Metallic Guy




第八話 決戦、花火大会



たん、と軽くインパルサーがジャンプする。
ぐるっと体を捻って、足首を器用にリボルバーの首に引っかけた。
そのまま前に体を倒して両手を付き、逆立ちの姿勢になると、赤い巨体を振り飛ばす。
さっきから、インパルサーは足技か投げ技ばっかりだ。好きなんだろうか。


「フランケンシュタイナー?」

と、隣で鈴音が呟いた。あたしには、その単語がなんなのか解らなかった。


投げ飛ばされたリボルバーは、そのまま水たまりに落ちるかと思われたが、その寸前に膝を曲げて着地した。
ばしゃっと泥水を跳ねて、一度足を広げて姿勢を整える。銃身の先に、べったり泥が付いた。
指先で鼻の辺りをぐいっと擦り、にっと笑った。

「そんくらいで、オレが倒れると思ってんのかこの馬鹿が」

「思ってません」

インパルサーは少し上昇していたが、途端に急降下する。
リボルバーの目の前に落ちるかと思われたが、その直前で停止し、彼の肩に手を付いてくるっと背中側に回る。
インパルサーは高々と足を振り上げて、右肩の弾倉にかかとを落とす。がん、と強い音が響いた。

「あだっ!」

リボルバーが背を曲げた途端、銃弾が勢い良く足元に発射された。暴発、ってとこだろうか。
その銃声が止んだ頃には、もうインパルサーは空へ出ていた。ヒットアンドアウェイ、て感じだ。
ぱしん、と手のひらに拳を当てている。上機嫌だ。

「無駄弾はたぶん…三十七発ってところでしょうか?」

「やりやがったな」

と、リボルバーは笑った。
地面を蹴って空中に飛び上がり、空中で待っていたインパルサーに力強く拳や蹴りを突き出していく。
だけどそのどれもインパルサーには掠りもせず、むしろ避けられている。パルが速いのだ。
何度か避けた頃、青い翼がぐいっと斜めに倒された。ブースターも。
リボルバーの両腕を掴んで拳を封じながら、インパルサーは加速した。

「もっとやりますよ!」


青い線に押された赤が、深く地面に埋まった。

泥と水がばちゃばちゃっと飛んで、結構離れた位置にいるあたし達の所まで飛んできた。
それは、あたしと鈴音の髪とか服を汚した。鈴音と顔を見合わせて、苦笑してしまった。
だけどもう、それ程気にはならない。さっきの一件で、もう二人とも結構汚れていたからだ。

インパルサーは、ずぶずぶとリボルバーの体を、柔らかい地面に押し込んでいく。無茶苦茶だ。
が、途中でインパルサーの足に赤くて太い銃身が当たり、絡められて落とされた。
頭からぬかるみに落ちたパルの上に、リボルバーが仁王立ちする。
銃口を向けたが引っ込め、拳を出して顎のマスクを殴り上げた。
更に追撃が加えられる前に、インパルサーは起き上がった。が、今度は頭を蹴られた。

「あうっ」

情けない声と共にのけぞり、二三歩下がる。
インパルサーが顔を抑える前に、リボルバーの蹴りが何度も入った。その度に、パルはのけぞる。

「痛っ」

かかとが足元の石に引っかかったのか、そのまま背中から倒れた。情けない。
翼を元の角度に戻して起き上がると、首を押さえた。

「あれ…」

「どした」

リボルバーは肩を上下させながら、インパルサーが立ち上がるのを待っている。律義だ。
彼は心配げに、首を捻る。

「このまま行けば外れちゃいそうな気がするんです」

「そうかい」

リボルバーは、にやりとした。あ、とパルが声を洩らす。自分から、弱点ばらしてどうするよ。
すぐさま立ち上がったインパルサーは、飛び上がろうとするけどその前に足を掴まれた。
びたんと叩き落とされ、泥の上を滑った。起き上がると、すぐにリボルバーがやってきた。
間合いを開いてもすぐに詰められ、胸元に拳が入る。たまに腹にも。これは痛そうだ。
背中を丸めたインパルサーの首を掴んで持ち上げたリボルバーは、膝を曲げて一際強く胸に打ち込んだ。

「あぁらよっ!」

がしゃん、とインパルサーの体が揺さぶられた。
大きく動いた細身の青い体がしばらくぶらぶらしたかと思うと、それが少しずり下がった。

と、思った直後。


首から下が、ごとんと地面に転がった。


あたしは叫ぼうと思ったけど、声が一瞬出なかった。
鈴音も目を見開いていて、ぎょっとした様子で突っ立っている。
確かにインパルサーは外れそうだ、とは言っていたけど、本気で外れてしまうとは。
首のない青いロボットは、怖い。繋ぎ目と思しき銀色の部分の内側が、ちらちらと光を反射している。
あたしは呆然としながら、やっと、叫べた。

「…マジで!?」


リボルバーは手の中にある青い首を見、少し驚いたような顔をした。
そして足元でおろおろとする首なしインパルサーを見下ろし、笑う。

「メンテナンスは怠るんじゃねぇぞ」

「えと、その」

首なしインパルサーは、片手をリボルバーに伸ばした。

「僕の首、返して下さい」

「嫌だっつったら?」

「性格悪いですね、あなた…」

首なしインパルサーは、肩を落とした。やっぱり怖い。
そして立ち上がり、青くて丸っこい首を抱えたリボルバーに拳を繰り出していく。たまに当たる。

「返して下さいよ!」


拳を首を持っていない方の手で止め、リボルバーはにやりとする。
そして銃身で勢い良く体の方を薙ぎ払うと、空中に出る。首のレモンイエローは、すっかりどろどろだ。
軽く首を投げては手で受け止めながら、リボルバーは立ち上がった体に叫ぶ。

「返して欲しけりゃ取り返しな!」

「いいでしょう!」

首なしインパルサーは首を取り返すべく、飛び出した。
肩を前にして、加速しながらリボルバーの胸元に体当たりした。でも、首はリボルバーの手から落ちない。
下半身を回すように蹴りを出しても、同じだ。首がないからなのだろうか。
避けながら、リボルバーはにやにやしていた。

「スコープアイもセンサーも、みんなこっちなのか?」

「大部分だけですよ」

今度はリボルバーから、拳が突き出された。パルは、それをぱしんと受け止める。
ぐいっと体を捻ってリボルバーの腕をねじ上げ、ついでに背中に回る。パルは、背中を取るのが好きなようだ。
長い足を曲げてリボルバーの首を締めつつ、右腕から出した銃口を、がんとその背に当てた。

「出させた分、差し上げます」


こもった銃声が、何度も何度も響く。
首を絞められているせいで動きの取れないリボルバーは、背中を撃たれるままになっている。
インパルサーは左手で、足を外しに来たリボルバーの手首を掴んだ。えげつないぞ。
しばらくしてから銃声を止め、どん、と、今し方まで撃っていた場所を蹴り飛ばした。
リボルバーはなんとか着地すると、インパルサーを見上げて嫌そうな顔をした。

「てめぇの方が性格悪いじゃねぇか」

「お互い様ですよ」

「解った、こいつは返す。返すから、もうちょいフェアによぅ!」

リボルバーは振りかぶると、首を空高く放り投げた。インパルサーは、慌ててそれを追っていく。
空中で首を受け取ったらしいインパルサーの背後に、リボルバーが滑り込んだ。
彼が首を付ける前に大きく腕を振り上げ、おもむろに殴った。どっちもどっちで、性格悪いぞ。
インパルサーは姿勢を崩しながらもなんとか体勢を立て直し、がしょんと首を乗せた。これで怖くない。
ちょっと動かしてちゃんと付いたかどうか確かめてから、首ありインパルサーは叫んだ。

「返して貰いましたからね!」

「あのパワーで殴っても、落ちねぇとはなぁ」

「あなたとは、ハイパーアクセラレーターブースターの性能が違うんですよ」

と、パルが少し自慢気に言った。へっ、とリボルバーはそれを笑う。


「避けないで下さいね!」

インパルサーはそう叫びながら、リボルバーに掴み掛かる。
リボルバーはその拳と蹴りを受けたが、そのまま後退せずに顔を上げた。彼もまた、楽しそうだ。

「てめぇもな!」



二人は互いの攻撃を避けながら、地上に降りる。
ばしゃっと水たまりを滑って間合いを開いてから、一気に駆け出した。
泥の上に大きな足跡を引き摺りながら、二人は肩をぶつけ合った。がきん、と凄い音が響く。火花も散った。
双方の勢いでどちらも跳ね飛ばされたのか、数歩下がった。
でもすぐに構えを作り、インパルサーは、高く、低く、蹴りを続ける。速いうえに当たっていて、確実に押している。
それを受けるリボルバーは、両腕で防御しながらずるずると泥を滑っていった。
だがその途中で急に身を引いて、ジャンプした。
攻撃するまま突っ込んできたインパルサーの両肩に、リボルバーは足を落とす。後方へ、青い肩を蹴り飛ばした。
少し離れた位置に降りたリボルバーは、振り返りざまに連射を始めた。
なんとか姿勢を戻して向き直ったインパルサーは腕を翳しながら、射撃を避ける。
だが何発かは掠っているようで、ちっ、とパルの肩の翼から火花が散った。

「さすがですね!」

だん、とインパルサーは踏み込んだ。
前傾姿勢になると、軽い動きで地面すれすれを飛んでいく。膝を曲げているけど、付きそうで付かない。
インパルサーのすぐ後ろで泥が爆ぜ、大きく抉ったような弾痕がいくつも並ぶ。
そのまま彼は右腕を向け、避けながらも銃を連射していった。回りながら、パルは少し上昇した。
だけどそれはリボルバーには当たらず、ひょいっと軽く避けられてしまう。
そしてリボルバーの目線当たりまでに上昇したインパルサーは加速し、リボルバーの目の前に着地した。

「そろそろ終いと行くか!」

リボルバーは、弾倉をぐるっと一回転させる。
二人は一歩踏み込み、互いの頭部へがしゃんと銃口を突き付けた。


市街地の夜景が、戦士達を浮かび上がらせた。



あたしは今更ながら、心臓というか胸が痛いことに気付いた。緊張しているし、どきどきしている。
鈴音もぼんやりしていて、目が少し潤んでいる。凄く、綺麗だ。
戦いって、確かに怖い。えげつないことばっかりだし、どっちのやり方もフェアじゃないのばっかりだった。
でも、なんだろう。
二人が全力でぶつかっているのは傍目に見ても解るし、どっちも凄く楽しそうな姿を見ていたら。
怖いどころか、気分が良いのはなぜだろう。
こっちまで楽しくなるのは、なぜだろう。



「惜しいなーあ…」

リボルバーが、シルエットの中で呟いた。
ライムイエローの瞳が目立っていて、夜景に混じりそうだ。
その手前で、鮮やかなレモンイエローのゴーグルが頷く。
インパルサーの大きな翼は、息が上がっているのか、上下している。

「ええ、とても惜しいです」

二人は、ゆっくり銃口を下げた。
そして同時に銃身を開き、ばらばらっと薬莢を足元に落とした。
リボルバーが唐突に笑い出し、インパルサーもつられるように笑い出した。
ひとしきり笑い合ったあと、二人の声が重なった。



「弾切れとはな!」




「…弾切れ?」

あたしは、ちょっと拍子抜けした。
鈴音は吹き出してから、体を曲げて大笑いする。

「ていうか何よそれー、ベタな漫画とかじゃないんだからぁー!」

「そうだよー」

あたしもつられて、笑ってしまう。

「いくらなんでも、それタイミング良すぎー!」


「そうですね」

インパルサーは右腕の中に銃身を入れ、こちらに体を向けた。

「出来すぎてますよ」

「うはははははははは!」

リボルバーが高笑いした。

「だが、たまにぁいいじゃねぇか。こんな夜もよ」


雨上がりの湿った夜風が、泥の匂いを広げた。
眼下に見える街からは夏祭りの雑踏が感じられ、遠くを行く電車の汽笛が小さく聞こえる。
連発された花火の名残なのか、川の上にはぼんやりとした薄い煙が広がっていた。河原には、もう人はいない。
鈴音は背を伸ばし、はぁ、と大きく息を吐いた。そして、形の良い胸を張る。

「そうねぇ。たまにはボルの助もいいこと言うじゃない」

「ちょーっと騒がしすぎたけどね」

あたしは、戦士達を交互に見た。
すると彼らは突然駆け出して、勢い良くあたし達の手前に滑り込んできた。
ばしゃっと水が跳ねられ、すっかり汚れたスカートが更に汚れる。これ、もう二度と着られないかも。
インパルサーはぐわっと腕を広げたかと思うと、いきなりあたしを抱え上げ、高々と持ち上げた。

「ゆっかさーん!」

ゴーグルの色は、ライトグリーンだ。

「僕は、僕はちゃんと命令を守れましたぁー!」

くるっと回されたかと思うと、ぱっと手を放される。何をするんだ、一体。
すっかり汚れ切ったスカイブルーの胸板に体が落ち、受け止められた。
肩と背中に大きくて角張った手が当てられ、恐る恐る、といった感じで抱き締められる。二度目だ。
あたしは足が浮いていることに気付いたけど、それを言う気も起きない。
驚いたこともあるけど、凄く胸が痛くて、どきどきして、苦しくて、嬉しいような感じがする。
あたしは一体、どうしたというのだ。
冷たいような熱いような不思議な感触が、体の下にある。戦ったから、熱が籠もっているようだ。
インパルサーはあたしを抱えながら少し浮かび、ゆらりと背を倒した。

「嬉しいです」

ゴーグルの奥で、目がきゅっと細くなる。
すぐ隣にあるマリンブルーのマスクが、その光に照らされている。

「心配して頂いた時よりも、ずっと、ずっと嬉しいです」

「うん」

目を閉じ、体重を掛ける。少しだけ、インパルサーが揺らぐ。
なんだろう、この感じ。
嬉しいようで困ったようで、でも、やっぱり嬉しいかもしれない。
パルの優しい声が、彼の体を伝わって感じられる。

「由佳さん、僕は今、幸せなんでしょうか。これが、幸せなんですか?」

「自分で考えてよ、それくらい」

「了解しました」

肩から手が離れ、インパルサーは敬礼した。
するっと降下して、足が地面に付く。べっちゃべちゃの、泥水の上だ。
あたしは顔を押さえて、なんとか自分を落ち着けた。まだ何か、残っている。
インパルサーが顔を上げたので、あたしは振り返った。
非常に羨ましそうな表情のリボルバーと、腕を組んで仁王立ちしている鈴音がいた。

「くぁー…」

リボルバーは後頭部をがしがし擦り、ため息を吐いた。

「ソニックインパルサー、てめぇって奴ぁ…」

「なんだかんだ言って、両思いってこと?」

と、鈴音がにやりと笑った。
あたしはぎょっとして、首を横に振った。

「なっ、何言ってんのさ鈴ちゃん!」

「え、あの」

戸惑い気味に、インパルサーは頬を掻いた。
あたしと鈴音を交互に見比べ、気恥ずかしげに俯いた。さっき自分があたしに何をしたか、認識したらしい。
頭を抱えると背を向けて、屈み込んでしまった。情けない。

「あの…その、僕は…」

「気にしすぎ」

「え、ですが」

「一度やっちゃったことを、そう何度も気にしない!」

「はぁ」

インパルサーは仕方なしに立ち上がると、あたしを見下ろした。
照れくさいのか、しきりに後頭部をがりがりやっている。本当にいつか、塗装が剥げちゃうぞ。


リボルバーの呼ぶ声に、あたし達はその方向を見た。
彼は自分で放り投げた資材の隣に、鈴音と一緒に立っている。
鈴音はジーンズの後ろポケットから、小さな四角いもの、デジカメを取り出した。
それを壊れた資材の上に置き、手招きする。

「一枚だけね」

「解ったー」

あたしはその手前に駆け寄ると、背後にインパルサーが止まる。
小さなデジカメの前に鈴音に引っ張り込まれ、後ろにはロボット二人が引っ張り込まれた。結構強引だ。
鈴音はシャッターボタンを押し、すぐさま手を引っ込めた。セルフタイマーのようだ。

数秒後、白い閃光が浴びせられた。


あたしは自分が目を閉じていなかったことを確認し、安心した。目を閉じたら、情けない。
鈴音は身を乗り出してデジカメを撮り、すぐに裏側の画面に表示させた。良く撮れている。
それを覗き込むと、インパルサーも同じようにする。
鈴音はあたし達に充分見せた後、デジカメの電源を切って後ろポケットに入れた。

「あとでプリントアウトしとくね」

「何枚?」

「由佳にあげる分だけ」

「そか」

あたしはぐいっと背を伸ばし、腕を下ろした。

「そろそろ帰ろうか」

「もういい時間だしね」

鈴音は泥だらけの服と体を見、吹き出した。

「ごめん由佳、もう一日だけ泊めて?」

「いいよー」

あたしも自分の格好を見下ろし、苦笑した。

「どうせなら、パルとボルの助もお風呂に入れる?」

すると、二人は顔を見合わせた。どうするか、考えているらしい。
鈴音はリボルバーがあまりにも真剣な表情をしているため、笑った。

「冗談よ」

「…なんでえ」

と、心底不満げにリボルバーは呟いた。期待していたのか。
それとは逆に、インパルサーは安心したように肩を落とし、深く息を吐いている。
やっぱり対照的だ。

住宅造成地から見下ろす夜景は、ぎらぎらしてる。
車のヘッドライトもビルの明かりもまるで落ち着かず、色とりどりのネオンが目立っている。
携帯を出して時計を見てみると、結構時間が過ぎたと思ったのに、まだ午後十時前だ。そんなに経っていない。
明日の夏祭りには行けそうだなと思いながら、夜空を見上げた。

無数の星々が、宇宙に広がっていた。





翌日。

あたしは鈴音に浴衣を着せられ、夏祭りに引っ張り出されていた。
セミロングの髪も浴衣に似合うように上げられていて、首元がちょっと涼しい。
隣で下駄を転がす鈴音は長い髪をお団子にして銀のかんざしを挿していて、実に化粧も色っぽい。
ぶらぶらと借り物の巾着を揺らしながら、露店と人々の間を歩いていく。
昨日の夜のことは、まるで夢だった。だけど夢じゃないと解るのは、汚れきったスカートが洗濯かごにあるからだ。
鈴音は薄紅色の唇を上向け、こちらに振り向いた。ああ、美しい。

「コールカイザー、どんなのか解る?」

「んー…教えて」

「あれ、結構売れてるから、どこのおもちゃ屋の露店にもあると思うよ」

そう言い、鈴音は辺りを見回した。あたしはふと、鈴音の横から雑踏の間を覗き見た。
背がそれ程高くないせいで、あたしの視線は紛れてしまう。
沢山の人が行き来するその向こうで、目が止まった。いや、固定された。


露店の並んだ通りから少し引っ込んだ自販機の前に、あの人がいた。
背の高い園田先輩の横顔は、少し見えづらい。でもその表情は、今まで見たこともないものだった。
そして、その表情が向けられている相手は。
園田先輩よりも頭一つ程背の低い、見覚えのある髪の長さとプロポーション。それは、間違いなく。

坂下先生だ。

目線を下にずらすと、二人の体に隠れていた部分が、少しだけ見えていた。
自販機の明かりに照らされているのは、固く握られている、二人の手だ。
坂下先生の手首に光る細いブレスレットが、いやに眩しく見えた。


先生も先輩も、凄く、幸せそうな顔をしている。



あたしは鈴音に揺さぶられるまで、ずっとぼんやりしていた。
だけど、苦しいとか、辛いとか、驚いたとか、そんな気分じゃない。
ああ、やっぱり。
そんな感じで、強い動揺もない。予想以上に落ち着いていた。
やっぱりこれは、恋じゃなかった。
あたしは恋に恋していて、たまたま園田先輩が目に入ってきただけだ。

あたしってば、なんて。


子供だったんだろうか。



二人の姿が雑踏に紛れ、見えなくなった。
鈴音の手が、あたしの肩に乗っている。ぽんぽん、と軽く叩かれた。
あたしはちょっと切なくなりながら、呟いた。

「鈴ちゃん」

巾着の紐を、ぎゅっと握り締める。

「恋って、なんだろうね」


「恋かー…」

鈴音は、花火の上がり始めた夜空を見上げた。
その花火の量は、昨日よりも多くて騒がしく、時折誰かの歓声が聞こえている。
堤防に向かっていく人並みが、強くなる。鈴音は少し笑い、あたしの頭に手を置いた。
だけど、鈴音は答えてくれなかった。自分でそれくらい考えろ、ってことなんだろう。
あたしは恋に恋して、何を知ったかぶっていたんだろう。
凄く情けなくなったのと同時に恥ずかしくもなってきたけど、すっきりしていた。
さらば、あたしの恋に恋していた初恋。



さらば、青い夏。







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