機動駐在コジロウ




本日はブリザードなり



 前触れもなく、閃光と爆音が轟いた。
 何事かと立ち止まったつばめは、汗の浮いた額を上げて息を吸おうとしたが止めた。右手の斜面が動いている。 柔らかな新雪がひび割れながら下ってきていて、枯れた枝を折り、巻き込みながら、真っ直ぐ突き進んでくる。ひっ、 と悲鳴を上げかけたが咄嗟には逃げ出せなかった。足場は最悪だし、ここまで強引に歩いてきたので体力も気力も かなり使い果たしている。身を隠せる場所がないかと辺りを見渡すが、民家も納屋も遙か彼方にあった。目測でも 二三百メートル以上はあるので、歩いていったのでは十数分は掛かる。中にポンプが収納されているトタン小屋は 背後五十メートル先にあり、そちらに向かったとしても所要時間は変わらないだろう。

「田んぼの真ん中なんて来るんじゃなかったぁー!」

 分校までの近道をしようとして、田んぼを一直線に突っ切ろうとしたのがまずかった。つばめは八つ当たり気味に 喚きながら、雪煙を上げながら近付いてくる雪崩に背を向け、少しでも距離を稼ごうと必死に足を動かした。実際、 逃げなければ必ず死ぬので必死である。巻き込まれたら無傷では済まない、全身打撲か骨折か窒息か、いずれも 大ダメージを受けることは間違いなしだ。そもそもなんで雪崩が起きたんだろう、さっきの謎の爆発のせいか、だと するとそれってもしかしなくても、とつばめは三段論法で考えながら振り返り、喚いた。

「やっぱりあんたらかチクショー!」

 雪崩の発生源よりも数メートル上の斜面には、水色のスキーウェア姿の人影と迷彩服姿の人影があった。それが 誰なのかは考えるまでもない、いや、それ以外には考えられない。吉岡りんねとその部下だ。しかし、今はりんねとその 愉快な仲間達に恨み言を吐いている暇はない。逃げなければ死ぬからだ。
 だが、どれほど歩いても歩いても、思うように足は進まない。焦れば焦るほど長靴は雪に取られ、左足の長靴が 脱げて雪の中に埋もれてしまった。長靴が抜けた拍子に前のめりに転んだつばめは、顔面から雪に埋もれ、ただで さえ凍えていた顔に細かな針を突き立てられたような痛みを感じた。地鳴りのような衝撃が雪から伝わり、白い瀑布 が吹雪をも掻き消しながらやってくる。田んぼの畝の上に降り積もって出来上がった雪の畝に雪崩の先陣が乗り、 波のように翻った。そして、それがつばめを覆い隠すかと思われた、その瞬間。

「廃熱噴射!」

 雪に馴染む白い影がつばめと雪崩の間に入り、超高温の蒸気を噴出させた。一瞬、視界がホワイトアウトする。 暖かみの残滓が宿った蒸気に頬を撫でられ、無意識にきつく閉ざしていた目を開いたつばめは、警視庁の文字が 眩い彼の背を捉えた。それは紛れもなく、コジロウだった。コジロウは両腕の関節と外装を全て開いていて、その 足元とつばめの周囲だけは雪が円形に溶けていた。直後、二人の脇を雪崩が通り過ぎていき、田んぼの脇に建って いたポンプ小屋を紙屑のように押し潰していった。

「こ……コジロウ……」

 嬉しさよりもショックが強く、つばめはぺたんと座り込んだ。コジロウは両腕の関節のカバーと外装を閉じてから、 吹雪の中では一層目立つ赤い瞳とパトライトを向けてきた。

「つばめ。負傷はしていないか」

 コジロウは積雪に両足を深く埋め、掻き分けながら近付いてきた。つばめは、ぎこちなく頷く。

「ああ、うん、なんとか。でも、どうして?」

「爆発音を感知してから二秒後に発進し、三秒で現場に到着した。本官の最優先事項はつばめの安全確保である からして、いかなる場合に置いてもつばめの安全を最優先しなければならない」

「だけど、ここまでどうやって歩いてきたの? すっごい時間掛かるじゃん」

「本官は歩行していない。悪天候であることを考慮して、脚部スラスターによる超低空飛行を行って移動した」

「あ、なるほど」

 つばめは、コジロウと自宅の間に伸びる一筆書きのような雪解けを視認し、納得した。地面に近い超低空で移動 すれば、吹雪による乱流の影響をあまり受けずに済むだろうし、最短距離でつばめの元に辿り着ける。コジロウは 脚部スラスターの過熱を廃熱しきっていなかったのか、彼の両足の周囲の雪が湯気を上げながら溶けていた。

「つばめ、指示を」

「あー、えーと……」

 コジロウから命令を乞われたが、つばめは言い淀んだ。このまま登校すれば、一乗寺が暖めてくれているであろう 教室で日常を始められる。一旦家に戻れば、明確に命を狙われた恐怖で二度と外に出たくなくなる。あの軍隊アリ に似た怪人に襲われた時は非現実的だったので、まだ心のどこかに余裕があったのだが、今し方の爆発と雪崩に よってそんなものは一切合切吹き飛んでしまった。敵は、吉岡りんねは本気なのだ。

「アッタマ来た!」

 と、つばめは手近な雪を握り締めながら己を奮い立てた。敵意を抱かれるのならそれ相応の敵意を、命を狙うので あればそれ相応の対応をしてやらなければ気が済まない。そこまでして訳の解らない遺産が欲しいのか。そんな ことで遺産相続が嫌になってしまえば敵の思う壺であり、人生の帳尻が合わないどころの話ではない。

「コジロウ! なんか武器とかあるでしょ、あいつらを攻撃して!」

「本官は武器を搭載していない」

「へぇっ?」

 拍子抜けしたつばめが声を裏返すと、コジロウは平坦に答えた。

「本官は先代マスターの判断により、武装を全解除している。よって、つばめの命令は実行不可能だ」

「でっ、でも、普通の警官ロボットだって拳銃持っているじゃん! 警棒ぐらいならあるでしょ!?」

「先述した通りだ。本官は武装を全解除している」

「えぇー……」

 そんなことでは反撃どころではない。沸き上がってきたばかりの戦意が削がれたつばめが肩を落とすと、コジロウ が顔を上げた。直後、何かの発射音と同時に猛烈な速度で物体が迫ってきたが、コジロウが手刀で削ぎ落とすように 薙ぎ払った。正体不明の物体は雪に没し、炸裂する。先程と同程度の爆発が生じ、黒煙が噴き上がる。

「つばめ、指示を。本官は基本プログラムによってマスターの護衛行動と自衛行動は許可されているが、対人戦闘 はマスターの許可がなければ実行不可能だ。対人戦闘を行わなければ、つばめは再び危険に曝される可能性は 非常に高い。繰り返す、つばめ、本官に指示を」

「そんなこと言われても、私はそういうの知らないよ!」

「本官は道具に過ぎない。よって、本官を生かすも殺すもつばめの判断一つなのだ」

「ついでに言えば、私が死ぬか生きるかも、だよ! だけど、そんなのすぐに思い付くわけないじゃん! だって相手は ミサイルみたいなの持っているんだよ、ただの中学生に戦略も戦術もあるもんか!」

「つばめ! 二度攻撃を行ってきた火器は爆弾ではない、正確には四十ミリグレネード弾だ!」

 コジロウがやや語気を強め、つばめに振り返った。つばめは混乱と恐怖に任せ、雪玉を投げ付けた。

「そんなこと聞いちゃいないー!」

 べちゃっ、とコジロウの顔面に雪玉がぶつかって弾けた。赤い瞳が隠れて薄らぎ、雪玉の飛沫を浴びたパトライトの 閃光が心なしか弱まった。コジロウは今にも泣きそうなつばめと視界の半分を塞ぐ雪玉を見比べ、頷いた。

「了解した」

「え、何を?」

 つばめがきょとんとすると、コジロウはおもむろに雪を掬って握り締め、投擲した。ひゅっ、と超高速の物体が吹雪 断ち切って突き進み、一秒も経たないうちに着弾した。雪面が円形に抉れて衝撃波の形を露わにし、白煙が昇る。 着弾地点の間近では、吉岡りんねと思しき少女が迷彩服姿の男に守られていた。どちらもまともに立っているので、 ダメージは与えられていないようだ。コジロウは二発目の雪玉を両手の間で圧縮しながら、つばめに乞うた。

「指示を」

「コジロウ、今の雪玉って……」

「本官の投擲性能は戦車砲に匹敵する。毎秒千八百メートルだ」

「それ、時速に換算すると?」

「時速六千四百八十キロに相当する」

「てことは、マッハ六ちょいってこと?」

「そうだ」

「そりゃ武器なんかいらないわぁ」

 つばめは凍えた頬を引きつらせ、乾いた笑いを漏らした。

「じゃ、その調子でお願い。でも、命中はさせないでね。死んじゃったら後味悪いもん」

「無論だ」

 コジロウは雪玉を振りかぶり、放った。甲高く短い風切り音の後、斜面に抉れが新たに出来上がっていく。握って は投げ、握っては投げ、握っては投げ、を繰り返すと、先程の雪崩で緩んでいた雪が再び崩れたが小規模な雪崩 だったのでつばめ達の元には到達しなかった。投擲した雪玉が貫通したのか、数本の木が中程からへし折れ、枝を 地面に突き立てながら転げ落ちてきた。コジロウの廃熱による蒸気と吹雪の間から、つばめは目を凝らす。
 吉岡りんねとその部下は無事だったが、身動きが取れないようだった。それもそうだろう、コジロウが立て続けに 放った戦車砲に匹敵する雪玉が作ったクレーターから、ひび割れが生まれているからだ。不用意に体重を掛けて しまえば、そこからまた新たな雪崩が発生する。そうなれば、今度はあちらが命の危機に瀕するだろう。だが、つばめは 二人を助けに行くような間柄ではないし、そもそも命を狙われた側なので救う義理も何もない。

「行こう、コジロウ。学校に行かなきゃ、先生が待っているんだもん」

 つばめは雪の中から長靴を掘り返すと、逆さにして中の雪を出してから履き直し、歩き出した。

「ならば、本官も同行する」

「囲炉裏とかストーブの火、大丈夫だよね? 電気も付けっぱなしじゃないよね?」

「無論だ」

「じゃあ、良かった」

 つばめはそう言いつつ足を進めようとするが、やはり一歩を踏み出しても二歩目が踏み出せない。四苦八苦して いると、コジロウが余熱の残る腕でつばめを抱え上げてきた。軽々と横抱きにされたつばめはぎくりとし、恐怖よりも 戦意よりも遙かに熱烈な動揺に竦み上がった。

「歩行は極めて困難だ。本官が送り届ける」

「だっ……だけどさぁ……」

 コジロウの腕の中でつばめが恥じ入ると、コジロウは少々首を傾げながら見下ろしてきた。

「本官は判断を誤ったか?」

「そんなことないない、ないないなーいっ!」

「そうか」

 コジロウは顔を上げ、手袋で顔を覆ったつばめから視線を外した。それから数十秒後、つばめは脚部スラスター で超低空飛行したコジロウによって分校まで送り届けられたが、その後の記憶は曖昧である。予想した通り、教師の 一乗寺昇が手狭な教室をストーブで暖めていてくれたが、恐怖がぶり返してきたためと、コジロウに横抱きにされた 戸惑いと興奮で震えが止まらなかった。一乗寺はへらへら笑いながら、つばめの滅茶苦茶な説明を聞いてくれたが、 相槌が適当だったので聞き流してくれたといった方が正しい。
 一時間程過ぎると、ようやくつばめの心身が落ち着きを取り戻してきた。と、同時に空腹も蘇った。登校するまでに 二時間以上掛かってしまったこともあり、気付けば昼の十二時を回っていた。コジロウは教室の隅で関節と外装の 隙間に溜まった雪を溶かして乾燥させているので一言命じれば自宅まで連れ帰ってくれるだろうが、授業を何一つ 受けていないのに帰るのは癪だった。教室を出たつばめは、職員室の引き戸をノックした。

「失礼しまーっす!」

 つばめが勢い良く引き戸を開け放つと、外見は教師っぽいジャージ姿の一乗寺が、カップラーメンの外装フィルムを 剥がしていた最中だった。一乗寺が使用している古いスチール机には教科書とノートと書類の山が複数出来ていて、 ノートパソコンを取り囲む城塞と化していた。そして、開きっぱなしの引き出しには多種多様なカップラーメンが 溢れんばかりに詰め込まれている。彼の主食なのだろう。

「ん、なあに、つばめちゃん」

 一乗寺は不服げに眉を曲げて、口に挟んでいた割り箸を外した。よく見ると、ノートパソコンの傍らにはカップ酒が 鎮座していた。つばめは、一乗寺に対する僅かばかりの敬意を失った。

「昼間っから何やってんですか、先生」

「いーじゃんかよぉ、どうせ仕事もないんだしさぁー」

 授業なんかめんどっちいしぃー、と一乗寺は教師らしからぬ言葉を吐き、カップラーメンの蓋を半分剥がしてから 電気ポットの下に持っていった。つばめは一乗寺がお湯を入れ終わるのを待ってから、話を続けた。

「先生は面倒臭いかもしれないけど、私にとっちゃ大事なことなんですよ?」

「授業が? でも、つばめちゃんはもう義務教育なんかどうでもいい身分でしょーが」

 一乗寺はカップラーメンの蓋を浮き上がらせないための重しとして、無造作に拳銃のマガジンを置いた。

「お金は腐るほど入ってくる、良い子にしていれば適当な大人が擦り寄ってきてちやほやしてくれる、おまけに超強い 警官ロボットが傍にいる。俺だったらいくつかの権利だけ手元に残しておいて、なんか超凄い遺産なんてうっちゃる けどなぁー。遊ぶ金と生活費には困らないようにしておいてさ、吉岡りんねに厄介事をぜーんぶ任せちゃう。そしたら、 命を狙われるのも吉岡りんねだし、なんか超凄い遺産で起きるトラブルも吉岡りんねにだけ集中するしね。いい アイディアだと思わない、ねえ? それでなかったら、政府にちょうだいよー。そしたらカッツカツで借金まみれの国の 資金繰りも楽になるし、もしかすると増税だってしなくて済むかもしれないんだよ?」

「だから、私はそれが嫌なんですってば。政府にあげるのも嫌です、なんとなく」

 間髪入れずにつばめが否定すると、一乗寺はにやりと口の端を持ち上げた。

「あ、そうなの」

「てか、なんで先生は私が成金御嬢様にしてやられる方に期待しているんですか?」

 つばめが目を据わらせると、一乗寺は肩を竦める。

「だって楽じゃん。そしたら、俺の仕事も終わりだし、つばめちゃんの先公なんかしなくてもいいしさぁ」

「では質問しますけど、なんでですか?」

「だぁーって実入りが悪いんだもん、公務員なんて。いくら内閣情報調査室っつっても、危険手当だって限度があるし、 弾薬だって使用制限がギッチギチの縛りプレイだし、制約も山ほどあるし。通常業務だってあるのにさぁ、教師 だなんて過剰労働だよ。諜報員の仕事じゃないし。だから、やる気なんて毛の先も出ねぇの」

 一乗寺はキャスター付きの椅子を引くと、カップラーメンを机に置いてから座った。

「じゃ、今度から先生の分もお弁当作って持ってきますから。どうせ私だけじゃ食べきれないし」

 つばめが提案すると、一乗寺は頬杖を付いた。

「なんだい、それだけか?」

「だけって、まだ何か欲しいんですか」

 心底呆れながらもつばめが問うと、一乗寺はにんまりした。

「つばめちゃんのお姉ちゃん、紹介してよ。だったら、授業やってあげなくもないぞ」

「あげなくもない、ってそれがあんたの仕事なんですよ、先生」

 こんなに不真面目な男に美野里を紹介するだなんて、とつばめはむっとしたが、一乗寺は食い下がる。

「あの美人で巨乳のお姉ちゃんだって、こっちに呼び寄せてあげれば身の安全が図れるじゃないかよぉー。つばめ ちゃんと関わっている時点で、あのお姉ちゃんだってちょっとは危ないんだからなぁー?」

「先生と関わる方が何百倍も危険な気がするんですけど」

「大丈夫だぁってばぁ、俺はちゃーんと付き合ってからじゃないと寝ないタイプだから」

「どっちにしろ、不安しか沸いてこないんですけど。最早、油田を発掘した勢いで沸いてくるんですけど」

「で、どうなんだ? うんって言うのか言わないのか?」

 期待に目を輝かせる一乗寺に詰め寄られ、つばめは渋々了承した。 

「解りました。でも、お姉ちゃんに電話をする代わりに、引き出しにあるカップラーメンを一個もらいますからね」

「えぇー。俺にお昼御飯作ってくれるって約束したのに、人の戦闘糧食を掻っ払っていくのか? お代は払ってよ」

「私が死にそうな目に遭っても助けに来てくれないどころか、人の大事なお姉ちゃんに手を出そうとするような最低 最悪な公務員に払うお金はありません。とにかく、午後の授業はきっちりしてもらいますからね!」

 つばめは引き出しの中から塩味のカップラーメンを取り出すと、ついでに割り箸も一つ失敬した。

「金なら嫌になるほどあるくせに、ケチ臭ぇーなぁもう」

 一乗寺がこれ見よがしに拗ねたが、つばめはカップラーメンを開けて電気ポットから湯を注ぎ、その上に割り箸を 置いて蓋をしてから職員室の引き戸に手を掛けた。

「ケチなのはどっちですか!」

 そう言い捨ててから、つばめは職員室を後にした。湯気の昇るカップラーメンを両手で支えながら教室に戻ると、 行儀が悪いと知りつつも足で引き戸を開けてから中に入った。それを自分の机に置いてから、湯の熱さで暖まった 手を握り締め、雪の降り止まない外界を見やった。コジロウは機体の乾燥が終わったらしく、ダルマストーブのある 教室の隅から後ろの引き戸の傍に移動していた。彼を横目に窺うと視線が合いそうになったので、つばめは慌てて 目を逸らした。体が温まってくると、横抱きにされた嬉しさが蘇ってきた。コジロウの目がなかったら、机を両手で 殴り付けながら悶えていたことだろう。少女漫画の主人公が陥りがちなファンタジックな妄想も頭の中で入り乱れて しまい、ふと我に返った瞬間、カップラーメンは延びに延びていた。
 我ながら、情けなくなってきた。




 体温が戻ってくると、生きた心地も戻ってくる。
 暖炉の中では薪が弾けて火花を散らし、西日のような炎が頬を熱く照らしてくる。武蔵野はウィスキーが半分以上 を占めているアイリッシュティーを呷り、熱く薫り高い液体を胃袋に流し込んだ。無言で空のティーカップを差し出すと、 人形じみた笑顔を絶やさない道子がすかさずティーカップを受け取り、お代わりを作ってくれた。これでもうグラスで 三杯は飲んだ計算になるのだが、まだまだ足りない。寒気は抜けても、酔いが回ってこないからだ。

「お嬢は?」

 武蔵野が道子に問うと、道子は上の階を示した。

「はぁーいんっ、御嬢様はぁーん、お風呂でお体を温められておりまーすぅんっ」

「で、ちゃんと自分の足で部屋まで行けたのか?」

「はぁーいんっ、至ってノーリアクションでしたぁーん」

「有り得ねぇな」

 武蔵野は驚くよりも先に、笑ってしまった。いかに戦い慣れた兵士であろうとも、十発も戦車砲に匹敵する攻撃を 受けては体が竦む。攻撃された直後は逃げるために動けるだろうが、問題はその後だ。腰が抜けるか、夢に見る か、或いは二度と戦おうという気が起きなくなるか。いずれにせよ、無傷では済まない。武蔵野でさえも、コジロウの 性能を目の当たりにして少々臆していた。量産型ロボットの性能を遙かに上回ると聞いていたし、資料でスペックも ある程度把握していたつもりでいたが、認識が甘すぎた。戦略を練り直す必要がありそうだ。

「んでぇーん、武蔵野さんと御嬢様はぁーん、どうやって別荘までお帰りになったんですかぁーん? 足場がガタガタ でぇーん、スキーで移動するのも無理な感じだったんですよねぇーん?」

 道子が首が転げ落ちそうなほど首を傾げたので、武蔵野はアイリッシュティーを啜ってから返した。

「なんのことはねぇよ、船島集落とは反対側の斜面に回ってきたんだ。そっちは戦闘の影響も受けていねぇし、北側 だから雪も締まっていたからな。かなり遠回りにはなったが、おかげでこの通り無事だ」

「御嬢様共々遭難して頂ければぁーん、遺産争奪戦の競争相手が減りましたのにぃーん」

 えへっ、と道子はわざとらしく舌を出してから、アイリッシュティーのポットを抱えてキッチンに戻っていった。それは そうかもしれないが、武蔵野の趣味ではない。それに、相手があの吉岡りんねでは、罠に嵌めようとすればこちらが 逆に罠に嵌められそうだからだ。今は、皆、探り探りだ。武蔵野も例外ではないが、手の内も真意も明かしていない ので連帯感すら生まれていない。もっとも、そんなものが必要になるとは思いがたいが。
 別荘の広すぎる居間の片隅では、高守信和が背中を丸めていて、ただでさえ丸い体を球形に近付けながら機械を 細々といじくり回している。藤原伊織はだらけきっていて、ソファーに仰向けに寝そべって週刊漫画雑誌を読んで いるが、あまり面白くないのか、退屈極まりない顔をしていた。暖炉に薪を投げ込んでから、武蔵野は上等なラグに 胡座を掻いてコルトM4コマンドーからマガジンを外したが、ブレン・テンは左脇のホルスターから抜かなかった。
 こんな連中に、気を許せるものか。





 


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