許容出来るものでもなければ、理解出来るものでもなかった。 目の前に立つ人型ロボットはマスクフェイスであるが故に表情が一切窺えず、それが余計に不信感を煽ってきて いた。つばめはコジロウの背後に隠れるか否かを若干迷ったが、美月はなんだか気恥ずかしげな顔でレイガンドー の前に立っていたので、気圧されてはいけないと妙な意地でコジロウの前に出た。赤と青の中間のような色合いの アジサイの花が咲いている浄法寺の正門の内側で、二体のロボットと二人の少女は対峙していた。 外見こそレイガンドーだが、今、彼の中には設楽道子が入っている。どういう理屈で意識を転送したのかはまるで 見当が付かないが、とんでもない事態なのは確かだ。だが、美月は道子に警戒心を抱いていないどころか親しげ ですらある。外見が兄も同然のロボットだからだろうか、だとしても無防備すぎやしないか。この前はつばめに嫉妬心 を抱いていたというのに。美月は、道子の入っているレイガンドーを手で示す。 「えっと、私にも何が何だかよく解らないけど、今、レイの中には設楽道子さんがいるんだ。道子さんはりんちゃんの メイドさんで、サイボーグで、前に困っていた時に助けてもらったことがあるの」 つまり、美月は以前道子に親切にしてもらったので、気を許しているということらしい。だが、それは美月の事情で あってつばめの事情ではない。その気持ちが顔に出ていたのか、美月は訝ってきた。 「どうしたの、つっぴー? 道子さんと何かあったの?」 「何ってそりゃあ……」 つばめは過去の出来事を思い出し、レイガンドーの内側に潜む道子を見据えた。設楽道子は女性サイボーグを 遠隔操作し、東京にいた美野里と寺坂を襲った。吉岡りんねの別荘に話し合いに出向いたつばめと美野里に銃口 を向けた。ついでに言えば、米の磨ぎ汁で淹れた変な味の紅茶を出してきた。そして、コジロウを整備に出した際には 輸送トラックを襲撃し、無関係な人間を多数死傷させた。だから、つばめにとっての道子は敵であり、人殺しだ。 足音と話し声が聞こえてきたので振り返ると、あからさまに眠たげな寺坂となんとなく楽しそうな顔をした一乗寺が 本堂から出てきた。寺坂は寝乱れた法衣をいい加減に直し、欠伸を噛み殺しながら近付いてきたが、レイガンドーと 美月を見て表情を変えた。戸惑いとそれを上回る嬉しさが、サングラス越しでもよく解った。 「本当に、みっちゃんなのか?」 「お久し振りです、寺坂さん。その節は御世話になりました」 道子が深々と頭を下げると、寺坂はすぐさまレイガンドーの姿をした道子に駆け寄った。 「みっちゃん!? 帰ってきてくれたのか!」 「ええ。だけど、生身の私は死にました。いえ、殺してもらったんです」 道子は膝を曲げて寺坂と視点を合わせながら、胸に手を添える。 「ごめんなさい。桑原れんげの記憶がフラッシュバックして、どうしても耐えられなくて……。電脳体になったら随分と 落ち着きましたけど、今度は別のことまで思い出してしまいました。全てを忘れていたとはいえ、寺坂さんと備前さん を襲ってしまったなんて。他にも、色々と悪いことをしてきました。選りに選って、あの男の手駒となって」 胸に当てたマニュピレーターを握り締め、道子は背を曲げて俯く。 「そっか」 寺坂は顔を上げると同時に憂いを振り払い、道子の大きな肩を叩いた。 「ま、気にするな。俺は気にしない」 「ですけど、私はアマラの能力に酔って沢山の人を……」 「それはそれ、これはこれだ。とりあえず、上がろうぜ」 そう言って、寺坂は道子を本堂に手招いた。 「ちょ、ちょっと!」 つばめが慌てて引き留めようとすると、寺坂は面倒臭そうに振り返った。 「んだよ。久し振りにみっちゃんと会ったんだから、ちったぁ話し込ませろって」 「寺坂さんと設楽道子ってどういう関係なの!?」 混乱してきたつばめが寺坂の法衣を引っ張ると、寺坂は引っ張り返す。 「どうってそりゃ、えーと」 なんて言えばいいのかな、と寺坂が禿頭を押さえると、道子は少し笑って答えた。 「被保護者と保護者でいいんじゃないですか? 別に男女関係だったわけではありませんし」 「ま、そういうことだ」 だから、一体何がどういうことなんだ。つばめは再度寺坂を詰問しようとするも、寺坂は道子が戻ってきてくれたのが 余程嬉しいのか、軽い足取りで本堂に入っていった。その場に取り残されたつばめが立ち尽くしていると、美月が 背後に近付いてきて、正面玄関を潜り抜けていく寺坂とレイガンドーの後ろ姿を見上げた。 「でも、道子さんは悪い人じゃないよ。前に会った時とは随分と印象は違うけどね」 「そうかなぁ……」 美月のニュートラルな思考は、つばめには今一つ理解しがたい。頭ごなしに他人を否定し、害悪だと決め付けるのは 良くないことではあるのだが、だからといって信用しすぎるのもどうかと思わないでもない。 「そうそう、誰だって本当は悪くないの。誰だって自分が一番正しいから。でも、悪意がない犯罪ほど手に負えない ものはないんだよねぇ」 ほら行こ行こ、と一乗寺が急かしてきたので、つばめと美月も本堂に促された。コジロウもまたそれに続く。畳の上 をレイガンドーのようなロボットが歩き回っていいものか、と悩みかけたが、そんなことは自宅でもいくらでもしている ので今更悩むようなことでもなんでもないと思い直した。 本堂に至ると、御本尊の前に道子が正座していた。寺坂は仏具の前に敷いてある座布団に胡座を掻いている。 一乗寺はレイガンドーを間近で見るのが面白いのか、その傍に座り、好奇心を剥き出しにして凝視している。美月が 所在なさそうに目線を彷徨わせたので、つばめは本堂と隣り合っている部屋の押し入れを開けて座布団を出して やった。ついでに自分の分も出して敷いてから、動こうともしない男達に文句を言った。 「お客さんが来たのにお茶も出そうとしないのか」 「いいよ、そんなに気を遣ってもらわなくても。急に来ちゃったわけだし」 美月は遠慮したが、つばめはそれを制した。 「いや、私の気が済まないから!」 「そんなにやりたいんだったら、つばめが勝手にやってくれ」 寺坂に手で示され、つばめはむっとしたが台所に向かった。 「だったら勝手にやらせてもらいますよ!」 これだから男って奴は、とつばめは内心で愚痴りながらも、渡り廊下を通って住居に向かった。浄法寺は古くから 建っている寺に住居用の民家を併設した作りになっていて、その中間に中庭があり、寺の背後には手入れの行き 届いていない墓地がある。ちなみに、寺坂のスポーツカーとバイクの群れが収まっているガレージは民家側にある。 ずらりと並んだスポーツカーを窓越しに見、つばめは苛立ちが再燃してきたが、美月を持て成してやる方が先だと 思って台所に入った。ゴミは溜まっていないのだが、至るところが散らかっている。 「栄養失調で死なないのが不思議だ」 つばめは思わず嘆いた。台所の隅には箱買いしてあるインスタント食品が山積みになっていて、一乗寺の荒んだ 食生活と大差がないようだった。炊飯器はあり、ガスコンロは多少汚れているので、普通の料理もしているようでは あるのだが、大部分はカップラーメンやらレトルト食品で済ませているのだろう。田舎の住職なんてそんなに忙しくも ないだろうに、そういう食品の方が金が掛かるだろうに、ゴミはちゃんと分別しているのだろうか、とつばめは次第に 細かいことが気になってきたが、上げたら切りがないので考えないことにした。 冷蔵庫を開けてみると、そこには多少なりとも食材が入っていた。だが、野菜は申し訳程度しかなく、それ以外は キロ単位はありそうな肉のブロックばかりだった。ついでに冷凍庫を開けてみると更に肉塊がごろごろ入っていた。 牛、豚、鶏が網羅されている。見ているだけで胸焼けがしてきたが、寺坂はこれを一人で食べているのだろうか。 「まあ、あの人も厳密に言えば人間じゃないしなぁ」 だから、食べるモノが変わっていてもなんら不思議はない。自分なりに納得してから、つばめは水を入れたヤカンを 火に掛けて湯を沸かしながら、人数分の湯飲みと急須を探し出して洗い流し、うっすらと埃を被っていた盆をさっと 水洗いして布巾で綺麗に拭き、食器棚の引き出しから未開封の緑茶を見つけたのでそれを開封し、急須に入れて おいた。湯が沸くまでにはまだ少し間があるので、その間に御茶請けになりそうなものを見繕うことにした。こちらは 探すまでもなく、そこら中に転がっている。けれど、袋のままで出すのはあまりにも品がないので、菓子鉢を引っ張り 出してきて、その中に個包装のクッキーやチョコレートやサラダ煎餅を入れた。 湯が沸いたので保温ポットに入れてから、つばめはお茶道具一式を載せた盆を右手に持ち、左手に重たいポットを ぶら下げて台所から出ようとした。すると、廊下でコジロウが待機していた。 「わ」 不意打ちにつばめが驚くと、コジロウはつばめの左手から保温ポットを取った。 「こちらの方が重量がある。よって、本官が輸送する」 「あ、うん。ありがとう」 「礼には及ばない」 コジロウが歩き出したので、つばめもそれに続く。 「ねえ、コジロウ。道子……さんって、信用出来るのかな。だってあの人、今までは敵だったじゃない」 「つばめはアソウギに同化した人間を元の姿に戻し、社会復帰させたいと願っている。それには、設楽道子の所属する ハルノネットが所有している遺産、アマラの能力が不可欠だ。よって、設楽道子は利用すべきだ」 「うん、それはそうなんだけどさ」 手狭な渡り廊下を進みながら、つばめは湯飲み同士ががちゃがちゃと鳴る盆を抱え直した。 「ミッキーの言うことも解るよ。誰も彼も敵だと思っていたら、味方になってくれる人もいなくなっちゃうだろうし。でも、 今までが今までだったから、不安にもなるよ。桑原れんげのことだってそうだよ。あれって、自分が気付かないうちに 頭の中に入り込んできて、その……概念っていうか、観念っていうかをいじくっちゃうんでしょ? そんなのを相手に 何をどうしろって言うのさ。そもそも、アマラはどうしてそんなことをしようとしているの? 自分の存在を他人に認めて もらいたいから? 遺産なのに自我が芽生えたから? それとも、もっと他の理由で?」 「本官は桑原れんげの分析に不可欠な情報が不足している。よって、つばめの疑問に答えられない」 「だよねぇ」 それこそ桑原れんげ本体に聞いてみなければ解るわけがない。つばめは歯痒さを覚えつつ、本堂に戻ってきた。 美月は知らない大人ばかりの場所に取り残されたのが心細かったのか、つばめとコジロウが戻ってくると安堵した。 寺坂は考え事でもしていたのか、その横顔はいつになく真剣だった。一乗寺はといえば、相変わらずだった。 今時珍しいエアー式の保温ポットから急須に湯を注ぎ、人数分の湯飲みを並べて、つばめは気付いた。無意識に 道子の分も計算に入れてしまったのか、五つも持ってきてしまった。だが、運んできたからには出してやらなければ 無礼だと判断し、つばめは道子の分も緑茶を入れてから出した。 「コースターとかないの?」 下が畳では湯飲みが不安定だ。つばめが寺坂に尋ねると、寺坂は渋い顔をした。 「そんな洒落たもん、あるわけねぇだろ」 「ああ、それなら」 と、道子が腰を上げかけたが、ふと我に返って座り直した。 「ごめんなさい。差し出がましいことを」 レイガンドーのマスクフェイスがつばめに向けられたが、憂いを含んだ仕草で顎を引いていた。 「いいよ。で、どこにあるの?」 つばめが聞き返すと、道子は人差し指を上げて指し示した。 「湯飲みの受け皿なら、食器棚の下段の戸棚に新聞紙に包んで片付けてあります」 「本当にみっちゃんなんだなぁ。台所の大掃除をしたのは俺じゃないからなぁ」 緑茶を傾けながら寺坂がしみじみと呟くと、道子は少し笑った。 「ええ。出来れば、もっとちゃんとした格好でお会いしたかったですね。レイガンドーさんの機体は大きすぎるから、 少し目線が高すぎて」 「んで、みっちゃんはこれから何をどうしたいわけ?」 クッキーを貪り食いながら一乗寺が問うと、道子は躊躇いつつも答えた。 「アマラは物理的に破壊出来ませんけど、桑原れんげを削除することは出来るかもしれません。量子アルゴリズムを 使用したインサーションソートによってハルノネットのユーザーはほぼ全てが桑原れんげに侵食されたと言っても 過言ではありませんが、まだ完璧ではありません。レイガンドーさんの機体に入ってから、彼のマイクロプロセッサ を利用して分析をしてみましたが、容量不足で分析しきれませんでした。完璧ではないと判断しましたが、どこが 完璧ではないのか、まではまだ把握していなかったので。並列処理出来るほどのプロセッサを搭載したロボットか パソコンがあれば別なんでしょうけど」 「コジロウは貸さないからね!?」 つばめがすかさずコジロウの前に立ちはだかると、道子は残念がった。 「そうですよね。コジロウ君ほどの情報処理能力があれば可能かと思ったんですけど」 「相変わらずケチだなぁ、お前って奴は」 寺坂に毒突かれるも、つばめは負けなかった。 「今の今まで敵だった相手に貸せるわけないでしょ! 自分のを貸せばいいでしょ!」 「まあ、それはそれとして、みっちゃんが思うに桑原れんげの隙ってどこよ? 多少の見当は付いてんでしょ?」 チョコレートを次から次へと消費しながら、一乗寺が問うた。道子は少し考えた後、答えた。 「あれは他人の主観に頼って自我を確立しているから、自分というものがないんです。だから、インサーションソート を使用して人間の脳内に滑り込み、その人間の願望を引き出して都合の良いことを言い聞かせては、人間が桑原 れんげに対して好意的な感情を抱くようにしているんです。よって、桑原れんげの外見もインサーションソートを受けた 人間の主観に基づいたものなので、特定の外見はないんです。いえ、ゼロというわけではないんですけど、固定化 されていない、というべきかもしれません」 「じゃ、誰も彼もが桑原れんげを嫌うように情報操作でもしたら?」 つばめの提案に、道子は首を横に振る。 「いえ、それでも結果は同じです。感情のベクトルが違うだけで、桑原れんげを認識し、主観に上書きし、概念と化す ことには変わりありません。一番良いのはなかったことにしてしまうことなんですが、この社会ですから、誰かが所有 する電子機器や記憶に残っていたら、桑原れんげは何度でも蘇ります。データを全て削除したとしても、桑原れんげと いうキャラクターがいた、と誰かが思い出すだけでダメです。あれは人間ではありませんからね」 「……何が何だか」 半笑いになった美月に、つばめはその肩を叩いた。 「大丈夫、私も何が何だかさっぱりだから」 「じゃ、こうすればいいじゃない?」 サラダ煎餅を咀嚼して飲み下してから、一乗寺がにんまりした。 「桑原れんげの情報の上に、桑原れんげを連想しただけで激萎えしちゃうような情報を上書きするの」 「ドンペリを見たらシャンパンタワーをやらかした挙げ句に酔い潰れて路地裏に捨てられていたことを思い出させる ようなもんか。うん、あれはちょっとな……」 余程ひどい目に遭ったのか、寺坂が嘆くと、つばめは先程の仕返しの意味も込めて追い打ちを掛けた。 「自業自得でしょうが。この不況な時代に時代錯誤なことをやらかすからだ」 「あー、ないわけじゃ、ないかも。随分前に本社の作業場に遊びに行った時、モンキーレンチを持ち上げようとしたら 手が滑って足の上に落ちてきて。安全靴なんか履いていなかったから、骨は折れなかったけど爪は割れちゃって、 それからしばらくは作業場に近付くのも怖かったっけ。今でもモンキーレンチを持つのはちょっと嫌だし」 思い出すだけで痛みまで蘇るのか、美月は右足のつま先をさすった。 「うん、まるっきりないわけじゃない。小学生の頃だったかなぁ。お姉ちゃんからお下がりのバッグをもらって、それを 持ってお姉ちゃんと一緒に出かけるのを凄く楽しみにしていたんだけど、一人だけで外に出かけてお姉さん気分 を味わってみたかったから、外に出てみたんだ。で、しばらくは楽しかったんだけど、クラスメイトに見つかって何か を言われたら面倒だし嫌だからって知らない道をどんどん進んでいったら、当然ながら迷子になっちゃって、歩いても 歩いても元来た道には戻れなくなって……。ううう」 あの時の寂しさと切なさまで思い出したつばめが唸ると、一乗寺がつばめの後頭部を撫でてきた。 「よしよし」 「そうですね。それなら、いけるかもしれません。インサーションソートの量子アルゴリズムを分析して改変した ものをアマラを通じて人間の深層意識にインストールさせれば、きっと」 道子が顔を上げると、寺坂はにっと笑いかけた。 「やりたいようにやってみやがれ」 「はい!」 威勢良く返事をした道子の声色は、ロボットの合成音声らしからぬ生気に充ち満ちていた。寺坂は満足げに頷き 返してから、無意識に右手の包帯を緩めて触手を伸ばし、菓子鉢からチョコレートをごっそりと抜き取ろうとした。 が、美月が文字通り飛び上がって驚いたので、寺坂は慌てて触手を引っ込めるが、美月は恐怖のあまりに気が遠く なったのか仰け反っていった。それを道子が受け止めてやり、ついでに倒れかけた勢いで捲れ上がったスカートも 直してやってから、座布団を枕にさせて仏間の隅に寝かせてやった。 つばめは美月の初々しいリアクションに、女の子らしくて可愛いなぁ、と場違いな感想を抱いた。最初に見た時は つばめもそれなりに驚きはしたが、寺坂の触手にすっかり慣れてしまって、今となっては恐怖も嫌悪感も感じない。 それ自体は悪いことではないのだが、このままでは人殺しにも慣れてしまうのかもしれない、と思うと、背筋が急に 冷え込んだ。気持ちを落ち着けようと、緑茶に口を付けた。 中途半端に冷めていて、生温かった。 12 8/8 |