マズルフラッシュが瞬き、弾丸が一息に放たれる。 本能的に体の軸をずらして射線上から逸れた周防はすかさず拳銃を向け、少女型のサイボーグに躊躇なく発砲 する。笑顔を保っていた人形じみた少女の額に鉛玉が命中するが、頭部パーツが砕けるどころか跳弾した。白磁の 陶器を思わせる透明感を持った肌に焼け焦げた小さな穴が空き、人工毛髪の金髪が焼き切れて散らばる。その傷口 から垣間見えたのは銀色の真皮で、焦げ跡と弾痕は残っていたが抉れてもいなかった。 「見た目は着せ替え人形でも、中身は超合金か」 周防が思わず独り言を漏らすと、少女型サイボーグはエナメルのローファーで血飛沫に汚れた地面を蹴って身軽 に跳躍し、コンテナ内に飛び移ってきた。途端にコンテナが大きく軋み、後輪が潰れる。特殊合金を使用した弊害で、 小柄な体格のわりに自重が恐ろしく重たくなっているようだった。 「あらまぁーん」 少女型サイボーグはにこにこしながら、周防に近付いてくる。周防は息を詰め、照準を上げる。 「設楽道子だな? なぜ、コジロウを輸送しているトレーラーが判別出来た、それだけは教えてもらおうか」 「そんなのぉーん、原始的な話ですぅーん」 少女型サイボーグの姿をしている道子は、小さな手に似合わない短機関銃を弄ぶ。 「この五台目のトレーラーはぁーん、外部とは一切連絡を取っていなかったからですぅーん。外部からの連絡は受信 しても送信したことは一度もありませんでしたぁーん。回りがどうなろうと構わずに突き進め、っていう命令が上から 下されていたってことですよねぇーん? 全部のトレーラーの乗員と重量をぴったり合わせてあったみたいですけど ぉーん、今時、そんな小細工は通用しませんよぉーん? 私には無数の目があって、手があって、足があるんです からぁーん。うふふーん」 道子が小首を傾げると同時に、頭部を吹き飛ばされた戦闘員が起き上がる。割れた頭蓋骨の隙間から、どろりと 崩れた脳が垂れ落ち、零れた眼球がぶらぶらと揺れている。 「電子制御式のパワードスーツなんか着せておくからぁーん、こういうことになるんですぅーん。防弾ジャケットだけに しておけばぁーん、こんなことにはならなかったんですけどねぇーん?」 えい、と道子が人差し指を上げると、死んだ戦闘員は上体を捻って加速を付けた後に猛烈な打撃を放ってきた。 その一撃でコジロウを支えている固定器具のフレームが破損したが、死んだ戦闘員の背骨と肋骨も割れ、アンダー スーツの破れ目から生臭い粘液混じりの血が流れ出してきた。パワードスーツの使用者を守るために掛かっている セーフティを解除し、人体が壊れるほどのフルパワーを出させたのだろう。えげつないことをする。 「どうにかなんないのかよ、おいスーちゃん! あたしは非戦闘員だぞ!?」 コンテナの隅に身を隠した小夜子はノートパソコンを胸に抱え、青ざめつつも怒鳴ってきた。 「どうにかって……」 そんな方法があれば、教えてほしいぐらいだ。周防は焦りを感じていたが、必死に頭を巡らせた。道子の使用して いるサイボーグボディのスペックは未知数だ。大方、ハルノネットが完成させたばかりの最新型の試運転を兼ねて 実戦投入してきたのだろうが、最新型ではウィークポイントすら見つけ出せない。周防の装備も対人戦闘用が基本 であり、戦闘サイボーグに通じるような拳銃は持っていない。かといって、コジロウを強引に起動させては敵の思う 壺だ。佐々木つばめの管理者権限を使用した再起動でなければ、確実に隙が生まれてしまう。相手は電脳の海に 張り巡らされた電子の糸を絡め取る女郎蜘蛛だ、かすかな綻びであろうとも見逃さず、食らい付いてくる。 歪んだ固定器具に吊り下げられているコジロウは力なく傾き、開いたままの外装から、無防備にケーブルが数本 零れていた。道子は役割を果たした死んだ戦闘員を車外に蹴り落としてから、コジロウに近付いていき、彼のメイン コンピューターに接続されているケーブルに白い手を差し伸べた。 「あらぁーん、何ですかぁーん、これ?」 が、その寸前で道子が手を止めた。コジロウの左胸に当たる位置の胸部装甲に、翼をモチーフにしたステッカーが 貼り付けられていた。白い外装に栄える、黒い片翼だ。趣味が悪いと言いたげな顔をして、道子がそのステッカーを 剥がそうと爪を立てようとした途端、コジロウのゴーグルに鮮烈な光が走った。 「再起動、完了」 ケーブルとビンディングに戒められながらも身構えたコジロウに、道子は戸惑った。 「あれぇ、完全に機能停止していたはずなのにぃーん、再起動させられるのはつばめちゃんだけなのにぃーん?」 「周防捜査員、本官に指示を。現状を認識、分析、判断した結果、本官に命令すべき権限を持つのは周防捜査員だと 判断した。よって、指示を乞う」 ケーブルを引き千切り、全ての外装を閉じたコジロウに求められ、周防は驚きを抑えて命じた。 「その女は設楽道子、サイボーグだ。遠慮しないで蹴散らせ!」 「了解した」 コジロウはすぐさま駆け出し、あっ、ちょっ、とたじろいでいる道子にラリアットを喰らわせて車外に弾き飛ばした。 アスファルトに転がされたビスクドールは砕け散りはしなかったが、ゴシックドレスが汚れ、薄い肌が裂けて銀色の 真皮が露わになる。道子は負けじと銃口を上げて発砲するが、コジロウの装甲には9ミリパラベラムなど通用せず、 全て跳弾した。ドロワーズの下から出した替えのマガジンを差して連射するも結果は同じで、短機関銃は弾切れに 陥った。道子は舌打ちしてから短機関銃を投げ捨て、駆け出した。 「あぁーんもうっ、おめかししてきたのにぃーんっ!」 「追撃、開始」 コジロウはすぐに道子を追跡し、両足のタイヤを駆使してほんの数秒で追い付くと、道子の進行方向に回り込む。 道子は悔しげに顔を歪めながらドロワーズの下からナイフを抜くも、コジロウはそれらを手刀で叩き落として道子を 丸腰にすると、大きく一歩踏み込んで少女の懐に入り、薄い胸に砲丸の如き拳を抉り込ませた。 きゃうんっ、と甲高い悲鳴を上げて道子は呆気なく吹き飛び、手近な車両に激突した。歪んだドアに背中を埋めた 道子はその拘束具から脱しようとするが、コジロウは攻撃の手を緩めようとはしなかった。道子が自由を取り戻す前 に、少女らしい薄べったい腹部に重たい足を据えて細い両腕を掴み、力一杯蹴り飛ばした。シャフトとジョイントごと 両肩を引き抜かれた道子は目を剥いて絶叫を放ち、アスファルトに転げ落ちた。千切れたチューブから人工体液を 漏らし、ヒューズが飛ぶごとに痙攣していたが、歯を食い縛って常人では有り得ない動作で起き上がった。 コジロウは更に足を殺そうとするも、道子はまともに動く両足でコジロウの胸部を蹴り付け、上昇した後に頭部を 蹴り付けて街灯の上に飛び移った。人工体液の雫を散らしながら、ビスクドールは飛び跳ねて逃げていった。 「指示を」 コジロウは周防を一瞥して、再度指示を乞うた。道子は国道を行き交う車を即座にハッキングしては遠隔操作を 行っているのか、反対車線を走っていた車が急激に方向転換して突っ込み、盛大に玉突き事故を起こした。これでは 追撃もままならない。周防は少し考えた後、コンテナから降りてコジロウに近付いた。 「追跡と事後処理は他の連中に任せろ、コジロウはコンテナに戻って輸送と整備の再開だ。敵が体勢を立て直す 前に、実家に送り届けてやるよ。最優先するべきは、お前の御主人様なんだからな」 「了解した」 コジロウは周防に向き直ると、コンテナに戻っていった。乗り込む直前に足を止めて、無惨な死体に変わり果てた 戦闘員を見下ろしていたので、それもまた他の連中に任せるから車外に出してやれ、と命じるとコジロウはその通り に行動した。周防は運転席に回ってトレーラーを発進させてくれと運転手に言おうしたが、運転手は狙撃されて絶命 していた。フロントガラスが粉々になり、運転手の頭部も粉々に吹き飛んでいた。ならば、移動するしかない。 「柳田、コジロウ、移動手段を変更するぞ。この車は使えなくなった」 周防がコンテナに戻ると、機材の隅で身を縮めていた小夜子は顔を上げた。 「運転手、死んでやがったのか?」 「解っているなら話が早い、移動するぞ」 周防が小夜子を立ち上がらせると、小夜子は抱えていたノートパソコンを開き、操作した。 「どこから撃ってきたのか、なんてことは調べない方がいいな。時間の無駄だ。それよりも重要なのは、こっちだよ。 今し方、コジロウがあたしにこんなのを見せてきやがったんだよ」 見ろよ、と小夜子がノートパソコンのモニターを向けてきたので、周防はコンテナの外に気を向けつつもモニターを 見やった。そこには、少し照れ臭そうな笑顔を浮かべている少女、佐々木つばめが画面を見上げていた。コジロウ の視覚センサーを通して取得した映像なので、身長差のせいでおのずと上目遣いになってしまうのだろう。つばめ は両翼が揃った翼のステッカーをコジロウに見せてから、片方を剥がし、コジロウの左胸の装甲に貼り付けた。 『でね、こっち側のは私の道具に貼っておくの』 つばめはステッカーの台紙に残った片翼のステッカーを、今一度コジロウに見せてから、にんまりした。 『大事にしてよね、一生懸命選んだんだから』 心なしか赤面しながら、つばめはコジロウの前から立ち去っていった。コジロウの視界に銀色の左手が写り、左胸 に貼られたばかりのステッカーをそっと撫でた。了解した、とコジロウの声がモニターの中から聞こえた後、小夜子は 動画を止めてファイルを閉じた。周防はコジロウの左胸のステッカーを見、納得した。 「つまり、コジロウの最優先事項は、御主人様との約束だったってわけか。そりゃ再起動出来ちまうよな」 「そのガキ臭い約束のおかげで命拾いしたのはいいけど、なぁーんか腹立つなー」 小夜子はむっとしながらノートパソコンを閉じると、整備に必要な情報が入ったメモリーやディスクをジュラルミン製 のトランクに詰め込み始めた。周防にもその気持ちは解らないでもない。無尽蔵なエネルギーを発する正体不明の 部品を用いた恐るべき性能のロボットが最優先するのは、国家でも国民でも公務員でもなければ、事態の重大さを 理解しているとは言い難い、一人の少女なのだから。男としては正しい判断なのかもしれないが、機械としては大い に間違っている。他人事であれば微笑ましいと思えたのだろうが、生憎、周防はそう思うべき立場ではない。 暗号回線で政府と連絡を取り、コジロウの整備も行える設備を持ったトレーラーを手配してから、周防はコジロウに 愚痴りながらセッティングを再開する小夜子を見やった。だが、コジロウは小夜子の言葉には一言も返さず、再び 機能をダウンさせた。それがまた小夜子の癪に障ったようだったが、彼女は私情を押し殺して己の仕事を全うした。 それはやはり、小夜子が大人だからだ。周防もまた大人だから、つばめとコジロウの甘ったれた関係に軽い苛立ち を感じはしたが、口には出さなかった。即座に頭を切り換え、熱を帯びた拳銃を握り直す。 今、すべきことは輸送の再開だ。 天蓋付きのベッドに横たえられ、バラに囲まれ、棘に装飾されたケーブルが各部に差し込まれる。 敗北の味は苦い、とどこかの誰かが言っている。だが、道子にはそれを味わう術はない。味覚を得るために必要 な脳の部分は銀色の針に侵食されているから、試作された生体感応機能を持つ部品に換装されたところで、味覚の 電気信号が脳を駆け巡らないために味わえないのだ。それが惜しくもあり、気楽でもある。 天蓋付きのベッドの足元には、破損した少女型戦闘サイボーグが無造作に転がされていた。遠隔操作であったに も関わらず、操作性は抜群だった。情報操作能力も道子の脳を直結させたサイボーグボディに引けを取らなかった が、やはり本体でなければ決定打に欠ける。 仕事に失敗して無様に逃げ帰ってきた道子を、美作は何も言わずに出迎えた。失敗を責めることもなく、人形の 肩越しに千切れた衣装と焼け焦げた人工外皮を見回しただけだった。道子の本体はハルノネット本社の四十八階 で整備を受けており、ベッドに寝かせられ、首から下の機能を落とされていたので無傷だったからだ。仕事ではある が、道子にとっても娯楽であり、美作にとっても試験運用を兼ねた娯楽でしかなかった。頭部を外された道子は天蓋から下がった固定器具に 挟まれて吊されており、眼球だけを動かして己の体を見下ろしていた。両者を繋げているものは、小振りなバラが あしらわれた赤と青のケーブルだった。わざわざそんな仕掛けを施したのは、首から下の感覚を脳に流し込んで、 道子の反応を楽しむためなのだ。美作はつくづく悪趣味だ。 「あのロボットを手に入れられなかったのは仕方なかった、っていうか当然なの」 魔法少女のフィギュアを手にした美作はベッドの端に腰掛け、やはり裏声で言った。 「今回、私達が調べたかったのは、新しいサイボーグボディの性能と吉岡グループ側の出方なの。これだけ大騒ぎ してもノーリアクションってことは、吉岡グループは私達のことを放任しているの。いざという時には掌握出来る、って いう余裕を示すためのポーズでもあるかもしれないの。あと、道子ちゃんがフジワラ製薬の研究員を買収して手に 入れた、つばめちゃんの生体組織の真偽についても調べたかったの。おかげで、大体解ったの」 美作は道子の首から下の体を舐めるように見回してから、戦闘で少々汚れた小さな手を取った。 「これからしばらくは、フジワラ製薬のやりたいようにさせてやるつもりなの。本社のメインサーバーのセキュリティに ちっちゃな穴を作ってあげて、ハッキングさせてやるの。道子ちゃんのアマラの演算能力を思う存分使わせて、敵の 遺産の性能を引き出す手伝いをさせてやるの。でも、タダでは済ませないの。こっちからもハッキングして、フジワラ 製薬の研究実績から実験データから被験者名簿から、何から何まで掠め取るの。そして、こっちの糧にするの」 化かし合いと食い合いなの、と言いながら、美作は道子の手を柔らかなクッションに置いた。その後の美作の行動を 目視するのも嫌だったので、道子は視覚と聴覚のセンサーを遮断し、過去の経験で学習したリアクションを刺激に 応じて返してやった。正直言って、毎度のように美作の歪んだ性癖を満たしてやらなければならないのは鬱陶しい が、たとえ人形であろうとも誰かに執着を抱かれるのは悪くない、と心の片隅で思っている。 どうせ、道子は誰からも愛されはしない。アマラが有する凄まじい演算能力のおかげで、呼吸をするよりも容易く ハッキングを行えるから、その延長でサイボーグボディを淀みなく操れるから、ハルノネットに有効活用されている。 それがなければ、道子は所詮崩れかけたプリンも同然だ。プリンであればまだいい、誰かの舌を楽しませ、胃袋を 満たしてやれるからだ。だが、道子は違う。甘みすらなく、柔らかさすらなく、女ですらない、死にかけた蛋白質塊に 過ぎないのだ。キツネ色のカラメルソースでも掛けてくれれば、まだ格好が付くかもしれないが。 自分が欲しい。偽物の体ではなく、偽物の名前でもない、本物の自分が欲しい。そのために必要な情報がどこに あるかすら突き止められていないから、ハルノネットの手足となって働き、金を掻き集め、間接的に手を汚し、吉岡 りんねの部下としてろくでもない仕事をして、アマラの力で本当の自分を見つけ出す日を夢見ている。 疲労で薄らいだ意識を無作為な電波に委ねていると、道子の意識の片隅に誰かの声が入り込んできた。けれど、 そんなことは珍しくもなんともないので気にも留めなかった。どこかの誰かが、いつでも何かを語っているのが電脳 の海だからだ。幼くも愛らしい声に誘われるように意識を遠のかせながら、道子は朧気に願った。 いつの日か、人間になりたい。 この程度のトラブルは、予想の範疇だった。 いくつもの暗号回線を経由して届いた周防からの連絡に、一乗寺は戸惑いもせずに気の抜けた返事をした。周防は その反応が不満なのか、もう一言二言を言いたげだったが、必要最低限のやり取りだけを行って通信を切った。 スーちゃんのそういう真面目なところが面白くないんだよなぁ、と思いつつ、一乗寺は携帯電話をポケットに入れて、 分校を後にした。コジロウが帰還する日程が早まったことをつばめに教えてやらなければ。下手に隠して機嫌でも 損ねたら、弁当の中身が侘びしくなってしまいかねないからだ。 徒歩数分で佐々木家にやってきた一乗寺は、不用心極まりない開けっ放しの玄関から中を覗き込んだ。すると、 居間でつばめが突っ伏していた。件の箱、タイスウはつばめの傍らに寄り添っていて、箱なりにコジロウの代わりを 全うしようと頑張っているように見えた。一乗寺は三和土で靴を脱ぎ、居間に上がった。 「どしたの、つばめちゃん? あの日? でもって二日目?」 「違いますよ。てか、人んちに上がり込んできて最初に言うのがセクハラですか、最低教師」 畳の痕を頬に付けたつばめが顔を少し上げると、箱も少し持ち上がった。 「コジロウがいなくても頑張って家事をやろうって思ったんですけど、コジロウは一から十までの一から八まで やってくれていたから、もう疲れちゃって疲れちゃって……。うあー……」 「長光さんが生きていた頃もそんな感じだったっけなぁ。あいつ、疲れ知らずだからねぇー」 一乗寺は疲れ果てているつばめを小突いてみるが、つばめは面倒臭そうに顔を背けただけだった。 「お姉ちゃんは家事が下手くそだし、事務所を立ち上げたばかりで忙しいってのもあるから頼りに出来ないし、箱は 箱だから何もしてくれないし……。でも、私がやらなきゃ、家の中はぐちゃぐちゃだし、御飯も出来ないし……」 「お疲れだねぇ。適当に手を抜いておきなよ、そういう時はさ」 「だから先生、明日のお弁当は持って行かなくてもいいですかぁ。なんかもう、御飯を炊くのも面倒でぇ」 「そりゃ困るよ! すっごい困るよ! 俺が栄養失調になっちゃうじゃん! 頑張ってよ!」 「よくもまあ、手のひらをぺらぺらと……」 真面目に働く人間の身にもなってくれ、とつばめが嘆いたので、一乗寺は伝家の宝刀を抜いた。 「コジロウ、早ければ今日の夜にも帰ってくるってさ」 「それを早く言って下さいよ! ああもうっ、掃除機掛けなきゃ! ゴミ出さなきゃ! 草毟りだってしとかなきゃ! お風呂掃除と夕御飯の支度もっ、てああー!」 途端につばめは跳ね起き、駆け出していった。最後の二つは焦る必要はないような気がしたが、つばめのやる気 を削がないために敢えて突っ込まなかった。居間に取り残された箱は守るべき少女を追い掛けたいのか、浮かび 上がって居間から出ていこうとしたが、梁にぶつかってしまった。一乗寺は箱を軽く叩いて宥めてやると、箱は渋々 降下して畳の上に横たわった。ばたばたと家中を駆け回るつばめを見つつ、一乗寺は胡座を掻いた。 「本当に、どんだけコジロウが好きなんだか」 微笑ましいやら、空しいやらだ。思春期の少女にありがちな恋に恋する感情と、他人から剥き出しの欲望と敵意を 向けられる不安感から誰かに頼らずにはいられない心境が重なり合ったものを、つばめは恋心だと勘違いしている のだろう。大体、相手はロボットだ。つばめが惜しみない好意を向けようとも、好きだと全身で示しても、コジロウは その感情を受け流すことしか出来ない。コジロウの動力源である無限動力炉、ムリョウはあくまでもただのエンジンで あり、後付けの機体に搭載しているコンピューターの人工知能は、ムリョウの制御に情報処理能力のほとんどを 回しているので大した成長は望めない。それなのに、つばめは人形に毛が生えた程度の機械を人間のように扱い、 一心に好いている。いくら打ったところで、何も響いてこないというのに。 哀れな娘だ。 12 6/7 |