機動駐在コジロウ




信じる者はスクラップ



 体が重い。
 瞼を開く動作で、今の自分は人間体なのだと自覚する。視界にはぼやけた空が広がり、素肌に触れる空気は朝 の冷たさと湿り気を帯びていた。地面に投げ出した手足には少し傷が付いていたが、大したことではない。どうせ、 すぐに治ってしまうのだから。関節と筋肉が軋む体を起こすと、胸の上に掛かっていた布が落ちた。藍染めの着物 だった。それを抓んでぼんやりと眺めていると、背後に足音が近付いてきた。

「着ておけ。でないと、目のやり場に困る」

 美野里が振り返ると、そこには一人の男が立っていた。顔の右半分には派手な傷跡が残っていて、抜糸も済んで いなかった。右目の瞼も完全に切断されていて、奇妙に引きつった皮膚の下からは義眼が覗いている。男の左目 の瞳孔とは色が合っていないので、オーダーメイドの部品ではなく間に合わせの義眼を填めたのだろう。歩き方も 右足を軽く引き摺っていて、余程手酷くやられたらしい。迷彩服の上には拳銃を差したホルスターを身に付けていて、 硝煙の匂いがつんと鼻を突いた。見覚えがあるような、ないような。

「え、っと……」

 美野里が辿々しく漏らすと、男は目を逸らした。

「なんだ、覚えていないのか。俺はお前と似たようなもんだ、マスターの手下に成り下がったんだよ。周防国彦だ」

「マスターの?」

 その言葉で我に返り、美野里は体を探るが、あの水晶玉のペンダントはなかった。

「マスターはどこにいらっしゃるんですか、マスターは?」

 ひどく動揺した美野里は着物を剥いでラクシャを探そうとすると、周防と名乗った男は背を向けた。

「あいつなら、体を乗り換えたんだよ。お前から、弐天逸流の神様にな」

 では、自分はもう用済みなのか。美野里は外気とは異なる冷たさを感じて、着物を羽織って前を合わせた。帯が 見当たらないので片手で襟元を押さえながら、慎重に立ち上がった。足腰はしっかりしていて、思ったよりも体力の 消耗は少ないようだった。芝生と砂利が混じった地面を素足で歩くのは痛かったが、その痛みが生きている実感を 味わわせてくれた。よろめきながら進んでいくと、全壊した本堂の前に右足を失ったサイボーグが転がっていた。

「あーもう、やってられないんですけどー」

 細身で長身のサイボーグは頬杖を付き、美野里を見上げた。

「もうちょっとさあー、やり込み要素の高いシナリオにしてくれないー? 一本道にも程があるんですけどー。てかー、 ループ系のダンジョンだなんて聞いてないんですけどー。攻略サイトー? そんなもんはググれカスー? つっても、 ググりようがないんですけどー。ネットの回線は全部死んでいるしー。てかー、なんか言えよゲロビッチ女ー」

「へ?」

 サイボーグに捲し立てられ、美野里はきょとんとした。意味が掴めるようで掴めない喋り方に戸惑ってしまい、ひどく 汚い罵倒に言い返すタイミングを失ってしまった。周防と同じく戦闘服姿のサイボーグは寝転がると、頭の後ろで 手を組んで寝そべった。鏡面加工が施されていて凹凸が一切ないマスクフェイスが、美野里を映す。鬼無克二だ、 と今度はすんなりと思い出せた。ラクシャによって一時的に生体電流が乱されていた美野里の脳内の生体電流が 元に戻り、神経伝達細胞が繋がりを取り戻したからだ。

「死ねよゴミカス虫女」

「あなたの語彙は貧相極まりないですね。もう少しまともに罵倒して頂けないと、自尊心が傷付きもしないんですけど。 それとも何ですか、それは盛大なブーメランですか? そう言われるとあなた自身が一番傷付く言葉だからこそ、他人も 傷付くと思って言いはなっているんですよね? あなた自身がゴミカスサイボーグだから、私にそう言えば泣いて喚いて ぎゃあぎゃあ騒ぐと思い込んでいるんですよね? なんて程度の低い発想でしょうか」

 冷静さも戻ってきた美野里が言い放つと、鬼無は身動いだ。

「な、あっ?」

「ネットスラングを多用するのも程々にしておかないと単調な感情しか表現出来なくなりますよ? 人間らしさの象徴 とも言える感情の機微の表現を疎かにしておきながら、他人に意思を汲んでほしがる言動だけは止めて下さいね。 ああいうのって心底嫌なんですよ。自分をどれだけ買い被っているのか知りませんけど、自分の評価がイコールで 他人からの評価だと思い込んでいるタイプには虫酸が走ります。だって、自分が思っているほど、他人が自分のこと を気に掛けてくれるわけがないじゃないですか」

「虫女、キャラ改変ひどすぎじゃないのー? 原作レイプキタコレー」

「キャラってなんですか? それはあなたの主観であって、私自身の人格を差す言葉じゃないですよね? どうして 他人の人格を表面だけで決め付けるんですか? そういうの、鬱陶しいを通り越して気色悪いです。何もかもアニメや ゲームに当て嵌めて表現するのは稚拙すぎやしませんか? それだけで世の中が成り立っているとでも? 馬鹿じゃ ないですか? そうやって斜に構えて現実を捉えることが格好良いだなんて、思っていませんよね?」

 美野里を言い負かすのは無理だと判断したのだろう、鬼無は顔を背けて喚いた。

「あーあ。三次元は総じてクソだー。無理ゲーだー」

「備前。お前はそういう女だったのか?」

 美野里の背後に近付いてきた周防に話し掛けられ、美野里は振り返った。

「ええ、まあ。あなたも私のキャラが違うだのなんだのと仰るつもりですか?」

「いや、別に。マスターに操縦されていない素のあんたと、マスターに操縦されているあんたに大して差がないことが 少し意外だってだけだ。佐々木つばめにまとわりついていた頃のあんたとは大違いだが、嫌いじゃない」

 周防は美野里に布の固まりを差し出してきた。

「適当に見繕ってきた。その辺の物陰で着てこい」

「御世辞とお気遣いをありがとうございます」

 美野里は周防の手から受け取った布の固まりを広げてみると、細めの袴と襦袢と下着、帯と草履だった。いずれの 服にも誰かが着ていた痕跡があるが、今はそんなことを気にしている場合ではない。美野里は辺りを見回して、 崩壊した屋根の影に隠れると、それらを身に付けた。どれも和服であり、着慣れていないものばかりだったので、 四苦八苦しながら着込んだ。合わせ目の左右も確かめてから、草履を突っ掛けたが、足の指の間が痛くなったので 足袋が欲しくなった。だが、それは後で自分で捜しに行くしかないだろう。周防も、そこまで美野里に世話を焼いて くれるとは思えないからである。
 ぼさぼさになった長い髪を指で梳いて少し整えてから、美野里は今一度状況を確認した。濃霧が立ち込めた空間は やけに静まり返っていて、そこかしこから鉄錆の匂いが流れてくる。だが、人間のそれではない。人間に酷似しては いるが、動物性蛋白質の生臭さが足りない。目を凝らしてみると、本堂と他の建物を繋げている渡り廊下に矮躯の 男の死体が横たわっていたが、切断面から零れているのは内臓ではなく、触手の切れ端だった。

「弐天逸流に一杯食わされましたね?」

 草履をぺたぺたと鳴らしながら美野里が周防に歩み寄ると、周防はぼやいた。

「ああ、そうだよ。俺達が皆殺しにしたのは、あいつらのお得意の人間もどきだったんだ。でもって、マスターが手に 入れようと目論んでいた御嬢様とヘビ野郎はどさくさに紛れて逃げおおせて、これも空っぽだった」

 そう言って周防が放り投げたのは、十五枚の青い金属板だった。

「ムジン、ですか」

 美野里は少し濡れた雑草の間に埋もれた集積回路を一枚取り、眺める。

「どういう仕掛けを施したのかは解らんが、マスターがそいつから情報を引き出そうとしても何も取り出せなかった。 中身がない、ってことしか解らなかった。その上、俺達はこの空間から出る術を失った。いつのまにか、出入り口が 閉じていたんだ。おかげで、文字通り八方塞がりなんだよ」

 苦々しげに漏らした周防を横目に、美野里は冷え切った集積回路に舌を伸ばした。怪人に変化しなくても、相手 が遺産絡みのモノであれば多少の互換性はあるからだ。集積回路を少し舐めてみるが、金気臭い味がするだけで 確かに電気信号は返ってこなかった。他の集積回路も同様だった。

「もしかすると」

 美野里は淡く発光する集積回路を見つめ、思案した。

「羽部さんがりんねさんの脳に、ムジンのプログラムを全て移動させたんじゃないでしょうか」

「そんなこと、出来るわけがないだろうが。いくらあの御嬢様が優秀でも、そんな外付けHDDみたいな真似は」

 周防は半笑いになったが、美野里は続けた。

「出来ますよ。だって、りんねさんも遺産の産物じゃないですか。おまけに、りんねさんは産まれてからずっとマスター の支配下に置かれていたので、その脳は真っ新です。人間としての動作を行うために不可欠な行動記憶やそれに 関連した情報処理に必要な部分は発達しているでしょうが、それ以外は手付かずです。幼児以下です。ですから、 その脳の神経系にプログラムを与えてやれば、短期間で全て記憶してくれるでしょう。記憶させる方法は簡単です。 りんねさんに、ムジンのプログラムを複写した生体組織を摂取させればいいんです。反復学習よりも余程手っ取り 早いですし、本人の意志に関係ありませんから、確実です。きっと羽部さんがその方法を思い付いたんでしょうが、 自負するだけのことはありますね。ですが、マスターはそれを敢えて見逃したんですね?」

 瓦礫の山が盛り上がり、巨躯の異形が立ち上がる。無数の触手に積もった破片が崩れると、背中から生えている 光輪が発光した。集積回路から漏れる光と同じ青い光が輪を描いて広がり、三人の影が濃くなる。

「ええ。御明察ですよ、美野里さん」

 シュユだった。瓦礫を踏み砕きながら歩み出してきたシュユに、美野里はごく自然に膝を付いた。

「マスター。そのお体の具合はいかがですか?」

「憎らしい男のものであるとはいえ、収まりは良いですよ。それもこれも、美野里さんが私に尽くしてくれたからこそ、 得られた成果です。今一度御礼を申し上げますよ、美野里さん」

 シュユが目も鼻もない顔で美野里を見下ろすと、美野里は薄く頬を染めた。

「ありがとうございます、マスター」

「えぇー? 全部手の内ってことー? てかー、それってぶっちゃけ負け惜しみじゃないですかー?」

 寝そべったまま鬼無が毒突くと、シュユは触手を一本伸ばし、鬼無に向ける。

「克二さんはそうお思いになりますか?」

「思う思うー。てかー、物理的に閉じ込められたってのに有利なわけないしー。やり込められてばっかりだしー。ガチで つまんないしー。リアルFPSが出来ると思ったのにー、相手は人間じゃなかったしー。マジクソゲー」

 鬼無が文句を零すと、シュユは瓦礫を掻き分けながら鬼無に迫り、目も鼻もない顔を寄せた。

「ええ、解りますとも。現実とはひどく退屈で鬱屈としておりますからね。安易な暴力を短絡的な娯楽として好む性癖 も理解出来ます。ですが、本番はこれからなのですよ、克二さん。よく考えてご覧なさい、この異次元空間に標的を 誘き寄せ、奥深く入り込ませた後に出入り口を閉ざしてしまえば、彼らは二度と外界に出られません。私がこうして シュユを支配し、彼の上位意識である限り、異次元もまた私の支配下です。ということは、どういうことでしょう」

「あいつらを死ぬまでいたぶり放題? ガチFPS?」

 途端に鬼無が跳ね起きたので、シュユは満足げに頷いた。

「ええ、その通りです。克二さんがお望みの御相手で、心行くまでお楽しみ下さい。その御相手が命を落としたとしても、 シュユの苗床を使って蘇らせてしまえばいいのですから」

「え? じゃ、何度でも殺し放題? 殺した直後の記憶だけ切り取るのもOK?」

「お望みとあらば」

「ひゃっほーい! じゃ、俺、殺すから! どいつもこいつも殺すから! でもさ、どうやって誘き出すわけー?」

 鬼無が首を捻ると、シュユの触手が美野里を示した。

「それは簡単です。美野里さんに御電話を掛けて頂ければよろしいのです」

「電話って、誰にですか?」

 美野里が聞き返すと、シュユは首を傾ける。

「美野里さん御自身がお決めになればよろしいですよ。御相手が善太郎さんでも、つばめさんでも、それ以外の方でも 誰でも構いません。同情を誘う演技をしてもいいですし、悪辣非道な女性に成り切ってもいいですし、美野里さん の御判断にお任せいたします。つばめさんとその一派を私の懐に招き入れられれば、それでいいのですから」

「承知いたしました」

 美野里は深々と頭を下げてから、口角を吊り上げた。すると、目の前に触手が差し出され、美野里の携帯電話が 提示された。美野里はそれを受け取ると、ホログラフィーを展開して操作した。電波は入っている。着信履歴を見て みると、寺坂からの着信が五件、つばめからの着信が十六件入っていた。どちらも間隔を開けながら掛けていて、 二人が美野里の行方を案じている様が目に浮かぶようだった。寺坂からの着信が思いの外少なかったことが少し 残念だったが、所詮、自分はその程度の女なのだ、と美野里は自虐した。
 少し迷ったが、美野里はつばめからの着信に掛け直すことにした。空間を隔てているから、呼び出し音が始まる までにしばらくタイムラグがあった。深呼吸して気持ちを落ち着けていると、着信された。

「もしもし? つばめちゃん?」

 僅かなノイズの後、応答があった。

『……お姉ちゃん?』

「うん、そうよ。つばめちゃん、元気にしていた? 私はね」

 と、美野里が口から出任せの話を始めようとすると、つばめが金切り声を上げて遮った。

『本当にお姉ちゃんなんだね!? ねえ今、どこにいるの!? どうして急にいなくなっちゃったの!? 何かあった の!? 大丈夫!? そこ、どこなの!? お姉ちゃあん!』

 必死に語り掛けてくるつばめに、美野里は頬を持ち上げた。

「大丈夫よ、つばめちゃん。だから、落ち着いて、ね?」

『お姉ちゃん、あのね、お姉ちゃんがいなくなっちゃってから、私、ずっと心配で心配で心配で』

「だから、大丈夫だって。すぐに会えるから、そんなに心配しないで? ね?」

『うん……』

 テレビ電話ではなく音声だけの通話だが、電話口の向こうでつばめが今にも泣きそうなのは解った。声色が弱り 切っていて、語尾が上がり気味だ。余程、美野里がいなくなってから寂しい思いをしていたのだろう。それを知ると、 美野里の胸中が疼いた。美野里は目を細めながら、つばめに語り掛ける。

「あのね、つばめちゃん。私ね、今、大変なことになっているの」

『大変って、どんな? ひどい目に遭っているの?』

 つばめの口調が一際上擦り、動揺が増した。

「体の方は大丈夫よ、なんともないから。でもね、私、外に出られなくなっちゃったの。弐天逸流の人達に攫われて、 本部に閉じ込められちゃったのよ。でも大丈夫よ、ひどいことはされていないし、変なこともされていないから。でも、 このままだと、弐天逸流の人達が遺産を使って世の中を滅茶苦茶にしちゃうかもしれないの。あのね、弐天逸流の 人達はね、御鈴様っていうアイドルを利用して信者を集めて、その信仰心でシュユっていう御神体を目覚めさせよう としているの。目覚めさせてはいけないの。弐天逸流の信者の人達だけじゃなくて、他の人達も頭がおかしくなって しまうかもしれないから。だから、シュユを止めて」

『シュユ? それが、弐天逸流が持っている遺産の名前?』

「ええ、そうなの。それで、シュユは今、りんねさんに姿を変えて人間のふりをしているの」

『え、え? それ、どういうこと?』

「ちょっと信じられないかもしれないけど、そういうことなのよ。遺産って本当に不思議よねぇ」

『てことは、その御鈴様っていう、吉岡りんねの格好をしたアイドルをどうにかすればいいんだね?』

「うん、そういうこと。相手は人間じゃないから、コジロウ君だって本気を出せるはずよ。御鈴様さえなんとかなれば、 弐天逸流の本部に通じる出入り口が開くわ。その場所は、船島集落にある叢雲神社なの。自力で脱出出来ると 思うから、つばめちゃんとコジロウ君が御鈴様を倒した後、そこで落ち合いましょう?」

『解った! 頑張る!』

「ありがとう、つばめちゃん。でも、無理だけはしないでね?」

『大丈夫だって! コジロウがいるし、他の皆もいるから! じゃ、またね、お姉ちゃん!』

 そう言って、つばめは通話を切った。美野里も携帯電話を耳元から外すと、顔に貼り付けていた笑顔を緩めた。 耳から脳天に突き抜けた少女の声は甲高く、不愉快な余韻が残っている。こうしておけば、逃亡した御鈴様とその 一行はつばめ達によって迎え撃たれるはずだ。そして、この異次元を突き崩す切っ掛けも作ってくれるだろう。
 なんて馬鹿な子だろう。





 


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