機動駐在コジロウ




身から出たサービス



 RECが規定したロボットファイトのルールはこうである。
 ラウンド制で3ラウンドが五分、ラウンドを二つ先取するかKOするかで勝利。一分間のインターバルはあり。KO の他、レフェリーがロボットファイターが戦闘を行うのが不可能と判断された場合にはTKO、オーナーの判断による 棄権もある。KOは、対戦相手が起き上がれなくなった場合の10カウント、対戦相手の両肩をリングの床に付けて 3カウントを取った場合の二種類。場外に出た場合、10カウント以内に戻らないと戦意喪失と見なして強制的にKO 扱いとなる。人間と同様、金的、目潰し、凶器攻撃は失格となるがルールによっては凶器攻撃は可能となる。ロープ エスケープならぬチェーンエスケープもあり。
 現段階での階級は、三百キロ以上のロボットはテラトン級、三百キロ以下二百キロ以上のロボットがギガトン級、 二百キロ以下百キロ以内のロボットがメガトン級である。百キロ以下のロボットの階級はまだ制定されていない。
 入場ゲートの端から、つばめは第一試合を行うロボットファイターとオーナーの入場を眺めていた。道子がかなり 手を入れたのか、ホログラフィー投影装置から放たれる立体映像は鮮烈で、会場の四方にに設置されている大型 スピーカーから流れ出してくる入場曲は腹に響く重低音だった。それに合わせてロボットファイターはポーズを決め、 オーナーもまたキャラクターに合わせたポーズを取っている。直後、入場ゲートの両脇から花火が上がった。同時に 歓声も上がり、観客席が沸き立った。客席は少々まばらに空いているが、八割は埋まっている。美月の心配は杞憂 に終わったようで何よりである。
 ロボットファイトの一連の試合は、動画サイトで生放送を配信している。テレビ中継よりも金も掛からず、ファンとの 距離も近いので、今の時代に打って付けだ。だが、つばめの顔と声をそのまま流すのはよくないので、道子とアマラ の能力で微妙に変えてくれるのだそうだ。試しに加工済みの映像と音声を聞いてみたが、確かにつばめによく似た 別人になっていた。
 爆発音と共に飛び散った本物の火花が光沢を出すワックスを塗り込んだ機体を煌めかせ、火薬の匂いが危険な 戦いを予感させてくれる。ヘヴィメタルに乗って軽くステップを踏みながら、極太のチェーンで四方を囲まれたリング に上がったロボットファイターに、観客席の至るところからフラッシュが焚かれた。何事かとつばめが目を凝らすと、 観客席には広角の望遠レンズを備えた一眼レフカメラを構えた人々がいた。

「……何事?」

 観客達の仰々しさにつばめが戸惑うと、サイドテールを整えて簡単なメイクをしながら、美月が説明した。

「ああ、あの人達? 撮り鉄みたいなもんだよ、言うならば撮りロボかな」

「試合は見ないの?」

 つばめは慣れた手付きでファンデーションを薄く塗っていく美月に振り返ると、美月は肩を竦める。

「試合そのものも好きなんだろうけど、それよりも写真を撮る方が好きなんだよ。物事の捉え方は人それぞれだし、 オタクって言っても色んなジャンルがあるからとやかく言うものじゃない、ってお父さんが言っていたんだ。ロボットの キャラクターが好きな人もいるし、ロボットよりもオーナーが好きな人もいるし、純粋に格闘戦を目当てに来る人も いるし、ショーアップされた試合の空気が好きだから見に来るって人もいるだろうし。だから、あんまり気にしないこと だよ。私達は徹底的に戦い抜けばいいんだから。それがサービスってもんだよ」

 手加減しないよ、と美月が親指でレイガンドーを示したので、つばめは言い返した。

「シナリオ通りに負けるつもりだけど、あんまりギタギタにしないでね? 後の修理が大変だもん」

「大丈夫だって、レイも弁えているから。とにかく頑張ろうね、つっぴー」

 美月はつばめを小突いてから、ロボットファイターの待機所に駆けていった。レイガンドーを始めとしたロボット達 が暖気を行っていて、シリアスの格好になっているコジロウもその中に混じっていた。彼はロボットファイター達の中 では体格が一回り小さく、見劣りして見えた。ロボット達に指示を出して動作を確かめているオーナー達はシリアスを あまり重視していないらしく、目もくれていないようだった。つばめは気後れしそうになったが意気込みで払拭し、 オーナー達に混じってシリアスの暖気を始めたが、あの女性オーナーだけはロボットファイターを待機所に連れてきて おらず、ロボットファイター達の様子を眺めていた。作業着から衣装に着替える様子もない。乱入するから直前まで 秘密にしておくつもりなのだろうが、準備しておいた方がいいのではないかとつばめは少し気掛かりになった。
 ラウンドガールとして採用されている一乗寺は、ラウンドごとに数字を表示するホログラフィーパネルを掲げながら リング内に入り、抜群のスタイルを見せつけるためにモデル歩きをしながら四方を巡った。ついこの前まで男だった とは思えないほど様になっていて、細長いピンヒールのハイヒールを履いているのに膝も出ずに背筋も伸びていて 足取りもしっかりしていた。あのヒールの半分ほどしかないニーハイブーツでもよろけかける、つばめとは大違いで ある。俊敏に戦闘をこなせるのだから、優れたバランス感覚が備わっているのは当然だ。
 第一試合、第二試合、と滞りなく終了した。細々としたアクシデントもあったが順調に進み、試合が終わるたびに 一段と観客席が熱していた。自分なんかが出てあの空気を凍らせやしないか、とつばめは一瞬不安に駆られたが、 ここまで来て逃げ出すわけにはいかない。つばめは腹を括り、マスクを被り直し、エンヴィーと化した。

「続いて第三試合! の予定だが、このロボットファイターは未登録だぁーっ!」

 実況席から、リングアナウンサーの声が高らかに響き渡る。エンヴィーは今一度深呼吸した後、背後に控えている シリアスと目を合わせた。彼は主を見下ろし、拳を固めてみせる。入場ゲートの後ろで待機し、ミキサーと無線連絡 を取っていたスタッフから合図を送られ、エンヴィーはシリアスを伴って入場ゲートを通った。が、入る直前で肝心な 契約書が入ったトランクを忘れそうになったので、それを取ってきてシリアスに持たせてから入り直した。
 スモークが焚かれ、ホログラフィーの映像が切り替わる。いかにも悪辣な御嬢様であると印象付けるために加工 されたエンヴィーの映像と、その従順な部下であることを示す西洋式の礼をしているシリアスの映像になる。入場曲 も選び抜いたものが流れ出す。エンヴィーの衣装に合わせたゴシックメタルだ。

「望んだものは全て手に入れ、欲したものは全て手に入れ、贅の限りを味わい尽くした、世界に名だたる大富豪の 御嬢様! その名もエンヴィー!」

 シリアスの肩に腰掛けて登場したエンヴィーがこれ見よがしに足を組むと、花火が炸裂し、実況も熱する。

「金も車も宝石も男も手に入れたが、その手にないものはただ一つ! REC王者のベルトだぁーっ!」

 シリアスは入場ゲートとリングの中間地点で立ち止まると、エンヴィーを片手に座らせて一礼する。

「そしてエンヴィーの鋼鉄の騎士にして最強の下僕、シーリアーッス! 無謀なる挑戦者だぁーっ!」

 再度、花火が点火する。エンヴィーだけでは今一つリアクションが薄かった観客達は、新登場のロボットファイター に対してそこそこの歓声を上げてくれた。エンヴィーは長手袋を填めた手を伸ばして方向を示してやると、シリアス はリングに向かった。先程の試合の名残である金属片が落ちているリングに昇ると、エンヴィーはシリアスの手中 から受け取ったトランクを掲げてみせ、レフェリーから受け取ったマイクを手にして、シリアスの肩に腰掛けた。

「御機嫌麗しゅう、庶民の皆様。ただいま御紹介に与りました、エンヴィーと申しますわ。以後、お見知りおきを。私、 生まれてこの方、ありとあらゆる遊びをしてきましたの。といっても、ちゃちなテレビゲームなどではなくってよ。一夜 にして数億の金が動くギャンブル、大企業を手中で弄ぶマネーゲーム、男達の心を転がすボーイハント、と上げれば 切りがありませんの。ですが、どれもこれも飽き飽きしてしまいましたの。退屈でしたの。ですから、私の下僕である シリアスでRECのロボットさん達を壊す遊びを思い付きましたの。とっても刺激的でしょう?」

 エンヴィーが感情を込めながら自分の設定を語ると、観客からブーイングが起こった。だが、エンヴィーは事前に 頭に入れていたセリフを思い出すことで精一杯で、ブーイングを気にしている余裕などなかった。次の段取りもある のだから、そんなことでいちいち反応していられない。

「けれど、RECの社長さんは私に契約書を下さいませんでしたの。ですから、こうして手に入れたのですわ!」

 トランクの錠を開き、書類を取り出し、エンヴィーはそれを観客達に見せつける。またもやブーイング。

「私とシリアスの項目は書き込んでありますわ。契約を交わすために必要なのは、社長さんの署名と捺印ですけれど、 それだけじゃ物足りませんわ。そうですわねぇ……。社長さんの息子も同然であり、RECの看板ファイターでも あるレイガンドーの首でも添えてさしあげましょうかしら」

 エンヴィーが高笑いで締めると、ブーイングが大きくなった。

「御嬢様の仰せのままに」

 シリアスは胸に手を添え、深々と頭を垂れる。と、その時。入場ゲートの左右に浮かんでいたホログラフィーが切り 替わり、レイガンドーと美月の映像となった。そして入場曲もレイガンドーのものに変わった。一瞬、会場全体の空気 が静まる。その隙を見計らい、エンヴィーはシリアスを入場ゲートに向かせてから叫ぶ。

「ごめんあそばせ! お先に御邪魔しておりましてよ!」

 スモークの後に花火が煌めき、それを掻き分けながら勇ましく登場したのは、美月を肩に載せているレイガンドー だった。レイガンドーは大股ではあるが悠長に歩いて、王者の風格を見せつけた。美月は固定ファンがそれなりに いるらしく、みったーん、みっきーちゃーん、だの何だのと呼ばれ、その都度手を振り返している。
 二人もまたリングに上がってくると、エンヴィーとシリアスと対峙した。美月は自分のマイクを押さえ、エンヴィーに 笑いかけながら小声で囁いた。いい感じだよ、と。エンヴィーは笑みを返してから、シリアスの肩から下りてリングに 仁王立ちした。美月もレイガンドーの手を借りて下り、エンヴィーが投げ渡してきたマイクを受け取った。

「へえ、あなたと彼なのね? この前、うちの会社に入り込んだ不届き者は。おかげで事務室がひどいことになった んだから。そこまでしてRECと契約を交わしたいだなんて光栄だけど、レイガンドーの首はいらないよ。その代わり、 あなたのロボットの首を差し出してもらえる? そうすれば、不法侵入と器物破損は不問にするけど?」

 美月のセリフが終わり、少しの間が空いた。エンヴィーのセリフが入る予定だったからだ。だが、エンヴィーは緊張 が極まるあまりにセリフ自体が頭から飛んでしまっていたので、悠然とした笑顔を作るだけだった。エンヴィーが次の セリフを言い出さないことに気付いた美月は、すかさずフォローを入れる。

「ド派手な入場演出にアナウンスの原稿まで用意させるなんて、うちのスタッフを随分と買収してくれたみたいだね。 でも、それも今回限りだよ。次があるとは思わないことだね!」

「俺と美月の、いや、俺達とRECの行く手を阻む輩は誰であろうと決して許しはしない!」

 美月がエンヴィーを指し、レイガンドーが得意技のアッパーを放つモーションをすると、観客が沸いた。美月に次の セリフを急かされ、エンヴィーは繋ぎのセリフを忘れてしまったことに今更気付いたが、美月が進行してくれたので次の 展開に進めることにした。マイクパフォーマンスはテンポも大事なのだから。

「あらあら、随分と勝ち気ですこと。では、私とシリアスが勝てば本契約をお願いいたしますわ。あなたとレイガンドーが 勝つことなんて有り得ないでしょうけど、それがあったとしたら、潔くRECから身を引きますわ」

 実際、エンヴィーとシリアスは一回こっきりという約束だからである。エンヴィーの言葉を美月が快諾すると、リング アナウンサーが威勢良く盛り上げてくれた。エンヴィーと美月は観客達に手を振ってから、リングから下りた。二人と 入れ替わりでラウンドガールである一乗寺が入り、ROUND1 と表示したホログラフィーパネルを掲げながらリングを 一回りした後、リングから下りてきた。フルサイボーグのレフェリーが二体のロボットファイターの間に立ち、合図を 送ると同時に力強くゴングが打ち鳴らされた。レフェリーはすぐさまコーナーに退避する。
 シリアスとレイガンドーは互いの距離を測るためにジャブの応酬を繰り返し、ステップを踏んでヒットアンドアウェイ に徹していたが、それもすぐに終わった。美月がレイガンドーにヒールキックの指示を出したからだ。強烈な蹴りを 顔面に喰らったシリアスは仰け反りながら後退るも踏み止まり、レイガンドーの上半身にドロップキックを叩き込んで チェーンに振った。凄まじい衝撃を浴びたチェーンとポールが揺さぶられ、雷鳴の如く鳴り響く。
 が、その程度のダメージで倒れるレイガンドーではない。追撃を加えようと迫ってきたシリアスをハイキックで迎撃 して吹っ飛ばしてから、ポールに追い詰めてボディーブローの後にアッパー、更にアッパー、またもアッパー。

「これは一方的な試合展開! 高級品のボディのチューンがデリケートすぎるからかー!?」

 ダメ押しの右ストレートでシリアスは項垂れ、両腕をチェーンに引っかけたまま項垂れる。レイガンドーは一歩後退 してから両腕を上げ、場を盛り上げる。レイガンドーの必殺技である三連スープレックスの予告を兼ねたアピールで 観客を沸き立たせてから、シリアスの胴体に組み付こうと突進してきた。だが、シリアスも負けてはいない。

「おおっとカウンター! これは強烈ぅ!」

 シリアスは両足を上げ、レイガンドーの勢いを利用した蹴りを叩き込む。蹴りの反動でレイガンドーがよろめくと、 シリアスはバック転を決めながらコーナーから脱してレイガンドーの背後に回り込み、跳躍して足を揃える。

「ドロップキーック!」

 背面にシリアスの全体重を受けたレイガンドーがつんのめり、チェーンに突っ込む。トップロープとセカンドロープの 間に頭が出る格好になったレイガンドーは、バランサーの具合を調整するべく頭を軽く振った。リング越しに美月と エンヴィーは目を合わせ、互いに合図を送る。シリアスはレイガンドーとは反対側のチェーンに向かって背中から 突っ込み、反動を使って加速しながら駆けていく。シリアスが無防備なレイガンドーの背中に組み付き、腰に両手を 回してホールドする。そのままレイガンドーはジャーマンスープレックスを叩き込まれ、両肩がリングに付く。だが、 ツーカウントになった瞬間にシリアスの胸部を蹴ってホールドを脱し、自由を取り戻したレイガンドーは、シリアスに 背を向けて彼の頭を抱えて肩に載せ、前方に大きくジャンプする。このままでは、シリアスは顔面を床に強打して しまう。予定通りの流れとはいえ、エンヴィーははらはらしてきた。

「レイガンドーのダイヤモンドカッター!」

 が、シリアスの顔面が床に沈む寸前、シリアスは一瞬早く両足を着けた。そして、空中でレイガンドーの巨体を 反転させて姿勢を逆転させ、今度はシリアスがレイガンドーに同じ技を掛けた。

「おいいいっ!?」

 思わず、レイガンドーが素の声を上げた。練習ではこんな切り返しをしたことはなく、全くの予想外だったからだ。 直後、レイガンドーがダイヤモンドカッターで顔面を強打され、その衝撃の余波で胴体と手足がワンテンポ遅れて 波打った。僅かな静寂の後、シリアスの名を呼ぶ声が次々に上がる。

「違ったぁ、シリアスのダイヤモンドカッターだぁあああああっ!」

 レイガンドーの頭上に立ったシリアスは、観客席をぐるりと一瞥してから右手を挙げて二本指を立て、額に添える。 これが、つばめとコジロウが苦心して編み出したアピールポーズである。だが、レイガンドーがそれを長々と許して おくはずがない。過度な衝撃を受けた際にロボットが緊急回避措置として陥るスタン状態から回復したレイガンドー はシリアスにドロップキックを食らわせて転倒させると、シリアスを担ぎ、ポールの上に昇った。

「あれって大丈夫なんだっけ……?」

 二体のロボットの体重を一心に受けて苦しげに軋むポールを見、エンヴィーが懸念を覚えると、ラウンドボードを 抱えている一乗寺が近付いてきた。

「特殊合金だから、ちょっとぐらいなら大丈夫でしょ。さーて、そろそろ1ラウンドの終了だけど」

 シリアスを抱えたレイガンドーが拳を上げるアピールをしながらポールに昇り、程々に抵抗するシリアスの胴体を 抱えていざジャーマンスープレックス、というところでゴングが鳴り響いた。絶妙なタイミングである。待ってましたと 一乗寺はリングに滑り込み、ラウンドボードを掲げて歩き回った。美月の時間配分が上手かったおかげで、引きも タイミング良く出来た。シリアスのダイヤモンドカッター返しで流れが変わりかけたが、修正出来た。
 若干よろけながらコーナーにやってきたシリアスに、エンヴィーは駆け寄った。どぎつい紫色の外装を開いて蒸気を 噴出しているシリアスに冷却水を補充してやりながら、エンヴィーは歓声に紛れる程度の声色で話し掛けた。

「あんまりやりすぎないでよ、試合なんだから」

「戦闘は勝たなければ無意味だ」

「勝っちゃダメなの。いい感じに負けてもファイトマネーは出るし、本気で王座も狙っていないんだし」

 いってらっしゃい、とエンヴィーがシリアスの外装を閉じてやると、シリアスはなんだか不本意そうではあったが再び リングに戻っていった。一乗寺が ROUND2 と表示したラウンドボードを掲げた後にゴングが痛烈に鳴り、一乗寺は 軽やかな足取りでリング外に逃げてきた。
 急速充電を終えたレイガンドーとシリアスが向かい、パンチとチョップを繰り出しながら距離を測っていたが、二人 は太い指を組み合って力比べを始めた。地味な構図だが、両者の力関係を知らしめるにはもってこいである。レイ ガンドーが押すとシリアスは少し退くが、腰は引けていない。つまり、パワーではレイガンドーが格上だが、シリアスは 戦意充分、という意味合いだ。その均衡を先に破ったのはレイガンドーで、強かなヘッドバッドを喰らわせた。その 衝撃でシリアスの指が緩むと、すかさずレイガンドーはシリアスを殴り倒し、彼の両足を両脇に抱えた。

「これは豪快! ジャイアントスイーンッグ!」

 四角いリングの中央で、鋼鉄の竜巻が唸りを上げる。人間同士であれば相手の平衡感覚を失わせるという意味が ある技ではあるが、バランサーが一定のロボットにとってはそれほど意味がない。あるとすれば、パフォーマンス である。十数回、円を描いてから、レイガンドーはシリアスの両足を離した。遠心力に従って放り出されたシリアスは チェーンに突っ込み、外装とチェーンの摩擦で一瞬火花が飛び散る。チェーンが前後に揺れ、ポールの根本すらも ぎしぎしと鳴る。レイガンドーはシリアスを挑発するためにステップを踏み、拳を振ってみせる。
 少々の間を置いて顔を上げたシリアスは、挑発してくるレイガンドーを見据えた。摩擦で削れた外装を払ってから 直立したシリアスは、腰を落として身構えた。あ、ヤバい、とエンヴィーは直感した。この構えはシリアスではない、 コジロウそのものだ。彼の感覚では見世物としての試合が理解しがたいのだろう、だから、決定打に欠ける攻撃 を繰り返してくるレイガンドーを排除しようと判断したのだ。エンヴィーはリングに駆け寄り、叫ぶ。

「御加減なさい、シリアス! ワゴンセールのロボットなどに本気を出すことなどなくってよ!」

「……了解」

 赤い光を灯しかけていたゴーグルから光が失せて、シリアスは自身のキャラクターに合った構えに戻した。美月と レイガンドーもほっとしたのか、二人はエンヴィーに目配せしてきた。コジロウに本気を出されたら、試合の流れや 場の空気が滅茶苦茶にされてしまうからだ。
 シリアスのレッグシザース、レイガンドーのアームドラッグ、シリアスのランニングニードロップ、レイガンドーのエル ボー、と技の応酬が続いた。暖まってきた観客席の雰囲気を壊さないために、一進一退の攻防を繰り広げる必要が あるからだ。シリアスがレイガンドーのダウンを取って2カウントで切り替えされた瞬間、高らかにゴングが鳴った。 明確な決着を付けずに最終局面に持ち込む。これもまた、予定通りである。
 そして、最終ラウンドが始まった。レイガンドーは躍起にシリアスを攻め、シリアスもそれを受ける。プロレス技は 受け手の巧さも重要なので、受け身を重視した練習を入念に行ってきた。その甲斐あって、シリアスはレイガンドー の技を引き立てられるようになっていた。問題があるとすれば、シリアス、もとい、コジロウがそれを忘れていないか どうかだ。先程のこともあるので、エンヴィー、もとい、つばめは冷や冷やしながら二人の戦いを見守っていた。結果 は解り切っているのだから、その筋書きから外れたことをしないかどうかが心配なのである。
 そして、レイガンドーの三連スープレックスが決まり、レイガンドーはシリアスをエビ固めに持ち込んだ。シリアスの 両肩がリングに押し付けられ、レフェリーがカウントを取る。シリアスは膝でレイガンドーの顔面を叩きそうになったが、 エンヴィーは彼に切り返すなと指示をした。シリアスがその通りにすると、3カウントが終了し、ゴングが荒々しく連打 された。その音が鳴り止まぬ間に、リングアナウンサーが叫ぶ。

「勝者、レイガンドォオオオオオーッ!」

 すかさずレフェリーがレイガンドーの右腕を挙げさせると、リングに沈んでいたシリアスが起き上がった。どことなく 不満げな眼差しをエンヴィーに注いできたので、エンヴィーはシリアスを宥めるために手を振った。愚痴ならば後で いくらでも聞いてやる、だから今は大人しくしておいてくれ、と。口頭で命令出来れば一番いいのだが、試合中なので そうもいかないのだ。レイガンドーの入場曲が響き渡り、ヘヴィメタルの重低音が骨身に染みる。
 と、その時、不意に会場内のライトが点滅した。入場ゲートのホログラフィーにノイズが走って全く別の映像が投影 され、入場ゲートにスモークが噴出した。スポットライトも入場ゲートに集まり、何事かと皆の視線が向く。エンヴィー が美月を見やると、今なんだ、と渋い顔をして口を動かしていた。ということは、この瞬間から乱入戦が始まったと みていいだろう。レイガンドーの勝利の余韻に浸っている暇もないまま、スモークを蹴散らしながら巨体のロボットが 現れた。いかにも重機らしい黄色と黒のカラーリングに、背中に貼り付いた昇り龍のペイント。これは、もしや。

「どぅーわっはっはっはっははははははははぁー!」

 野太い笑い声を上げたロボットは、あの女性オーナーを伴いながら入場してくると、レイガンドーを指した。

「そがぁな若造を仕留めるのに手間を喰うとは、焼きが回ったもんじゃのう、レイガンドー!」

「その声、その姿、お前はまさか岩龍!?」

 レイガンドーが岩龍を指し返すと、岩龍は女性オーナーを肩に載せて分厚い胸を張る。

「ほうじゃ! ワシャあのう、おどれと決着を付けるために戻ってきたんじゃい! ワシを改造してくれたオーナーも ほれ、この通りじゃい! 今度こそ、おどれをスクラップにしちゃるけぇのう!」

 けたたましくフラッシュが焚かれ、シャッターが切られる。嘘マジヤベェ、との声が観客席のそこかしこから上がり、 岩龍の人気を知らしめられた。上等だ、掛かってこい、とレイガンドーが岩龍を手招く。その隙にシリアスは早々に リングから下りて裏口を通り、会場を抜け出してバックステージに移動した。もちろん、エンヴィーも一緒だ。
 待機所に戻ってきたシリアスを座らせて、エンヴィーも手近なパイプ椅子に腰掛けた。途端にどっと疲れと緊張が 襲ってきて、手足の先が震えそうになった。マスクを外して浅い呼吸を繰り返していると、レイガンドーと岩龍の試合 が始まったのだろう、金属塊同士が激突する轟音が地面を通じて伝わってきた。
 休憩所にいた他のオーナー達は、エンヴィーのマスクを外したつばめに近付き、労ってくれた。岩龍の乱入戦まで の繋ぎではあったがいい試合だった、初心者にしては上手かった、と褒めてくれた。が、それ以上に厳しいダメ出しを されてしまい、ちょっと泣きそうになった。けれど、悪い気分ではなかった。

「お疲れー」

 ゲストカードを首から提げた寺坂がやってきたので、その締まりのない姿を見てつばめは弛緩した。

「ふぁーい。あれ、武蔵野さんは?」

「岩龍の試合を見てから来るとさ。で、あの岩龍は俺達が知っている岩龍だと思うか?」

 寺坂はもう一つのパイプ椅子を引き寄せて座ると、片足を膝に載せた。つばめはオーナーの一人から渡された、 未開封のスポーツドリンクを開けて口にした。喉が潤うと、少しだけ気分も落ち着いた。

「たぶん。吉岡りんねの別荘から岩龍がいなくなっていたって武蔵野さんから聞いていたけど、ロボットファイターに 戻っているだなんて思ってもみなかったよ。でも、どこの誰が改造したんだろう? で、あのオーナーの女の人って どういう関係なの? 岩龍はあの人を信頼しているみたいだから、付き合いは長そうだけど」

「それについては、後で聞き出そうぜ。それよりも今は、こっちが気になる」

 寺坂はジーンズのポケットから携帯電話を取り出すと、ホログラフィーモニターを展開し、動画を映した。その背景 は紛れもなくRECの会場であり、熾烈な戦いに火花を散らすレイガンドーと岩龍が中央にいた。画面の上には滝の ようにコメントが流れていき、レイガンドーと岩龍の双方を応援するコメントが大半だった。

「おおすげー、視聴者数が一万を超えやがった。大受けだな」

 ほれ見てみろ、と寺坂が動画を見せてきたので、つばめは身を乗り出した。

「うわー、本当だ。でも、実感湧かないなー」

「それで、お前は何を考えているんだ?」

 寺坂に詰め寄られ、つばめはきょとんとした。

「何って?」

「ミッキーの誘いにほいほい乗って大舞台に出るからには、それ相応の腹積もりがあるはずだろ? お前のことだ、 ただで動くわけがないからな。まさか、コジロウと遊びたかったってだけじゃねぇだろ?」

 口角を吊り上げた寺坂を、つばめは深呼吸した後に見返した。

「まあねぇ。最初はミッキーと遊びたいから始めたことだったけど、途中からロボットファイトが目的から手段になった んだ。ここんとこ、私を狙う人達の勢いが弱いでしょ? この一ヶ月、何もしてこなかったんだもん。神名さんがうちに 来たぐらいで、他は全然。吉岡グループも弐天逸流も大人しいから、私が派手なことをすれば揺さぶりを掛けること になるかなーって思って。そうすれば、お姉ちゃんの行方も解るんじゃないかなって」

「悪くねぇな」

 寺坂はつばめのストレートアイロンを掛けた髪に右手を載せ、ぐしゃりと髪を乱した。包帯の下の触手は以前よりも 少しだけ硬くなっていた。つばめはニーハイブーツのファスナーを下ろして足から抜き、素足を投げ出した。

「でさ、さっき、ちょっと変なことがあったんだ」

「おう、聞かせろ聞かせろ」

 寺坂は椅子を反対にし、背もたれを抱えるようにして座り直す。つばめは少女達がいた場所を一瞥した。

「さっき、ミッキーに会いたいって中学生の女子グループが来ていたんだ。んで、その子の名前を聞いたんだけど、 夏休み中に行方不明になった子の名前だったの。だけど、あの子達はまだ一人も見つかっていないよね? 戻って きたなら戻ってきたで、ニュースか新聞で報道されるはずでしょ?」

「野暮用が出来た」

 寺坂は笑顔を顔に貼り付けてはいたが、語気が明らかに重たくなっていた。また来てやるよ、と言い残して寺坂は バックステージを去っていった。その後ろ姿を見送ってから、つばめはコジロウに向いた。コジロウはつばめと目を 合わせようとはせず、少しばかり軸を外していた。負け試合を演じさせられたことが余程気に食わなかったのか、 友人を利用して敵を煽ろうとするつばめの作戦が腑に落ちないのか。

「言いたいことがあるなら、言ったら?」

 化粧ポーチから取り出したシートでメイクを落としながら、つばめが呟くと、コジロウは顔を背けた。

「本官は、つばめの判断に対して意見を述べられるような主観を持ち合わせていない。だが、今回の行動がつばめ の身辺に危険をもたらす可能性は非常に高い。よって、今後はより慎重な行動を取るべきだ」

「解っているよ。解っているけど」

 つばめだって、出来ることならこんな手段は取りたくはない。けれど、事態を打開するためには、憎むべき敵から 攻められなければ掴み所が見つからないからだ。弐天逸流に接触する手段もないし、懐に入らなければ敵の本懐 を知ることも出来なければ、打倒することも出来ない。少なからず、つばめは焦っていた。
 母親だけでなく、姉まで失うのは耐え難かったからだ。





 


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