機動駐在コジロウ




本日はブリザードなり



 どこを見ても、白しかない。
 太陽の位置で方角を掴もうにも、分厚い雲が覆い隠しているので光源すら見当たらない。周囲の景色で現在位置 に見当を付けようにも、来たばかりの土地なので地理感覚が養われていないので全く無駄だった。頼りになるものと 言えば、高精度の軍事用GPSぐらいなものだった。それがあるから身動きが取れているが、万一落としてしまえば 一巻の終わりだ。いつになく気を引き締めながら、武蔵野はストックで雪を突き刺して前進した。

「同行して頂かなくともよろしかったのですが」

 武蔵野の前方で止まったりんねは振り返り、ゴーグルの下の目元を僅かに顰めた。

「馬鹿言え。お嬢一人にするわけにはいかねぇだろ」

 武蔵野もまたゴーグル越しにりんねを見据え、細いスキー板をVの字に開き、新雪に噛ませながら登っていった。 りんねは防寒用マスクの下でため息のように息を吐いてから、武蔵野と同じ格好で斜面を登っていった。この季節 の山間部は冬場の積雪が溶けきっていないので、綿のように軟弱な新雪の下にはザラメのような残雪があり、ノル ディックスキーの細長い板が噛むたびにがりごりと擦れた。
 黙々と斜面を登っていくりんねの背中は頼りないが、足取りは確かだ。別荘に首尾良く用意されていた、りんね 専用のスキーウェアは爽やかな水色で、武蔵野が着ている迷彩柄の戦闘服とは大違いだ。武蔵野の場合は薄手の 防寒着を何枚も重ねて空気の層を作って体温を維持しているので、りんねが着ているスキーウェアよりも軽いが、 その分武装が重たい。自動小銃のコルトM4コマンドーと換えのマガジンを二本にグレネードを三発、ハンドガンの ブレン・テンのスタンダードモデルと十ミリオート弾を装填したマガジンを一本、ミリタリーナイフを右足首に一本、と その場で見繕える限りの装備を調えてきた。これだけあれば、多少のことではやられはしないだろう。
 りんねが止まって身を反転させたので、武蔵野もそれに従った。りんねは軍用GPSを取り出して現在位置を確認 してから、眼下の景色を見渡した。武蔵野も現在位置を確かめた後、暗視コープも兼ねた双眼鏡で船島集落一帯 を見回した。船舶を思わせる楕円形の地形には合掌造りの民家が点在しているが、田畑や道と同じように満遍なく 雪に埋もれていた。明かりが付いているのは北西側の分校だけで、その直線上の南東側に建っている佐々木邸の 明かりは消えているので、主である佐々木つばめは登校したのだろうと踏んで目線を下げてみると、つばめと思しき ピンクのスキーウェアを着た人影が雪の中を突き進んでいた。

「根性あるぜ、全く」

 二人の少女に対し、武蔵野は苦笑混じりの評価を述べた。

「双眼鏡をお貸し頂けませんか、巌雄さん。私も拝見いたします」

 と、こちら側の少女が手を差し出したので、武蔵野はりんねに双眼鏡を手渡してから、手で射線を示してやった。 りんねはそれに従って双眼鏡を向けて、分校へと突き進んでいくつばめを捉えると、しばらく眺めていた。一歩進む たびにつばめは肩で息をしていて、雪から足を引っこ抜くたびに長靴が脱げかけていた。りんねや武蔵野のように スキーを履いているか、かんじきを履いているならいざ知らず、長靴だけではまともには歩けまい。都会育ちなので それを知らなかったのだろうが、あまりにも無謀である。この分では、分校に辿り着くまでに日が暮れてしまう。

「巌雄さん、ここから狙撃は可能ですか?」

 双眼鏡を外したりんねは、メガネを掛けたまま装着出来るゴーグル越しに武蔵野を見上げてきた。

「そりゃ無理だな。視界が悪すぎるし、俺の装備も狙撃用じゃねぇ」

 武蔵野は軽く肩を竦めた。アサルトライフルとスナイプライフルでは射程距離からして大違いで、武蔵野が傭兵 時代から愛用しているコルトM4コマンドーの有効射程圏内は三百五十メートルなので、この斜面から狙いを付けた としても、弾丸が命中する前に落下して雪に埋もれてしまう。狙撃に必要なのは何も的確に標的を見定める能力だけ ではない、弾道がドロップする角度を計算に入れる頭も不可欠なのだ。

「そうですか。でしたら、仕方ありませんね」

 りんねは落胆も諦観も示さずに返し、武蔵野に双眼鏡を返してきた。

「それにしてもお嬢、なんだってこんな天気の時に出撃しようだなんて思ったんだ。あのちくわのくじ引きに当たった からっつっても、律儀に出るこたぁねぇだろうがよ」

 武蔵野は双眼鏡をケースに収めてから訝ると、りんねは肉眼でつばめを見据えながら言った。

「私がまず行動し、実行しませんと、皆さんに示しが付きませんから。リーダーシップを示すのに必要なのは戦略と 戦術を組み立てる知能だけではありませんし、私が率先して行動しなければただのお飾りで終わってしまいます」

「そのお飾りで充分だろうが、お嬢は。まだ十四歳なんだぞ?」

 武蔵野が半笑いになるが、りんねは語気を平坦に保っていた。

「年齢は関係ありませんし、私の身の上も関係ありません。私はあらゆる情報を総合的に分析し、つばめさんから 遺産を奪取すべきだと判断し、行動に出ているまでのことです。巌雄さんもそうではありませんか?」

「そりゃまあ、あの娘をどうにか出来りゃ、俺んところの会社の利益が出るのは間違いないからな」

「そうです。私の両親が経営に携わっている吉岡グループも、つばめさんを支配下に置けば今以上の利益を出せる のは間違いないのです。当期純利益だけでも、数十兆は下らないでしょう」

「だが、今はその権利を得るための権利を、あの娘が握っている」

「そうです。つばめさんは遺産を得る権利を得ましたが、その遺産の実態については私達ほどは把握していないのが 現状です。ですが、もしも把握してしまえば、つばめさんは遺産をどう扱うのでしょうか。学もなければ経験もなく、 思想も固まっていないであろうつばめさんが万能の力を得てしまえば、世界は破綻します」

「……おいおい」

「考えてみて下さい、巌雄さん。私達の生活を成り立たせている政府を更に成り立たせているのは税金であり、経済を 成り立たせている民衆です。そして、民衆の生活を成り立たせているのは通貨であり、通貨の価値を成り立たせて いるのは他でもない企業であり、企業の価値を成り立たせているのは社会そのものなのです。世界は全て現金で 回っているのであり、現金がなければ何事も始まりません。この世界は資本主義社会なのです」

「そりゃあ、まあな」

「ですが、その現金の流れを十四歳の少女が掌握してしまったら、どうなるかお解りですか?」

 ゴーグルとメガネの下で、りんねは澄んだ瞳を瞬かせる。

「莫大な資金を元に国内外の企業の株券を膨大に手にしたとするとつばめさんは大株主となり、つばめさんの機嫌 一つで景気が大きく変動します。もしくは、莫大な資金で外国為替証拠金取引を始めてしまえば、国内に流入する 外貨の価値が一変します。或いは、私達の属している企業を手当たり次第に買収してしまえば、つばめさんは経済 の流れを完全に掌握してしまいます。または、口の上手い政治家に乗せられて莫大な政治献金を行い、与野党の バランスを崩してしまうかもしれません。それでなければ、国内の思惑をいち早く察したつばめさんが遺産ごと国外 逃亡した末に第三国と取引を行い、日本経済を外から掌握する可能性もあります」

「そんなの、考えすぎだろう」

 そうは言いつつも、武蔵野はりんねの言葉に軽く危機感を覚えた。金の流れがこの世の全て、というのは過言 ではない。万が一、りんねの危惧する通りに佐々木つばめが莫大な資産をオモチャにしてしまったら、つばめを巡る 争いの輪は今以上に広がっていくだろう。そうなれば、最悪、戦争沙汰だ。つばめの意志一つで全てが決まり、全てが 流れ、全てが変わる世界になれば、つばめに気に入られようと画策する者達が掃いて捨てるほど現れる。つばめ 自身がそれを拒めばまだいいのだが、人間とは得てして権力に溺れるものであり、増してそれが即効性のある財力 であれば尚更だ。独裁国家の方がまだ快適だと思えるような社会が出来上がるかもしれない。

「私は、何もつばめさんが憎いわけではないのです」

 りんねは憂うように、瞼を伏せる。長い睫毛は凍りかけている。

「分を越えた力を与えられた者は己を見失うと、過去の歴史が示しています。経営者にしても、会社の利益を己の 私財であると混同した人間が何人もおりますし、いずれも破滅しています。ですから、私はつばめさんの身には余り すぎる遺産を引き受けて差し上げようと申し出ているのですよ。もちろん、つばめさんが生きていくために不可欠な お金はお渡しいたしますし、それ相応の生活環境も整えて差し上げますし、つばめさんの身辺の安全も私達の方で 保証いたします。ですが、つばめさんはそれをお解り頂けないようなのです」

「接触の仕方が悪かったんじゃねぇのか? 話し合いの席を設ける前に奇襲ってのはなぁ」

 誰だって嫌になるぞ、と武蔵野が控えめに付け加えると、りんねは目を丸めた。

「巌雄さんはそうお思いなのですか? 私としましては、あれが最も効率的な手段だと思ったのですが。つばめさん には伊織さんに襲撃して頂く前に注意勧告をしていたのですが、二度もはねつけられてしまいましたので、実力行使 に出なければこちらの主張がお解り頂けないと思った次第でして」

「それ、誰の意見を参考にしたんだ?」

「私の母ですが」

「ああ、そうかい。親も親なら、子も子だな」

 武蔵野は厚手のグローブを填めた手でゴーグルに貼り付いた雪を払い落としてから、周囲を窺う。狙われていると 知っているはずのつばめが単独行動を取っているのは陽動で、コジロウに索敵させているのではないか、という 考えが過ぎったが、それらしい気配はないので考えすぎだったようだ。りんねもしきりに目を動かして異変の有無を 察知しようとしているようだが、武蔵野とは着眼点が違うようで、船島集落を囲んでいる山々の奥を見つめていた。 軍用GPSで方角を確かめると地形図のホログラフィーを出し、思案する。

「私の読みでは、地形から判断して南西側の山間に政府側の拠点が築かれていると踏んでいたのですが、動きが ないところを見るとどうやら政府側は私達に手出しするつもりはないようですね。意外ではありますが」

「それが、お嬢がわざわざ出向いた理由か」

「そうです。ドライブインでつばめさんとその御姉様に接触していた男が政府の人間であると判明しておりますから、 その男を通じて私達の動向が政府側にリークされないわけがありません。ですが、私達が住まう別荘にSATが攻め 入ってくることもなく、私が外に出ても接触してくることはなく、巌雄さんが銃刀法を豪快に違反していても機動部隊が 襲い掛かってくることもなく、怪人体に変身していた伊織さんを目撃していたであろうドライブインの女店主による通報が 最寄りの警察署に届いている様子もないので、どうやら私達は黙認されているようです」

「法治国家としちゃ有り得ねぇ対応だな。邪魔されないのはありがてぇがよ」

 ますますりんねが恐ろしくなってきたが、武蔵野は声色に出さないように尽力した。自分の立場と背景を見通し、 見極めた上で行動まで判断している。下手な大人よりも聡明だが、頭が良すぎていっそ気色悪くなってくる。

「政府側が私達を黙認している理由については、ある程度見当が付いています」

 りんねは滑らかに言葉を連ねる。

「吉岡グループが生み出す経済効果を失いたくないからです。今現在、吉岡グループの納税額は国家資産の六割を 担っております。吉岡グループから派生した企業の雇用は、昨年の年度末で七千万人に到達しております。吉岡 グループ自体が破綻したとしても、独立した子会社の従業員が解雇されることはないでしょうが、母体となる会社が なくなってしまえば経営が不安定になり、遠からず経営が成り立たなくなって従業員達が解雇されてしまいます。そう なれば、従業員達が払っていた税金も滞るようになり、彼らの収入が激減することで活性化していた経済も低迷して いき、いずれは円の価値も下がり、またあの不況時代が始まってしまいます。不況になれば、経済の立て直しを成功 させたとして安定した支持率を得ている現首相もその座が危うくなるばかりか……」

「解った解った、もういい。要するにあれだろ、風が吹かなきゃ桶屋は儲からんってことだな」

「その喩え方は間違っています、巌雄さん」

「いいんだよ、俺が納得出来れば!」

 武蔵野は力任せに話題を終わらせてから、本題を切り出した。

「で、お嬢、あの娘を襲うのか襲わないのか? そこまで考えているんなら、今、下手に手出しせずに政府側の動き を見たいって思っているんじゃないのか?」

「私は、どちらかと言えば行動に出るタイプの人間だと先述いたしました。ですので、つばめさんを襲撃する絶好の 機会を逃したりはいたしません。コジロウさんの姿も見えませんし、政府側の男の姿も見受けられませんので、奇襲 には打って付けです。ですが、この距離と風と視界の悪さでは狙撃には不向きですし、巌雄さんのアサルトライフル の有効射程圏外ですので、狙撃は行いません。その代わり、この天候と降雪を利用いたします」

 りんねは武蔵野に向き直り、つばめの進行方向である斜面を手で示した。

「巌雄さん、あなたのグレネード弾で斜面を砲撃して人工的な雪崩を起こして頂けませんか。大寒波の影響で降った 新雪が根雪の上に降り積もっておりますので、表層雪崩が起きやすいのです」

「なんでぇ、そんなこと。造作もねぇ」

 武蔵野はやっと出番が来たコルトM4コマンドーを肩から外すと、手早くグレネード弾を装填した。照準器を覗いて 狙いを付けながら、坂の上にある分校を目指して黙々と雪原を突き進んでいくつばめとの位置関係を調節した。

「だが、雪崩を起こすだけじゃ決定的なダメージは与えられねぇな。二発目も撃っていいか?」

「構いません。ですが、命中はさせないで頂けますか。つばめさんが木っ端微塵になってしまわれたら、回収作業が ひどく手間が掛かってしまいますので」

「ああ解っている、手足が潰れる程度に留めておくさ」

 ノルディックスキーを新雪にめり込ませて腰を据え、高低差のある両足を上手く曲げて重心を定めてから、武蔵野は アンダーバレル・グレネードランチャーを握り締めた。冷え切ったU字型の鉄板を強く引き、撃鉄を叩き付けると、 弾薬内の炸薬が着火する。高圧のガスを噴出しながら発射されたグレネード弾は、新雪に埋まると同時に炸裂し、 白煙と爆風が巻き上がって一瞬視界が塞がった。慣れぬ音にりんねは顔を歪め、背けた。

「おっと」

 耳を塞いでおけ、と忠告し忘れていた。武蔵野は硝煙の昇るアサルトライフルを下げると、ストックを突き立てながら 斜面を登っていった。りんねは爆音の余韻で眉根を顰めていたが、武蔵野が顎で示した方向へと登っていった。 程なくして、グレネード弾が大きく抉った雪面が崩れ始め、めきめきと木々を軋ませながら集落に向かって滑り落ちて いった。雪崩の行く末を見守りながら、武蔵野は二発目のグレネード弾を装填した。
 吹き飛ぶのが、手足だけで済めばいいのだが。





 


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