これはこれで平穏と言えるのかもしれない。 ピックアップトラックを荒っぽく運転して寺に帰っていく寺坂を見送り、美野里をちゃんと起こしてから分校に登校 し、一乗寺の今一つやる気に掛ける授業を受けた後、つばめは買い出しに出ていた。といっても、自力ではない。 船島集落に最寄りの市街地は単純計算でも二十キロも離れている上に曲がりくねった急勾配が多い道路なので、 とてもじゃないが自力では移動出来ない。なので、一乗寺の運転する軽トラックに便乗したというわけである。 当初、つばめはバスの一本でも走っているだろうと思ったのだが、船島集落に最も近いバス停でも五キロ以上は 離れている場所にあり、おまけに一日三便しか通っていない。朝昼晩の一回ずつなので、当てになるわけがない。 地元民はそんなものを当てにしたりはせず、移動は専ら自家用車かバイクなのだそうだ。だが、免許を取得出来る 年齢に至っていないつばめにとっては土台無理な話なので、一乗寺にくっついていったという次第である。 一ヶ谷市内に来たのはこれが初めてだった。厳密に言えば、船島集落は一ヶ谷市に属しているのだが、随分前の 市町村合併の際に吸収された際に飛び地となってしまったので、県内最大の規模を誇る市内である実感はない。 紛れもない陸の孤島だから、尚更だ。寺坂の車を返しに行くために都心に出た時とはまた違う感慨に耽りながら、 つばめは駐車場の遙か彼方にある大型スーパーを眺めた。 「広い……」 時間が中途半端だからだろう、駐車場に駐まっている車はまばらだが、大半が軽自動車だった。ファミリーカーと 呼ばれるワゴン車も多く、同じような軽トラックも数台停まっている。過去につばめが行ったことのある大型スーパー では屋上駐車場がほとんどで、平地の駐車場はこれほど広くなかった。郊外のアウトレットモールにしても、私鉄の 駅と連絡橋で繋がっていたりするので、駐車場は有料で手狭だった。だが、ここは違う。駐車料金なんて一切なく、 ひたすらにだだっ広い。地平線が見える、というのは大袈裟だが、そう思わせるほどの面積がある。大型スーパー 自体ももちろん大きいが平屋建てで、高さがあるのは屋根の看板ぐらいなものだった。 「ほらほら、さっさと買い出しに行くよ。これから混んでくるんだからさぁー」 一乗寺は店舗の入り口にあるカート置き場からカートを引っ張ってくると、つばめを急かしてきた。つばめは広さに 気を取られつつも、一乗寺に促される形で歩き出した。 「で、本当に良かったの、コジロウを家に置いてきて」 一乗寺は青果売り場に面した入り口から中に入ると、買い物カゴを置いた。 「お姉ちゃんを一人になんて出来ません。それに、人出のあるところだと目立っちゃうし」 つばめはそう言いつつ、陳列棚に近付いた。並んでいる商品は関東とそれほどラインナップは変わらなかったが、 物価が微妙に違っていた。驚くほど安いわけではないが、流通ルートの違いでそうなっているのだろう。ここ最近は 野菜を食べていない気がしたので、つばめは目に付いた野菜を買い物カゴに入れていくと、一乗寺が拗ねた。 「俺、それ嫌い」 「なんですか、その小学生みたいなセリフは」 小松菜をカゴに入れたつばめが呆れると、一乗寺は拗ねた。 「だって、えぐいんだもん」 「じゃあ食べないで下さい。お昼だって作ってやりません」 「えぇー、それはそれで困っちゃうんだけどなぁー」 一乗寺はますます子供っぽい態度で嘆き、やる気なくカートを押した。つばめは自分のペースで買い物をするために カートを片手で押さえながら、店内を見て回った。あまり勝手に動かれては困るし、一乗寺が好き勝手に品物を 放り込むのを妨げるためである。これでは保護者と被保護者の立場が逆なのだが、終始こんな具合なので、すっかり 慣れてしまった。体が大きくなれば誰もが大人になる、というわけではないようだ。 青果売り場から乾物売り場に来ると、つばめは味噌汁の具に出来そうな乾物を入れていった。ワカメに麩にダシ 用の煮干しに昆布に、と。家を出発する前に祖父の遺した台所の食品の種類と残量をメモに取ってきたので、在庫 と被っているかどうか気にすることもなく買い込めた。同じものばかりが増えるのはごめんだからだ。 「何これ?」 つばめは麩のコーナーの前で立ち止まり、ドーナツのようなリング状の麩を見つけた。 「ああ、それ? 車麩だよ、ふやかして煮物にするの」 俺は作らないけど、と一乗寺がへらっと笑ったが、つばめは興味を惹かれたのでカゴに入れた。 「じゃ、今度作ってみよう。お麩はおいしいもんね」 「えぇー? 俺、煮物とか好きじゃなーい」 「誰も先生の好みなんて聞いていません。私は、私とお姉ちゃんの趣味に合ったものを買っているんですから」 「意地悪ぅ」 一乗寺はかなり不満げに眉を下げ、そっぽを向いた。全く、面倒臭い大人である。いちいち相手をするのも億劫に なってきたので、つばめは一乗寺と無駄な会話をしないようにしながら買い物を進めていった。やけに豚肉の量が 多い精肉コーナーで大容量の細切れパックを買った。小分けにして保存するためだ。続いて調味料も一通り揃え、 今夜の夕食と明日の朝食とついでに弁当のおかずに流用出来そうな献立を考え込みながら歩いていて、ふと、ある ことを思い出した。つばめは引き返して生理用品のコーナーに行ってみたが、食品を主に扱っている店なので衛生 用品の類は全体的に割高だった。かといって、この近辺にドラッグストアはないので、安売りしている店を探し回る わけにもいくまい。だが、ここで買っていかなければ、つばめも美野里も大いに困る。 「あー、そういうのだったらね、あっちの方が安い」 一乗寺が指し示した先には、大型スーパーと斜向かいに立っているホームセンターがあった。例によって駐車場 がやけに広く、ホームセンターもまたそれ相応に大きかった。 「ついでだから、他にも色々と買い込んでおいたら? ワックスとかグリースとかコート剤とか」 「車のですか?」 「つばめちゃんの彼氏に決まってんじゃーん。そりゃあ専門的なハードとソフトのメンテナンスは政府がやってくれる けど、日常的なメンテナンスは持ち主がしてやらないとダメじゃんじゃんよー」 「え、ええ?」 つばめが身動ぐと、一乗寺はけたけたと笑う。 「きっと喜ぶぞー、俺の想像に過ぎないけど!」 喜ぶ、のだろうか。あのコジロウが。つばめは一乗寺に背を向け、必死に緩みそうになる顔を強張らせた。彼自身 が以前に喜怒哀楽がないと公言しているし、警官ロボットにはそんなものは不要であり、そういう機械的な冷たさも また魅力だと感じているのだが、もしも喜んでくれるのであればそれに越したことはない。いや、いっそのこと、それを 切っ掛けにして関係を進展させてしまえばいいのではないか。ロボットが人間と交流を持って感情を得る、なんて シチュエーションは使い古されて擦り切れているが、だからこそ確実なのでは。 「行きましょうかぁっ!」 照れ臭さを誤魔化すためにつばめが大きく踏み出すと、一乗寺は菓子売り場を指した。 「その前になんか買ってよ、お菓子食べたい」 「だから、どうして先生の言動は小学生レベルなんですか!」 話の腰を折られたつばめがむっとすると、一乗寺はパン売り場を指した。 「じゃあ、あっちのでいいからさぁ」 「なんで私が奢るのが前提になっているんですか?」 「ここまで運転してきたのは俺、ガソリン代を出したのも俺、おういえーす!」 と、なぜか勝ち誇った一乗寺に、つばめは言い負かすのを諦めた。 「はいはい」 菓子パン一個で黙るのなら安いものだ。つばめは乳製品売り場で牛乳やバターなどを買い込んでから、一乗寺に 急かされるままにパン売り場に向かった。そこで一乗寺が迷わず選んだのは、ちくわパンだった。何のことはない、 コロネのように巻いたパンの中心にツナマヨネーズを流し込んだちくわが入っている調理パンなのだが、つばめには 理解出来ない趣味だった。不味くはないかもしれないがミスマッチではないのだろうか。そんな疑問を抱えつつ、 上下ともカゴに食材が山盛りのカートを押してレジに並んだ。 通学カバンに入っている財布には、つばめの人生で最高額の紙幣が詰まっていた。買い物に向かう前に銀行で 卸してきたのだが、祖父の名義からつばめの名義に変えた預金通帳を記入するまでは半信半疑だった。電子音と 共に吐き出された預金通帳には目眩がするほどの金額が入っていたが、やはり信じられなかった。物理的に紙幣を 手にすれば信じられるだろうと差し当たって必要になりそうな額である十万円を卸してみると、すんなりと出てきた。 一度深呼吸してからそれを財布に入れたが、なんとなく落ち着かない。子供が持つ金額ではないからだ。 会計を終えた後、生鮮食品が傷まないようにとトロ箱を拝借して食品冷却用の氷と一緒に入れてから、軽トラック に運んでいった。もちろん運転席には入らないので荷台に載せてゴムバンドで固定し、そのまま真っ直ぐにホーム センターに向かった。幹線道路を渡って駐車場に入ると、一乗寺が不意に表情を変えた。 「ん?」 「今度は一体なんですか」 つばめが面倒臭く思いながらも尋ねると、一乗寺は駐車場に並ぶ車に目を配らせた。 「こりゃ、ちょっと面白くなりそうだぞう」 「何を根拠に、そんな」 「いいかいつばめちゃん、よく見てみろ? 正面入り口の直線上にトラックが一台、駐車場と道路の間には軽トラが 二台、搬入口前には明らかに業者のものじゃない車がある。こりゃ、なんかあるなぁーん」 一乗寺は明らかにわくわくしながら、ダッシュボードを開けて拳銃を取り出した。しかし、つばめの目からすれば、 異変があるようには思えなかった。大型スーパーに比べれば車の数はまばらかもしれないが、配置におかしな点が あるようには見受けられない。確かに搬入口にジープが止まっているのは少し変だが、搬入口から入ってくるのは 何も輸送トラックだけではないのだから、出入りの業者かもしれないではないか。 「んじゃーちょっくら、特別授業でもしちゃおっかなー」 一乗寺は軽トラックを南側の出入り口前に止めてから、シートベルトを外し、ジャケットの左脇のホルスターに拳銃 を差し込んだ。常に帯びているらしく、革製のホルスターは大分使い込まれていた。一乗寺はつばめに車から降りる ように指示をしてから、運転席から降りた。それを境にして、一乗寺の立ち姿が変わった。それまでは姿勢も半端で 芯が通っていないような後ろ姿だったのだが、明らかに雰囲気が様変わりした。 「先生?」 つばめは一乗寺に追い付くと、一乗寺はジャージの裾を捲り上げて足首のホルスターを露わにし、つばめの手中に 無造作に小型の拳銃を載せてきた。その重みと凶器にぎょっとしたつばめは慌てふためいたが、一乗寺は自身の 拳銃のチェンバーをスライドさせてみせた。じゃぎん、と分厚い金属同士が競り合う。 「こうしないと初弾が装填されないから、うっかり引き金を引いても空砲しか出ないから安心してね。つっても、至近 距離だと痛いし熱いから、引き金を引かない方が身のためだね。暴発でもされたら困るし?」 「せ、せんせぇええええっ!?」 実銃の重みと恐ろしさでつばめは声を裏返すが、一乗寺はつばめを引き摺ってホームセンターに入っていった。 もしも一乗寺の読みが外れていたら、ただの強盗ではないか。しかも恐ろしく凶悪な拳銃強盗だ。何もなければいい のに、いや何もなくてもそれはそれで困るけど、とつばめは動揺していたが、店内に入って間もなく一乗寺の読みが 正しかったと認識した。店内の照明が落とされていて、ぼんやりと光っているのは非常灯だけだ。退路を塞ぐように 階段の前には大量のカートが横付けされていて、通路にはスプレー缶や塗料の缶が転がっている。動いているのは 無人のエスカレーターだけで、ごんごんと鈍い唸りが静まり返った店舗に染み込んでいた。これがホラー映画などで あればゾンビや殺人鬼が襲い掛かってくるのだろうが、生憎、つばめの敵は別物だ。 一乗寺は暢気に鼻歌を零しながら、拳銃を片手に歩いていった。取り残されるのが嫌で、つばめは小走りになり 一乗寺の背に追い縋る。その広い背中に身を隠して進んでいくと、一乗寺は店の中程で急に立ち止まってつばめを 叩き伏せ、振り向き様に引き金を引いた。閃光と共に激しい炸裂音が轟き、タバコの煙より渋い火薬の匂いが鼻を 掠めていく。床に転んでしまったつばめが痛みを堪えながら顔を上げ、振り返ると、二階に展示されている作業着を 着たマネキンの頭部が抉れていた。ぴん、と金色の薬莢がチェンバーから飛び出し、転がる。 「てぇことは、つまりっ!」 一乗寺はまたもつばめを叩き伏せてから身を翻し、反対側に発砲した。金属部品が陳列されていた棚に弾丸が 貫通する寸前に何者かの影が引っ込み、陳列棚のスチール板が抉れるとネジやナットが飛び散った。銀色の雨が 滴る二階部分を注視しながら、一乗寺は肩を揺すっていた。笑っているのだ。 「うっひょー古典的! でもたまんねー!」 「先生ぇ……?」 一乗寺の言葉が薄ら寒く、つばめが臆すると、一乗寺は二つ目の薬莢を転がしながらにやける。 「相手は一人。てぇことはあの武蔵野っておっさんか、うんうん、いいねぇいいねぇ!」 「あ、あのぅ」 つばめが一乗寺の腕に手を掛けるか否かを迷っていると、一乗寺はつばめをぐりぐりと撫でた。 「コジロウがいなくても死ぬんじゃないぞー、傷も付くんじゃないぞー、そんなことになったら俺のトリガーハッピーな 人生が台無しもナシナシになっちゃうんだからなぁ」 「え?」 つばめが面食らうと、一乗寺はつばめを引き摺って遮蔽物に身を隠し、腰を落とす。 「俺が長光さんとつばめちゃんの護衛役兼諜報員に任命された理由は至って簡単、撃つのが大好きだからだ」 今度は驚く声すらも出せなかった。硬直しているつばめを横目に、一乗寺は浮かれ気味に言う。 「訓練でバンバン撃つのは楽しいけどそれだけ、相手が人間だと超楽しい、燃えるったらない。性格異常だとか情緒 不安定だとか倫理観の欠如だとか、まー色々と診断されはしたけど、上司の言うことをはいはい聞いて戦ってきた おかげで役に立っているって見なされて生かされてきたのさ。鉄砲玉ってやつ?」 んへへへへへ、と弛緩した笑みを漏らした一乗寺に、つばめは本能的な恐怖に苛まれた。俗に言う、近付いては いけない人種、というやつだ。相手が人間だからこそ撃つ、躊躇いも何も感じず、ただ楽しいから撃つ。確実に命を 奪えるであろう武器を握り締める理由がそれだけとなると、御大層な復讐心を並べ立てる殺人鬼の方が解りやすい というものだ。子供よりも単純な動機だからこそ、理解しがたい。 「さぁて、与太話はここまでだ」 一乗寺は頬を緩ませながらも遮蔽物となっている棚から腕を出し、おもむろに撃った。三発目だ。痺れを伴う余韻が 耳鳴りを呼び、つばめは奥歯を食い縛った。つい今し方まで食料品の買い出しをしていたはずなのに、一乗寺が 銃撃戦を始めてしまうだなんて考えもしなかった。だから、覚悟も出来ていなかった。雪崩とグレネード弾と狙われた 時は後から恐怖がやってきた挙げ句に逆上したおかげで怯えずに済んだが、今はストレートに怯えている。姿形の 見えない誰かが怖いのではない、すぐ傍にいる男が怖いからだ。 人とそうでないものを隔てている壁の中でも最も分厚いのは、思考の違いだとコジロウと接している間に痛感して いる。話が噛み合わない時、意味が通じない時、同じ言葉を使っているはずなのに理解し合えない時、やはり自分は 人間でコジロウはロボットなのだと思い知らされる。今、つばめが一乗寺に対して感じているものは、その感覚と 似通った感覚だった。だが、決定的に違うのは、安心感がないことだ。その代わりに不安感ばかりが湧いてきて、 渡された拳銃が脂汗がぬるついてきた。これではまるで戦争ではないか。 「なーに今更ビビっちゃってるわけ?」 一乗寺は口角を最大限に吊り上げ、牙のような八重歯を覗かせた。 「生きるか死ぬか、それが最高じゃん?」 そう言うや否や、一乗寺は陳列棚の影を駆け抜けていった。腰を落とした前傾姿勢だが重心がしっかりしていて、 足元はぶれていない。拳銃の位置も一定で、何かあればすぐに撃てる態勢だ。一乗寺の動きを察したからだろう、 二階にいる輩が撃ってきた。がぁん、と一乗寺の発砲音よりも重みのある発砲音が響き渡り、耳鳴りがひどくなる。 だが、どちらも無駄撃ちはしていない。相手の姿が見えた瞬間に発砲はするが深追いはせず、距離感を保ちながら 互いの位置を確認し合い、確実に殺せるタイミングを見計っている。さながら、威嚇の唸りを漏らしながら睨み合う 肉食獣の如く。銃声を聞きたくなくて両耳を塞いだつばめは、顎が砕けかねないほど奥歯を噛み締めた。 ここは本当に、現代日本なのだろうか。 12 4/1 |