スポーツ新聞の一面に、RECの文字が躍る。 レイガンドー、世界王座奪還、との真っ赤で仰々しい煽り文句の下では、レイガンドーの肩に腰掛けている美月が 満面の笑みでチャンピオンベルトを高々と掲げている。リングの四隅から放たれた金色のテープが鮮烈な照明を 浴びて流星のように輝き、王者とその主人を彩っていた。小倉貞利は頬を緩めながら、何度も記事を見返す。 細々と人型重機製造販売業を営んでいた小倉重機が、RECという名のロボットファイト興行団体を経営するように なって久しい。人型重機が一般に流通するようになってから、アンダーグラウンドな娯楽としてごく一部の人間だけ が楽しんでいたロボットファイトを大衆娯楽に発展させたいという考えは昔から抱いていた。だが、小倉重機の経営 を軌道に乗せるだけで精一杯で、格闘に特化した設計思想の人型重機の設計図も何枚も描いていたが、野望だけが 燻る一方だった。高校時代からの友人であり同業者である佐々木長孝から、天王山工場で夜な夜な繰り広げられて いる人型重機同士の違法賭博に興味はないか、と誘われた時は天啓だとすら思った。 今にして思えば、佐々木長孝は小倉ではなく、レイガンドーを表舞台に引き摺り出したかったのだろう。コジロウと 同じムジンの破片を得たことで驚異的な演算能力と確固たる人格を持つようになったレイガンドーは、ただの人型 重機として土木作業に準じているだけでは勿体なさすぎたからだ。そして、長孝がコジロウに続いて新たに造り上げた 人型重機であり、地下闘技場の覇者、岩龍も同様だった。 レイガンドーと岩龍は言うならば腹違いの兄弟機だ。どう足掻いても人間の価値観の枠組みからは逸脱出来ない がそれ故に安定感のあるレイガンドーと、人外であるが故に生まれる発想を惜しみなく詰め込まれた岩龍は、似て 非なるロボット同士だった。ムジンの使い方も全く違っていて、レイガンドーはあくまでも情報処理能力を高めるため にムジンを行使していたが、岩龍は反射速度と状況適応能力を引き上げられていて、その結果、小倉が頭を絞って 考え出した戦略や大技も次々に攻略されてしまった。RECはルールに則った格闘技だが、天王山工場での試合は 金と意地を掛けた殺し合いだった。小倉と長孝の代理戦争とも言える。あの頃、小倉もだが、長孝も随分と荒れて いたからだ。妻を失い、娘を奪われ、政府にニルヴァーニアンと遺産に関する情報を切り売りしながら日銭を稼いで いたのだから、いかに長孝であろうともストレスが溜まる。だから、岩龍で憂さ晴らしをしていたのだ。 「ねえお父さん、これ、新しい衣装なんだけど!」 そう言って駆け寄ってきた娘は、自慢げに両腕を広げてみせた。一見しただけでは、どこにでもありそうな高校 の制服だった。紺のブレザーにグリーンのチェックのスカート、クリーム色のベストの下にはブラウス、襟元には赤い リボンが下がっていた。スカートの裾にはアイドルじみたフリルが付いていて、ブレザーの胸ポケットに校章の代わり にRECのロゴが刺繍されているので、真っ当な制服ではなく、ステージ衣装として仕立てたもののようだった。美月は サイドテールに結んだ髪を靡かせながら、その場で一回転してみせる。 「来月から女子高生になるわけだし、制服着てリングに立たないと損ってもんでしょ!」 「いつのまに、そんな衣装を発注していたんだ」 小倉が半笑いになると、美月は腰に両手を当てて胸を張る。 「先月だよ。いつまでも作業着のままでリングに上がるわけにいかないし、進学したのは通信制の高校だからリアルに 制服を着られないから、せめて衣装だけでもって思ったんだよ。衣装の制作費は私の給料から出したから、その辺は 心配しないで。まー、会社の経費で落ちるなら落としてくれてもいいんだけど?」 「スカートの中身は見せるなよ。それと、経費で落ちるかどうかは考えてやるから、請求書を寄越してくれ」 「そう来なくちゃ。パンチラ対策は完璧だよ、だから安心して」 ほれスパッツ、と美月はスカートの裾を上げ、二分丈の黒いスパッツを見せた。いつのまにか肉付きが良くなって いて、伸縮性の高い黒い布地が貼り付いている太股は程良い筋肉の上に女性らしい脂肪が重なっていた。 「で、それは母さんに見せるために着たんだな?」 「もっちろん! 護にも見せてあげるの!」 美月はもう一回転してから、レイガンドーの専用トレーラーに向かって駆けていった。その後ろ姿を見送ってから、 小倉は読みかけのスポーツ新聞を折り畳んだ。高速道路のサービスエリアの駐車場の一角は、RECのトレーラー 部隊によって陣取られていて、他のドライバーが遠巻きに眺めて携帯電話などで写真を撮っていた。美月の新衣装 も撮られたかもしれないが、先月末の興行の最中に美月が中学校を卒業したことを報告したので、特に問題はない だろう。遠目から見ればどこにでもありそうな無難な制服なので、新衣装だとは思われないはずだ。 小倉が携帯電話を起動させると、待ち受け画面には生まれて間もない第二子の寝顔が収まっていた。息子の名 は護といい、三ヶ月前に生まれたばかりである。政府の療養施設で弐天逸流による洗脳を解かれ、緩やかな時間 を過ごしたおかげで、妻の直美の精神状態は元通りになった。それから、佐々木つばめを始めとした、遺産を巡る 争いの関係者が住まう集落に身を寄せることとなり、もちろん小倉と美月も一ヶ谷市に籍を移した。当初、直美は 人間離れした住人達に戸惑っていたものの、田舎暮らしに慣れていくに連れて明るくなっていき、吉岡りんねの母親 である吉岡文香と親しい間柄になった。RECの興行の合間に帰宅して妻と向き合ううちに夫婦仲も暖まっていき、 その結果、息子が生まれたというわけである。 順風満帆だ。 小倉家の住まう家は、集落から少し離れた場所にある。 他の皆と同じく、合掌造りの古い民家を安値で買い取り、直美の注文に合わせてリフォームした家である。外見 は古めかしいが、台所や風呂場だけは真新しく異様に綺麗で、敷居の段差もなくしてある。床板もワックスの効いた 新品に張り替えてあり、畳も同様だ。この家で最も長い時間を過ごすのは直美と護なのだから、その意見を最優先 するのが当然だ。敷地もやたらと広いので、畑を均した地面にレイガンドー専用トレーラーを駐車しても、まだ余裕が あるのだから田舎とは素晴らしいものである。 トレーラーを降りた小倉は運転席で凝り固まった体を解してから、一ヶ谷市内の小倉重機支社工場に向かわせた 社員と積み荷の様子を確かめるために電話を入れた。紆余曲折を経て一ヶ谷支社工場を一任されている佐々木 長孝が電話に出たので、ロボットファイターをトレーラーから降ろしたか、社員達の様子の変わりはないが、整備 作業はいつから始められるか、と問い掛けると、滞りもなければ問題もないと返ってきた。長孝を信用しないわけ ではないが、社長として現場を見ておかなければ気が済まないので、夕方には一度支社工場に行くと返した。 「たっだいまー!」 美月は盛大に引き戸を開けて玄関に駆け込むと、女子高生風の衣装に合わせたローファーを脱ぎ捨て、廊下を 駆けていった。小倉もそれに続いて自宅に入り、トレーラーから出てきたレイガンドーに振り返った。 「レイは庭から回れよ。駆動音は出来るだけセーブしておけ。でないと、また泣かれるぞ」 「そんなことを言われても、俺の静音装備を削ったのは社長の方だろう? 駆動音が大きい方が迫力が出る、 とかなんとか言って。どんなに大人しくしても、ギアの軋みとモーター音だけは押さえられないんだがなぁ」 ああやれやれ、と人間臭い仕草で関節を伸ばして肩を回しながら、レイガンドーは小倉家の敷地に入ってきた。 岩龍と武公は先日の試合で受けた損傷が思いの外大きく、修理が終わりきっていないので、支社工場にて修理を 行う必要がある。だから、今日は連れてこられなかったのである。 陽気は春めいているとはいえ、日陰には冬の気配が色濃く残っている。小倉は冷え切った廊下を歩いていくと、 居間から娘の歓声が聞こえてきた。半開きになっているふすまから居間を覗くと、美月は座布団に寝かされている 弟を覗き込み、可愛いなあ可愛いなあ、と褒めちぎっていた。その隣では、妊娠出産を経て以前より顔付きも体形も 丸くなった直美がにこにこしている。そして、メイド服姿のアンドロイド、設楽道子が控えていた。 「ただいま」 小倉が妻に声を掛けると、直美は笑い返してくれた。 「お帰りなさい」 「お帰りなさーい。留守の間、何事もありませんでしたよ」 道子は小倉に向き直り、一礼する。小倉は家族の傍に腰を下ろし、胡座を掻く。 「いつもすまんな、道子さん。俺達がいないばかりに、直美の傍に付いていてもらって」 「いえいえ、お気になさらず。寺坂さんと顔を合わせているだけじゃ飽きちゃいますし、護君、可愛いですから」 道子は手を横に振ってから、姉に撫でられている護を見下ろした。 「ちょっと前は、この座布団の三分の二ぐらいしか背丈がなかったんですけど、座布団からはみ出ちゃいそうな ほど大きくなりましたよー。赤ちゃんって本当に成長が早いですねぇ」 「お父さんに似てきたね、目の辺りとか」 美月が父親と幼い弟を見比べたので、小倉は娘の肩越しに息子を見下ろす。 「そうだな。お前の小さい頃ともそっくりだよ、美月」 「そうかなぁ」 訝しげな美月に、直美は頷く。 「そうよ、だって姉弟だもの」 「私の顔、覚えてくれるかなぁ」 弟の小さな手に指を握らせながら、美月が不安がったので、小倉は肩を竦める。 「それを言うなら、俺の方が覚えてもらえんだろうな」 「俺は?」 縁側から殊更不安げな声が掛かったので、皆が振り返ると、レイガンドーが腰を曲げて居間を覗き込んでいた。 突如現れた巨体のロボットを見、護は小さく丸い目を瞬かせていたが、泣きはしなかった。美月は弟を抱き上げて 首を支えてやりながら、レイガンドーに近付いた。 「ほうら、護、一番上のお兄ちゃんだよー」 「この前は俺を見ただけで泣いたが、今回は大丈夫そうでよかったよ」 レイガンドーは余程不安だったのか、声色が弱り気味だった。姉に抱かれた護は巨大な金属塊が物珍しいのか、 あうあうと言葉にすら至らない声を上げている。縁側に片膝を付いて大きな手を広げたレイガンドーに、美月は 体を寄せ、レイガンドーの角張った指先に脆弱な弟を寄り添わせてやった。 「可愛いよねぇ」 「ああ、可愛い」 レイガンドーは深く頷き、感じ入っていた。美月が離れるのを待ってから、レイガンドーは身を引くと、縁側の傍で 胡座を掻いた。そうしなければ、座高が高すぎて小倉家の面々と視界の高さが合わないからである。美月は座布団 の上にそっと弟を寝かせると、今回の興行でどんなことがあったのかを矢継ぎ早に話し始めた。直美は息子の様子 を気にしながら、娘の話に聞き入った。小倉も話すことがあったが、美月がほとんど話してしまったので、敢えて 口を挟まずに横から見ていることにした。レイガンドーは美月の話に相槌を打つだけで、率先して話題を振ることは しなかった。ロボットの領分を弁えているからだ。 そうこうしているうちに夕方になり、美月はつばめとりんねに新しい衣装を見せに行くついでにお土産を持っていく と言ってレイガンドーを連れて出掛けていった。道子も浄法寺に戻っていったので、必然的に小倉と直美、そして護 が残った。一度寝入ったがすぐに目を覚ました護はぐずったが、直美が母乳を与えてやると大人しくなり、うとうと し始めた。座布団から居間の隅のベビーベッドに移された護は、程なくして熟睡した。 「護は良い子よ。夜泣きはするけど、美月の時ほどじゃないから」 直美はベビーベッドに手を入れ、息子の小さく丸い腹に薄い掛布を掛けてやった。 「あなたと美月がちゃんと帰ってきてくれて、本当に嬉しい」 「帰ってくるさ、俺の家なんだから」 小倉が妻の肩に手を回すと、直美は小倉の手に自身の手を重ねる。 「あなたって、随分と変わった。前なら、絶対にそんなことは言わなかったし、言ってくれなかった。いつでも仕事の ことしか考えていなくて、私のことなんか気にしてもくれなかった。若い頃は、あなたのそういうところが格好良いって 思っていたけど、美月が生まれてからもそれだけは変わらなかった。今でも忘れたりしないわ、私の実家に美月を 見せに行った帰り道に、部品の買い付けに行ったことは。美月の名前を一緒に考えようって言ったのに、結局私が 全部決めたことも。私が貧血で起き上がれなかった時に、何もしてくれなかったことも」 「すまなかった」 「いいのよ。もう、過ぎたことだから」 直美は夫の皮膚の厚い手の甲に爪を立てながら、目を伏せる。 「先輩がどうして私と結婚してくれたのか、解らなくなったのは一度や二度じゃなかったの。高校の時は接点なんて ほとんどなかったし、東京で再会した時だってそう。先輩の周りで同じ年頃の人が結婚していたから、ってだけで、 私に結婚してくれって言ったんでしょう? 確かに私は先輩のことがずっと気になっていたし、言い寄ったのは私の 方ではあったけど、もう少しだけでもまともな理由が欲しかった。……好きになって、ほしかった」 夫の肩に頭を預け、直美は語気を高ぶらせる。 「ずっとずっと、そう思っていたの。思っていたけど、そんなことを言うと我が侭だなぁって思われるから、言えなくて、 言えない分が溜まっていって、溜まりすぎて、どうしたらいいのか解らなくなった。誰かに話せばよかったんだけど、 そういうことを言える相手がいなかったから、余計に溜まっていった。だから、弐天逸流に話を聞いてもらったの。 でも、それが一番の間違いだったの。ごめんなさい、本当に」 肩を震わせて俯いた妻を、小倉は抱き寄せた。 「いいんだ。もう、過ぎたことなんだ」 「そうね。そうよ、そうなのよね」 直美は何度も深呼吸してから、目元を拭い、夫を見上げた。 「だから、この話はこれでお終い。でないと、美月と護を困らせちゃうから」 身を翻した直美は、息子を背にして夫に向き直る。 「美月の話は一杯聞いたから、今度は先輩の話を聞かせて。私も話すことが沢山あるから」 「その……言いにくいんだが、どうしてまた先輩呼ばわりなんだ」 「あら」 「無意識だったのか?」 ばつが悪そうな直美に小倉が苦笑すると、直美は拗ねた。 「だって、それ以外の呼び方が思い付かないし。色々と考えてみるんだけど、いざ呼ぼうとしても恥ずかしくなって、 結局はまた先輩って呼んじゃうし、だから……」 「解った解った」 「解ってない、全然解ってない!」 不満げに唇を尖らせる直美の表情は若い頃と変わらず、それがなんだか可笑しかった。だが、ここで笑ってしまう と直美の神経を逆撫でしてしまうので、小倉は表情を押さえ、反論もせずに直美に喋らせてやった。喋るだけ喋る と直美は満足してくれるからだ。立ちっぱなしでは何なので向かい合って座ってから、小倉は直美の取り留めのない 話を聞いてやった。それだけでも、充分な感情の捌け口になるからだ。 政府の療養施設で直美が治療を受けている間、小倉は医師から懇切丁寧に直美との接し方を教えられた。直美 は子供の頃から兄と比べられて育ってきたため、自分は誰からも蔑ろにされるものだと信じ込んでいるが、一方で 誰かに認められたいという欲求が人一倍強かった。その自尊心の高低差を弐天逸流に付け込まれ、支配された。 だから、直美は小倉と結婚してからも気後れしていて、本音を曝すことが出来ずにいた。素直になっていいのだと、 夫と娘に甘えていいのだと開き直るまでに時間は掛かったが、開き直ってくれたおかげで、これまで以上に直美を 知ることが出来るようになった。それまでは自分の意見を言わずに付き従うだけだった直美が、小倉に対して自分 の意見を言ってくれるようになったからだ。 直美が人間もどきにならなくて、本当に良かった。弐天逸流の信者の中では立場はかなり下だったため、直美は 人間もどきの存在すら知らなかったからだ。もしも、直美が弐天逸流に全てを捧げてしまっていたら、直美と同じ顔を した偽物に愛想良く笑顔を振りまかれていたかもしれない。それは、考えただけでも総毛立つほどおぞましい。 「……なあに?」 居たたまれなくなった小倉が直美を抱き寄せると、直美は照れながらも不思議がった。 「なんでもない。なんでもないんだ」 これといった理由もなく、結婚するわけがない。高校時代から、小倉貞利は美作直美が好きだった。ロボット工学 に熱中する一方で、二つ年下の下級生である直美に目が向いていたが、その頃は異性に興味を持つことがやたら と気恥ずかしくて表に出せなかった。高校卒業後に都内の機械工学専門学校に進学した後、二年遅れて上京した 直美の動向をそれとなく地元の友人から聞き出すも、行動には移せなかった。直美の方から近付いてきてくれて、 親しくなっても、どうしても自分から好意を示せなかった。好きだと言えなかった。無謀にも小倉重機を起業し、結婚 してからも、文句も言わずに付き従ってくれる直美が誇らしい一方で、優しくする方法が解らなかった。 だから、何度となく擦れ違った。行き違った。思い違いもした。だが、もう大丈夫だ。愛すべき妻の温もりを全身で 味わいながら、小倉は胸中から迫り上がる様々な感情で呻いた。それを直美に訝られたが、なんでもない、と小倉 は薄っぺらい意地を張ってやり過ごした。そしてようやく、積年の思いを込めた言葉を口にした。 愛している、と言えた。 13 4/29 |