DEAD STOCK




14.Electric Shock



 世界は必ず救われる、報われる、癒される。
 それが、ありとあらゆる物語の結末だった。中には結果的に世界が滅ぶ結末のものもあったが、破壊はイコール で再生に直結しているので、結局は救われる。物語の内容が主人公の内面を描いたものであったとしても、紆余 曲折を経て主人公の主観的な世界が救われることになるのだから、やはり結末は変わらない。
 だから、世界は救われる。誰かに救われる。しかし、その後はどうなるのだろう。更なる混沌に陥るだけなのでは ないのか。諦観と自嘲と落胆を交えた感情が、一瞬、電圧を不安定にさせる。イカヅチは人造妖精の小さな肺を外気で 膨らませて酸素を得てから、緩やかに二酸化炭素を吐き出した。
 サンダーボルト・シティは、天上世界を目前にして停止していた。イカヅチは都市の中でも最も高いビルの最上階 のベランダに出ると、天を仰いだ。薄暗く分厚い壁が、視界の隅々まで広がっていた。都市の柱である塔の尖端は 壁を貫いているが、塔は壁にみっちりと埋まっていて覗けそうな隙間もない。塔と壁の境目にはいくつか穴が見え、 クリミナル・ハントで毎週のように犯罪者を投げ落としていた穴であり、廃棄物を地下世界に投棄するための穴で あると解った。だが、その穴まで渡れるような飛行手段もなければ、相応しい能力者もいない。
 それが何よりの証拠だ。イカヅチは大衆を一望出来るベランダから自室に下がると、地下世界中のメダマが撮影 した映像が浮かび上がる立体映像の球体に入った。どの塔の周辺にも自分に近しい立場のヴィランかヴィジランテ がいるが、彼らは皆、人造妖精を連れたヴィランに倒されている。そして、人々の心はいつのまにかそのヴィランへと 傾き、そのヴィランの背中越しに天上世界を侵略せよと願うようになる。ヴィジョンに仕込まれているサブリミナルに 従って、彼らが口にする肉に混ざる毒素のようなものに促されて、同じ道を辿っていく。
 作り事だらけで、何もかもが最初から出来上がっている。それにイカヅチが気付いたのは、己の能力を応用して 地下世界を覆っている電波の通信網を駆け巡った時だった。その頃、イカヅチは自分が主役なのだと思い込み、 天上世界から下ってきたアッパーの軍人なのだとも思い込み、アッパーの思想を自分に都合の良いように解釈した 軍人崩れらしい思考で、下等なダウナーを売り買いしていた。いずれアッパーに戻れるのだと、地下世界で任務を 果たせば華々しい栄光の日々が待ち構えているのだと、無条件に信じ込んでいた。
 そこかしこから掻き集めてきた半端な能力者に電撃を加え、商品であることを現すタトゥーを入れ、彼らを無下に することで自分の優位性を確立しようとしていた。日を追うごとに強まっていく発電能力を持て余すようになり、どうせ ならそれを生かしてメダマをハッキングし、まだ手を付けていない集落や街に出向いて商品にする人間を探して みようと思い立ったのが、転機だった。
 その日、イカヅチは己の体から精神を形成している電流を乖離させ、外界へと旅立った。物質世界と精神世界の 狭間、現実と電脳の中間へと泳ぎ出した。最初の頃は順調で、至る所に浮かんでいるメダマの回路に飛び込んで は情報を書き換えてイカヅチの支配下に置いていった。メダマを足掛かりにして跳躍を繰り返していくと、いつしか 海を越えていて、海の底を駆け巡っているケーブルを伝い、伝い、伝っていくと別の大陸に到達した。
 その大陸には、何本もの塔が立っていた。この世に存在している塔はあの一本だけだと思い込んでいたイカヅチ は困惑したが、塔を取り巻いている環境と状況の類似性にも、更に混乱した。ヴィランの顔触れこそ違っているが、 悪党共のつまらない小競り合いと殺し合い、ドラッグと酒、暴力と汚物が蔓延していた。そんな中でも、少しでも環境 を良くしようと奮戦しているヴィジランテの姿もあったが、ヴィジランテがあまり強くないこともまた似通っていた。
 塔同士を繋いでいる通信網を発見したイカヅチは、それを通じて幾度となく跳躍したが、塔のふもとに出来上がった 街はどれも同じだった。週に一度クリミナル・ハントに狂喜するのも、人造妖精を取り合って血を流すのも、ヴィラン が縄張り争いに精を出しているのも、何もかもが。
 中には、イカヅチと全く同じ容姿のヴィランを見かけることがあった。擦り切れた軍服を着た巨体の凶相の男で、 でたらめに電撃を放っては弱者を蹂躙する。知能のレベルには違いがあるようだったが、イカヅチには違いなく、 その背後にいるヴィラン達も似通っていた。これではまるで人形遊びのようではないか。生きた人間を駒として盤上 に並べ、一度掻き混ぜてから、強者が浮き上がってくるのを待っている。
 その事実に打ちのめされそうになりながらも、イカヅチは更に世界を回った。同じ事実に気付いている者がいる のではないかという希望に縋りながら、塔から離れた場所にある街にも行ってみたが、変わりはしなかった。正義は ないが悪はあり、欲望はあれども理性はなかった。
 活路はないか、希望はないか、光明は見えないか、とイカヅチは気が触れそうになりながらも電波となって世界 を回り続けた末、地下施設に行き着いた。電圧不足で弱っていたイカヅチは、その地下施設で稼働していた発電機 の電力に惹かれて潜り込むと、山のような情報記録媒体を発見した。好奇心に駆られてそれらの中身を見て、ひどく 驚いた。アッパーが放映するヴィジョンの番組とは異なる、映像や文章が出てきたからだ。
 イカヅチを始めとした能力者達と似通った境遇の者達が、次々に現れて活躍する。その時は映画という概念すら なかったので一から十まで現実だと信じていたのだが、とある能力者が画面の向こうから話し掛けてきたことで、 これは絵空事なのだと気付いた。そして、自分達を取り巻く世界もまた絵空事であるため、入れ子人形のように なっているのだとも。なぜそうなっているのか、誰がそうしたのか、そうしなければならないのか、それらの理由は何一つ 解らなかったが、混乱の末、この世界が絵空事だと知る者を増やさなければという使命感に駆られた。
 長い旅を終えて己の肉体に戻ろうとしたが、その時、イカヅチは寝込みを襲われた恰好で肉体を激しく損傷して いた。襲った者達を殺してから、天上世界から降ってきた道具や機械を使ってフルサイボーグとなり、命を長らえた。 それから、イカヅチは人身売買するために掻き集めてきた人々に映画や漫画や小説を見せたが、この世界が作り事 なのだと気付いた者はほとんどおらず、逆にヒーロー達の英雄譚に夢中になってしまった。
 唯一、希望がありそうなのはプライスレスだけだった。少年は生まれ持った性格のせいで懐疑的で、調子が良い 反面、誰よりも疑り深かった。逆に、思い込みが激しすぎたせいでその気になってしまったのはクリスタライズで、 ヒーロー気取りで散々暴れ回った末に天上世界に連れ去られたのだが、肉体だけはヒーローとして認められたらしく、 ロボットに詰め込まれた脳だけが地下世界に戻ってきた。
 それからも、イカヅチはこの世界の構造を把握しようと奮戦しつつ、せめて自分の周囲だけは治安を整えようと、 ヴィジランテに鞍替えした。すると、それまでは敢えて深入りしていなかったヴィランの間の事情にも入り込むこと となり、デッドストックの存在を知った。どうということのない、つまらない能力のヴィランだとしか思っていなかった のだが、サンダーボルト・シティの整備を行っている最中にあるものを発見した。
 それは、イカヅチが人身売買の商品達に刻んでいたタトゥーと全く同じ絵柄のマークが付いた、縦長の筒だった。 奇妙な金属製で、尖端が針のように尖っていて、地面に深く突き刺さっていた。蓋を開けてみると、中は人間一人 が入れるほどの広さがあったが空っぽだった。泥まみれの筒の外側には、DEAD STOCK と印されていた。
 抗いがたい疑問に駆られたイカヅチは、デッドストックという名の男の行方を探っていくと、デッドストックはヴィラン として汚らしい日々を送っていた。どういうわけだか、あのプライスレスにまとわりつかれていた。それどころか娼婦 を間に挟んでクリスタライズとも接点があった。凶暴なヴィラン達に太刀打ち出来るほどの実力があるとは思えない のに、生き延び続けていた。そして、触れたものを腐らせる能力者である彼と触れ合っても死ななかった唯一の女、 リザレクションの破片を手に入れたイカヅチは、好奇心に駆られ、その破片に電流を走らせて遺伝子配列を調べ、 手当たり次第に照合していった。解析作業は外部記憶容量にほとんど任せていたので、サンダーボルト・シティが ほとんど完成した頃合いに終わった。その結果、クイーンビーの色街の土台である肉片の遺伝子情報と重なった。 それどころか、デッドストックの肉体から切り離されても尚腐敗能力が衰えない、彼の肉片にも重なった。
 その符号で、イカヅチは悟る。地下世界を盤にして組み立てられた茶番劇の中心はリザレクションであり、デッド ストックなのだと。長年の疑問と困惑と違和感が一本の筋となり、繋がり、交わり、結び付いた。
 しかし、だからといってその筋書きに従いたくはない。与えられた役割をこなして満足出来るほど、イカヅチという 男は浅はかでもなければ無欲でもない。要は、リザレクションとデッドストックの両方を潰してしまえば、その立場に 成り代われるのだから。誰でも思い付くことではあるが、実行しなければ何も始まらない。

「なんで動かないのさ、イカヅチ? あいつらの居所は、とっくに見えているはずだろ?」

 追憶に耽っていたイカヅチの目の前に、マゴットが突然顔を出した。イカヅチは片目を開け、眉根を寄せる。

「見えてはいるが、だからといって手を出す理由もない。それと、演出の問題だ」

「ああ、そうだね。離れた場所から雷撃をビシャビシャ落として、あの二人を焼き殺しても、面白くもなんともない もんねぇ。皆に見える場所で戦わないと、イカヅチの強さを知らしめられないしね」

「そういうことだ」

「メダマは何百個と集めたみたいだねぇ」

 うへぇちょっとキモい、とマゴットは部屋中に漂う数百個のメダマを見回し、上両足を竦めた。

「全世界の塔を経由して周辺地域への生中継を行う。そのための微調整が済み次第、行動に移す」

「はいはーい、了解。んで、あいつはどうする?」

 と、マゴットが爪先で立体映像の一つを指し、その中で倒れているノーバディを示した。

「デッドストックの処理が完了次第、奴も圧砕して処分する。異論はなかろう」

「ええ全く。ああいうヒーロー野郎って、ウザいもんねぇ」

 ちっとも勿体なくないしね、とマゴットは笑いながら、イカヅチに言い付けられた用事を済ますために出ていった。 その羽音が遠のいたのを確かめてから、イカヅチは給仕ロボットが運んできた水を呷り、鋭い頭痛を紛らわした。 やはり、人造妖精の肉体は脆弱だ。あまり長持ちはしないだろうが、どうせデッドストックを誘き寄せるための餌 なのだから、そのぐらいで丁度良い。息を詰めて頭痛をやり過ごし、電圧を宥め、背中の羽へと流し込む。
 人造妖精には、驚くほど大量の情報が詰め込まれていた。記憶もなければ知識もない真っ新な脳は言うまでも なく、高密度集積回路である偽物の羽にも、一度に眺めきれないほどのデータが隠されている。使い捨ての食糧 にするのであれば、そんなものはいらないはずだ。けれど、今まで集めてきた人造妖精の羽にも、データが入っていた 痕跡が見受けられた。愚かなダウナー達に蹂躙された人造妖精から得られた情報は僅かだったが、この人造妖精 は状態が良いので、羽も無傷で脳も生きている。だから、情報を奪わねば。知らねば。理解しなくては。
 そうでもしなければ、主人公にはなれはしない。




 一方、その頃。
 デッドストックとプライスレスはサンダーボルト・シティに踏み込んでいたが、気色悪くてどうしようもなかった。それも そのはず、誰一人として襲い掛かってこないからである。二人が現れても、イカヅチの部下であるヴィジランテも 市民も無反応で、道を空けてくれる。イカヅチから余計な手出しをするなと指示を受けているのだろうが、だとしても やりづらい。じっと見つめられるだけなのだから。楽ではあるが、背筋がざわめいてしまう。

「だぁあああっ、誰でもいいから適当に襲ってきて」

 “くれよ”、と言いかけたプライスレスを押さえ込むと同時に殴ってから、デッドストックは嘆息した。焦れる気持ちも 解らないでもないが、手当たり次第に殺したところで体力の無駄なのだ。下手に敵を増やしたところで利点もないし、 塔を昇ってきた疲労もたっぷりと残っている。それが解らないほどプライスレスも馬鹿ではないはずなのだが、状況 が大詰めに差し掛かってきたから気が急いているのだろう。
 ごへっふおっげぇ、と盛大に咳き込んでよろめいて、プライスレスは強かに殴られた下腹部を押さえた。ひとしきり 喘いでから平静を取り戻した少年は、少し早足で歩いているデッドストックの後を追ってきた。トレンチコートの裾を 掴まれそうになったので振り払ってから、デッドストックは鎖を巻いた左手をポケットにねじ込んだ。

「んで、勝算とかあんの?」

「あったとしても、ここで喋れば何の意味もない。筒抜けだ」

 デッドストックは二人の周囲を取り巻いている複数のメダマを指すと、プライスレスはもう一度咳き込んだ。

「だぁーよねえー」

「とにかく黙っておけ。イカヅチを片付けた後のことだけを考えておけ」

「えぇー? そんなのってつまんなーい、俺、目の前のバトルのことだけを考えていたーい」

「黙れ」

 と、デッドストックが振り向き様に片足を上げると、プライスレスは素早く後退る。

「ふへへへへへ」

「なぜ笑う」

「いやだってさあ、ストッキーが派手に立ち回るところなんて、今まで見ようとしても見られなかったんだもん。だから 楽しみで楽しみでさぁー。スマックダウンの時は腹を殴られてお仕置きされて気絶しちゃっていたし、クイーンビーの時 は穴の中に突っ込まれていたし、この前の大立ち回りだって離れていたから、もうわくわくしちゃって!」

「つまらん。死ね」

「うわあ何それ、すっげぇ期待しちゃう! なあなあ、ストッキーってば必殺技とかあるぅ!?」

「死ね」

「声援とか送ってもいい!? 黄色い声とか上げちゃっていい!?」

「止めろ」

「ストッキー、あのさ、俺決めたの! えー、そこで何がって聞かないの? いいよ、聞かなくても答えてやるから!  いいか、心して聞けよ! こうも状況がグッチャグチャでゴッチャゴチャだから俺はストッキーを信じていくって決めた んだよ! そりゃもちろん俺自身を信じた上でストッキーを信じるっていう理屈だから、ストッキーを全部肯定するって 意味じゃないからな! あ、それが良いって言うならするけど、あ、嫌か、うんそうだよね! でも俺はストッキーだけ を信じる! そう決めた! だから、ストッキーが必殺技を出してくれるって信じている!」

「喉を潰されたいか、横隔膜を引き摺り出されたいか」

「きゃあーいえーひゃっふぅー!」

 悪態を吐いてもプライスレスのテンションは収まらず、それどころか上がりっぱなしだった。これでは何を言っても 無駄だとデッドストックは諦め、歩調を早めた。幸い、サンダーボルト・シティは区画整理がきっちりしているので、 中心に向かって真っ直ぐ進めばイカヅチのビルに辿り着けるようになっているので、余程のことがなければ迷子に なる心配はなかった。背中の荷物に振り回されながらも踊り狂うプライスレスを引き連れ、デッドストックはラバー マスクの下で苦虫を噛み潰しすぎて舌まで噛み切りそうな顔になりながら、進んでいった。
 振り返るぐらいなら、敵陣に真正面から突っ込んだ方がマシだ。





 


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