「俺の名前は?」 「にょーべでぇ」 「んじゃ、ここは?」 「しゃんでゅあう゛ぉるちてぇ」 「サンダーボルトとシティを区切って言えるようにしないとなぁ。んで、今の状態は?」 「えいどりゅ」 「そうそう、偶像。んで、ヴィジョンに映っているのは誰だ?」 「じゅ」 「そっちじゃなくて、私って言ってくれよ。そう教えたはずだろ?」 「にょん」 「じゃ、今度はちゃんと口を開けて喋る練習をだな」 「にょん、にょーんっ」 「んだよ、もう飽きたのかよ。参ったなぁ、もう」 俺だって飽きたけどさぁ、と半笑いになりながら、銀色のロボットは肩を竦めてみせた。同じ言葉を何度も何度も 言わされてしまえば、誰だってうんざりする。プレタポルテは頬を丸く膨らませて最大限に拗ねると、彼に背を向けて 寝転がった。なんか持ってきてやるから機嫌直してくれよ、と言いつつ、銀色のロボット、ノーバディはケーブルの束を 引き摺りながら円形の寝床から出ていった。その度に部屋のあちこちにケーブルを引っ掛けてはつんのめっている ので、かなり不便そうだし、彼は汚い悪態を吐いているのだから、外してしまえばいいと思うのだが。 プレタポルテは円形の寝床の傍にある置物を裏返し、そこにノーバディが付けた傷跡を数えた。短い縦線を四本 引いた上に横線を一本書き加えたものが五、それが六つあるので、今日で三十日目を向かえた。プレタポルテは ノーバディと接する間に、幼いながらも自分が置かれた状況を理解しつつあった。 デッドストックとプライスレスに連れられてクイーンビーが支配する色街に行き、クイーンビーと会ったデッドストック はプレタポルテを代金として何かを手に入れた。だが、それと時を同じくして、イカヅチの部下であるヴィジランテの 一団が色街を襲撃してヴィジランテに下るようにと扇動し、その時にプレタポルテはノーバディによって誘拐されて しまったのだ。プライスレスの荷物まで盗んだ理由までは未だに解らないが、誰が敵で誰が味方なのかは少しずつ 解るようになってきた。地下世界にも、誰一人として自分の味方はいないのだと。 だが、そんなことで泣き暮らせるほど、プレタポルテも軟弱ではなかった。デッドストックに対して特別な思い入れ はあるが、彼が善人でないことぐらいは当の昔に知っている。プレタポルテの目の前で何人も殺し、奪い、色街まで やってきたのだから。それに、彼は度々言っていた。プレタポルテは餌だと、悪人共を誘き寄せるためのものだと。 けれど、なぜか彼を嫌いになれなかった。むしろ、餌という立場を弁えてさえいれば身を挺して守ってくれるので、 淡い好意すら抱いている。それは、父親に対する憧憬に等しいものだった。 部屋の半球状の壁に投影されているヴィジョンの映像の中では、イカヅチの雷撃が闇を貫いて弾けては、人々 を驚嘆させていた。イカヅチの雷撃が落ちると、同じ動作をする人々が増えていく。ぞろぞろと連なって都市にやって きた人間達は、揃って半球状の大きな建物に吸い込まれていき、そして数時間後に吐き出されてくるのだが、入る 前はばらけていた並び方も、出てきた後は整然としている。どの列もずれはなく、見事に真っ直ぐになる。 そんな人々は、塔を取り囲んでいる瓦礫の山に向かっていく。彼らはイカヅチに与えられた道具や重機を使って、 アッパーの排泄物を崩しているのだ。アリの大群が巨大な獲物を噛み千切って解体する光景に酷似している。 時間を追うごとに塔の下方が露出し始めていたが、根本が見えるのはまだまだ先だろう。彼らは仕事の合間に、 プレタポルテが大写しになったヴィジョンを見つめては平伏している。意味が解らなかった。 「あれはつまりアレだよ、えーとなんだっけ」 ノーバディは食べ物と水差しを載せた盆を持ってくると、プレタポルテの背後に置いた。 「そうそう、アレ。クイーンビーとその部下のジガバチのシステムを利用してあるんだよ」 「ぷるきゅわ?」 「ジガバチはな、生身の人間に外部記憶容量が入った外骨格を接続することによって機能を大幅に拡張すると同時 に意識のネットワークを形成して、隙のない連携と忠誠心を得るんだ。つっても、その昆虫型外骨格を製造出来る のはクイーンビーだけなんだ。あいつは元々、惑星探査用に開発された強化生物の生体プラントの一部だったん だけど、地下世界の環境に適応して一人前に自我も持つようになって、ああなったんだよ」 「け、けしゅく?」 最初から最後まで意味不明だ。プレタポルテが首が落ちそうなほど捻ると、ノーバディは首を元に戻させる。 「つまり……まあ、なんだ。ジガバチってのは遺伝子改造された昆虫の一種だけど、いかんせんハシゴ状神経系の 脳なしなもんだから、脳みそを付けてやらなきゃ役に立たない。外骨格を金属になるような遺伝子情報は、大昔に 海底火山付近に生息していた巻き貝を元にして作ったもんだが、命令を聞かないんじゃ意味がない。というわけで、 ジガバチの腹の中に人工知能を入れようってことになったけど、ジガバチの体に合わなかった。じゃあどうするんだ ってことで出されたアイディアが、人間の脳みそをジガバチの脳みそにしちまおうっていう悪魔の囁きだったんだ。 しかも、それが成功しちまったのよ。相性があるらしくて、人間でも若い女じゃなきゃ拒絶反応が起きるんだそうだ。 だから、クイーンビーは本能的に女を掻き集めていたんだろうな。あいつも、今は立派な生き物だからな」 「……にゅううう」 プレタポルテは唇を歪め、眉根を寄せた。聞いているだけで、頭が痛くなりそうだったからだ。 「妖精ちゃんも俺も似たようなもんさ。つか、地下世界に順応している生き物は、全部そうだと言ってもいい」 ほれ飲め、とノーバディがコップに入れた水を差し出してきたのでプレタポルテはそれを口にした。ひんやりとした 喉越しのいい水を飲み干すと、少しだけ気分が落ち着いた。ノーバディは胡座を掻き、頬杖を付く。 「俺としてはこのままでも面白可笑しくていいんだけどなぁ。能力者同士の小競り合いにしてもさ」 「こみゃん?」 「でも、上の連中はそうもいかねぇらしいんだよな。だから、俺が送り込まれちまったってわけ」 そろそろ潮時かもなぁ、と呟き、ノーバディはぱちんと金属製の指を弾いた。すると、部屋の上空を飛び交っている 複数のメダマが素直に近付いてきた。ノーバディはそのメダマを掴むと、凹凸のない顔に軽くぶつけた。さながら、 親しい相手にキスをするような仕草だった。プレタポルテがきょとんとしていると、メダマは機能停止したのか銀色 の手中から転げ落ちた。続いて、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、とメダマが動かなくなっていく。 メダマの隙間からは、透き通った棘が生えていた。氷のように見えるが、冷たくはない。プレタポルテが興味津々 で見つめていると、不意に胴体を抱えられて持ち上げられ、ノーバディの肩に載せられた。 デッドストックの肩よりも、座り心地が悪かった。 卵の数だけ、ジガバチが産まれていた。 薄い膜の中で孵化した幼虫はハニートラップら成虫達に肉片と蜜を与えられ、厳ついさなぎとなり、そして金属製 の外骨格を得て成虫となった。クイーンビーは産み、喰い、更に産んでは喰い、毎日産卵を行っていた。その甲斐 あって、この短期間でジガバチの数は百を超えるほど膨れ上がっていた。このままでは、ジガバチの重みで廃ビル が倒れてしまいかねないほどである。虫の繁殖力とは、全く恐ろしいものだ。 色街の土台である巨大すぎる肉塊は、進行方向の瓦礫や街を平らげながら、進み続けていた。一定間隔で降る 落雷を浴びては痙攣し、筋肉を振るわせて前進する。当初は、デッドストックらが潜んでいる廃ビルよりかなり後方 に位置していたのだが、一ヶ月も過ぎれば追い越されてしまって、今では肉塊の後ろ姿が見えるようになっていた。 イカヅチに制御されているジガバチの群れは付かず離れずだが、イカヅチの都市まではまだ大分距離があるので、 付け入る隙はある。デッドストックは砂埃を多量に含む風を孕んだトレンチコートの襟を立て、目を細める。 「ジガバチと同じ数だけ、女は調達出来たんだな」 「そりゃもちろん。イカヅチの野郎が何をしようとしているのかは解らねぇけど、どいつもこいつも街を捨ててイカヅチ の都市に向かっていくから、女を掴まえるのなんて簡単だったしな」 「足は切ったのか」 「足を切断すると後の処理が面倒臭いし、弱っちいのだと血が出すぎて死んじまうから、足の筋を切っただけにして おいた。その方が、事が終わって娼婦に鞍替えさせる時も楽だしな。逃げ出せないから。んで、どいつもこいつも クイーンビーの出す毒でラリっているから、痛いとも怖いとも言わねぇからマジで楽すぎ。喰い物だって、女共を 攫うついでに殺した屑共の肉と、その辺の鉄骨を喰わせておけばいいだけだしな」 襲撃する準備が出来上がりつつあることをプライスレスは饒舌に語る。ジガバチは頑丈な金属製の外骨格を作る ために、その材料となる金属を捕食する必要があると知ったのは、ジガバチが成長する様を目の当たりにした時 である。それまでは、ジガバチはノーバディのような機械の類だと思い込んでいたのだが、クイーンビーの胎内から ひり出された卵から孵化していく、れっきとした生き物だった。だから、肉を喰えば水を飲み、金属を囓って外骨格 を成していく。地下世界の生態系は、異常であることが正常なのだ。 「ジガバチの調教は済んでいるのか」 「完璧だ。皆の意識は、私と繋がっている」 そう答えたのは、額に赤い印が付いたジガバチ、ハニートラップだ。彼女が触角を片方立てると、廃ビルの窓から 数匹のジガバチが這い出してきてかちかちと顎を打ち鳴らす。ハニートラップが羽を開くと、彼女達も全く同じ動き で開き、閉じ、首を上げ下げした。それを見てプライスレスは複雑な心境に陥ったのか、呻いた。 それもそうだろう。厳密に言えば、クイーンビーが産み落とした若いジガバチ達はプライスレスの娘なのだから、 何らかの感情を抱いても不思議はない。プライスレスは廃ビルの中で蠢く虫の様子を気にしていたが、ガスマスク を押さえて盛大にため息を吐きながら背中を折り曲げていった。外に漏れない程度の音量でぶつぶつと独り言を 漏らしていたが、まあいいや、どうせ死ぬし、と言い捨てた。どうやら、割り切ったらしい。 「襲撃の手筈は解っているな」 ハニートラップに念を押され、デッドストックは頷く。 「土台の前にある吸気口に行き、外気を腐らせ、土台を窒息させて停止させる」 「そこにジガバチの群れで突っ込んで、どいつもこいつも皆殺し。んで、イカヅチの支配下にあるジガバチとクソ婆ァの ジガバチを入れ替えさせて、そのままイカヅチの懐に潜り込むってことでいいんだよな? 俺の仕事はなさそう」 それはそれで暇だけどさぁ、とプライスレスは新たに作った荷物を担ぎ直した。以前担いでいたリュックサックより 一回りは小さいが、何もないよりはマシだからだ。デッドストックらがジガバチの中に詰め込むために襲った女達 の荷物を奪ったもので、中身も大したことはないが、背中が軽いと落ち着かないのだと少年はしきりに話していた。 その中には、プライスレスが暇に任せて作った水の濾過装置も入っている。 水の濾過装置の仕組み自体は、デッドストックが作っていたものと大差はない。瓶の中に砂利と砂を重ねて布を 張るのだが、プライスレスの濾過装置は砂利の中に細切れにした土台の肉片を混ぜるのだ。すると、肉片が汚れや 毒を吸い込んでくれるので、極めて純度の高い水が出来上がるのだそうだ。それがプライスレスの荷物に入っていた 分不相応な透き通った水の正体だった。土台の肉片が手に入るということは、クイーンビーの色街と何らかの繋がり があったのだろうが、デッドストックは問い詰めようとは思わなかった。どうでもいいからだ。 「けど、それだけじゃ決定打に欠ける気がしてならねぇんだよなぁー」 プライスレスはガスマスクの奥で眉根を寄せ、腕を組む。 「つか、ジガバチを俺達の側に引き摺り込むのはいいんだけど、その後は? イカヅチがハニーティーと同じ仕組み でジガバチを操っているとしたら、部下がおかしくなったことにイカヅチが気付かないわけがねぇって。気付いたら 最後、元鞘に戻ったジガバチごと俺達を焼き殺しに来るぜ、間違いなく。そうすると、ストッキーがメタンガスを発生 させる前に頓挫しちまうって。もっとこう、相手を滅茶苦茶に混乱させられたらいいんだけど」 「しかし、毒を盛れるような隙は見当たらなかったぞ。イカヅチに奪われたジガバチも、それ以外のヴィジランテ共も 土台の上で水も食料も調達していたから、水場に毒を投げ込むという安直な手段も使えない。第一、ヴィジランテを 混乱させるにしても、どうやって混乱させるんだ。毒を作っているだけの暇も時間も、クイーンビーの体力もないん だぞ。それもこれも、お前が際限なくクイーンビーに受精させるからだ」 ハニートラップに咎められ、プライスレスは声を潰す。 「うぇええ、思い出させるなよ。つか、俺から搾り取ったのはお前らの方だろ? 責任転嫁すんじゃねぇよ」 「ハニートラップ。女なら、誰でもジガバチの中に入れられるんだな?」 ならば、あの女でも構わないはずだ。そう思い、デッドストックは言った。 「お前達の報告によれば、土台の上には刃物女のジャクリーンがいたはずだが」 「あれをジガバチの中に入れろというのか? あいつは私達でも触れるのが困難なんだぞ、無茶を言うな」 がちんと顎を打ち鳴らしたハニートラップを、デッドストックはラバーマスクの下から睨み付ける。 「狂気は最大の毒だ」 「それは一理あるが……。だが、言い出したからには、お前がその仕事をやってくれ。私達は土台の襲撃と奪還と 同時に、女王を守るという大命題があるからだ」 「造作もないことだ」 デッドストックは肉塊を望み、ラバーマスクの下で口角を曲げた。ドーム状の倉庫でジャクリーン・ザ・リッパーと やり合った時は、プレタポルテが傍にいたせいで思うように立ち回れなかった。だが、今は違う。鎖こそ武器として 左腕に巻き付けているが、厄介な人造妖精にはまとわりつかれない。だから、勝機などいくらでもある。 ヴィジョン受像機から投影されている人造妖精の笑顔が、ちらついた。 13 7/29 |