「いい名じゃないですか」 他人事だからだろうか。 インパルサーは、とても楽しそうに言った。 「ボルの助」 この結構古風な響きの名前は、リボルバーを相当苦しめていた。 理解しよう、受け入れようと思っているらしいのだが、理解しきれないらしい。 あたしも同じだ。鈴音のネーミングセンスが、こんなに不思議なものだったとは知らなかった。 リボルバーは頭を抱え、あたし達へ背を向けて唸っている。 ブースターやら色々と付いたその大きな背の中央に、001の数字があった。どこにあるかと思ったら。 その001に、こん、と鈴音は拳を当てる。 「ブルーソニックもああ言ってるじゃないの」 「いや…その」 ぎしり、とインパルサーより幾分重そうな金属の軋む音。 顔を上げたリボルバーは、腕を組んだ。 「ボルの…助…」 「そう。ボルの助」 鈴音は満足そうな笑顔で、リボルバーを見下ろす。 「またはボルちゃん」 今度は、別の意味で嫌な呼び名が出てきた。マジですか、鈴ちゃん。 愛称を付けたら、いかついはずのリボルバーに変な可愛さが出てきて、余計におかしい。 さすがにこれはインパルサーも変だと思ったのか、首を捻る。 「ちゃん…?」 「鈴ちゃん、なんでそうなるの?」 「私がこいつに愛着持てるような名前考えてみたら、そうなっちゃったのよ」 「…愛?」 「そう、愛情。だってボルの助、愛愛うるさいから、私もそれに対抗してみようかなと思って」 いや、対抗しなくてもいいだろ。 あたしはそう突っ込みたかったけど、妙に満足そうな鈴音には何も言えなかった。言えない雰囲気なのだ。 確かにそれは、間違っている訳じゃない。むしろ、良い考えかも知れない。 彼らには意思があるし、立派に個人として生きているから、愛情を持って接した方がいい方向に行くだろう。 でも、だからといってそれを呼び名で表すのはどうなんだろうか。 「鈴ちゃん、マジ?」 「マジ」 にやりと笑い、鈴音は頷いた。 ああ、この顔は。もしかしてとは思うけど、鈴ちゃん、あなた。 「今まで散々迷惑掛けられたんだもの、これくらいの恥ずかしさは堪えてもらわないと」 鈴ちゃん。 あなたって人は、あなたって人は。 さりげない、いや、さりげありすぎる。ささやかというには過激な、まぁ要するに。 「復讐ですかい」 と、あたしが呟くと、鈴音は笑う。 「ささやかなもんでしょ」 がっくりと肩を落としたリボルバーは、まだ何か呟いている。 そこだけ、どんよりと空気が重たくなっていて、鈴音とはまた違った意味での近寄りがたい雰囲気だ。 インパルサーは彼の肩を、励ますようにぽんぽんと叩く。でも、リボルバーはまるで反応しない。 もう一度間を置いてから、インパルサーはリボルバーの肩辺りを叩いた。 すると、リボルバーは唐突にすっくと立ち上がった。 ただでさえでかい胸板を張り、両腕を高々と突き出した。その拍子に銃身が上向いて、どん、と天井を突く。 だけど、リボルバーはそれを気にしてはいない。 「…ぅわはっはっはぁー!」 よく解らない笑い声を上げ、リボルバーは鈴音に向き直った。 「そうだな、これも愛だ、愛だと思えば万事解決だぁ! スズ姉さん、オレは姉さんの愛をしかと受け止めたぁ!」 でも、リボルバーの声はどこか泣きそうなものに聞こえた。たぶん、なんとか堪えてるんだろう。 狡猾そうな笑みを浮かべたまま、鈴音はリボルバーの前に立つ。リボルバーは、また敬礼した。 鈴音は、薄い唇だけで笑っていた。目は、笑っていない。 「叫ぶな」 ああ、怖い。 鈴ちゃんは今、結構怒っているのだ。 叫ぶなと何度も言っているのに、リボルバーは声を上げることを止めないからだ。 あたしは鈴音の前で情けなさそうな、でも嬉しそうな、複雑な表情をしているリボルバーを眺めた。 彼もまた、これから大変だろう。なにしろ、色んな意味で素晴らしい親友がコマンダーになったのだから。 鈴音はにやりとしたまま、言った。 「もう二度と叫ぶんじゃないわよ、ボルの助」 「イエッサ」 恐縮した様子で、リボルバーは答えた。 インパルサーは、あたしへ顔を向けた。 「鈴音さんも、フレイムリボルバーを止められるんですね」 「止めるっていうか…むしろ、押し切ってない?」 あたしはそう呟き、半ば睨み合いの状態の二人を眺めた。 鴨居を遥かに超えた身長のリボルバーと、その三分の二程の身長の鈴音。 鈴音に射竦められているリボルバーはやりづらそうに、でも、凄く嬉しそうな目をしている。 それは恋心ですか。レッドフレイムリボルバー。 いつか彼は、あの定番で使い古されすぎたあのセリフを言いそうだ、いや、近いうちに絶対に言うだろう。 「惚れた弱みだ」 言った。あたしは、またくらっときた。 本気なのか、リボルバーはやけにカッコ付けている。 「スズ姉さん、オレは例えスクラップになろうともあなたに付いていくことを」 「誓う?」 「そりゃあもちろん」 と、条件反射でリボルバーは頷いた。 鈴音は心底満足そうに、笑う。 「ボルの助。それ、忘れないでね」 「イエッサ」 「見事な主従関係ですね」 隣に座ったインパルサーが、その辺りにあったジャスカイザーのおもちゃをいじっていた。 結構面倒な変形ロボットなのだけど、それを簡単に変形させている。 あたしはその構造が今ひとつ解らないので、じっと彼の手元を見た。 「良く出来るね、そんなこと」 「簡単ですから」 そう言って、インパルサーはロボットになったジャスカイザーに、サンダードリラーを合体させた。 ドリルを開いた肩に填めて、胸を開いて別のアーマーを付ける。着々と、ジャスカイザーはパワーアップしていく。 割と細かい作業なのに、パルは太い指で易々としてしまう。相変わらず、器用なことだ。 腕を付け替えて、これまた合体させた武器を持たせた。 彼はその手足を動かして遊びながら、リボルバーを見上げる。 「あの、由佳さん」 「恋の次は愛?」 「よく解りますね」 「あんたと一緒にいると、結構パターン掴めるもん」 「はぁ。で、そのアイってなんですか?」 「とにかく大好きー、っていうか、大事っていうか、じんわりする好きだと思うの。あたしは」 「では、そのジンワリではないスキというのは」 「それが恋なんじゃない? 保証はないけど」 「ジンワリでない好き、ですか」 インパルサーが、手の中のサンダージャスカイザーを足元に置いた。 「じゃ、僕は由佳さんにコイをしているということになりますね」 悪気のない声。 ずっと何かを言い合っていた鈴音とリボルバーも、動きを止めている。 あたしはじっとこちらを見るレモンイエローのゴーグルに、ぽかんと口を開けていた。 「…は?」 「僕が由佳さんに感じる好きの中に、嬉しいとか、落ち着かないとか、苦しいとか、色々と混ざっていまして」 と、インパルサーは照れくさそうに頬を掻く。 「だから、コイが一番合っているかなと。あの、これ間違ってますか?」 間違ってるとか、間違ってないとか、そういう問題ではない。 普通の人間には一度か二度は告白されたことはあったけど、まさかロボットに告白される日が来るとは。 しかもこんな夜中。は、あんまり関係ないか。 神田といいパルといい、もしかして今は、人生で一番もてる時期なんだろうか、あたしは。 とにかくあたしは驚いたのと混乱したのとで、何を言うべきかいまいち解らなかった。 あたしは目の前にある、丸くて青いヘルメットじみた頭を、かこん、と軽く殴る。 拳が痛く、骨がじんと来る。 「なんでいきなり、そんなこと言うのよ」 無性に恥ずかしくて、仕方なかった。 インパルサーはあたしに殴られたまま、ぎしっ、と頬の辺りを掻いている。 「整理出来ないんです」 「どういう意味よ」 「最初は、この星で得たデータの量が増えすぎてしまってメモリーバンクの容量が狭まったから、コアブロックに直結しているエモーショナルに混乱が生じたのかな、とか思ったんです」 淡々と、でも、どこか申し訳なさそうな声だ。 「そう思って、色々としてみました。データを減らして、容量を増やすためにメモリーバンクの未使用ブロックに接続してみたりとか、当分は使わないであろうプログラムを縮小化させてみたりとか、しました。でも、僕のエモーショナルは定まりません。むしろ、混乱が激しくなりました」 恋愛は計算出来ない、とは良く言ったものだ。 ロボットでも、それは出来ないようだ。 でも、なぜいきなりあたしになんて。それがまず、解らない。 「でも、元々パルには感情があったんだし、そういう感情はあったんじゃ」 「いいえ。マスターコマンダーは恋愛を最も愚かしい行為だと言い、恋愛感情に結び付くであろう感情を、一切プログラムしませんでした。だからそれは、有り得ません」 「…ボルの助は?」 あたしは、恐る恐るリボルバーを見上げた。 彼は正座したまま俯いている、インパルサーの後ろにやってきた。 そしておもむろに、その丸い頭を大きな手でがしりと掴む。 「こいつと同じだ。メモリーバンクを洗いざらい捜して、出てきた言葉が愛だっつったろ」 つまり。 「予想外の出来事、ってこと?」 あたしが考えをまとめるより先に、鈴音が言った。 額を指先で押さえ、考えるような顔をしている。 そしてロボット二人を見、呟く。 「どういうこと?」 「僕の方が説明して頂きたいです」 インパルサーが、リボルバーの手の下から顔を上げた。 「どうしたらいいか、まるで解らなくて。メインジェネレーターの辺りに摩耗と似た感覚があったので、念のためボディデータをサーチしてみましたけど、どこにも異常は見当たりませんでした。メインジェネレーターの稼動率もおかしいかなとか思って調べてみましたけど、これもまた異常はないんです」 要するに、胸が痛くてどきどきするということらしい。切ないのも、混じっているのかも知れない。 あたしはますます混乱して、頭が痛くなってきそうだった。 そうか、だから今日の昼間、パルは近付いてきたあたしを避けたりしたんだ。胸が痛いから。 どきどきして落ち着かないから、あんなにはっきりしない返事をしたんだ。 もう訳が解らない。 あたしは、俯いたままのインパルサーに言った。 「ねぇ、どうして」 「僕にも解りません。ただ、由佳さんの隣にいただけです」 「あたしにもわかんないよ」 本気で解らない。もう、ぐっちゃぐちゃだ。 外の雨音は弱まっていて、ぱたぱたと瓦屋根を軽く叩く音だけだ。 鈴音はあたしの肩に軽く手を置き、インパルサーをこんと小突いた。 「いきなりそういうの、軽々しく言うもんじゃないよ。ブルーソニック」 「はい」 「ボルの助もね」 「イエッサ」 そう返事をしてから、リボルバーはぎょっとした顔になる。 もういきなり愛してるとか言うな、と言われたのと同じだからだ。 鈴音はやっぱり、凄い。こういうときだというのに。 あたしは自分の握った手と太股を見下ろしていたけど、それがぼやけてくる。まずい。 ぱたっ、と手の上に落ちたのは、自分の涙だった。なんでこんなときに、出てきてしまうのだ。 鈴音はそれに気付いて、ぽんぽんと頭を叩いてくれた。 「そりゃ、前置きがないなら困るよねぇ。心の準備も何もだもの」 あたしは頷いた。 リボルバーに頭を抑え付けられているインパルサーは、消え入りそうな声で言った。 「由佳さん。…ごめんなさい」 「ちょっと、驚いただけだから」 あたしは目元を擦ってから、深く息を吐いた。 インパルサーを見、苦笑する。 「でも、あたしはまだあんたのことそういう目で見ないし、見られない」 「はい」 「だからさ」 こん、と硬くていい音がした。 あたしの手が、無意識にインパルサーを小突いていた。癖になったらしい。 こちらを見上げるレモンイエローのゴーグルと、その奥にある横長五角形の目を見下ろした。 「パルがあたしにどうしても言わなきゃならない状況になったら、今度こそ正々堂々と真正面からダイレクトに」 あたしは、自分でも変な言い回しだと思った。 でも、こうでもしないと言える気がしなかったのだ。 「告りに来なさい」 「了解しました」 と、インパルサーが敬礼した。 だがすぐにその手を下ろし、首をかしげる。 「コクリ…ってなんですか?」 「告白の略。さっきみたいなことを言うときのことを指すの」 そう説明してから、あたしは凄く空しくなった。 なんでこんなことを説明しなきゃならない相手に、好かれたのだろう。しかもアニメ好きだ。 気付いてみたら、どんどんラブコメ路線にマッハの速度で突っ込んでないか、あたしとパルは。 いや、もう突っ込んでいるどころかあからさまなラブコメになっている。なんてことだ。 あたしは一挙に気力が削げ、ぱたんと横に畳の上に倒れてしまった。 「あんた、恋愛する気ある?」 「あるといえばあるかもしれませんが…」 斜め下から見上げたインパルサーは、気恥ずかしげに言った。 「これから、色々と教えて頂ければありがたいです」 「鈴ちゃーん…」 あたしは、隣に座る鈴音を見上げた。 鈴音は苦笑した。 「ま、頑張れ。私はボルの助で手一杯だし」 「うん」 あたしは起き上がり、深くため息を吐いた。 前髪をまとめていたヘアピンを外して、トートバッグを引き寄せて中に突っ込む。 色々な意味でぐったりしてはいたものの、気が張っていたから起きていたようなものだったのだ。 だから気が抜けた途端に眠たくなり、あたしは鈴音のベッドによじ上った。 もう一度、背中からぱたんと倒れた。 鈴音が何か言ってきた気がするけど、その後の記憶はない。 目を開けて、見慣れぬ天井にちょっと混乱した。 だけど、すぐに思い出した。 ここは鈴音の部屋だった、と。掛け時計を見上げ、時間を確認した。 午前五時前、あたしにしてはまた相当な早起きだ。 枕元の携帯を探ろうとしたけど、先に手に触れたのはやたらに角張った感触だった。 試しにそれを掴んで引き寄せてみると、ド派手な原色のロボットがやってきた。 両肩にドリルを乗せて、背中にもまたでっかい戦闘機みたいなのを背負っている。 「…ジャスカイザー?」 そう呟き、ジャスカイザーをまた枕元に置き、あたしは起き上がった。 体の上に掛けてあったタオルケットを剥がし、ベッドから降りる。 右側で眠る鈴音は、やはり昨日のことで疲れていたのか、実に気持ちよさげにしている。 美人の寝姿は、なんと可愛いのだろうか。あたしは、そんなことを本気で思った。 ベッドの両脇には、それぞれの部下が、それぞれのコマンダーの隣に転がっていた。 インパルサーはいつものように、下半身は正座したままで頭から床に突っ込んでいる。 対するリボルバーは腕を組んで胡座を掻いていて、時代劇でよく見る見張りの侍のような格好をしている。 でもよく見るとそれは、両腕の銃身が支えになっているから床に突っ込まないだけで、多少前傾姿勢だ。 どうやら、あの変な寝相はヒューマニックマシンソルジャー共通のようだ。 昨日のことは、よく覚えている。 それ程、パルがあたしに恋をしていると言ったことが衝撃だったのだ。 隣で安らかに眠るインパルサーのゴーグルは、機能を落としているからなのか、レモンイエローが失せている。 ベッドから降りてその隣にしゃがみ込む。 ぴんと上向いている、マリンブルーの翼を指で弾いた。 「起きてー」 すぐに、インパルサーは反応した。 ゴーグルに光を戻し、何かを動かすような音を内側からさせる。 そして起き上がり、きっちりと正座した。 「おはようございます」 「鈴ちゃーん」 一応、鈴音に呼びかけてみた。起きない。 そういえば、鈴音はやたら寝付きと寝起きだけはいいあたしとは逆に、寝付きも寝起きも悪いのだ。 代わりにリボルバーが顔を上げ、ばきん、と首関節を鳴らした。 「もうサンライズか?」 「うん、朝。誰かに見つかる前に、帰ろうと思って」 「帰るって…ああ、ブルーコマンダーのライフスペースにか」 「そう。朝方なら、人も少ないだろうし。鈴ちゃんが起きたら、帰ったって言っておいて」 「解った」 そう頷き、リボルバーは立ち上がった。 ばきん、と盛大に鳴ったのは関節だろう。騒がしい。 「ソニックインパルサー。てめぇ、本気でどうかしたんじゃねぇのか? リペアに失敗したのか、もしかして」 「アンチグラビトンコントローラーのリミッターが焼けたので、交換しました」 「てめぇ、備品持ってたか? アステロイドベルトから吹っ飛ばされたときに、全部ばらまいてったじゃねぇか」 「だから武器をばらして、その中身を使いました」 「…それだよ」 くあー、と変な声を上げながらリボルバーは額を抑えた。 がつんがつん、とインパルサーのスカイブルーの胸板を叩く。 「ウェポンシリーズのリミッターにはそりゃ互換性はあるがよ、変なもんで代用するなよ…」 「何か問題でも」 「武器のリミッターは強すぎる、っててめぇはツラぁ晒してるときによく言ってたじゃねぇか」 どん、ともう一度強くリボルバーはインパルサーを突く。 いや、突くというかあからさまに胸の辺りを殴った。んな乱暴な。 「そんなにアンチグラビトンエネルギーを押さえ込まれた状態で、まともに戦えるのかよ」 「僕は…」 インパルサーは、ちょっと言葉に詰まった。 「そうですね。でも、あなたとの約束は守りますよ」 「下手なハンデ付けられたら、オレはてめぇを粉々にしてやるからな」 「僕も手加減なんてされたら、承知しませんから」 いやに男らしいやり取り。 というか、これは既に男の世界というか戦士の世界というか、とにかくあたしには理解出来ない世界だ。 二人の、まるで太さの違う腕同士がぶつかる。もう一度それをしてから、最後に拳をぶつけ合った。 ばっきん、と物凄い音が空気を揺らす。正直朝からうるさいぞ、あんたら。 荷物は既にまとめておいたので、レインコートも乾いた服も畳んでトートバッグの中に入れておいた。 あたしは、おかげで昨日よりも膨らんだトートバッグを抱えて、インパルサーの翼をぐいっと引っ張る。 「行くよ」 「あ、はい」 障子を開けて廊下に出、外と中を隔てている重い雨戸に手を掛けた。 なんとか力を入れて重い雨戸を少し開くと、インパルサーがその間に手を入れた。 途端にがらっと勢い良く雨戸は開き、きらきらと朝露の輝く庭が視界に飛び込んできた。力の差、凄いなぁ。 空は、昨日の荒れに荒れた天気が嘘みたいな、すかっと爽やかすぎる程の快晴だ。天気予報は正しかった。 縁側と庭の間にある段差にサンダルを置いて、それを履く。 スナップを止めてから立ち上がると、ふわっと体が浮き上がる。インパルサーがあたしを抱えたのだ。 しかしこのお姫様抱っこも、以前よりもっとやりづらく感じてしまう。ええい、こいつがあんなことを言うから。 その浮かんだ状態から、あたしはリボルバーに軽く手を振る。 「じゃね、ボルの助。鈴ちゃんによろしくね」 「おう」 リボルバーは片手を挙げ、親指を立てる。もう、ボルの助に慣れてしまったらしい。 インパルサーは池の上をするりと飛び、一気に上昇した。 鈴音の家を真上から見ると、やはりでかい。うちなんか、比べものにならない程の大邸宅だ。 あたしはうちの方向を指すと、インパルサーは、了解、と頷いて加速した。 朝の風を受けながら、あたしとパルは飛んでいく。 彼のマリンブルーはやっぱり濃すぎて、空の中に馴染むどころか目立っている。 ひんやりとした爽やかな空気が、心地よい。寝起きの目が冴えていく。 あたしは朝起きてから何も食べていないことを思い出して、ちょっとぐったりした。 インパルサーの横顔が、目の前にある。 マリンブルーのマスクの上に目立つレモンイエローのゴーグルが、ぎらりと朝日を映して眩しい。 その眩しい光に、つい見とれてしまった。 突然、インパルサーが動きを止めた。 「由佳さん」 「…何?」 「真下を」 言われるまま、あたしは真下の住宅街を見下ろした。 朝焼けと薄もやの中に、似たような家々の色違いの屋根が続いている。 それらの間を細く分けている塀の間に、見慣れたジャージ姿があった。 なぜ見慣れていたのか。それはジャージが、うちの高校のものだったからだろう。 呆然とあたし達を見上げている、その姿は。 「…神田君」 あたしの口から、そんな呟きが漏れていた。 そうだ。考えてみたら、今まで誰にも見つからなかった方が奇跡なんだ。 インパルサーは小さな声で言う。 「降りますか?」 あたしは首を振る。 「ひとまずうちに帰るしかないよ。これ以上、人に見られたら困る」 「了解しました」 インパルサーは頷いた。 うちへと向かうため、またインパルサーは推進する。 神田から距離を開けてしまう前に、もう一度見下ろした。 紛れもなく神田だ。 見覚えのある優しげな顔立ちに高めの身長、スポーツ刈りの硬そうな髪。 呆然とした表情で、インパルサーを…いや、あたしを見つめている。 彼は何か言おうとしていたようだが、ただ見送るだけだった。 遠くに見える高層ビルが、朝靄の中でぎらりと輝いている。 ごちゃごちゃした街の朝っぱらの光景って、なんでこんなに綺麗なんだろう。 妙に悠長に、そんなことを考えていた。 ああ。 きっと、あたしは開き直ったんだろうな。 04 3/25 |