機動駐在コジロウ




藪を突いてヘイトを出す



 船島集落への突入は、驚くほど呆気なく済んだ。
 なぜならば、船島集落の住民達が一人残らず出払っていたからだ。それを事前に知っていたからこそ、美野里は 今夜を選んで行動に出たのだ。佐々木つばめと友人関係にある小倉美月は、弐天逸流に入信していた母親とその 親族が行方不明になった後に父親と生活を共にするようになり、同時に父親が経営するロボット格闘技の興行会社 にも深く関わるようになった。興行は順調に進んでいたが、格闘性能の高い人型重機を長年扱っていた小倉重機 に比べて他の人型ロボットの所有者達は整備に必要な物資や設備が乏しいため、小倉重機のハイペースな興行に 追い付くことが出来なくなってしまった。だが、それはレイガンドーが強すぎたからではない。備前美野里が手を回して 物資や人員の配備を怠らせ、レイガンドーの対戦相手達を窮地に陥らせていたからだ。
 対戦相手がいなければ試合が成立しないため、必然的に小倉美月は佐々木つばめとコジロウに頼るようになり、 佐々木つばめの周りを固める者達も駆り出されることになる。という寸法だった。少々遠回りではあるが、美野里の 計画の通りになった。彼女がつばめを囲む人々の性格を熟知していたからこそだ。
 おかげで無駄な戦闘をせずに進めたが、周防は物足りなかった。一乗寺に会えるばかりと思っていたから、過剰 に戦意が湧いて出てきていたのだが、一乗寺もまたロボットファイトのラウンドガールとして駆り出され、船島集落から 一ヶ谷市内に移動していると美野里が伝えてきた。その事実を知ると周防の腹の底に妙な感情が燻った。だが、 これから戦闘を始めるのだから余計なことを考えている暇はない、と意地で押し込めてから、ワゴンを下りた。
 真夜中の神社には、草木と湿った土の濃密な匂いと冷えた夜気が立ち込めていた。光源はワゴンのヘッドライトと 車内のライトのみで、それ以外は周防と鬼無の持つ自動小銃のレーザーサイトだけとなる。戦闘員は周防と鬼無 の二人きりで後続車もなく、運転手はワゴンから下りようともしなかった。

「では、始めましょうか」

 ストッキングに包まれた長い足を見せつけるような悠長な動作で助手席から下りた美野里は、パンプスのヒール を鳴らしながら神社に向かった。移動中に紺色の戦闘服に着替えた周防はありったけの弾薬を詰め込んだ背嚢を 背負い、鬼無もまた紺色の戦闘服に身を包んでいたが、彼の担いだ背嚢の大きさは周防の倍近くあった。細身で はあるが、サイボーグとしてのパワーを充分に持ち合わせている証拠だ。中でも際立っているのは、ガトリング式の 機関銃、M134だった。人間の腕力では到底持ち歩けない代物だが、サイボーグならば可能だ。
 美野里が懐から取り出したのは、細い木の枝だった。枯れかけた葉が数枚付いている。枝の切り口は瑞々しく、 ヘッドライトの切れ端を受けて光沢を帯びていた。船島集落内を移動中に一度ワゴンを止めさせて降車した理由 は、この木の枝を切り取ってくることだったようだ。

「古来より、神社とは常世と現世の狭間に位置していると言われております。その名の通りの神の社は、異界より 現れる超常の存在を人界で鎮まらせるための施設であり、最も人間に密接している異次元です」

 美野里は懐紙に包んでいた木の枝をうやうやしく手にし、頬を寄せた。

「故に、忌まわしき異界の存在はこの神社を境界として定め、その向こう側に鏡写しの異界を造り上げたのです。 ですが、こちら側からそちら側に渡る術を持っているのは異界の存在に選ばれた者だけ。けれど、その異界の存在 が求めて止まない相手の欠片を差し出したとすれば、どうなることでしょう?」

 美野里は鳥居に近付くと、木の枝を鳥居に触れさせた。直後、鳥居に囲まれている台形の空間に波紋が広がり、 微風が枯れ葉を舞い上がらせた。美野里が木の枝を鳥居の真下に横たえると、再度波紋が生じ、波の隙間から 白い霧が漏れ出してきた。周防は赤外線ゴーグルを被ってみたが、周囲に熱源は一切ないので煙ではない上に、 この気候では霧が発生するとは思いがたい。ならば、どこから現れた霧なのだろうか。
 さあ、と美野里に促され、周防は自動小銃の台尻で鬼無を小突いた。鬼無はむっとして周防を小突き返したが、 美野里が眉根を寄せたので、鬼無は渋々先に歩き出した。大股に霧を掻き分けながら進んだ鬼無は鳥居を通った が、その足音が突然消えた。銃身が何本も生えた背嚢を担いだ後ろ姿は目視出来ているのだが、足音と駆動音 だけが数百メートル先に飛んだかのような感覚だ。すると、鬼無は鳥居の中から顔を出してきた。

「うわー何ですかこれー! 異世界ダンジョン来たコレ! ワクテカが止まらないんですけどー!」

「それでは私達も参りましょう。敵の本陣へ」

 美野里が歩き出したので、周防もそれに続いた。うわーうわー、と子供っぽく感嘆しながら駆けていく鬼無の背が 遠のいていくが、距離感が曖昧だった。立ち込めている濃霧で見通しが利かないから、というだけではない、音源と 光源との感覚が通常とは少し違っているからだ。目視した距離では十メートルほど先にいる鬼無の足音がやたらと 遠くなったかと思えば異様に近くなり、至近距離にいる美野里の後ろ姿を照らしているヘッドライトが弱まったかと 思えば鮮烈になって、感覚が掻き混ぜられているかのようだった。自分だけは正常な感覚を保っていなければ、と 周防は気持ちを引き締めたが、結局、最後まで酩酊感は振りきれなかった。
 障壁のような分厚い霧を通り抜けると、ようやく足元が確かになった。鬼無と美野里はなんともないらしく、鬼無は ハイテンションを保っていた。これが異次元なのだろうか。周防は赤外線ゴーグル越しに辺りを見回したが、そんな 実感は湧いてこなかった。確かに、ここは船島集落に酷似した地形の一帯だが、それだけだ。瓦屋根に漆喰塀の 建物が渡り廊下で連なっていて、緩やかな傾斜を上がるに連れて建物が大きくなり、頂点にある本堂が最も巨大 な建物だった。弐天逸流の本部であるならば、それ相応のものがあるはずだ。
 期待とそれを上回る疑念を抱きつつ、周防は美野里の背後を固めながら進んだ。鬼無は無防備極まりなく、自動 小銃をぶらぶらさせながら軽快に歩いている。庭を横切って一般家屋よりも小さめな平屋建ての建物を繋ぐ渡り廊下 に差し掛かると、人間が通り掛かった。妙な細い帯が付いた着物を着ている女性だった。

「おっ」

 鬼無は女性を目にするや否や自動小銃を構え、引き金を引いた。ダラララララッ、と一息に吐き出された弾丸が 女性の頭部を肉塊に変えたのは、ほんの一瞬の出来事だった。悲鳴を上げる間もなく絶命した女性はよろけ、渡り 廊下の手すりに突っ伏した。手足を不規則に痙攣させる女性を横目に、鬼無は渡り廊下に飛び込んだ。

「んでー、この後はどのルートで攻略すりゃいいんですー?」

 鬼無から無邪気に問われ、美野里はタイトスカートの裾を上げ、渡り廊下の柵を乗り越えた。

「傾斜に添って建物の中から本堂まで昇っていきます。外側からですとシュユによって空間をねじ曲げられる可能性 もありますし、この暗闇ですから、迷うかもしれません。ですから、中から攻めた方が確実です」

「だったら、一撃必殺で進んでいかないとな」

 周防は襟元に押し込めていたネックカバーを上げて鼻と口元を隠し、赤外線ゴーグルを通常モードに切り替えた。 光源が多い場所で使っては、逆に目がやられてしまうからだ。その必要がない鬼無は、笑い続けている。

「うっひょーわっほーきゃっふー。ハイスコア出しちゃうぞーんふふー」

 銃声を聞き付けて、渡り廊下の前後から信者達が駆け出してきた。周防はすぐさま後方に向き直り、壁から顔を 出した人間にレーザーポインターを据えて確実に撃ち抜いた。五発で五人倒すと、死体が折り重なる。彼らの着物 には帯は付いていなかった。続いて現れた三人を殺してから振り返ると、鬼無の担当である前方にも十人近い死体が 積み上がっていた。鬼無は飛び散った薬莢を蹴ってから、スキップしながら死体の山を飛び越える。

「最っ高ー!」

「せめて退かしてから進め、歩きづらいだろうが」

 壁や床を濡らしている血と脳漿で足場が悪くなっているので、周防は仕方なく美野里に手を貸した。グローブ越しに 握った手は細く、やたらと冷たかった。次の建物は信者達の宿舎になっているのか、いくつもの小部屋があり、部屋 からは女性や子供がぎゃあぎゃあと絶叫しながら逃げ出してきた。無論、それも殺す。自動小銃を腰の位置に据えた 鬼無は連射モードに切り替えて引き金を絞りながら銃身を左右に振ると、一度で二十人近くが死傷した。

「あ、すーちゃん、後ろ」

 鬼無が肩越しに後方を指し示したので、周防はすかさずガバメントを抜いて撃った。殴りかかってこようとした女性の 首に穴が空き、裂けた動脈から生温い血液が噴出する。赤黒い液体が肩に落ちたが、美野里は眉一つ動かさず に足を進めていった。渡り廊下を抜けて次の建物に至ると、そこは食糧庫を兼ねた厨房だった。大人数の信者達を 生かすために必要な食糧は膨大で、段ボール箱が天井まで積み上がっている。熱気が籠もっている厨房では 朝食の仕込みをしているらしく、たすき掛けをしている信者達が忙しくしていた。棚には無数の皿や椀が重なり、 下拵えが済んだ食材が鍋やボウルの中で山盛りになっている。
 大鍋が煮え滾る音と包丁がまな板を叩く音が大きいからか、彼らは異変を感じなかったらしい。周防達が土足で厨房 に乗り込むとさすがに気付き、逃げ惑い始めた。すると、鬼無はおもむろに手榴弾を外してピンを抜き、煮え滾る鍋 に放り込んだ。四秒後に爆発した途端に具材と共に煮汁が放射状に炸裂し、厨房から逃げそびれた信者達の背中 や後頭部に重度の火傷を負わせた。硝煙が混ざってしまったが、この匂いから察するに豚汁だったのだろう。床では 信者達がのたうち回り、恐怖と痛みと闘いながら出口に向かおうとする。

「俺、こういう料理とか嫌い」

 鬼無は手始めに調理台に載っている皮を剥かれたサトイモの山を狙撃し、崩壊させた。厨房を一周しながら床に 銃口を向け、だん、だん、だん、と信者達を一人ずつ確実に殺していった。ニンジンとゴボウが千切りにされたものも 狙撃し、無惨に飛び散って天井にまで及んだ。食材からして、明日の朝食は、サトイモの煮物ときんぴらゴボウと豚汁 だったのだろう。俺は割と好きだな、と思いつつ、周防は食糧庫から現れた信者を撃ち抜いた。
 次の建物は書庫で、所狭しと本が詰め込まれていた。机に向かって帳簿を付けていた信者の後頭部を撃ち抜き、 終わった。更に次の建物は学校のような施設で、小さな机がずらりと並んでいた。教室の隅で自習していた子供の 信者が鉛筆を置く前に狙撃し、机の下に隠れていた子供の信者の目の前に手榴弾を転がし、大人を呼ぼうと教室 から逃げ出そうとした子供の背中に掃射した。更に次の建物は乳児ばかりがおり、彼らを育てるための女性信者達 が隅で固まって震えていた。周防と鬼無はマガジンを差し替え、乳児用のベッドに入れられて整然と並んでいる乳児 達を全て肉塊に変えてから、再度マガジンを変えて女性信者達を吹き飛ばした。

「手応えもなーい、歯応えもなーい。イージーモードすぎるんですけどー」

 鬼無が不満を漏らすと、周防は熱を持った銃身を下げた。

「仕方ないだろう、こいつらはただの信者なんだから」

「先へ進めば、少しはまともになりますよ」

 美野里は女性達の死体に目もくれず、進み続けた。更に次の建物に至ると、肉厚の葉を持つ小さな苗のポットが 箱に入れられ、棚に並んでいた。この中は温室らしく、空気が一段と蒸し暑い。ここには殺すべき人間がいなさそうだと 二人が通り過ぎようとすると、美野里は周防の背嚢を掴み、その中からプラスチック爆弾を取り出した。

「おいおいおい、何をするんだよ。こんなもの、ただの草だろ?」

 周防が半笑いになると、美野里は眉を吊り上げた。

「これがシュユの力の源と言っても過言ではないのです。被害を被りたくなければ、早々に退避して下さい」

 温室の壁にプラスチック爆弾を貼り付けて起爆装置をセットし、作動させてから、美野里は早足で出てきた。周防 は鬼無をせっついて、美野里の後を追っていった。次の建物に入り、超低温で保存されている肉片や骨を引き摺り 出して散乱させていると、温室が爆発した。その際の震動は予想以上に強烈で、屋根瓦が荒く飛び跳ねた。低温 貯蔵庫の管理者である信者達を無造作に銃殺した後、三人は昇り続けた。
 いつのまにか背嚢の中身が半減していて、最初に使っていた自動小銃は過熱しすぎて目詰まりを起こしていた。 二人の無感情な殺戮の被害者は、ほんの数十分で数百人を超えていた。中には反撃しようと飛び掛かってくる信者も いたが手酷い返り討ちに遭い、十秒と経たずに生臭い肉塊と化した。だが、周防らに命乞いしてくる者は一人も いなかった。シュユに祈りを捧げながら死んでいく者もいたが、見苦しく泣き喚く者は皆無だった。それだけ、シュユ に対する信仰が厚いのだろう。一乗寺の母親もそうだったのだろうか。
 信者達がシュユに祈りを捧げるためであろう講堂には、襲撃から避難してきた信者達が一塊になっていた。これ幸い と鬼無は狂喜し、ガトリング式の機関銃、M134を背嚢から抜き出してバレットベルトを突っ込み、バッテリーを作動 させて銃身を高速回転させながら掃射を行った。講堂のステージ側に固まっている信者達に向けて扇形に銃身を 動かすと、弾丸の嵐が掠った一団から粉微塵になり、赤黒い飛沫が幾度も上がる。最後の金色の薬莢が撥ねて 転げ、高熱を帯びた銃身が回転を緩めながら停止すると、鬼無は快感に身悶えた。

「ああんもう最っ高ー! ヤバいんだけどー! 俺強ぇえええええー!」

「よくやるよ」

 これがしたいがために、わざわざM134を担いできたのか。鬼無の徹底した快楽主義に少々感心しつつ、周防は 講堂のステージ脇にある出入り口に向かっていく美野里を追った。鬼無は弾切れになったM134をその場に放置 したまま、二人を追い掛けてきた。うひょーうひょー、としきりに繰り返していてスキップの速度も増している。
 講堂と本堂を繋げる渡り廊下に出ると、一人の男が待ち受けていた。着物と袴姿の矮躯の男、高守信和だった。 彼の帯には二振りの刀が刺さっていて、右手の刀を抜けるように手を掛けていた。それを見、鬼無は萎えた。

「えー? こんなのがボスキャラなんて最悪すぎるんですけどー。ヌルゲーなんですけどー」

「お久し振りです、信和さん。御元気でしたでしょうか」

 二人を脇に控えさせ、美野里が一歩踏み出してから一礼した。高守は目を据わらせ、柄を握る。

「……ぬ」

「あなたはシュユと私が和解するための橋渡し役として採用し、手元に置いておいたのですが、あなたの目的は私の 手元から御嬢様を奪取するためだったのですね」

 美野里は高守を見下ろし、ほんの少し口角を歪める。高守は鯉口を切り、滑らかな刃を覗かせる。

「ん」

「御嬢様と伊織さんだけでなく、鏡一さんも手元に引き入れたことを存じ上げております。それもこれもシュユの指示 なのですね? あの忌まわしくも愚かしい異界の住人のためなのですね?」

 美野里の語気が重みを含み、ヒールが敷き板を強く踏み付ける。高守は身動がず、美野里を見返す。

「あれを信じていても、何も返ってきませんよ? あれは己を保つだけで精一杯です、この空間を保ちながら、劣化 した分身であるゴウガシャと人間となる苗を作ることしか出来ないではありませんか。信仰心を集めてシュユの能力を 回復させたとしても、シュユの機能は全て元通りにはなりません。信じるだけ、時間と労力の無駄ですよ」

 高守は首を小さく横に振り、すらりと刀を引き抜いた。左手にも小太刀を携え、三人と対峙する。

「あーもう、じれってー!」

 唐突に鬼無が美野里を押し退け、自動小銃を高守に掃射した。が、射線上に立っていた高守は軸をずらして移動 すると、小柄な体格を生かして渡り廊下の柵の隅に添って駆け抜けてきた。移動しながら刀を柵に差し込み、切断し、 破片を跳ね上げると、刀の側面で弾いて鬼無に叩き付けてきた。恐ろしく素早い動作だった。鏡面加工されたマスク フェイスに痛烈な打撃を喰らった鬼無は仰け反りかけたが、背後の柵を足掛かりにして跳躍する。

「このっ!」

 周防が応戦するも、高守は柱を蹴って自在に進行方向を変え、三人の真ん中に突っ込んできた。罵倒を叫びながら 拳銃を抜いた鬼無が高守を狙うが、鮮やかに脛を切り付けられ、切断された。切断面は赤らみ、配線カバーが焼ける 独特の匂いがかすかに流れた。バランスを失った鬼無が転倒すると、周防は息を飲んだ。

「こいつ……人間か?」

「半分は人間ですよ。ですが、信和さんはシュユと共存しておりますから、シュユの能力の一つである固有振動数を 攻撃に転用出来るのです。更にその能力を応用して肉体を強化し、刀に一定の振動を与えて過熱させ、圧倒的な 破壊力を得ていらっしゃるのです。そうでなければ、シュユから株分けされた苗を扱えませんからね。その弊害で声を 失ってしまわれたようですが、人智を越えた代償としては安価ではありませんか」

 たじろいだ周防を横目に、美野里は高守と向き合う。

「私を護衛しないのは契約違反行為ですが、まあ、いいでしょう」

 ジャケットを脱ぎ捨ててブラウス姿になった美野里は、一度深く息を吸った。拳を固め、顔を歪め、背を丸める。薄い ブラウスに血が滲み、生地が裂けると、一対の透き通った羽が伸びきった。続いて外骨格が迫り出し、黒光りする 分厚い外装を受け止めきれずにブラウスが細切れになり、爪がパンプスを貫き、ストッキングが破れ、ブラジャーと ショーツの残骸が落ちる。淡い光を放つオーブを各部に備えた黒い人型昆虫は、ぎちりと顎を鳴らす。

「マジムカつくんだけど!」

 が、ホタル怪人と化した美野里が爪を繰り出すよりも先に、柵に縋って起き上がった鬼無が左手でナイフを鋭く投擲 した。弾丸に引けを取らない速度で空間を駆け抜けた刃は、高守の頭部に届く寸前で切り裂かれ、両断された 刃は高守の背後の壁に突き刺さった。赤く過熱した切断面が冷めていくと、鬼無はたじろいだ。

「嘘だろおい、あれ、タングステンなんだぞぉー!? ヴァイブロブレード使いっつっても切れるかフツー!? いや切れる か、つかそういう設定の中二病武器だしー! つか結構羨ましいかもー!」

「ブレないな、お前」 

 どうでもいいことに感心しつつ、周防は気を引き締めた。高守が厄介なのではなくこれまでが簡単すぎただけだ。 シュユの恩恵を受けてはいるが人間の範疇からは脱していない信者達は弱いのが当然であって、一乗寺や寺坂 のように異常な戦闘力を持ち合わせている方がおかしいのだ。フルサイボーグの鬼無も同様で、ほんの一部分しか サイボーグ化していない上にそれなりの戦闘力しか有していない周防は少々場違いだ。

「けれど、あなたは刀を介さなければシュユの力を扱えません。それを扱う腕さえ、失わせてしまえば!」

 羽を振るわせ、美野里が床を蹴る。黒い爪が削った木片が僅かに散り、一足踏み込んだだけで高守の目の前に 移動した。高守は小さな目を見開いて両の刀を振り上げ、切っ先を美野里の胸部に埋めようと短い足で踏み込む。 天井に張られたコードから吊り下げられた電球が揺れ、二人の体格差の激しい影も揺らぐ。
 サイボーグの人工体液と機械油が絡み付いた刀の尖端は、黒い外骨格に突き立てられていた。高守が致命傷を 与えるべく、刀を握る右腕に体重を掛けた。だが、刀はそれ以上進まなかった。右腕の根本がずれて骨と筋繊維が 滑らかに切られた切断面が覗き、夥しい血が噴出する。刀を握っていた右手が緩んで転がると、高守は額に脂汗を 滲ませながら後退る。美野里は胸部に刺さったままの刀を引き抜くと、血痕の残る中左足を曲げてみせた。

「どうとでもなるというものです」

「……ぐぅ」

 右腕の根本を押さえながら高守が呻くと、丸まった背が盛り上がり、着物が破れ、触手が蠢いた。寺坂のそれに 酷似した異物は太さが均一ではなく、高守の荒い呼吸に合わせて波打っていた。美野里はおもむろに高守の左腕 も切り落とすと、刀を庭に投げ捨ててから、本堂に向いた。

「彼の処分はお二人にお任せいたします。その作業が終わり次第、鏡一さんとりんねさんの捜索と回収をお願い いたします。私は、古い友人と語り合ってまいりますので」

 本堂の観音開きの扉を難なく開け放った美野里は、底知れぬ暗闇に消えていった。周防は情けない負け方をして 苛立っている鬼無を押し退け、脇のホルスターからガバメントを抜いた。左腕の肘から先を切り落とされた高守は、 ひゅるひゅると細い息を繰り返しているが、顔色は悪くなる一方だった。放っておいても絶命しそうだが、人間離れ した輩なのだ。寺坂の生命力の凄まじさを目の当たりにしているから、高守もまた不死身も同然なのだろう。故に、 美野里の指示に従うべきだ。高守の脂ぎったこめかみに銃口を添え、引き金に指を掛けた。 
 一発、二発、三発。





 


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