機動駐在コジロウ




机上のクローン



 星の少ない夜空を目にし、少し気が緩んだ。
 真っ白な霧が詰まっていた閉鎖空間に閉じ込められていた反動だろう、見通しが利く視界と広々とした空間が 清々しくてたまらない。人間と物資が大量に押し込められている都会であろうとも、フカセツテンの内部の限られた 世界に比べれば雲泥の差だ。武蔵野は縫合されたばかりの腹部を気にしつつ、ベランダから室内に戻った。
 状況を理解するだけで精一杯だ。何らかの理由で消失したフカセツテンから、いきなり東京湾上に放り出された 武蔵野は死に物狂いで崩れた建物から脱し、鬼無も海面に引っ張り出したのだが、フカセツテンの異変と同時に 鬼無は動かなくなってしまった。バッテリー切れでも起こしたのか、それとも傷口から海水が入り込んで回路が故障 したのか、と危惧していると、漂流物を掻き分けながら進んできたタグボートが素早く武蔵野と鬼無を回収してくれ、 少し離れた場所に放り出されていた一乗寺と周防らしき人影は別の船に回収されていた。だが、寺坂らしき人影が 回収された様子はなかった。彼は佐々木長光に操られているままだと思われるので、フカセツテンに異変が起きて 間もなく移動したのかもしれない。どうやってどこに行ったのかは想像も付かないが、見つからないと言うことはそう いうことだろう。前線を少し離れている間に、随分と昏迷してしまった。

「まあ、あいつらが無事ならそれでいいんだが」

 武蔵野は新免工業が支給してくれた新品の携帯電話を操作して自分のアカウントにログインし、溜まりに溜まって いたメールや着信を確認した。佐々木つばめと設楽道子のものが多く、メールを開いてみると、ひとまず船島集落 に帰るから気が向いたらこっちに来てね、と悠長な文面で書いてあった。

「気が向いたら、か」

 今、やるべきことを片付けたら自分の動向について熟考しなければ。武蔵野は携帯電話から浮かび上がっている ホログラフィーモニターを閉じてから、床に横たわったままの鬼無克二を見下ろした。海水と漂流物による汚れと傷 が銀色の積層装甲を曇らせていて、鏡面加工された表情の出ない顔も同様だった。
 考えてみたら、自分の部屋に誰かを招いたのはこれが初めてかもしれない。海保かと思いきや吉岡グループの 海運会社の船に拾い上げられた後、武蔵野は早々に新免工業の人間に引き合わされ、新免工業に引き渡され、 気付いた頃には車に乗せられて自宅マンションへと連れ帰られた。遺産争いに加わるために帰国した際に短期間 だけ住んでいたマンションの一室で、武蔵野もその存在を半ば忘れかけていたような部屋だったが、新免工業が 御丁寧に手を回していたのだろう。やけに小綺麗になっていた。それからしばらくすると、今度は医者がやってきて くれて、武蔵野の腹部の裂傷を縫合してくれただけでなく、他の傷の具合も診てくれた。抜糸するまで無理はするな と言われたが、それこそ無理な相談である。やるべきことが、多々あるのだから。

「お前はまた死んだんだなぁ、鬼無」

 武蔵野は窓を閉めてから、同僚だった男を小突いた。だが、反応は返ってこなかった。武蔵野を診察して治療 してくれた医者はサイボーグにも通じていたらしく、鬼無の様子も確かめてくれたが、医者はブレインケースの脳波を モニタリングしているモニターを見た途端に首を横に振った。鬼無は脳死してしまったのか、と武蔵野が問うと、医者 は言った。脳そのものが存在しなくなっている、だから彼は空っぽなんだ、と。
 その原因は察しが付いた。鬼無は弐天逸流が作った人間もどきだ、その大元であるシュユに異変が起きた影響 で鬼無の脳が形を保てなくなったのだろう。フカセツテンが消えたのも、恐らくはそういう理屈だろう。鬼無に人生の なんたるかを教えてやれなかったのは心残りだが、鬼無自身はどうなのだろうか。武蔵野如きに人生訓を説かれる のはやっぱり嫌だ、とでも思ってくれていたら、それはそれで気が楽だ。
 新免工業の人間が置いていってくれた保存食を胃に詰め込んで空腹を紛らわし、医者が処方してくれた抗生物質 と炎症止めを飲んだが、疲労による眠気を招きかねない鎮痛剤を飲むか否かを考えていると、武蔵野の携帯電話が 鳴った。着信名は、神名円明だった。武蔵野は少し迷ったが、電話を受けた。

『お久し振りです、お疲れ様でした。武蔵野君』

 かつての上司の声色を聞き、武蔵野は鎮痛剤の入ったシートをテーブルに戻した。

「どうも。まあ、色々とありましたよ。それで、鬼無のことなんですが」

『死にましたでしょう?』

「ええ、まあ。あいつのバイタルを本社でモニタリングしていたんですか?」

 やけに薄い反応だ。武蔵野が鬼無の抜け殻を一瞥すると、電話口の向こうで神名が声色を和らげた。

『そんなところです。今夜の御予定はありませんでしょう? よろしければ、新宿支社にいらして下さいませんか』

「今からですか?」

『ええ。出来れば、それがよろしいでしょう』

「二度とお会いすることはないと思っていたんですがね。俺を呼び付ける理由は、つばめの状況を探りたいからだけ ではないでしょう。ろくでもない誘いでしたら、丁重にお断りしますが。俺はもう、社長の部下じゃないんでね」

 武蔵野は洗い流したばかりの短髪を掻き、夜気に湯の熱を逃がした。

『克二君のことは、どうかお気になさらずに。あれは人間ではないのですから、気に病むようなものではありません。 不肖の息子は充分に役割を努めましたので、休ませてさしあげるつもりですしね。克二君のボディも、武蔵野君の マンションに誰かを寄越して回収いたしますよ。サイボーグと言えど、遺体があるのは気分が悪いでしょう』

「人間ではなかったとしても、ちゃんと供養してやった方がいいと思いますがね。その方が、鬼無も浮かばれる」

『武蔵野君らしい御言葉ですねぇ。まあ、考えておきましょう。本題に入りましょう、武蔵野君に会って頂きたい方が いるのです。お会いしなければ、後悔いたしますよ?』

「そいつは何ですか」

『それは御自身でお確かめ下さい』

「では、一時間後に」

『お待ちしております、武蔵野君』

 そう言い残し、神名は電話を切った。武蔵野はその言い草が癪に障り、太い眉根を曲げた。確かに鬼無は一度 死して人間もどきにされてしまったが、だからといってその命は無限ではない。同型のサイボーグに別人の脳を 宿して鬼無だと言い張るのだろうか。武蔵野の脳裏に嫌な想像ばかりが駆け巡ったが、実物を目にして見ないこと には何も始まらない。神名がつばめを陥れるために武蔵野を再び手中に収めようとしているのかもしれないが、だと すれば叩き潰してやるまでだ。この部屋の存在は忘れていたが、武器の在処までは忘れていない。
 数えるほどしか横にならなかったベッドのマットレスの下、衣服といえば戦闘服しか下がっていないクローゼットの 奥、調味料も食器も入っていない食器棚の裏側。少し埃っぽい戦闘服を着込みながら、至るところに隠しておいた 拳銃や弾丸を取り出しては装備していき、ジャングルブーツの両の脛にナイフを仕込んだ。武装を隠すために裾の 長い黒のトレンチコートを羽織り、携帯電話を戦闘服の内ポケットに入れた。
 クローゼットの引き出しを開けると、いくつ壊れても替えが利くように、と複数買いしたサングラスが並んでいた。 それを一つ取り出して掛けようとしたが、躊躇った。サングラスを掛けるようになった動機は、右目の義眼と古傷を 隠すためだった。傷を隠しておけば、ひばりが負い目を感じずに済むのではと考慮したからである。その効果の程 は定かではないが、ひばりは武蔵野に妙な気を遣ってこなかった。つばめの安否が気掛かりだったから、武蔵野 に気を回すだけの余裕がなかっただけなのかもしれないが。

「思い上がってんじゃねぇよ」

 ひばりの心を占めていたのは、長孝とつばめだけだ。武蔵野が割り込む隙間は、最初から存在していない。それ なのに、自分勝手な思い込みで次から次へとろくでもないことをしでかした。最たる愚行が、新免工業の大型客船 での戦闘だ。あの時、武蔵野が少しでも冷静になっていれば、つばめを苦しませずに済んだ。感情のままに動いた 結果、つばめに無用な苦しみを与えてナユタを暴走させてしまった。個人的な感情を抑えるのは、戦闘員として初歩 の初歩ではないか。それなのに、青臭い初恋をいつまでも引き摺っている。
 我ながら、笑えてくるほどの愚かさだ。だから、サングラスを掛ける必要はない。素顔と傷を隠すのは、惚れた女 が決して向けてくれない目線を気にしている証拠だからだ。武蔵野はクローゼットの引き出しを閉じ、扉も閉じると、 コートの襟を立てた。呼吸を整えてから、全身を縛る武器の重さを感じて口角を緩めた。
 懐かしささえある、戦闘の重みだった。




 電車を乗り継いで二十数分、更に徒歩で五分。
 武蔵野が新免工業の新宿支社に到着した頃合いは退社時間を過ぎており、他のオフィスビルほとんど窓明かりが 消えていた。正面玄関は施錠されてシャッターも閉められている。ビジネス街を行き交う人々は疲弊していて、皆、 虚ろな顔をして駅へと向かっていく。あの分では、彼らは翌日も早朝から出勤しなければならないのだろう。
 正面玄関から入れないのであれば、どこから入るべきか。どうせ、神名には居所を感付かれているだろうから、 妙な行動を取ると警戒される。さてどうしたものかと武蔵野が思案していると、携帯電話が鳴った。神名からの着信 で、裏口を開けておきましたのでそちらからどうぞ、警報装置も切ってありますので、と言われた。言われた通りに 敷地に入ってみると無反応で、監視カメラは武蔵野に照準を合わせてきたが、それだけだった。裏口に回ってドアの ノブを回すとすんなりと開き、緑色の非常灯が付いているだけの廊下が伸びていた。
 神名は最上階の支社長室にいるのだろう、とエレベーターホールに行くと、地下階に繋がるエレベーターが到着 してドアを開いた。武蔵野が来るタイミングを見計い、操作していたらしい。底冷えする闇に支配された社内で煌々 と光る箱に乗り込むと、淀みなく下っていった。地下一階、地下二階、と進んでいき、地下二階を過ぎて更に下って いった。武蔵野の記憶では新宿支社の地下階は二階だけであり、駐車場のある地下二階で止まるとばかり思って いたので戸惑ったが、顔には出さないように努めた。
 それから数分間、エレベーターは下り続けた。箱が最下階に到着してドアが開くと、自動ドアが待ち受けていた。 その奥では微粒子の水蒸気が噴出されていて、人工の日差しが四方から注がれ、植物を潤していた。こんな場所 に温室を作っていたのか、と武蔵野は意外に思いながら進むと、自動ドアが開いた。どうせ後戻りは出来ないのだ。 腹を括った武蔵野は温室の中に入り、鬱蒼と茂った植物の群れを見回し、肝を潰した。

「こいつは、まさか!?」

 肉厚で幅広の葉を広げる植物は、特徴的な赤黒く太いツタを伸ばして天井や床に貼り付いていた。花弁と果実も また人肉を思わせる赤黒さで、完熟した果実は大人の腕で一抱えもある大きさだった。息が詰まりそうな、甘く濃い 匂いが立ち込めているが、不快感しか覚えなかった。熟しすぎたのか爆ぜる寸前の果実の皮が破れ、とろけた果肉を 滴らせており、その中から種子が覗いていた。それは、人間の胎児だった。
 弐天逸流が育てていた、人間もどきだ。武蔵野は激しい動悸を感じ、心身を落ち着かせるために脇のホルスターに 差した拳銃を握り締めた。フカセツテンの外側に美野里らが出ていった後、弐天逸流の本部の中を探索した際に 惨殺された人間もどきをいくつも見つけた。彼らはマンドラゴラのように生まれてくるらしく、ヘソの緒の代わりに 根が付いていて、本部の周囲に広がる畑に生えている作物を引き抜くと、未成熟の胎児が泥まみれになって出て きた。気が狂いそうな光景だったが、武蔵野は意地で堪えて鬼無の元に戻った。弐天逸流の本部が消えたことで、 人間もどきが栽培出来る環境が失われたのだと内心で安堵していたのだが、そうではなかったらしい。
 どれでもいいから殺さなければ、生と死の狭間が不確かになる。武蔵野はべとつく空気を吸って深呼吸してから、 拳銃を引き抜こうとしたが、背後に足音が近付いてきたので、素早く振り返って後退して距離を取った。

「……あ、あぁ?」

 思わず、我が目を疑った。それでも、武蔵野はベルトの裏からナイフを抜こうと左手を背中に回していたが、相手の 笑顔に毒気を抜かれてしまって手を緩めた。

「会いたかったぁ、武蔵野さん!」

 佐々木ひばりだった。あの日、あの時、暴走したナユタに身を投じた時と同じ年齢のひばりが、武蔵野を見上げて にこにこしている。これは人間もどきだ。考えるまでもない。ひばりは死んだのだから。

「私に会えて嬉しい、わけないか。でも、私は凄く嬉しいよ。だって、ずうっと待っていたから」

 笑顔を保ったまま、ひばりは近付いてくる。武蔵野はかすかに震える手で柄を握り締め、ぱちんと鍔を切る。

「寄るな! お前はひばりじゃない!」

「わあ、嬉しい。やっと、私のことを名前で呼んでくれたね!」

 子供っぽくはしゃいで、ひばりは両手を重ねる。武蔵野はぐらつく自制心を押し止めようとするが、無意識のうちに つばめを通じて求めていたひばりが目の前にいる事実に、心根が傾きそうになった。それではダメだと思おうとする のに、手が震えてナイフが抜けない。ひばりの偽物を切り裂いて殺せばいいものを、刃を振るえない。
 わあい、と感嘆しながら、ひばりは躊躇いもなく武蔵野に体を預けてきた。分厚いベストを通じても彼女の柔らかさ は感じ取れ、クセの強い髪が広がると、年頃の女性の匂いが漂った。彼女が死する寸前にただ一度だけ触れた、 二の腕が武蔵野の胴体を挟み、細い手が背中に回される。籠の中の鳥だったひばりが逃げ出した夜、夫である 佐々木長孝に抱き締められていた時と同じように、武蔵野を求めている。もう、耐えきれなかった。
 右手で引き抜いた拳銃をひばりの側頭部に突き付け、撃つ、撃つ、撃つ。傷口のすぐ傍だったので衝撃波がもろ に響いてきたが、幸い、縫合は緩まなかったようだ。手応えは生身の人間となんら変わらなかったが、貫通した弾丸 がぶちまけたものは脳漿ではなかった。崩れるほど熟れ切った、甘ったるい汁を含んだ果肉だった。

「さすがですねぇ、武蔵野君」

 金属製の手を軽く叩き合わせながら、温室の奥から出てきたのは神名円明だった。

「社長」

 武蔵野は肩で息をしてから、ひばりの紛い物を引き剥がすと、無造作に投げ捨てた。神名は頭を吹っ飛ばされた ひばりを見下ろし、上手く出来たと思ったんですけどねぇ、と残念がってから武蔵野を奥へと促した。嫌な予感しか しなかったが、ここで逃げ出しては何の意味もない。武蔵野は腐った桃のような人間もどきの死臭で吐き気を覚え ながらも、奥歯を噛み締めて殺した。
 所構わず成長しているツタと葉を掻き分け、人工の霧が噴出するパイプのトンネルを通り、剪定された未熟な果実 の山を横目に歩いていくと、開けた空間に至った。円形の庭園には白い石を切り出したベンチが据え付けられ、 同じ素材の円形のテーブルには水を張ったガラス製のボウルが置かれ、花弁が浮いていた。もちろん、その花は 人間もどきを生み出す植物から摘み取ったものだ。神名は円形のテーブルを囲んでいるスツールに腰を下ろすと、 武蔵野にも勧めてきた。武蔵野は躊躇いながらも、冷たい丸椅子に腰掛けた。

「どうです、お気に召しましたか?」

 自慢げな神名に、武蔵野は渋面を作る。

「悪趣味なだけですよ」

「そうですか。私はとても素晴らしく、居心地の良い、この世の楽園だと思っていますけどねぇ」

 ねぇ藤原君、と神名が庭園を囲むツタの奥に声を掛けると、ツタを掻き分け、大柄なサイボーグが現れた。

「うむ! 掃いて捨てるほど出てくるのが偽物の矜持だ!」

「藤原忠? だが、あんたは」

 武蔵野が身構えかけると、神名がそれを制してきた。

「死にましたよ、確実にね。一度は我々の攻撃で肉体を失い、二度目は高守君に脳を破壊されてね。ですが、私は 藤原君を回収して手を加え、こうして蘇らせたのですよ。黄泉の国に追いやるには、惜しい逸材ですからね」

「ふはははははははは! どうだ、御約束の再生怪人は面白味に欠けるだろう!」

 生前通りに高笑いしながら、藤原忠は石製のスツールにどっかりと腰掛ける。

「しかし、ひばりちゃんをああもあっさりと殺してしまうとはなぁ。可愛かったのになぁ」

 藤原が頬杖を付いて残念がると、神名が慰めた。

「まあまあ、そう気を落とさずに。十六日もすれば、また出来上がりますから」

「十六日? たったそれだけで?」

 武蔵野が訝ると、神名はアイロンの効いたスラックスを履いた足を組んだ。

「生育環境と肥料さえ整えれば、いくらでも育ちますよ。ここは本来、弐天逸流の関東支部があった場所でしてね。 十五年前の一件の後に買い上げまして、以来、私の趣味と実益を兼ねた秘密の場所となっているのですよ」

「敵の本拠地を占領して利用する、実に悪役らしくて素晴らしいではないか!」

 藤原が大きく頷くと、神名は小さく笑みを零した。

「ありがとうございます。これがなければ、我が社は傭兵産業で利益を得られませんでしたからね。武蔵野君のよう に戦闘能力に秀でた人材はおりますが、皆さんは他の大手警備会社に取られてしまいますし、兵器売買の海外の 企業に比べるとどうしても売り上げが鈍かったのです。サイボーグのシェアも同様で、他の企業より抜きん出た要素 を作れませんでした。そこで、私は弐天逸流の関東支部に目を付けたのです。私の何人目かも解らない息子には ひどいことをしてしまいましたが、克二君の母親は私の気を惹くためならば手段を選ばない女性でしたので、息子が 私に使い切られて、さぞや本望でしょう」

「それじゃ、あいつを追い詰めて死なせたのは」

 武蔵野が腰を浮かせると、神名はしなやかな手付きで顎に手を添える。

「克二君の母親が私に付き纏うようになった頃、この温室は手に入れていましたが、実験不足で戦闘員の量産体制 が整わなかったのです。ですから、少し手を緩めて克二君だけを私の懐に招き入れ、彼の母親に一言二言含ませて 克二君に向精神薬を暗に服用させたのです。その結果、克二君は一瞬で数百個の肉片と化し、戦闘員の量産実験 に大いに貢献してくれました。ですが、克二君は私が手を掛けたことを薄々感じ取っていたのでしょうね、私を殺しに やってきました。おかげでこの有様ですよ。まあ、自社製品の実動試験が出来るのは良いことですが」

「ナユタで吹っ飛ばそうとしたのは、このビルの地下だったのか」

 そのせいで、ひばりは。武蔵野が歯噛みすると、藤原は高笑いした。

「ふははははははは! それが解ったところで何がどうというわけでもないことは事実だ、アメコミのように簡単にIF を作れるわけではないからな! あれはシリーズごとに作者が違うせいでもあるが、ああいうジャンルだから許されて いるのであってだな、面白そうだからと迂闊に手を出すと痛い目を見るジャンルだぞ!」

「誰もそんなことを聞いちゃいませんよ」

 藤原のやかましさに辟易した武蔵野がぼやくと、神名は小首を傾げた。

「ですけど、それに近いことが出来るとすれば、とても素晴らしいとは思いませんか? 愛して止まない方達を再び この世に呼び戻し、安寧の日々を過ごすのです。先程のひばりさんでは武蔵野君は満足出来ないようでしたから、 今度は武蔵野君の好みに合わせたひばりさんを作り直しますよ。何をしようが、思いのままです」

 なんて安い誘いだ。こんなものに引っ掛かる者がいるものか。ひばりを幸せに出来るのは武蔵野ではない、長孝と つばめだけだ。武蔵野はテーブルの下で拳銃を引き抜こうとすると、突如、藤原が反応した。分厚く重たい石製の テーブルを思い切りひっくり返したかと思うと、武蔵野の手元から拳銃を弾き飛ばしてしまった。黒い鉄塊は猛烈 な速度で武蔵野の目の前を突っ切り、葉とツタを貫通した末に壁に激突し、一握の鉄塊と化した。

「私に再び銃を向けられるとお思いですか? 私は彼らにとっては神なのですよ。シュユの影響下でなければ形を 保つことさえ出来なかった彼らに改良を加え、私が惜しみない愛を与えることで人としての姿を保てるように設定を 施したのですから。ですから、私に銃を向けると言うことは、彼らの命の源を奪うということです。伊達に、長年遺産 と向き合っていたわけではないのですよ。つばめさんが傷付けられたことでナユタが暴走した様を目の当たりにして から、調査と研究を重ね、遺産とは遺伝子情報を鍵として目覚め、人間の精神を糧として働く道具であると見出した のです。そして、数々の実験と犠牲を繰り返した結果、私はナユタの破片を手に入れたのです。そうです、藤原君を 殺害するために使用した、中性子砲の動力源ですよ。ですが、あれほど万能なエネルギー源を兵器利用に止めて おくのは愚行の極みですのでね。ここに収めておきました」

 目を細めるようにゴーグルの光量を絞りながら、神名は頭部を小突いた。 

「あんたはどうかしている」

 武蔵野が呻くと、神名は肩を軽く揺すった。

「自覚しておりますよ。ですが、それぐらいの覚悟でなければ、このイカレた戦いは勝ち抜けませんよ」

「そうまでして、あんたが欲しいものはなんなんだ」

 戦闘態勢を緩めていない藤原を警戒しつつ、武蔵野が問うと、神名は悪びれずに答えた。

「愛ですよ」

 愛の形は人それぞれだ、とはよく言われる。ドラマやら映画やら歌謡曲やら何やらで散々取り扱われてきた、手垢 が付きすぎてどす黒くなっているテーマだ。そんなものは個人の裁量で決まるものであり、ある人物にとっては極上 の愛情が他の人物にとっては愚劣な悪意、というのも頻繁に見受けられる。だから、神名が欲して止まない愛が、 他人からすれば最悪のものだと考えるべきだ。そもそも、神名はなぜ愛を求めるのか。
 それを知りたいとは思わなかったが、ここで逆らえば命はないと見ていい。だが、いくらでも替えが利く忠実な部下 がいるのならば、武蔵野を呼び付ける理由がないはずだ。神名の求める愛とやらを見る観客として招かれたのか、 それとも別の目的のためか。いずれにせよ、戦うべき相手は見つかった。
 かつての上司、神名円明だ。





 


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