DEAD STOCK




12.Climb Up



 サンダーボルト・シティは、天上世界に通じる塔を円形に囲んでいる。
 塔の根本を覆っているアッパー達の廃棄物を除去して加工したものを利用し、都史の中の建物を短期間のうち に倍増させたため、以前よりも直径は更に広がり、今では直径三十キロを超えている。クイーンビーの色街の土台 を切り刻んで都市の周囲に配置し、電気刺激と共に都市の生ゴミを与えて更に直径を広げようと考えていたのだが、 クイーンビーとその子であるジガバチ達から思いも寄らない反撃を受けたばかりか、色街の土台の価値を知らない ヴィランが色街の土台を損傷させてしまったため、計画はいくらか練り直した方が良さそうである。
 もっとも、下準備は出来上がっているので、あまり時間は掛からないだろうが。人造妖精の脆弱な肉体に意識を 宿したイカヅチは、自動的に動く階段に乗って降りていき、十数年振りに自室に入った。掃除用にと掻き集めていた ロボットが忠実に働いてくれていたおかげだろう、塵一つ落ちていなかった。磨き上げられた床に整然と並ぶ家具に 本棚に詰まった書籍やディスク、予備のサイボーグボディ、多種多様な機械、その他諸々。

「体に合わんな」

 ウォークインクローゼットに入ったイカヅチは、アッパー時代に着ていた軍服やシャツを引っ張り出して体に当てて みるが、どれもこれも裾と袖が長すぎた。かといって、今から子供用の服を調達するのは手間が掛かるし、何よりも イカヅチのプライドが許さなかった。仕方ないので、アイロンが掛かりすぎていて生地が強張っているシャツを着て、 袖を半分以上捲ってからピンで留めた。ベルトで腰を締めようとしたが、ベルトの穴が遠すぎて意味がなかったの で、太めの紐を探して腰に巻き付け、帯の代わりにした。下着はイカヅチが人造妖精に与えたものをそのまま着て いればいいし、靴も同様だ。背中の偽物の羽が出っ張って邪魔なので、階級章が付いた軍服を肩に掛けてボタン を胸元で止めると、マントのようになって羽を押さえ付けてくれた。当然ながら、裾は引き摺るのだが。

「やあ」

 ふらりとイカヅチの自室に入ってきたのは、ハエ人間のマゴットだった。

「なんだ、結局はその子に落ち着いたのか。クリスというか、ノーバディの脳を乗っ取るのだとばかり」

「あいつの脳は絶縁体だらけでな、入り込んだとしても長くは保たんのだよ」

 イカヅチは今まで通りの口調で喋ったが、予想以上に高い声が出て面食らった。

「で、どうするのさ」

 マゴットは幅広いデスクに向かう椅子に昇ろうと苦労している、人造妖精のイカヅチをひょいと持ち上げると、椅子に 座らせてやった。大柄なサイボーグに合わせたサイズの部屋なので、人造妖精の肉体では勝手が悪すぎるから である。イカヅチはばつが悪そうに唇を曲げたが、身を乗り出してコンピューターの電源を入れ、ホログラフィーの モニターとキーボードが出てくると短い指を懸命に動かし、何項目ものパスワードを入力していった。

「都市内の電圧は安定しているようだな。私が設計した通りだ」

「発電って、要するに磁石を付けたタービンを回せば出来ることだからね。海から流れ込んでくる石油まみれの海水 を塔の中の濾過装置が吸入する時の運動エネルギーのお零れをもらえるように、下水道と地下鉄の路線の中に バイパスを作ってタービンを仕込んでおいただけなのに、イカヅチの電力と同等かそれ以上のエネルギーが作れる だなんてお手軽すぎだよね。天上世界が水を吸い出す時に使う動力は地球の遠心力だから、それっぽっちを僕達 が掠め取ったところでアッパーに感付かれるはずもないしね」

 立体映像の中に浮かび上がった発電量を示すグラフを見、マゴットは上両足を上向ける。

「だが、反重力装置をフル稼働させるためには、電圧が足りん。だから、色街の肉塊を奪う予定だったのだが」

 イカヅチが軽く手を振ると、部屋の隅で待機していた給仕ロボットが起動し、水を注いだコップを運んできた。少女 の小さな手に大きなコップが渡されたが、イカヅチはそれまでの肉体と同じ腕力で受け取ったものだと思い込んだ らしく、指に力を入れなかった。当然、澄んだ水を並々と注がれたコップは傾き、床に吸い込まれた。
 コップが砕け散った音と水飛沫が足に散った感触で、イカヅチは我に返った。サイボーグボディの頃は、指に力を 入れすぎると何もかも握り潰してしまうので加減していたが、人造妖精の場合では逆なのだと今更ながら理解した。 なので、もう一度給仕ロボットに合図して水を持ってこさせると、今度は両手で受け取って少しずつ飲んだ。

「マゴット。ヴィラン共を煽ったのか?」

 唇の端を拭ってから、イカヅチはマゴットを見据えてきた。が、外見が外見なので威圧感はない。

「ほんのちょっとだけだけど、いい具合にその気になってくれたでしょ? おかげで数が大幅に減ったから、片付ける のが随分と楽になったはずだよ。バードストライクは賢いと思っていたけど、やっぱり単純なヴィランだったよ。物語を たっぷり読ませて、下克上の何たるかを教えてやったんだけど、その通りに行動してくれたよ。もっとも、それも僕らの 計算のうちなんだけどね。ふふふ」

 マゴットが楽しげに笑うと、イカヅチは渋面を作る。

「あのヴィラン共にもそれなりに使い道はあったんだが、まあいい。穴埋めする方法はいくらでもある」

「あと、ちょっとした問題があるんだけど」

「なんだ」

「ジャクリーンがやられて、ジガバチの中に入れられちゃって、それでジガバチの群れがジャクリーンと同じように イカレちゃって手が付けられなくなっちゃったんだよ」

「ジガバチの通信ネットワークは既に掌握済みだ、その周波数を通じて停止信号を送ればいい。位置情報さえ取得 出来れば、私が雷撃して落としてしまえばいい。あれは今まで充分役に立った、丁重に処分してやろう」

「それなんだけどさぁ」

 マゴットは気まずげに顎を爪で擦りながら、外の景色を映している立体映像に複眼を向けた。色街の土台だった 肉塊が裏返され、横たわっている地点に黒い煙が上がっていた。粉塵か、或いは火災による煙なのかとイカヅチ は目を凝らしてみたが、人造妖精の視力が悪いのでよく見えなかった。なので、手元のモニターに外の映像を転送 させて拡大してみると、黒い煙は粒が寄せ集まって出来ていた。更にその粒を拡大し、凝視すると、黒い粒の後方 にオレンジ色の筋と針が付いていた。つまり、これはジガバチの群れだ。

「あの土台を動かすために、雷撃を何度も何度も落としたでしょ? たぶん、それで土台の中に埋め込まれていた 卵の成長が促進されちゃったんじゃないかと思うんだ。僕としては」

「ああ、そうかもしれんな」

 集音装置でも音が拾いきれないほどの羽音が起きているからだろう、スピーカーからは雑音しか聞こえてこない。 ジガバチは手当たり次第にメダマを破壊し、都市の建物も蹂躙し、ヴィジランテである住民達も無差別に襲っては 殺害している。そのために映像は次々に途切れていき、せっかく掻き集めた住民達が死体となり、ジガバチはその 肉を貪っている。一人、十人、百人、と食い散らかされていく。不規則に居住しているダウナーを見つけ出しては、 ヴィジョンを用いて思想誘導してヴィジランテに傾倒させ、サンダーボルト・シティに招き入れるために、どれだけの 手間と労力を費やしたと思っているのだ。それを、ジャクリーンの狂気に駆られたジガバチの群れが台無しにして いく。怒りや苛立ちよりも空しさが先に立ち、イカヅチは眉間を押さえた。

「仕方ない。ダウナー共の意識と脳を連結させて演算装置を作る予定だったが、それにジガバチを利用すること にする。連中はただの虫であって知性は亡きに等しいが、神経系統は発達しているから、それを用いれば理論上 は問題ないはずだ。マゴット、至急、連結システムの調整を」

「そう言われるだろうと思って、大体いじっておいたよ。あと、必要なのは電圧と、思想誘導の強化だね」

「あの女はどうなった」

「良い感じにくっついたから、持って行けるよ。んじゃ、イカヅチも頑張ってね」

 マゴットはイカヅチに上右足を振ったので、イカヅチは椅子から降りてメダマを保管してあるスタジオに向かおうと したが、椅子から上手く降りられなかった。腰を浮かそうとすると椅子の足が滑り、デスクを手掛かりにしようとする が逆方向に動いてしまい、離れてしまった。見るに見かねたマゴットが下ろしてくれたが、それがまた気恥ずかしく、 イカヅチは足早に自室を後にした。が、歩幅が狭いので、思うように前に進めなかった。
 何もかも、じれったい体だ。




 つまらないことで悩んでいる間に、またも事態は急変していた。
 色街の土台が、突如爆発した。イカヅチのジガバチの群れとクイーンビーの配下のジガバチが入り乱れ、そこに ヴィランが割り込んで殺し合っていたところ、裏返しにされた巨大すぎる肉塊が膨れ上がって、爆ぜた。その中から 飛び出したのは、無数の卵だった。その卵が激突して死んだ者も多数出たが、卵もそれと同じ数だけ壊れた。が、 肉塊の中に宿っていた卵は外気に触れた途端に孵化し、脱皮し、羽化して新たなジガバチと化した。クイーンビー がもしもの時のために溜め込んでおいたものではないだろうか、とプライスレスは推論を述べたが、それが事実で あるかどうかは定かではない。ただ一つはっきりしているのは、命の危機が増したということだけだ。
 逃げて逃げて逃げ切って、瓦礫の隙間に身を潜めた。デッドストックは久々に息が上がり、ラバーマスクの内側 に二酸化炭素と熱気が籠もってしまい、ラバーマスクを少し広げて外気を入れた。ガスマスクをしているので呼吸 が常に妨げられているプライスレスは酸欠寸前で、体を折り曲げ、ぜいぜいと荒い呼吸を繰り返しているが、そんな 状態になろうともガスマスクを外そうとはしなかった。変な意地があるらしい。

「んだよぉっ、あれ! なんで、このタイミングで孵化しちゃうのさ! 何も今じゃなくていいだろ! 俺らが妖精ちゃん のところに行けないだろ! 空気読めよ!」

 理不尽な展開に憤ったプライスレスが怒鳴るが、デッドストックはその頭を押さえ付けた。

「黙れ」

「けどさぁ!」

「お前はあれに真正面から突っ込む気か」

 デッドストックはラバーマスクの下からボトルをねじ込み、水を少しだけ飲んで喉を潤す。

「……そだね。地下から行こう、その方が簡単だ」

 いくらか冷静さを取り戻したのか、プライスレスは大人しくなった。だが、地下から都市に潜り込もうにも、下水道の 出入り口がどこにあるのかは知らない。穴を探せるほどの余裕もなければ隙もなく、どうにもならないので体力回復 のために再びその場に座り込み、数百人の悲鳴を一塊にして数十倍に増幅したかのようなジガバチの猛烈な羽音 を背に受けるしかなかった。それからしばらく、無益で怠惰な時間が流れた。
 ジガバチの羽音と誰かの悲鳴と倒壊する建物の音と振動と、泥のように重たい疲労が眠気を誘った。そのために 感覚が少々鈍ってしまい、異変に気付くまでに間があった。足元で積み重なった瓦礫がごとごとと揺れ、少しずつ 盛り上がっていき、砂埃と小石にまみれた円形の蓋が弾け飛んだ。何事かと振り向くと、硝煙臭い煙を漂わせる穴 から、一人の男がのっそりと這い出してきた。大量のレンズを首からぶら下げてゴーグルを被った男、ピープホール だった。彼は一拍置いてからデッドストックとプライスレスに気付くと、わあと叫んで飛び退いた。

「な、な、なっ!?」

「全力でリアクションしてぇけど余力がねぇや、そっちで勝手に頼む」

 プライスレスがひらひらと手を振ると、ピープホールは擦り切れた布のマスクを付け直し、身を引く。

「バードストライクの兄貴には言わないでほしいんですけどね、ええ、後生ですからさぁ」

「言わねぇよ、面倒臭ぇ。んで、あのカオスな前線からトンズラしてきたのか?」

 プライスレスがやる気なく戦場を示すと、ピープホールはぎこちなく頷く。

「ええ、まあ、そんなところでさぁな。まだまだ死にたくねぇですからねぇ」

「どうやって逃げてきた」

 デッドストックが問うと、ぎひぃ、とピープホールは濁った悲鳴を上げた。

「うおうボス殺しの! うぎぇあ臭い、下水とゲロとクソを混ぜたようなものが! うぼぇっげはうごぉっ」

 慌てて覆面を剥いで体を折り曲げ、思い切り嘔吐するピープホールに、デッドストックはいくらか苛立ちを覚えた。 よく我慢出来やすねぇ、とピープホールが若干声を落としてプライスレスに言うと、プライスレスは首を竦めた。

「慣れちゃったから」

 そのやり取りもまた癪に障ったが、普段であれば気にも留めないことだと思い直して深く息を吸い、吐いた。あの 人造妖精はそこまでひどい反応はしなかった、だからそれはお前が神経質なだけだ、と文句を言いかけたが、なぜ そこで人造妖精を引き合いに出さなければならないのか。別にプライスレスでも構わないではないか。確かにあれ を回収するまでは気が気ではないが、そこまで意識するほどのものではない。はずなのだが。

「答えろ」

 妙な考えを振り払ってからデッドストックが左手の手袋を外そうとすると、ピープホールは両手を上げる。

「いやいや、それだけは御勘弁を! 言いますから、教えますから、なんでも! なんだったらイカヅチの弱点でも なんでも教えますから、腐って死ぬのだけは嫌でさぁな!」

「あいつに弱点なんかあったっけ?」

 胡散臭すぎるからなかったことにしよう、とプライスレスはおもむろにリュックサックからスコップを取り出そうとした が、デッドストックは少年を制した。それが苦し紛れの嘘だったとしても、聞くだけ無駄ではないはずだ。プライスレス はデッドストックらしからぬ行動に困惑し、ピープホールは脱力して崩れ落ち、デッドストックは必要最低限の単語で ピープホールを問い詰めた。何度となく言葉に詰まりながらも、男は話し始めた。
 抜け穴は、思わぬところにあるものである。





 


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