Metallic Guy




最終話 また、会う日まで



部屋のテーブルに置かれたハートのチョコレートケーキには、ローマ字であたしの名前が書かれていた。
ホワイトチョコで出来ている英文字は、ちょっと歪んでいて、クセのあるパルの字だった。
FOR YUKA MISORA なんて、結構恥ずかしいものがある。誕生日みたい。
あたしはベッドの傍に通学カバンを置いてから、そのケーキを前に正座している彼を見下ろす。

「一日早いよ」

「明日は作っている暇がありませんし、作れるときに作っておきませんと」

がしがしと頬を掻きながら、インパルサーは照れ笑いした。あたしはテーブルに座り、ケーキを眺めた。
チョコレートに混じって、洋酒の香りもする。文字の周囲に散らされているのは、オレンジピールだ。
子供っぽい見た目の割に、味は大人っぽいようだ。あたしはケーキから目を外し、パルを見上げる。

「おいしそうだけど、食べるのは明日ね。バレンタインなんだし」

「ついでにホワイトデーの分も作りたかったんですが、時間がなかったんですよね」

残念そうに呟いてから、パルは窓の下へ顔を向けた。あたしも、その先を見る。
パルの私物が整理整頓されて詰め込まれていた、二段のカラーボックスがすっからかんになっていた。
あたしがあげたエプロンも、ジャスカイザーの絵本も、コールカイザーも、アルティメットジャスカイザーも。
何冊も積まれていた、高校や図書館の本もなくなっている。今日一日で、すっかり返却してきたようだ。
あたしはその行動の素早さに感心しつつも、明日で彼がいなくなることを痛感していた。
カラーボックスの中身は、一つもない。彼がここにいた痕跡が、全て消されてしまったかのようだ。

「あっという間でしたよね、一週間なんて」

パルの呟きに、あたしは頷く。ごたごたしていたら、すぐに終わってしまった。

「ホントだよ。もうちょっと長いかなー、とか思ったのに」

「この七ヶ月間も、あっという間でしたね。とても、素晴らしい日々でした」

感慨深げに、インパルサーは窓を見上げる。あそこが破られたのが、ついこの間みたいな気がした。
部屋を斜めに照らす西日が、あたしと彼の影を濃くした。翼のある影が、壁に伸びた。
マスクフェイスの輪郭を、強い光がぼやけさせていた。淡いレモンイエローが、西日に負けている。
西日と共に空の色が映り込んだゴーグルが、こちらへ向く。空が消えて、あたしが映った。

「何よりも素晴らしいのは、由佳さんに出会えたことですが」

「あたしも、パルに会えて良かった。大変なこととか苦しいこともあったけど、楽しかったよ」

そして、恋もした。素直になるまで、ちょっと時間が掛かっちゃったけど。
パルに恋をしたことを、迷うことはあったけど後悔はしていない。それに、好きになったらどうしようもない。
おかげで、何度も自分に振り回された。あたしの理性は、思っていたより弱かったんだなぁ。
楽しかった。だけど、辛いこともそれと同じくらいあった。戦えないことがこんなに悔しいなんて、知らなかった。
でもそれも、今となっちゃ良い思い出だ。もっと、あたしも強くならないと。
このチョコレートケーキは、大事に味わって食べることにしよう。当分、パルのお菓子は食べられないんだし。
リキュール混じりの香りを感じながら、あたしは彼を眺めていた。本当に、帰ってしまうんだ。
一週間の間、あたしは必死に自分を落ち着けていた。その成果か、帰る前日になっても泣かずに済んでいる。
なんだか素っ気ない気もするけど、泣いて喚いて迷惑を掛けるよりは大分マシだ。と、思う。
あたしはテーブルにべたりと身を任せ、チョコレートケーキ越しにパルを見上げる。

「ユニオンかーぁ…。どんな星だろうね」

「僕も見たことがありませんから、ちょっとは楽しみです」

パルは、少し楽しげな声になる。そうか、知らないんだっけ。

「コズミックレジスタンスは、最初にユニオンを襲撃しましたが、攻撃はフレイムリボルバーの第一攻撃隊によるものでしたからね。僕やフォトンディフェンサーが戦列に加わったときは、既に戦場は別の惑星に移っていましたし」

「良いところだといいね」

「僕らの居住先になるセカンドコロニーには、僕らの部下さん達もいますしね。皆、元気だと良いのですが」

インパルサーは嬉しそうだけど、心配そうだった。ゼルのことがあるからだろう。
あたしはちょっと想像してみたけど、そのコロニーがどんなものなのか、はっきりとした映像に出来ない。
ユニオンの都市の姿も、似たようなものだ。東京の都心を未来っぽくしただけ、みたいなのしかならなかった。
コロニーやユニオンがどんなものか、パルが帰ってきたときに聞いてみよう。うん、それでいい。


ちゃんと帰ってきたら、だけど。


過ぎった不安を、あたしは感じないようにした。ちゃんと帰ってくる、だから考えるな。
ちゃんとパルに命令したじゃないか。あたしの元へ帰ってこい、って。
大丈夫。絶対に、大丈夫。相手は、命令に忠実な、あのパルじゃないか。
約束を守ってくれて、命令を守ってくれて、たまにちょっとだけ逆らうけど、それぐらいだ。
だからもう、そんなことは考えちゃダメだ。これ以上考えたら、せっかく抑えてきた涙が出てしまう。
あたしはテーブルの冷たい表面に当てていた頬を外し、起き上がった。情けないなぁ、あたしは。
ふと、テーブルの下に何かが置いてあることに気付いた。身を屈め、それを取り出す。
色の暗めなシルバーの、ヘッドフォンみたいなもの。だけど、目元を覆うようなゴーグルが付いている。
見たこともないその機械を、あたしはパルへ向けた。こんなものを持ってくるのは、パルしかいない。

「これ、何?」

「ダイレクトプロジェクターです。リモートコンシャスネスシステムを逆方向に利用しているマシンで、簡単に言えば、感覚へ直接ホロビジョンを投影するんですよ」

「でも、何に使うのよ」

あたしは訳も解らず、ダイレクトプロジェクターをいじっていた。未来っぽい機械だ。
パルはあたしの隣へ膝を付いて、ヘッドフォンの右耳部分を操作する。隙間から、平べったいものが出てきた。
何かの文字が書かれた、板ガムみたいなものが抜かれる。色は、それを持つパルの指と同じマリンブルーだ。

「これを見て頂こうと思いまして。マスターコマンダーからの、ホロビジョンを納めたメモリーです」

「つまり、手紙みたいなもの?」

「そういうことになりますね。このメモリー自体は当初から持っていたのですが、これがなかったので」

こん、とパルはあたしが両手に抱えているダイレクトプロジェクターを突く。

「見て頂くことが出来なかったんです。あ、これはマリーさんからの借り物ですが」

「へーぇ…」

あたしは、インパルサーとダイレクトプロジェクターを見比べた。彼は、隙間へメモリーを差し込む。
またいくつかボタンを操作すると、ゴーグル部分が明るくなる。細長い部分が、青白く光っている。
電源が入ったんだろう。あたしがダイレクトプロジェクターを掲げると、パルは頷いた。

「どうぞ。装着すれば自動的に始まりますし、ビジョンが終われば電源も落ちますから」

あたしは言われるがままに、ダイレクトプロジェクターを被った。両耳と目元を覆ったため、音も光もない。
数秒すると、視界に光が見えてきた。ぼんやりとした光が次第に強くなり、辺りを照らし出していく。
なんだか、異世界へ行っちゃいそうだ。徐々に視界は明確になって、周囲に何があるのか見えてきた。
直後。全てが見え、ここがどこなのか解らなくなった。




広大な空間。十数メートルはありそうな天井には、無数のケーブルやパイプが這っている。
あちこちにあるモニターやホログラム、コンソールが色とりどりに光っていた。前には、巨大な暗闇があった。
闇だと思ったのは、宇宙空間を映し出しているめちゃめちゃ巨大な楕円のモニターだった。無駄にでかすぎる。
足元は銀色の床で、周囲を見ると、見たこともないマシンソルジャーが仕事をしている。色は、様々だ。
赤だったり青だったり、黄色だったり紫だったり黒だったり。皆、それぞれに番号が付いている。
巨大なモニターの右下には、船のような何かの輪郭が表示されていた。その上で、五色の丸が点滅している。
あれは、ロボット兄弟がどこにいるか、というものなんだろう。全部の丸が、ちょっとずつ離れている。
あたしはSFそのものの空間を見つつ、ここがどこか考えた。そしてやっと、ここが何なのか思い当たった。

「そっか」

ここは、マザーシップのブリッジなんだ。馬鹿でかいんだから、きっとそうだ。
コズミックレジスタンス時代の、皆がいた場所。そして、ここには。



「このビジョンを見ている貴様が、ブルーコマンダーだな」


低く、よく響く声。あたしは、その声の主を捜した。
ブリッジを見下ろせる位置にある一際大きな座席に、黒いマントを纏った大柄な男が座っている。
足を組んでいるのか、マントの隙間から銀色の装甲を付けた足が出ていた。組んでいた腕を解き、立ち上がる。
マリーの見せてくれた三枚目の写真と、同じ姿だ。レンズのない横長のゴーグルに、重そうな肩の装甲。
あたしはその存在感と体の大きさに、ちょっと戸惑った。でも、これは映像だ。だから、何もされやしないだろう。
そう思いながら、艦長席と思しき椅子へ近付く。椅子の前にある階段を昇り、男の目の前に立った。
浅黒い肌で銀髪の、重装備のサイボーグの男。間違いない、この人が。

「私がマスターコマンダーだ。大体のことは、ソニックインパルサーから聞いているだろう」

無表情のまま、淡々と言い放つ。予想通りの人物だ。

「詳しいことは要約する。早くしてしまわないと、我が子達がメンテナンスを終えてしまう」

マントを翻し、巨大なブリッジを見下ろした。あたしも、その下を見る。
小学校のグラウンドぐらいの大きさはありそうな下の空間には、忙しく動き回るロボットが一杯いた。
マスターコマンダーは銀色のゴーグルに覆われた目を下げ、そこにマシンソルジャー達を映した。

「私は、この戦いに置いて、主要な戦力となる戦士を五体造り上げた。それが、カラーリングリーダーだ」

うん。それは知っている。その頃の皆の扱いが、良くなかったことも。
マスターコマンダーは続ける。声に、まるで抑揚がない。

「効率の良い破壊と充分な戦略を行うためには、ただの木偶人形では上手くは行かない。戦場では、己の判断が何よりも大事なことだ。だから、彼らへ意思と思考、そして感情を与えた。より高性能なコンバットマシンとするために。銀河を喰い尽くそうとする、銀河連邦政府を壊滅させるための兵器としてな」

マスターコマンダーは顔を上げる。マントの下から、黒い手袋に包まれた左手を出した。

「だが、私は失敗した。気の迷いに、流されてしまった」

開かれたその中には、あの逆三角形のエンブレムが入っていた。
マリーとの思い出を封じた、メモリーチップ。それがまた、手の中に納められる。

「彼らの感情や思考のパターンを、私とあの女の人格を元に作ってしまったのだ」

マスターコマンダーの声が、落ちた。強く、手が握られる。



「私とマリーの、子供という前提でな」



「実に愚かしく、馬鹿馬鹿しい話だ」

相変わらず淡々としていたけど、どこか自虐的だった。

「自ら敵とした相手の、それも最前線で我が子の部下達を薙ぎ倒し破壊し尽くす女との、子供だというのだから」

後方へ下がり、マスターコマンダーは艦長席に腰を下ろす。マントの下で、足を組む。
深く座りながら、顔を伏せる。メモリーチップの入った手が、緩められた。
あたしは、じっとマスターコマンダーを眺めていた。この人は、まだマリーさんのことが好きなんだ。
感情も、絶対に失っていない。失っているのなら、こんなに苦しそうな顔はしないはずだ。
メモリーチップを握っていない方の手が、強く握られる。歪められた口元が、開いた。

「マリーや子供達は、私を許さないだろう。だが、彼女らに、許しを請うことはしない。全ては私の責任だ」

べきり、と握られた右手が肘掛けを突いた。

「あの時、彼女を守れていれば。ゼルに、背を向けたりしなければ」

絶叫を押し殺し、深い苦しみが込められている声だ。
この人も、人間だ。だから、こんなに。

「この戦いを、起こさずに済んだはずなんだ!」

悲しいくらい、強い後悔が伝わってきた。感情の波が、直に意識に来る。
マスターコマンダーは肘掛けから右手を外し、少し破れた手袋を見た。中から覗く手は、機械だ。

「悔やんでも、仕方のないことばかりだ。時間は戻らん、私とマリーの体もな」

すぐに、声色と表情は消えた。これじゃ、鉄仮面なんて呼び名が付くのも当たり前だ。
ばさりとマントを広げ、右手をその中に入れる。足を組むと、モニターの右下に目線を向けた。

「ブルーコマンダー。貴様とソニックインパルサーの出会いがどんなものか知らんが、ろくなものではないだろう」

あの間抜けのことだからな、と、可笑しそうにした。自分の子供とはいえ、それはちょっとひどいぞ。
あたしはむっとして言い返しそうになったが、相手が映像であることを思い出した。言い返しても、何もならない。
この辺も予想通り、いや、それ以上だ。性格悪いし口も悪いし、態度がでかい。端っから、他人を見下している。
マスターコマンダーの目線の先、恐らくはマザーシップの内部状況を表す船の輪郭の中で、青が点滅していた。

「奴は貴様のいる星、地球へ逃がす予定だ。一番先に戦線から外しておかんと、自殺でもしかねん」


逃がす。


あたしは一瞬、その言葉が信じられなかった。パルが話してくれた、地球に来る切っ掛けとは違う。
地球を制圧させるためにインパルサーを暴走させた、ってのは嘘だったのか。なんだよそれ。
でもそれじゃ、何も兄弟同士で戦わせる理由はないじゃないか。マジで性格悪いよ、マスターコマンダー。
当の本人は飄々としていて、まるで罪悪感はなさそうだった。冷血漢め。

「しかしそれは、戦況を掻き乱さないと上手く行かん。まぁその時は、同士討ちに近い状況を作ればいい」

作ればいい、っておい。あたしは、全力で突っ込みたくなった。それでいいのか、マジで。
あたしが突っ込もうかどうしようか悩んでいる間にも、マスターコマンダーは話を続ける。

「あとでこのことが知れても、私は奴らに謝らん。結果として、我が子達のためになることだ」

開き直りやがった。あたしは呆れつつも、マスターコマンダーの神経の図太さがちょっと羨ましくなった。
兄弟同士の戦いは、めちゃくちゃ荒っぽくて無茶苦茶だけど、マスターコマンダーなりの愛情だったのか。
だけどこれは、ディフェンサーじゃなくても反抗したくなる。クラッシャーでなくても嫌いたくなる。
ひどすぎるんだよ、あんたのやり方は。やっぱり、一発殴っておきたくなった。
あたしは、悶々としながらマスターコマンダーを睨む。彼は、少し笑うような声を出した。

「ブルーコマンダー。ソニックインパルサーがそこにいるのなら、じきにフレイムリボルバーが到着する。あの馬鹿のことだ、ソニックインパルサーの暴走を止めるために来るはずだ」

そういうことは、先に言ってくれ。あたしは、ボルの助が来たときの苦労を思い出した。

「そのあとに、フォトンディフェンサー、シャドウイレイザー、ヘビークラッシャーが、マリーと共に来るだろう。マリーは誰よりも強い戦士だが、優しい女だ。銀河連邦政府の腐れた体制から、我が子達を匿うだろうからな」

ここまで先が読めているとは。凄いぞ、マスターコマンダー。
不意に、表情が険しくなる。大方、ゼルが地球へ来ることを見越しているんだ。
マスターコマンダーは、あからさまに嫌悪感を露わにした口調で呟く。

「…最後に、ゼルが来るだろう。だが我が子達とマリーは負けん、誰にもな」

それを聞いて、あたしはなんとなく嬉しくなった。パル達を、信じてるんだ。


「余談が過ぎた。本題に入ろう」

どこか楽しげに、マスターコマンダーは口の端を上向けた。笑っている。

「私がこのような方法で、貴様に顔を合わせている理由は、ただ一つ。コマンダーシステムについてだ」

あたしがいくら考えたところで、なぜあるのか解らなかったものだ。どんな理由なんだろう。
マスターコマンダーは左手を開き、メモリーチップを出した。それを胸元へ入れてから、コンソールを叩く。
艦長席の手前にある小さめのモニターへ、丸いものが表示される。形からして、これはコアブロックだ。
更に数回コンソールが操作され、コアブロックの内部図解が見える。中身が複雑すぎて、まるで訳が解らない。
マスターコマンダーはコアブロックの中心にある、逆三角を指す。三角錐を、逆にしたみたいなものだ。

「これが、マシンソルジャーの要だ。人格と記憶を形成する、メモリーのメインブロックだ」

数回、またコンソールが叩かれる。たん、とマスターコマンダーの手が止まる。
逆三角錐が開くと、その中から二回りほど小さな、逆三角錐の部品が拡大されてモニターに広がった。

「そしてこれが、カラーリングリーダーのみに搭載したコマンダーブロックだ。中身は、まだ空のメモリーだ」

それは、一体どういうことなんだろう。
マスターコマンダーは頬杖を付き、コマンダーブロックの映像を眺める。

「我が子達は日々成長し、生きている者達だ。だがそれである以前に、マシンであり、道具なのだ」

あたしは、マスターコマンダーへ向き直った。表情は、よく解らない。
横長でレンズのないゴーグルに映るのは、当然ながらブリッジの光景だった。

「マシンは、人のためにある。そして、人もマシンを使うためにある。どちらも互いへ、意義を与え合っている。だが、私が地球へ突き放してしまえば、我が子達は、その意義の大半を失う。稼働する意味も、大半がなくなってしまう。その失った分の意義を埋めるために、我が子達を生かし続けるために、コマンダーシステムを内蔵させたのだ」



「お前達は必要な存在なんだ、と言ってやる代わりだ」



マスターコマンダーは、にやりとする。口の辺りの動きは、パルに似ている。
この笑みは、照れ隠しなのかもしれない。あたしはそう思いながら、黒いマントの男を見上げる。
座っていても、やはりでかい。マスターコマンダーは、顔を背けた。

「そして、貴様らコマンダーも必要だ。子らにとって、初めて接する優しい人間であり、友となる存在だからな」

あたしは、その友達を通り越しちゃったけど。なんだか急に恥ずかしくなった。
マスターコマンダーは、あたしの思った通り、照れくさそうに言った。

「要するに、コマンダーシステムは実に下らん親心で作ったものだ。だからあまり、深く考えずにいてほしい」


なんだかんだ言って、ロボット兄弟のことが大事なんだ。この人、実は結構優しいのかもしれない。
不意に、巨大なメインモニターから音がした。振り返って見上げると、右下の図の青い丸が移動していた。
マスターコマンダーはちょっと面白くなさそうにしていたが、仕方なさそうに呟いた。

「ソニックインパルサーめ、もうメンテナンスを終えたのか。もう少し、セッティングに手間を掛けたらどうだ」

ということは、そろそろこれも終わりなんだ。ちょっと残念。

「ブルーコマンダー。貴様に会えないのが残念だ」

と、マスターコマンダーは首を振る。そっちもか。
立ち上がり、マスターコマンダーは背を向けた。ふわりとマントが広がり、落ち着いた。

「私は銀河連邦政府軍に捕らえられ、冷凍刑に処されるはずだ。直接会うことは、永遠にないだろう」

横顔だけ向け、マスターコマンダーは呟いた。

「だが、礼儀として言っておく」



「また会おう、ブルーコマンダー」





また。それがいつなのか、あたしには解らなかった。
七百年後の惑星ユニオンなのか、それともこの映像に続きがあるのか。でも、そのどちらでもないだろう。
視界は真っ暗だ。この映像が終わったんだ。長いようで短い、マスターコマンダーからの手紙が。
頭からダイレクトプロジェクターを外すと、部屋の中は薄暗くなっていた。日が落ちて、窓の外は夜になっている。
今し方まで見ていた、マザーシップのブリッジの印象が強すぎて、妙に現実感がない。
ダイレクトプロジェクターを置き、あたしは部屋を見回した。うん、やっぱりここはあたしの部屋だ。
でも、さっきまで宇宙船の中にいた。ありありと意識に残るその感覚のせいで、なんだか変な感じだ。
テーブルの反対側へ目を向けてから、あたしは窓の方へ向けた。藍色の夜空で弱く光っている、星々が綺麗だ。
あたしは、状況を飲み込むのにしばらく掛かっていた。そして、やっと理解することが出来た。


「パル?」


返事なんて、帰ってこなかった。

パルは、部屋からいなくなっていた。返事がなくて、当たり前だ。
なんだか急に、がらんとしちゃったような気がする。あたしは、ただぼんやりしていた。
チョコレートケーキの上には、ご丁寧にリボンの付いた丸い箱が被せられている。ますます誕生日みたいだ。
いきなりいなくなるなんて、いくらなんでも薄情だぞ。ちょっと卑怯じゃないか。
パルに文句を言いたくなったけど、いない相手に言ったって空しいだけだ。泣きたくなっちゃうだけだ。
部屋が暗いと、もっと気が滅入ってしまう。あたしは立ち上がり、蛍光灯の紐を引っ張って付ける。
何度か瞬いたあと、部屋は白い光で明るくなった。ふと、机の上に何かあることに気付いた。
きっちり折り畳まれた青いメモ用紙が、置いてあった。それを取り、開いてみた。
中身は、パルからの手紙だ。内容は、こんなものだった。


  由佳さんへ

  こうでもしないと、僕はあなたの傍から離れることが出来ないでしょう。

  填めるような真似をして、ごめんなさい。ですがまだ、これが最後というわけではありません。

  明日の午前十時、マリーさんのスペースシップが川の下から発進します。

  そのときに、一目会えたら、と思っています。

  チョコレートケーキの感想は、僕が戻ってきたときにでも聞かせて下さい。


  ブルーソニックインパルサー


あたしは、窓の外を見ていた。夜空に一つ、旅客機の機影があった。
街灯と窓明かりの並ぶ家並みの上に、つい彼の姿を捜していた。見つかるわけもないのに。
とうとう、本当にお別れだ。明日の午前十時なんて、授業中じゃないか。

「授業、サボれっての?」

そう呟いてから、あたしは手紙をチョコレートケーキの丸い箱の上に置く。かさり、と紙がリボンに擦れた。
ベッドに座ったが、すぐに背中から倒れた。蛍光灯に照らされた天井が、いやに眩しかった。
家の中は、妙に静かだった。きっと、涼平の方も同じなんだろう。
一度深呼吸してから、目を閉じる。このまま眠ってしまえば、寂しいのも空しいのも消えるんだろうか。
でも、うっかりパルの夢なんて見たら、もっとそれが強くなってしまう。その方が、タチが悪い。
そう思い、あたしは目を開いた。現実から目を逸らしたって、いいことはない。
それよりも今は、ちゃんとしていなきゃ。明日は授業サボって、マリーの船を見送らなきゃなんだから。




翌朝。朝は、いつもと変わらず訪れた。
あたしはベッドから起き上がり、窓の近くを見た。いないのは、解ってはいるけど。
背筋を伸ばしてから、深く息を吐く。部屋の空気も、朝のひんやりしたものになっていた。
ベッドから下りて窓を開き、きんと冷え切った風を中に入れた。空の色は気持ちの良い青で、雲一つない。
机の上の充電器から携帯を取り、夜中に来ていたメールを開いていく。流し見してから、ぱたんと閉じる。
サブウィンドウに表示された日付は、二月十四日。セント・バレンタインデーだ。
あたしは、チョコレートケーキの箱を置きっぱなしだったことを思い出した。後で冷蔵庫に入れないと。
テーブルの上からチョコレートケーキの箱を持ち上げ、机の上に置く。着替えた後に、キッチンに持って行こう。
エアコンの暖房を入れると、少々埃っぽい温風が出てきた。寒いままじゃ、着替えられない。
部屋が暖まるのを待ちながら、あたしはクローゼットを開ける。制服と下着を取り出し、ベッドの上に放った。
厚手のパジャマを脱ぎ捨てながら、あたしは自分の口数が減っていることに気付いた。相手がいないからか。
ブラウスを着込んでボタンを留め、スカートを履く。ホックを留めてから、胸元のリボンを整える。
その上にオフホワイトのセーターを着てから、紺色のブレザーを羽織る。襟元を正し、ボタンを留めた。
襟元に入ってしまった後ろ髪を抜いて、相変わらず跳ねている前髪を指で梳く。ああもう、この髪の毛は。
クローゼットの脇にあるドレッサーからブラシを取り、簡単に梳かしていった。後で、ちゃんと整えないと。
跳ねまくっている前髪に、ヘアピンを二本差した。なんとなく、ドレッサーの鏡に映るあたしを見た。

「死にそうなツラしてんなぁ、もう」

自分でも笑えるくらいに、覇気がない。朝っぱらからこれとは。
らしくない、なんてもんじゃない。これじゃ別人だぞ。
何度か頬を引っ張ってみたりして、表情を作る。うん、なんとか笑えそうだ。
鏡の中で中途半端な笑顔になっている自分を、もうしばらくいじくり回し、まともな笑顔にした。
あたしはドレッサーの鏡へ布を掛けてから、机へ振り返った。カバンの中身も、入れ替えておかないと。
机の引き出しの前に置いた通学カバンを、どん、と机の上に乗せ、教科書やノートなどを今日の授業に合わせる。
確か、シャー芯が減っていたっけ。あたしはそれを補充するため、スペアを入れてある引き出しを開けた。
ペンの束が入った箱の隣に置いておいたはずの、新品のシャー芯を捜した。でも、見当たらない。
奧に入っちゃったんだろうか。中をよく見るため、引き出しをずるっと全部出してみた。
シャー芯は、案の定、引き出しの奧に落ちていた。その隣には、手のひらに納まる大きさの白いケースがある。
これを、開けちゃいけない。開けたりしたら、あたしはきっと。
自分を制止しようとしたけど、無理だった。勝手に手は伸びて、白いケースを取っていた。
ぱこん、と蓋が軽く開いた。中の白いクッションには、オープンハートのシルバーリングが埋まっていた。
以前と変わらぬ銀色の輝きが、あたしの視界でぼやけていく。

ダメだ。

もう、我慢出来ない。


「パル」

喉が詰まっているせいで、あたしの声は変だった。
ずるいよ。こんなの、残していかないでよ。
思わず泣いちゃったじゃないか。あんたが、こんなもの送るから。
もっと、もっと。

好きになっちゃったじゃないか。


どれくらい、あたしは泣いていただろうか。
声を殺して背を丸め、リングが濡れるのも構わずに泣き続けていた。
ずっと堪えていた分が、一気に出てしまったのだろう。止めることが出来なかった。
泣いている間中、ずっと、彼のことを考えていた。少しでもいいから、会いたくて仕方なかった。
リングをケースへ戻そうと思ったけど、手放すことが出来ず、制服のポケットへ入れた。今は、離したくはない。
濡れに濡れた頬を拭って顔を上げ、ベッドの枕元の目覚まし時計を見た。一時間目は、もう始まっている。
あたしは立ち上がると、目元を拭った。やっぱり、授業はサボることになりそうだ。
すっかりぐしゃぐしゃになった髪をちょっと整えて、ずれたヘアピンを付け直す。さすがに、身支度はしなきゃ。
気合いを入れ直すためにも、あたしは部屋の空気を入れ換えようと思い、窓を全開にした。
先程よりも多少は気温の上がった風が、涙を乾かしていく。悲しいのも、それで少しは和らいだような気がする。
空は高く、清々しかった。間違いなく、今日は出発日和だ。


「さて!」

ぱん、とあたしは自分の手のひらへ拳を当てた。パルの真似だ。
窓を閉めてカーテンを引き、コートを抱えて通学カバンを肩に掛け、部屋を出た。
一階に下りて、洗面台の脇にそれらを放り投げる。顔を洗うと、ちょっとさっぱりした。
跳ねまくっている髪をムースでまとめ、落ち着けさせた。目が赤いのは、どうにも出来ないけど。
コートを着込んで白いマフラーを巻きながら、リビングの前を通り過ぎようとした。
あたしが通る前に、母さんが出てきた。母さんは紅茶のポットを抱え、笑む。

「あら。お休みかと思ったけど、ちゃんと学校へ行けるみたいね」

「うん、なんとかね」

「そう。いってらっしゃい、由佳」

あたしは玄関でローファーを履きながら、母さんに振り返る。

「行ってきます」


ドアを開けて外へ出、門から出て歩き出した。すっかり遅刻しちゃったよ。
人通りの少なくなった住宅街を抜けて、土手の傍の歩道へ出た。もう、通学している生徒はいない。
あたしは土手の前の横断歩道で、青になるのを待ちながら、土手の方を見上げていた。
この奧の川から、パル達は出発するんだ。どんなふうに、どんな宇宙船が出てくるんだろう。
土手の上に広がる広大な空には、一機、戦闘機の機影が走っていた。


さよなら、パル。

さよなら。


あたしの、鋼鉄の彼氏。







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