鬼蜘蛛姫




第十一話 毒心を縛るべからず



 草木も眠る丑三つ時。
 現世と常世の狭間が揺らぎ、弱り、薄らぐ時である。その僅かな隙を突き、人ならざる者達が溢れ出してくる。どこ からともなく流れてくるのは、祭り囃子のようではあったが今一つ定まらない音色であった。鐘が打ち鳴らされたかと 思えば太鼓に打ち消され、そうかと思えば拍子木が無闇に打ち鳴らされる。音頭を取っている様子もなく、無秩序と しか言いようがないものであった。それに重なるのは、人でもなければ獣でもない者達のざわめきである。何を喋る でもなく、語るでもなく、ぺちゃぺちゃと口を開閉させて耳障りな声を漏らしているだけだった。
 それらの主は、本条城の城下町を這いずり回る百鬼夜行であった。妖怪と獣の合いの子とでもいうべき半端者や 古道具に手足が生えた者達の寄せ集めで、恐ろしさよりも滑稽さの方が先に立った。ひび割れた櫃がごろりごろり と転がると、その後を小さな足の生えたしゃもじが追い掛けていく。箸が高下駄のように飛び跳ねて進むと、割れた 椀がちんとんしゃんと釜を打ち鳴らす。有象無象の行軍は足並みすら揃っておらず、どいつもこいつも好き勝手に 進んでいるが、その方向だけは定まっていた。蜂狩貞元の根城たる無縁寺である。
 夜風に乗って漂ってくる並々ならぬ妖気を肌で感じ取り、貞元は笑みを殺した。良からぬ者共が近付いてくること を察知し、用心して無縁寺の屋根に登っていたが、あまり気を張ることもなかったようだ。足元では、鴉天狗が首を 填め直していた。首を刎ねられたのは一度ではないらしく、骨と筋を繋ぎ合わせながらしきりに鬼蜘蛛の姫に対する 文句を吐き捨てていた。貞元は件の刀を舐めるように眺め、黒々とした刃を月光に翳した。

「その刀、気に入ったみてぇだな。そんなら何よりだぜ」

 九郎丸は首筋の黒い羽毛をさすり、こびり付いた血を擦り取った。

「腹ぁ、減っちゃいねぇか?」

「干涸らびるほどに」

 貞元は語気こそ平静だったが、喉はひりついていた。胃袋は萎みきり、血肉を欲している。目の前にいる鴉天狗 を斬り捨てて喰ってしまってもいいが、余計な正気を払ってくれたという恩がある。それを無下にするのは、武士に あるまじきことである。それ故、辛うじて手を出さずにいた。九郎丸はケケケと笑い、顎でしゃくった。

「そんなら、あいつらを喰っちまえばいい。どうせ屑しかいねぇんだ、喰ったところでどうということもねぇ」

「儂が喰らうのは人だが」

「人だろうが妖怪だろうが、腹に入っちまえば同じじゃあねぇか。それに、連中は待ってても来るぜ」

「何故か」

「そんなん簡単だぁな。連中はな、新参者のくせして亡霊を喰らいまくったあんたが憎いのさ。ついでに力が欲しいん だよ。屑は屑なりに、一端の妖怪を気取ってるっつうのはお笑い種だがよ」

「儂の寝首を掻こうというのか」

「まあ、そういうこったな」

 九郎丸は胡座を掻くと、夜の帳に良く馴染む翼を折り畳む。

「ここんとこ鬼蜘蛛の姫の糸が弛みまくってるし、叢雲の爺ィも神通力をごっそりなくしちまったから、ここらの屑妖怪 を押さえ付けられなくなっちまってんのさ。別に害はねぇから放っておいてもいいんだが、どうする」

「試し斬りには丁度良かろう。腹も空いておる」

「俺は勘弁しとくぜ。あんたに斬られた首が痛むんでねぇ、カカカカカカカッ」

 九郎丸は鴉らしく甲高い笑い声を上げて、ひらひらと手を振った。貞元は刀を帯びた鞘に収め、一度腰を落として から両足を踏ん張って瓦屋根を蹴り付けた。矢の如く夜空に跳ね上がった鎧武者は、百鬼夜行に近付くべく、木々 の枝葉を蹴り付けながら進んだ。一つ枝を蹴るごとに木の葉が一枚残らず枯れ、それらが地に落ちる頃には腐り 切ってしまった。壕を越えて門を越え、城下に至る。壕沿いに植えられた枝垂れ柳の傍に降りた貞元に、百鬼夜行 のしんがりを務めていた小鬼が気付いた。手足がひどく痩せ細っているのに下腹部だけが異様に膨れ上がった、 赤黒い赤子のような小鬼はきいきいと喚いた。それを合図に、百鬼夜行は歩みを止めた。それまで鳴り止むことの なかった鳴り物や声も止まり、辺りには静けさが戻ってきた。

「来い」

 一言、貞元が命じると、妖怪共の群れは沸き立った。貞元が独り占めしている亡霊を喰いたくてたまらなかったの だろう、歓声というには濁った罵声が迸って夜気を切り裂いた。手始めに飛び出してきた小鬼が貞元の真正面から 突っ込んできたので、刀を軽く振るうと両断された。ぎいぃっ、と鳥とも赤子とも付かぬ呻きを漏らした小鬼は上下に 別れて地面に転げたが、残る小鬼はそれを踏み潰して突っ込んできた。

「つぇいっ!」

 一閃、横に薙ぐ。踏み込むと同時に放った刃が数匹の小鬼を両断し、滑らかな手応えが手に及ぶ。泥とも血とも 付かないものを散らしながら、上半身と下半身に別れた小鬼達はのたうちながらも逃げようとしたので、その一つの 頭上に切っ先を振り下ろした。さすがに頭を割られると動けなくなり、舌を零しながら息絶えた。

「ふむ」

 小鬼を一つ掴み、それを口に運ぶ。人間の血肉に比べると舌触りは格段に悪く、味もひどいものだった。腐肉に 等しい饐えた匂いが立ち込め、それでいて恐ろしく生臭い。骨もまた異様に硬く、噛み砕くためには少々顎が軋みを 立てるほどであった。しかし、腹に収めて間もなく力が漲ってくる。意味もなく笑い出したくなるぐらいに。
 久しく忘れていた高揚が、体の隅々にまで染み渡っていく。一本足に高下駄を履いて飛び跳ねてきた唐傘妖怪を 真っ二つに割り、足元を崩そうと滑り込んできた下駄妖怪を踏み潰し、小槌を担いだ小鬼を叩き斬り、人間のように 二本足で歩くイタチを鷲掴みにして握り潰す。だが、そこに臆する者はいない。それどころか、貞元が斬り捨てた者を 喰らおうと這い寄ってくる妖怪すらいたほどだ。その様はどことなく面白かったが、雑魚ばかりでは歯応えがなくて 面白味がない。刀を左右に振るうたびに数匹の妖怪を無造作に薙ぎ払い、進んでいくと、人の形をした泥の固まり、 泥田坊なる妖怪が両手を伸ばしながら近寄ってきた。貞元はそれも両断してしまおうと刀を振るったが、泥田坊の 腹に埋まったまま動かなくなった。思いがけないことに貞元がいくらか動揺すると、泥田坊は三本指の手でぬるりと 刀を掴んできた。いびつな造形の片目しかない顔を突き出してきた泥田坊は、糸を引きながら口を開いた。

「返せぇ、返せぇ……」

「その声、丹厳か」

 聞き覚えのある声に貞元が感付くと、泥田坊は芯のない腕を振るって貞元を叩いてくる。

「返せぇ……肝を……返せぇ……」

「坊主の真似事まで出来ていたそなたが、ただの土塊と化すとは落ちぶれたものよ」

 貞元は丹厳の肉片で生まれたであろう泥田坊を鼻で笑ったが、泥田坊には貞元の声は届いていなかった。ただ ひたすらに、返せ、返せ、と同じ文句を繰り返している。肝も魂もない妖力の絞り滓が泥に混じったものであるが故に 知性の欠片もないのは当然なのだろうが、貞元は背筋が薄ら寒くなった。そんな人間的な感覚が残っていることが 疎ましいと思うよりも早く、いずれ己もこうなるやもしれぬのかと嫌な想像が過ぎる。だが、すぐさまこう思い直す。 肝を奪われた程度で落ちぶれるのは、丹厳が下等だからである。だが、自分は違う。

「泥如きに、刀を使うまでもないわい!」

 泥田坊の腹から胸中に掛けて拳を抉り込ませ、存分に妖力を迸らせる。途端にぶくりと泡が立ち、柔らかな泥が 煮え滾った。全身から真っ白な湯気を上げた泥妖怪は後退るが、水気が抜けた足が折れて崩れ、肩が外れ、腹が 割れ、ついには頭が転げ落ちた。目玉の浮かぶ泥の固まりを無造作に踏み潰し、貞元は泥まみれの手を振るって 汚れを払った。白玉の見よう見まねであり、狐火には遠く及ばないが、それに近い術が使えたようだ。人間離れして いく己に若干の畏怖と過剰なまでの陶酔感を感じながら、面頬の下で口元を綻ばせた。

「良い、良いぞ……」

 人間でいたいと理性にしがみついていた自分を顧みることすら、馬鹿馬鹿しい。そもそも、なぜそこまでして人間に 拘っていたのか、我ながら理解に苦しむ。藩主でもなければ当主でもない己が、守るものなどないというのに。
 百鬼夜行の中程まで至ると、視界が曇った。風もないのに流れてきた煙が渦巻き、人の顔を浮かべながら奇妙に 長い腕を左右に揺らしている。煙々羅である。それは貞元にまとわりつき、きな臭い匂いを漂わせながら過ぎては 戻り、絡み付いては通り抜け、を繰り返している。ぞんざいに払おうとしたが、逆にその手が食らい付かれた。朧に 渦巻く煙に浮かぶ男とも女とも付かない顔が煙らしからぬ硬さの歯を立て、貞元の左手首を砕きに掛かってきた。 手っ甲が割られて左手に食い込み、歯と骨が鬩ぎ合う。黒と紫が入り混じる肌が破れた途端、その破れ目から亡霊 が噴出した。貞元に馴染みきっていなかった者達が、それほど恨みを持たずに死んだ者達が、恨みを吸い尽くされた が故に空虚と化した者達が、大口を開けていた煙々羅に吸い込まれる。その度に煙が膨れ、泡立ち、渦巻く。
 煙々羅に奪われた亡霊を取り戻さんといきり立った貞元が刀を振り下ろすが、煙が霧散するばかりで何の意味も なければ効果もなかった。それどころか、破れ目から零れ出す亡霊を他の妖怪が喰らいに来る。

「おのれぇい!」

 貞元が毒突くが、妖怪達はお構いなしに群がってくる。それどころか、徒党を組んで押し寄せてきた。牛車の中に 巨大な人の顔が埋まっている朧車が貞元に激突したばかりか、車輪で轢いていった。起き上がろうとすると今度は 火を纏った車輪に男の顔が埋まった輪入道が転げ、貞元をまたも轢こうとしたが、同じ手は喰わぬと競り合った。 刀は容易く火車を真っ二つにし、男の顔も断ち切れる。だが、擦れ違いざまに剥ぎ取られた肩当ての下の皮が鎌鼬 に破られ、左手で塞ぐも指の隙間から亡霊が逃げ出した。それらが抜けるたびに妖力が衰え、足元がふらつきかけた が辛うじて保った。闇に慣れた目が霞み、腹の底が冷えてくる。血が抜けていくかのように足の力が弱まり、肝の辺り が縮こまりそうになる。己の手から流れ出した腐敗汁が刀の柄をぬるつかせ、汚らしい汁が滴る。
 大百足、大イタチ、古狸、網剪、化け猫、カワウソ。物欲しげな面持ちの化け物共が腰を落としかけた落ち武者の 周囲を取り囲み、這いずり回る。喰ってやろう、喰ってやろう、人間如きが、人間の死に損ないが、と、彼らは妙な 節を付けて口々に歌っている。大百足が貞元の足に牙を立て、大イタチが貞元の肩に鋭い爪を掛け、古狸が胴巻きに 両手を据えて妖術を放つ姿勢を取り、網剪が顎の鋏を開いて首を断ち切る格好になり、化け猫とカワウソが景気 良く音頭を取る。恨めしや、恨めしや、恨めしや、恨めしや。その音頭は百鬼夜行を成していた妖怪共も取り始め、 いつしか貞元を取り囲む無数の妖怪共が恨めしいと叫んでいた。
 だが、それは貞元を屈させる言葉ではなかった。それどころか、恨めしいと言われるたびに体の芯が熱してくる。 どうせ人には戻れぬ身、修羅の道を歩むと決めたその時から、他人を恨んだ分だけ恨まれる覚悟は出来ている。 貞元が刀を持つ手を緩めた途端、雑多な妖怪は怒濤の如く押し寄せた。大百足が貞元の足を噛み切り、大イタチ が貞元の肩を腕を切り離し、古狸の妖術が胴巻きと腹を貫き、網剪が首を切り離す。それぞれの部位が高らかに 宙を舞い、血の代わりの腐敗汁が闇の中に弧を描く。すると、蜜に群がる虫のように妖怪共がわっと詰めかけた。 体の大きい妖怪共は貞元の部位を独り占めして喰い散らかし、小さな妖怪共はその足元でお零れをもらっている。 当世具足までもが喰い散らかされるが、喰えそうな場所のない刀に手を付ける者はいなかった。
 細切れにされ、喰われ、千切られ、飲み下され、啜られ、噛まれ、砕かれ、吸われ、味わわれ。無数の肉片と化した 貞元は己の芯を刀に固く据えつつ、妖怪に喰われる心地良さに浸っていた。そこに苦痛はない。相手も同じ怨念の 固まりであるのだから、水に水を混ぜるようなことである。痛みがないわけではなかったが、酒に酔うかのような 程良い刺激となっていた。死んでもいないが生きてもいない、生きているわけではないが死ぬわけではない、死とは 隣り合わせであるが故に縁遠い、生とは程遠いからこそ至れる快楽の極致。肉片となって妖怪一匹一匹の腹の内に へばりついた貞元は、その内側から妖力を吸い上げていく。どうせ喰うなら、一度に喰った方が気持ちいい。
 貞元に奪われ続けた亡霊を得るべく貪り狂っていた大百足が、腹を満たして愉悦に浸っていた大イタチが、丸々と 膨れ上がった腹をさすっていた古狸が、かちかちと牙を打ち鳴らして勝ち鬨を上げていた網剪が、前足を舐めて 顔を洗っていた化け猫が、意地汚く地面に滴り落ちた腐敗汁を舐めていたカワウソが、手足を生やした古道具が、 小鬼が、獣と妖怪の狭間の者達が、喰われ損なった亡霊が、爆ぜた。血煙と臓物が渦巻き、凝り、妖怪共が口も 付けようとしなかった当世具足に絡み付いた。黒ずんだ骨に赤黒い筋が巻き付いて筋張った肉となって、面頬の下 に悪鬼も見劣りする形相の顔が生まれ、何者にも屈さぬ力強い足が妖怪の細切れを踏み躙る。

「これぞ、至極」

 血煙を纏いながら、一回り大きな体格となった貞元は感嘆した。百鬼夜行は影も形もなくなっていた。あるのは 無数の肉片と、亡霊の名残である白い霞と、仁王立ちする貞元だけであった。細切れにされて喰われても尚、貞元 は長らえていた。それどころか、千切れた部分からでも充分に怨念を吸収する力を備えていた。故に、貞元に亡霊 を横取りされたことを恨めしく思っていた妖怪共の怨念を余さず吸い尽くしたばかりか、概念を形として成すために 不可欠な妖力をも干涸らびるまで飲み尽くした。その結果、概念をも失った者達は無に帰し、貪欲極まりない貞元の 返り討ちにあったというわけである。いつの世も、欲の強い方が勝利を収めるものだと決まっている。
 誰も目もくれようとしなかった刀の柄を握り、引き抜き、鞘に収める。ぱちんと鳴った鍔にざらついた指を這わせ、 慈しむ。夜明けが近いらしく、東の空が白み始めていた。朝日をまともに浴びるのはあまり好ましくないので貞元は 踵を返し、無縁寺を目指した。本堂の屋根では鴉天狗が寝そべり、楽しげににやけていた。

「さぁて」

 首も治ったことだし、と九郎丸は起き上がると、首を一回転させてから翼を広げた。

「その刀、寄越してもらおうじゃねぇか。え?」

「今し方の斬り合い、目にしておったであろうに。剛胆な鴉めが」

 無縁寺の境内に入った貞元は、腰を落として刀を抜く構えを取った。九郎丸は本堂の前に飛び降りると、錫杖を 回して派手に鳴らしてから構えた。負ける気など更々ない。だが、朝日が昇る時が近付きつつある。一撃で決着を 付けるべきだろう。そう考えた貞元は鍔に指を掛け、目を凝らし、居合いの姿勢に変えた。生前は得意であるとは 言い難い居合いであったが、怨霊と化した今ならば。

「馬鹿じゃねぇの? 俺があんたに真っ当な勝負なんて、仕掛けるわけねぇだろうがっ!」

 と、言うや否や、九郎丸は錫杖の切っ先を朝日の差し込んだ虚空に突き出した。尖端に填った鉄輪が朝日に 白く縁取られると共に、そこに絡み付いているものが煌めいた。それは、忘れもしない。

「ぐぅあっ!?」

 両手足が縛られ、締め付けられ、食い込む。胴体を一際強く縛られた貞元は空中に縫い付けられ、手足を強烈な 力で引っ張られた。四肢が引き千切れんばかりに伸び切り、筋が裂けかける。九郎丸が錫杖を捻ると、その尖端に 絡む糸が曲がり、貞元の右手が折られて指先の力が抜ける。当然のことながら刀を持っていられなくなり、妖力を 使おうとするも放つことすら出来ず、行き場を失った妖力が持て余されて体内を巡る。滑り落ちた刀は境内の石畳に 転げ、黒光りする刀身が割れかけた石畳を撫でた。九郎丸は妖力を用いて錫杖をその場に浮かばせながら、刀を 拾いにやってきた。貞元の手形が付いた柄を握ろうとする鴉天狗に、貞元は叫ぶ。

「下賤な鴉めが、この儂の刀に触れるでないわ!」

「忘れっちまったのかい、落ち武者どの。俺はあんたを利用するって言っただろ?」

 九郎丸はしたり顔を浮かべてから、柄に触れた。逆らえ、背け、刃向かえ、と貞元は渾身の力を込めて念じるが、 刀は微動だにしなかった。それどころか、夜を吸った刃が剥き出しになっていることを恐れてか、貞元の帯から 鞘が滑り落ちる始末であった。九郎丸はこれ幸いとばかりに鞘を拾うと、それに刀を収めて担いだ。

「そいつは鬼蜘蛛の姫の糸だ。あんたが出ていってから、仕掛けるのが大変だったぜ」

 九郎丸は翼を広げて羽ばたき、カカカカカカカカッ、と哄笑してから貞元の目の前にクチバシを突き付けた。

「鬼蜘蛛の姫が紡錘で巻いとった糸を一丁くすねてきたんだが、まぁさかこんなに上手くいくたぁなぁ。良い格好だぜ、 落ち武者どのよ。なあに、事が済んだら返してやるよ。もっとも、俺の事が済むまでの間にあんたが無事でいるか どうかは解らねぇけどなぁ」

「許さぬ、許さぬぞ、鴉天狗がぁあああっ!」

 戒める糸を引き千切らんと貞元は身を捩るが、境内を囲む木々の枝葉から朝日が注いだ。それは背中に及び、 淡い温もりと共に凄絶な熱傷をもたらした。鎧越しであるにもかかわらず、焼きごてを据えられてねじ込まれたかの ような苦痛の嵐であった。上体を仰け反らせて吼える貞元に、九郎丸はせせら笑う。

「下手に夜の妖怪なんざ喰うもんじゃねぇぞ。昼間がダメになっちまうからな。おっと、教えるのが遅かったか」

 あばよ、と言い捨てた鴉天狗は暴風を巻き起こしながら境内から飛び去った。その際に錫杖も浮かばせて手中に 収めていったが、糸が多少撓んだだけで解けはしなかった。それどころか糸が絞まり、大の字に広げられていた体が 海老反りになって、手足が後ろで一纏めにされてしまった。情けないどころの話ではない。更には吊り上げられた 場所が日当たりが格別に良く、容赦なく朝日に炙られた。凄まじい苦痛の奔流の中、貞元は狂気を煮詰めた。
 さながら、毒の如く。





 


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