Metallic Guy




第三話 長い、長い一日



冷蔵庫の野菜室から、使う分だけ取り出してまな板に並べていく。
ニンジンタマネギジャガイモの三種はいつも使うものだから、必ず入っていると思っていたら案の定だ。
一通り探って出した後、更にトマトを出す。これを入れなければ、母さんの味には近付かない。
冷蔵庫を閉じて、隣の食器棚を見上げる。
その引き出しの一つを開けて、ピーラーを出してまな板の隣に置いた。
上の棚から鍋を下ろそうと背伸びしていると、ダイニングカウンターの向こうで青い翼が動いた。
あたしは中くらいの鍋をコンロの上に置くと、流し台から身を乗り出した。


「起きたー?」

起き上がったインパルサーが、あたしの声に間を置いて頷いた。
目は擦らないけど、寝起きだからだろうか。多少、反応が鈍い。
光の失せていたゴーグルはまたレモンイエローになり、あたしを見上げた。

「由佳さん…何、なさってるんです?」

「晩ご飯作るの。あたしのだけだけど」

「その間、僕は」

「パルは何も出来ないでしょ。水、触れないんだし」

「あ、そうでしたね」

と、思い出したようにインパルサーは言った。
あたしは鍋の中に水を流して軽く洗い、またコンロの上に置いた。
ジャガイモを手に取って、表面に付いた泥を洗い落としながら、座ったままの彼の横顔を眺めた。

「でーもなぁ、食べるのがあたしだけってのがあんまり面白くないかも」

「僕は、有機物の摂取は一切出来ません」

「パルはロボットだからなぁ」

あたしは濡れたジャガイモをまな板に置き、ボウルを出した。
皮を剥きながら、呟く。

「食べてくれる相手がいないと、作り甲斐がないというか…」

「そういうものなんですか?」

「そういうものよ」

あたしは皮を剥き終わったジャガイモをボウルに入れ、水を張る。
更にもう一個を手に取って、こちらを見上げる彼に気付いた。
彼は少し物足りなさげな視線を向けていたが、俯いた。

「解りたいような気もしますが、よく解りません」


解りたいのか。
あたしには、そっちの心境の方が解らない。
皮を剥き終わった二個目のジャガイモをボウルに投下しながら、とにかく残念そうな彼が気になっていた。
何がそんなに残念なのか、さっぱり掴めない。
三個目のでこぼこした皮を剥きながら、あたしはなんとなく薄暗くなってきた窓を見た。
そこに映るインパルサーの横顔は、無表情なマスクフェイスだ。
なのに、なんであたしがこんなに彼の感情が掴めるのかが不思議だった。
いちいちオーバーリアクションなせいだろう。首も良く動くし、声色も上下する。
でも感情表現の動作が、地球人、まして日本人と大差がないことがまた不思議だ。
もしかしてとは思うけど、ヒューマニックマシンソルジャーを作ったのは地球人じゃないだろうか。
そう思いながらも、あたしは口に出す気は起きなかった。
確信を得たら、めちゃくちゃ落ち込みそうな気がしたからだ。


水に濡れたジャガイモを取り出して大きく切り分け、またそれをボウルに入れる。
それを繰り返していると、インパルサーがあたしへ顔を向けた。

「何?」

「えと、今由佳さんがなさっているのは調理、でいいんですか?」

「うん、料理。カレー作るの」

「何年か前に、銀河連邦軍のベースシップに複数の隊で突っ込んだことがあったんですが」

ふいっと目線があたしから外れ、レースカーテンの向こうの星空へ向けられる。

「残弾数を間違えて、途中で僕は連邦軍の方に捕まってしまったんです。その時に連邦軍の方が、仲間のためにしていた作業と似ているな、と思ったら同じ事でしたか」


「面白いです」

笑うように、インパルサーの声が柔らかくなった。

「文明を持つ有機生命体の方々がやることは、道具と材料は違えど、変わらないんですね」


「それじゃ…パルの敵って、人間?」

「違います。僕らが戦うのは、有機生命体の方々では太刀打ちが出来ない大型兵器などです」

大人しい口調になる。

「その時に僕らが突っ込んだのは、その有機生命体の方々が大型兵器を操作するためのベースシップでした」



ぱたん、と蛇口から落ちた水がステンレスを叩いた。



あたしは、その先を聞きたくはなかった。
なんとも生々しい、戦いの匂いがしたからだ。
でも、これが彼の現実だったのだ。聞かなければならない気もするけど、今は聞きたくなかった。
押し黙ってしまったあたしへ、インパルサーが顔を向けた。

「由佳さん」

口調はそのままだった。

「すいません。僕は…少し、言い過ぎました」



「パルはさ」

あたしは、まな板に包丁を置いた。

「ここに、戦いを持ち込みたくないってことか」

「はい」

頷くと同時に、口調がちょっとだけ明るくなる。

「毎日のように下される命令と作戦を決行する日々では知り得なかったことを、僕は毎日知り得ています」

レモンイエローが、あたしを見上げる。

「だからこそ、僕の現実は持ち込まないべきなんです。あの日々と、この日々には何も関係ありませんから」


「優しいね」

あたしが言うと、インパルサーは少し照れくさそうに顔を逸らした。
でも、これは本心だ。
ここまで他人を思いやれて優しいインパルサーが、なんで毎日のように戦わなければならなかったんだろうか。
やっぱりどうあっても、あたしにはマスターコマンダーの考えが解らないし、これからも理解出来ないだろう。
というか、そもそもしたくもない。
それと同時に、痛感した。
あたしはパルには勝てない。色んな意味で、絶対に勝てない。
そう思ったら、無性に悔しくなった。




トマト入りカレーが出来たのは、午後六時半頃だった。
多少いつもより早い気がしたけど、料理は結構体力を使うから、あたしは充分に空腹だった。
インパルサーはリビングにずっと座っていて、六時からやっていたジャスカイザーの本放送を見て狂喜していた。
あたしはジャスカイザーが終わった頃、テーブルの上のリモコンを取ってチャンネルを変える。
すると、インパルサーは残念そうな態度で振り向いた。
それを見、あたしは言った。

「昼間のアレは再放送で、今のは本放送よ」

「通りで話が飛んでいると思いました」

「でも、見たのね」

「はい。ジャスカイザー、カッコ良いですから!」

本当に好きらしい。
あたしには、やっぱりそういう感覚はよく解らない。
カレーを盛った皿と麦茶の入ったコップをテーブルの上に置いて、座る。
その隣に座ったままのインパルサーは、物珍しげにあたしの皿を見下ろしていた。

「…食べづらいんだけど」

「面白いです」

「何が」

「材料に手を加えるだけで、まるで別物になるんですから。凄く、面白いことだと思います」

「確かに、ちゃんと出来ると面白いけど」

と、言いながらあたしはスプーンを手に取った。
でもインパルサーはこちらを見たままで、やりづらいことこの上ない。
あたしはその顔に手を当て、ぐいっと動かした。

「あっち見てて。食べるに食べられないじゃない」

「あ、はい」

インパルサーはテレビの方へ顔を向けた。
あたしは麦茶を飲んでから、カレーに手を付けた。
どうせならついでにサラダも作っておくべきだったかもしれない、と、今更ながら思った。




そうこうしているうちに、夜は更ける。
お風呂に入ったり、昨日の夜に食べ損ねていたクリームプリンを食べたりしているうちに時間は過ぎていく。
結局宿題はほとんど進まないままで、明日からはもっと頑張ろうと思う。
思うだけじゃなく、ちゃんとやろうと決心もしておく。
インパルサーは何もすることがないので、ぼんやりと深夜番組を眺めている。テレビ、好きなのか。
あたしはそれを横目に、鈴音から手渡された封筒を取り出した。
布団の上に座って、数枚の写真を抜く。それを布団の上に広げ、眺めた。
何枚にも渡って、園田先輩が映されている。
さすがに鈴音が撮っただけのことはあって、ピントがずれていないし、いい笑顔の瞬間とかが多い。
あたしは思わず力が抜けそうになりながら、写真を眺めた。昨日も見たのだが、しっかり見てはいなかったのだ。

何度も見ているうちに、あることに気付いた。

やけに、園田先輩の視線がどこかへ向かっていることに。
それがどこなのかは、切り取られた空間なのだから解らない。
でも、しばらく数枚の写真と見比べているうちに、大体の見当が付いてきた。


背景がグラウンドと寄宿舎になっている三枚の写真を、並べていく。
どれも瞬間は違えど、位置は同じだ。
そしてその全てに映っている園田先輩の視線が、グラウンドの端の方へ向いている。
グラウンドの端が辛うじて入っている写真を、その隣に並べた。



その先には、坂下陽子先生がいた。


ストップウォッチと記録用紙を挟んだボードを持って、立っている姿だ。陸上部の顧問だからだ。
スウェットとTシャツ姿とはいえ、定評のあるスタイルの良さはよく解る。
あたしはその隣に、坂下先生が映った別の写真を取り出して置いてみた。
いい笑顔の園田先輩の隣に、あたしと鈴音とで映った、坂下先生が並ぶ。

関連性があると言えば、ある二人ではある。顧問と部長だから、ばっちりと。
でも、だからといって二人がくっついていると考えるのは余りにも短絡的だ。


あたしは腕を組んで、唸った。

「…んー」


「どうしました?」

インパルサーが、上半身を捻ってあたしに向けた。
あたしは写真をまとめると、揃えて封筒に押し込んだ。
それを問題用紙の間に挟む。

「なんでもない」


あたしは立ち上がると、壁のスイッチを押した。
ぱちん、と硬い音と共に電気が消える。
オレンジ色の豆電球が残って、ぼんやりと薄暗くなった中に、インパルサーのレモンイエローが目立っていた。
あたしは布団の上に寝ると、タオルケットを被り、彼を見上げた。

「おやすみ」

「おやすみなさい」

インパルサーがそう返したので、あたしは彼に背を向けた。
彼はすぐに動きを止めたのか、モーターの動く音がしなくなった。
これから何十分か過ぎたら、また前に突っ伏すんだろうなぁ。あの寝方、絶対に辛いと思うのに。




しばらくしても、あたしは目を開けていた。
なんとなく眠れない、ということもあるし、あの写真のことがぐるぐるしていた。
整理が付かないのだ。
別に園田先輩は園田先輩だし、あたしが一方的に憧れて、一方的に見てしまっているだけだ。
彼が誰を好こうが、関係はないはずだし、そう割り切っていたはずだった。
でも、やはり気になるし、ぐるぐるする。
一度考え出したらきりがなくて、坂下先生と園田先輩がどうだという確証もないのに、考えてしまう。
そこまで邪推してしまう自分がちょっと嫌になりながら、あたしは背中を丸める。
内心で、深くため息を吐いた。

すると。

がしゃん、と盛大な音がした。
あたしは寝返りを打つようにして、インパルサーの方を向く。
案の定、彼は頭から突っ伏している。本当に、よくこんな体勢で眠れるものだ。
丸い額からフローリングに突っ込んでいるため、レモンイエローは見えない。
背中から伸びている二枚の翼の間に、よく見るとジェットエンジンというか、車のマフラーみたいなのが付いている。
両方の翼の下にも似たようなのがあり、どれも色は銀色だ。たぶん、これがハイパーブースターとやらだろう。
あたしはその翼を眺めていたけど、また彼に背を向けた。

「この感じ、解らないよねぇ…」

あたしはそう独り言を呟きながら、目を閉じた。

「パルは、恋、しないと思うから」





部屋の中が少し暑く、あたしはその暑さで目を覚ました。
起き上がって寝癖の付いた髪をいじり、目を擦る。
体を伸ばしていると、先に起きていたらしいインパルサーが、あたしの前にきっちりと正座していた。
あたしは、きょとんとしながら彼を眺めた。

「何?」

「おはようございます」

「おはよ」

あたしは布団から立ち上がると、体を伸ばした。
インパルサーは立ち上がらずに座っている。
彼は、そのままあたしを見上げた。

「由佳さん」

あたしはエアコンを作動させるためにリモコンを手に取って、作動させてから目を向けた。
インパルサーは青い体に太陽を映り込ませていて、それがやけに眩しい。
ぎらりとした光が、寝起きの目に痛い。

「あの」


「何よ」

冷たく乾いた風が暑い空気を抜け、ぬるくなったのを肌で感じた。
インパルサーは、いつもの大人しげな口調だった。

「コイって、何のことですか?」


あたしは、思わず身を引いてしまった。
あれ、聞いていたのか。
途端に物凄く恥ずかしくなり、顔を背けてしまった。
そのついでに背を向けると、インパルサーは首をかしげたのか、キュイン、とモーター音がする。
あたしはもっと尋ねられる前に、呟いた。

「…あれ、聞いてたの?」

「いえ。メモリーバンクに残っていたんです。僕の休眠は、ただ機能を最低限に落としているだけですので」

こん、と彼は側頭部に指先を当てた。

「何か見たり聞いたりすると、それが残るんです。それで、由佳さんの声が」




「一体なんなんですか? コイって」


あたしは、仕方なしに振り返って彼の前に膝を付き、その青くて丸い頭にぱんと手を置いた。
恥ずかしさを堪えるため、俯いた。

「それ以上、聞かないで…恥ずかしいから」


「はぁ」

インパルサーは、訳も解らない、と言うような声を洩らした。
片手を軽く挙げ、伸ばして額に当てる。

「了解しました」





ああもう。
恥ずかしいったら、ありゃしない。
なんであんなことを言ってしまったんだろう。
お願いだから、パル。それはすぐにでも忘れてくれ。

そんなことを考えながら、フローリングに座り込んでいた。冷たくて、心地良い。
目の前で所在なく敬礼した手を降ろしたインパルサーは、また首をかしげている。
あたしは、ただただ恥ずかしくてどうしようもなかった。




裏山でセミが鳴く声が、いつも以上に大きく感じられた。


今日も、ぐったりする程暑そうだ。







04 3/12