機動駐在コジロウ




塵も積もればマインドとなる



 朝っぱらから、盛大に気が滅入る。
 その原因は考えるまでもなくヘビ男にあった。伊織は何本目になるかも解らない缶コーヒーを飲みながら、傍らで 車止めのブロックに座っている男を睨み付けた。裸で歩き回られると面倒なので貸してやった伊織の服を着ている が、サイズが合わないので手足の袖が余っている。人間体であっても爬虫類じみたぬめついた印象が拭えないのは、 目付きの悪さと表情の気色悪さにあるだろう。吊り上がっていて白目がちな目には卑屈さが滲み出ているが、表情 は妙に強気なのが噛み合っていない。伊織は缶コーヒーを呷ってから、頬を歪める。

「おい、羽部」

「この僕を呼び捨てにするのか、この僕をだ」

 真顔でそう言い放った羽部鏡一を、伊織は躊躇いもなく引っぱたいた。ここが無駄にだだっ広いコンビニの駐車場 でさえなければ、首を掻き切って跳ね飛ばしてやったものを。前のめりになった羽部は体を起こし、殴り付けられた 後頭部をさすりながら粘着質な語気でぼやいていた。人類にとって貴重な脳細胞を殺すなよ、などと。
 伊織はまたもや羽部を殴りたくなったが、その衝動を堪えるために缶コーヒーのスチール缶を握り潰した。途端に 飲み残しのコーヒーが噴出し、アスファルトに甘ったるい飛沫が散った。そもそも、伊織が羽部を迎えに行くことから してまず間違っている。伊織はフジワラ製薬の社長の息子にして、書類の上だが幹部社員であり、抜きん出た能力 を持つ怪人なのだ。だからこそ、佐々木つばめ攻略に駆り出された。それなのになぜ、一研究員に過ぎない羽部に 合わせて峠道で待ち合わせし、手持ちの服を貸してやり、なけなしの現金でバス代も貸してやり、揃って一ヶ谷市内 に出てコンビニの駐車場で朝食を一緒に摂る羽目になってしまったのだろうか。普通は逆ではないか。

「用件ってのはなんだよ、さっさと言えよクソが。俺の部屋に忍び込んでメモ書きしてったぐらいんなんだから、余程の ことがあんだろ。なんかねぇとマジ許さねぇし」

 伊織は車止めから長い足を投げ出し、舌打ちした。駐車場には長距離トラックや乗用車が止まっているが、その 運転席では疲れ果てた運転手達が苦しい姿勢で仮眠を取っていた。背後のコンビニは、早朝であることも相まって やる気に欠ける店員がレジで棒立ちしている。コンビニに面した国道を通る車の数もまばらで、コンビニの後方には 水の張った水田が延々と広がっていて、四角い土地の中で田植機が忙しそうに行き来していた。

「まぁねー。社長が大それたことを考えているのは確かだし、僕はその計画の一端を担っているわけだし、そのために 単独行動が許されているわけだし、この僕が作り出した理論あってこその計画なわけだしぃ」

 唐揚げを頬張りながら悦に浸る羽部に、伊織は心底苛立った。

「ウッゼ! 死ね!」

「僕達改造人間がそう簡単に死なないことぐらい、あんただって解っているだろ? 頭は無理でも体でね」

「ウッゼェんだよてめぇは!」

 伊織が掴み掛かろうとすると、羽部は唐揚げの袋に入っていた爪楊枝を上げて伊織の眼球に据えた。

「人を殺すことに抵抗がないのが自分だけ、とか思っていない? 僕は人を襲うのは苦手だけど、殺すのはまた 別腹っていうかでさぁー。こんな短い棒でも、やろうと思えば眼球ぐらい簡単に摘出出来るんだよな。いくら遺産の 融合係数が高いクソッ垂れなお坊っちゃんでも、眼球を引っこ抜かれたら再生出来ないだろ? この僕の理論が それを証明しているんだからさぁ。んん?」

「死ねクソが」

 伊織は羽部の手から爪楊枝を抜くと、へし折って投げ捨てた。羽部は慌てる。

「わあっ、この僕になんてことをするんだ! 残りは素手で食べなきゃいけないじゃないか! 揚げ立てなのに!」

「知るかクソ」

 伊織は羽部に苛立ちすぎて、語彙を探すのすら面倒臭くなっていた。世の中全てが鬱陶しいと思っているが、中でも 羽部は別格だ。造形は悪くないのだが性格の悪さが如実に表れている顔付きも、ヘビ怪人と化す以前から猫背 がちな姿勢も、何かにつけて自己主張するのも、そのくせ突っ込まれると及び腰になるところも、鬱陶しい。伊織は 自分のささやかな忍耐力を褒めてやりたくなった。

「じゃ、じゃあ、特別に説明してあげよう。この僕がだ」

 熱々の唐揚げを素手で抓もうとするが断念した羽部は、渋々本題を切り出した。

「社長命令でね、液状化した怪人を全員河川に流したんだよ。もちろん、足が着かないように手を回しておいてね。 政府に掴ませるための尻尾は別に用意しておいたし、液状化した怪人の意識を統制出来るように手も施してある。 でも、液状化した怪人達を上手く使うにはリーダーが必要なんだ。クソッ垂れなお坊っちゃんだって液状化してみた ことがあるから解るだろうけど、あの状態だとちょっと賢いアメーバに過ぎないからね。でなきゃ粘菌だね。だから、 優れたリーダーが必要なんだよ、でも、あーもう嫌だ」

 羽部は顔をしかめ、清々しく晴れた空を仰ぐ。

「それがこの僕じゃないなんて。社長は何考えてんだろ、何も考えてなかったりして?」

「……は?」

 ということは、つまり。伊織が声を裏返すと、羽部は粘り着くような目線で睨め付けてきた。

「飲み込みが悪いなぁー、脳みそのないハシゴ状神経系のくせに。液状化した怪人部隊が合流次第、クソッ垂れな お坊っちゃんにそのリーダーになってくれっていうことだよ。それが大事な話にして本題。解った?」

「クソ親父、俺のこと見くびってんじゃねぇだろうな?」

 伊織が八重歯を剥くと、羽部は少し冷めた唐揚げを抓んで口に投げ入れた。

「知らないよ、そんなこと。僕は他人の家族関係なんてどうでもいいし、社長のプライベートになんて心底興味はない し、知っていたとしてもクソお坊っちゃんに話すわけがないしー。ああ面倒臭い」

「いい加減死ねよ!」

 伊織が羽部の後頭部を再度叩きのめすと、羽部はつんのめって残りの唐揚げをアスファルトにぶちまけた。

「わあっなんてことするんだ! この手の添加物まみれの食品は、味覚がなくなった今では貴重な刺激物なのに!  購買意欲をそそるための強い匂いが嗅覚を刺激するし、無駄に多いスパイスが痛覚に来るんだからさぁ!」

「なんでもいいから黙れよ!」

 苛立ちのあまりに左腕を怪人体に変化させた伊織が羽部を張り倒すと、羽部はアスファルトに転げた。

「あー……最悪ぅ……」

 ぼやきながら起き上がった羽部の胸元には、先程伊織が噴出させた缶コーヒーが広範囲に染み付き、唐揚げが 潰れて油が染み込んでいた。羽部は仕方なしにパーカーを脱いで長袖Tシャツ姿になると、伊織を見やる。

「何、ぼさっとしてんの? 服買いに行こうよ、この僕の給料で」

「なんでてめぇに指示されなきゃならねぇんだよ! あぁっ!?」

 伊織が羽部に詰め寄るが、羽部は素っ気なく目を逸らす。

「だって、クソお坊っちゃんの服のセンスって最悪だから、丁度いいと思って。いくら変身するたびにダメになるからって 言ったって、襟がダルダルのシャツとか擦り切れたジーンズとかマジ勘弁してほしいんだけど。そんな最悪な服を 着せられた、この僕の身にもなってほしいんだけど。これ以外に服がなかったから、着てあげただけっていうか」

「ウゼェ死ね。つか、服っつっても、この辺の店はジャスカとしまむろしかねぇぞ」

「え? それマジ? 嘘じゃないの? 安っぽい大型量販店とカオスな品揃えのファッションセンターしかないの?」

 羽部がぎょっとしたので、伊織は羽部の肩を小突いて放した。

「嘘じゃねーし。つか、クソ田舎すぎんだよ、この辺は。それが嫌ならもう帰れ、でねぇと殺すし」

「ちょっと考えさせて」

 そう言い、羽部は顎に手を添えて思い悩んだ。伊織の着古した服を着るか、大型量販店と全国チェーンの安価な 店で妥協した服を買うか、という案件で異様に真剣に考え込んでいた。それから数分の後、羽部は眉を下げた。

「仕方ないから買い物に行ってあげる。付き合ってよ、クソお坊っちゃんでいいからさぁ」

「はぁ?」

 伊織が目を据わらせると、羽部はこの世の終わりのような悲劇的な顔で嘆息した。

「ほら行こう、この僕が迷子になったらどうするんだよ。フジワラ製薬の会社生命に関わるぞ、リアルで」

「知るか、んなもん!」

 と言いつつも、伊織は羽部と連れ立って歩き出した。正直、あの別荘での生活に飽き飽きしていたのだ。羽部の 書き置きに従って別荘を出て、羽部と一緒に市営バスに乗って一ヶ谷市内に出たのも、毎日決まり切った顔触れで 閉塞感さえある別荘から脱するためだった。人型重機の岩龍が新規参入したが、あれはロボットなので相手にしても 退屈なのだ。その点、四人と一体とはまるでタイプが違う羽部と会話するのは心底鬱陶しいが面白かった。
 暇潰しに買い物をして気が紛れたら、すぐにでも殺してやる。




 もう少し、まともな輸送方法がなかったものだろうか。
 美野里の所有する軽自動車のトランクからはみ出したコジロウの両足は、シュールを通り越して怖かった。一乗寺 の軽トラックや寺坂のピックアップトラックなら荷台があるので、コジロウはそこに座らせて輸送出来るが、美野里の 軽自動車はそうもいかないのである。元々小さな車なので輸送能力も限られているし、後部座席の後ろにある空間 にしか荷物は置けないので、コジロウを乗せられるのもその部分だけだ。だから、コジロウは二メートル超の体躯を 狭苦しい空間に精一杯押し込めた。だが、足を折り畳んでも膝が後部ドアにぶつかってロック出来なくなってしまう ので、いっそのこと足を出してみることにしたのである。その結果、奇妙なことになってしまった。

「コジロウ、大丈夫?」

 つばめが後部ドアを開けて窺うと、横倒しにした後部座席に仰向けになっているコジロウは平坦に返した。

「少々安定性に欠けるが、特に問題はない」

「私には、思いっ切り問題だらけのような気がしてならないんだけどなぁ」

 一乗寺に軽トラックを借りるか寺坂に車を出してもらった方がいいのでは、とつばめは思ったが、美野里の極めて 上機嫌な鼻歌が聞こえてきたので、気が咎めて提案はしなかった。つばめとコジロウを一ヶ谷市内まで送ってくれる のはあくまでも美野里の好意なのだし、一乗寺や寺坂に絡まれたら後が面倒だ。つばめとコジロウののデートでは なくなるし、子供っぽい性格の大人達に振り回されて休日が終わってしまいかねないからだ。

「さあっ、行きましょ!」

 髪も服装も化粧も整えたスーツ姿の美野里は玄関から飛び出してくると、威勢良く挙手した。他人事なのに、なぜ ここまで楽しそうなのだろう。反対されるよりは楽ではあるが、なんだか照れ臭い。つばめは自宅の玄関を施錠して から軽自動車の助手席に乗り込み、シートベルトを締めた。美野里も意気揚々と運転席に乗り込んでくると、キーを 回して電動エンジンを始動させた。軽い振動の後、後輪がひどく沈んだ軽自動車は発進した。
 三十分程度のドライブの後、一ヶ谷市郊外の大型量販店、ジャスカに到着した。開店時間よりも少し早めの到着 ではあったが、やたらに広大な駐車場にはまばらに車が留まっていた。午後三時頃には迎えに来てあげるから北口 で待っていてね、と言い残し、美野里は自分の用事を果たすために駐車場を後にした。つばめはパールピンクの 軽自動車が幹線道路に出ていく様を見送った後、コジロウに向いた。

「ねえ、コジロウ」

「所用か、つばめ」

 コジロウはモーター音と共に振り向き、つばめを見下ろしてきた。つばめは、おずおずと腕を広げる。

「期待なんかしちゃいないけど、一応聞いてみるよ。この服、どう?」

「どう、とは」

「似合っているか、とか、可愛い、とか、まあ色々とあるじゃん。そういうのってない?」

「ない」

 コジロウにばっさりと切り捨てられ、つばめは顔を逸らした。

「ま、そうなんだけどねー……」

 そもそも、感情を持たないロボットと人並みのデートをしようと思ったことからして間違いなのだ。大好きな彼と一緒 にいるだけで幸せ、というお花畑な頭の持ち主であったら、独り善がりな幸福感に浸れていたのだろうが、つばめは 生まれ育った環境も相まって年齢にそぐわないシビアさを持ち合わせている。コジロウへの淡い恋心に任せて行動に 出たが、このままごとじみたデートを切っ掛けにコジロウもつばめに好意を抱いてくれるのでは、という甘い考えは 抱いた瞬間にぶん投げた。世の中、そんなに都合良くできていないと身に染みて理解しているからだ。かといって、 コジロウを単なる荷物運びロボットに貶めるのも心が痛むので、話し掛けたり、話題を振ったりしてしまう。我ながら どっちつかずだと認識してはいるのだが、上手いこと区切りが付けられないのだ。
 開店時間を迎えてシャッターが上がっていくと、出入り口前で開店待ちをしていた客達が店内に入っていったの で、つばめもコジロウを伴って店内に入ることにした。その際、客や店員達に揃って注視された。それもそうだろう、 個人用のロボットはまだまだ珍しい時代だし、それが警官ロボットなら尚更だ。余程の要人か、護送中の容疑者で なければまず有り得ない。そのどっちだろうか、と人々が口さがなく話す声が嫌でも耳に入ってくる。けれど、相手に していては時間を無駄にしてしまうので、つばめは何も聞かなかったことにしてコジロウを呼び止めた。

「ねえ、コジロウ」

 つばめがエレベーターホール前の店内見取り図を指すと、コジロウは顔を上げ、それを見た。

「この商業施設の構造を把握、認識、記憶した」

「まずはどのお店から見に行こうかなー。やっぱり服かな?」

 つばめは一歩横に動いてコジロウとの間合いを詰め、彼の手との距離を測った。およそ三十センチ。

「備前女史が本官に提示した行動計画書にも、そのように記載されている。行動開始時刻は」

 コジロウの機械的な言葉を、つばめは遮った。

「それはお姉ちゃんの行動計画書であって、私の行動パターンじゃないでしょ? 優先順位を変更してよ」

「だが、それでは問題が発生してしまう」

「どういう問題が発生するの?」

 つばめは言い返しつつ、更に半歩横に動いて距離を縮めた。身長差のせいで、コジロウの腰の部分がつばめの 肩に来ている。なので、コジロウの手はつばめの二の腕の位置にあり、手を繋ぐと恋人同士というより親子のような 構図になってしまうが、そればかりは仕方ない。コジロウはつばめとの距離を確認し、近すぎると判断したのか自ら 一歩身を引いた。せっかく詰めた距離が遠のいてしまったので、つばめはむっとしながらも距離を詰め直す。

「つばめの命令の優先順位を第一位に変更した行動を行うには、つばめの名義で書かれた行動計画書が必須だ。 だが、本官に提示されたのは備前女史の名義である行動計画書だ。よって、齟齬が生じてしまう」

「そんなの、後でやればいいでしょ。どの店にどういうルートで行ったかってことぐらい、後で書いてあげるから」

「事後報告では了解出来ない」

「行政だなぁーもう」

 つばめはうんざりしてきたが、ここで投げ出しては何も始まらないので気を取り直した。

「とにかく、マスターの命令に従ってよ。脅すようではあるけど、コジロウが一緒に来てくれないと、私が迷子になって どうにかなるかもしれないんだからね?」

「……了解した」

 やや間を置いてから、コジロウはようやく納得してくれた。だが、つばめは少々不本意だった。自分が危険になると 脅さなければ、コジロウを動かせないのだから。まるで、他人の気を惹きたいがためにわざわざ危ないことをする 幼子のようではないか。二人の関係は対等ではなく、型に填った主従関係なのだと思い知らされる。

「じゃ、行こう」

 何気ない仕草を装ってつばめが手を差し出すが、コジロウは手を差し出してこなかった。

「その行動に意味は見受けられない。本官はつばめの背後に控えて行動すべきだ、隣り合っては危険だ」

「……馬鹿」

 それはそうかもしれないが、気持ちの問題だ。つばめは顔を背けると、コジロウは律儀に言った。

「本官の情報処理能力と記憶容量は人間の平均的な能力の百二十八倍に相当している。よって、その語彙に相当 する評価を受けるに値しない」

「あーもう、もういいっ、さっさと行くよ!」

 いちいち悩み、戸惑う自分が急に情けなくなって、つばめはコジロウの手を強引に取って歩き出した。コジロウは つばめの思い掛けない行動に面食らったのか、少しつんのめりながらも後を付いてきた。最初からこうしていれば、 余計な手間を取らずに済んだのに。コジロウに情緒的なリアクションを求めすぎていた自分を反省しつつ、つばめは 彼の冷たく角張った手を握り締めた。その手が大きすぎるので人間同士のように握り合えず、つばめはコジロウの 人差し指と中指を掴んでいるだけだった。コジロウは握り返してくる気配すらなく、それがまた空しかった。
 エレベーターやエスカレーターに乗るとコジロウの体重で停止させてしまいかねないので、階段を昇って移動した。 二階を通り越して三階に到着すると、ファッションを専門とした店がいくつも並んでいた。大型量販店直営の店には 安いだけで可愛くもなんともない服ばかりが陳列されていたが、都心部でもよく見かけるブランド店にはそれなりに 値は張るが目を惹く服が置いてあった。つばめはコジロウの手を握ったまま、ティーン向けの店を覗いてみた。

「うーん」

 店の外に出されている商品の値札を見てみると、どれもこれもおいそれと手の出せない値段だ。それがブランドと いうものであり、値が張るだけ質がいいのだから当たり前ではあるが、どれか一つ買ってしまえばお小遣いが一気に 飛んでしまう。となれば、路線を変更した方がいい、とつばめは即座に判断して身を翻した。

「次行こう、次」

「了解した」

 つばめが手を引っ張ると、コジロウは一歩遅れて付いてきた。それから、つばめはコジロウを引っ張って目に付いた 店を全て回ってみたが、手の届く値段のものは今一つ気に入らず、これは可愛いと思った服の値札を見てみると 盛大に予算オーバー、の繰り返しでショッピングにはならなかった。見て回るだけでも楽しいと言えば楽しいのだが、 やっぱり買った方がその何倍も楽しいに決まっている。
 三階のフロアをぐるぐると歩き回ること数回、つばめは買いたい服をいくつか絞り込みはしたが、これだけは絶対に 欲しい、というものを見つけ出せなかった。歩き疲れたこともあってエレベーターホール前の休憩スペースに来た つばめは、ベンチに腰を下ろした。荷物持ちとして連れ出された父親達が、所在なさそうに暇を潰している。手近な 自動販売機で買ったレモンスカッシュで喉を潤しながら、つばめは目の前に立っているコジロウを見上げた。

「ごめんね、何度も同じ場所を歩き回らせちゃって」

「問題はない」

 コジロウは首を横に振ってくれたが、つばめはなんだか申し訳なくなった。いくらロボットと言えども、同じことを 延々と繰り返しているだけでは嫌気が差すだろう。だが、ロボットはその単純作業を繰り返すために造られた機械 であるわけで、となれば嫌だと思う理由がないのでは、とも考えたが、申し訳なさは拭えなかった。

「よし、路線変更しよう」

 つばめは飲み終えたレモンスカッシュの缶をゴミ箱に入れてから、コジロウの手を取った。

「路線変更、とは」

 コジロウに聞き返され、つばめは店内見取り図を指した。

「コジロウのものを買うの! メンテナンスに必要なもの、前に買おうと思ったけど買いそびれたから」

「本官の機体は自己修復機能によって」

「それは内側のことでしょ。それに、先生もコジロウのことを世話してやれって言っていたし。ね、いいでしょ?」

 つばめが畳み掛けると、コジロウは意外にもすんなりと納得してくれた。

「一乗寺捜査員の判断に基づいた行動であれば、了解すべきだ」

「どうせ私の判断は頼りになりませんよ」

 つばめは拗ねそうになったが、コジロウを相手にケンカしても非生産的極まりないのでぐっと押さえ込んだ。そうと 決まれば行動は早い方がいい、とつばめはコジロウの手を引いて二階のフロアに下りた。ホームセンターには一歩 劣るが、多種多様な日用品が陳列されていた。ロボットの整備用品は車の整備用品と共通している、と一乗寺から 聞いていたので、つばめは迷わずそちらに向かっていった。
 だが、何が何だか解らなかった。車の整備はおろか機械をいじったことのないつばめにとっては、どの道具が何の 用途を果たすのかすら見当が付かなかった。コジロウに質問すれば何がどれだけ必要だとすぐに答えてくれるの だろうが、聞いた傍から不要だと言い切られそうで、質問する勇気が出なかった。かといって、大見得を切って来た 手前、訳が解らないから帰る、というわけにはいくまい。さてどうする。

「あの」

 不意に話し掛けられ、つばめは心底驚いた。

「えっ、あっ!?」

 すると、すかさずコジロウがつばめを背にして身構えた。コジロウの上腕越しに声の主を窺うと、そこにはつばめと 同い年であろう少女が立っていた。少しクセのある長い髪をサイドテールにしていて、大人しげな顔付きだが首から 下は流行りの服ではなく、油染みの目立つツナギの作業服を着ていた。使い込まれた軍手もベルトにねじ込まれて おり、作業服を随分と着慣れている感じがする。

「ちょっといいですか? この子、稼働してどれぐらい経ちます?」

 少女はコジロウを指してきたので、つばめは臆しながらも答えた。

「一ヶ月弱、かな」

「さっきの歩き方を見ていて気付いたんだけど、右足のダンパーが少し曲がっている気がして。あと、骨盤に当たる 部分のデフギアの潤滑油が切れかけているような……」

 少女はじっと目を凝らし、コジロウを見回してくる。単語の意味が解らず、つばめはきょとんとする。

「え? それ、何?」

「あ、余計な御世話だったらごめんなさい。でも、どうしても気になっちゃって」

 うちの会社のロボットみたいだし、と少女が気まずげに付け加えたので、つばめは目を丸めた。

「コジロウって、あなたの会社で作ったの?」

「厳密に言うと、お父さんだった人が造った会社の製品を元にして警官ロボットを量産した、というかで」

 迷惑でしたね、と少女が苦笑いして去ろうとしたので、つばめは彼女を引き留めた。

「待って!」

 つばめは少女の袖を掴み、懇願した。

「ロボットに詳しいんだったら、整備のこととか教えて下さい!」

 少女は戸惑い気味に目を丸めたが、つばめの必死さに負けたのか、その場に留まってくれた。コジロウはそんな 二人を見比べたが、話し掛けられなかったので黙っていた。コジロウを整備してやりたくても訳が解らないのだから、 訳が解っている人間に聞くのが確実だ。ちゃんと整備してやれば、コジロウは喜びはしないかもしれないが、つばめに 対する評価が変わるかもしれない。そう思ったつばめは、少女を食い入るように見つめた。
 少女はつばめよりもコジロウが気になっているのか、警官ロボットを舐めるように見回した後、つばめの申し出を 承諾してくれた。そして、小倉美月だと名乗った。つばめも名乗り返し、改めてコジロウを紹介した。
 ただの護衛ロボットではなく、家族として。





 


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