機動駐在コジロウ




佐々木家と人々



 気付けば、随分と髪が伸びていた。
 去年は肩よりも少し長い程度だったツインテールが、今では背中の中程に毛先が届くほどになった。それだけ、 時間が経ったということだ。だが、伸びた分だけクセ毛はひどくなってしまい、ヘアアイロンでストレートにしても半日 も持たない。最低限見苦しくないようにしてはいるが、生まれ付いての体質だけはどうにも出来ない。
 だが、短くする気は起きなかった。つばめは鏡台の前に座って二つに分けた髪をヘアゴムで結び、前髪を整えて から、振り返った。古めかしい和室には似合わないパステルカラーのタンスの上で、パンダのぬいぐるみがパンダ の写真立てを抱きかかえて座っていた。その写真は、両親が結婚記念に撮影した写真だった。人工外皮を被った 父親は洒落たタキシードを着ているが、不本意なのか表情が強張っている。それに対して、ふんわりとしたデザイン のウェディングドレスに身を包んでいる母親は満足げに微笑んでいた。
 あれから、つばめは奇妙な立場になった。膨大なエネルギーを発生させられるムリョウと、莫大な情報を一瞬で 処理出来るムジンを制御する力を持った唯一の人間となったため、政府から丁重に保護されるようになった。その 一方で行動には制限が加わるようになり、一ヶ谷市内から出るためにはいちいち政府側にお伺いを立てて許可を もらわなければならなくなった。護衛と監視のための手回しをする必要があるから、だそうだ。周防がその仲立ちを してくれているのだが、すんなりと許可が下りるのは極めて希で、道子と一緒に市外に買い物に出るだけでかなり 手間と時間を喰ってしまった。それが息苦しいと感じないわけでもないが、ムリョウの恐ろしさとムジンの凄まじさを 身を持って知ったので、そうしなければ危機を未然に防げないのだとも納得している。それに、大人しくしていれば コジロウや父親と一緒に暮らせるので、政府の決定に逆らう気はない。もう、誰かと争うのはうんざりだからだ。
 一時的に凍結されていた佐々木長光の資産は、今度こそつばめの手に入った。けれど、その資産にはほとんど 手を付けずに暮らしている。これから何が起きるか解らないし、目先の欲望だけを満たしても退屈なだけなので、 本当に必要な時、本当に大事なものを手に入れる時だけ使うと決めている。

「お母さん」

 つばめは写真を見つめて、頬を緩めた。この写真は、長孝が長年大事にしていた結婚記念の写真を焼き増しして もらったものだ。この写真を撮った時はまだ私はいないんだよな、と思うと不思議な気持ちになる。ひばりの面差し と鏡に写った自分の顔を見比べ、つばめはなんだか照れ臭くなった。日に日に母親に似てきているからだ。

「大丈夫だよ。心配しないでね。お父さんとコジロウと一緒に、頑張るからね」

 つばめは母親に笑いかけてから、身を翻した。アイロンを掛けておいたブラウスに袖を通してボタンを留めたが、 胸元の傷跡に指が触れて手を止めた。去年よりも少しだけ成長した胸の間、心臓の真上に出来た片翼の傷跡を 撫でると、その下でクテイが作ってくれた代替品の心臓が元気に動いていた。

「お婆ちゃん」

 つばめは胸を押さえ、心臓の力強さに感じ入った。

「もらったもの、全部無駄にしないよ。ちゃんと使い切るよ。だから、心配しないでね」

 自分の命も、コジロウも。つばめは一度深呼吸してから、ブラウスのボタンを全て留めてハンガーに掛けておいた ジャンパースカートを着た。丸襟のブラウスの襟にボウタイを通してチョウチョ結びにして、四つボタンのブレザーを 羽織り、ハイソックスを履いた。以前は膝上だったスカートの裾が太股の中程に来ているので、いつのまにか背が 伸びてしまったようだ。身体測定をする暇もなかったから、全然気付かなかった。

「まあ、いいか」

 サイズの合う制服を調達している時間もないし、そんな当てもない。この制服にしても、一ヶ谷市内の衣料品店の 在庫を掘り返してなんとか手に入れたものだからだ。一ヶ谷市内の物資の流通は徐々に回復してきているが、風評 被害がまだ収まっていないので、運送トラックもなかなか市内に立ち入ろうとしない。だから、店舗の品揃えが悪い ので、買い出しは市外に行かなければならないのが面倒だが、普通に暮らせるだけでも良しとすべきだ。
 法事に必要なものを入れたトートバッグを手にしたつばめは、だだっ広い自室を後にした。同じ合掌造りの家では あるが、船島集落の佐々木邸とは作りが違うので、たまにそれを忘れて迷ってしまいそうになる。廊下の角を一つ 間違えたが、玄関に辿り着くと、迎えの車が到着していた。

「おーす」

 挨拶してきたのは、パンツスーツの喪服を着た柳田小夜子だった。待っている間にタバコを吸っていたのか、彼女 の周囲には紫煙の名残がある。黒いローファーを履いて出たつばめは玄関の鍵を閉め、小夜子に駆け寄った。

「小夜子さん、なんか格好良い」

「そうかぁ? スカート履きたくなかったから、パンツにしたってだけだぞ」

 小夜子はローヒールのパンプスを履いた足を上げ、眉根を曲げた。あの戦いの後、小夜子は内閣情報調査室の 延長にあった部署を懲戒免職となった。その原因は、もちろんアマラを盗んでつばめに渡したせいである。拾得物 横領、機密漏洩、服務規定違反、職権乱用、と様々な罪状で立件されてしまった。だが、当の本人はそれを悔やむ どころか笑い飛ばしており、自由気ままに過ごしている。つばめ達が住んでいる集落にある借家は家賃がべらぼうに 安いが広すぎるとのことで、少し離れた場所にあるアパートに独り暮らしをしている。

「まあいい、タカさん、迎えに行くぞ」

「はーい」

 つばめは快諾し、小夜子が乗ってきた車に近付いた。小倉重機・一ヶ谷支社、との社名が入ったワゴン車だった。 小夜子は運転席に乗り込んだので、つばめは後部座席に乗り込んだ。社用車らしい白いワゴン車が集落内の道路 を走っていくと、車を出そうとしている武蔵野に気付いたので、窓越しに手を振った。彼は片手を上げてから自宅の ガレージに入り、愛車のジープに乗り込んでいた。そして前に向き直ると、一瞬、小夜子と視線が合った。

「どうしたの? 一本道だけど、前、見ないと危ないよ」

「解ってるっての」

 小夜子は珍しく化粧をした顔をしかめ、ハンドルを回した。小夜子と武蔵野は気が合いそうだな、とは思ったが、 つばめは敢えて口には出さなかった。余計な御世話だからだ。武蔵野には武蔵野の、小夜子には小夜子の人生 があるのだから、それを交わらせるか否かは当人同士が判断すべきだ。それが大人同士なら、尚更だ。
 ワゴン車は集落から市街地に入り、国道に差し掛かったが、車通りは乏しかった。国道から一本外れた細い道路 の奥に向かっていくと、広めの敷地の中に建っているコンクリート製の建物が見えた。随分前に倒産した廃工場を 改築して利用しているので外見はかなり年季が入っているが、看板だけは真新しかった。小倉重機・一ヶ谷支社。 その看板の手前にワゴン車が止まったので、つばめはシートベルトを外してから降りた。
 
「お父さーん!」

 ステンレス製のドアを開けてつばめが中に入ると、金属と機械油の匂いが立ち込めていた。防護マスクを被って 金属部品を溶接していた背中が上がって、凹凸のない顔が振り返った。背中から生えている生体アンテナである 光輪は、長光との戦いの最中に急成長したが伸縮出来るらしく、作業着の背中は盛り上がっていなかった。純血の ニルヴァーニアンであるシュユが出来ないことが出来るのが不思議だが、それが長孝とニルヴァーニアンの決定的 な違いだ。物質宇宙に適応するか否かが、彼らの分かれ目なのだろう。

「早かったな」

「だって、喪主じゃん。遅刻出来ないじゃん」

 つばめが胸を張ると、ニルヴァーニアンとしての素顔を曝している長孝は、触手に填めていた手袋を外した。

「それもそうだな。俺はどうすればいい」

「知り合いだけだし、別に皮を被ることもないんじゃない?」

「そうだな」

 長孝は、工場の隅にあるデスクの上に折り畳んである人工外皮を一瞥した。人目に付く外見なので、不特定多数 の目に曝される時は人工外皮を被って人間の振りをしなければならないが、工場に籠もって作業をする時や自宅 で休む時は脱いでいる。体積を縮めてシリコンカバーの中に押し込めるのは、やはり窮屈だからだ。

「でも、さすがに着替えなきゃならねーと思いますよ?」

 小夜子に促され、そうだな、と長孝は溶接道具を一通り片付けてから立ち上がった。

「お弁当、どうだった? 菜の花の混ぜ御飯、初めて作ってみたんだけど」

 つばめが父親の背に問い掛けると、長孝は数本の触手で給湯室を示した。

「全部食べた。弁当箱は洗ってある」

「素直に褒めりゃいいのになぁー」

 小夜子の言葉に、つばめは失笑する。

「だよねぇ」

 全部食べたということは、おいしかったということだろう。長孝の遠回しな感情表現に不慣れな頃は、互いの意見 が行き違ったこともあったが、一緒に暮らして五ヶ月も過ぎるとさすがに互いに慣れてくる。長孝も直情的なつばめ に慣れてきたのか、少しずつではあるが語意も変わってきている。この調子で、もっと仲良くなりたいものだ。
 あの後、佐々木長孝は小倉重機の社員として雇われた。他でもない、小倉貞利が長孝の才能が闇に葬られるのは 勿体ないと惜しんだからである。当初、長孝は渋っていたが、支社で部品や人型重機やロボットの設計と製造を 一任されると承諾した。諸々の罪状で裁判中の小夜子も、一連の裁判が終わり次第小倉重機に採用されることが 決まっている。彼女の技術もまた、捨て置くには惜しいからだ。

「つばめ」

 滑らかな駆動音と重たい足音が聞こえ、つばめはすぐさま彼に振り返る。

「コジロウ、整備終わった?」

「完了した。各部、異常はない。新機軸の部品が脚部に装着されたが、試用の際にも問題はなかった」

 警官ロボット、コジロウは赤いゴーグルを薄く輝かせながら、つばめに歩み寄ってきた。つばめは彼の前で屈み、 垂れ下がってきた前髪を耳元に掛けながら、彼の足元を見回した。両脛に内蔵されているタイヤが、キャタピラに 変わっていた。地形が悪くとも高速移動出来るように、長孝が改造してくれたのだ。

「新しい足、格好良いよ」

 つばめがストレートに褒めると、コジロウはぎしりと首関節を軋ませ、目線を外した。

「……謝意を述べる」

「ああ、それが精一杯か。つくづく可愛いなぁ、お前ってやつは」

 小夜子はけらけら笑いながら、コジロウを引っぱたいた。つばめは回り込み、コジロウの視界に入る。

「ほらほら、久々に制服着たんだよ!」

「平素だ」

「えー、それだけ?」

 つばめがちょっとむっとすると、コジロウはやや目線を下げてつばめをゴーグルに映した。

「平素より、つばめは可憐だ」

 コジロウらしからぬ語彙につばめは目を丸めたが、徐々に頬に血が上ってきて顔を伏せた。

「うん……ありがとう」

 その様を見、小夜子は背中を向けて肩を震わせていた。笑っているからだ。笑うことないじゃないか、とつばめ は少し気に障ったが、彼女の気持ちは解らないでもなかったので文句は言わなかった。コジロウの語彙に人間的な 柔軟さが出てきたのはごく最近のことなので、まだ面食らってしまうのだ。それはつばめも同じで、コジロウの頑なさが 解けていくのは嬉しいのだが、若干反応に困る場面も多い。だが、それがコジロウの愛嬌だ。
 程なくして、喪服に着替え終えた長孝が出てきたので、小夜子の運転するワゴン車で移動した。コジロウは新品 のキャタピラで併走してきたが、その動作が気になるのか、長孝はしきりに外を気にしていた。つばめはそんな父親 が微笑ましく、誇らしくもあった。自分もコジロウも愛されている、と実感出来るからだ。
 浄法寺に到着したのは、午後四時過ぎだった。その頃には、既に皆が到着していた。美月にレイガンドーと岩龍 に小倉、一乗寺に周防、寺坂に道子、吉岡親子と伊織、武蔵野、と浄法寺の本堂に一同に介していた。もちろん、 ロボットファイター達は本堂には入れないので庭先である。美月とりんねにじゃれつかれたつばめは、お揃いの制服 を互いに見せ合った。美月の顔付きには自信が漲り、りんねは表情が増えて一層愛らしくなっていた。最後に到着 したのはシュユで、うねうねと触手を波打たせながら、縁側から本堂に上がってきた。

「本日はお忙しい中、お集まり頂き、ありがとうございます」

 皆の前に立ったつばめは、喪主らしく改まった。やりづらかったが、締めるところは締めなければ。

「それではこれより、祖父、佐々木長光の一周忌法会を始めさせて頂きます。御住職、よろしくお願いします」

 そう言って、つばめは寺坂に一礼すると、寺坂も返礼した。

「こちらこそ」

 それから、浄法寺の墓地に新しく建てた佐々木家の墓に参った。その中には、佐々木邸の敷地内にあった墓石 から回収した先祖代々の遺骨を入れてあるので、その中に長光の骨も少しは混じっているはずである。仏花と線香 を供え、艶々とした黒御影石に水を掛けてやった。手を合わせたつばめは、今度こそ成仏して下さい、と腹の底から 祈った。あれだけ苦労に苦労を重ねて、クテイが異次元宇宙に連れていってくれたのだから。
 墓石には、佐々木長光、佐々木英子、佐々木ひばり、との名前が刻まれていた。その隣にずらりと並ぶ真新しい 墓石には、吉岡八五郎、藤原忠、神名円明と鬼無克二、羽部鏡一、とあった。皆、それぞれの関わりが深い相手の 墓石に目を向けては彼らの死を悼んだ。遺骨がない者も多いが、墓石だけでも彼らが生きていた証となる。
 墓地から引き上げて本堂に戻り、寺坂に経を上げてもらった。サイボーグになったからか、以前のようなタバコと 酒に焼け気味の掠れた声ではなくなったので以前よりも聞き取りやすかった。読経が終わり、焼香も終わったので、 つばめは再び皆の前に立って一礼した後、述べた。

「本日は、お忙しい中、集まり頂きましてありがとうございました。御陰様で、祖父の一周忌法要を無事に終えること が出来ました。皆様も御存知の通り、祖父は大変我の強い人間でした。それ故に、祖父が振りまいた不幸と災厄 は今も余波が広がっておりますが、私達はこうして長らえました。祖母や母や、遺産と関わりながらもその力と欲に 振り回されずに信念を貫き通した、皆様のお力添えがあってのことです。そして、私達の背を支えてくれていた方々 のおかげです。祖父がこの世に繋ぎ止めていたが故に二度も死を迎えなければならなかった方々と、祖父の愚行 の末に命を散らしてしまった方々に恥じぬよう、家族と共に生きていきます」

 事前に用意していた原稿の内容は、途中から吹き飛んでしまった。なので、つばめは言いたいことを言い終えて 深々と頭を下げると、拍手が聞こえてきた。それを受けながら顔を上げると、長孝が寄り添い、つばめの肩を支えて きてくれた。つばめは目元を拭ってから、庭先にいるコジロウと視線を交えた後、気持ちを切り替えた。

「だから、後は皆で一緒に御飯を食べよう! それでお終い!」

「わあい、待ってましたぁ! てか、法事にそれ以外の楽しみってないもんねー!」

 一乗寺が子供っぽく喜んだので、周防は嘆いた。

「お前なぁ……」

「お酒も一杯ありますよー。お酌しますから、全部飲んじゃって下さいねー」

 喪服姿の道子がビール瓶の詰まった箱を抱えてくると、早々に袈裟を脱いだ寺坂が喜んだ。

「ぱあっと行こうぜ、その方が楽しい!」

「それでいいのか?」

 武蔵野が呆れると、律儀に正座をしていた伊織が下両足を崩しながら言った。

「いいんじゃねーの。喪主がそう言うんだし」

「じゃ、座卓を出すから、手伝ってね。男手が多いと楽だわぁ」

 文香は男達を手招き、本堂と隣り合っている和室へと連れて行った。美月とりんねが足を崩したので、つばめは 二人の元に近付くと、美月は庭先で突っ立っている二体のロボットファイターを指した。

「来週、凄い試合をやるから是非見てね。で、余裕があったらでいいんだけど、またエンヴィーとシリアスで試合に 出てみない? 今でも人気があるんだよ、つっぴー達って」

「ありがとう、その時はよろしくね」

 つばめが笑顔を返すと、美月は墓地の方角に目をやった。

「で、いつか私とレイがヒールターンする時が来たら、その時はあの人みたいなキャラで攻めようかなって」

「確実に面白いよ。それだけは間違いない」

 羽部のあの性格をデフォルメすれば、絶対に受ける。つばめが同意すると、りんねがつばめに縋った。

「つばめちゃん、御飯?」

「うん、そうだよ。色んな料理が出てくるし、ジュースもあるから、一緒に食べようね」

「うん。お腹空いた」

 りんねは頷いてから、お母さんのお手伝いする、と言って、仕出し料理が用意されている和室に向かっていった。 美月も手伝おうかと言ってくれたが、つばめはその気持ちだけをありがたく受け取っておいた。この場では、美月は お客さんだからだ。縁側に近付いてきた二体のロボットファイターは、騒がしくなり始めた本堂を覗いた。

「俺達は喰えないのが残念だよ」

「味わえるモンがあるとしたら、場の空気しかないのう」

 レイガンドーが首を横に振ると、岩龍は両手を上向けた。すると、二人にシュユが近付いてきた。

「それだけでも充分じゃないか。まあ、僕は食べられるから食べるけど」

「なんか狡いな」

「うむ」

 レイガンドーと岩龍がシュユを睨め付けると、シュユは触手を束ねてひらひらさせる。

「そればかりはどうしようもないって。それと、君達は特例中の特例なんだから、その辺の自覚を持ってもらいたい ものだなぁ。クテイはムリョウをコントロールするためにムジンを残したのであって、君達二人はその副産物なんだ から、少しは処理する情報量を押さえてもらいたいよ。クテイがあちら側に行った以上、君達と異次元宇宙を繋げて いるのは僕なんだから、僕の心身を経由していく情報をもうちょっとセーブしてほしいな。それでなくても、大衆娯楽 に使うには性能が良すぎる部品なんだし」

「こういう世の中なんだ、俺達みたいなのがガチャガチャ騒がないと、余計に暗くなるだろうが」

 レイガンドーが腕を組んで胸を張ると、岩龍はその肩に肘を載せる。

「それが道具っちゅうもんじゃろ? 人間に出来ないことをして、人間の望みを叶えて、使い切られるのがワシら の仕事なんじゃい。どんだけ感情の振り幅が広がろうが知能が高まろうが、それだけは変わらん」

「まあ、間違ってはいないかな」

 どっこいせ、とシュユは縁側に腰掛けると、土が付いた両足部分の触手を振って砂を払い落とした。軟体動物の ように足をくねらせながら歩いていったシュユは、どこに座ったらいいのかと道子に尋ねていた。道子は少し考えた 後に、クテイさんの親族なので上座の方に、と示した。シュユはその通りの場所に腰を下ろすと、御膳の上に並ぶ 料理を見下ろした。そろそろ準備が整いそうなので、つばめと美月も本堂に戻った。
 故人を偲ぶための宴席である御斎は程なくして騒がしくなり、大人達はビールや日本酒を酌み交わした。つばめ 達や酒を飲まない面々は、その騒がしさに辟易しつつも、お喋りに興じた。その間、つばめはレイガンドーと岩龍と 共に庭先で待機しているコジロウと何度も目が合った。二体はここ最近のロボットファイトに関する愚痴とも自慢とも 付かない話を延々とコジロウに訊かせていて、コジロウはそれを無言で受け流していた。だが、決して嫌がっている ようには見えなかったので、エンヴィーとシリアスとして再びリングに立つ日は遠くなさそうだ。そうなれば、コジロウ の強さを全世界に知らしめられる。政府はいい顔はしないだろうが、そこはなんとかなるだろう。
 仕出し料理も酒も飲み尽くされ、食べ尽くされ、皆は香典返しの手土産を携えて帰っていった。車に乗ってきたが 勧められるがままに酒を飲んでしまった武蔵野は、明日になったら車を取りに来る、と言って徒歩で帰っていった。 一乗寺と周防も同様で、周防はすっかり出来上がっている一乗寺を引っ張っていった。吉岡親子と伊織は家が近所 なので、香典返しの入った紙袋を下げて徒歩で帰っていった。小倉親子とロボットファイターは、浄法寺から離れた 場所に駐車してあるトレーラーに戻っていった。これから、次の興行先に移動するのだという。小夜子は酒が抜ける まで車が運転出来ないし、なんだか面倒臭くなったので浄法寺で一泊すると言った。寺坂は気分良く酔って寝入って しまったので、道子はぼやきながらも後片付けに精を出していた。
 そして、つばめもコジロウと共に帰路を辿った。長孝は発注された部品の仕様について意見があると言い出して、 トレーラーに戻ろうとしていた小倉親子を引き留めて話をしていた。複雑な専門用語が飛び交う込み入った話だった ので、つばめは先に帰ると断ってから、父親と別れた。コジロウと手を繋ぎながら、街灯のない道を歩いた。

「日が暮れるの、遅くなったね」

 茜色の夕日に染められた集落を一望してつばめが言うと、コジロウは平坦に答えた。

「公転周期によるものだ」

「そりゃまあ、そうだけどさ」

 つばめは幅の違いすぎる歩調を気にしながら、彼と影を並べて歩いた。

「本官は」

 コジロウは動作を遅らせてつばめの歩幅に合わせながら、首を曲げて赤いゴーグルを向けてきた。

「数々の経験を分析し、判断した結果、本官が完遂すべき職務を見出した」

「ん、なあに?」

「本官はニルヴァーニアンが地球という物質宇宙の片隅に存在する惑星に残留させた異物であり、ムリョウとムジン が相互的に作用し合って生じた疑似人格であり、つばめとその両親によって与えられた経験と情緒と時間と空間と 次元を糧とし、つばめの感情を動力源として作動するムリョウを用いて稼働している人型特殊警察車両だ」

 コジロウは立ち止まり、一度手を解いてから、つばめの前で片膝を付いて目線を合わせてきた。

「よって、本官が最重要視すべきはつばめであり、つばめとその近親者を護衛する職務を継続する。そして、今後、 つばめが積み重ねていくあらゆる財産や資産を保護する。本官はムリョウとムジンの作用により、つばめの寿命、 佐々木一族の寿命、物質宇宙に存在する万物の寿命を凌駕する、機体耐久性能を得た。よって、本官はつばめと 共に機能停止することは、物理的に不可能だ。これは本官の推測ではあるが、つばめもそれを命令しないであろう と判断する。故に、本官はつばめが残していくものを守り通す。それが、本官の願望に値する行動理念だ」

「それだけでいいの?」

「本官は主観に相当する自己判断能力を得たが、幾多の判断と計算の末に算出した結論はそれだけだった」

 コジロウの冷たく硬い手に頬を包まれ、つばめは目を細めた。

「私も、それだけでいいよ。だって、私もそう思うから。コジロウとずっとずっと一緒にいたいから」

「了解した」

 少々の間の後、コジロウはつばめの背に手を添えた。つばめは彼のマスクを両手で挟み、額を当てる。

「私の中だと、それが愛しているってことになるかな」

「継続し、存続し、連続することが愛なのか」

「愛の基準は人それぞれだけど、私はずっと一緒にいられるのが一番嬉しいってこと」

 だから、私はコジロウを愛してる。消え入りそうな声色で囁いて、つばめは少し身を乗り出した。コジロウは上体 を曲げてマスクを寄せ、つばめの薄い唇を塞いできた。滑らかな塗装の感触と金属の冷たさに、かすかな機械油の 匂いと機械熱の温もりが、接した部分から体中に広がっていく。
 本当は、とてもいけないことだ。種族は違えども厳密には兄妹で、人間と道具で、有機と無機で、異次元と物質 宇宙の隔たりが横たわっている。コジロウと通じ合うべきではないのだと僅かに残った躊躇いが叫ぶ。一方で、その 躊躇いを振り払うのが欲望という衝動なのだとも喚く。どちらも正しくて、どちらも誤りだ。欲しい物を手に入れたいと 願うことは悪いことではない。彼が欲しいという痛烈な感情がなければ、つばめは日陰の中で膝を抱えて生きていた だろうし、父親にも母親にも祖母にも会えず、祖父とも戦えなかった。だから、全てを受け入れるべきだ。
 つばめが少し息を速めながら唇を外すと、コジロウはつばめを横抱きにしてから肩に載せた。つばめは彼の目線と 同じ高さに腰掛けると、東側の空から昇り始めた月と、無数の星々に思い切り手を伸ばした。
 宇宙一欲しかったものが、手に入った。




 茜色に焼けた空に、手を広げる。
 銀色の手は虚空を遮り、少しばかり翳りを与えてくれた。その影が足元に及ぶと、赤茶けた地面に埋もれた石碑 の影が揺らいだ。隅立四つ目結紋が刻まれた黒御影石の墓石に一陣の乾いた風が吹き付け、砂埃がざらりと表面 を擦っていった。火星の如く赤い地表は平坦で、緩やかなカーブを描いている地平線が望める。絶え間ない熱波と 乾燥した空気が陽炎を生み出し、放射能の残滓がこびり付いた砂嵐が駆け抜けては渦を巻き、乾き切った砂地に 溝を作っていった。だが、それもまた砂嵐で掻き消され、埋もれてしまう。

「やあ」

 砂嵐の轟音に掻き消されない、電波に乗せられた音声が受信装置に届いた。コジロウが膝を立てて振り返ると、 見覚えのある触手の異形が立っていた。その身に巻き付けられている黄土色の布は膨大な年月を経て擦り切れて いたが、内包されている者は以前となんら変わりがなかった。シュユだった。

「あれから何年過ぎたっけ?」

 シュユが小首を傾げると、コジロウは即答した。

「五十六億七千万年、経過した」

「そう、そんなになるんだね。あれから、ニルヴァーニアンには色々とあったよ。穏健派と強硬派と保守派で揉めて、 異次元宇宙と物質宇宙の狭間で戦ったりもしたけど、それも古い時代の話だよ。今の僕らは、ただの知的生命体と して物質宇宙に根差しているよ。やっぱり、おいしい御飯を食べたいからね」

 彼らと別れた日がつい昨日であるかのように言い、シュユは暴風に触手を靡かせながら、限界を迎えている太陽 を捉えた。コジロウは、佐々木一族が眠る墓石の傍からは決して離れずにシュユを見守った。シュユが物質宇宙を 離れたのは、つばめが生命活動を停止してから間もないことだった。彼はニルヴァーニアンが人間に与えた管理者 権限が完全に沈黙したことを確認してから、異次元宇宙に戻っていった。以後、幾多の天災、戦争、動乱、進化、 衰退、文明、発展、そしてありとあらゆる知的生命体がコジロウの傍に現れては通り過ぎていった。いかなる欲望 に貪られようと、弄ばれようと、コジロウは頑なにつばめの足跡と己の願望を守り続けた。

「それだけの時間を経験した君の感情があれば、フカセツ・フカセツテンは動かせる」

 シュユは黄土色の布の隙間から触手を出し、佐々木家の家紋が印された菱形の金属板を差し伸べた。

「フカセツ・フカセツテンとは数字の最大の単位。すなわち、物質宇宙そのものなんだよ。コジロウ君、君の意思が あれば、この宇宙を再び織り成すことなんて造作もないよ。ともすれば、滅びつつある太陽系を再生出来るし、彼女 だってまたこの世に生み出せるさ」

 どうする、とシュユから問われたが、コジロウは金属板には手を伸ばさなかった。五十六億七千万年もの時間を、 そうして過ごしてきたように、愛して止まない主人が眠る墓石に向き直った。

「本官は職務を継続する。以上だ」

「君ならそう言うだろうと思ったけどね、一応訊いてみただけさ」

 シュユは穏やかに述べ、コジロウに寄り添って墓石を見下ろした。

「良ければ、話を聞かせてくれないかな。僕がいなくなってからのことを」

「……了解した」

 コジロウは右胸に刻まれた片翼を押さえると、その奥にあるムリョウを高ぶらせた。また、一陣の風が吹き渡り、 新たな砂嵐が巻き起こっていった。シュユは熱した砂の上に腰を下ろしたので、コジロウは数億年ぶりに膝を折って 墓石の前に片膝を付いた。ムリョウのエネルギーを用いて風化を妨げている黒御影石に触れると、墓石の側面に 刻まれた、佐々木つばめの名を柔らかな手付きで慈しんだ。

「愛している」

 圧倒的に経験が足りず、主観が未完成で感情が形成されていなかった頃、その言葉はどうしても使えなかった。 コジロウ自身が、自分の感情に懐疑的だったからだ。そのせいで、つばめからどれほどの感情を注がれようとも、 この言葉を囁かれても、同じ言葉を返せなかった。感情という裏付けがなければ、言ってはいけないと思っていた。 だから、つばめが肉体に精神を伴って物質宇宙で人生を謳歌していた頃は、たった二回しか言えなかった。彼女が コジロウと生涯を共にすると神の前で誓った日と、彼女が生命活動を終了する日だけだった。
 あの、暖かくも激しい日々を思い返しながら、コジロウは穏やかに情報の羅列を始めた。シュユはコジロウの話に 聴覚を傾けながら、恒星としての命を燃やし尽くしかけている太陽を眺めた。物質宇宙を再構成する鍵となる家紋 は焼け焦げた砂に埋もれ、没し、二度と地表には姿を現さなかった。コジロウもシュユも、探しはしなかった。無量 大数の力を備え、数多の時間を経て心を得た道具が価値を見出したのは、彼女との人生だけなのだから。
 力を欲する力は、この心の内で眠っている。






THE END.....




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あとがき