機動駐在コジロウ




塵も積もればマインドとなる



 二人と一体は、四階のフードコートに移動した。
 様々なフレーバーが売りのアイスクリームショップで二段重ねのアイスクリームを買ってから、つばめは美月と同じ テーブルを囲んだ。つばめはラムレーズンとレモンシャーベットを選び、美月はストロベリーとクッキーアンドクリーム を選び、コーンではなくカップに入れてもらった。長話になりそうなので、手で持っていては疲れると判断したからだ。 コジロウは二人の少女を見守るように、壁を背にして直立していた。通路側では往来の邪魔になるからだ。

「で、その、コジロウっていうか警官ロボットって、美月ちゃんちの会社で造っていたの?」

 同い年だと解ったのでつばめが語気を和らげると、美月もアイスクリームを突きながら同調した。

「うん、そうなんだ。でも、全部が全部ってわけじゃないの。ほら、レースカーでもよくあるじゃない、車体とエンジンが 別の会社ってのが。あれと一緒でね、警官ロボットは色んな会社に部品を発注して出来上がっているんだ。うちの 会社が造ったのは主にフレームで、ダンパーもいくつか手掛けたかな」

「おお、凄い!」

「そんなに大したことじゃないって。でも、頑丈で無駄のないフレームを造るためには他の部品との兼ね合いも上手く させる必要があったから、全部の構造を把握していなきゃいけないの。まあ、当たり前だけどね。だから、それまで 人型重機を造り上げてきた技術を応用して、小型化して、生産したの。ざっと七百体は生産したかな」

「で、コジロウもその中の一つってこと?」

「んー……」

 美月はストロベリーのアイスクリームを一さじ掬って舐め、眉根を顰めた。

「ちょっとだけ違う、かなぁ。フレームは言わば骨格だから、プロポーションを見ればどのメーカーが造ったのかって ことは大体解るんだけど、この子の場合は関節回りのセッティングの過激さに比例しない細さなんだよね。だけど、 型は間違いなくうちの会社のやつ。内部構造がそれだけ頑丈なのかな、でも外装がスレンダーだしなぁ……」

「それって、コジロウが変ってこと?」

「ああ、そういう意味じゃないの。釣り合っていない、っていうか、そんな気がして。ほら、パワーの出る車はそれに 応じた足回りをしているでしょ? タイヤも太くなるし、馬力を上げるためにエンジンも大きくなるし、そうなると車体 自体も大きくなるし。で、コジロウ君はかなり静音処理が施されてあるみたいだけど、それでもギアの噛み合う音 とかは隠し切れないじゃない。ギア自体の大きさが違うと、ギアの音も大分違うっていうか」

 美月は早口で喋りながら、ストロベリーのアイスクリームを黙々と食べていく。

「基本的には人型ロボットは五十馬力って決まってんだよねー、法律で。小型の車よりちょっと強いぐらい。でないと 重たいモノも持ち上げられないし、速く走れないから。人型重機は大きさにも寄るけど、五百馬力が基本だね。うちの レイガンドーもこの前まではそうだったし。だけど、コジロウ君のはギアの大きさからして五百馬力よりもありそうな 感じがするんだよねー。でも、そんなにどでかいパワーの馬力を出せるエンジンを積める体格じゃないじゃん?  右足のダンパーが曲がっていたのも、たぶんそのせいだね。体格とパワーが釣り合ってなさすぎだから、下手な ことをさせたら爆発しちゃうんじゃないの? ワンオフ機にしたって、こんなに過激なのは見たことないわ」

「……爆発?」

 つばめが半笑いになると、饒舌になってきた美月は頷く。

「爆発。するよ、普通に。車だってエンジンの整備不良でエンジンから発火してガソリンに引火してー、って事故は 昔から一杯あるし、人型ロボットだってエンジンを積むようなタイプが造られた当初は何体も吹っ飛んだんだから、 珍しくもなんともないよ。小型化すればするほどセッティングが難しくなるからね。水素エンジンにしたって同じだし、 人型重機も試作段階の頃はボンボン吹っ飛んだんだから。でも、それが急に落ち着いたんだよね」

「それって、三年前のこと?」

「あれ、知っているの?」

 美月は少し驚いてから、クッキーアンドクリームのアイスクリームにスプーンを差し込んだ。

「警官ロボットのフレームを受注する時にさ、警官ロボットの設計技師って人がロボット生産業界に公布したんだよ、 設計図とか色々な情報を。しかも、全ての企業に平等に。もっとも設計図はそれ以外にもあって、それで特許を 取っていたからどうってことなかったらしいんだけどね。でも、その設計図のおかげでこれまでの人型ロボットの 問題点とか行き詰まっていた点が一切合切解消されて、生産ラインに乗せられたってわけ」

「へ、へえ」

 それはたぶん、祖父のことだ。つばめがどうリアクションしたものかと迷っていると、美月はスプーンを振る。

「革新的すぎて、最初は誰もその設計図に手を付けようとしなかったんだ。それと、無名の設計技師に先を越された のが悔しくて、その道の人ほど突っぱねていたってのもある。うちのお父さんもそのクチだったけどさ、生産ラインに 乗せられなくても一応組んでみようってことで試作機を造ってみたんだけど、それがまた凄くて。金属で出来た人間 みたいに滑らかに動いてさー……。って、ああ、まあいいや、その辺の話は。本題からズレすぎだし」

 美月は身を引き、気まずげに眉を下げた。

「で、コジロウ君の整備のことなんだけど、私は口で言うほど詳しくないの。ごめんね、変に期待させちゃって。私は お父さんが仕事をしているところを後ろから見ていただけだし、さっきべらべら喋ったことだってほとんどがお父さん の受け売りなんだ。今だって、人型ロボットを組み上げるのに行き詰まって、散歩がてら道具を見に来たの」

 受け売りであろうと、つばめからしてみれば美月の知識は充分奥深かった。父親の仕事ぶりを間近で見て育って きたのが良く解る。それが素直に羨ましくて、つばめは微笑んだ。

「小倉さんって、お父さんと仲良いんだね」

「昔はね。でも、今は全然。うちの親、もうすぐ離婚するだろうし」

 寂しさと切なさを腹立たしさで内包した語気で、美月は吐き捨てた。つばめは気まずくなり、謝る。

「なんか、ごめん。会ったばかりなのに、そんなこと言わせちゃって」

「いいよ、気にしないで。誰にだって何かしらの事情はあるんだしさ。こっちこそごめんね、私が変なことを言った からその気にさせちゃって」

「そんなことないよ、私の方こそ失礼だったよね」

 つばめが苦笑すると、美月は少しばかり口角を緩める。

「ううん、全然。でも、嬉しいな。少し前にこっちに引っ越して転校してきたんだけど、まだ学校に全然馴染めないし、 結構方言がきついから言いたいことが上手く通じないしでさぁー。お母さんの実家が一ヶ谷だから、お盆とお正月に 来てはいたんだけど、遊びに来るのと住むのとじゃ大違いだから。だから、佐々木さんと色々と喋れて嬉しいって いうか、なんかスッキリしたよ。ロボットのことも一杯話せたし」

 同じ学校じゃないのが残念だな、との美月の呟きに、つばめも残念がった。

「だよねー。そればっかりはどうしようもないけどさ」

「で、ついでだから聞くけど、コジロウ君の人工知能ってどのぐらい育っているの?」

 明るい態度に切り替えた美月に問われ、つばめは少し考えてから答えた。

「三年前から稼働しているらしいけど、詳しいことはよく知らないんだ。でも、出来上がっているのは確かだよ」

「うちにはね、レイガンドーってロボットがいるんだ。レイはね、私より年上なの。元々は人型重機を試験稼働させる ために作った人工知能で、スクリプトも単純だったんだけど、毎日毎日話し掛けて色んなことを経験させていったら、 すっかり人間っぽくなったんだ。今でこそ落ちぶれちゃったけど、本当に立派なの、レイは。だから、今度は私の手で レイを生かしてやるんだ。さすがに人型重機を一から組むのは無理だから、ジャンク品を掻き集めて新しいボディを 造ってやっているの。完成するのはまだまだ先になるだろうけど、出来上がったら見てほしいな」

「誰に?」

 つばめの問いに、美月は口を開きかけたが閉じた。お父さんに、とでも言おうとしたのだろう。どんな事情があって 両親が離婚することになったのかは計りかねるが、美月が寂しいのは間違いなさそうだ。付き合いの長いロボットに 執心することで気を紛らわしてはいるが、振り切れているわけではないのだ。つばめは一度コジロウに振り返ったが、 コジロウはつばめに無機質な目線を注いでいるだけだった。許可を求めるとまた面倒なことになりそうなので、つばめは 完全な独断で話を切り出した。

「ねえ、小倉さん。良かったらでいいんだけど、友達になってくれないかな。私もこの辺に引っ越してきたばかりで、 友達なんて一人もいないんだ。コジロウは友達じゃないし、その、なんていうか、盾だから」

「いいよ! 私の方こそ、佐々木さんとはもっと話したいなって思っていたし。じゃ、アド交換しよっか」

 作業服のポケットを探って携帯電話を取り出した美月に、つばめは気後れしつつ言った。

「あ、ごめん。私、携帯持ってないんだ」

「うわ、めっずらしー。でもまあ、そういう人もいるか。んじゃ、超アナログだけど」

 美月は携帯電話からホログラフィーを投影し、自分のアドレスを見つつ、胸ポケットからサインペンを抜いて手元の 紙ナプキンに電話番号とメールアドレスを書き込んだ。それを折り畳み、つばめに差し出してくる。

「時間がある時でいいから、連絡してね」

「うん。絶対」

 紙ナプキンを受け取ったつばめが快諾すると、美月はホログラフィーの時刻表示を見、腰を浮かせた。

「あー、もうこんな時間。そろそろ家に戻って田んぼの手伝いもしないといけないんだった。じゃ、またね!」

 食べかけのアイスクリームが入ったカップを大事そうに両手で持ち、美月はフードコートを去っていった。つばめは 美月の背に手を振っていたが、その姿が雑踏に消えたのを確認してから怖々とコジロウを見上げた。彼はつばめ の無計画な行動を咎めてくるかと思ったが、何も言わなかった。ほっとしたつばめは、溶けかけのアイスクリームを 手早く食べ終えてしまうと、立ち上がった。

「小倉さんとはいい友達になれるといいな。コジロウもそう思わない?」

「本官は個人的な交友関係には立ち入る権限を持ち合わせていない、よってその質問には答えられない」

「小倉さんのロボットが出来上がったら、見せてもらおうよ! レイガンドーにも会ってみたいな」

「未成年が違法改造を施した人型ロボットを無許可で所有するべきではない」

「ああいうのって車と一緒で、私有地ならOKなんじゃないの? だから、家の外に出さなきゃいいんじゃない?」

 つばめが指摘すると、コジロウは若干の間の後に返した。

「その条件であれば、条令には違反していない」

「となれば、小倉さんちに行くことが決定したね。まあ、あっちにも都合があるだろうから、行けたらでいいんだけど。 友達に家に行くなんて初めてだなぁ、うわー、考えただけでドキドキする」

 つばめがちょっとはしゃぐと、コジロウが訝しげに聞き返してきた。

「初めて? つばめのような年代の青少年は、クラスメイトと密接な交友関係を持つものではないのか?」

「普通ならね。でもほら、私って生まれも育ちも普通とは言い難いでしょ? だから、特別仲良しの友達なんて作った ことなかったんだ。だから嬉しいな、本当に」

「つばめが嬉しいのであれば、本官はこの件に関しては言及しない」

「へ?」

 コジロウらしからぬ語彙につばめが目を丸めると、コジロウは心持ち目線を逸らした。ような気がした。

「情緒的な判断が求められる事態に対しては、本官は対処が出来ない。よって、小倉美月との交友関係については つばめに一任する。前マスターの設定と過去の事例を顧みた判断に基づき、本官はそう判断し、決定する」

「うん、ありがとう」

 気を遣ってくれたのだ、と理解したつばめが明るく笑うと、コジロウは更に目を逸らした。ような気がした。

「感謝を述べられる理由が見受けられない」

 その決まり切った答えがありがたいようでいて、少しばかり寂しかった。つばめが誰と仲良くなろうと咎めないのは とても嬉しいし、安堵するのだが、常に隣にいてくれて身を挺して戦ってくれているコジロウを突き放してしまうような 気がした。コジロウには感情はないのだから、それが寂しいと感じるはずもないのに。つばめが勝手に彼の心中を 想像して、自分に都合の良い答えを出しているだけなのに。

「買い物、ってほど買い物はしていないけど、付き合ってくれた御礼にコジロウのものを先に買おうか」

「本官には私物など不要だ」

「ステッカーとかどうかな。あんまり目立つのだと格好悪いけど、小さいのを貼るだけなら邪魔にもならないし」

 コジロウが二の句を継ぐ前に、つばめはコジロウの手を引いて歩き出した。

「じゃ、また二階に行こうか!」

 そう言ってつばめは階段を下りていこうとしたが、ふと違和感を覚えた。先程食べたアイスクリームのせいなのか、 トイレに行きたくなった。幸いなことに踊り場に隣り合った場所にトイレがあったので、つばめはコジロウにその場で 待機しているように命じてから女子トイレに入った。手早く事を済ませて出てくると、男子トイレから出てきた二人の 男と鉢合わせした。片方は見覚えがある、人間体の藤原伊織だ。

「んなっ!?」

 不意打ちだったため、つばめは声を裏返して後退った。いくつものアパレルショップの紙袋を下げている伊織は、 物凄く面倒臭そうな顔でつばめを睨み付けてきた。伊織にやる気がないのはいつものことではあるが、色々な意味 で無防備なつばめと合わせても襲い掛かろうとしてこない辺り、余程何かにうんざりしているのだろう。

「あれまあ」

 伊織を押し退けて顔を出したのは、吊り上がった目と尖った顎が爬虫類じみた印象をもたらす青年だった。青年は つばめのことを知っているのか、獲物を値踏みするように見回してくる。つばめは更に後退り、女子トイレに入る。 だが、青年は事も無げに女子トイレに踏み込んできた。そればかりか、つばめのツインテールの片方を掴んだ。

「痛っ!」

 足が浮き上がるほどの腕力で髪を引っ張られ、つばめは悲鳴を上げる。青年は華奢な体格ながらも恐るべき力 で、つばめを壁に押し付けてきた。ぬめついた双眸を見開き、薄い唇を弓形に広げていく。

「この僕を忘れたとは言わせないからな、この僕を、だ」

「まさか、あのヘビ男……?」

 その変な言い回しをする人間は、いや、怪人は二人といない。髪が引き抜かれそうな痛みで涙目になりながらも、 つばめが答えると、ヘビ男は満足げに頷いた。

「そう、その僕さ。多少計画の手順は前後するけど、この僕が大いに実績を上げるっていう事実は何も変わらない。 そうだねぇ、このまま頭皮ごとざっくり髪を切ってしまうのもいいけど、それじゃ血が無駄になる。皮膚を傷付けずに 頭蓋骨だけ割って脳挫傷でも脳内出血でも起こしてしまえば、暴れないから運ぶのが楽だね。うん、そうしよっか」

 ねえクソお坊っちゃん、とヘビ男が伊織に同意を求めて振り返ったが、伊織は口で答える代わりに行動で示した。 スニーカーを履いた長い足を大きく振ってヘビ男の側頭部を薙ぎ払い、壁に叩き付けた。ひぎっ、との短い悲鳴が 目の前で聞こえた後、つばめの頭皮には小さくも鋭い痛みが連続して訪れた。傷む箇所を押さえながら、つばめが ヘビ男を窺うと、ヘビ男の左手にはつばめの髪が数十本握り締められていた。蹴られた際の勢いで、髪が一気に 引き抜かれてしまったのだ。

「ウゼェんだよ、クソが。てめぇには飽きた」

 伊織は壁際に詰め寄ると、真新しいがやたらと派手な服を着ているヘビ男の胸を蹴り付けた。躊躇いもなければ 手加減もない、純然たる暴力だった。ヘビ男は盛大に咳き込んでから、涙の滲んだ目で伊織を見上げる。

「あー……ちょっとは痛い、かもねぇ。でも、こんなのは全然効くわけがぁっ!?」

 ヘビ男の言葉を遮るように、伊織はその頬を靴の側面で打ち付けた。ヘビ男の頭部が、吹き飛びかねない勢いで 逸れて壁に激突する。その後も、伊織は不機嫌極まりない顔でヘビ男を蹴り続けていた。伊織の靴底はヘビ男の 返り血が染み付き、肉と骨が殴られる生々しい音が繰り返される。心中が冷えていく光景だった。ヘビ男もつばめに 対して危害を加える輩ではあるが、それが痛め付けられていても晴れやかな気持ちにはならなかった。それどころか、 今までの襲撃ではあまり感じなかった畏怖が手足を竦ませてきた。壁沿いに後退り、伊織から距離を取っていくだけで 精一杯だった。走って逃げるなんて、無理だった。

「おい、佐々木のメスガキ」

 痣と出血にまみれたヘビ男の襟首を掴んだ伊織に呼び止められ、つばめは硬直した。

「あ、うっ」

「俺がてめぇを助けるわけねぇだろ。このヘビ野郎に飽き飽きしたってだけだ。そこんとこを勘違いしやがったら、その 首を刎ね飛ばしてやる。ついでに、お嬢には言うなよ。始末書とか書かされるに違いねぇからな」

「ん、うん」

 まともに声すら出せず、つばめは頷くだけで限界だった。行けよ、と伊織に顎で示された途端に手足に力が戻り、 つばめは転げ出るように女子トイレから飛び出した。律儀に待っていてくれたコジロウに駆け寄ると、つばめはその 手を握って二階に下りた。だが、ヘビ男に一方的に暴力をぶつける伊織の姿が忘れられず、恐怖も消えず、ベンチに 座り込んでしまった。楽しいデートになるはずだったのに、美月とも出会えて嬉しかったのに、あの二人さえこの店に 来ていなかったら、楽しくて嬉しい気持ちのままで一日が終わるはずだったのに。
 髪が千切られた箇所を押さえて、つばめは唇を噛んだ。コジロウはつばめを見つめてきたが、その真摯な視線が 耐えきれずに顔を逸らした。伊織とヘビ男の所在を伝えれば、コジロウはすぐさま飛んでいって二人を叩きのめす だろうが、原則的に対人戦闘が許可されていないコジロウは怪人体ではない伊織達とは戦えないだろうし、何よりも コジロウに伊織と同じことをさせるのが嫌だった。彼の戦いは伊織とは違うと頭では解っているが、心が拒絶した。

「負傷したのか、つばめ」

 コジロウが片膝を付いて目線を合わせてきたので、つばめは笑顔を作って取り繕った。

「うん。さっき、トイレの中でちょっとぶつけちゃったの。でも、なんでもないから、気にしないで」

「そうか」

「そうなの、ほら行くよ! お姉ちゃんが迎えに来てくれるまでの間に、やりたいこと、全部やらないとね」

 空元気を出し、つばめは立ち上がってコジロウと手を繋いだ。冷たく太い指を握り締めると、痛みは紛れずとも、 体が竦むほどの恐怖は多少紛れた。楽しいことだけ、嬉しいことだけ、考えていればいい。
 それからつばめは、一日中笑っていた。これまでもそうしてきたのだから、これからもそうしていけばいい。他人と 違う人生に生まれ付いたのだから、どんな目に遭っても自力で踏ん張れるようにならなくては。カー用品売り場にて コジロウに似合いそうな図柄のステッカーを選び、買ってやった。出し惜しみしていたお小遣いを使い、これは素敵 だと思った服も買った。派手すぎず地味すぎないデザインのヘアアクセサリーも買った。その度にコジロウに意見を 求め、答えを求め、言葉を求めた。コジロウに心が生まれることを期待してはいけない。けれど、コジロウがつばめの 心の内を理解してくれたら、こんなにも嬉しいことはない。だから、小さなことを少しずつ積み重ねていこう。
 コジロウを、ただの道具に貶めたくないからだ。




 無事に帰宅し、夕食も終え、風呂にも入り、後は寝るだけという頃合いになった。
 ヘビ男の手で髪を引き千切られた部分の痛みを気にしつつ、つばめは洗った髪をタオルで拭っていると、神経質に 尖った美野里の声が聞こえてきた。物件探しが上手くいかなかったのか、それとも一ヶ谷市で個人事務所を開くことを 両親に咎められたのだろうか、と気になったつばめは、足音を殺して音源に近付いていった。
 半開きになったふすまの奥で、居間でコジロウが正座していた。その前に仁王立ちしている美野里は、いつになく いきり立っていた。その声色には、ストレートな怒りが漲っていた。

「どうしてちゃんとあの子を守ってやれないのよ、あなたが目を離した隙にどんな目に遭ったか解っているの!?」

 自分まで怒られているような感覚に襲われ、つばめは暖まっていた体が一気に冷え込んだ。美野里はコジロウが 反論しないと知ると、ますます声のトーンを高ぶらせる。

「ジャスカの警備員を経由して一乗寺先生のところに報告があったんですってね、あの伊織って奴とヘビ怪人の男が 女子トイレで派手にケンカしていたって。二人が出てくる前に、つばめちゃんが逃げ出してきたのが防犯カメラに 映っていたそうよ。目立ったケガはしていないけど、絡まれたのは間違いないわ。さすがにトイレの中にまで付いて いけとは言わないけど、下手をすれば全部台無しになるところだったのよ? どこの企業にしても、つばめちゃんが あいつらの手に落ちたら取り返しが付かないのよ! それと、あの小倉美月って子にしてもそうよ!」

 美野里はコジロウの目の前に、携帯電話から投影したホログラフィーを突き付ける。そこには、吉岡りんねと同じ 制服を着て同じ集合写真に写っている美月が映し出されていた。

「吉岡りんねのクラスメイトだったってことは、コジロウ君が知らないはずないでしょ!? 政府から情報が流れてくる んだから! なのに、なんで友達になることなんか許したりするのよ! どうせ騙すつもりで近付いてきたに決まって いるわよ、まともな友達になれるはずがないじゃないの、上っ面だけ調子を合わせてきてお金を毟り取っていくのが オチよ、そんなことになるぐらいだったら最初から会わせないようにして! それぐらい出来るでしょ、ねえ!?」

 美野里の痛烈な罵倒とその中身に打ちのめされ、つばめは畳に座り込んだ。コジロウを庇ってやりたい気持ちでは あったが、美月がりんねとクラスメイトだったと知った衝撃の方が大きかった。結局、そういうことなのか、と。

「いいこと、コジロウ君。人を守るっていうのはね、物理的に守るだけじゃダメなのよ。これ以上辛い目に遭わせない ために手を回しておくのも、守ることなのよ。その出来のいい人工知能で、きっちり考えておくことね」

 美野里は息を切らせていたが、叩き付けるように言い捨てて身を翻した。つばめが座り込んでいる部屋とは違う 部屋に繋がるふすまを開けた美野里は、大股に歩いて自室に戻っていった。つばめは立ち上がることすら出来ず、 膝を抱えて俯いた。ふすまの隙間からコジロウを横目に窺うと、コジロウはコジロウなりに考え込んでいるのか正座 を崩さずに座り続けていた。美野里から立ち上がるなと命じられたからかもしれないが、痛ましかった。
 今日の出来事に、コジロウには不備はない。美月と友達になりたかったのはつばめの意志だし、伊織とヘビ男と 鉢合わせしたのはただの偶然だ。美野里はつばめが心配でたまらないのだろうが、あそこまできつく言うことはない だろうに。守られているのは解っている、大事にされているのも解っている、けれど。
 積み重ねようとした傍から、蹴散らされてしまった。





 


12 5/22