DEAD STOCK




12.Climb Up



 ピープホールから聞き出した情報を元に行動に出ようと腰を上げた矢先、異変が起きた。
 黒い煙となって手当たり次第に襲い掛かっていたジガバチの群れが、ぴたりと動きを止めた。それまで凄まじい 音量だった羽音が止まり、外骨格が擦れる音すら止まり、久し振りに風の流れる音が聞こえてきた。止まったのは ジガバチだけではなく、ヴィラン達も同様だった。皆、息を詰め、目を丸め、イカヅチの都市に向き直っている。都市 の至る所でヴィジョンの立体映像が投影されていることには代わりはなかったが、その映像が天上世界の裕福さを 全面に押し出したものではなく、ヴィジランテの偶像である人造妖精に切り替わっていた。だが、その容貌にあまり 似付かわしくない、厳めしい軍服を肩に掛けて大きすぎる軍帽を被っていた。表情からも幼さは拭い去られ、眼差し には威厳すら湛えている。

『諸君!』

 舌っ足らずなフランス語ではなくダウナーの言葉で、人造妖精は宣言した。

『私はヴィジランテの指導者、イカヅチだ』

 平べったい胸に手を当ててから、群衆へその手を差し伸べる。

『訳あって、私は古い体から人造妖精の体に意識を宿すこととなった。だが、私の能力は衰えることもなければ、 電圧が下がることもなく、皆に対する情熱も冷めはしない。そして幸運にも、人造妖精に憑依した際に、背中の羽 に封じられていた情報を読み取ることが出来た。それは、アッパーの住まう天上世界へと向かう術だ!』

 誰も彼もがざわつきもせずに、人造妖精を見つめている。求めている。望んでいる。

『長年、我々はアッパーに虐げられてきた。だが、それも今日までのこと。反旗を翻し、アッパーを地下世界へと 叩き込んでくれよう! そして我らが天上世界に至り、支配するのだ!』

 何を言うかと思えば、世迷い言だ。デッドストックは腹の底が煮えるような苛立ちに駆られ、人造妖精に背を向けて 胡座を掻いた。プライスレスも変な声を出しながら座り込み、ああやだやだ、と首を振る。ピープホールも二人に 倣って人造妖精に背を向け、こぢんまりと座った。

『だが、我らは無敵ではない。力も無限ではない。傷付けば血が流れ、肉が削げれば骨が覗き、臓物が飛び散るのが この世の摂理。しかし、私の傍らには、その摂理を歪曲する者が控えている』

 今度は何を言い出すのだ。デッドストックは面食らって振り返ると、笑顔の人造妖精の背後に見覚えのある女 の立体映像が重なった。やたらと綺麗な恰好をさせられているが、間違いない、リザレクションである。

『そう! 我らが女神であり救世主、リザレクションだ!』

 わあああああおぉおおおうぉおお、と群衆が一際沸き立つ。だが、人造妖精に寄り添っているリザレクションには 厚みが感じられず、取って付けたような笑顔を浮かべているだけだった。作り物だろうか、だがあの女はああいう 雰囲気だった、とデッドストックが動揺していると、横目に見ていたプライスレスが不平を漏らした。

「つか、あの首は俺のものなのに、勝手に使うじゃねぇよ。クソイカヅチが」

「首?」

 人々の咆哮に紛れかねなかった少年の言葉を耳聡く聞き付けたデッドストックが呟くと、少年はぎくりと首を竦め、 取り繕うような笑い声を漏らした。が、誤魔化せるはずもないとすぐに覚悟を決めたのか、白状した。

「うん、リズの首。俺が持っていたんだけど、それごと盗まれたんだよ。誰にとは言えないというかだけどさ」

「そうか」

「あれ、ストッキー、怒らないの? 殴らないの? うわぁ珍しいなぁ」

「お前が担いでいる荷物の中身を調べなかった俺の馬鹿さ加減に呆れているだけだ。どこで手に入れた」

「ふふ、言えると思うのぉ? いくら俺とストッキーの仲でも、言えないことの一つや二つぅげほぉあっ!?」

 おもむろに少年の腹に膝をめり込ませてから、デッドストックは大きく肩を上下させた。どこで手に入れたかどうか は、この際どうでもいい。リザレクションの首を持っていたことを隠し通していたプライスレスに感付けなかった自分 の情けなさに、どうしようもなく苛立ったからだ。その首さえ守り通せていれば、事態は変わったはずだ。
 勝利は我らのものだ、と人造妖精の白々しい言葉の後に、立体映像がちらついた。本能的に嫌なものを感じた デッドストックはすぐさま目を逸らしたが、肩越しに光の端々が目に入ってきたので、ラバーマスクを引き下げた。 それに倣い、プライスレスと能力故に目がいいピープホールも体を丸めて布を被り、光を遮断した。
 光、映像、光、またも映像、映像、映像、記号、点滅点滅点滅点滅、とヴィジョンの立体映像が荒れ狂う。三人は その中身を目にすることはなかったが、直視していればイカヅチとマゴットがアッパーの技術を駆使して作り上げた サブリミナルを脳にねじ込まれていたことだろう。それでなくても、暗闇で日常を過ごすダウナーは光に対する耐性 が弱く、強い光を繰り返し見せられると、ひどい頭痛に苦しむか、酩酊状態に陥ってしまう。その酩酊状態を求めるが 故にヴィジョンに没頭し、アッパーから受ける情報を鵜呑みにする輩も少なくはない。その間、軽い振動と騒音が 瓦礫を通じて骨に響いてきたが、戦闘の余韻か何かだろうとやり過ごした。
 光の乱舞が終わるまで、どれほどの時間が過ぎただろう。せいぜい十数分間だろうが、数時間のように思えた。 デッドストックはラバーマスクの位置を直し、目の部分に空けた隙間から外界を窺い、光量が落ち着いていることを 確認してから二人を小突いた。瓦礫から体を出し、イカヅチの都市を目にした時には、全てが終わっていた。

「なんだ、これは」

「んだよぉストッキー、そのつまんねぇリアクションはぁ」

 続いて這い出してきたプライスレスは、デッドストックの隣に並んだが、絶句した。

「え、ぇっ?」

「おぉっ、おうわぁ……」

 最後に顔を出したピープホールは、ゴーグルの奥の小さい目を限界まで見開き、戦慄した。何が起きたのか理解 するまで、しばらく時間が掛かってしまった。デッドストックは一度深呼吸し、メタンガスと腐臭の混じる酸素を肺の中 に詰め込んで脳に酸素を回してから、二酸化炭素を丁重に吐き出し、改めて状況を確認した。
 見渡す限りの地平線に、大穴が開いていた。中心になっているのは、アッパーの文明の象徴であり壁を支える柱 の一つでもある、塔である。大穴の中に残されているのはそれだけで、後はうんざりするほどの瓦礫と土と汚泥と 死体と、それらの下から垣間見える下水道や地下鉄の穴がある程度だ。今し方までイカヅチの都市があったはずの 場所が、円形に切り取られた上に引っこ抜かれたかのようだ。ピープホールに寄れば、サンダーボルト・シティと いう名のイカヅチの都市は直径三十キロを超える規模なので、地面も加えればそれ相応の重量が発生するので おいそれと移動出来るようなものではない。破壊されたのであれば、その痕跡があるだろうが、周囲を見渡してみて も都市一つ分の瓦礫が増えているようには思えなかった。となれば、サンダーボルト・シティはほんの短時間で一体 どこへ消えてしまったのだ。デッドストックが困惑していると、プライスレスが顔を上げ、声を潰した。

「嘘ぉん」

「ん」

 少年に従って目線を上げてみると、天上世界に通じる唯一の道に円形の蓋が付いていた。帆船のマストロープに 付いているネズミ返しのようだが、完全な円形で、円形の上部から漏れる光がいびつな輪郭を縁取っていた。底は 凹凸だらけで、時折、細かなものが落ちてくる。落下物を目で追っていくと、近付くに連れて徐々に大きくなり、最後 には地面の大穴に激突して派手なクレーターを作った。距離がありすぎるせいで、遠近感が狂っているようだ。

「えっと、これってもしかして、アレじゃないですかねぇ。バードストライクの兄貴がぶん投げていた、鉄の鳥」

 粉塵に覆われている落下物を凝視していたピープホールが、半笑いになりながら落下物を示した。粉塵が穴の底 に滑り込んできた暴風に拭い去られると、ノーズは蛇腹を折り畳んだかのように潰れていたが、両翼は辛うじて原型 を止めている、錆だらけの戦闘機が現れた。ということは、つまり、あの円形の蓋の上にバードストライクがいるという ことであり、それ以外のヴィランやヴィジランテやジガバチや色街の生き残り達も、連れて行かれたということだ。 あの巨大な肉塊も見当たらないので、それ以外の結論は思い浮かばない。そして、人造妖精も同様だ。

「どおすんだよぉっ、ストッキー! 塔を昇れってのか!? つか、塔ってなんなんだよ!? なんであんなデカブツ を上に引っ張っていけるんだよ!? てか、それもこれも全部イカヅチの仕業なのかよ!? だとしても、あいつは 何がしてぇんだよ!? それに妖精ちゃんが必要なの、リズも必要なの、他の連中も必要なの、それって意味が 解んねぇよ、全部いらねぇだろうが! 邪魔だろうが!」

 錯乱したのか、プライスレスは詰め寄りながら怒鳴り散らしてきたので、デッドストックは少年を制する。

「黙れ。あれは軌道エレベーターだ。だから、イカヅチは本来の用途で塔を利用しただけだろう」

「へ?」

「えっ?」

「なんだ」

 二人が揃って驚いたのでデッドストックが不思議がると、プライスレスは首を捻った。

「その……軌道エレベーターってなんだよ? いや、単語の意味は解るぞ、一応な。軌道、ってのはものが動いた時 の道筋だろ? んで、エレベーターってのはワイヤーで吊った箱をモーターで上下に動かす乗り物。だけど、それと これとは全く別物だろ? トンチンカンな単語の組み合わせだなぁー。ストッキーも変なことを言うなぁ」

「いや全く、プライスレスの言う通りでさぁな。造語ですかい」

「なんだ。知らないのか」

「てか、なんでストッキーは塔がエレベーターだって思うんだよ? 根拠はなんだよ?」

 からかい混じりに問うてきたプライスレスに、デッドストックは言い返そうとしたが、言葉を飲み込んだ。明確な理由は 解らないが、知っているから知っているのだ。アッパーの技術によって壁が作られ、地球全土が天上世界と地下 世界に隔てられ、かつて世界各地に建設された軌道エレベーターが壁を支える柱として機能していることは既知の 事実ではないか。誰から教えられるまでもなく、皆、把握していることではないのか。デッドストックはプライスレスの方が 変だと言いかけたが、口を噤んでしばらく考え込んだ。そして、ある事実に行き着いた。

「プライスレス。お前の記憶の中にも、お前が掠め取ったイカヅチの記憶の中にも、軌道エレベーターに関する情報は ないんだな? そう言いきれるんだな?」

「お、おう。なんだよ急に、真面目腐っちゃって」

「だったら、イカヅチは天上世界には昇れない。だから、俺達はいずれ追いつける」

 昇るぞ、とデッドストックが事も無げに言うと、プライスレスは額を押さえて頭を反らした。

「おいおいおいおーいー、勘弁してくれよぉーストッキー。昇るっつっても、何百メートルあると思ってんだぁよぉー」

「大気圏までの直線距離は約五百キロだ。歩き通せば、五日足らずで上に辿り着ける」

「そりゃ平べったくて障害物もなくて無休で高低差がゼロの場合だろぉが! 上に昇るとなると訳が違うんだ、おい 聞いてんのかストッキー、クソッ垂れストッキー、デッドストック、腐れヴィラン、馬鹿の中の馬鹿、妖精中毒! なあ おい、聞いてんだったら止まってくれよ、お願いだから! だぁあーもうっ、解った解った、付き合ってやるよ、本当に もう仕方ねぇなぁストッキーって! ここまで来たら、最後まで行くしかねぇもんな! 引っ込み付かねー!」

 文句や何やらを一息に捲し立てたプライスレスは小走りに駆けてくると、穴の底に降りようとするデッドストックの後 を追ってきた。ピープホールはデッドストックのあまりの無謀さに臆したのか、じゃあ俺はこれで、と言うや否や全力で 逃げ出していった。だが、それを咎めはしなかった。利用価値が見当たらなかったからだ。
 傾斜のきつい斜面を慎重に下り、何度も立ち止まりながらも進み、歩き、穴の中心と天上世界を繋ぐ塔に至ったのは 歩き出してから数日後のことだった。初めて間近に見た塔は恐ろしく巨大で、高く、天上世界に至ろうと昇っていった蓋 は遙か彼方にあった。煮え滾る衝動に駆られ、デッドストックは進み続けた。
 それもこれも、私物を取り戻すためだ。





 


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