっくり顔を上げると、あたしと時計を見比べた。 「ありゃ…」 「寝ちゃってたよ、クー子」 あたしは揃えた絵を置き、クー子の体の下にあった本を引っこ抜いた。すっかり、ページが広がってしまった。 ふと、その下にも絵があった。大部分が黒いので、一瞬、何が描かれているのか解らなかった。 しばらく見ていると、黒いのがマントだと解る。そこまで解れば、思い当たる人物は一人だけしかいない。 「これ、マスターコマンダー?」 「うん」 照れくさそうに、クー子は頷く。その絵を伏せ、顔を逸らす。 「これ、持ってったらさ、パパはどんな顔するのかなーって思って」 「喜ぶんじゃないの? レイヴンさんが、本当に感情を失ってないんだったら」 「だと良いんだけどなぁ」 期待半分不安半分、といった様子で、クラッシャーは絵を四つ折りにした。 あたしがまとめた絵を渡すと、クー子は、脇に置いていたチョコレートの空き缶にどさっと詰め込んだ。 折り紙で出来た動物達も、絵の上に積み重ねられていく。あまり深さのない平べったい缶が、すぐに一杯になった。 大事そうに蓋をしたクラッシャーの目は、やっぱり寂しそうだった。空元気は、あまり続かないようだ。 あたしはそれに居たたまれなくなり、ヘルメットを撫でる。クー子は缶を押さえ、俯いた。 「そういえばさ」 「何、おねーさん」 「なんで、涼平の絵が少ないの?」 そう尋ねると、クラッシャーは肩を竦める。両手で頬を押さえ、凄く照れくさそうだ。 上目にあたしを見たり、壁の方を見たり、窓を見てみたり、とにかく視線がうろうろしている。 何かを言いかけたりしていたが、はっきり言わない。やっと、意を決したように顔を上げる。 「描けないの。思い出すと、困っちゃうの」 「困るって?」 「んーと、えと、よく解らないけど」 具体的な言葉を探しているのか、クラッシャーは頭を抱える。 「前はそうじゃなかったんだけど、もう一緒にいられないんだなって思ったら、変な感じになっちゃって」 「変な感じねぇ」 「そう。すっごく変なんだよぉ、私」 困ったように、クー子は目を伏せる。ころころ表情が変わる。 頭を抱えていた手を外して、ずいっとあたしに近寄った。思わず、身を引いてしまう。 「おねーさん、これ、なんだか解る? エモーショナルがぐるぐるで、シンキングパターンがぐちゃぐちゃなの」 つまり、感情も思考回路も混乱してしまう、ということか。それは、あれしかないだろう。 あたしは更ににじり寄ってくるクラッシャーを離してから、まじまじと見つめた。 「それ、マジで?」 「うん。ここんとこ、ずーっと。帰らなきゃいけないって思ったら、いきなり…」 顔を逸らし、気恥ずかしげな声で呟く。可愛いぞ、クー子。 あたしはぎゅっとクラッシャーを抱き締めてやりながら、ぽんぽんと肩の辺りを叩いてやる。 耳に付いている翼っぽい部分に顔を寄せ、言ってみた。これしか思い当たらない。 「要するに、涼平が好きなんでしょ?」 「…なの、かなぁ」 曖昧な言葉を洩らし、クラッシャーはあたしを見上げた。迷っているのか。 あたしを掴んでいた手を外し、ぱたりと落とす。その手を、ぎゅっと握り締めた。 「でも、涼は鈴音おねーさんが好きでしょ? だから、言っても涼が困るだけだよ」 「だけど、クー子はそれでいいの? 言わないまんまで」 「…んむぅ」 握った拳を口元に当て、クラッシャーはかなり真剣な目になる。本気で悩んでいる。 こっちもこっちで、三角関係になりそうな気配だ。リボルバーの時とは、また違った関係だけど。 あたしは、どんどん下へ向いていくクー子の頭に手を置いていた。とうとう、クー子も恋に悩む時が来たか。 前傾姿勢は遂に倒れ、頭がフローリングへ当たってしまった。ごん、とヘルメットの先が床に衝突した。 クラッシャーはふわりと体を浮かばせて、天井近くからあたしを見下ろす。まだ悩んでいる顔だ。 「やっぱり、言わない方がいい気がする。言ったら、涼が困るだけだよ」 「喜ぶかもしれないじゃん」 「涼は年上趣味だもーん。私みたいなのには興味がないし、そもそも射程範囲外なんだよぉ」 頬を膨らませ、クー子はむくれる。神田と同じような言い回しだ。 あたしはそんな彼女を見上げ、笑う。なんだか、めちゃくちゃ微笑ましい。 それに気付いたクラッシャーは、ぷいっと顔を逸らしてしまう。機嫌を損ねてしまった。 「何が可笑しいの、おねーさん」 「クー子が可愛いなぁって思ってさ。でも、まだちょっと時間があるから、考えておいたら?」 「言うか言わないかーってこと?」 「一週間もあるんだから、それだけあれば決められるでしょ」 あたしに提案に、クー子はちらりとカレンダーを見た。手を開き、指を折る。 ちょっと唸ったが、今度はすぐに結論が出たらしい。うん、と頷く。 「そだね。あと一週間、一杯考えてみる」 クラッシャーはテーブルの上を滑り、片手を缶の上に下ろす。途端に、缶がふわりと浮かび上がる。 それを大事そうに抱えてから、ドアへ向かい、開ける。廊下に一度出てから、頭を突っ込む。 「おねーさん」 「ん?」 「涼、私のこと忘れたりしないよね。ただほんのちょっと、ほんのちょっと、ユニオンに行ってくるだけだもん」 泣きそうに、声が震えていた。缶を握る手に力が入り、少し蓋がへこんでいる。 あたしは頷くと、精一杯の笑顔を作った。クラッシャーは僅かに表情を綻ばせ、ドアを閉めた。 完全にドアが閉まったことを確認してから、あたしはテーブルに体を預けた。また、泣きそうになってしまう。 そうしているうちに、いつのまにか眠っていた。 目を開くと、部屋は青白い光に染まっていた。 ぼんやりした視界の中に、カーテンの開けられた窓を見つける。その前に、彼がいた。 澄んだ月明かりを浴びながら、修理の終わったアンテナを光らせている。ゴーグルが、こちらへ向く。 そうか。パルが運んでくれたから、あたしはベッドに寝ていたのか。 あたしはベッドから起き上がり、窓の前へ向かった。ガラス越しに、冷気が伝わってくる。 インパルサーはゴーグルの奧の目に、優しげな表情を浮かべていた。 「本当なら、もう少し時間を掛けて微調整をすべきなんですけどね。早々に、切り上げてしまいました」 「お帰りなさい」 あたしは、パルの隣に座った。月明かりが強いせいで、月の周囲の星がうっすらとしか見えない。 体を傾げて、彼の胸板に頭を置いた。塗り直されていて、綺麗になっている。 まるで、昼間みたいな明るさだ。これで夜だなんて、ちょっと不思議な感じがした。 あたしは肩に乗せられた手に、自分の手を重ねる。大丈夫、パルはまだちゃんとここにいる。 「由佳さん」 頭のすぐ後ろから、パルの声が聞こえる。あたしは、彼を見上げる。 マスクを開き、こちらを見下ろす。その表情は、穏やかだった。 「いつ帰ってこれるのか、僕にも解りません。銀河連邦政府の下した決定は、予想以上に強固なものでした。僕達の所有権は、ユニオンの方ではマリーさんにあるのですが、それを広義に捉えられてしまいまして。なので僕達は、いつのまにか、銀河連邦政府軍所有の兵器という扱いになっていました。今はまだ、書類上だけですが。それを覆して、本当に僕らがあなた方の部下となり、戦わずに済むようになるまで何年掛かるのか…」 「…やっぱりかぁ」 「嘘を吐いたところで、どうにもなりませんし」 パルの表情が曇り、悲しげになる。あたしは、彼へ体重を掛けた。 「うん。あたしも、ちゃんと言ってくれた方がいい」 目覚まし時計の秒針の音が、部屋に満ちていた。彼との別れを、近付けさせる音だ。 かちり、かちり、と単調なリズムが続く。過ぎていく時間にだけは、誰も抵抗することが出来ない。 横目に掛け時計を見ると、十二時を過ぎていた。残る日数は、たったの七日になってしまった。 あたしはそのことを忘れるため、目を閉じる。秒針の音に混じって、彼の鼓動が感じられた。 温かな熱を持ったエンジンが、彼を生かしている。あたしは、これも大好きだ。 不意に、肩から手が外される。胸の上と腰に、腕が巻かれた。 パルの腕に力が込められ、しっかりと抱き竦められる。すぐ近くに、目の明かりがある。 あたしは目を開き、上目に彼を見上げた。優しい笑顔が、むしろ切なげだ。 「由佳さん。僕へ、命令してくれませんか?」 腕の中で身を捻り、彼へ目線を合わせる。胸に縋ると、彼は続けた。 「必ず、ここへ戻ってこいと。ただの、気休めにしかならないと思いますが」 「馬鹿」 あたしは手を伸ばし、パルの滑らかな頬へ手を当てる。 「パルが、あたしの命令を守らないわけがないでしょ。気弱なこと、言うんじゃないの」 気持ちだけじゃどうにもならないし、どうにも出来るわけはない。 だけど、願うことは無駄じゃないはずだ。叶うことを、願うくらいなら。 「ちゃんと、あたしの元へ帰ってきて」 大好き。だから、あなたの命令を聞いてあげる。 「命令だからね、パル」 深く、深く。 今までにないくらい、あたし達は思いを込めてキスをしていた。 このまま離れたくないのは、どちらも同じ。この時間を、終わらせたくないのも。 息が詰まってしまうのは、パルに唇を塞がれているせいだけじゃない。 ゆっくりと遠ざかったサフランイエローの目が、何よりも愛しくてたまらなかった。 「了解しました、コマンダー」 04 9/8 |