Metallic Guy




第四話 ブルー・スカイブルー



壊れるのも唐突なら、直るのも唐突のようだ。

あたしは、箸を止めた。
今し方言われたことを、一度頭の中で反芻する。
そして口の中の物を飲み込んでから、ダイニングテーブルの向こうの父さんに顔を向けた。

「ホントに?」


父さんは頷く。

「お盆休みが来る前に、やっておいてもらおうと思ってな」

その言葉に、あたしは顔が綻ぶのを感じた。

「ここを作ってくれた工務店に頼んだら、あちらさんもそう思っているようで、明後日にでも来るそうだ」


「んじゃ、直るんだあたしの部屋!」

あたしはつい嬉しくなって、身を乗り出した。父さんは、玄関もな、と付け加えた。
隣で食べていた涼平は汁椀から顔を出し、背後へ振り返った。
逆手に、リビングテーブルの前に座っているインパルサーを指す。

「でも、その間パルはどうすんだよ?」

「リビングに置いておくわけにいかないものねぇ。パル君、動くから」

母さんは少し笑い、あたしへ顔を向けた。

「まぁ、しばらくの間は由佳と一緒に和室でもいてもらおうかしら」


「ええー」

あたしは嫌そうな顔をし、椅子に座り直した。
それを見、インパルサーがあたしに言う。

「何か問題でもあるんですか?」

「姉ちゃんは仏壇が怖いんだよ」

と、涼平がにやにやした。
あたしはむくれたが、反論出来ない。だって、怖いじゃないか、あれは。
インパルサーは解りかねる、という態度で首を捻っている。
彼が正座しているのは、ダイニングテーブルとリビングテーブルの間辺りだ。
膝の上に、軽くマリンブルーの手を置いた。

「僕は構いませんけど。えと、僕は不特定多数の方々に見られてはいけないんでしたよね?」

「そう。見られたら、あんたもあたしらも困るし」

「つまり、僕は由佳さんの部屋の壁をリペアするためにいらっしゃる方々に見られてしまわないために、そのワシツに行くんですね?」

あたしは頷いた。

「そういうこと」


「でも、パルを誰にも見せられないってのはつまんないよなぁ」

涼平が、不満げな声を出す。
あたしはそれを見、腕を組んだ。

「鈴ちゃんにだけは教えてあるでしょ。それに、見せたらどうなるかってことは散々パルと一緒に話したでしょ」



インパルサーが力加減を覚えてから、もう数日過ぎていた。
その間、あたし達は彼と一緒に話し合い、なぜ外へ出てはいけないのか、という理由を明確にした。
まず外へ出たら大騒ぎになることは当然だし、容赦のないマスコミがやってくるのも目に見えている。
大型武装は外したとはいえ、本人は使わないとはいえ、その体に武器がいくつか備わっていることも確認した。
彼は両手両足を開いて、その装甲の中にあった大きな銃や薬莢みたいなもの、ビームソードや短刀などを、二度と見せない、出さない、と前置きして自分から見せてくれたのだ。薬莢の中身は、信号弾だそうだ。
宇宙から来たヒューマニックマシンソルジャーの武器が日本の法律で法律違反になるのかは解らないけど、ショットガンみたいな銃があったから、たぶん違反している。
だから、余計に出すわけにはいかない。
逮捕されてしまうだろうし、されてしまったら、彼がただのロボットとしてしか見られないような気がしているのだ。
それこそあたしも嫌だし、インパルサーも嫌だと言っていた。
なので、インパルサーは極力外へ出ないようにし、出さないようにする、という結論になった。
いつのまにか共同生活が大前提の話になっていたけど、誰もそれを疑問に思わない辺りが不思議な感じがした。
というか、インパルサーがうちに馴染みすぎていたために、そう思うことがなかっただけなのだ。きっと。
彼のことを他人に知らせない、外へ出さない、という約束事はあたし達家族だけじゃなく、鈴音にも伝えた。

そんなわけで、うちには大層な秘密と約束が出来たのだった。
今更ながら、という気もするけど。



「でもさ」

涼平は、まだ不満げだった。

「うちにホントに誰も呼んじゃダメなん?」

「当たり前でしょ」

あたしは、呆れたように涼平を見下ろす。

「その呼んだ相手の全員が全員、鈴ちゃんみたいなしっかりした人だっていう保証があれば別だけどさ」

「で、その鈴音ちゃんは何時に来るの?」

母さんが言うと、涼平がちょっと嬉しそうな顔をした。

「だから姉ちゃん、まともに起きたんだ」


「九時。午後から買い物付き合ってくれるって」

ご飯を飲み込んでから、あたしは母さんに返した。
母さんはリビングの奥を見、少し首をかしげる。

「じゃ、あそこのものを和室に移すのは夜になるのかしら」


リビングの奥、ソファーの後ろにあたしの私物がごちゃごちゃと固まっていた。
畳んだ布団の上とその周りに、本やらショルダーバッグやら畳んだ服やらとにかく寄せ集められている。
一週間足らずとはいえ、溜まれば溜まるものだ。
何が悪いってそりゃ、持ってきたまま元の場所に戻さないあたしなのだが。
それを見、あたしは唸った。

「んー…夜かぁ」

「まとめてくれれば、僕が持ちますけど」

「それじゃパルに悪いもん」

「僕は別に」

「いや、あれはあたしのだし」

食器を重ね、立ち上がる。
あたしは流しにそれを置き、座ったままのインパルサーを見下ろした。
彼はその姿勢のまま、あたしを見上げている。
だけど、すぐに顔を逸らして窓の方へ向けた。
その先をなんとなく追うと、良く晴れた青い空を切り裂くように、長く長く一本の飛行機雲が伸びていた。
空、飛びたいのかな。
あたしはなんとなく、彼の青くてすらっとした体がビル群の上を飛ぶ光景を想像してみた。
似合いすぎて、どこか現実味が湧かなかった。





午後。

買い物が終わったこともあり、あたしと鈴音は小休止のためにコーヒーショップへ入っていた。
あたしの隣にもいくつか紙袋はあったけど、鈴音の隣の椅子に乗せられている紙袋はもう少し多かった。
向かい合って座っていると、その量の違いがよく解る。
鈴音は服の入った紙袋の隣で、彼女はキャラメルラテに乗ったクリームを食べていた。
いや、それは食べるんじゃなくて混ぜるんじゃ、と思うけど、あたしはいつもそれを言い出せない。
そのクリームを食べ終わると、スプーンをカップに入れて掻き回していたが、鈴音はその手を止めた。

「壁、直るんだ」

「あ、うん」

唐突のようだけど、そうではない。
あたしがうちを出る前に、一通り話してあったのだ。
鈴音は、この暑いのにホットのキャラメルラテを飲みながら、続けた。

「ま、直さないと勉強も何もだしねぇ。で、ブルーソニックはどうするの?」

「あたしと一緒に和室だってさ」

あたしは、ストローでアイスココアを回す。鈴音は、どういうわけだかインパルサーをブルーソニックと呼ぶ。
からからと氷がコップに当たって、いかにも冷たそうな音がコップから出た。
それを少し飲んでから、あたしは鈴音へ目を向けた。
鈴音はどこか面白そうな顔をして、一緒に頼んだミルクレープを食べる手を止めた。

「これでブルーソニックが生身の人間とかなら、ラブコメの王道行くよね。プチ同棲っていうの?」

「ラブコメ…」

その言葉に、あたしは思わず笑ってしまった。
ひとしきり笑った後、手を横に振り回す。

「有り得ない有り得ないって、あいつとなんて絶対無理だよそんなこと!」


鈴音は頬杖を付き、にいっと唇を広げた。
濃いめのローズピンクのグロスが、白い肌に映えている。
ゆるい三つ編みにされている、しっとりした黒髪が揺れた。

「友達にするにはいいかもしれないけど、彼にするにはちょっとねぇ」

「でしょ?」

あたしは笑うのを堪えながら、頷く。

「なんていうの、もっとこー男らしかったらいいんだけどさあ」

「見た目と中身は大違い、っていうのかねぇ」

鈴音はキャラメルラテのカップを傾けてから、笑った。
あたしはアイスココアを飲んで、返した。

「まぁ、あの声は性格に合ってる感じがしていいけどね」

「あ、そだ」

思い出した、という顔で、鈴音は組んでいた足を解いた。
動いた拍子に、首筋の細いネックレスが鎖骨の上を滑る。
きちんとネイルを塗られた長い指先が、あたしの額の辺りを軽く小突いた。

「明日も夏期講習あるぞー。ちゃんと忘れずに、予習しときなさい」

「うん」

あたしは苦笑しながら、頷いた。
アイスココアを掻き回す手を止め、顔を上げる。

「あれはひどかったからね…さすがに、今度は」


今度こそ、まともに勉強しなければ、と思っていた。
そうしなければ夏期講習に追いつけないし、二学期からが辛くなるのが目に見えているのだ。
だからあたしは、テーブルの下でぐっと拳を握った。
和室の仏壇は怖い。でも、勉強が追いつかなくなる方がもっと怖い。と、思う。
全ては、部屋の壁が直るまでの辛抱だ。




和室は、リビングと応接間の更に奥にある。つまり、うちの一番奥の部屋だ。

ふすまを開けると、青い畳が八つ床に敷き詰められていた。
インパルサーは物珍しげに、あまりモノのない和室を見回している。
ここはたまに客間として使われるくらいだから、そんなにモノはないのは当然だ。
インパルサーはまず屈み込んで、畳に手を当てたりなぜか叩いたりしている。
あたしは勉強道具をテーブルの上に置くと、まだ畳をいじっている彼へ振り向いた。

「そんなに珍しい?」

「ええ」

頷いてから、彼はあたしを見上げた。
あたしは入り口を塞ぐようにしゃがんでいる、インパルサーの肩を軽く押す。

「でも、ここからどいて。通れないじゃないの」

「あ、はい」

インパルサーは立ち上がると、今度は障子に興味を示した。
じっと、弱い西日を透かしているそれを眺めている。
そして障子を指し、わくわくしているような声を出した。

「面白いですね、ここ!」

「そお?」

あたしはリビングに向かいながら、適当に返した。
リビングの奥に重ねてある布団を抱えて、また和室に向かう。
開け放したふすまから入って、押し入れの前に置いた。
一息吐いて顔を上げると、インパルサーはきっちりと床の間の前で正座していた。
廊下に背を向けて、じっと障子を見上げている。
これが和装の青年ならまだ風景に似合っていたのかも知れないけれど、青くてがっしりしたロボットだ。
似合わない。これでもかと言うくらい、インパルサーは和室に馴染みそうになかった。
あたしは布団をまた持ち直し、押し入れの前に置く。そしてインパルサーを、背後から覗き込んだ。
彼はあたしを見上げた。

「あのリビングという部屋とはまるで違う内装なんですね、ここ」

「和室だからね」

「面白いです」

と、インパルサーは楽しげに言い、また障子へ目を向けた。
あたしは障子を開いて、窓を全開にして風を通させた。
彼はちょっと残念そうに、あ、と呟いたが、窓の向こうを見て立ち上がった。
網戸の向こうは、雑草と背の余り高くない杉が生え並んでいる裏山の斜面だ。この上は、確か住宅造成地だ。
セミのやかましい声が、西日で出来た家の影の中から聞こえてくる。
それをぼんやりと眺めながら、インパルサーは呟いた。

「あの大量の有機生命体の鳴き声は、ここから出ていたんですね」

「そう」

あたしは、彼の横顔を見上げた。

「セミって言うの。アブラゼミ」

「どんな有機生命体ですか?」

「昆虫」

「コンチュウ?」

「昆虫は宇宙にいないの?」

「えと、そうですね…この星の単位で言うと、大体十五メートルくらいの節足生物なら倒したことが数度」

あれの外殻と体液は厄介だったなぁ、とインパルサーはついでに思い出していたようだった。
あたしは十五メートルの虫、なぜか頭の中では巨大なクモになっていたけど、それを想像してしまった。
背筋がぞわりとして、薄ら寒い気分になってしまう。想像したことを、すぐに後悔した。

すると、彼は窓の外へ身を乗り出した。
あたしは不思議に思って、その後ろから覗き込む。
窓の下の雑草の間に、するっとヘビが動いていた。
その茶色くて細いヘビはあたし達へ鎌首をもたげ、じっと睨んでいる。
あたしは思わずのけぞったけど、インパルサーはそのままヘビを見下ろしている。これも、珍しいのだろうか。


そして、彼はおもむろに窓の下へ手を伸ばした。嫌な予感がした。
振り返ったインパルサーは、元気良く声と手を上げた。

「わぁ、凄いですね!」

嫌な予感は、的中していた。
インパルサーはあのヘビをがしっと掴んでいて、高々と掲げている。
彼は尻尾の方を持っているため、頭の方がぶらぶらして、今にも落ちそうで怖い。
そりゃパルはロボットだから噛まれても平気かも知れないが、あたしは平気じゃない。むしろやばい。


「何がぁ!」

あたしはじりじりと下がりながら、逃れようと暴れるヘビを持ったままのインパルサーに叫んだ。
インパルサーは、ぶらぶらするヘビを更に高く掲げる。

「面白いじゃないですか。こんな生き物、見たことないんですもん」

「あたしは見たことある! そいつ、牙あるし毒もある! だから近付けないで!」

「毒ですか?」

そう、彼は軽く首をかしげた。
ヘビの口を掴むと、太いマリンブルーの指先で挟んで開かせる。
その中をじっと見た後、あたしへ振り向いた。

「あるんですか、この中に?」

「ある!」

あたしは、勢い良く叫んだ。近付くな、それ以上。
インパルサーはヘビを持ったまま、こちらに一歩近付く。
あたしはその数倍後退り、壁に背をぶつけてしまった。

「お願い、パル! そいつ、逃がして、外に!」

「逃がすんですか?」

残念そうに、インパルサーは手元のヘビと見つめ合った。
開かれたままのヘビの口からは、ちろちろと細い舌が伸びている。
それをしばらく眺めていたが、彼は仕方なさそうに窓へ向き直った。
一度あたしへ振り向き、心底残念そうな声を出した。

「せっかく捕まえたのに…」


しばらく渋っていたけど、やっと彼はヘビを草むらに放り投げた。
投げた後も、名残惜しそうに窓の下を見下ろしている。
あたしは壁からずり落ち、深く息を吐いた。
インパルサーはヘビを見送っているのか、軽く手を振っている。

「さようなら。また、いつかお会いしたいです」


「あたしは…いい」

そう呟き、泣きたくなった。
この分だと、たぶんないとは思うけど、外に出た日には虫とかカエルとかも捕まえてきそうな気がする。
生き物を見つけたからすぐに捕まえるなんて、思考が涼平と、いや、小学生とまるで変わらないじゃないか。
叫び疲れたのと、呆れたのとで、あたしは肩を落としていた。
影を感じて顔を上げると、インパルサーはあたしを見下ろしていた。

「あの生き物、何て言うんです? セミって、あれですか?」

「散々遊んでおいて…」

あたしは立ち上がってから、彼を見上げる。

「さっきパルが捕まえたのはヘビ。セミじゃなくて、ヘビよ。毒がある変温動物よ」

「毒って、どんな毒ですか?」

「知らないわよ。でも、今度からむやみやたらに変な生き物捕まえないこと! 解った?」

と、あたしが迫ると、インパルサーは敬礼したが残念そうな口調だった。

「…了解しました」



いつのまにか日が落ちて、和室はすっかり薄暗くなった。
裏山から聞こえるセミの鳴き声が、涼しげなものに変わっている。
その中で、インパルサーのレモンイエローのゴーグルがほの明るい。
淡くて綺麗な月明かりが、ぼんやりと広がっている。満月が近いから、月明かりが強いようだ。
辺りが暗いから、その奥の目みたいなモノの輪郭がはっきりと見えた。
かっちりした、横長の鋭い五角形。たぶん、これは目なんだ。

あたしはそれをぼんやり見つめながら、呟いていた。

「パル」

「なんでしょう」

「パルのマスクの下って、顔、あるの?」

インパルサーは、顔を逸らした。

「あります。でも、あまりお見せしたくはありません」


「どうして?」


「僕は」

うっすらとした月明かりが、窓から入ってきた。
青白くて弱い光を受けたインパルサーは、冷たそうに光っている。
レモンイエローの奥から、もう少し赤みのあるサフランイエローが光った。

たぶん、これが彼の本当の目だ。


「あなたに、僕を恐れて欲しくはありませんから」


恐れて、欲しくはない。

怖がられたくはない、ということだろうか。
そんなに中の顔が怖いのか、とか思ったけど、どうやら別のことらしい。
あたしはしばらく考えていたけど、さっぱり解らなかった。
インパルサーはマスクフェイスの奥の、本当の目の色を弱めていった。
サフランイエローはレモンイエローに馴染んで、消えた。

あたしは、ぼんやりと彼の顔を眺めていた。
彼は同じようにあたしを見つめ、じっと、見下ろしていた。


「由佳さん」

この前、あたしに握手を求めたときのように、彼は片手を伸ばした。
それをこちらに近付けたけど、途中で握り締めた。
ぱたりと下ろし、少し笑ったような声を出す。

「いえ、なんでもありません」




母さんが夕飯に呼ぶ声で、やっとあたしは動けた。
彼を恐れない、とすぐ答えてやることが出来なかった。
この間の事もあるし、話し合うときに見せられたごっつい銃や、剣とかが頭を過ぎったからだ。
一度は信じたくせに。
あたしは、なんて情けないのだろうか。

和室を出て行こうと体を屈めたインパルサーの背には、ぴんと上向いた二枚の翼があった。
あたしはそれを見上げながら、ふと、思い出した。


「パル」

「はい?」

「手、ちゃんと洗ってね。ヘビに触ったんだし」

あたしは彼の横を抜けてから、見上げた。

「アルコール消毒でも可」

「了解しました」


あたしが廊下に出ると、彼は後ろから付いてきた。
自分が情けなくてどうしようもない、とは思っているけど、これとそれは別だ。
インパルサーはヘビの感触を思い出しているのか、しきりに手を握ったり開いたりしている。

子供なのか、それともしっかりした戦士なのか。
あたしは、インパルサーがよく解らなくなってしまった。







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