DEAD STOCK




11.Take Over



 狂気は感染する。
 毒よりも濃く、刃よりも深く、魂を濁らせる。デッドストックは柔らかく腐りきって液状化した汚物の上に浮かんで、 大の字になりながら、四角く区切られた空を仰ぎ見ていた。ジガバチの群れの動きが、目に見えておかしくなって いた。誰も彼も混乱していて、あらぬ方向に飛んでいったり、同士討ちをしたり、仲間を殺したり、とデタラメだった。と いうことは、半死半生のジャクリーンはジガバチに適合したという証拠だろう。性根の腐った女だったが、女としての 価値は一応は備えていたらしい。もっとも、それを向ける相手は元より存在していなかったのだが。
 ごぶぅ、と背中の下で大きな気泡が膨れて爆ぜ、汚物の飛沫が散った。生き物である以上は止められない呼吸と 捕食のどちらも阻害されているからだろう、色街の土台だった肉塊の反応が変わってきていた。四角く縦長だった 穴がぐにゃりと曲がっていて、内側からは濁った液体が滲み出している。消化液かもしれないが、デッドストックの 体には滴ってきても腐ってしまうので何の意味もなかった。数度目の気泡が膨れ、脈動の後、デッドストックの背中 が平たく分厚いものに押し上げられた。そのまま穴の外に押し出されると、汚物の噴水が上がった。

「うひゃははははははははははっ、ストッキーってばゲロ以下かよ!」

 唐突に馬鹿笑いを浴びせかけてきたのは、他でもないプライスレスだった。デッドストックは振り向き様に汚物を 放り投げると、ジガバチの上に跨って笑い転げていたプライスレスのガスマスクに激突し、爆ぜた。うげぇええっ、と の情けない悲鳴が聞こえてきたが、それを無視してデッドストックは自分の衣服を捜しに行った。
 トレンチコートとラバースーツは瓦礫の隙間に挟まっていて、千切れた様子もなかった。ブーツとショルダーバッグ も程なくして見つかったが、体全体が汚れすぎているので着るわけにもいかず、体を洗い流す水など見当たらず、 デッドストックは裸身のまま手近な瓦礫に腰掛けた。無防備極まる素肌の尻に、コンクリートの角が痛い。

「御苦労様ぁん」

 甘ったるい声と共に、ジガバチの群れが近付いてきた。我が子であり兵隊でもあるジガバチの群れを玉座代わり にしている、クイーンビーだった。彼女はデッドストックの裸体を見て身を引き、おぞましい臭気の渦に耐えかねて 触角を曲げたが、表情は取り繕っていた。女王の意地だろう。

「土台の動きも止まったしぃ、ジャクリーン・ザ・リッパーを使って制御を失わせたジガバチの群れはイカヅチに狙いを 定めるようにって命令したからぁ、これであなた達は用済みよぉ。御礼に殺さないでおいてあげるからぁ、さっさと 失せなさぁい。でないとぉ、今度こそ殺しちゃうからぁ」

「んだよ、ケチ臭ぇクソ婆ァだな! これだけ働いたのに、それだけかよ! 俺のを散々搾り取ったくせに!」

 プライスレスはガスマスクから汚物を拭ってから怒鳴るが、彼を背に乗せていたジガバチが傾き、少年は小石の ように転げ落ちた。背中から上手く落ちてリュックサックに衝撃を吸収させたが、立ち上がるまでには間があった。 プライスレスは更に言い返そうとしたが、ジガバチが少年をぐるりと取り囲んで毒針を突き付けたので、プライスレス は渋々両手を上向けて降伏の姿勢を示した。それでいいのよぉ、とクイーンビーは満足げに頷く。

「それじゃあ、娼婦にする子達をイカヅチから奪い取ってくるわぁ。んふふふふふふふぅ」

 私の王国はまだまだ終わらないのよぉっ、と高らかに宣言したクイーンビーは、大きく仰け反って上両足を広げ、 美しさと共に力強さを鼓舞した。それに呼応してジガバチ達がかちかちと顎を打ち鳴らして、女王の再興を祝った。 クイーンビーの腰掛けになっていないジガバチは、今し方まで仲間扱いしていた二人に複眼を向けると、威圧的に 飛び回り始めた。その悪びれない態度に、デッドストックは一つため息を零してから、ラバースーツでトレンチコート とショルダーバッグとブーツをまとめ、担いだ。

「行くぞ」

「えぇっ、行くってフルチンで行くの!? ストッキー、それだけはさすがの俺でもドン引きなんだけど!」

「黙れ。そいつらとヤりまくりたいのなら、二度と誘いは掛けないが」

 デッドストックが睨め付けると、プライスレスは僅かに迷ったようだったが、リュックサックを担いで駆け出した。

「どうせヤるなら普通の女がいい!」

 だが、徒歩で歩いていては土台の外に出るまでにかなりの時間を有するので、業を煮やしたクイーンビーが部下 を何匹か送り出してきた。その中には、あのハニートラップも含まれていたが、彼女達はデッドストックらをぞんざい に抱えて無造作に運んでいった。短時間の飛行の後、土台の外に出た途端に地面に放り出された。デッドストック は素足で着地した瞬間に釘か何かを踏み抜いたが、即座に腐ってしまった。プライスレスはバランス感覚が優れて いるのだろう、今度もちゃんと背中から落ちた。が、それでも痛いのか、ひどく咳き込んだ。

「二度と我らの前に姿を現すな。ヴィラン共めが」

 ハニートラップは二人の前に降下してくると、がちがちがちがち、と荒々しく顎を鳴らして威嚇する。

「言われなくたって。つか、お前らのところに女なんて頼まれたって買いに行かねぇからな!」

 プライスレスはリュックサックを担ぎ直しながら毒突くが、ハニートラップはデッドストックを見据えてきた。

「こいつはどうにも働きバチワーカーホリックとしては役に立たない。だから、お前が処分しておけ」

「言われずとも」

「お前らにどうにかされなくたって、俺が死ぬ場所はこの俺が決めるに決まってんだろ」

 プライスレスはやけに斜に構えた姿勢を取り、ハニートラップに中指を立てる。

「俺は極めて貴重プライスレスなんだよ。その素晴らしすぎる価値を解っているのは、俺以外にいねぇんだよ」

無価値プライスレスの間違いだろうが」

 行くぞ、とデッドストックは再度プライスレスを急かし、ハニートラップとジガバチ達に背を向けた。プライスレスは 貧弱な語彙を駆使してハニートラップを罵倒してから、デッドストックの後を追ってきた。ダメ押しにもう一度中指を 立ててみせてから、プライスレスは肩からずり落ちそうになるリュックサックの肩紐を引っ張って直した。以前のもの も重たそうだったが、今回も相当な重量らしく、時折後ろによろめいていた。

「何を盗んできた」

「ストッキーが必要なモノだよ。あの女の胴体。穴はあるけどカチンコチンだから中に突っ込めねぇし、胸もあんまり でかくねぇからズリネタにするにもイマイチだし、クッソ重いけどさ。運び賃くれよ、あ嘘嘘嘘嘘ウソ、マジ冗談だし、 だからそのゲロまみれの拳を向けるの止めてくれる? ガスマスク越しでも戻しそうなぐらい臭いし」

「そうか」

「えぇー、褒めてくれねぇの? うわぁ期待外れ」

 大袈裟に落胆したプライスレスに、デッドストックは汚物から生じたメタンガスを振り払ってから返す。

「リザレクションの手足の在処は見当が付いているのか」

「さあ?」

「お前がそう答える時は、知っているが教えたくないという場合だ」

「えっ、なんで解るの」

「お互い、長い付き合いだからな」

「うっわー、何それ。ちょっと嬉しいけどマジ複雑なんだけど、うへはははははははっ、うわ何それ、やだもうちょっと 照れるんだけど。うひょほほほほほほほほほほ」

 奇声を上げて笑うプライスレスに、デッドストックが再度左手の拳を掲げると、プライスレスは咳払いした。

「んー、まあ、知らなくもねぇかな。でも、そいつを教えるには対価を支払ってもらわねぇとなぁ」

「俺は文無しだ。リザレクションの胴体を買ったからだ」

「大丈夫だっての、金じゃねぇから。あっ、貞操でもねぇし! 俺、掘られるより掘る方が趣味に合うけど、ストッキー のケツに突っ込むのは色々と無理だから! 出す前に腐っちまうし!」

「黙れ。今度こそ殴るぞ、素手でだ」

「あー悪ぃ、ここんとこ、まともに喋ってなかったから口が回って回って……」

 ちょっと恥じらったプライスレスは、乾いた泥が付着した短いブロンドを掻き乱した。

「俺さぁ、昔に人買いに盗まれてタトゥーを焼かれたって話をしただろ? んで、その人買いってのがさぁ、ヤクザな野郎 だったんだよ。俺を掴まえてタトゥーを焼いた後に、何をしてくれたと思う? 教育だよキョーイク。教えて育てる って書く、アレ。馬鹿じゃねぇのってガキの頃も思ったけど、今でもそう思う。だってさぁ、そいつ、俺にアッパー言語 なんて教えてきやがるんだから。おかげでアッパー言語の本が読めるようになったし、そのついでにアッパーの間で 使われている崩れまくったフランス語も解るようになったけど、それでメシが食えるかよ、喰えねぇだろ? だから、 俺はそいつの記憶と知識を“寄越して”もらったのさ。本人には、記憶があったこともそれを俺に盗まれたことも綺麗 に忘れて“くれよ”って頼んだんだけどな」

 プライスレスは少し自慢げに笑い、こめかみを小突く。

「そいつが攫ったのは、何も俺だけじゃない。他にも屑共がわんさと捕まって、閉じ込められていたんだが、そいつの 大のお気に入りは誰だと思う? そう、我らがクソッ垂れなスーパーヒーロー、クリスタライズだよ」

「そこでお前はクリスタライズと知り合ったのか」

「んだよぉ、それも感付いていたわけぇ?」

「お前が愛称で呼ぶのは、限られた相手だけだからな。俺はその中に入りたくはないんだが」

「えぇー、そこはもっと喜んでくれよぉストッキー! 俺に認められた数少ない友人であることを! うおぉうわぁおっ、 掠った、ちょっと掠った! ストッキーのゲロパンチが! マジで殺す気かよぉ!」

「俺は常に本気だ」

「……じゃ、うん。本題に入るから、ごめん。悪かったって。で、まあ、その人買いのところで俺とクリスは色々あって 色々やって今に至るんだけど、クリスはストッキー以上にやりたい放題だったんだ。リザレクションを買いに行って、 固めたのも、遊びの一つだったんだと思う。リザレクションは人買いも欲しがっていたから、クリスは本当はあの女 を手に入れなきゃいけないはずだったんだけど、固まらせてぶっ壊してきただけだった。へらへら笑いながら女の 手足をぶら下げて帰ってきたのを見た時は、さすがの俺でも笑えなかったぜ。で、人買いはさすがにキレて、クリス をぶっ飛ばして、脳みそと体を別々にしたんだ。それでも死ななかったのは、リザレクションの手足の欠片を二つに 分かれたクリスの中にぶち込んであるからなんだよ」

「手足はどこにあると聞いているんだ」

「前提が解らないと本題に入っても意味が解らないだろ? もうちょっとの辛抱だって。で、体だけのクリスは人買い の野郎が塔に突っ込んで天上世界に送り込んで、脳なしの逆サイボーグとしてヒーローごっこの真っ最中。理想的 で模範的なヒーローになるに決まっているよな、脳みそがないんだから。で、ストッキー以上にイカレているクリスの 脳みそはな、人買いの野郎が天上世界から持ってきた機械の中にぶち込まれたのさ。あのドーム型の倉庫に電源 とバッテリーを外した状態で放り込まれているから、まあ、害はねぇんだけど」

「それは人型の機械か? 胸にNOBODYと刻んである、あのロボットなのか?」

「なんだ、知っていたんならそうと言ってくれよ。説明するだけ、手間が増えちまったじゃねぇか」

「あいつは動いていた」

「え、あ、うぇええええー? それこそ嘘だろ、なんだよらしくもねぇなぁ!」

 プライスレスは仰け反ってみせるが、声は笑っていなかった。

「じゃ、何か? クリスは、今、元気だってことか? ヤベェよ、ガチヤベェってそれ」

「プライスレス。話は少し戻るが、お前は人買いからどういった記憶と知識を奪ったんだ」

「え、あ……。これまでの話の端々で察しが付くだろうけど、人買いはアッパーだったんだ。言っちまえば、アッパー の軍人だよ。地下世界に廃棄物に紛れて潜り込んで、天上世界の利益になるけど無茶苦茶な実験とか、訓練とかを するためにダウナーを痛め付けに来ていたんだ。ついでに能力者の研究と調査もな。でも、俺も他の連中もそう いうことをする奴らが嫌いだから、いっそのことダウナーになって泥水啜って死体を喰えばいいって思ってダウナー になるように、そいつがそいつであるために必要な記憶を全部奪ったんだ。知識もだ。でも、そいつはアッパー共に 脳みそをかなりいじくられていたみたいで、能力があったんだ。で、それが暴走して」

 今に至る、とプライスレスが顎で示したのは、イカヅチの支配する都市だった。

「記憶がなくなっても、才能までは奪えねぇし、本能とか衝動とか感情とかもそうだ。だから、人買いのクソアッパー の屑軍人は、俺が建前やら地位やらを剥ぎ取っちまったせいで剥き出しになったんだ。名前までは奪ってねぇから、 あいつは今も昔もイカヅチ。クソッ垂れイカヅチなんだよ」

「そうか」

「感想、それだけ? 俺、すんげーヤベェことを話したんだけど」

「そこまで知っているお前を、クリスタライズとイカヅチの両人が泳がせている理由は?」

「本人に会えばいいんじゃねぇの? せっかく近くまで来たんだしさぁ」

 きっと教えてくれるって、と肩を竦めたプライスレスの背後で巨大な壁がそそり立った。イカヅチの都市をすっぽり と覆い隠し、塔も隠し、空を塞ぐ蓋さえも隠すほどの壁は斜めに傾いていった。逆さまにされたために至る所から、 瓦礫が雨のように降りしきり、クイーンビーの部下のジガバチ達と、イカヅチの配下のジガバチ達の群れは異変に 気付いて逃走を図るが、壁が大きすぎるために逃げる間もなく潰されていき、そして足元が浮き上がるほどの猛烈 な衝撃と吹き飛ばされかねないほどの暴風が訪れた。地に伏した壁は、色街の土台であり、天上世界と地下世界 を塞ぐ壁の欠片である肉塊だった。
 これでは、色街の再建を図ろうとしていたクイーンビーとその部下達は全滅しただろう。逃げおおせたジガバチも いるにはいるが、ジャクリーンの狂気を注がれたために異変にも気付かずに見えない男を求め続けていた。この 光景には覚えがある。スマックダウンとの戦いで、彼の部下であったヴィランが能力を発揮した時だ。あらゆるものを ひっくり返す能力を持っているのは、確かターンオーバーではなかったか。
 となれば、戦況も逆転させられたとみていいだろう。デッドストックは砂嵐の如く立ち込める粉塵と、ようやく緩んだ 暴風をやり過ごしながら、目を凝らしてイカヅチの都市を注視した。茶色掛かった煙の中で弧を描いたのは、一羽の 紙製の鳥だった。ビルの屋上にて、手を差し伸べてそれを受け止めた男は、もう一方の手に鳥を従えていた。
 鋼鉄の鳥、戦闘機だった。





 


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