機動駐在コジロウ




後悔、サーキットに立たず



 記憶容量に保存された、過去が蘇る。
 規模が小さかった頃の小倉重機の手狭な作業場で、作業台の上から小さな赤子を視認していた。外装の艤装も 済んでおらず、センサー類も頭部には収まっていなかったので、ケーブルで繋いであっただけだ。もちろん内部機関 も剥き出しで、人間の骨格に似通った合金製のフレームが蛍光灯の青白い光を撥ねている。
 カメラを動かし、ピントを合わせ、赤子を抱いている人間を認識する。顔の部品の配置と体格と音声で、その男が 小倉貞利であると理解する。彼は言った。この子は先週妻が産んだ娘だ。名前はミツキ、美しい月と書くんだ、お前 の妹みたいなものだ。だから、これから仲良くしてくれ。一緒に育っていってくれ。
 それから、その赤子との日々が始まる。赤子は日に日に大きくなり、彼は日に日に人格の基礎を固める情報が 蓄積していき、互いを補いながら、成長していく。赤子は幼児となり、幼稚園のスモックを着るようになる。幼稚園で 何があったのかを毎日話して聞かせてくれ、お遊戯の歌も歌ってくれた。幼児は少女となり、ランドセルを背負って 元気よく小学校に通うようになる。嫌なことがあると作業場に籠もって、彼に愚痴を零した。あの先生は意地悪だ、 あの男子とケンカした、あの女子は誰それをいじめている、など。良いことがあると、少女は誰よりも先に彼に報告 してくれた。それに対して少しだけ優越感を覚えた。
 テレビのこと、漫画のこと、勉強のこと、学校のこと、家族のこと。少女の記憶と経験を知っていくに連れて、彼の 集積回路に情報が降り積もり、彼という疑似人格を織り上げていく。その心地良い時間は、成長した彼が人型重機 として建設現場に駆り出されるようになってからも続いていたが、三年前を境に一変した。
 彼は土木作業に欠かせない装備を外され、格闘戦のプログラムをインストールされ、外装を塗り替えられ、深夜 の廃工場に作り上げられたアンダーグラウンドな闘技場で戦いに明け暮れるようになった。それと同時期に、少女 の話すことが暗澹としてきた。帰りの遅い父親、出掛けてばかりいる母親、辛い中学受験をして入学した大学付属 中学校には未だに馴染めず、唯一の友達との格差に悩んでいた。少女の面差しは暗く、いつも不安げだった。
 少女は彼の基礎であり、軸であり、精神の母だった。彼は少女の兄弟であり、柱であり、力の象徴だった。二人 は互いが存在しているからこそ、互いを保てている。だから、何があっても傍にいなければならない。それが彼の 存在意義であり、少女の存在意義でもある。だが、彼を支えている集積回路の本来の持ち主は少女でもなければ その父親でもない。だから、あるべき場所に戻り、収まるべき場所に収まらねばならない。
 だが、それは少女との別離を意味する。




 再起動を終え、視界を広げる。
 広角レンズを備えたアイセンサーを動かし、彼女を捉える。溌剌とした表情は失われ、暗澹とした面持ちで配線を 修理していた。機械油に汚れた作業着と軍手は十四歳の少女らしからぬ泥臭さで、一抹の痛ましさを覚える。それ が錯覚ではないことを祈りながら、レイガンドーは完全に潰れた己の拳を掲げた。
 レイガンドーと岩龍には、遺産の一つであるムジンが搭載されている。それは現在の人類の科学水準を凌駕した 演算能力を備えていて、大人の手のひらに収まるサイズの集積回路一枚で膨大な情報の処理が可能であり、同時 に膨大な情報も保存出来る代物である。それがあったからこそ、レイガンドーと岩龍には疑似人格が出来上がり、 人間に勝るとも劣らない自己判断能力も持っている。ただの人型重機の範疇を越えてロボットファイターとして活躍 出来ているのも、ムジンがあるからだ。しかし、佐々木長孝の触手によってレイガンドーと岩龍に溶接されたムジン がある限り、小倉重機に携わる人々に困難は降り掛かり続ける。だから、ムジンを外すためにあらゆる手を尽くし、 道具を使ったが、何をどうやってもムジンは外れなかった。だから、実力行使で攻めてみようと岩龍から外した回路 ボックスを殴り付けてみたのだが、その他の回路は粉々に砕けてもムジンだけは未だに無傷だった。
 そして、レイガンドーは右腕を派手に損傷した。アスファルトもその下の地面も殴り抜いたのだが、忌々しい集積 回路だけはダメージが通らなかった。オイルの滴る潰れた拳を眺めていると、自尊心が軋んだ。

「親父さんは、何をどうやってムジンを俺達にくっつけたんだか。それさえ解れば、手の打ちようがあるんだが」

 レイガンドーが零すと、美月は工具を下ろして顔を上げた。

「左腕の配線は直してみたけど、動く?」

「ああ、この通り」

 レイガンドーが左腕を上げてみせると、美月は汗ばんだ頬を手の甲で拭った。そのせいで、黒い汚れが付いた。

「左腕は摩耗した部品の交換と精密検査だけで大丈夫だろうけど、右腕は肩から下は全部交換かなぁ。武公の腕の 規格が合えば、それで間に合わせられたんだろうけど、武公はレイよりも一回り小さいから」

 美月は作業場の奥に目を向け、作業台の上に横たわっているロボットファイターを捉えた。彼もまた、遺産の恩恵 を少なからず受けていた身の上なので、シュユとの繋がりが途切れると同時に機能停止してしまった。当然、小倉 重機の社員達は彼を再起動させようと尽力したのだが、武公の駆動システムと疑似人格を支えているプログラムが ごっそりと消えていた。その上、スタンドアローンになっているはずの小倉重機のコンピューターに保存されていた プログラムのバックアップも消えていたので、再インストールしようにも出来なかった。だから、今、武公のボディは ただの抜け殻になっている。佐々木長孝が小倉重機の元を訪れ、バックアップのプログラムを再インストールすれば 再起動出来るのかもしれないが、その佐々木長孝と連絡が付かないので、現状では不可能だ。

「仕方ないさ、事態が事態だからな。それに、武公の腕なんかじゃ、俺のパンチの威力が下がっちまう」

 レイガンドーは首を横に振りながら、軽口を叩いた。

「私がフルパワーで、って命令したのがいけなかったんだよ。再来週、また試合があるのに」

 美月は手袋を外してから、作業台の端に置いてあったペットボトルを取り、飲みかけのスポーツドリンクを呷った。 喉を鳴らして飲み終えてから、美月は満足げに息を吐いた。いつのまにか背が伸びていて、子供のままだとばかり 思っていたが、作業着に隠れた下半身には女性らしい丸みが付いていた。
 レイガンドーが横たわっている作業場の中では、小倉重機の社員達が忙しく立ち回っていた。その光景は、昔と 差して変わりはしない。社員は三割は入れ替わっているが、会社の発足当時から勤めているベテランの機械技師 が何人もいる。彼らもまたレイガンドーの育ての親であり、家族でもある。彼らは分解した岩龍を囲んでいたり、レイ ガンドーの新しい右腕に使用する部品を加工していたりと、動き回っていた。中でも最も忙しくしているのが、他でも ない小倉貞利だった。十五年分の年齢は重ねたが、昔と変わらず、精力的な職人だ。

「ごめんね、レイ。岩龍を壊させる仕事なんか、させちゃって」

 美月が謝ってきたので、レイガンドーは動かせる左腕で彼女の背中に指を添えた。

「気にするなよ。俺とあいつは何度も拳を交えた仲だ、岩龍も解ってくれるさ」

「でも、同じムジンを使っているってことは、レイと岩龍は兄弟だってことでしょ? それなのに」

「いいから、そう深く考えるなよ。俺達は機械なんだ、人間とは違う」

 レイガンドーは美月を励ましてやろうとしたが、自分で発した言葉が集積回路に突き刺さった。機械ならば、なぜ こんな感情がある。人型重機なのに、なぜ心が存在している。レイガンドーが自我を持つようになったのも、やはり ムジンが原因だ。ムジンが搭載された日を境に、レイガンドーの電子頭脳の中に心が芽生えた。だが、それは元を 正せばコジロウの回路なのだ。つまり、コジロウの分身だ。
 だとすれば、レイガンドーと岩龍とは何なのだ。コジロウの予備なのか。万が一、コジロウが大破した際につばめ を守る盾になるべく作られた、スペアに過ぎないのか。だが、レイガンドーはレイガンドーだ。小倉貞利がその名を 付けてくれた瞬間から、美月がその名を呼んでくれた瞬間から、個としての人格を得た。それがなくなれば、自分は コジロウの一部に戻ってしまうのか。美月の傍にはいられなくなるのは間違いない。コジロウとは、佐々木つばめを 守るためだけに存在するロボットだ。RECに所属するベビーフェイスのロボットファイターではない。

「あのね、レイ」

 周囲の騒がしさに紛れるほどの声量で美月は呟いたが、レイガンドーの聴覚は鋭敏にその音声を拾った。

「羽部さんとね、連絡が付かないままなんだ。羽部さんの携帯は見つかったんだけど、電源が入っていないらしくて 何度電話しても繋がらないの。でね、その携帯は船島集落の近くにあるの。でも、解るのはそれだけなんだ。あの辺 ってGPSが効かないようになっているから、細かいことまでは解らないの」

 レイガンドーに寄り添い、美月は憂う。そんな繊細な表情は、レイガンドーの記憶容量に保存されていない。

「だけど、捜しに行けないや。羽部さんとまた会いたいけど、色んなことを話したいけど、レイのこともお父さんのこと も放っておけないし。つっぴーが羽部さんのことを知らないって言っていたのは嘘だったのかな、とか思っちゃうし、 それが本当だったら凄く嫌だし。でも……」

「そんなにあいつに会いたいのか?」

 レイガンドーの回路の端が、かすかに嫌な熱を帯びた。美月は顔を逸らす。

「うん。もう一度だけでいい、それだけでいいの」

「どうしてだ」

「だって、羽部さんって私の手に負える人じゃないもん。ずっと年上だし、ヘビだし、ああいう性格だし。だけど、何も 伝えないままでいるのも良くないなぁって」

 その言い方では、羽部に好意を持っていると明言しているようなものだ。レイガンドーは、美月の辿々しい恋慕に 生温い感情を覚えたが、それを遙かに上回る苛立ちも感じた。偽物の感情の域を超えつつある。

「俺がいるじゃないか」

 レイガンドーは美月の頬に指先を添えてやると、美月は泣き笑いのような顔を作る。

「うん。でも、レイは私のお兄ちゃんだから。羽部さんとは、ちょっと違うの」

 だから、そういうんじゃないの、と付け加えてから、美月はレイガンドーに寄り掛かった。嗅覚に当たるセンサーが 備わっていれば、マスクフェイスに寄せられた髪の香りが解っただろう。それが解らないのがどうしようもなく残念で、 レイガンドーは動かない右腕に力を込めた。感情と人格を成す経験に、澱が溜まる、溜まる、溜まる。

「レイがコジロウ君になっても、私はずっとレイのことを忘れないから」

 美月はレイガンドーの肩装甲にしがみつくと、背を丸める。その仕草は、大のお気に入りのオモチャを近所の子供 に取られて壊されたと泣き付いてきた、三歳の頃と何も変わっていない。

「そうだな」

 レイガンドーが頷くと、美月は少し声を詰まらせる。

「岩龍のことも、絶対に。レイと岩龍の試合をちゃんと見たのは一度だけだったけど、本当はそう思っちゃいけない んだろうけど、あの地下闘技場で戦っていたレイは本当に格好良かった」

「そうだな」

「レイがつっぴーのことを知っていたってだけで、怒っちゃったのはごめん。でも、後から考えてみたら変なことでも なんでもないんだよね。だって、レイは元々コジロウ君だったんだから、つっぴーのことを知っていて当然だし」

「そうだな」

「レイが今のレイじゃなくなっても、私はもう一度レイを作ってみせる。その時は、またよろしくね」

「……そうだな」

 けれど、それはレイガンドーであってレイガンドーではない。同じ部品で組み上げられ、同じ回路を詰められ、同じ 情報とプログラムをインストールされて、同じ経験を重ねたとしても、ここにいるレイガンドーではない全くの別物だ。 その別物の自分に、美月は再び好意を寄せるのだろうか。家族として慕ってくれるのだろうか。レイ、と同じ愛称で 呼ぶのだろうか。それが、どうしようもなく不愉快だった。
 不愉快だと感じるだけ無駄なのだ。ただの人型重機が、大衆娯楽のために改造されたロボットが、人並みの感情 を持っているだけ、記憶容量と回路と電圧の浪費だ。そう思って自分を律そうとしても、レイガンドーの意志に反して ムジンに情報は駆け巡り続ける。レイガンドー以外の男に目を向けた美月が、美月から好意を向けられた羽部が、 通じ合ってすらいない二人に鬱屈とした感情を抱く自分が、途方もなく煩わしい。
 それもまた、コジロウの残滓なのかもしれない。コジロウが警官ロボットのボディをに手に入れる以前、パンダの ぬいぐるみとしてつばめを守っていた頃に、コジロウが抱いていた感情の延長だとしたら、レイガンドーの感情とは 言い難いものだ。残り滓を集めて煮詰めて凝縮して作り上げた、不格好な塵芥だ。だとすれば、レイガンドーは永遠 にコジロウの呪縛から逃れられない。いかに自立した自我を抱こうと、感情を得ようと、コジロウの一部から出来た という事実がある限りは、レイガンドーはコジロウの下位個体という括りから脱せない。
 最大級の侮辱であり、屈辱だ。レイガンドーは負の感情に分類されるものの中でも、最も痛烈な情緒を認識して 内部機関を過熱させた。廃熱不良でも起こしたの、と美月が心配してきたが、レイガンドーは無言で蒸気を噴出 させた。辺り一帯に機械油の匂いが混じった蒸気が立ちこめ、一瞬、視界が白む。

「本当に、それでいいと思っているのか?」

 行き場のない思いが渦巻いたムジンが奇妙な動力を生み出し、レイガンドーの機体を熱させた。

「レイ?」

 レイガンドーらしからぬ言葉に臆したのか、美月が訝ってくる。

「俺は良くない。コジロウに戻ったら、俺は俺でなくなる。俺は、俺でいたい」

 ぎぎぎぃ、と力を込めて左腕を曲げて上体を起こし、破損した右腕を自切し、垂れ下がったケーブルを千切る。

「どうしたの、レイ、ねえ」

 美月はレイガンドーに駆け寄ってきたので、レイガンドーは美月を左手で抱え、目の前に掲げた。

「どうもしてやいない。俺は俺で在りたいだけさ」

 異変を察し、他の社員達がレイガンドーの周囲に駆け寄ってきた。もちろん、小倉貞利もである。

「レイガンドー、何をしている。作業は途中なんだ、美月と遊んでいる暇はないんだ」

 仕事が切羽詰まっているからだろう、小倉の態度は若干荒かった。

「佐々木と連絡が付いたんだよ。半日もすれば、あいつはここに移送されてくる。そうなれば、お前と岩龍はムジン から解放されるんだ。それまで大人しくしておけ、もうしばらくの辛抱だ」

「辛抱? 俺はこれ以上、何に耐えろと?」

 レイガンドーが聞き返すと、小倉は面食らった。

「何って……」

「俺は他の誰でもない、コジロウじゃない、社長が作った最初の人型重機であってロボットファイターのレイガンドー、 型番はR−01、全高二百九十二センチ、総重量三百十二キロ、最大出力三百馬力、マスターは小倉美月、今の 俺のどこにコジロウの要素が含まれているんだ? つばめも嫌いじゃないが、俺のマスターは美月だけだ」

 美月を抱えて立ち上がったレイガンドーは作業台から飛び降り、背中に接続されていたケーブルも外した。

「おい、レイガンドー!」

 小倉は出口に向かって歩き出したレイガンドーの前に立ちはだかるが、レイガンドーはその上を乗り越える。

「俺は俺だ」

 ただ、それだけのことだ。ねえ、レイ、レイってば、と美月はしきりにレイガンドーを諌めようとしてくるが、その命令 には従えなかった。レイガンドーは作業場を脱して外に出ると、鉛色の雲が頭上に広がっていた。外部からの命令 で機能停止させられないんですか、出来たらとっくにやっている、との声が背後から聞こえてきたが、レイガンドー は振り返ることなく、足を前に進め続けた。

「レイ、止まって! まだ整備は終わっていないし、右腕だって換装しないと!」

 美月はレイガンドーの視界を遮ろうと身を乗り出してきたが、レイガンドーはそれを阻んだ。

「その命令は聞けないな」

 だが、どこへ。どこへでも。レイガンドーは自問自答の最中にインターネットに接続して検索し、周辺地域の地図を 参照した。船島集落への道程は遠いが、補給を重ねながら進めば問題はないはずだ。コジロウとレイガンドーが他 の遺産同士のように繋がり合っているのであれば、コジロウもレイガンドーの異変を感じ取っているはずだ。ならば 来てみろ、戦ってやる、お前が切り捨てたものをぶつけてやる、との屈折した戦意が熱する。
 自分の意思で歩いている、進んでいる、道を選んでいる。たったそれだけのことなのに、誇らしい気持ちすら感じて しまう。それだけ、今までの自分が抑圧されていたということだ。充電が半端だったのでバッテリーの残量は心許 ないが、そんなことは後でどうにでもなる。不安に駆られたのか、美月は顔を曇らせたので、レイガンドーは彼女を 肩装甲に座らせてやった。幼い頃と変わらない姿勢で腰掛けた美月は、きつく唇を結び、彼方を睨んだ。
 人も車も通らない道路が、黒々と横たわっていた。





 小倉重機の臨時作業場は、散々たる有様だった。
 政府の輸送車両から降りた佐々木長孝は、生え替わったばかりで皮膚が軟弱な触手を地面に擦らないように気を 付けながら進んでいった。ここまで送り届けてくれた柳田小夜子は小倉重機に用があるらしく、後に続いてきた。 大型トレーラーを改造した輸送車両は護衛のための自衛官達が取り囲んでいて、その中に収まっているシュユを 守っていた。社員達は右往左往していて、岩龍を組み上げようと必死になっていたが、慌てすぎて部品を落として しまったりしていた。長孝が作業場の屋内に入ると、疲弊しきった面持ちの小倉貞利が出迎えてくれた。

「小倉。何があった」

 長孝が声を掛けると、小倉は淀んだ目で長孝を見返してきた。

「来るのが遅いんだよ、相変わらず」

「レイガンドーがいないようだが、他の場所でオーバーホールしているのか?」

「そうじゃない。あいつは逃げ出したんだ、美月を連れて」

 小倉は顔を歪め、白いものが混じり始めた髪を掻きむしった。

「これは仮定に過ぎないが、ムジンの影響とみていいだろう。シュユが著しく損傷した際に、異次元宇宙と物質宇宙 の接続が途切れたんだ。今もまだ復旧していないが。レイガンドーはコジロウと岩龍と同様、異次元宇宙で情報を 処理する際に余剰分の感情を処分していたはずだ。だが、接続が切れてしまったためにその情報処理が行われず、 レイガンドーの疑似人格には余剰分の感情が蓄積し、人間のそれに匹敵する情緒が」

「御託はいい!」

 整然と言葉を並べる長孝に、小倉は掴み掛かる。作業着の胸倉を掴み、部品のない顔に額を突き合わせる。

「お前ならムジンを外せると思ったから、こうして呼び付けたんだ! あれがある限り、俺達はお前ら一族の騒ぎに 巻き込まれ続けるからだ! お前がもっと早く来てムジンを外してくれれば、レイガンドーは昔の怪獣映画みたいに 美月を攫っていかなかっただろうさ!」

「レイガンドーが?」

「ああ、そうだよ! お前がコジロウのムジンを割って、俺に寄越さなきゃこうはならなかった! 佐々木はこうなると 知っていたから、コジロウのムジンを割ったんだろうが! 違うとは言わせんぞ、この触手野郎!」

 声を嗄らして小倉は叫び、長孝を突き飛ばした。長孝はよろめき、下半身の触手を曲げて踏み止まる。

「そうだな。その通りだ」

 二の句を継ぐ前に、小倉の拳が長孝の横っ面にめり込んだ。つるりとした顔面は見事に抉れ、佐々木長光との 一戦で消耗しきっていた体は呆気なく吹き飛んでコンクリートの床に倒れた。肩を上下させている小倉は恨み言を 吐き捨てながら、長孝を睨んでいる。真っ当な怒りを受け止めた長孝は、敢えて起き上がらなかった。
 人間が人格を完成させるためには、情報と経験を蓄積させることが必要である。しかし、機械は違う。情報と経験を どれほど蓄積させようとも、情緒には至らない。人格と呼べるほどの細かな感情の揺れが再現出来ないからだ。 だが、それが再現出来る情報処理能力を備えていたとしたら別だ。
 だから、コジロウは人格を持たないためにムジンを割った。感情を処理するために必要な部分を排除して情報 だけを処理出来るように加工し、警官ロボットに組み込んだ。そうやっておけば、つばめは人恋しさから警官ロボット と通じ合ったとしても、無用な悲しみに見舞われずに済むからだ。だが、コジロウから切り捨てられた部分を備えた ロボットはそうではない。コジロウが捨てた業を背負わされたも同然だ。そして、長孝が捨てた業でもある。

「何もかも、お前のせいだ」

 長孝の生え替わったばかりの触手を乱暴に握り、上体を起こさせ、小倉は怒鳴り散らした。

「俺はレイガンドーの性能を上げたかった。ガキの頃に考えていたような、人と通じ合えるような心を持ったロボット を作りたかった。だから、お前が寄越してきたムジンを使った。お前を経由して発注された警官ロボットを製造する ためにも、ムジンの演算能力が必要だったからだ。おかげでうちの会社は随分と儲けられた。レイガンドーも格段に 強くなった。だが、その結果はどうだ!? お前が、岩龍なんか作らなければ! お前が、俺を天王山に誘ったりは しなければ! お前はお前が忌み嫌う親父と同じだ! 自分のエゴのために、他の人間を簡単に踏み躙る!」

 小倉は長孝を揺さぶり、力一杯コンクリートに叩き付けた。頭蓋骨が激突する、嫌な音が響く。

「俺がこうなっちまったのは、自分の責任だ。だが、美月は違う。あの子は違う。それが解らんとは言わせん」

「……ああ」

 押し殺した呻きを漏らした長孝に、小倉は曲げた背中を引きつらせる。

「自我を持って暴走したロボットはどうなる。それだけは教えてくれないか」

「人間と同じだ。欲しいものを欲しがる」

「それじゃ、あいつは、美月を」

「そういうことなんだろう」

 小倉が退いたので、長孝は後頭部をさすりながら起き上がった。どうしてだ、あいつは作り物だろう、それなのに、 と呻きながら頭を抱えた小倉に、長孝は何も言えなかった。それは自分も同意見だ。ムジンを欠損させて性能を 落としてくれと長孝に申し出てきたのは、他でもないコジロウだからだ。その時点で、コジロウはつばめに対して並々 ならぬ執着を抱いていたという証拠だ。だが、一線を越えてはならないと判断したから、敢えて自らの性能をダウン グレードすることを選択した。一途な愛と言うべきか、狂信的な執着と言うべきか。
 人と機械の隔たりが大きいが故の、苦悩だ。





 


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