仕事を与えられた。 備前美野里に回収され、部下になってからというもの、毎日暇を持て余していた周防国彦にとっては願ってもない 話だった。新免工業を裏切り、備前美野里の部下となったフルサイボーグの戦闘員、鬼無克二が傍受していた通信 電波の中に行方不明であった羽部鏡一と寺坂善太郎の会話が紛れていたからである。 不可解な点も多い。羽部の名義の携帯電話の発信場所が備前美野里が経営する弁護士事務所であったことと、 名義は羽部でも携帯電話の本体の持ち主は寺坂善太郎であったことだ。しかし、周防は政府の人間ではないし、 捜査員ではないから、細かい理詰めを行って真相を究明する必要はどこにもない。公安と警察が組み立てている シナリオに添った報告書を書き上げる必要もなければ、シナリオには不要な捜査資料を秘密裏に破棄する必要も なければ、捜査上の事故という名目で殺害するべき犯罪者も存在していない。備前美野里の指示に従わなければ ならないが、かなり自由な行動が取れる。公務員だった時代に比べれば、天と地ほどの差がある。 「それで、俺達は誰を殺せばいい」 ガバメントのグリップを握り締めながら、周防はリーダーを見やった。 「手当たり次第に。なんでしたら、全員でも構いませんよ。相手が人間であろうがそうでなかろうが、容赦することは ありません。彼らは既に死亡届が提出されておりますし、そうでなければ行方不明者として扱われているからです。 ですから、法的には彼らは死しています。死亡届が提出されていない人々がいたとしても、そこは裏から手を回して しまえばどうとでもなるものです」 いつものスーツ姿で、備前美野里は薄い笑みを湛えていた。鎖骨の間では、水晶のペンダントが光る。 「てか、どこから突っ込むんですー? ヘビ野郎とクソ坊主の通信電波の発信源を辿ってみましたけどー、これって 超近所じゃないですかーやだー」 戦闘服を着込んだ鬼無はノートパソコンのホログラフィーを指し、立体的な地図のある地点を示した。赤い逆三角 のマークが浮かんでいる地点が通信電波の発信源だが、それは船島集落の一角だった。その下には神社がある ことを示す鳥居の地図記号が付いていて、叢雲神社、との注釈も添えられていた。 「叢雲神社の周辺一帯もちょっと調べてみたんですけどー、ここってなんにもありませんよーこれー? 第二次大戦 中に作った防空壕とかー、洞窟とかー、隠し通路とかー、そういうのは全然ー。ヘビ野郎の話が本当だと仮定して もー、弐天逸流の本部が収まっちゃいそうな地下空洞とかもないっぽいですよー?」 鬼無が両手を上向けると、美野里はかすかに目を細めた。 「ありますよ。常人には目視出来ないだけです」 「えー? そういう中二病的な異世界ネタですかー? うわー」 鬼無が茶化すが、美野里は穏やかに受け流した。 「克二さんの主観ではそうかもしれませんね。コンガラによって複製された船島集落一帯の空間と地形は、船島集落と 隣接した異次元に存在しているのです。鏡と実物が隣り合っていなければ、正確な鏡像が結ばれないのと同じ 理論です。ですが、その異次元に誰もが立ち入れるわけではありません。弐天逸流を統べる異形の邪神、シュユ の許可を得られなければ認識することすら不可能です。弐天逸流の信者となった人々でさえも、シュユのお眼鏡に 適って上位幹部となれる者はごく一部に過ぎません。それはシュユが手足として使える能力を持った信者の選定を 行っているからでもありますが、異次元は通常空間とは物理的法則が少々異なっております。その影響を受けずに 行動出来る信者だけを上位幹部として引き入れ、使役しているのでしょう」 「俺達はどうなんだ。その変な空間に入れなかったら、何の意味もないが」 周防の疑問に、美野里はにこやかに答えた。 「問題ありませんよ。国彦さんも克二さんも、異次元での行動は充分に可能です。お二人が御使用になる武器弾薬 は大量に御用意してありますので、どうぞ心置きなくお使い下さい。弐天逸流の本部に到着したら、私はシュユとの 交渉に参りますので、お二人は御自由に暴れ回って下さい」 「言われなくとも」 周防が銃弾を詰めたマガジンをベストに指すと、鬼無はけたけたと笑った。 「コマンドー状態ですねー解りますー。でなきゃ、リアルFPSかなー」 「それでは、私は準備に参りますので、十五分後に地下の駐車場でお会いいたしましょう」 そう言い残し、美野里は一礼した後に部屋から去っていった。鬼無はその後ろ姿に手を振っていたが、美野里の 足音が遠ざかると態度を一変させた。目の下を押さえて舌を出すような仕草をした後、ノートパソコンのキーボードを 忙しなく叩いて入力した。死ね死ね死ね死ね死ね死ね。 「異次元とかさー、そういうのはアニメだから許されるのであって三次元で言うのは痛すぎー。てか、あの女、何を 言い出すかと思ったら電波な超展開ー? てか、あんな神社から異次元に行けるわけがないしー。確かに神社の 鳥居を潜ったら神の世界とか妖怪世界とかはありがちだけどー、それって伝奇ファンタジーものでも定番過ぎてもう 飽き飽きしているんですけどー?」 鬼無は力強くリターンを押し、死ねを連呼した文章をSNSに投稿した。 「何にせよ、船島集落に突っ込めるんであればそれでいい」 一乗寺に近付けるのだから。周防が傷跡が付いた頬に触れると、鬼無はあからさまに嫌がった。 「俺ってストライクゾーンが広い方だから結構イケるんだけどー、リアルで性転換萌えってのはないわー。いくら体が 女になったってー、元々は男じゃーん。性転換もののエロ漫画とかで女体化した主人公が友人とかに欲情されるのは よくあるけどー、あれって主人公が女体化したから欲情するんじゃなくてー、主人公がたまたま女体化してくれた から欲情している事実を隠さなくても済むようになっただけー、って気がするー。つまり潜在的ホモ、みたいなー? 薄い本が厚くなるな!」 「お前の言っていることは相変わらず解らんが、俺は別に同性愛者じゃない」 「えー? だって、すーちゃんって一乗寺が男だった頃から萌え萌えズッキュンだったんじゃないのー?」 「一乗寺は元から男だったわけじゃない。あいつは本来、女なんだよ」 周防がやや語気を強めると、鬼無は首を曲げた。 「えぇー? でも、あいつの情報とか戸籍をひっくり返してみても、そんなのって全然だったしー」 「俺も最初はそう思ったさ。だが、マスターが俺に流してきた情報によれば、一乗寺は元々女として産まれてきたん だよ。弐天逸流の信者と、シュユの間に出来た子供として」 「え、えーえーえー? それってなんですか、つまりマリア像とファッ」 と、言いかけた鬼無を押さえて黙らせ、周防は続けた。 「まあ、そんなところだ。俺だってどういう理屈でそうなるのかは信じられないが、資料の上ではそうなんだ。一乗寺の 母親はとある高級官僚の一人娘で、見合いが破断して気落ちしているところに弐天逸流に誘われて入信したん だが、余程シュユと相性が良かったんだろう、他の連中よりも洗脳のレベルが異常に高かった。神として信奉する だけでは飽きたらず、シュユと子供を作ろうとしたんだ。だが、弐天逸流が信者に寄越す御神体のゴウガシャの姿 を見れば解ると思うが、あんなのとまぐわえるわけがない。そもそも、どこにナニがあるか解ったもんじゃない。 だが、その女は本部に潜り込み、シュユと一線を越えた。そして産まれたのが一乗寺、更にその三年後には弟が 一人産まれているんだが、その時に女は死亡した。一人だけならともかく、二人も化け物の子供を産んだとなると 体が耐えきれなくなったんだ」 「あー、異種姦あるあるー。てかー、一人産んで無事だったってことがまず有り得ないんですけどー」 「まあな。弐天逸流の間でも一乗寺とその弟は持て余されていたようだが、仮にも神と交わった女が産んだ子だから 無下にはされなかった。一乗寺はそれなりにまともに育っていたが、弟は産まれながらに免疫系の重篤な病気を 煩っていて、自分の足で歩くことすら出来なかった。本部では満足な治療を受けさせてやれないため、姉弟は本部 から弐天逸流の信者が経営する病院に移された。その際に姉弟は院長の養子になり、一乗寺の名字をもらった。 その後、一乗寺は普通の人間であるような顔をして生活を送ったが、人格が破綻していた。善悪の区別がないのは 当たり前で、道徳観ゼロで倫理観もなく、欲望を止めようともしなかった。学校では自分の席には十五分も座っている ことが出来ず、誰のものだろうが食べ物があれば口に入れ、気に入らない相手がいれば文句を言うより先に殴り付けた。 だが、成績だけは良かった。元々の頭は良いんだ。だが、精神構造が人間じゃないんだ」 一乗寺の学生証だ、と周防が自身の携帯電話からホログラフィーを映し出すと、鬼無は腰を曲げて興味深そうに 覗き込んできた。そこには、満面の笑みを浮かべるセーラー服姿の少女が写っていた。輪郭が丸く幼いが、一乗寺 には違いない。関東の公立中学校の校名と校章の下に、名前が印刷されていた。一乗寺ミナモ。 「あれ? 昇じゃないのー?」 鬼無が不思議がると、周防はホログラフィーを消した。 「それは弟の名前なんだ。もっとも、その弟の方は病院にプロパーとして出入りしていたフジワラ製薬の職員に拉致 されて怪人に改造されたが、失敗作に終わって藤原伊織に処分された」 「へー、ちょっと面白いかもー」 鬼無は姿勢を戻すと、手近な椅子に腰掛けて長い足を投げ出した。 「だがな、その際に一乗寺ミナモは上半身を喰い千切られているんだ」 「え?」 これには鬼無も驚いたのか、語尾を伸ばさなかった。周防は腕を組む。 「そうなんだよ。改造された後、弟は一度病院に戻されたんだが、その時に学校帰りの一乗寺と鉢合わせ、怪人の 衝動に任せて捕食したんだ。すぐさまフジワラ製薬の戦闘員が飛んできて弟を取り押さえて連行したんだが、現場 には公立中学校のスカートを履いた下半身しか残っていなかったんだ。正確には、肋骨から上だな。臓物と血肉が 散らばる部屋に転がる下半身は、司法解剖の後に火葬される予定だったんだが、死亡三時間後に下腹部が異常 に膨張した後に出産した。三千二百十六グラムの、立派な新生児をな」 「え、えぇー?」 「一乗寺に妊娠の兆候はなかったし、あったとしても養父母が気付いているはずだ。仮にも医者なんだから。だが、 死んだ一乗寺は誰の子とも付かない新生児を出産したんだ。だが、話はこれからが本番だ。保育器に入れられて 栄養剤を投与された新生児は驚異的な速度で成長し、七日で一乗寺と全く同じ姿となり、一ヶ月も経つと記憶まで もが完全に再生された。あいつは自分で自分を産み直したんだ」 「え、え、えぇー?」 鬼無が仰け反りながら頭を抱えると、周防もこめかみを押さえた。 「俺だって理解に苦しむ点が多すぎる。だが、そうなんだ。あいつはそういう生き物なんだ」 「エイリアン的なナニかですかー?」 「そうであることを祈るよ。万が一にも神の子だったら、俺が宗教をでっち上げなきゃならん」 高揚が押さえられず、周防は笑いを噛み殺した。鬼無は少々呆れているようではあったが、周防の態度が彼の お気に召したのか、声を合わせて笑ってくれた。この男が同調出来るほど自分も歪んできたのかと思うと、周防は 薄ら寒くなったが、それ以上の解放感を味わっていた。一乗寺という不可解極まりない生物を生み出した弐天逸流 の本部に乗り込み、信者達を駆逐すれば、必然的にシュユが残る。そのシュユを使えば周防も一乗寺と同じ高みに 至れるかもしれないが、そんなことをしてしまっては何の意味もない。 周防はあくまでも人間として、人間の目線で、人間の感覚で、超常の存在である一乗寺を想っている。同じ次元 に上り詰めるという選択は簡単だが、人間の生理では受け付けられないおぞましさや不可解さこそが、一乗寺の 魅力であり真価なのだ。それを自ら捨ててしまうのは、あまりにも惜しい。嫌悪を内包した欲情の奥深さと心地良さを 知った今となっては、人間であり続ける理由が強くなる一方だった。 それから十数分後、出動命令が掛かった。周防と鬼無は美野里と共に用意された車に乗り込むと、至るところに 武器と弾薬が詰め込まれていて、クーデターでも起こすかのような有様だった。美野里は助手席に乗って運転手に 行き先を告げ、足を揃えて座った。後部座席に鬼無と隣り合って座った周防は、手狭な車内で武器の整備を行って いたが、地下駐車場から出た直後、スモークシートが貼り付けられた窓越しに建物を見上げてみた。 ビルの壁面にはLEDで、YOSHIOKA、との文字と会社のロゴが光り輝いていた。つまり、今し方まで周防と鬼無 が軟禁されていたのは吉岡グループの支社だったのだ。それはイコールで美野里が吉岡グループと密接な関係を 築いているという証拠でもあるが、備前美野里はつい先日まで佐々木つばめ側に付いて吉岡グループと敵対して いた。彼女もまた、ダブルスパイだったのか。周防も、鬼無も、美野里も、似たような立場ということだ。 周防は己の本性を偽れなくなったから美野里を操るマスターに従っている。鬼無の真意は読みづらいが、ゲーム 感覚で殺戮を繰り返したいからこそ新免工業から離れたのだろう。美野里の行動理念の軸も、実の妹も同然である 佐々木つばめに対する愛情故のものなのか、マスターに対する忠誠心なのか、それ以外のものなのかが定かでは ない。均衡もなければ統一性もない面々で、本当に弐天逸流の本部を襲撃出来るのだろうか。 「移動って暇すぎー」 長い手足を縮めて後部座席に収まった鬼無は、胸ポケットから携帯電話を出してホログラフィーモニターを投影 し、手早く操作して動画を漁り始めた。緊張感の欠片もない上に公私の区別もない行動に周防は苛立ちかけたが、 鬼無が再生した動画を見て咎める気が失せた。それは、先日ネット配信されたロボットファイトのハイライトシーンを まとめた動画で、バニーガールの格好をしたラウンドガールの映像も多かった。プロポーションは大分変わっている が、顔の作りからして間違いない。一乗寺だ。肉感的な肢体を惜しみなく衆人環視に曝し、諜報員の職務を完全に 放棄している。笑みを振りまいてポーズを決める彼女の姿を、表情を、横目に凝視した。 「不用心っつーか、なんつーかー。こいつらって、自分の立場を解ってんですかねー?」 鬼無は一乗寺には興味がないのか、指を滑らせてシークバーを操作して動画を早送りし、エンヴィーとシリアスの シーンに切り替えた。周防は物凄く残念だったが、顔には出さないように尽力した。 「だってほら、これって佐々木つばめじゃないですかー。ちょこっと顔と声は編集してあるけどー、俺達は見慣れて いるから丸解りっつーかー、マスクだけど隠す気ゼロっていうかー。だからー、このシリアスってロボットの中の人 は十中八九コジロウっていうかー」 悪辣な外見のロボット、シリアスの肩に載るマスク姿の少女を指して鬼無が言うと、バックミラーに映る美野里の 目が動いた。周防は叱られるかと思ったが、美野里は目を逸らし、何も言わずに頬杖を付いた。 「んー。これって面白いのかなー? 動画の再生回数は多いけどー、ステマかもしんないしー」 鬼無はネットスラングだらけの独り言を零しながら、動画に付けられたコメントを閲覧し始めた。並行してSNSの 検索も行っているらしく、いくつものウィンドウが重なり合い、文字と映像と画像が乱立し、情報が大量に流れ込んで きていた。一乗寺の動画はとてつもなく気になるが、任務前に携帯電話をいじるのは周防の主義に反するので衝動 を堪えた。バニーガール姿の彼女が脳裏に焼き付き、一層、濁った劣情が生臭さを増していく。 深夜の国道を、黒塗りのワゴンが駆け抜けていった。 怠惰な時間だった。 本堂の天井から逆さまに吊り下がりながら、羽部はそんなことを考えていた。十数メートル下の床には、御鈴様 を演じ続けて疲弊して熟睡していた伊織の枕元から拝借した携帯電話が落ちていたが、重力に従って加速し、床板 に激突した小さな機械は粉々に砕け散っていた。目線を動かすと、携帯電話の破片を背にして祭壇に向かっている 高守信和は背を丸めているだけだった。音に反応することもなく、経文を広げて黙読している。 「あのさぁ」 羽部はヘビと化したままの下半身を活用し、梁と柱を伝ってするりと本堂に下り、祭壇に近付いた。 「この素晴らしい僕が話していたことも、この僕がしようとしていることも、解ったはずだろ? ノーリアクションだなんて この優秀さを形作った僕に対して無礼極まりないじゃないか、不敬罪で処刑レベルの罪じゃないか。君がシュユ の組織片を培養して育て上げた畑に入り込んで、この僕の食べ残しである少女達の骨を使って人間もどきを勝手に 造り上げたばかりか、物資を搬入する際に開いた出入り口から外に出して、勝手に行動させたんだから。少しは 驚いてくれないと、こっちも張り合いがなさすぎて退屈極まりないんだけど?」 『いいんだ、これもシュユの意思だから。羽部君を回収して弐天逸流に引き入れたのも、羽部君の行動パターンが 予想出来ていたからさ。羽部君が誰かを裏切らないなんてことは有り得ないんだから、裏切られるのが前提で僕達 も行動に出ていたんだよ。敵も引っ掛かってくれたしね』 高守は袖口から出した携帯電話からホログラフィーモニターを浮かび上がらせ、文章を入力した。 「ああ、そう」 利用するつもりが利用されたのか。羽部が渋面を作ると、高守は更に文章を打ち込む。 『羽部君は御鈴様を守ってやってくれないか。その力があるのは、君だけだから』 「な、なんだよ。解ってきたじゃないか、低脳のくせに」 高守の言葉に羽部が口角を緩めかけると、高守は更に文章を連ねた。 『それと、君が御鈴様に仕掛けた細工にも手を加えておいたよ。これならきっと、上手くいく』 「んで、敵ってのは? 佐々木つばめ? 吉岡グループ? それとも政府?」 珍しく他人から褒められたので若干挙動不審になりつつも、羽部が問うと、高守は答えた。 『全部だよ。だけど、それを統括しているのは他でもないあの男だ。シュユから伴侶を奪い、能力も遺産も奪い取り、 全てを自分の思い通りにしようとしている、死に損ないだよ』 いつになく感情を込め、高守は携帯電話のボタンを叩いて文字を入力した。この矮躯の男が感情を露わにするのは 希なので、羽部は少々驚いた。すると、不意に微震が起きて梁から埃が零れた。羽部が訝ると、高守は小さな目を 細めて太い眉根を寄せた。携帯電話を懐に戻してから、祭壇の下に手を差し入れ、二振りの刀を取り出した。 「今、聞くのもなんだけど、どうして弐天逸流はシュユを崇める新興宗教になったのさ。資料に寄れば、元々は剣術の 流派だったそうじゃない。道場の師範の腕前は最高だったけど、経営手腕がなさすぎたから? で、借金まみれで首が 回らないどころか転げ落ちそうになった時にシュユと出会ったから?」 羽部がやる気なく述べると、高守は二振りの刀の鍔を押し上げて刃を確かめてから、答えた。 『まあ、大体そんなところだね。凄腕だけど経営手腕が壊滅的だったのは、僕の祖父だよ。佐々木長光と付き合いが あったから、その流れでシュユと出会ったんだ。いや、押し付けられたと言うべきかな。祖父は日々廃れつつある 実践的な剣術を世間に認めてもらいたくてたまらなかったから、ベタ褒めしてくれる佐々木長光を盲信してすらいた んだよ。だから、こんなにも巨大な化け物を押し付けられても喜んでいたよ。他の家族は嘆きに嘆いて、祖父の元 から離れていったけどね。だけど、僕の父親はそうじゃなかった。だったらいっそ、この化け物を活用しようと決めて、 佐々木長光から使用方法を聞き出してきたのさ。僕の母親は、僕が産まれてしばらくした頃に逃げ出したから顔も 知らないけどね。それから父親は新興宗教の教祖になり、シュユを使って次々に信者を集めて道場を建て直した けど、その頃には父親も剣術を忘れていたんだ。だから、僕はシュユの植物を使って死んだ祖父を蘇らせ、剣術を 徹底的に教え込んでもらった。シュユを倒すために』 高守はぱちんと鍔を戻すと、シュユを仰ぎ見た。 『でも、失敗した。祖父も二度目の死を迎えた。だから、僕は罰としてシュユの苗床になった。けれど、後悔しては いない。おかげで解ったことが色々とあるし、ちょっとは自分に自信が持てるようになったしね。御嬢様の部下に なったのも、御嬢様を守り通すためだ。佐々木つばめはもちろんだけど、御嬢様も大事な御方だからね』 ず、と再び揺れが起きた。本堂の梁に積もっていた埃が雪のように舞い散り、太い柱を軋ませる。高守は法衣を 脱ぎ捨てて着物と袴姿になると、帯に刀を差して立ち上がった。閉ざした観音扉の向こうからは、信者達のざわめき が聞こえてくる。羽部は不本意ではあったが、高守の指示に従っておこうと決めた。伊織とりんねが融合した御鈴様 が重要であることは羽部も解り切っているし、彼女を外界に出すために寺坂に連絡を取ったのだから。自我を持つ 前からラクシャに宿る意識によって操られていたりんねは、脳が無垢なままだった。故に、羽部はその脳にムジンの プログラムを一つ残らずインストールさせ、ムジン本体のデータは削除した。それもこれも、羽部がごく一部ではある がアマラと繋がっているからこそ出来た芸当だ。 今一度、大きな揺れが訪れた。地震によく似ているが、この土地は異次元であり地盤とは分断されているので、 地震が起きるとは思いがたい。羽部の疑問を悟ったのか、高守が新たな文章を打ち込んだ。 『シュユが動揺しているんだ。この空間は彼の精神と直結していると言っても過言ではないから、彼の心が揺らげば 空間自体に震動が発生してしまうんだよ。シュユに絶え間なく信仰心を与えていたのは、彼の不安や寂しさといった 負の感情を和らげるためでもあったんだ。誰だってさ、あなたが必要です、大切なんです、ありがたいんです、って毎日 祈られたら悪い気はしないだろう?』 「そりゃ……まあ、ね」 羽部が目を逸らしながら小声で返すと、高守は懐を探って拳大の種子を取り出した。つるりとした硬い殻を備えて いて、ヒメグルミの実を数十倍の大きさにしたかのような代物だった。それを片手に、高守は綴った。 『羽部君。君の裏切りを利用させてもらうよ。僕と御鈴様を外に連れ出してくれないか。シュユには悪いけど、本部と 異次元を犠牲にする。そうでもしなければ、奴をやり込められそうにないからね』 羽部の手中に種子を手渡してから、高守は刀を携えて本堂の外に出ていった。裏切ったのに嫌がられるどころか、 逆に利用されてしまうとは、つくづく面白くない。だが、むざむざと殺されるのはもっと面白くない。羽部は紙の感触に 気付き、種子を裏返した。セロテープでメモが貼り付けてあったので、それを広げた。 小さな字で、綿密な逃亡計画が書き込まれていた。 12 11/10 |