機動駐在コジロウ




掃き溜めのツール



 手当たり次第に人間を殺し、潰し、刻み、シュユの居所を聞き出した。
 少し前であれば、他人を傷付けることに躊躇いがあった。人間を殺さずにいることで、安易に人間を殺傷しては 捕食している他の怪人達との差別化を図っていたからだ。自分だけは違う、フジワラ製薬の社長のつまらない趣味 で生み出された娯楽の産物ではない、長光に全てを捧ぐために力を得たのだと。後は、当たり前の日常に対する 甘っちょろい未練のせいだ。人殺しをしなければ、怪人であっても、後ろめたい気持ちを持たずに実家に帰れるの だと思っていたからだ。だが、備前家はつばめに奪い取られ、美野里がいるべき場所ではなくなった。だから、もう 未練の欠片もない。何をしようとも気が咎めない、恐れない、臆さない。
 爪から滴った生臭い体液をぴんと弾いてから、警備員の生首を投げ捨てる。政府の人間も配備されていたらしく、 物陰から現れた重武装の戦闘員達が美野里に狙撃を開始した。鋭い破裂音の後に外骨格に激突した弾丸は一つ 残らず潰れ、無様な鉛玉が重たい雨となって足元に散らばる。複眼の端で遠方のビルの窓から狙いを定めている 狙撃手の姿を捉えたので、すかさず警備員の胴体を拾って盾にする。途端にライフル弾が呆気なく貫通し、臓物の 内容物が扇状に飛び散った。それらを受けた複眼を拭わぬまま、美野里は首をぐるりと回す。

「もういいわ」

 再生して間もない羽を広げ、震わせる。警備員の胴体を投げ捨ててから跳躍した美野里は、一息で大きな資材 倉庫の天井付近に飛び上がった。銃撃もそれに従って上向いてきたが、美野里の動作を追い切れずにあらぬ方向 を狙撃しては跳弾させてばかりだった。彼らに構っている暇はない。
 美野里は体の陰に隠して守ってきたジュラルミンケースが傷付いていないと確かめてから、倉庫の奥を見据え、 横たえられているシュユの姿を確認した。それを見た直後に思い出したのは、ガリバー旅行記である。小人の国に 漂着して砂浜に打ち上げられたガリバーが小人達の手で綱を掛けられてしまった、という場面の挿絵を思い起こす 構図だったからだ。赤黒い触手を両手足に当たる部分から生やし、光輪を背負っている巨体の神、シュユは、触手 の根本と首と光輪と腰の部分にワイヤーを掛けられて、コンクリートの床に固定されていた。光輪が光っていない ので、シュユの意識は失われたままなのだろう。分解酵素を流し込むなら、今だ。
 今一度、銃撃戦が再開された。だが、美野里を狙っているわけではないらしく、銃弾は見当違いの方向に発射 されている。何事かと美野里が天井の梁から下を覗き見ると、にょろりと長い影が見えた。

「当てないでくれる? 一度でも当たったら、傷を塞ぐために余計な体力を使うからね」

 羽部鏡一だった。顔の右半分にガーゼを当てて包帯で覆い、入院着を着ているので、病院から抜け出してきたの だろう。美野里が盾にしていた警備員の胴体を拾い、ライフル弾が貫いた傷口に牙を立て、粘っこい水音を立てて 血液ごと臓物を吸い上げた。ぐちゃぐちゃと行儀悪く人肉を喰らってから、眉間を顰める。

「硝煙臭っ」

 入院着の胸元を血で汚した羽部は、ヘビの下半身をくねらせながら倉庫に入ってくる。戦闘部隊の男達は自動小銃 をリロードし、羽部に狙いを定めたが、羽部は瞳孔が縦長の目で彼らを一瞥する。

「あれと戦えると思うだなんて、君達は救いようがなさすぎて神仏も裸足で逃げ出すレベルで馬鹿だな。無駄な損害 を出したくなかったら、さっさと撤退した方が数十年は長生き出来ると思っていいよ。ああでも、勘違いだけはしない でくれる? この優れすぎて何者にも代え難いがあまりに死することも許されない僕は、君達を守ろうとか救おうとか 助けようだとか、そんなクズでクソでヘボな少年漫画のライバルキャラみたいなことは言わないからね? 単純に、 面倒臭いんだよ。君達の誰かが情けなく死んだら、それだけ食べなきゃならない肉の量が増えちゃうじゃないか」

 先の割れた舌を出して挑発的に頬を持ち上げた羽部に、戦闘員達はどよめき、小隊長が撤退を命じた。騒々しく 倉庫から脱していった人々を見送ってから、羽部は血の混じった唾を吐き捨てた。腹が減っていなければ筋張って 油臭い男の肉なんか喰いたくないよ、とぼやいてから、鉄骨の梁に隠れている美野里を見上げてきた。

「さっさと下りてきてくれる? この僕がわざわざ来てあげたんだ、出迎えてくれよ、虫女」

「邪魔をしに来たの、それともマスターに従う気になったの?」

 美野里は言い返しながら身を投じ、羽部の前に難なく着地する。羽部は首を傾げ、一笑する。

「まさか。耄碌して色ボケしたクソ爺ィの手伝いなんて、世界を貢がれたってやりたくない。そんなものに未来がある わけがないし、利益だってないしね。君ってさぁ、本当に馬鹿だよねぇ」

「馬鹿なのはあんた達よ。マスターの恩恵を受けておきながら、マスターに尽くしもせずにあんな小娘に」

「ああ、何か勘違いしているみたいだけど、この僕が佐々木つばめに下るわけがないじゃないか。利害が一致して いたから、ここまで付き合ってやっただけであって、そっち側に付いたからってイコールで味方になるわけがないよ。 なんだよそれ、小学生の発想じゃないか。なんとかちゃんがあいつと喋ったから絶交ー、ってやつ」

 羽部のへらっとした語り口に、美野里は触角を曲げた。同類であるからこそ目を掛けてやろうと思ったのに、気に 食わない。だが、羽部を殺せば、長光の配下に付けられる戦力が目減りしてしまう。ここで丸め込んでおけば、長光 からもっと褒められるかもしれないのだから。美野里は殺戮衝動を飲み下してから、羽部に一歩近付く。

「マスターは遺産の優れた使い手よ。そのマスターに従ってさえいれば、何も案ずることはないわ」

「どこがだよ。あの耄碌爺ィがやったことといえば、哀れな美少女肉人形を何人も作って乗り回した挙げ句に自殺に 追い込んで、企業に遺産をばらまいていい加減な情報だけを与えて手を焼かせて、そのくせ自分は息子の複製体 を使って吉岡グループから利益を直接吸い上げ、目先の欲望を満たしているだけじゃないか。下手くそも下手くそ、 童貞以下だね。君も処女だから、その辺の手解きをしてやれなかったってわけ?」

 羽部が饒舌に並べた嫌みに、美野里はぎちりと顎を開く。

「黙りなさい!」

「弁護士だって聞いていたけど、君、つくづく頭が悪いね。口も下手だ。この僕に言い負かされちゃってどうするの、 そんなんじゃ法廷じゃまず勝ち抜けないよ。ああ、そうかぁ、君って書類仕事ばっかりで裁判沙汰なんかはちっとも 手掛けたことないんだねぇ。それじゃ無理もないね。どうせ君は、ただの馬鹿だ」

 馬鹿、馬鹿、馬鹿。羽部の罵倒に美野里は自尊心がぐらつき、顎を最大限に開いて威嚇する。

「黙れぇっ!」

「尽くした分だけ尽くしてもらえる、だなんて、頭の悪さの極みだよね。その理屈で行ったら、肉体労働に準じている 現場の労働者達は日々賞賛を浴びて溢れんばかりの給料をもらえるはずじゃないか。外面がいいだけの変な男に 引っ掛かって金を毟り取られてサンドバッグにされる女は、賛辞を雨霰と受けてお姫様扱いされなきゃならないじゃ ないか。大体、好意なんてものは究極の一方通行であって、個人の主観の固まりだ。自分が好きだから相手が好き になってくれる、だなんて希望的観測にも程があるよ。誰だって気付くさ、思春期の成長過程で」

 最後の言葉で、羽部は声を落とした。身に覚えがあるのだろう。が、すぐに表情を切り替える。

「だから、本当は誰も君のことなんか好きじゃない。佐々木長光も、君を使い切るために上っ面を」

「だ、ま、れぇえええええっ!」

 ジュラルミンケースを投げ捨て、美野里はコンクリートを蹴って駆け出した。羽を広げて低い姿勢で滑空し、羽部の 懐へと滑り込もうとする。が、羽部は反応が早く、美野里が迫ってくる直前に長い下半身を曲げて身軽に跳ね、倉庫の 内壁に付いているハシゴに尻尾を絡み付ける。美野里は素早く方向転換し、羽部に爪を振り上げながら直進するが、 羽部は壁伝いにするするっと這い上がっていった。速度を上げすぎたために、一瞬、距離感を失った美野里は内壁に 激突しそうになったが、辛うじて下両足を曲げて着地する。と、同時に壁を蹴り飛ばし、羽部を追った。

「この野郎っ!」

「おっと」

 壁を這ってシュユの傍まで移動した羽部は赤い箱を見つけ、消火器を引き摺り出した。美野里は急降下して羽部 に突っ込もうとするが、羽部はすかさずピンを抜いて白煙を噴射してきた。視界が奪われて触角も塗り潰され、前後 不覚に陥った美野里は、勢いも殺せずにコンクリートに頭から突っ込んだ。ごぎり、と嫌な音が外骨格全体に響き、 再生したばかりの頭部が割れたのか、冷たい体液がぬるりと広がった。
 消火剤の刺激と痛みで六本足を痙攣させながら、美野里は底冷えするコンクリートに這い蹲る。白と黒がまだらに なった人型ホタルを横目に、羽部は音もなく移動し、美野里が放り投げたジュラルミンケースを拾った。蓋を開けて みると、低温に保たれた箱の中にはフジワラ製薬のラベルが付いたボトルが収まっていた。そこに印された数字と 番号だけで、それがD型アミノ酸の分解酵素であると解る。怪人に関わる研究の一環で、羽部も分解酵素の開発に 多少携わっていたからだ。藤原忠がこれを利用して伊織を瀕死にしたが、シュユにも通じるのか。

「いや、通じるな」

 アマラと道子を経て脳内に至った、異次元宇宙の情報の波が教えてくれる。シュユの肉体を構成している分子は 物質宇宙に存在しているわけではないが、遺産の産物を経由すれば分解酵素はシュユに到達し、シュユの肉体を 崩壊させてしまう。肉体を失って精神体だけが放り出されてしまえば、シュユはクテイに占領されている異次元宇宙 に戻れずに双方の狭間を彷徨うことになり、クテイの独壇場になってしまう。そして、異次元宇宙に存在している量子 コンピューターに依存している遺産とその産物は切り離され、必要な情報が一切ダウンロード出来なくなり、形も 保てなくなるだろう。美野里はそれを解っているのか、否、解っていないだろう。解っていたら、こんなことはしない。 結果は考えずに、その行為によって生じる利益だけしか認識していないのだ。
 最も簡単な処理方法は、一つだけある。羽部の色素の薄い目は、苦痛にのたうち回る美野里を捉えた。佐々木 長光の使い勝手のいい道具である彼女を葬れば、少しは敵の動きが鈍くなる。羽部は分解酵素を入れたボトルの 蓋を捻って開くと、美野里に近付いた。ボトルを傾けると液体の水面が移動し、ボトルの縁から零れる。
 ひゅかっ、と黒い鎌鼬が翻る。刹那、右手首が焼けたような感覚を覚え、羽部が目を上げるとボトルを持った右手 の手首から先が切断されて宙を舞っていた。当然、分解酵素は遠心力に従って振りまかれたので、羽部はぎょっと して後退る。空になったボトルがコンクリートに叩き付けられ、砕けると、美野里は立ち上がった。

「いいことを教えてもらったわ」

「ああ、そういうこと。互換性のせいで、この僕と馬鹿の代名詞に相応しい君の意識が……」

 だから、羽部の思考が読み取られたのだろう。羽部が血が噴出している右手首を押さえて歯噛みすると、美野里 は複眼にこびり付いた消火剤を拭い、払い捨てた。

「生憎だけど、私は利益だけを追い求めているわけじゃないの。その先のことも、ちゃんと考えている」

 美野里は消火剤を振り払ってから、血の筋の先にいるヘビ男との距離を詰めてくる。

「へえ。じゃあ、具体案を聞かせてもらおうじゃない。もっとも、君の頭にはお花畑しか詰まっていないだろうけどね。 分解酵素をシュユに入れるにしても、どうやって入れるつもり? その辺は解らないだろうさ、この僕だって考えて いないんだから。考えたとしても、君には教えてやらないよ」

 羽部は血の滴る右腕を曲げて背に隠してから、美野里を睨む。

「レイガンドーのムジンを経由してシュユに通じていた美月ちゃんを殺せば、シュユは安定を失うわ。そんなことまで 教えてくれるなんて、親切ね。礼を言わせてもらうわ」

 美野里が顎を擦らせると、羽部は顔を歪めて牙を剥く。

「あの子を喰うのはこの僕だ」

「あんたが美月ちゃんを好きになっても、美月ちゃんはあんたを好きになってくれるとは限らないから?」

 美野里は先程の羽部の言葉を引用すると、羽部は尻尾の先でコンクリートを殴る。

「自分の立場を弁えて開き直れている分、この僕は君の数百億倍はまともだよ。ああそうさ、それの何が悪い、あの子 を見ていて何が悪い、あの子を喰いたくなって何が悪い、美月を喰えなくて何が悪い!」

「あんた、意外に純情なのね。笑っちゃう、っ!」

 美野里は分解酵素が溜まっているボトルの破片を拾うと、素早く低空で飛ぶ。痛みと動揺で対応が遅れた羽部は 美野里の軌道から逃れきれず、ボトルの破片で頸動脈を切断されると同時に分解酵素を流し込まれ、絶叫した。 予想以上の苦痛と威力に、羽部の全神経が暴れる。ボトルの破片に残っていた小さじ一杯にも満たない量の液体 が侵入した部分から溶解され、体液に成り代わっているアソウギに馴染み、アソウギを溶かし、細胞同士の繋がり が次々に断たれていく。皮膚が、筋肉が、神経が、骨が、内臓が、血管が、体液が、脳が、崩れていく。
 数分後には、羽部の形をした水溜まりが出来上がっていた。未消化の人肉が漂い、血と体液をたっぷりと吸った 入院着が泳ぎ、包帯とガーゼがとぐろを巻いている。美野里は慎重に羽部の残骸を爪先で小突いて、分解酵素の 影響が失われていることを確かめた。この分だと、美月を痛め付けてシュユを弱らせる必要はなさそうだ。羽部の 体液を利用すれば、シュユに分解酵素を流し込めると踏んだからである。

「馬鹿な男」

 美野里は腹の底から笑いを零しながら、羽部の体液が浸った入院着を拾って手近なバケツに入れ、ジュラルミン ケースの中に残っていたもう一つの分解酵素を取り出した。出来ればシュユが最もダメージを受ける部位を探して から分解酵素を与えたかったが、あまり手間取ると戦闘部隊が戻ってきてしまう。政府が手を引いたとしても、吉岡 グループは手を引かないからだ。
 とりあえず、頭部を潰しておけばいいだろう。そう考えた美野里は、岩龍の打撃のダメージが消えていないシュユの 頭部に羽部の入院着を置くと、ぬるりと羽部の体液が流れ落ちた。その上に分解酵素を垂らしてやると、シュユの 触手が暴れ始めた。先程の羽部と同じ反応だ、ならば効いている証拠だ。美野里は嬉々としてボトルの中身を 開け、倉庫の二階部分に飛び移って距離を取った。シュユは瀕死の魚のように胴体を跳ねさせ、倉庫全体が軋む ほどの振動を起こし、ワイヤーを根本から引き千切り、穴の空いた頭部を掻き毟ろうとするが、触手が触れた途端 に溶けて崩れ、新たな水溜まりが出来た。それが数分間続いた後、シュユの痙攣が次第に弱まっていき、内側から どろりと臓物らしき異物を垂れ流して動きを止めた。その様に、美野里は哄笑した。清々しさと誇らしさと、底なしの 嬉しさからだった。手近な窓を割って空に昇りながら、美野里は笑い続けた。
 これなら、確実に褒められる。




 フカセツテンが消滅した。
 一度病院を出て状況確認のためにライブ会場に戻ってきたつばめは、異物の消え失せた海を目にしたが、理解 出来るまで少々間があった。フカセツテンの内容物らしき、建物の残骸や土の塊が波間に揺られていて、それらが 流出してしまう前に急ピッチで回収作業が行われていた。つばめは唖然としながら、隣に立っているコジロウの目にも フカセツテンが見えていないことを確かめ、看護用ロボットから手近な女性型アンドロイドに電脳体を移した道子にも 確かめ、ついでに成り行きで同行している高守にも確かめた。だが、やはり、フカセツテンは消えていた。

「これ、一体どういうこと? フカセツテンはどこにいっちゃったの?」

 つばめが真っ当な疑問を口にすると、道子が困り顔で答えた。

「恐らく、シュユさんがやられちゃったんだと思います。フカセツテンを支えていたのはシュユさんであって、その中身 というか、風船の空気に当たる異次元空間を複製して支えていたのもシュユさんだったので、シュユさんの存在自体 が著しくダメージを受けたせいで、物質宇宙ではフカセツテンを維持出来なくなっちゃったんですね」

「え?」

 意味がよく解らず、つばめが聞き返すと、高守が解説した。もちろん、携帯電話による筆談だ。

『えーと、その、僕達が目にしていたシュユは本体じゃない、というかアバターなんだよ。物質宇宙における仮初めの 肉体なのであって、シュユの本体はあくまでも異次元宇宙にある精神体なんだ。だから、シュユが物質宇宙で遺産 を操れていたのは、精神体とアバターが繋がっていたからなんだ。でも、アバターの方がやられちゃったから、遺産 を保つための力がなくなってしまって、シュユの力を最も強く受けていたフカセツテンと異次元空間が消えた、っていう 理屈かな。あれ、もっと解りづらかった?』

「頑張る。理解出来なくても!」

 困惑しきったつばめは強引に言い切って、誤魔化した。シュユと異次元宇宙の関係がよく解らなかったとしても、 状況がまた急変したのも確かなのだ。だが、異次元空間が消えては、その中にいた面々は無事ではあるまい。

「武蔵野さん達も消えちゃったの?」

 別れ別れになってから久しい者達の安否が気になり、つばめが道子に問うと、道子は一度瞬きした。

「いえ、それはないと思います。フカセツテンと異次元空間にとっては、物質宇宙の存在である武蔵野さん達は異物 なので、元々シュユさんの干渉を受けていないんですよね。一乗寺さんと寺坂さんは微妙ですけど、まあ、大丈夫 だと思いますよ。お二人は、うっかり殺しても大笑いして墓場から這い上がってくるタイプなので。弐天逸流の本部 の残骸と一緒に回収されているかもしれませんけど、会えるかどうかは解らないですね。皆さん、勝手なので」

「あー、うん。だろうね」

 つばめはこの上なく納得し、頷いた。一乗寺と寺坂は言わずもがなであるが、武蔵野もあれで自分勝手だ。そうで なければ、新免工業の大型客船での騒動の際に、あんなに大胆な行動は取らない。となれば、皆が戻ってくるまで 放っておいた方が良さそうだ。下手な手出しをして邪魔でもしたら、事態がこんがらがってしまう。

「で、そのフカセツテンはどこに行ったの? ナユタみたいに小さくなっているとか?」

 つばめはポケットから手のひらサイズのナユタを出すと、コジロウが言った。

「フカセツテンの体積は不変だ。それは物質宇宙でも異次元宇宙でも代わりはない」

「てぇことは、本当にどこかに行っちゃったのか。まあ、当てがないわけじゃないけど。だったら、ひとまずうちに帰る とするかー。どうせ、船島集落の辺りにあると思うから。冷蔵庫の中身も傷んでいるだろうから片付けておかないと ならないし、掃除もしたいし、冬物も準備しておかないとなぁ。手伝ってね、コジロウ、道子さん」

「了解した」

「そりゃあもちろん!」

 つばめがコジロウと道子を見上げると、二体は快諾した。少し間を置いてから、高守も承諾した。

『僕はこの通りだからろくな手伝いは出来ないけど、つばめさんの傍にいた方がいいと思うから付いていくよ』

「どうぞ御自由に。でも、前みたいな変なことはしないでね? 地雷は勘弁してよ」

 つばめに忠告され、高守は赤黒い触手をちょっと引っ込めてから、文章を打ち込んだ。

『うん、解ったよ。大人しくしているよ、出来る限りはね』

「美野里さんのことはどうします? さっきの騒ぎからすると、きっと……」

 道子が言葉を濁すと、つばめは躊躇いを振り払ってから言い切った。

「お姉ちゃんのことは、ひとまず道子さんに任せるよ。お姉ちゃんがどこかで悪いことをしそうになったら、なんでも いいから利用して動かして止めてやって。道順は違うけど、行き着くところは同じはずだから」

「解りましたーん」

 以前の自分の口調を作って道子が承諾すると、つばめは平静を保とうとしたが、美野里が表立って動き出したの だと知ると動揺が押さえきれなかった。不安を払うために、無意識にコジロウの手を握った。きっと、シュユに危害を 加えてフカセツテンを消失させたのも、美野里の仕業だろう。形振り構わず、脇目も振らず、佐々木長光に身も心も 捧げているのだ。つばめが好きだった美野里は、もういないかもしれない。それでも、自分だけは最後まで美野里を 見捨ててはならないのだと思い直す。備前家で家族として過ごした十四年の月日を否定したくないからだ。
 すると、つばめの携帯電話が鳴った。美月からだった。羽部の傍にいる、と言って病院に行ったきりだったので、 外に出てきたのかもしれない。つばめが電話を受けると、美月の不安げな声が聞こえてきた。

『もしもし、つっぴー? 羽部さん、どこにいるか知らない?』

「ううん、見かけなかったよ。今、ライブ会場にいるけど、いたら絶対に解るって」

『そっか……。あのね、羽部さん、いなくなっちゃったの。だから、つっぴーなら知っているかなって思ったんだけど、 ごめんね。また探してみる。あの人、大ケガしているのに勝手にいなくなっちゃうんだもん。窓も割れていたし』

「羽部さんのことは、私の方で探してみるよ。道子さんも戻ってきたから、手伝ってもらうし。だから、ミッキーは一度 ちゃんと休んだ方がいいよ。色々あって疲れただろうしさ」

『でも』

「RECの興行、まだ次があるんでしょ? オーナーがしっかり休まないと、レイガンドーだって本気が出せないよ」

『うん、そうだね。解った。それじゃお願いしてもいい?』

「もちろん。だから、またね」

『またね、つっぴー』

 そう言って、美月は電話を切った。道子はつばめの肩に手を添えると、膝を曲げて目線を合わせてきた。

「とても言いづらいことなんですけど、羽部さんの反応がないんです。一度、私はあの人とほんの少しだけ物理的に 繋がったことがありまして、それ以来、羽部さんと私の間には遺産同士の互換性を上回る繋がりがあったんです。 だから、羽部さんがどこで何をしているのかは、アマラと異次元宇宙のネットワークを使わなくてもなんとなく掴めて いたんですけど、それが」

 語尾を濁した道子に、つばめは察した。

「あの人、やられちゃったの? お姉ちゃんに?」

「ええ。フジワラ製薬が作ったD型アミノ酸の分解酵素を受けてしまいましたから、アソウギごと、溶けて……」

 動揺を隠しきれないのか、道子は次第に語気を弱めていった。つばめは深くため息を吐いた後、吸って、腹の底 から出てきそうになった激情を押さえ込んだ。それでもまだ、美野里を嫌えないのか。美月と通じ合おうとしていた 羽部を手に掛けられても、美月の淡すぎる感情が蹂躙されていても、まだ憎めないのか。
 道子にそっと抱き締められ、コジロウに支えられ、高守に慰められ、つばめは声を殺して唸った。泣こうとしても、 美野里に対する甘い思い出を振り払いきれない自分に嫌気が差して、涙は一滴も出てこなかった。
 ただただ、やるせなかった。





 


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