DEAD STOCK




13.Pay Back



 瓦礫を掘り、思い付く限りの手段で穴を穿ち、塔の中に入った。
 メタンガスを詰めた簡易爆弾を見つけた瓶や容器の数だけ作り、発破を繰り返していった末、塔の中へと通じる 整備用ハッチが歪んだのは十日後のことだった。整備用ハッチを見つけるまでにもかなりの時間を有していたが、 遙か彼方の頭上に見える円形のサンダーボルト・シティは微動だにしていないので、デッドストックとプライスレスに 焦りはなかった。ハッチはやたらと分厚く、こじ開けるためにもまた苦労したが、僅かな隙間に鉄骨を押し込んで、 梃子の原理を用いたおかげで大人一人が通れる空間が出来上がった。
 塔の中は、外界よりも暗かった。一寸先は闇、とは正にこのことだとデッドストックは痛感しながら、プライスレス の手から手回し式発電機と一体型のLEDライトを奪い取って、辺りを照らした。円柱である塔の内側も当然ながら 円形だが、中心に一本の太い線が伸びていた。それを見上げながら目を凝らしてみるが、大気圏を突破しているので 恐ろしく長く、終わりが見えなかった。仰ぎすぎてよろけたが、デッドストックは踏み止まった。

「あれ、昇るの?」

 やだよ俺は、とプライスレスは太い線を嫌そうに見やった。デッドストックも同感だった。

「昇れると思うのか?」

「物理的に無理だよなー。つか、俺達ってパワー系の能力者じゃねぇし、空も飛べねぇし、こういう時に利用出来る 能力じゃないからいざって時に融通が利かねぇんだよなーもおー。どうする? 帰る?」

「どこへだ」

「だよねぇ」

「軌道エレベーターといっても、これは内部でエレベーターのゴンドラを上下させているタイプじゃない」

 デッドストックは自分で自分が言っている意味が今一つ理解出来なかったが、軌道エレベーターの構造が頭の中に 入っているのだと明確に自覚した。そうでもなければ、正確に整備用ハッチの場所が解るわけがない。

「エレベーターのゴンドラを単純にワイヤーで吊れば、地球から生じるコリオリ力によってゴンドラの発進地点と到着 地点が大幅にズレてしまい、そのズレが軌道エレベーター本体にも及び、重大な損傷を引き起こす可能性がある。 よって、この第五世代の軌道エレベーターはヒッグス粒子を操作して質量を変化させ、その物質の質量自体を軽減 させて物質に掛かる重力を変動させた状態でコリオリ力を利用し、輸送する物質を、大量に、かつ短時間で大気圏外 に持ち上げる装置だ。そうでもなければ、イカヅチの都市が持ち上がるわけがないだろう」

「ストッキー、頭でも打った?」

「この線というか紐は、コリオリ力を反重力装置で持ち上げた物体に与えるための装置であって、言わばフーコーの 振り子とでも言うべき代物だ。だから、ワイヤーのようだが実際はカーボンファイバーで出来ているんだ。その中に グラスファイバーも何百本も仕込んであるから、地上と大気圏外の有線通信にも用いられるはずだが、経年劣化 でさすがに断線しているだろう。使えたとしても、使う当てがないが」

「なあ、ストッキーってば」

「カーボンファイバーの定期点検のためにモノレールが何機か用意されているはずだが、それが動くとは思えない。 だから、その車両を動かすための走路を見つけて昇るしかない。歩くぞ」

「なーおい、ストッキー」

「なんだ」

 記憶から溢れ出してくる情報を元に歩き出したデッドストックは、素っ気なく応じると、プライスレスは大股に歩いて デッドストックの前に回り込んできた。

「だから、どうしちゃったんだよ。さっきから、訳の解らねぇことをべらべら喋るなんてらしくねぇぞ! どうでもいいことを 大袈裟に次から次へと捲し立てて会話の隙間を埋めるのは、俺の仕事だろ?」

「考えて言っているわけじゃない、勝手に口から出てくるだけだ」

「ゲロ?」

「違う」

 その発想の短絡さに呆れつつも、デッドストックは少し落ち着きを取り戻した。訳の解らないことを言う自分に対し、 多少なりとも畏怖を感じていたからだ。けれど、プライスレスがいつもの調子で茶化してくれたおかげで、口から 出る言葉は止まってくれた。向かうべき方向と手段が解り切っているのは楽だが、その情報を無条件に信用する のはあまりにも軽率だ。その情報源が、たとえ自分自身だとしてもだ。世の中、一番信用出来ないのは、自分自身 だからである。デッドストックは弱い光源を元に歩き、障害物を乗り越え、モノレールの始点に至った。
 自分の言った通りのモノが、暗闇の奥にひっそりと佇んでいた。デッドストックはラバースーツの下の背筋に悪寒 が走り、思わず身震いした。塔の内側に螺旋を描いているレールから外れた車両が横倒しになっていて、中身の 機械類は砂埃が積もっていて冷え切っていた。試しに、プライスレスが割れた窓から中に潜り込んで手当たり次第 に機械を叩いてみたが、何も起きなかった。

「……マジだ」

 うぇえキモッ、と声を潰したプライスレスは肩を竦め、恐る恐るデッドストックを窺ってきた。

「ストッキーってさ、もしかしてアレだったりするの?」

「アレとはなんだ」

「メタ的な何か」

「メタ?」

「俺はさ、クソイカヅチのおかげで知識だけはあるじゃん? だから、アッパー言語の文章も読めるし、映画も理解 出来るし、漫画だって読み方が解るわけよ、他の連中と違って。んで、そういうのを延々と見ていると、たまにある んだよ。それを見ている、俺の方に話し掛けてくる奴が」

「どれもこれも絵空事だろうが」

「そう、そうなんだよ! でも、あいつらは俺のことを知っているって言うんだよ! こっち側を見て、話し掛けてくる ような奴もいるんだよ! すっげぇキモいだろ! でも面白いんだよ! だから、俺もたまーに思っちゃうんだよ、 俺達もそうなんじゃないかって! だってそうだろ、ブッ飛びすぎなんだよ、何もかもが!」

「だが、これは全て現実だ」

「そりゃ、俺達にとっちゃな。でも、アッパー共にとっちゃそうじゃないだろ? 俺達はあくまでもヴィジョンの中にいる キャラクターであって役者であって、人間じゃないんだよ。だからさ、思っちゃうんだよ。俺達の人生の結末ぐらいは どうにか出来ないかなぁって。メタ的な何かの力でさ。でも、それこそ絵空事なんだよなぁ」

 プライスレスはぼやきながらも、横倒しの車両を足掛かりにしてレールに昇った。デッドストックもそれに続こうと したが、右手を失っているので上手くいかず、何度か失敗を経てようやくレールに昇った。改めて進行方向にLED ライトを向けると、緩やかだが長い坂が伸びていた。大気圏外までの直線距離はおよそ五百キロだが、塔の内側に 沿って配置されたレールを辿るとなると、その何倍もの距離になる。所要時間と労力と、代わり映えのしない景色の 中を延々と歩く行程を考えただけでうんざりしたが、進まなければ何も始まらない。
 ここまで来たら後戻りするだけ面倒臭い、と腹を括り、デッドストックとプライスレスはレールの内側を歩き出した。 レールに付いている傾斜は一定で、緩やかではあるが長時間歩くとなると厳しいものだった。一周、二周、三周と 歩いても地面との距離はあまり変わっておらず、空しさに駆られたが、振り切るしかなかった。半日も歩くと両足が 腫れぼったくなり、質素なブーツの靴底に圧迫されている足の裏にはいくつものマメが出来ては潰れ、ラバースーツ の下で腐った。プライスレスは背負っている荷物が重いせいで体力の消耗が激しく、お喋りが途切れる時間が長く なった。モノレールは一定距離ごとに区間を定められているらしく、三十週昇ると駅に出会った。だが、そこにあった 車両もやはり壊れていて、役に立たなかった。だが、駅の平たい床で体を休められるのは貴重なので、駅に出会う ごとに休憩を取った。限りある食糧を分け合い、水も回し飲みし、一眠りして起きたらまた昇り続けた。
 最早、下る方が億劫になっていたからだ。




 ただ歩くだけでは気が狂いそうになるので、体力のある時に喋ることにした。
 もっとも、喋っている時間はプライスレスの方が何十倍も長かったが、デッドストックは相槌とも返事とも違う言葉 を使って少年と語り合った。内容は愚にも付かないものだったが、時折、プライスレスは生き別れの母親の行方を 案じるような言葉を漏らすことがあった。といっても、甘ったれたものではなく、その辺で適当に野垂れ死ねばいい、 でなきゃ俺がどうにかしてやる、という意地っ張りな言い方ではあったが。本心では、互いが生きているうちに一度 は会って話をしたいのだろうが、プライスレスは素直になっただけ損をすると信じて止まない。だから、己の感情を 否定せずにはいられないのだ。
 地下世界で生きるにあたって、最も厄介なものは情だ。感情全般が生き延びるための枷となり、つまらない理性 を掻き立ててくるからだ。中でも、親兄弟の情ほど煩わしいものはない。同じ血を分けた者同士であっても、少しでも 立場が違えば殺し合わなければならないからだ。だから、プライスレスも母親に対して感じている僅かばかりの愛情 を切り捨てようと一生懸命になっている。それがいい、とデッドストックは内心で呟いた。
 自分もそうすべきだ。今までもそうしてきた。だから、これからもそうするだけだ。イカヅチに奪われた人造妖精を 取り戻した後は、自らの手で腐らせよう。クリスタライズに結晶化された末にヴィラン達に弄ばれたリザレクションの 二の舞にしないためにも、他の誰にも奪われないためにも、壊してしまえばいい。

「ん、あれ」

 前方を歩いていたプライスレスが、進行方向を指し示した。また駅に到着したのかとデッドストックは目を上げて、 少年の指の先にあるものを捉えると、四角いハッチの隙間から光が漏れていた。煮詰めたような闇が凝っている 塔の内側では、乏しい光でさえも猛烈な力で瞳孔をこじ開ける。久々に目にした光は強烈で、デッドストックは眉間 にシワを刻みながら、光源を注視した。プライスレスはハッチに近付き、背伸びしてレバーを掴んだ。
 これまで通ってきた駅に設置されていた非常用ハッチはことごとくロックされていたので、二人ともそのハッチが 開くことに期待してはいなかった。なので、滑らかにレバーが動き、蝶番が唸りながら開く様に、二人は喜ぶよりも 先に臆してしまった。これはさすがに都合が良すぎないか、とどちらも思ったからである。
 ハッチが開くと、塔の内側に差し込む光の筋が太くなった。うっすらとではあるが、二人分の影が生まれて足元 に丸く落ちた。デッドストックは先に中を覗けとプライスレスをせっつくと、プライスレスはジェスチャーでデッドストック こそ先に入ってくれと意見してきたので、デッドストックは強かに少年を蹴った。わあなんか久し振りの痛みかもぉ、と 変なことを言いつつ、プライスレスはよろめきながらハッチの中に入った。

「ふおおあっ!?」

 途端に、プライスレスの素っ頓狂な叫び声が上がった。かと思えばすぐさま戻ってきて、手招いた。

「ストッキー、いいから来てみろって! 面白いから!」

「何がだ」

「面白いから面白いんであって、あー、説明するのが面倒臭ぇっ!」

 プライスレスはデッドストックに駆け寄って、トレンチコートの裾を引っ張ってきた。千切れたら困るので、その手を 振り払ってから、デッドストックはハッチの中に入った。プライスレスも戻ってきて、やたらとはしゃいでいる。まるで ガキだな、と言いかけたが、プライスレスはハイティーンに差し掛かったばかりなのだという事実を思い出して、その 言葉を飲み込んだ。そして、前方に向き直って絶句した。
 世界が一望出来た。この空間は塔の外周に添った形状で作られているらしく、緩いカーブを描いていて、外側は 全面がガラス張りになっていた。ガラスは砂やら何やらの汚れが貼り付いて白く曇っていたが、外界を見渡すため の邪魔になるほどではない。光源の正体は、カーブしている部屋の天井や床に埋め込まれているライトで、青白い 光が灯っていたが熱さはなかった。手回し式充電器と同じ、LEDライトなのだろう。

「これってあれじゃね、あれ、えーっと、そう、あれ! テンボーダイ!」

 窓に駆け寄ったプライスレスは、その外に横たわる地平線に向かって両腕を広げた。

「展望台か」

 デッドストックも窓に近寄り、見下ろしてみた。塔が高すぎるせいで足元が見えづらいので、サンダーボルト・シティ の名残である穴が窺えなかった。ヴィランが寄せ集められていた狭苦しい島、大陸と島の間に横たわる濁った海、 両者を繋ぐ橋、クイーンビーの色街の跡地、そのどれもが矮小だった。手のひらを翳して重ねてみると、その全部 が収まってしまった。今の今まで、なんとも狭い世界でみみっちい争いをしてきたのだろうか。
 しかし、規模の大小と争いの根深さは関係ない。広い海を泳いでいた魚が水槽に入れられると、縄張り争いをして 殺し合うように、生き物は争わなければ生きていけない。弱い者は淘汰され、強い者もまた更に強い者に淘汰され、 力と力で均衡を保たなければ、世界は成り立たない。ダウナーの世界がそうであったように。
 ダウナーとは、一体何なのだろう。これまで知らしめられてきた馬鹿げた歴史の通り、アッパーから蔑まれたが故に 地下世界に封じ込められた劣等種に過ぎないのか。いや、違う。その知識自体が誤りで、アッパーから刷り込まれた 間違った先入観だ。と、デッドストックの身に覚えのない知識が囁いてきた。
 どこで覚えた。何で知った。軌道エレベーターの件といい、今といい、どこからこんな知識が沸いてくる。鈍い頭痛に 苛まれたデッドストックはよろめき、一人で騒ぎ続けているプライスレスから離れた。冷え切った壁に手を付いて一歩 ずつ歩くたびに、何かが迫り出してくる。いや、入り込んでくると言った方が正しいかもしれない。目に映る景色に別 の絵が重なり、目眩がする。ラバーマスクの下で目を見開き、息を荒げる。
 生臭い呼気に、別の匂いが混じった。





 


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