機動駐在コジロウ




前門のトラブル、後門のオラクル



 あれよあれよという間に、事態は進行していった。
 気付いた頃には、伊織、もとい、御鈴様の住まう部屋には流行を程良く取り入れた衣装が届けられていた。それも 一つや二つではなく、何種類ものドレスがハンガーに吊されて袖を通されるのを待っていた。純和風の部屋の一角 は改造されてスタジオと化していて、映像の合成を行いやすくするための青一色のクロマキーにテレビなどで使用 する大型のホログラフィー投影装置に音響設備、プロ仕様のステレオミキサー、大型スピーカーもスタジオの上下 左右に設置され、ライトも完璧だ。それもこれも、御鈴様を一流のアイドルに仕立て上げるためである。
 この設備を造り上げるために投資された資金は、百万や二百万ではないだろう。そんなことを考えながら、伊織は 別世界が出来上がっていく様を眺めていた。弐天逸流の信者達は日々忙しく働いていて、アソウギと伊織の意思に よって辛うじて命を繋ぎ止めている脆弱な偶像の世話を行いながら、改装作業を進めていた。着々と仕事を進める 彼らを見ていると、その衣装によって階級が分けられていることに気付いた。皆、着物に似た服に帯が付いていて、 その帯の本数で階級が決まっているようだった。数が多ければ多いほど地位が高く、発言権もあり、御鈴様である 伊織に密接に接してくる世話係は特に帯の本数が多かった。恐らく、御神体であるシュユをモチーフにしているの だろう。だが、最も階級が高いであろう高守信和の着る法衣には帯は一本も付いておらず、紆余曲折を経た末に 伊織専属の科学者のような立ち位置に収まっている羽部鏡一についても同じことが言えた。
 あいつらって嘱託社員みてーなもんなのかなぁ、と考えながら、伊織は信者達が考えてくれたオリジナル曲の歌詞 と楽譜の画像を見てみた。まずはインターネットの動画サイトでデビューするという手筈になっているので動画サイト に入り浸っている客層に合わせた楽曲なのだが、どれもこれも歌いづらそうだった。曲調は波が激しく、歌詞の語彙 も言葉遊びだらけで、こんなものが本当に受けるのかと不安になるほどだった。

「やあ」

 ふすまを開けて不躾に入ってきたのは、下半身がヘビのままの羽部鏡一だった。伊織はPDAから投影していた ホログラフィーを消してから、着物の上に刺繍が入った白衣を羽織ったヘビ男を見やった。

「こんなん、マジでやんのかよ。イカレすぎだろ」

 伊織が毒突くと、羽部はA4サイズのタブレットを持った腕を挙げた。

「そんなこと言われても、シュユが決めたんだからどうしようもないよ。従うしかないよ、不本意極まりないけど」

「つか、最近のアイドルなんか使い捨てだろうが。そんなもんで信者を掴まえられんのかよ」

「使い捨てだから、掴まえられるんだよ」

 御祈祷の時間だよ、と羽部に促され、伊織は渋々立ち上がった。すると、改装作業をしていた信者達は全員手を 止めて平伏し、長い下半身をくねらせながら部屋を出ていく羽部とそれを追う振袖姿の少女を見送ってくれた。二人 が通る廊下だけでなく、本堂に繋がる渡り廊下の左右にも信者達が這い蹲り、額を地面に擦り付けていた。毎度の ことながら、大名行列の気分を味わわされる。本堂に入ると、薄暗い中にロウソクの炎だけが灯っている。
 無数の腕はあれども千手観音とは似ても似つかない御神体、シュユの前には矮躯の男が座っていた。高守信和 はサイズの大きい法衣の裾を引き摺って立ち上がり、二人を出迎えてくれた。職業柄、法衣を日常的に着ていた 寺坂善太郎をふと思い出すが、寺坂と高守では同じ法衣でもまるで別物の服に見えるから不思議だ。寺坂の場合 は締まりがない上に下手に上背があるので破戒僧っぷりが際立っていたのだが、高守の場合は常に丸まっている 背中と撫で肩が法衣に覆われると、敬虔な宗教者に見えてくる。薄暗いから、でもあるのだろうが。

『体の調子はどうだい、御鈴様』

 高守は袖口から出した携帯電話にテキストを打ち込み、ホログラフィーを投影した。

「別に。どうってことねーし」

 伊織が座布団に胡座を掻くと、すかさず羽部が尻尾の先で足を叩いてきた。

「行儀が悪すぎるんだよ、クソお坊っちゃんは。そんなことじゃ、お里が知れてネットで叩かれてデビュー前からクソ ビッチだの何だのと言われまくるんだからね?」

「ウゼェな」

 そうは言いつつも、伊織は座り直した。自分はともかくとして、りんねに妙なクセが付いたら困るからだ。

『ダンスレッスンやボイストレーニングの方は順調かい?』

 高守が文面で問うてきたので、伊織はぞんざいに答えた。

「ああ、まーな。つか、俺はその気はねーんだけど、お嬢の方がやる気みたいで体が勝手に覚えていっちまうんだ。 もっとも、体力がねぇから一時間もするとぶっ倒れちまうんだけどな。てか、そんなんで大丈夫なのかよ。アイドルに なる頃には、お嬢が死んじまうんじゃねーの?」

「その点については問題はないよ、ちゃんと考えてある」

 羽部は座布団の上でとぐろを巻くと、自分の下半身を盛り上げた部分を背もたれ代わりに寄り掛かった。

「つか、なんで新興宗教がアイドル商法なんだよ。マジ意味不明すぎるんだけど」

 伊織が最大の疑問をぶつけると、高守は手早く文面を打ち込み、見せてきた。

『人心を掌握するのに最も簡単な方法は、偶像を崇拝させることだからだよ。最近は情報操作による思想の誘導が 可能だからマーケティングもやりやすくなっているし、弐天逸流の信者達をサクラにしてネット上で騒がせてしまえば 一気に何十倍、何百倍もの顧客が獲得出来るからね。アクセス数が多いブログとか、有名人のSNSとか、そういう ところに名前を出せば小一時間で数千人が目にすることになるし、その百分の一であっても数十人だ。それだけの 人数が君の動画を見て、歌を聴いて、有料の音楽データをダウンロードしてくれればこっちの勝ちだ。ダウンロード した人間が、御鈴様を通じて弐天逸流の信者になるのは時間の問題だし、違法ダウンロードであろうともデータが ばらまかれれば万々歳。御鈴様の歌う楽曲を聞いた時点で、シュユが発する固有振動数の影響を受け始めている んだからね。人間の脳の構造は単純だからね、少し揺さぶりを掛ければ呆気なく術中に落ちる』

「道子っつーか、桑原れんげが似たようなことをやったんじゃねーの? で、失敗したんじゃねーの?」

 前例を挙げて伊織が嘲るが、高守はそれを気にせずに続けた。

『あれはやり方が極端すぎたから、失敗して当然だよ。それに、あの時アマラを使用していたのは佐々木つばめでも なければ吉岡りんねでもない、佐々木家とは血の繋がりが全くない男、美作彰だったから尚更だよ。彼はムジンに 保存されている情報を直接自分の脳にインストールして自分の知能と知性を底上げし、ただの性根の歪んだオタク からハルノネットのサイボーグ技師にまでのし上がったけど、所詮は付け焼き刃。人間の脳では処理しきれない量の 情報を詰め込んだせいで精神が歪み、その結果、彼自身が生み出した妄想の権化である電脳体、桑原れんげに 殺されてしまった。もちろん、自分の能力を過信しすぎた美作彰も悪いんだけど、彼にムジンの扱い方を教えた人間 が一番悪いんだけどね。それさえ解らなければ、彼は今も薄暗い人生を送っていただろうから』

「ムジン? つか、それも遺産なのか?」

 聞き慣れない単語に伊織が首を捻ると、羽部は懐から青く光る金属板を出してみせた。

「これのことさ。遺産を操るための集積回路だよ。いわばマザーボードみたいなものなんだけど、マザーボードだけ でパソコンが動くわけないってことは子供でも理解出来る話だよ。この僕は生物学とアソウギの研究がメインだから 門外漢ではあるんだけど、設楽道子に脳が存在していた頃にほんの少しだけ生体組織を繋げたことがあるおかげで まるっきり使えないってわけじゃないんだ。まあ、この優秀すぎる僕ならば当たり前だけどね」

「で、そのムジンと、アイドルと、俺と、どういう関係があるんだよ」

 それが解らなければ、やる気も出るまい。伊織が金属板を睨むと、羽部はそれを懐に戻した。

「だから、最初に説明してあげたじゃないか。低脳すぎて忘れちゃったの? 御嬢様の姿形をしたクソお坊っちゃん が新たな御神体となって弐天逸流の信者を何百倍にも増やして、信仰心を集めてシュユを蘇らせるんだよ」

「この千手観音もどきが復活する、っつーのだけでもマジ意味不明だけど、その後が解らねぇな。千手観音もどきが 目覚めたら、何が起きるんだ? つか、お前らの狙いってそれだろ?」

 伊織が御神体を指し示すと、高守は更にタイピングした。

『それについては、君が歌う歌に込めてあるよ。今一度、歌詞をよく読んでみるといいよ』

 祈祷の時間だから、と書き記してから、高守はのっそりと立ち上がって本殿を去っていった。そして、本殿に伊織と 羽部だけが残された。伊織は居心地が悪くなり、ラミアの如き科学者の様子を窺った。高守に助けられて弐天逸流 に転がり込んでからというもの、羽部は妙に親切なのだ。羽部は弐天逸流と何らかの取引を交わした上で、伊織と その肉体であるりんねの生命活動の維持の手助けをしてくれているのだろうが、その意図が読めない。天をも貫く 高さのプライドを誇る羽部が、なぜ新興宗教に身を落ち着けているのだろうか。羽部の性格からすれば、弐天逸流 の信仰を鼻で笑って叩きのめしそうなものなのに。
 だが、今はそれを問い詰めない方がいいだろう。以前の伊織ならば、羽部が逆上したとしても自力でねじ伏せる ことが出来たからだ。しかし、今の伊織は脆弱なりんねの肉体なのであり、丁重に扱うべきだからだ。万が一、羽部 に襲われでもしたらやり返せない。それどころか、守ろうと誓った少女に無用な傷を与えてしまいかねない。

「馬っ鹿馬鹿しいったらありゃしない」

 高守の姿が消えた途端、羽部は姿勢を崩して寝そべった。その表紙に下半身も崩れ、だらしなく伸びる。

「何がアイドルだよ、何が偶像だよ、何が信仰心だよ。そんなものに価値があるのかって、ないね。不特定多数の 人間が共通の価値観を共有することで発生する概念をエネルギー源にして蘇る代物なんて、神様なんかじゃ ないよ。ちょっとハイレベルな集団ヒステリー、そうでなければ一過性の流行だよ。ああもう、反吐が出る」

「だったら、なんで連中の味方してんだよ。訳解んね」

 伊織が毒突くと、羽部は人間の顔であっても爬虫類じみた目を吊り上げる。

「この凄まじき天才の僕が他人に従うだなんて、そんなことがあっていいはずないだろ。君も馬鹿だな、救いようが ないレベルのとんでもない馬鹿だな。もっとも、この素晴らしき僕は他人なんか救うわけがないんだけど」

「……ああ、そう」

 羽部の相変わらずの態度にげんなりし、伊織が目を逸らすと、羽部は頭の後ろで手を組んで天井を仰いだ。

「システムがいい加減なんだよ、どれもこれも。遺産自体が穴だらけなんだ。それなのに、その穴を埋めようともせず に人智を越えたことをやらかそうとするから失敗するんだよ。アソウギにしても、あれは地球上の生命体を改造 するためのツールじゃない。D型アミノ酸の生命体にしか適合しないことで解るはずじゃないか、そんなこと。アマラ もそうだよ、それなりにネットワークと文化が出来上がった社会で仮想現実に構築した概念を使って現実に影響を 与えて実体化する、だなんてナンセンスにも程があるよ。偏った情報で出来上がっている概念なんか使ったりしたら、 ろくでもない結果になるのが目に見えている。ナユタもそうだ。政府関係者が横流ししてくれた情報で新免工業が 起こした事件の概要は掴めたけど、そもそもあれは何のために使う道具なんだよ。中性子線を放って分子構造 そのものを破壊して物質を消滅させるほどのエネルギーがあっても、利用方法が解らないのなら、無意味の極み じゃないか。無尽蔵なエネルギーを発生させるだけだったら、コジロウの動力源であるムリョウだけで充分なはず なのに。そのムリョウと対になっているタイスウも、ただの箱にしては頑丈すぎるし、異次元宇宙に分子を存在させて おく利点はどこにあるんだか。遺産も異次元宇宙に存在していたら、共倒れするだけじゃないか。コンガラもそうだ。 物質を無限に複製出来るとしても、複製するために必要な物質はどこから引っ張ってくるんだ? コンガラが何かを 複製したら、その分だけ、別の宇宙の物質が間引きされてしまうはずだ。シュユと同等の機能を持ったゴウガシャ にしても、なぜその能力で本体を蘇らせることが出来ないんだ? 劣化コピーだとしても程があるよ」

「で?」

 羽部の独り言を聞き飽きた伊織が寺坂の口癖を真似てみると、羽部は少し考えた後に言った。

「遺産の機能をトータルして考えてみると、未開の地を切り開くための道具一式なんじゃないかって思えてくるんだ。 アソウギで現住生物を改造して現地調達出来る労働力を生み出し、アマラでその労働力の思考と思想を統制して 管理し、ナユタのエネルギーを適当な方法で変換して文明を進歩させる原動力にして、出来の良い個体が出来たら コンガラで複製してシュユで生命を与え、そしてまたアマラで管理下に置く。そうすると、面倒臭い統治なんかせずに 済むからね。ムリョウとタイスウは……輸送手段の一部として考えるべきかな。ラクシャは記憶媒体だから、その中 に詰め込んだ膨大な情報を元にして開拓作業を行うんだろう。だが、散らばっているのは道具だけで、それを使用 する者が存在していない。管理者権限所有者は存在しているけど、それはあくまでもスペアであって本物じゃないと 思うんだよねぇ。どの遺産も人間が作り出せる代物じゃないから、人類を超越した第三者が何らかの意図によって 遺産をばらまいた、と考えるべきだね。だとすれば、なぜ管理者権限所有者なんて作っておいたのかが疑問だけど、 それはまあこれから考えればいいか。この僕の冴え渡る頭脳を錆び付かせないためにもね」

「開拓しに来たのが誰だか知らねぇけど、だとしたら良い迷惑じゃねーか」

 長い歴史の中、開拓の名の下に滅んだ文明は数多くある。伊織が毒突くと、羽部はにんまりする。

「そうなんだよ。だから、この優れたる僕の能力を生かすべく、獅子身中の虫になったんじゃないか」

 あ、これは秘密ね、と羽部は口角を吊り上げた。その表情はやけに楽しそうで、心からの笑顔と称すべきものでは あったが悪意が多分に含まれていた。開拓者が羽部の想像上の存在だとしても、人間を越えた生命体である羽部 自身を上回る存在を否定したくてたまらないのだろう。たとえそれが神であったとしても、羽部の刺々しい自尊心を 損なうものは決して許せないのだ。筋金入りのナルシストだ。だが、自尊心を守るためだけに弐天逸流に潜り込む とは、剛胆ではある。無謀極まりない上に自意識過剰にも程があるが。
 伊織も、その考えには多少は同意出来る。彼ほど極端ではないが、弐天逸流とシュユの思い通りに使われるのが 面白くないのは確かだ。それに、りんねも本意ではないだろう。弐天逸流の企みが知れたら、その時は手のひらを 返してやろうではないか。それもまた、りんねを守ることに繋がるのだから。
 味方など、どこにもいない。高守も羽部も弐天逸流の信者達も、伊織とりんねを利用しようとしているだけだ。偶像 として、遺産を使うための鍵として。だから、こちらも利用し返してやるしか生き残る道はあるまい。
 今一度、伊織は決意を据えた。




 九月に入り、二学期が始まった。
 それは船島集落の分校でも例外ではなく、九月の第一月曜日から授業が再開された。最後まで頑張ったが時間 が足らず、宿題を全部終わらせることが出来なかったつばめは、追試を覚悟して登校した。だが、担任教師である 一乗寺が提示したのは追試でもなければ宿題の消化でもなく、自習だった。
 自習、と黒板に大きく書き記してあり、一乗寺はその手前にある教卓に突っ伏していた。理由は不明だが、突如と して性別が転換して女性化した一乗寺は、未だに男物の服を着ていた。ブラジャーや下着の類は、道子が採寸して くれて通販で購入したものを身に付けているのだが、それ以外はまだ手が及んでいないのだ。だから、肩幅の広い ワイシャツの襟元が広がって一乗寺のやたらと大きい胸の谷間が覗き、真正面に座っているつばめにはとてもよく 見えてしまうのである。身長も若干縮んだらしく、一乗寺のスラックスの裾は折り畳まれている。

「うぇええ気持ち悪ぅ……」

 青い顔をした一乗寺は、今にも死にそうな声を出して呻いた。

「先生、もしかしてアレですか?」

 思い当たる節は一つしかない。つばめが自分の下腹部を押さえると、一乗寺は涙目になった。

「俺の体が変わってから三週間経ったでしょー……? だから、きっちりアレが来たってわけ。あーもう……」

「てぇことは、つまり、そういうことなんですか!?」

 つばめが目を剥くと、一乗寺は腰をさすった。

「そうなんだよぉ。みっちゃんが色々と用意してくれたから大丈夫だけど、あー、もうやだー、男に戻りたいー」

「そんなにホイホイ戻れるものなんですか」

「戻れるわけないじゃーん! だから苦しんでいるんだよーう! お腹痛い気持ち悪い頭痛いー!」

 ホルモンバランスのせいで情緒が不安定になっているからか、一乗寺は声を上げた拍子にぼろっと涙を零した。 理解に苦しむ部分が多すぎて思考停止しそうになりながらも、つばめは事態を理解しようと努めた。まず、一乗寺は 常人ではない。だが、先天的に人間ではないのか、後天的に人間ではなくなったのか、で大いに変わってくる。更に 言えば、性別が切り替わるのは能力なのか体質なのか、でもかなり変わってくる。けれど、男になろうが女になろうが 一乗寺の一人称は俺で固定されているらしい。それでいいのだろうか。

「そんなに辛いんだったら、今日は授業はしないで大人しくしていたらどうですか?」

 どうせ自習なのだから、とつばめが提案すると、一乗寺は拗ねた。

「やだよー。俺、先生をやるのって嫌いじゃないんだもーん。それに、戦ってばっかりいるのも飽きるし、こっちの体 になっちゃうと男の時に比べて無理が利かなくなるんだもん。骨格も細いし筋力も低いから、戦闘には向いてない んだー。だって、単体繁殖するためのモードだしぃー。俺、そこまでダメージ受けたつもりじゃなかったんだけど」

「単体繁殖ぅ?」

 ますます人間離れしていく。つばめが思わず聞き返すと、一乗寺は唸った。

「あー、うん、そうなのー。今は栄養状態が悪いから、それはないみたいだけど、でも、あー気持ち悪ぅー……」

「先生って一体何なんですか」

「えー? 俺は俺、それだけだよう」

 一乗寺は少し伸びてきた髪を掻き上げ、眉を下げた。

「まー、慣れてきたから特に何もリアクションしませんけどね」

 驚きが収まったつばめが椅子に座り直すと、一乗寺はへらっと笑った。

「うん、ありがとう。そういうのがね、一番楽なの。で、今日のお弁当はなーに?」

「買い出しに行っている余裕がなかったんで、在り合わせですけど。キュウリのたたきと、ハムのピカタと、ツナと 卵とマカロニのサラダで。あと、梅干しと塩昆布のおにぎりが二つ」

「わーい、楽しみぃー」

 さすがに倒れそうだから一眠りしてくる、と絞り出すように言うと、顔色が一層悪くなった一乗寺はふらつきながら 教室を後にした。あんな足取りで無事に宿直室まで辿り着けるのだろうか、とつばめが冷や冷やしていると、一乗寺 の不安定な足音が途絶えた。廊下に倒れた様子はないので、最後まで踏ん張りが利いたのだろう。
 つばめはほっとしながら、いつも通りに教室の後方で待機しているコジロウに向いた。彼なりに一乗寺の様子が 気になるらしく、視線を向けていたが、つばめに戻した。つばめは彼を机の傍に手招くと、やりきれなかった宿題を 消化すべく、教科書やノートを広げた。コジロウに問題の答えを聞くのは、どうしても解らないところがある時だけだ と決めているし、コジロウもつばめの学習を妨げない程度の情報しか与えてくれないので、答えを羅列するだけには ならない。つばめは一乗寺が作った問題に四苦八苦しつつ、回答欄を埋めていった。
 宿題が片付いたら、貧血と生理痛に苦しんでいる教師の元にお弁当を持って行ってやらなければ。鎮痛剤を飲む ためには何か食べる必要があるし、痛みのせいで消耗するので体力が保たないからだ。つばめは窓越しに残暑の 厳しい外界を見やり、一つ、ため息を零した。
 日常が戻ってくると、やるべきことも迫ってくる。放課後には、先月分の税金を支払う手続きをしなくては。これまでは、 金銭の絡んだ事務仕事を一手に引き受けてくれていた美野里がいなくなったのだから、自分でやるしかない。
 改めて、姉のありがたみを思い知った。





 


12 10/22