障子戸から、控えめな朝日が注いでいた。 今朝もまた、雪が降り続いているからだろう。つばめは暖かな布団の中で二度三度と寝返りを打ったが、不意に 布団を引っ張り返されたので驚いた。が、すぐに思い出した。昨日の夜、船島集落に再び戻ってきた皆と寄せ鍋を 囲んで大いに食べ、喋り、笑った。野菜も魚介類も山盛りに用意していたのに、男達はそれを綺麗に平らげ、締め の雑炊も一滴の汁も残さずに食べ切ってしまった。そして、寺坂が溜め込んでいた酒を飲みに飲んだ。 さすがに酒盛りまでは付き合えないので、つばめと美月はすっかり宴会場と化してしまった本堂から引き上げた。 その際、せっかくだからとりんねも連れ出してやった。伊織と離れるのは不安そうだったが、つばめと美月の記憶 が蘇ってきているのか、抗わなかった。道子は男達の相手をするために本堂に残ったので、つばめが自室にして いる和間で少女達は語らった。近況報告を兼ねたお喋りをしているうちに寄せ鍋で膨らんだ胃も落ち着いてきたの で、つばめが暇潰しに作ったパウンドケーキやクッキーを振る舞い、夜通し語り合った。りんねは片言ではあるが、 懸命に意思を伝えてきたので、つばめと美月は彼女の短い言葉に熱心に耳を傾けた。 そして、いつのまにか寝入ってしまったらしい。つばめはいつになく盛大に寝乱れた髪を掻き乱しながら、布団 の右半分を占領している美月と、毛布にくるまって繭のようになっているりんねを見下ろし、欠伸を噛み殺した。 暖かな布団が名残惜しかったが、そろそろ朝食の支度をしなければ。何せ、人数が多いのだ。 つばめは寝間着から部屋着に着替えてから、御菓子が一つ残らず平らげられた皿と三人分のマシュマロココアが 入っていたマグカップを盆に載せ、台所に向かった。板張りの廊下は強張った冷たさが宿り、厚手の靴下を履いた 足でも底冷えしそうだった。分厚い雪雲越しに、頼りない朝日が差し込んできていた。コジロウの姿が見当たらない のは、最早日課となった玄関先の雪掻きに出ているからだろう。 台所に到着すると、道子が家事をしていた。昨夜の宴会の名残である大量の汚れた食器をシンクに積み重ね、 黙々と洗っていたが、つばめに気付くと朗らかな笑顔を見せてくれた。 「おはようございます、つばめちゃん」 「おはよう、道子さん。で、皆、どのぐらいまで起きていたの?」 つばめが盆を差し出すと、道子はそれを受け取り、水を張った洗い桶に浸した。 「朝の三時頃までは粘っていたんじゃないですかねー。私は途中で抜け出して、長孝さんのお手伝いと適当な機体 の調達に出ちゃったので、最後までは付き合いませんでしたけど。寺坂さんはお体がサイボーグになったせいで、 前ほどウワバミじゃなくなりましたけど、それでも飲んでいましたね。一乗寺さんもがばがばと、武蔵野さんは明日の ことを考えちゃうほど真面目なので付き合う程度に、小夜子さんも程々でしたね。あの人はチェーンスモーカーです けど、お酒の方はそんなに強くはないみたいですね。伊織さんは書斎に行って本を読んでいました。昆虫にとっては アルコールは猛毒ですからね、賢明な判断です」 「お父さんは?」 つばめが冷蔵庫の中身を確かめながら問うと、道子は皿の水気を布巾で拭いた。 「飲んでも酔わないんですって。だから、酒が勿体ないって仰って、夜通しでコジロウ君の調整を」 「そっか」 「シュユさんは外に出ましたよ。フカセツテンの様子を確かめるから、とかで」 「何時頃に出ようか」 昨夜の鍋の残りである白菜とネギで味噌汁を煮立てて、安かった時に一匹丸ごと買い込んでおいたものを捌いて 冷凍しておいた塩鮭を焼いて、鍋に入れようと思って買っていたが入れず終いだった焼き豆腐を在り合わせの野菜 と一緒に炒めて、大根のぬか漬けを切って、と、つばめは献立を考えながら言った。まるで、どこかに遊びに行くか のような言い回しだが、それ以外に言い方が思い付かなかったのだから仕方ない。 「その前に、皆さんを起こさないといけませんね。でないと、始まるものも始まりません」 一通りの洗い物を片付けた道子は、つばめちゃんは御料理をお願いします、と言って台所を後にした。これから 本堂で雑魚寝している大人達を起こしに行くのだろう。つばめは道子の苦労を内心で労いながら、今し方考えた 料理を作るべく、手を動かし始めた。しばらくすると、道子とりんねも起きてきて台所に顔を出した。 「おはやぉ」 長い髪が乱れ放題の美月が欠伸混じりに挨拶すると、まだ眠たそうなりんねも短く言った。 「う」 「おはよう。顔、洗ってきなよ。タオルは洗面所に置いてあるから」 つばめが手を休ませずに応じると、美月は申し訳なさそうに眉を下げた。 「顔洗って髪を結んできたら、手伝うね。ごめんね、何もしないで」 「いいっていいって、お客さんなんだし、ミッキーはりんねは一緒に待っていて、朝御飯、すぐに作っちゃうから」 「む」 不満げにりんねが首を横に振ったので、つばめは笑った。 「じゃ、後で何か手伝ってもらうね」 「ん」 りんねは誇らしげに頷くと、美月と連れ立って洗面所に向かっていった。白菜とネギに火が通ってきた煮汁に味噌 を溶きながら、つばめは胸の奥がじわりと熱した。りんねは敵ではなかったのだ。昨夜のお喋りを通じて、りんねが どんな少女なのかを改めて思い知った。少し人見知りするところはあるが、好奇心旺盛で自己表現がはっきりした 年頃の少女だった。伊織の話になると真っ赤になるほど照れるが、伊織が自分以外の誰かに認められているのが とても嬉しいらしく、伊織の話題の間は終始笑顔だった。美月のRECでの仕事にも興味があるらしく、美月がしきり に話すレイガンドーの強さに目を輝かせていた。つばめも気になるのか、色々なことを聞き出そうとしてきた。単語で すらない言葉ではあったが、りんねの意思は確実に伝わってきたので、つばめは話せる範囲で答えた。 美月に寄れば、昨日のリニア新幹線の車内ではりんねはひどく人見知りをして美月ですらも遠ざけていたそうだ。 だが、一晩経ってみれば、りんねはつばめにも心を開いてくれている。今までの経緯が経緯なので、仲良くなれる とは思ってもみなかったので、りんねと対等に触れ合えるのが素直に嬉しかった。 朝食が一通り出来上がったので、つばめは美月とりんねに盛り付けを任せてから、本堂に向かった。さすがに皆は 起きているだろうと判断したからである。だが、ふすまを開けると、散々たる状況が広がっていた。 「酒臭ぁ……」 立派な御本尊の前に空の酒瓶がいくつも転がっていて、罰当たり極まりない光景だった。つばめが思わず嘆くと、 軟体動物のように弛緩している一乗寺を起き上がらせようと、道子が四苦八苦していた。 「あ、つばめちゃん。一乗寺さん、ひっどいんですよー」 「他の人達は?」 つばめが大人達を見回すと、当てになりそうなのはまともに起きている武蔵野ぐらいで、寺坂は言うに及ばず酔い 潰れていて、小夜子も青い顔をして突っ伏している。肝心な時に当てにならない大人達である。 「こんなんで本当にいいのか、良くない、戦うどころじゃねぇ……」 武蔵野は心底呆れているのか、半笑いになっていた。つばめは小夜子を小突いてみるが、唸っただけだった。 「これ、どうしよう」 「柳田はともかく、一乗寺はまともにしてやらんとならんな。大事な戦力だ。こいつ、自分の体の構造が変わったこと を忘れて前の調子で飲みやがったんだ。つくづくどうしようもねぇ、緊張感の欠片もねぇな」 武蔵野は毒突いてから腰を上げ、一乗寺を抱えて引き摺っていった。余計なものを出すだけ出させるのだろう。 道子はひっくり返っている寺坂を本堂の隅に引き摺っていき、服を広げて首の裏にあるコンソールを操作して人工 臓器を解放させると、人工体液のパックを入れ替えた。アルコールを抜くには、その方法が一番手っ取り早いから だろう。かつてサイボーグだっただけのことはあり、手際良く、あっという間に終えてしまった。 「あら、このボディって新免工業から図面をパクった会社のじゃないですか。道理で骨格が似ていると思いました。 で、見た目は汎用型の人型なのに中身は戦闘用ってことは、SPとかスパイとかが使うやつですね。そんなものが 置いてあったってことは、りんねちゃんと伊織さんが収容されていた病院は堅気じゃなかったってことですね。あら、 こんなところに仕込み武器が。せっかくだからセーフティを解除してあげましょう、ついでにマニュアルもダウンロード してインストールしてあげて……んふふふふ」 道子は独り言を漏らしながら、寺坂をひっくり返してはそのボディをいじり回していた。見てはいけないものを見て しまった、と気まずくなったつばめは足音を殺して仏間を後にした。 朝食を食べ始められたのは、それから小一時間過ぎた頃だった。おかげで、せっかく盛り付けた料理が冷めて しまい、支度をした美月とりんねがむくれていた。伊織も書斎から下りてきたので、本堂の座卓に並べた朝食を皆で 揃って食べた。二日酔いに見舞われた面々は、渋々口に入れていた。長孝も同席してくれた。 父親と会話すべき内容が上手く探れず、つばめは斜向かいに座っている触手の異形を窺い、温くなった味噌汁 を啜っていた。触手の尖端を二股に割って指に似たものを作って器用に箸を操り、つるりとした顔に裂け目を作って その隙間に料理を押し込んでいる長孝は、視線をどこに向けているのかがさっぱり解らない。表情もない。だから、 長孝が何を考えているのかはさっぱりだ。それ故、つばめは父親に話を切り出せなかった。 「コジロウのムジンに、レイガンドーと岩龍のムジンを溶接し終えた。動作も確認した。ムリョウの動力が制限無し に機体に加わることによって発生する不具合を考慮し、チューンナップを大幅に変更しておいた。外装は現状のもの を流用したから変わりはないが、内部のギアとトルクは全て取り替えた。摩耗していた緩衝材も同様だ。センサー類も 柳田が手に入れてくれた新品に交換した。交換していない部品は注油した。数値の上では何も問題はない」 歯もないのに大根のぬか漬けを景気良く咀嚼した長孝は、凹凸のない顔を娘に向けた。 「何か質問はあるか」 そんなことを言われても、何を聞き返せばいいのか。つばめが口籠もると、顔色の悪い小夜子がぼやいた。 「メシ喰ってんだから、仕事の話なんかすんなよ、タカさん。つか、あたしがこんなんになっちまったから一人で全部 やってくれたのはありがたいし、その方が確実だけどさ、それはねーだろ。さすがに」 「ないない」 やる気なく白飯を頬張っていた一乗寺が同意すると、悪酔いが抜けた寺坂は長孝を一瞥した。 「もうちょっと、気楽に行こうぜ。でねぇと持たねぇよ、俺らも、あんたも」 「お前らは気を楽にしすぎだ。どいつもこいつも戦闘前に潰れやがって」 早々に食べ終えた武蔵野は食器を重ね、緑茶を啜っていた。 「仕事の話に絡めねぇとガキと向き合えねー、ってのは俺の親父だけじゃなかったんだなぁ」 焼き豆腐と野菜の炒め物を顎で噛み砕きながら伊織が呟くと、道子は目を丸めた。 「あらまあ珍しい、伊織さんがお父さんのお話をするなんて。あんなに嫌っていたじゃないですか」 「生きてた頃はクッソウゼェし、マジムカついたけど、死んじまったら爪の先ぐらいは寂しいっつーかでさ」 だから、最近思い出すんだ、と伊織は言いながら、りんねが寄越してきた焼き鮭の皮を一口で食べた。 「クソ親父はよ、子供が欲しかったから俺を作った、っつってた。その時は、何言ってんだクソが死ねよ馬鹿が、って しか思わなかったんだけど、今はなんか解らないでもねーし。なんとなく生きてなんとなく死ぬだけじゃ、残るものは 何もねぇから。俺らみてぇなのは遺伝子も残せねぇし、世間に認められるわけでもねぇし、有益なものを作れるわけ でもねぇし。だから、クソ親父は自分がこの世に生きた爪痕でも残したかったんじゃねーのかな、って。クソ傍迷惑で ウザ過ぎてどうしようもねーけど」 残った白飯に味噌汁を掛けて雑に混ぜてから、伊織はそれを呷り、一息で胃に収めた。 「あんたもそうだろ」 伊織の黒光りする複眼に、触手の異形が映る。だが、長孝は答えなかった。 「でなかったら、惚れた女との間に子供なんか作らねーよ。んで、作ったからには、きっちり責任取りやがれ。てか、 親の因果を子に報わせすぎなんだ。俺もそうだし。そりゃ、自分の知らないところで産まれて、余所の家に預かって もらっているうちにでかくなった娘なんだ、どう扱っていいのか解らねーってのは察しが付く。けどなぁ、やり方ってのが あるだろ。武蔵野のおっさんでも参考にしてみろ」 と、伊織が唐突に武蔵野を指し示したので、武蔵野は噎せ返った。ひとしきり咳き込んでから、言い返す。 「俺ほど当てにならんものはないだろうが。いきなり、何を言い出すんだ」 「お節介だなぁ」 伊織の忠言はありがたいが、気恥ずかしい。居たたまれなくなったつばめが俯くと、りんねが笑んだ。 「ん」 「うん、まあ、そうだね。私もお父さんと何を話せばいいのか、まだ解らないし……」 つばめは空になった食器を積み重ね、箸を横たえた。が、ふと我に返る。 「で、でも、今はそんなことを悠長に話している場合じゃないでしょ! フカセツテンとお婆ちゃんをどうにかしに行く んだから、もうちょっとこう、緊張感ってものが必要だと思うんだけど!」 「少年漫画のラストバトルじゃねぇんだから、そんなに気張ることもないと思うぞ」 寺坂は大根のぬか漬けを囓ってから、雪の降り止まない外界に視線を投げた。 「俺達はニュートラルだ。誰かの味方ってわけでもねぇ、誰かの敵ってわけでもねぇ、やりたいようにやるだけだ。 が、クソ爺ィはそれを大いに邪魔してくれた。だから、片を付けに行く。クテイを口説くためには、あの愛情ってものを 大いに勘違いしたクソ爺ィを排除してやらないとならねぇからな。俺は不倫だけはしないタチだ」 「えー、まだ言うのぉ、それ?」 一乗寺は口では嫌がったが、表情は穏やかだった。 「でも、よっちゃんの言う通りかも。俺はつばめちゃんを暗殺しに来る奴がいないかどうかを見張っておくついでに、 フカセツテンとクソ爺ィをどうにかする。御仕事をきっちり終わらせないと、すーちゃんに会えなくなっちゃうかも しれないんだもん。だから、ついでだよ、ついで」 「ひばりの墓に案内してやりたいところだが、あんなデカブツがあったんじゃ、通り道が塞がっている。だから、俺は フカセツテンをどうにかしなきゃならん。佐々木長光とクテイを始末するのは、その範疇のことだ」 武蔵野は緑茶を飲み干し、湯飲みを置く。伊織は顎を開き、威嚇の表情を作る。 「あのクソ爺ィがいる限り、りんねがまたちょっかいを出されないとも限らねーし。だから、手っ取り早く殺す」 「うん、そうかも。私も、つっぴーに会いたいから来たんだ。全部終わったらレイと岩龍をうちの会社に連れて帰って やらなきゃいけないから、ここにいるんだ。だって、来週もRECの興行があるんだもん」 美月が同調すると、りんねは伊織を指した。 「る」 伊織と一緒にいたいから、という意味だろう。確かに、考えてみればそうだ。遺産を巡る争いに翻弄されてきた 面々が一堂に会しているが、皆、つばめを中心に物事を捉えているわけではない。同じ場所で同じ行動を取ろうと しているから、皆の目的が一致しているように見えるが、全く別のベクトルに向いている。つばめはそれを知ると、 納得すると同時に安堵した。皆、自分自身の人生を生きている証拠だからだ。 父親とのぎこちなさが抜けないまま、朝食を終えて、片付けも終えてから、つばめは出掛ける支度をした。いつも 通りに防寒装備を調えてスキーウェアに着替え、長靴を履き、コジロウが除雪しておいてくれた玄関先に出て皆を 待った。間を置いてから、支度を終えた面々が玄関先に出てきた。武蔵野は武器の詰まった背嚢を背負って厚手 の戦闘服に身を固め、一乗寺も似たようなものだった。寺坂は一張羅だと言い、なぜか法衣姿だった。布地の面積 が大きいので、雪道ではかなり動きづらそうだ。伊織は何も身に付けていなかったので、見ている方が寒くなった。 最後にやってきた道子もメイド服姿だったが、足元は洒落たデザインの寒冷地仕様のブーツだった。 「じゃ、行こうか」 つばめは玄関先に待機していたコジロウに向き直ると、コジロウは赤いゴーグルから漏れる光量を強めた。 「了解した」 「やあ」 雪にまみれながら近付いてきたのは、異形の神、シュユだった。 「首尾は上々ってほどじゃないけど、フカセツテンに入る突破口は開けそうだよ。船島集落の南西部にある山間に、 ほんの少しだけど空間が薄い部分があるんだ。そこをつばめさんが遺産を使って貫けば、なんとか」 「南西部?」 聞き覚えのある方角に武蔵野が聞き返すと、シュユは巨体を起こす。その拍子に、触手に積もった雪が落ちる。 「うん。りんねさんが御嬢様だった頃に、武蔵野さんに教えてくれた、船島集落の死角ともいえる方角だよ。現地に行く 前に言っておくけど、クテイの眷属や遺産はフカセツテンを擦り抜けられたはずだけど、クテイの眷属でもなければ遺産 でもない普通のものは、実体化しているフカセツテンに圧砕されているとみて間違いない。だから……」 「大丈夫だよ。パンダのぬいぐるみは、また直せばいいんだから」 だから安心して、とつばめが念を押すと、シュユは腰を曲げてつばめに顔を寄せた。 「だったら大丈夫だね、きっと。フカセツテンが内包している異次元から異物反応を検知している。だから、長光さんと 美野里さんが先に来ているとみていいね。クテイの生体組織の管理者権限は君の半分しか効力がないけど、それ でも遺産を操れることに変わりはない。長光さんは、つばめさんを苦しめようと、あらゆる手を打ってくるだろう。僕は 異次元と物質宇宙の均衡を保つために外に残るから戦力にはなれないけど、どうか頑張って」 「いってらっしゃい、つっぴー」 玄関先に出てきた美月が、不安げながらも笑顔で手を振ってくれた。りんねも同じ仕草をする。 「ら」 「やることやったら、すぐに帰ってこいよ。待っていてやる」 顔色がいくらか戻ってきた小夜子は、つばめの前に手を差し出した。そこには、滑らかな光沢を備えた銀色の針が 横たわっていた。これは、もしかすると。つばめが小夜子を見上げると、小夜子は子供っぽい笑みを見せた。 「あたしに出来ることっつったら、これくらいだ。安心しろ、本物のアマラだ」 「そんなことしたら、小夜子さんは」 「いいんだよ。やっぱりさ、あたしは公務員なんて性に合わねぇよ。で、辞める口実にちょろまかしてきたっつーこと にしてくれよ。大丈夫だ、当分は気付かれない。アマラに近い電気抵抗に加工した針を、政府の倉庫に置いてきた からな。素人目にはまず解らん。バレたとしても、あたしはどうなろうと後悔しない」 小夜子は寝乱れた髪を少し整えてから、つばめを見下ろして目を細めた。 「あんたらと出会えて、楽しかったからさ」 「……うん、私も」 アマラを受け取り、針の先端を肌に刺さないように気を付けながら、つばめはアマラを握り締めた。小夜子の体温が 宿り、ほのかに暖かかった。小夜子がどんな人生を歩み、どんな経緯を経て、どんな思いを抱いてこの場に来ること を選んだのかは、つばめには想像も付かない。けれど、小夜子がつばめと出会えて無駄ではなかったと思ってくれた ことが、たまらなく嬉しかった。もう少し時間があれば、小夜子とも良い友人になれていたかもしれない。 「それでは、いってきます」 つばめは三人に深々と頭を下げてから顔を上げ、玄関と屋内の狭間にある風防室に父親の姿を認めた。作業着 の両手足の袖から触手を垂らしている長孝は、表情の一切出ない顔で娘を見下ろしていた。目も鼻も口も耳もない はずなのに、視線を感じる。だから、つばめはその視線に迷いなく視線を返した。 「いってきます」 「ああ。気を付けて」 それだけ言うと長孝は身を反転させて、半端に生えた生体アンテナが布地を盛り上げている背を見せた。 「俺自身には何の力もない。故に、コジロウを造った。レイガンドーを造った。岩龍を造った。武公を造った。それが 少しでも、助けになるのならと。だから、コジロウを信じてやってくれ。僅かでも、俺を信じてくれるなら」 「当たり前だよ! だって、お父さんだもん!」 つばめが声を張ると、長孝の背中がびくつき、触手が揺れた。 「……ああ」 そう言い残し、長孝は屋内に戻っていった。素直じゃねーなータカさんは、と小夜子が笑い出すと、釣られて美月 が笑い、りんねも釣られていた。つばめは父親の本心を垣間見られた嬉しさで胸が詰まりそうだったが、これから 立ち向かうべきものを思い描いて気を引き締めた。コンガラの入ったトートバッグを肩に掛け、ナユタをポケットに 入れておき、小夜子が政府の手中から奪取してきたアマラを手に、つばめは出陣した。 フカセツテンの装甲が比較的薄い場所への移動手段は、道子がいずこからか遠隔操作してきた雪上車だった。 コジロウは自力で移動出来るので先頭を任せ、後方は道子がやはり遠隔操作している人型重機に委ねた。未だに 吹雪が止む気配はない。分厚いフロントガラスに激突してはワイパーに拭い去られる雪を見つめながら、つばめは 今一度決意を固めた。何が起ころうと、誰がどうなろうと、必ず帰ってこよう。 やっと、父親に会えたのだから。 13 2/11 |