水音が聞こえた。 僅かなさざ波が肌を舐め、水滴が落ちて額を叩き、手足が浮いている。薄く目を開けてみると、白い靄が辺りに 充満していた。だが、冷たさはなく、噎せ返るような熱が籠もっていた。風呂だ、と弱い意識の中で悟った一乗寺は 起き上がろうとしたが、腹部から凄まじい激痛が迸り、掠れた悲鳴を漏らした。かはっ、と声にすらならなかった息が 喉の奥から迫り上がり、同時に胃液もいくらか昇ってきた。 なんて情けない。一乗寺は唾液と胃液の混じったものを唇の端から垂らし、自分が浮かんでいるぬるま湯の中に 落としながら、自虐した。濡れた指で腹部を探ってみると、腹部のダメージは予想以上にひどかった。怪人体に変身 した備前美野里は一乗寺の下腹部から背中に掛けて、爪を貫通させてきた。その際に内臓も随分損傷したらしく、 口の中に鉄の味がこびり付いている。手を横に這わせてみると、女性化して薄くなった腹筋が綺麗に切り裂かれて いて、切断面に指の腹で確かめてみた。出血は止まっているようだが、傷口をほんの少し開いただけで電流の如き 激痛が脳天を痺れさせた。瞼の裏で火花が散り、無意識に体が仰け反りかけるが、その動作で背中側の傷口が 開きかけて別の痛みにも襲われた。あの女は、本気で一乗寺を殺しに掛かっていたのだ。 それなのに、なぜ生きているのだろう。涙なのか湯なのか解らないもので目尻を濡らしながら、一乗寺がぼんやり していると、軽やかに引き戸が開く音が鼓膜をくすぐってきた。場所が場所だからだろう、温泉旅館の風呂場を連想 してしまった。更に、つばめちゃんと箱根に修学旅行に行けたらいいなぁ、と思った。あの時は何も考えずに言って いたのだが、今はそんな他愛もない言葉にも縋りたい気持ちだった。 「湯加減は丁度良いか?」 一乗寺の浮かぶ湯船に近付いてきた人影を捉え、一乗寺は胸中がざわめいた。 「すーちゃん」 周防国彦だった。右目を失い、左足も引き摺り気味ではあったが、生きていた。ということは、一乗寺の想像した 通りの道を辿ったのだろう。政府の支給品ではない迷彩服に身を包んでいる彼は、一乗寺の容赦ない攻撃による 傷によって派手な傷跡が顔に残り、そのせいで面差しが変わっていた。以前の姿を保っている左目に浮かぶ表情 も俗っぽく、一乗寺と共に重大事件の捜査に明け暮れていた頃の正義感や、倫理観や、道徳観といった理性の光 が失われていた。一言で言うならば、犯罪者の目になっていた。 「こうして見ると、男だった頃と大して変わらないな、イチ」 周防は湯船の縁に腰掛けると、一乗寺の顎に手を添えて傾けさせた。目が合う。 「……そう?」 腹に力が入らないので、一乗寺が弱々しく答えると、周防は一乗寺の血の気が失せた頬を撫でてきた。 「この風呂には、マスターがシュユを使って作った生命維持装置みたいな植物が入っているし、お前の腹の中にも その植物を埋め込んだから、傷もじきに治る。それでなくても、イチは打たれ強いからな。すぐに元通りになるさ」 周防の手の甲は生温く、骨張っていた。一乗寺は緩やかに瞬きする。 「なんで、俺を裏切ったのさ。新免工業と船でパーティした時に、潜入捜査だったんだーって言い張って戻ってくれば 良かったのに。そうすれば、俺もすーちゃんのことを嫌いにならなかったのに」 「公僕でいるのに飽き飽きしたんだよ」 「それだけ?」 一乗寺が少し首を傾けると、周防の手がそれを柔らかく受け止める。 「いや、建前だ」 その手付きの優しさで、周防がどれだけ一乗寺に執着していたのかが充分に理解出来た。指の曲げ方も、力の 入れ方も、怯えに似た躊躇いが含まれている。好きだからこそ触れがたかった。それが今、存分に触れられるのだ という歓喜も、一心に注がれる眼差しに宿っていた。皮膚の厚い親指の腹が、一乗寺の唇をなぞる。 「よっちゃんと、むっさんと、コジロウは?」 一乗寺が友人達の名を口にすると、周防は不愉快げに眉根を寄せた。明らかな嫉妬だった。 「あいつらも死んではいないが、気にするほどのことじゃない。今は、自分のことだけを考えていればいい」 「つばめちゃんは?」 「知るわけがないだろう。外に出たのは備前だけで、俺達はずっと弐天逸流の本部にいたからな。それを知っていた としても、教える理由がない。あいつの護衛から政府は手を引くから、イチも任務を外される。遺産絡みの事件も 収束に向かうしな。事が荒立っていたのは吉岡グループが他の企業や組織を焚き付けたからであって、その吉岡 グループという資金源がなくなれば、どの企業も組織も手を引く。最初から、吉岡グループの自作自演だったんだ。 だから、それさえなくなれば、俺もイチも自由になれる。佐々木つばめさえいなければ、全て上手くいく」 周防の手が頬から離れ、首筋から襟元に向かっていく。風呂に入れられる際に着替えさせられたらしく、Tシャツと ジーンズではなく、薄い肌襦袢を着せられていたことに今更ながら気付いた。水を吸って素肌に貼り付いた布地は 一乗寺の体を際立たせ、湯に浮いている丸い乳房が軽く握られた。 「ぁう」 痛みも刺激も感じなかったが羞恥に駆られ、一乗寺は呻いた。 「本当に、女に戻ったんだな」 貼り付いた布地の上から肉の柔らかさを確かめた周防が心底嬉しそうで、一乗寺は目を逸らした。 「そうだよ。すーちゃん、知っていたの?」 「そりゃあな。お前がとんでもない経歴の同僚だから、調べずにはいられなかったんだよ」 周防は一乗寺の傷口に触れないようにしつつ、一乗寺の胸から腰、太股から尻を確かめていった。女性に対する 賛美の言葉もいくつか聞こえてきて、一乗寺はますます頭に血が上ってきた。風呂にのぼせているから、というわけ ではなさそうだ。意識しないようにしていたのに、嫌いになってきたのに、憎めるとすら思っていたのに。 「中学時代のイチは可愛かったな。でも、人殺しなんだな」 そうは言いつつも、周防の口調は弾んでいた。 「男になったのは、弟に上半身を食われて自分で自分を産み直した時なのか?」 「……うん。あの時は、どうにもならなくて」 一乗寺が目を伏せながら頷くと、周防は少し笑った。 「だが、また女になった。それはどうしてだ」 「知らないよ、そんなこと」 はぐらかそうとした一乗寺に、周防は上体を曲げて顔を寄せてきた。再び顎を掴まれ、顔を上げさせられる。 「俺の子供を産めるのか」 「解らない。だって、俺、人間じゃないもん。人間の形をした、別の生き物だもん」 周防と視線を交わらせただけで、一乗寺は心臓が痛んできた。否定しようと思えば思うほど、痛みが増してくる。 頭の芯が痺れてくる。心身共に弱り切ったところで、女性化した自分を肯定する言葉を投げ掛けられては、理性が 少しは綻んでしまう。遊びで体を弄ぶのであれば、何も感じないし気も咎めない。良い友人である寺坂が相手なら、 きっと何も感じずに済んだ。男なんてそんなものだ、人間なんてこんなものだ、とやり過ごせたはずだ。だが、周防 はそうではない。一乗寺という不確かな存在に明確な価値を認め、執着し、愛してくれているのだから。 「もう少し、まともな口説き文句を考えておくんだったな」 周防は気恥ずかしげにしながら、一乗寺の肩に腕を回して抱き起こしてきた。その際に、背中の傷口に繋がって いる細い触手が伸びてきた。首を動かしてみると、彼の言った通り、湯船の底には水草に似た植物が生えている。 うねるツルの下には栄養の詰まった丸い実があり、その栄養を一乗寺に注いでいるのだ。さしずめ点滴だ。 「イチ。いや、ミナモ」 かつての名前を呼ばれ、一乗寺は身を強張らせた。 「マスターが世の中を引っかき回している間に、俺達は逃げよう。どこでもいい、仕事もなんでもいい、ミナモが俺の 傍にいてくれたら、どうにでもなる。お前が人間だろうがそうじゃなかろうが、俺には関係ない」 周防の太い腕が一乗寺を抱き寄せると、彼の肩に顔を埋める格好になった。噎せ返るほどの男の匂いがした。 「そのために、全部裏切ったの? 俺をどうにかするためだけに、政府も、俺も、全部?」 一乗寺が頬を引きつらせると、周防は一乗寺の濡れた髪に指を通してきた。女慣れしていない手付きだ。 「悪いか?」 「うん。最悪だよ、すーちゃん」 だから嫌い、と一乗寺は呟いたが、体力が著しく消耗していたので意識がまた薄らいできた。周防は一乗寺の体 を再び湯船に横たえたが、去り際に唇を重ねてきた。それもまたぎこちなくて、周防は赤面すらしていた。そんなに 好かれていたのかと思い知り、一乗寺まで照れ臭くなってきた。けれど、それを否定しなければ。 彼の足音が遠ざかり、引き戸が閉められた。二度と周防が現れなければいいのに。そうすれば、一乗寺は余計な 感情を覚えずに済む。体が治らないように、止めを刺せばいいのに。そうすれば、彼は悲劇に見舞われずに済む。 せっかく生き延びたのだから、右目にも義眼を移植したのだから、もっと自分を大事にすればいいのに。 このままでは、周防を好きになりすぎてしまう。 思いの外、傷は浅く済んだ。 腹部の裂傷は鍛え上げた腹筋のおかげで薄めで、後頭部の打撲も重大ではなさそうだ。脳までダメージが及んで いないとすれば、の話だが。医療設備もなければ医療従事者もいないので、そんなことを調べることは到底不可能 なので、今は自分の頭蓋骨の頑丈さを信じるしかない。武蔵野は血をたっぷりと吸い込んだ末に凝固して硬くなった ガーゼを剥がし、猛烈に染みる消毒と止血を終えてから、新しいガーゼを貼り付けて包帯を巻き直した。己の傷口を 直視した程度では気は遠くならないが、痛みだけは慣れない。だが、それも生き延びた証しなのだ。 包帯などを寄越してくれた主は、黙々とゲームに興じていた。右足を失って片足になった鬼無克二は、テレビの前 で胡座を掻いて背中を丸め、細長い指でひたすらボタンを連打していた。武蔵野は鬼無が包帯やガーゼなどと共に 持ってきてくれた薬袋をひっくり返し、中身を確かめた。鎮痛剤と抗生物質だった。 「礼は言っておこうか。だが、このクスリはどこにあったんだ? どれも病院で処方するやつだろう」 「んー、その辺にあったから掻き集めてきただけですけどー?」 武蔵野は鬼無の姿勢の悪い背中を見、訝った。ホタル怪人と化した備前美野里と戦った三人の中で、武蔵野は 最も軽傷だった。一乗寺と寺坂は半死半生の重傷で、意識すらも失っていた。美野里は三人とコジロウを霧の立ち 込める鳥居に放り込むと、早々に立ち去っていった。息も絶え絶えの一乗寺は周防が早々に回収していき、寺坂と コジロウは巨体の異形を連れて戻ってきた美野里に回収されたが、武蔵野は放置された。そこにやってきたのが、 切断された右足を鉄パイプで補っている鬼無だった。彼は武蔵野を畑仕事に使う手押し車に放り込むと、がたごとと 揺らしながら建物まで運んでくれた。そして、今に至る。 一乗寺も寺坂もコジロウも、無事とは言い難いだろうが命は繋げているだろう。このメンバーの中で、最も価値が 低いのは武蔵野だからだ。一乗寺は人間の姿をした異形であり、寺坂は触手を宿しているし、コジロウに至っては 遺産の一つであるムリョウに手足を付けた代物だ。だが、武蔵野はただの人間に過ぎない。だから、鬼無が拾って くれなければ、ろくに傷の手当ても出来ずに倒れ伏していただろう。 「鬼無。お前は俺が嫌いだったんじゃないのか?」 武蔵野が一笑すると、鬼無はホログラフィーモニターの中に浮かぶキャラクターを操作しながら返した。 「そりゃー嫌いですよー。おっさんだしー、萌えないしー、なんか説教臭いしー」 「だろうな」 武蔵野が肩を竦めると、鬼無は一時停止をしてから振り返った。以前と変わらぬ、表情の見えない顔だ。 「でもー、他の連中がマジキチだからー、武蔵野さんみたいなノーマルキャラも必要かなーってー」 「だから、俺を助けたのか? 変な理由だな」 「んでー、親父ー、なんか言っていましたかー?」 「いや、別に。俺を解雇して、つばめに雇わせた時に会ったぐらいだな。だが、何も言っていなかった」 「そーですかー。まー、予想の範疇っつーか、親なんてオワコンっていうかー」 「目を掛けてくれるような親ならありがたいが、そうじゃなければ、さっさと縁を切りたいものだしな」 「ですよねー解りますー」 鬼無はうんうんと頷きながらも、指先の動きは鈍らず、的確にボタンを操作し続けていた。 「てかー、知っていたんですかー?」 「そりゃあな。新免工業がタンカーに乗せたナユタで都心を吹っ飛ばそうとした後に、調べたんだよ。佐々木つばめ の母親を死なせた原因を作ったのが新免工業だってことは、覆しようがない事実だからな。その当時、弐天逸流の 本部は都心にあると仮定されていた。その理由は、死んだ人間が頻繁に蘇ってきたからだ。鬼無もその中の一人 だった。お前は自殺したんだ、鬼無。世にも下らない理由で、私鉄の特急に身を投げて細切れになったんだろ?」 「まー、そんなところですねー。親父のカードを使ってネトゲに課金しすぎて半殺しにされてー、なんかもー、全部が 嫌になっちゃってー、ふらーっとしたらグモってー。んでもー、気付いたら生き返っていてー、訳解らないから実家に 帰ってみたらー、親父の会社に就職させられてー、紛争地帯に飛ばされてー、また死んでサイボーグになってー」 鬼無は淡々と話していたが、ボタンの操作を何度か誤っていた。動揺しているのだ。 「鬼無ってのは、お前の母親の名字か。で、俺達も、ひばりも、お前と社長の派手な親子ゲンカの巻き添えを食った ってわけか。割に合わない仕事ばっかりだな」 武蔵野は水差しからコップに注いだ水を少し舐め、味を確かめてから、薬をシートから出した。 「まー、そんなとこですー。あの親父ってばー、博愛主義っつーか人類愛っつーかをのたまう自分に酔いまくっている せいで金目当てで言い寄る女を全部引き受けちゃってー、リアルハーレムってかでー。だから母親はちっこい俺を 連れて逃げたんですけどー、母親は頭が弱くて独り立ち出来るような女じゃなくてー、すぐに生活出来なくなってー、 弐天逸流に引っ掛かっちゃってー。んでー、俺が死ぬことが大前提の前金をたんまりもらっていてー。俺を自殺に 追い込むためにメシに変なクスリみたいなのを混ぜていたみたいでー、そのせいで高校中退してクソニートになって ネトゲ廃人になってー、親父に泣き付いてー、クレジットカード盗んでー、それを使い込んで叱られまくってー。んで 自殺してー。気付いたら生き返っていてー、んで戦闘訓練を受けさせられて傭兵になってー、親父もクソウゼェーって 思ってドサマギで殺したんですけどー、親父はあっさりサイボーグになって生き返ってー。でも俺も殺し返されてー、 サイボーグになってー。まー、そんな感じでー」 「社長をやったのはお前だったのか。なのに、脳天は吹っ飛ばさなかったんだな」 武蔵野が驚きもせずに返すと、鬼無は少し間を置いてから答えた。 「なんてーか、一瞬迷っちゃったんですよー。こんな野郎でも親父なんだよなーって。そしたらー、ちょっと手元が狂って 心臓と肺と胃をぶち抜いただけにしたっていうかー。そしたらー、俺も同じ場所を撃たれたんですけどねー」 「そこまでされれば、新免工業に愛想を尽かすのも無理はないな。納得出来ただけで理解したわけじゃないが」 「ですよねー。俺の場合ー、二度もリセットボタンを押したのに強くてニューゲームにならないどころかー、異世界に 召喚されて俺TUEEEEEEにもなれないしー、これだからリアルはクソなんですよーもー。馬鹿なの死ぬのー?」 「現実はそんなもんだろ、諦めろ」 「あーそれそれー、そういうのー。俺が武蔵野さんに求めていたのはそれ系のキャラでー」 「だからどうした」 「だからですねー、なんか教えてくれませんー? 俺の人生に一本筋を通して尚かつ意味が生まれてくるようなー、 そういうことー。自分でうだうだ考えてみたりーググってみたりースレ立ててみたりーツイート投げてみたりー知恵袋 に投稿してみたりもしたんですけどー、誰も良い感じのレスをくれなくってー。だからー、武蔵野さんならWikipediaより 当てに出来るかなーって思ったんでー。他人に説教垂れるっつーことはー、それに裏打ちされた人生経験と確固たる 自信と持論があるからじゃないですかー。ないとは言わせませんよー?」 ぐいと首を曲げて、鬼無が武蔵野を見据えてきた。鏡面加工が施されたマスクフェイスに写った武蔵野の顔は、 いつになく戸惑っていた。そんなに立派な人生論があれば武蔵野はもっと楽に生きられている。他人に教授出来る ほどの自信があれば、もう少し上手く立ち回っている。そんなものがないから、当たり障りのない一般論を流用した 言葉を並べるのではないか。どうせいつもの軽口だ、と武蔵野はタカを括っていたが、鬼無はやけに真剣で態度 を変えようとも、自分の発言を茶化そうともしなかった。 「もし、俺がそいつを教えられなかったら?」 少々の間を置いて武蔵野が問い返すと、鬼無は首を傾げた。 「ぶっ殺しますよー? 脳天ぶち抜きますよー?」 「……まあ、待て。しばらく待て。俺だって頭が回らん、腹も痛いし、頭も痛いし、結構血も出た」 「その辺は考慮しますけどー、被ダメ回復したらお願いしますねー。なんかもー、頭ん中がぐちゃぐちゃでー。虫女と マスターに言われるがままに戦いまくって大虐殺してもいいんですけどー、シュユがマスターに乗っ取られてからは しっくり来なくなっちゃってー。アルェーって感じでー。だからー、武蔵野さんとダベって考えてみようかなってー」 「だったら、徹底的に迷えばいい。行動に移すのは、それからでも遅くはない」 鎮痛剤が回り始めたことを感じつつ、武蔵野は呟いた。生き方に迷っているのは鬼無だけではないし、弐天逸流 に蘇らせられた人間もどきだけでもない。普通の人間でさえも人生に悩み、つまずき、藻掻きながら苛烈な現実 に向き合っている。四捨五入すれば五十路になろうかという男でさえも、この有様なのだから。 ちょっと付き合って下さいよーオフラインプレイなんて張り合いなさすぎてー、と鬼無がゲーム機のコントローラーを 投げて寄越したので、武蔵野は渋々コントローラーを握った。痛みと眠気を紛らわすには丁度良いかもしれない、と 思ったからでもある。それから、二人並んでひたすらゲームに興じて時間を潰した。ゲーム自体に不慣れな武蔵野は ろくに勝てずにやり込められてばかりで、極めて無益で無駄で非生産的な時間だった。 けれど、余暇としては最適だった。 12 11/27 |