再起動完了、充電完了、各部異常なし。 見慣れないトタン屋根の天井が視界に入ってくるが、若干ピントがずれていた。それをオートフォーカスで調整 すると、梁に当たる鉄骨からぶら下がっている太い鎖を捉えた。首を捻ると、倉庫と思しき空間の隅にはロボットの部品が 山盛りになっていた。ネットオークションの類で買い付けたものらしく、梱包材の詰まった段ボール箱が至るところに 乱雑に重なっていて、分解された部品から取り出された細かなパーツが艶やかに磨き上げられて並んでいた。 死んだはずではなかったのか。今度こそ死ねたのではなかったのか。生身の脳を拳銃で吹き飛ばされれば、いか にサイボーグといえども生きていけるはずがない。そうでなければ、ここはあの世なのか。だとしても、トタン屋根の 倉庫とは、天国も余程の財政難なのだろう。 「そんなわけ、ないか」 諦観と共に呟いた言葉は、見知らぬ男の声だった。今までの使い慣れた成人女性の合成音声ではなく、機械的な 強張りと低音を含んでいる、どことなく親しみを感じるものだった。どこかのサイボーグの機体に、死に間際の意識が 滑り込んだのだろうか。そうだとすれば、自分はどこまで意地汚いのだろう。死にたいと望んで撃ってもらったくせに、 死ねていないなんて、武蔵野が知ったらどう思うやら。笑うのか、怒るのか、それとも。 「おはよう、レイ!」 不意に、少女の声が掛けられた。思い掛けないことにぎょっとしながら振り返ると、倉庫のシャッターがモーターで 巻き上げられていき、一メートル程の隙間が空くと制服姿の少女が体を滑り込ませてきた。いかにも夏らしい水色の 半袖のセーラー服に紺色のスカーフが翻り、外界の日光が差し込んできた。レイ、とは誰のことだ。 「体の調子はどう? この間、人型重機と戦った後に色々と手を加えたんだけど……」 長い髪をサイドテールに結んでいる少女は、しきりにこちらを見回してくる。その顔には見覚えがあった。 「小倉、美月さん?」 記憶を元に名を呼ぶと、少女は面食らった。 「え? な、何、どうしたのレイ、他人行儀だなぁー」 「じゃ、この機体はレイガンドーってこと? でも、どうして私がレイガンドーの中に?」 右手を挙げてみると、視界に入ってきたのはサイボーグの人工外皮に包まれた手ではなく、人間大の人型重機の 作業用アームだった。ねえどうしたの、レイってば、と美月はしきりに話し掛けてくる。だが、レイガンドーの内に意識を 宿した道子は、その質問にすぐには答えられなかった。何が何だか解らないのは、自分も同じだからだ。 解っていることは一つだけだ。設楽道子は、かつて桑原れんげだった。だが、今は桑原れんげは独立した自我を 持っているばかりか、良からぬ目的を持って行動している。道子の脳内に埋め込まれていたアマラは、れんげの手に 渡ったものとみてまず間違いないだろう。りんねに命じられて道子を処分しに来た武蔵野に殺してくれと懇願した時は 錯乱してしまったが、今は違う。レイガンドーの冷却装置が効いているからだろうか、道子の思考からは動揺や不安と いった感情の熱が引き、事実と現実を見据えることが出来ていた。 「まあいいわ、細かい詮索は後回し」 とにかく、行動を起こさなければ。レイガンドーとなった道子は立ち上がると、充電用ケーブルを引き抜く。 「あの人だったら、きっと力になってくれる」 「ちょ、ちょっとレイ、どこに行くの!? ねえっ、レイ、レイっ!」 道子がシャッターの外に出ようとすると、美月が慌てふためきながら追い掛けてきた。 「この機体……レイガンドーの無事は保証できないけど、出来る限りダメージを与えないうちにお返しするって約束 します、美月さん。だって、彼はあなたの大事なお兄さんだから」 「あなた、誰?」 ようやく事態が飲み込めてきたのか、美月は硬い表情で問い掛けた。道子は少々躊躇ったが、答えた。 「私の名前は、設楽道子です」 「道子さん、って、りんちゃんのメイドさんの? でも、なんで? あっそうか、サイボーグだったんだ!」 「物解りが早くて嬉しいです。でも、これから先は関わらないで下さい。あなたの安全のためにも」 梅雨の晴れ間の空は底抜けに明るく、冴え冴えとした青がアイセンサーに滲みてくる。道子が美月を遠ざけよう と歩調を早めるが、美月は精一杯走って道子の前に回り、立ちはだかってきた。 「私も一緒に行く!」 「でも、美月さんには学校が」 「あんな場所、行きたくない」 美月は道子を、いや、レイガンドーを見つめて唇を歪ませた。あの頃の自分もこんな顔をしていたのだろうか、と 道子はふと追憶に駆られた。歯を食い縛って何かを堪える美月に、道子は片膝を曲げて手を差し伸べた。途端に 美月は駆け出してきて、制服が汚れるのも構わずに抱き付いてきた。震える背中に分厚い鋼鉄の手を添えてやる と、美月は深く息を吐いて体からは強張りが抜けた。東京に住んでいた頃もひどい目に遭っていたが、母親の実家 に越してきてからも心労が絶えなかったのだろう。 少女を肩に乗せて歩き出した道子は、美月の持っている携帯電話に無線接続してGPSを作動させ、現在位置と 目的地の位置関係を確かめた。驚いたことに、美月の母親の実家と目的地の浄法寺は同じ一ヶ谷市内にあった。 ということは、吉岡りんねの別荘もそれほど遠くない。ならば、りんねとれんげに感付かれないうちに、寺坂善太郎 と合流しなくては。下半身の関節が著しく摩耗することを美月に断ってから、道子は駆け出した。 桑原れんげを始末するために。 設楽道子は、一般的な家庭に生まれた。 アパートとマンションの中間のような半端な広さの住居で生まれ育った。両親は裕福でもなかったが貧乏でもなく、 欲を出さなければそれなりに満ち足りた生活を送れるだけの収入もあった。どちらも生真面目な人間で、清廉潔白 という言葉がよく似合った。子供心に、この二人が結婚したのは自然の摂理だと理解していたが、夫婦であろうとも 異性には必要最低限の接触しか行わない両者が夜の営みに励み、自分が生まれたのは不思議だと思っていた。 ありとあらゆる欲望が氾濫している時代だからこそ節度を弁えなければならない、と、両親は道子に言い聞かせて いた。道子はそれを真っ当に信じた末、流行りも知らなければテレビもほとんど見ない子供に育った。 そんなある日、両親が残業で遅くなるので学童保育に行った道子は、同年代の子供と一緒にアニメ映画を見た。 学童保育所の職員が持ってきたもので、一昔前の魔法少女アニメの劇場版だった。アニメに登場するキャラクター のイラストが入った服を着ている子供達を見かけはしたが、テレビアニメを一度も見たことがなかったので、道子は これといって興味を持っていなかった。両親がたまに見せてくれる映画は大人向けの洋画ばかりだったので、新鮮 だった。原色の髪とフリルとリボンが目立つ衣装を翻し、煌びやかなエフェクトの魔法を使い、愛と友情と正義こそ が世界の真実だと謳う魔法少女達の活躍が、二時間弱に凝縮されていた。 良くも悪くも擦れていなかった道子にとって、そのアニメ映画は強烈だった。感動を上回る感情の奔流にふらふら しながら帰宅し、魔法少女達の零れんばかりの大きさの星の入った瞳が忘れられず、ぼんやりしながら作り置きの カレーを食べ、ぼんやりしすぎて皿洗いを忘れて母親から叱責された。風邪でも引いたのかと問われたが、道子は 否定した。けれど、本当のことは言えなかった。アニメ映画を見た、なんて言えば、きっと怒られるから。 それからというもの、道子は両親に隠れて魔法少女アニメを見るようになった。限りあるお小遣いでレンタルDVD を借りてきては、両親のいない隙を見計らって食い入るように見入った。そこには、底抜けに純粋で、眩しくて、綺麗な 世界が完成されていた。オモチャ売り場で魔法少女達の変身アイテムや魔法のステッキを見かけ、猛烈に欲しく なった挙げ句にお年玉の残りで買ってしまったこともある。けれど、大っぴらに遊べた試しはなかった。 愛と夢と友情と正義の幻想にどっぷりと浸り、擦れていなかったがために人並み以上に吸収してしまった道子は、 いつしか周囲から浮くようになっていた。勉強も疎かになり、友達付き合いもしなくなり、一人で魔法少女達と世界を 危ぶませる悪魔達と戦っていた。もちろん、空想の中での話だが。 それが両親に露呈するのは、時間の問題だった。ある日、道子が帰宅すると、父親がいつもよりかなり早い時間 に帰宅していた。残業の予定が立ち消えになったのだ。道子が靴を脱いで玄関に上がるや否や、宝物にしていた 魔法のステッキが廊下に叩き付けられて割れた。大事に隠しておいたピンク色の箱は引き裂かれて部屋中に散り、 こっそり描いていた魔法少女達の下手なイラストも破られていた。それから、父親からは散々怒鳴られた。その間、 道子は玄関から上がることも出来ず、ランドセルを置くことも出来ず、ただただ三和土に棒立ちしていた。 以後、道子は今まで以上に世間から隔絶された。今にして思えばあれは一種の虐待だったと思う。それほどまで に両親は世間を嫌い、娯楽を憎み、空想を蔑んでいた。ある程度成長してから両親の行動の理由を知ったのだが、 知ったからといって納得出来るものでもなかった。父親の妹、つまり道子の叔母が漫画家として大成していて、 その漫画はアニメ化もされていて、父親の親戚の間では叔母が成功者として認められていた。どうやら父親はそれ が心底不愉快だったらしく、叔母の描いた漫画を疎むがあまりに漫画やアニメといったものを憎まずにはいられなく なったらしい。母親はそれを止めるどころか父親を煽るばかりだった。母親もまた、学生時代に反りが合わなかった クラスメイトが声優デビューしていた、というだけの理由で全てを否定していたからだ。 けれど、否定されればされるほど反発したくなるのが思春期だった。特に娯楽であれば尚更だ。中学生になった 道子は部活に入りはしたが行きはせず、その代わりに漫画喫茶に通い詰めるようになった。目的はインターネットと 漫画とアニメDVDだった。おかげで成績は底辺にまで一気に落ちたが、その代わりに魔法少女アニメのことを熱く 語れる相手とモニター越しに知り合えた。彼らは皆、実生活に支障を来すほどに魔法少女アニメに浸り切っている ディープなオタクだった。それ故に裏設定やコミカライズのシーンなどを知らないと嘲笑されもしたが、すぐに調べて 頭に入れるようにした。その頃になると両親はそれぞれの会社で昇進して、道子に過干渉する暇もなくなったのか、 それとも道子の入れ込みように呆れたのか、パソコンを買い与えてくれた。おかげで漫画喫茶に通い詰めることは なくなったが、学校にも行かなくなった。現実を生きているクラスメイトが疎ましかったからだ。 気付いた頃には、道子は空想の世界だけで生きていた。魔法少女アニメだけでなく手当たり次第にアニメを見ては アニメから派生したゲームをプレイし、後は眠るだけの生活を送るようになっていた。自宅から一歩も外に出なく なり、身なりにも気を遣わなくなり、空想の世界にこそ真実があるのだと信じ込むようになっていった。 そして、十五歳になった時、あの魔法少女アニメを原作にした大規模なネットゲームが開始された。もちろん道子 は即座にプレイを始めたが、そのゲームはプレイヤー同士でアイテム交換を行ったり、協力してクエストをクリアして いかなければレベルが上がらないシステムになっていた。そのせいで、中身が人間だと解っているプレイヤー達を 遠ざけていた道子は、早々に行き詰まってしまった。特殊アイテムを集めて装備を強化しようにも、目的のアイテム をドロップするモンスターがいるダンジョンは高レベルプレイヤーでなければ生き残れないような場所で、かといって 他のプレイヤーとゲーム内通貨で取引を行おうにも、ゲーム内通貨を貯められるほど高値で売れるアイテムを収拾 出来ていない。こうなったらゲームを止めるか、違法なBOTツールでレベルアップするか、と考えていると、道子の キャラクターに他のプレイヤーが話し掛けてきた。 『君のこと、しばらく前からこのダンジョンで見かけるけど、レベルが上がらないみたいだね』 その男性キャラクターは高レベルな装備で身を固めていて、魔法少女達と敵対する悪魔軍の上級幹部に当たる 役職、ダークプリーストだった。対する道子は駆け出しの魔法少女のままで、装備も見るからに乏しかった。 『なんだったら、協力してあげてもいいよ。パーティを組む仲間がログインしてくるまで時間があるから』 そのキャラクターの名前は、ヴォーズトゥフといった。対する道子は。 『桑原れんげちゃん』 道子がメインに使用していた女性キャラクターの名前は、魔法少女アニメの主人公の一人である、クールな言動と 凛とした外見で絶大な人気を誇っている魔法少女の名前を改変したものだった。 それから、道子は桑原れんげとして生きるようになった。ヴォーズトゥフはれんげとのやり取りが楽しいのか、頻繁に れんげと共にダンジョンに潜るようになり、あれよあれよという間にれんげのレベルは高レベルになっていった。 転職を重ね、装備も強化に強化を重ねた結果、魔法少女達の最終形態である神聖天使の役職になった。そこまで のレベルに達すると大抵のダンジョンを遊び歩け、大型アップデートによってダンジョンが増えてもモンスター退治に はそれほど手こずらなくなった。その頃は神聖天使にまで転職出来たプレイヤーは数えるほどしかいなかったことも あり、街を一歩でも歩けば話し掛けられた。 その、万能感たるや、凄まじい快感だった。インターネットを見回れば、どこぞの掲示板では桑原れんげに関する スレッドがあり、不特定多数の人間がれんげの話題を語り合っていた。中には桑原れんげを元にしたイラストを描く 者もいて、桑原れんげの後に神聖天使に転職したプレイヤーを口汚く批判する者もいた。何もかもが桑原れんげを 中心に回っている。それもこれもヴォーズトゥフが話し掛けてきてくれたからだ。れんげはそれを感謝し、毎日のように ヴォーズトゥフに好意を示した。アイテムを貢ぎ、経験値を貢ぎ、ダンジョンでは代わりにダメージを引き受け、蜜月を 過ごしていった。美しく、素晴らしい時間だった。 けれど、一度ゲームから離れるとその幻想は潰えた。長年パソコンに向かっているだけの生活を送っていた道子は 不健康極まりなく、体もだらしなく緩んでいた。髪も伸び放題で、御世辞にも清潔とは言い難かった。薄汚れた窓 の外を見れば元気よく通学する制服姿の少年少女の姿があり、それが腹立たしかった。以前は家庭訪問を行って くれていた担任教師ですら愛想を尽かし、最近では連絡すら来なくなった。両親も道子には一歩も近付かなくなり、 会話もしなくなり、部屋の外に食事が置かれているだけだった。 現実の絶望感を忘れるために道子は今まで以上にネットゲームに、いや、ヴォーズトゥフにのめり込んでいった。 今にして思えば、一日中ログインしている道子と同じように長時間ログインしているヴォーズトゥフも、かなりの廃人で 日常生活に支障を来しているのは明白だった。だが、その頃の道子は自分自身からも目を逸らすほどのめり込んで いたせいで、そんなことには気付けなかった。だから、レベルアップして転職を行い、ダークプリーストから氷結 魔王となったヴォーズトゥフと同様に、プレイヤー自身もそうなのだと信じ込んでいた。馬鹿げた話である。 そしてある日、現実に会おう、とヴォーズトゥフからメールが届いた。道子は嬉々として部屋の外に出ようとしたが、 自分自身が二目と見られないほど醜悪になっていることに気付いた。本当の自分など見せられるはずもないので、 都合も予定もないのだが、嘘八百を並べて誘いを断った。だが、ヴォーズトゥフは食い下がってきた。何度も何度も 道子にメールを送ってきた。そのうちに少し怖くなってきて、ネットゲームにログインする頻度も減ったが、それでも ヴォーズトゥフはメールを止めなかった。いつしか、メーラーを開くことすら怖くなり、パソコン自体からも遠ざかるように なった。その結果、道子の日常がほんの少し変わった。 数年振りに部屋から外に出て、仕事の頻度を下げていた両親と対面した。最初は母親とだけ対面し、食卓で一言 二言だけを交わした。日常的に風呂に入るようになり、服も毎日着替え、髪も母親に切ってもらい、手付かずだった 部分を全て手入れをした。父親とも会話するようになり、少しずつ、少しずつ、在り来たりの生活に心と体を慣らして いった。そうやっていくうちに、次第に両親も道子の変貌振りに気に病んでいたことを知った。頭ごなしに否定し続け てはならないと考え方を直してくれていて、ゲームがやりたかったらやっていい、アニメを見たかったら見てもいい、 欲しい物があったら買っていい、と言ってくれた。あの日、父親に壊された魔法のステッキも買い直されていて、綺麗な 包装紙に包まれた新品がリビングテーブルに置かれていた。 それから、十七歳になった道子は時間を掛けて元に戻っていった。母親に付き添われてカウンセリングに通い、 両親と連れ立って買い物に出かけ、無理をしない程度に運動をして、年相応の外見になるようにファッション雑誌を 買ったり、街を歩く少女達の格好を見て勉強した。子供の頃には出来なかったことをやり直そうと、家族揃って遠出を した。漫画を読んで感想を言い合ったりもした。崩れ落ちたものを、丁寧に一つずつ積み上げていった。 高校に進学するために必要な勉強の範囲を調べようと、道子は久し振りにパソコンを立ち上げた。ヴォーズトゥフ から来ていた大量のメールを見ないように、それまで使っていたメーラーとアドレスはすぐに削除して新たなアドレスを 作成し、ネットゲームもアンインストールし、魔法少女アニメ絡みのブックマークも削除し、ブラウザを開いた。 すると、作成したばかりのメールアドレスに新着メールが届いた。サーバーからの通達メールかと思い、メーラーを 立ち上げた。僅かな間の後に表示された名前を見、道子は悲鳴を上げた。 ヴォーズトゥフからだった。 12 8/2 |