機動駐在コジロウ




佐々木家の一族



 老いた男が、命を終えた。
 浅く吸い込んだ息は干涸らびた唇に収まりきらず、痩せ衰えて落ち窪んだ目は瞼に塞がれた。枯れ枝も同然の手 が握り締めていた愛妻の帯が抜け落ち、布団の傍で鮮やかな渦を巻く。男の枕元に控えていた医師は、腕時計を 見て死亡時刻を確認し、告げてきた。その言葉を受けた者は膝の上で握っていた拳を更にきつく固めると、深々と 一礼した。医師を見送った後、男が生前に準備を終えていた葬儀業者や関係者への手配を行えてから、その者は 古びた家を出た。合掌造りの茅葺き屋根は夜明け前の淡い月明かりを背負い、静かに主の死を悼んでいた。
 その者に残された時間は少ない。軋む膝を曲げ、動きの鈍い体に鞭打ち、納屋に向かう。立て付けの悪い引き戸を 強引に開け放つと、その者の薄い影が藁束の山に落ちた。藁束の山を無造作に散らすと、その下から合金製の 棺が現れた。主の棺ではない、その者の棺だ。鈍色に輝く長方形の牢獄を開くと、冷え切った闇が外界を覗き返して きた。その者は躊躇いもなくその中に身を収めると、内側から蓋を閉めた。
 熱が引いていく。力が抜けていく。世界が遠のいていく。しかし、その者は何も感じない。寂寥も、恐怖も、悲哀も、 孤独も、空虚さえも。新たな主が現れるその日まで、束の間、眠りに落ちる。だが、新たなる主が現れなかったら、 主が現れたとしてもその者を必要としなかったら、そもそもその者の力を求めなかったら、その者だけでなく全てを 放棄したとしたら、という懸念を覚えたことはない。その者にとっては、懸念すらも不要だからだ。
 ただ一つ必要なのは、力を欲する力だ。




「今朝方、あなたの御爺様が亡くなられたわ」

 誰に対しての言葉か、一瞬理解出来なかった。備前美野里は新聞を広げていて、コーヒーを片手に記事の文面を 目で追っている。中途半端に囓ったトーストを噛み切り、咀嚼したが、つばめは混乱した。ダイニングのテーブルを 囲んでいるのは自分と美野里だけであって、両親はいない。大口の仕事の処理に手を焼いているから、ここ数日 は深夜に帰宅して早朝に出勤しているので、ろくに顔を見ていないほどだ。美野里は新聞越しに目を上げる。

「そういうことだから、今日は学校はお休みね。だから、食べ終わったら準備して」

「ちょっ、ちょっと待ってよお姉ちゃん!」

 つばめは戸惑い、腰を上げる。そんなこと、今の今まで聞いたこともなかった。

「私にお爺ちゃんがいたの!? なのに、なんで今になって連絡が来るの!?」

「亡くなられたからよ。御長男とは連絡が付かないから、喪主はつばめちゃんね」

「モシュ!?」

「模試でもモスでも猛者でもなくて、喪主よ。弔辞を読んだり、弔問客を相手にしたり、まあ色々と仕事があるから、 ちゃんと食べておきなさいね。その辺の原稿は私が適当に見繕ってあげるから」

「で、でも……急にそんな……」

「いいから、早く食べる。八時半には家を出るからね、お通夜の準備もしなきゃならないもの。今日がお通夜で明日 がお葬式、明後日が納骨だからね。忙しくなっちゃう」

 コーヒーを飲み終えた美野里は新聞を折り畳むと、リビングのストッカーに投げ込んだ。つばめは混乱に次ぐ混乱 で目眩がしそうだったが、とりあえずトーストの続きを食べた。母親、というか、美野里の実の母親である備前景子が 毎朝ホームベーカリーで焼いているパンは、小麦の甘みと程良い香ばしさがおいしいのだが、その味が解らなく なるほど狼狽していた。残りの温野菜サラダとボイルしたウィンナーはカフェオレで流し込み、デザートのバナナ入り ヨーグルトももちゃもちゃと機械的に咀嚼して飲み下してから、食器を片付け、つばめはテーブルを離れた。
 ふらつきながら自室に戻り、壁掛け時計に目をやると、午前七時四十八分だった。今から登校すれば地元の公立 中学校の始業時間に充分間に合う。通学カバンの中には予習済みのノートや提出物やクラスメイトと交換するため に書いたファンシーなメモ書きや内ポケットにこっそり忍ばせた飴玉も入っているし、スポーツバッグの中には部活で 使うタオルやジャージ類も入っている。だから、それらを抱えて今すぐ家を飛び出してしまえば、何事もなく日常を 送れることだろう。何かの間違いだったと美野里が謝ってくる展開も期待したい。だが、心構えは出来ていた。

「まー、こういう展開が来るとは思っていたけど、ちょっと予想より早かったかな」

 つばめは苦笑し、タンスからパンダのぬいぐるみを出した。何せ、自分だけ名字が違うのだ。美野里とその両親は 備前だが、つばめだけが佐々木だ。どういった経緯で備前家にもらわれてきたのかは覚えていないが、物心付く前 からこの家で育てられていた。だから、子供の頃から常に引け目を感じていた。両親はつばめを可愛がってくれて いるし、塾に通わせてくれたり、遊びに連れて行ってくれたりと、人並みに手を掛けて育ててくれているのだが、実子 である美野里のようにはなれないと早くから理解していた。だから、つばめは誰とも角を立てないように生きてきた。 両親の顔色を窺い、美野里の顔色を窺い、周囲の顔色を窺い、普通であることに尽力した。その甲斐あって、家の 中では可もなく不可もない末娘のポジションを獲得し、学校でも無難に立ち回れていた。決して楽なことではないが、 自分はそうやって世間に埋没して生きていくのだ、と思えると、血縁者のいない不安定感が紛れてくれた。
 けれど、血縁者がいたとなると話は別だ。どうして今の今まで見つけてくれなかったのだろう、亡くなる前に連絡を くれなかったのだろう、独りぼっちにされたのだろう、実の両親はどうして自分を捨てたのだろう、という疑問や不安が 頭の中を駆け巡ってくる。顔も名前も知らない祖父が亡くなったと聞かされてもなんとも思わなかったのに、そんな ことを考え出すとなんだか急に切なくなってくる。が、同時に腹も立ってくる。

「大人なんて誰も頼りになりゃしないから、自分でしっかりするしかなかったんじゃないか」

 背中を丸めて胡座を掻いたつばめは、パンダのぬいぐるみを裏返した。一抱えもある大きなぬいぐるみなので、 尻の部分は楕円形で安定性が高く、綿もどっしりと詰まっている。その点を利用して、つばめは尻の部分の縫製を 解いて物入れに改造したのである。手触りのいいアクリル製の体毛を掘り返すと現れるファスナーを引き、綿の間 に張った布の中に手を突っ込むと、茶封筒が五つ出てきた。

「えーと、いくら貯まったかなーっと」

 最も分厚い茶封筒を開き、覗き込む。これまでのお年玉や毎月のお小遣いを天引きし、執念深く貯めた現金の束 だった。千円札も一万円札も数えやすいように十枚ごとにまとめておいたのだが、双方を合計すると十五束だった。 それもこれも、備前家が上流家庭であるおかげだ。辣腕の弁護士である両親にいい顔をしたいがために美野里に お年玉を弾む知人達は、その延長で居候のつばめにもいい顔をしなければならないので、物心付いた頃からその 恩恵に授かっていたのだ。もちろん、大人達から好かれるために愛想を振りまくのも忘れなかったし、酔っぱらいの 戯れ言にも付き合い、お酌も進んでした。その結果、年をまたぐごとにお年玉の額が増えていき、中学生の身分には 余りある貯金が出来上がったのである。

「んで、後は」

 残りの茶封筒の中身は、住民票、国民健康保険証のコピー、実印、ぬいぐるみの腹の中貯金とは別口で貯めて おいた預金通帳、実印、その他諸々。これだけの書類と現金があれば、たとえ顔も名前も知らない祖父の葬式後に 放り出されても、なんとか生きていけるはずだ。

「よいせっと」

 ベッドの下の引き出しを開け、大きめのショルダーバッグを取り出すと、その中にパンダのぬいぐるみを入れた。 念のためにパンダの上にタオルを被せてからファスナーを閉めると、ドアがノックされた。返事をすると、早々に喪服 に着替えた美野里が入ってきた。メイクも普段よりは大人しめで、長い髪もアップにまとめている。

「長丁場になるだろうから、着替えも持っていった方がいいわよ。そうね、そのバッグなら丁度良いかもね」

「はーい」

 つばめは明るく返事をしてから、美野里を見送った。だが、ショルダーバッグの容積の八割はパンダのぬいぐるみ に占められていて、これ以上物を詰めるのは難しそうだった。下着などは丸めて入れられるにしても、普通の服は ほとんど入りそうにない。通夜、葬儀、納骨と最低でも三日間は同じ服を着続ける羽目になるだろう。思春期の女子 として許し難いものがあるが、どうせ制服なのだから、と腹を括った。しかし、さすがに制服だけだと心許ないので、 ファスナーを開いた状態で丸めたジャージの上下をねじ込んだ。
 バッグの大きさに比例しない荷物の多さに美野里は怪訝な顔をしたが、問い詰めはしなかった。つばめは美野里 の愛車である軽自動車の助手席に乗り込むと、一度備前家に振り返った。上流家庭に相応しい三階建ての立派な 家で、つばめの部屋は美野里ほどではないが広かった。出窓もあればクローゼットもあり、床暖房も備わっていた。 そんな家から放り出されませんように、と内心で願う一方、こうも思っていた。
 他人の顔色など気にせずに生きてみたい、とも。




 斎場に来るのは初めてだった。
 美野里の運転する車から降りたつばめは、物珍しさに任せて見回した。既に準備はある程度整っていて、花輪が 斎場の前に立て掛けられていた。吉岡グループ、フジワラ製薬、新免工業、弐天逸流、ハルノネット、親族一同、 吉岡八五郎、とあった。吉岡グループの名を見た途端、つばめは目を剥いた。吉岡グループといえば、世界的に展開 している大企業ではないか。その大企業の社長である吉岡八五郎の名は、新聞の見出しやニュースで見聞きする ほどだから相当だ。祖父とは一体どんな関わりがあったのだろう、と悩みそうになると、美野里がせっついてきた。

「ほらほら、時間がないんだから早くしなさい」

「はーい」

 つばめは自動ドアをくぐって斎場に入ると、葬儀会社のスタッフが出迎えてくれた。

「この度は御愁傷様でした」

「あっ、はい、どうも」

 頭を下げられたのでつばめも条件反射で一礼すると、喪服姿の美野里が言った。

「葬儀のプランについてですが、先程御電話でお伝えした要領で進行して頂けますか?」

「承知いたしました。喪主様は、そちらの御嬢様でよろしいんですね?」

 当然ながら喪服姿の男性スタッフがつばめを窺ってきたので、つばめは頷いた。

「はい、そうです」

「では、今一度御葬儀プランの打ち合わせをいたしますので、こちらにどうぞ」

 女性スタッフが二人を促してきたので、二人は事務室に向かった。美野里と並んで応接セットに座ったつばめは、 美野里とスタッフが交わす会話を上の空で聞いていた。備前家から斎場まで距離が遠かったので、軽く車酔いした のもあるが、今更ながら人が死んだという事実に現実味が沸いてきたからだ。備前家にいた時は自分のことだけで 精一杯だったが、事務室に入る前に葬儀会場を横目に窺った時、祭壇に横たえられている棺を目にしたのが原因 だろう。あの中には昨日まで生きていた人間が入っていて、亡くなってしまったからあの中に収まっていて、その中 の人間は自分と浅からぬ縁があって、と次々に考えてしまうと、なんだか心臓の辺りが締め付けられる。
 人数分の緑茶が並んでいるテーブルには、美野里が広げた必要書類が並んでいる。祖父のものであろう古びた 実印と戸籍謄本、死亡診断書、契約書、通夜と葬儀のプラン表、などがあり、つばめが署名捺印する書類も何枚も あるようだった。戸籍謄本から目が離せなくなったつばめに気付き、美野里はそれをつばめに渡してくれた。

「そうね、ちゃんと知っておいた方がいいでしょうね」

「ありがとう、お姉ちゃん」

 つばめは祖父の戸籍謄本を受け取ったが、かすかに手が震えていた。佐々木長光おさみつ、享年七十八歳。妻、佐々木 英子、享年四十三歳。長男、佐々木長孝おさたか。その妻、佐々木ひばり、長女、佐々木つばめ。次男、吉岡八五郎。その 妻、吉岡文香、その娘、吉岡りんね。それを見ると、これまで感じてきた足場のぐらつきが消え失せ、世の中に自分 という人間が受け入れられたような気がした。佐々木つばめという人間は、木の股から生まれたわけでもなければ 橋の下で拾われたわけでもコインロッカーに詰め込まれていたわけでもないという、これ以上ない証拠だった。

「手続きは私が済ませておくから、つばめちゃんは御爺様のお顔を見てきたらいいわ。きっと喜ばれるわ」

 美野里に微笑まれ、つばめは戸籍謄本を返してから頷いた。

「うん、そうする」

 明日には葬儀が執り行われ、祖父は荼毘に付されるのだから。葬儀会社のスタッフもそうした方がいいと勧めて きたので、つばめは事務室を出て会場に入った。半分だけ閉まっている観音開きの扉を通って中に入ると、程良く 空調の効いたホールには大量の椅子が並べられていた。照明はオレンジが基調となっていて、全体的に雰囲気を 柔らかくしてあった。線香の残り香が鼻を掠めたが、気にはならなかった。
 棺を運び出しやすくするためだろう、出入り口と祭壇の間は椅子の間隔が空いていた。絨毯にローファーの底を 埋めながら歩いたつばめは、一段高い祭壇に近付いた。僧侶が経を上げるために必要な鐘や木魚が揃っていて、 祭壇の奥には厳かな仏画が描かれた掛け軸が掛けられ、祭壇の左右には名札が付いている供花が飾られ、果物 が盛られているカゴもあった。供花の名札の主は、正面玄関脇の花輪とまるで同じだった。

「えーと、こっちから行けばいいのかな」

 つばめは祭壇の脇に昇ると、恐る恐る棺に近付いた。桐で出来た棺には白い布が掛けられていて、胸の位置に 守り刀が斜めに添えられていた。顔の位置に付いている小窓を開けようと手を伸ばしたが、何かが足にぶつかり、 つばめは飛び退いた。それを見た途端、つばめは面食らった。

「……棺が二つ?」

 祭壇の上には桐の棺が一つ、祭壇の下には金属製の棺が一つ。金属製の棺は異様に大きく、大人が二三人は すっぽり収まりそうなほどだった。縦の長さは二メートル半以上はあり、幅も一メートル近くある。鈍色の分厚い蓋 には、穴が空いた四角形を菱形に並べた家紋が印されていた。それは祖父の棺にも印してあったので、佐々木家の 家紋だとみて間違いなさそうだ。中身は十中八九人間の亡骸だろうが、こんなに大きい人間がいるのだろうか。

「てことは、お爺ちゃんともう一人死んだってこと?」

 だとしても、どこの誰が。

「なんかやだなぁ」

 つばめは顔をしかめながら、金属製の棺から遠のいた。桐の棺とは違い、こちらは無機質極まりない。見るからに 頑丈そうで素材も分厚く、まるで戦車の装甲板で作ったかのようだった。つばめは金属製の棺に近付かないように 腰を引きつつ、改めて祖父の棺に手を伸ばした。小窓を塞いでいる板をそっと持ち上げると、ドライアイスの冷気と 共に老人特有の臭気がうっすらと漂ってきた。
 そこにいたのは、枯れ果てた老翁だった。納棺師の手によって整えられた白髪が枕に埋まり、薄く弛んだ皮膚が 頬骨に貼り付いていた。肌は生前は日焼けしていたであろう色合いだったが、死したことで血の気が失せていた。 死に装束の合わせ目から覗く首筋と胸には肉は一切なく、骨の形が浮き彫りになっている。つばめはちょっとだけ 躊躇ったが、手を伸ばして祖父に触れてみた。悲しいほど冷たく、弾力もなく、死を痛感させた。

「生きている時に、会いたかったなぁ」

 つばめは祖父に触れた手を引くと、目尻に熱いものが滲み出したので、すぐさま拭った。

「なんだよもう、柄でもない」

 肉親に会えたのが、少なからず嬉しかったのだろう。頬を叩いて表情を整えてから、祭壇の上に掲げられている 遺影を見上げると、そこには穏やかな面差しの老人が収まり、つばめを見下ろしていた。棺の小窓を閉じ、つばめ はその遺影を食い入るように見つめた。祭壇に供えられている水の入ったコップに映った自分の顔と、遺影の祖父 を見比べてみると、どことなく輪郭が似ていた。同じ血が流れているのだと実感すると、また嬉しさが強くなる。

「失礼いたします」

 不意に会場のドアがノックされ、声を掛けられた。思い掛けないことに、つばめはぎょっとする。

「うあっ!?」

「驚かせてしまい、申し訳ありません」

 出入り口では、つばめと同じ年頃の少女が一礼していた。

「ああ、いえ、私がぼーっとしていたのが悪いんで……」

 気まずくなったつばめは取り繕ったが、少女が身に付けている制服に目が向いた。それは世界に通用する名門校 と名高い大学付属校の制服で、つばめが着ているセーラー服など足元にも及ばなかった。落ち着いたダークグレー のブレザーはオフホワイトのパイピングで縁取られ、胸ポケットには立派な校章のワッペンが縫い付けられ、襟元に 結んであるスカーフは上品な臙脂色で、短めのプリーツスカートはブレザーよりも少し明るめのグレーのチェックだ。 そして、それを着こなしている少女は、洒落た制服を圧倒する容貌の持ち主だった。

「私は御爺様の次男である吉岡八五郎の長女、吉岡りんねと申します。以後お見知りおきを」

 吉岡りんねが一礼すると、絹糸のように細く滑らかな黒髪が肩から零れ落ちた。その髪を耳に掛けながら上体を 上げたりんねに、つばめは同性ながらも心臓が跳ねた。指先の白さと髪の黒さと、綺麗に切り揃えられた前髪の下 から覗いた瞳の凛々しさに魅入られてしまった。顔付きは大理石の彫刻のように整い、僅かな幼さと匂い立つような 色気が混じり合っている。声色は鈴を転がしたような、というよりも、ガラス製の楽器の音色のように儚さと力強さが 相反せずに共存していて、音楽のようですらあった。身長はつばめよりも頭半分高く、手足も長ければ胸も大きい、 完全無欠の美少女だった。近視用のレンズが填っている細い銀縁のメガネを掛けているが、それすらも王侯貴族 の装飾品に見えてしまうほどだ。

「佐々木つばめです。えっと、一応喪主です」

 戦う前から敗北した気分になったが、つばめは一礼して名乗り返すとりんねはしめやかに述べた。

「この度は御愁傷様でした。痛み入ります」

「ああ、どうも」

「つばめさん。御爺様と面識はおありなのですか?」

「いえ、全然。てか、今朝、お姉ちゃんに言われるまでは血縁者がいるなんてことも全然知らなくて」

「それは大変でしたでしょうね」

「いえ、そんなことはないですよ。これまでずっと、ちゃんとした家で育ててもらいましたから」

「私とつばめさんは同い年ですよ、敬語になさらずともよろしいのでは?」

「あ、そうか。さっき見た戸籍謄本に書いてあったっけ、あなたの名前が」

「はい。ですので、私とつばめさんは従兄弟に当たります」

「じゃ、なんで、りんねさんも敬語なの?」

「私は上に立つ者に相応しい教育を施されておりますので、誰に対しても礼節を弁えております」

「帝王学ってやつ?」

「有り体に表現すれば、そうなりましょう」

 りんねは微笑んでくれたが、その笑みの隙のなさにつばめは臆した。男だったら陥落されていた、と感じたほどの 笑顔だった。表情が派手ではないからこそ醸し出せる品の良さと、絶滅危惧種である大和撫子を体現している仕草 が心根を鷲掴みにしてくる。帝王学だけではなく、ありとあらゆる習い事も叩き込まれているだろう。そうでもなければ、 こんなふうに育つわけがない。世間のアベレージラインを探って生きてきたがために立ち振る舞いも庶民丸出し のつばめとは、根っこから違う。いや、生物学的に違う生き物なのかもしれない。

「つばめさん」

「はいっ!」

 りんねに呼び掛けられ、つばめは思わず背筋を伸ばした。

「今、ここで私に全権を譲られましたら、通夜も葬儀も引き受けて差し上げますが?」

「……え?」

 言っている意味が解らない。

「その様子ですと、備前さんからは何のお話も伺っていないようですね。それでは公平ではありませんね」

「いや、だから何の話?」

「葬儀を終えた後、また改めてお話いたします。その頃には、事情を把握されておられるでしょうから」

 りんねは祭壇に近付き、線香を一本取ってロウソクで火を灯した。それを線香立てに立ててから手を合わせると、 長々と礼をした後に去っていった。その場に取り残されたつばめは、混乱が増す一方だ。葬儀の本番が始まっても いないのに疲れに襲われたつばめは腰を下ろしかけたが、その下には金属製の棺があると気付き、びくつきながら 腰を上げた。スカートの裾を払ってから深呼吸して緊張を緩め、りんねに倣う形で線香を上げた。

「すんごい人間もいたもんだなぁ……」

 最前列の椅子に座ったつばめは、背を丸めて頬杖を付いて祭壇を仰ぎ見た。誰もいないのをいいことに制服の上 から自分の胸を掴み、りんねとの大きさの違いに絶望した。同い年で同じ遺伝子を継いでいるはずなのに、教養も 違えば発育も違えば品格も何もかも違う。しかも途方もない大金持ちだ。吉岡グループの御嬢様だ。世にはびこる 格差をこれでもかと思い知らされたつばめは、不意にろくでもない衝動に駆られた。祖父の遺言でとんでもない額の 遺産が転がり込んでこないかなぁ、と。ベタなミステリ小説でもあるまいし、とは思うが、妄想したくもなる。
 そうでもなければ、世の中、帳尻が合わないではないか。
 







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