機動駐在コジロウ




ドールの衣を借る狐



 体が重たい。
 フリルとレースがふんだんにあしらわれた袖口から出た手は小さく、少女のそれだった。爪は桜貝のように薄く、 手首は小枝のように華奢で、丸いつま先のエナメルパンプスに守られた足は頼りない。パニエとドロワーズで大きく 膨らんだスカートがビル風に煽られ、趣味の悪い縦ロールの金髪を掻き乱していった。
 美作の趣味が溢れんばかりに詰め込まれた戦闘用のボディは、見た目に反した重量がしっくり来なかった。道子 はゴシックロリータ調のドレスに似合わない短機関銃、S&W M26の銃床を起こして脇に挟み、赤と青のオッドアイ に作られている両目を凝らして都心を見渡した。ビスクドールそのものの血の気のない肌の色に煌びやかな金髪の 縦ロールが気色悪くてたまらないが、今現在、最も高性能でありながら最も小型な戦闘サイボーグはこのボディしか ないのだから、我慢して使う他はない。見た目は百五十センチ足らずの少女だが、透き通りそうなほど薄っぺらい 人工外皮の下には特殊合金の積層装甲が装備され、機動力は軍用サイボーグにも劣らず、腕力もそれ相応に強く 設計されている。だが、その分、バッテリーの消耗が激しいので長時間の稼働が難しいのがネックだ。外付けの バッテリーを併用すれば稼働時間は延びるが、ランドセルよりも大きいバッテリーを背負って戦うのは面倒臭いので、 結局は電力の消耗を気にしながら戦う羽目になる。機体の外見よりも内部性能を改善してほしいものだ。

「全くもう」

 道子は一度瞬きしてから、意味もなく両手を蠢かせた。いつもの機体とは手足の長さが違うので、その感覚を脳に 馴染ませなければ動きづらくて仕方ない。戦闘用もいつもの機体と同じ寸法で作ってくれ、と何度頼んでも、美作は 聞き入れてくれた試しがない。その微妙な感覚の違いのせいで、仕事を失敗しそうになったことは一度や二度では ないのだが。だが、一度引き返して機体を換装していては時間を無駄にするばかりか、目的を見失う。

「状況の整理から始めましょっかーん」

 道子は軽く跳躍して、金融会社の屋上のアンテナタワーに飛び移った。左手の人工外皮の隙間から露出している 特殊合金をアンテナに添えて軽く電流を放ち、金融会社のメインコンピューターとサーバーを盾にして偽装した後、 都内の交通網と連絡網のハッキングを開始した。足が着かないように幾重にもフィルターを重ねながら、交差点の 信号を乗っ取り、至るところに設置されている監視カメラから映像を取得し、街を行き交う人々の携帯電話とその サーバーを占領してメーラーからSNSから通話までもを掌握してから、無数のサイボーグ達は補助AIのアップデート 用サーバーを経由して一瞬で乗っ取れるように手筈を整えておく。

「あ……気持ちいぃー……」

 滞りなく全ての作業が終わり、道子はその快適さに身震いすらした。これまでは、銀色の針、アマラの力を持って してもここまでの成果は上がらなかった。ハッキングする準備だけで小一時間が掛かり、余計な手間と時間を喰って ばかりだった。だが、佐々木つばめの生体組織を体液に入れたことで、アマラの性能が際限なく引き出されるように なった。おかげで細かなセキュリティを突破する面倒もなく、アクセス元の偽装も呆気なく終わっていく。

「と、そんな場合じゃない」

 道子は気を取り直してから、集中した。有象無象の情報を分析して、目当てのものを探り当てていく。今回、道子が 襲撃する対象は、佐々木つばめのボディガードである警官ロボット、コジロウだ。整備を終えて整備工場から搬出 された頃合いを見計らって奇襲を仕掛ける。目的は二つ、コジロウの破壊と奪取にある。全くの畑違いではあるが、 恐るべき性能を持つコジロウの構造を分析すれば、ハルノネットの今後のサイボーグ開発に役立つかもしれない。 こういった事態に備えて輸送中のコジロウは機能停止されていない可能性もあるが、マスターであるつばめが傍に いないのであれば、コジロウの性能は半分も引き出されない。対人戦闘の許可すら出せないばかりか、自己防衛 行動しか取れないとみていい。もちろん、政府側が手を回して護衛しているだろうが、そこは頭の使いどころだ。

「今日はぁーん、交通事故が何件起きるでしょうかねぇーん」

 輸送車の足を止める方法は簡単だ、目の前に人間か一般車両を放り出してやればいい。直接手を下して他人を 殺すのは気が引けるが、間接的に殺すのであれば心は痛まない。それどころか、面白いとすら思っている。機械の 体の内側に押し込められているのは人間性や欲求だけではない、快楽もだ。だから、道子にしか許されない娯楽を 思う存分楽しむのは、当然の権利ではないか。
 電力、ガス、上下水道の使用量から判断して、現在都内で稼働しているロボットの整備工場は千五百十二箇所。 そのうち、政府と契約している整備工場は三百五十二箇所。政府の輸送車両が出入りした痕跡があったのはその うちの五十八箇所だが、それを鵜呑みにするのは馬鹿のやることだ。コジロウを整備点検するための工場は、全く 別の工場に偽装している可能性が高い。ロボットに限定せず、整備工場の帳簿を調べる。資金の出入りを調べる。 その中で脱税をしている工場もいくつか発見したが、税務署へと帳簿のデータを放り投げてから作業を続行する。 資金繰りも見えないのに稼働している上、金曜日の夜に輸送車両が出入りしている工場を特定し、更に輸送車両の 運転手の顔と政府関係者の顔を照合させる。それは、警察の捜査員と一致した。

「見ぃつけた」

 道子はにんまりと目を細めると、その工場の位置を見定めた。ウェブ上の地図には、その工場と全く同じデータの 地図情報がいくつも散らばっていて、誤魔化しているつもりなのだろうが、誤魔化されたところで全ての工場を侵略 してしまえばいいだけのことだ。都市ガスの供給量を上げ、上下水道の水圧を上げ、電圧を上げ、通りすがりの車を ハッキングしてハンドルを切らせて突っ込ませる。そうすれば、おのずと炙り出せる。
 一分も経たずに、実際の視界の隅に黒煙が渦巻いた。ガスが充満した整備工場に暴走した乗用車が突っ込んだ ことで火災が発生したのだ。監視衛星の映像を通じ、半壊した整備工場からトレーラーが発進したことを確認した。 その台数は五台で、いずれも違う道を辿っている。だが、全てのトレーラーを調べて回る必要はない。

「あ、ほいっと」

 道子は片目を閉じて監視カメラの映像を捉えながら、一台目のトレーラーの目の前に一般人を転がした。大した 仕掛けはしていない、携帯電話の電圧を変えて痺れさせてやっただけだ。今し方まで下らない話をしていた若い男 がトレーラーの前に投げ出されると、赤黒い肉片に変わり果てて汚い筋が長く引き摺られ、通行人が悲鳴を上げる。 すると、一台目のトレーラーから警官ロボットが飛び出してきて、すぐさま交通整理を始めた。

「なんだぁ、外れだ」

 ナンバリングと固体識別信号ですぐに解った、これは普通の警官ロボットだ。そんなものに用はない。道子はすぐ に二台目のトレーラーに意識を向けると、交差点に差し掛かったタイミングに合わせてバイクを突っ込ませた。運転 していたのは中年の男だったが、眼病で損なった視力を補うために眼球だけをサイボーグ化していたので、視界 を塞ぐだけでよかった。バイクごと弾き飛ばされた中年の男はガードレールに激突し、半身が金属板に削ぎ落とされ、 辺りに血と臓物と撒き散らしながら絶命した。二台目のトレーラーから出てきた警官ロボットもまた、ナンバリングが 施されていて固体識別信号を放っていた。これもまた外れだ。

「じゃ、次」

 三台目のトレーラーに気を向けた道子は、人身事故ばかりでは面白くない、と思い、トレーラーが渡ろうとしている 私鉄の踏み切りをハッキングして固定させた。トレーラーのコンテナが踏み切りの中程に来たタイミングで、警笛を 鳴らしながら接近してきた電車を加速させる。同じく踏み切りを渡ろうとしていた軽自動車をアルミ缶のように潰した 後、電車はくの字に折れ曲がって線路からはみ出した。コンテナから零れ落ちたのは肉塊と化した政府関係者と、 一瞬前まで新品だった警官ロボットだったが、こちらもまた踏み潰されたプラモデルのように壊れていた。コジロウ はそれほど脆弱ではないので、これも外れだ。

「んー、じゃ、次かその次か」

 道子は事故現場を見つめている監視カメラから意識を引き戻し、四台目と五台目のトレーラーに向けた。四台目の トレーラーは暗号回線を使った無線機で警察と連絡を取り合いながら関越道に乗ったが、五台目のトレーラーは 国道沿いのルートを選んでいる。高速道路に入ったことで加速しつつある四台目を追い詰めるのも、国道の渋滞に 引っ掛かっている五台目を適当な事故に遭わせるのも、難しいことではないのだが、すぐに終わらせては退屈だ。 いっそのこと、直に叩き潰してやるのもいいかもしれない。
 これもまた、人形遊びの範疇だ。




 生きた心地がしなかった。
 トレーラーのコンテナに身を潜めながら、周防は詰めていた呼吸をそっと緩めた。背中で庇っていた小夜子もまた 身を固くしていて、タバコのフィルターをきつく噛み締めている。彼女の弱い吐息が聞こえた頃合いに、周防の耳に 差し込まれているイヤホンから報告が入った。積み荷と行き先を偽装したトレーラーの乗員の死傷者数と、一般人の 死傷者数だった。合算して三十人以上が被害に遭い、その半数が死んでいる。遠慮もなければ躊躇もない。

「……これが全部、設楽道子っつーサイボーグ女の仕業だってのかよ?」

 小夜子は汗ばんだ手を作業着のズボンで拭ってから、キーボードを叩き始めた。

「そうだ。どれだけセキュリティを強くしようが全然効かないんだよ、あいつにだけは。コジロウの整備をしろと命令が 来た時から、人的被害が出ることは予想出来ていたが、遠慮がなさすぎやしないか。これじゃ、俺達がいくら対策を 立てようとも無駄じゃないか。どいつもこいつも、人の命を何だと思っているんだ」

 まるで魔女だ、と周防が吐き捨てると、小夜子は口角を上げて湿ったフィルターを曲げた。

「でも、その魔女っ子も氷山の一角なんだろ? うひょー、たっまんねー!」

「イチみたいなことを言うな、寒気がする」

「で、そのイチは佐々木の小娘に被害が出るかもしれねーってこと言ったのか? んなわけねーか」

「イチは俺達とは根っこから違うからな。あいつに良心を期待する方が馬鹿だ」

「だよなー。イチは何人殺しても罪に問われないから政府側にいるってだけで、それがダメになっちまったらすぐに 寝返っちまうだろうしなー。ま、宇宙人だし?」

「だが、宇宙人じゃなきゃ使い物にならないのも事実だ。設楽道子にしたって、常人じゃまず相手に出来ん」

 周防がぼやくと、小夜子は指の動きを止めずに言い返す。目まぐるしく、設定と調整を繰り返していく。

「だから、コジロウが完全に独立してんだよなー。ちょっとでも何かの回線に接続しちまうと、すぐにサイボーグ女が すっ飛んできてハッキングしちまうからなー。他の機体と同調出来ないってのは警官ロボットにとっちゃネックだが、 そうでもしねぇと即アウトだしな。下手すると、充電するだけでアウトなんじゃねーの?」

「そりゃないだろう、さすがに」

「有り得ないことが出来るのが遺産だって身に染みているだろ、スーちゃんも」

 小夜子は目を上げ、車体の揺れに合わせて上下するコジロウを見やった。小夜子の膝の上にあるノートパソコン を始めとした様々な機械に太いケーブルで接続されており、ビンディングで固定された手足には力が入っていない。 白バイのタンクを思わせる形状の胸部装甲が開かれ、無限のエネルギーを生み出す動力部が露出していた。心臓の 大動脈を思わせる二本のケーブルが突き刺さっているのは、奇妙に捻れた球体の金属だった。さながらメビウス リングの穴を埋めたかのような外観だが、その正体と構造は誰にも解らない。ただ一つ解っていることは、この金属 を目覚めさせて底なしのエネルギーを発生させる権限を持っているのが、佐々木つばめだということだ。

「ひっでぇ」

 小夜子の掠れた呟きに、周防は拳銃を握り直す。

「ああ、ろくでもないことばかりだよ、この仕事に就いてからは。コジロウの調整が終わり次第、柳田は元の部署に 帰れるからまだいいじゃないか。俺は当分、自分の家にも帰れそうにない」

「そうじゃねぇよ、あたしの設計がだよ」

 小夜子はジーンズの尻ポケットからライターを出してタバコに火を付けようとするが、周防に奪われ、舌打ちした。

「コジロウの元の設計図を完全に再現出来たのはな、悔しいかな、小倉重機の社長だけだったんだよ。あたしじゃ 全然再現出来てねぇ、それどころか余計なものだらけにしちまっている。この無限動力炉の底なしの出力に負けない ように、壊れないように、ってやるからいけないんだって解っちゃいるんだがなぁ、インスピレーションが足りないん だよ。だから、ちゃちな設計でちゃちな改造しか出来ないんだ」

「俺にはそうは見えんがな。よく出来ているじゃないか」

「そりゃそうだろ、スーちゃんに技術屋の苦悩なんて解らんのさ」

 小夜子は吸えず終いだったタバコを手のひらの中で押し潰し、ポケットにねじ込んだ。

「あたしらが造りたいのはあれさ、人間だよ。サイボーグは人間じゃない、人形なんだ。見かけがいいけど、その分 色んな部分が脆弱に出来ている。マネキンは元々動き回るように出来ていないし、フィギュアは働くように出来ては いないし、プラモデルに至っては中身がない。サイボーグはそれさ、人間の脳みそを乗っけただけの可愛い可愛い お人形さん。人間の真似事をするためだけに出来ているから、実用性が皆無。だが、ロボットは違う。ロボットてぇ のはな、人間を突き詰めた末に出来上がる、新たな人類の形なんだよ」

「話が一足飛びどころじゃないんだが」

「いいから聞けよ。退屈凌ぎにさ」

「いや、今は緊急事態であって戦闘状況中であってだな」

「いいか、足一本取っても人間工学の極みなんだよ。股関節の動かし方にしてもだな、骨盤に填っている大腿骨が どういう筋肉でくっついているか、その筋肉がどういった具合に動くか、その筋肉の動きによって他の部位にどんな 動きが加わるか、調べ上げる必要があるんだよ。だから、優れたロボットは人間の子孫なんだよ」

「そりゃあ、まあな」

「サイボーグなんてものはな、所詮は松葉杖と同じなんだよ。人間の進歩でもなんでもねぇ、ちょっと道具の出来が 良くなったってだけだ。だがロボットは違う、人間の良き隣人であり、友人であり、同胞であるべきなんだよ!」

 喋りながらも淀みなくキーボードを叩き、小夜子は次第に身を乗り出していく。

「ぶっちゃけ、あたしは遺産とかそういうのはどーだっていい。関係ない。関わりたくねぇ。けど、こいつだけは別だ、 徹底的に可愛がってやりたいんだよ。で、いつか、あたしが完璧に組み上げてやるんだよ!」

「イチの報告によれば、コジロウは佐々木の孫娘にえらく可愛がられているそうじゃないか。そういうのは、そっちに 任せておいてやったらどうなんだ?」

「えぇー? こんなに雑な扱いをしているくせに、可愛がっているってぇのか? 有っり得ねぇー!」

「雑な扱いにならざるを得ないんだろうが。何せ、敵がアレなんだ」

 小夜子のお喋りに辟易してきた周防は、これ以上言葉を返すまいと口を閉ざした。小夜子はまだ何か言いたげでは あったが、唇をひん曲げて調整作業に戻った。試験目的の再起動の準備に取り掛かって間もなく、トレーラーが 急ブレーキを掛けた。すかさず周防は小夜子を庇って、慣性の法則に従って降ってきた部品と工具の雨から守って から、無線機を通じてドライバーに状況報告をしろと怒鳴った。だが、返事はなかった。
 周防はコンテナ内に控えていた戦闘員に指示を送ると、重武装した戦闘員は頷き、コンテナのドアを開けた。が、 ドアを開けた隙間から銃口が差し込まれて至近距離で発砲され、戦闘員の頭部は呆気なく弾けた。痙攣する死体を 無造作に引き摺り出して放り投げた手は細く、華やかな黒い衣装に包まれていた。血飛沫で汚れた開いたドアの先に 立っていたのは、柔らかな笑顔を顔に貼り付けた、生きたビスクドールだった。
 笑顔のまま、人形は発砲した。





 


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