DEAD STOCK




14.Electric Shock



 手首から先のない右腕に、ロープで鉈を縛り付ける。
 ラバースーツの上から付けたので、圧迫された右腕が鬱血して傷口が鈍く疼いたが、大した問題ではない。鉈は プライスレスから拝借したものだが、前のものに比べて手入れが悪いから切れ味もイマイチだからその辺は弁えて おいてくれよ、と忠告された。実際、その鉈の刃にはちらほらと錆が散っていて刃こぼれもしていた。しかし、丸腰で 挑むよりもいくらかマシというものだ。左手の鎖と足枷を握り直しながら、デッドストックはプライスれを伴って群衆の 中を通り過ぎていき、人々が取り囲んでいるビルの正面に至った。
 無数の視線に見つめられ、無数のメダマを率いているのは、人造妖精の肉体に憑依したヴィジランテのリーダー だった。広場を見下ろせる高さにあるベランダの手すりに立っていて、大きすぎる軍服の裾が強風で翻っている。 少女らしさが失せた眼差しの金色の瞳が人々を見回すが、焦点が合っていなかった。いかにイカヅチといえども、 人造妖精の肉体にある欠陥を補えるような時間はなかったらしい。この分では耳も遠いままになっているはずだ、 とデッドストックは目を凝らしてみると、人造妖精の尖端が尖った耳にコードが付いた機械が刺さっていた。あれは 無線機か、或いは補聴器の類か。目の方はともかくとして、聴覚はどうにかしたらしい。

「真正面から挑みに来るとは、殊勝な精神だ」

 群衆の輪の中に至ったデッドストックとプライスレスに、イカヅチが一笑する。細い手すりの上にサイズの合わない 靴で立っているので、バランスを崩しはしないかとデッドストックは内心で危ぶんだが、手すりは金属製なので、電力 を利用してなんとかしているのだろう。イカヅチは浮遊するメダマを一つ手中に収め、二人の前に落とした。メダマは 舗装された地面に激突するかと思われたが、その直前で浮き上がって二人をレンズに映してきた。

「お前達の目的は把握している。この、人造妖精を奪取したいのだろう?」

 イカヅチは白い指で己の胸を小突き、片眉を上げる。挑発している。

「それが解っているのなら、余計な手間を取らせるな」

 デッドストックが鉈を結び付けた右腕を上げると、イカヅチは柔らかく波打った薄緑色の髪を指に絡める。

「だが、私はヴィジランテのリーダーとして、サンダーボルト・シティの住民達を守り、天上世界に導かねばならない のだよ。人造妖精は偶像として必要不可欠であり、集積回路の演算能力も失うわけにはいかん。だから、お前の 願いを聞き入れるわけにはいかないのだよ。しかし、それを解ってくれてはいないようだな」

「解る必要がない」

「そうだろうな」

 イカヅチの指先から、ちりっと短い電流が爆ぜる。電波を用いて命令を下したのだろう、イカヅチを取り囲んでいた メダマが次々に放たれてくる。もちろん、狙いはデッドストックとプライスレスである。砲弾と化したメダマを回避しては 鉈で叩き落としながらもイカヅチに向かおうとするが、進行方向にも次々にメダマが降り、舗装にめり込んでは砕けて 破片を飛び散らした。うひぇあっ、とプライスレスが嘆きながらもスコップを振り回して迎撃している。
 破片の雨を浴びながら、デッドストックは果敢に前進する。メダマの数には限りがある。実際、イカヅチを囲んでいる メダマの数は目に見えて減ってきていて、補充されている様子はない。メダマが途切れた一瞬を見逃さずに距離 を詰め、イカヅチの元に辿り着ければどうにでもなるはずだ。という、根拠のない確信に突き動かされながら、デッド ストックは鉈を振るう。またメダマを両断し、割り、潰し、バッテリー溶液を撒き散らさせながら、駆ける。
 が、ビルに到達すると思われた瞬間、デッドストックの目前に巨大な物体が落下してきた。がしゃあっ、と盛大に 砕け散ったのはあのモノレールの車両で、わざわざ塔の中から調達してきたようだ。イカヅチが手のひらを軽く返すと 車両が見えない糸に操られるかのように浮き上がり、折れた外装の切っ先がデッドストックを睨んできた。

「電気とは、先史文明を支えてきた力だ」

 イカヅチは自身の体も浮き上がらせながら、悠然と語り出した。

「だからどうした!」

 デッドストックは遮蔽物を避ける道筋を駆け出そうとするが、イカヅチが操った金属の破片がぐるりと黒衣の男を 囲み、ナイフにも劣らない威力を持った尖端が円を描いた。その中の数本が首の四方に浅く刺さり、デッドストックは 顎を上げて身動ぐ。ラバーマスクに押し付けられた金属片が、ずくんずくんと荒ぶる動脈に寄り添う。

「この世界は電気ありきなのだよ」

 電磁力を使って反発力を生み出したイカヅチは、手すりの上に浮遊し、デッドストックを見下ろしてくる。

「お前は知らないだろうが、先史文明は一から十まで電気に頼り切っていたのだ。故に、その電気を受けて動くものの 全ては私の支配下にあり、電波をやり取りして情報を解するネットワークも、今や私の支配下にある」

「つまらん」

「大した自信家だな、屑ヴィラン」

 イカヅチの笑みが緩み、短い指先が空を示す。途端に、デッドストックの体に凄まじい重量が襲い掛かり、舗装の上 に這い蹲りそうになった。意地で両足を踏ん張るが、全身に募る重圧は弱らない。指一本動かそうとしても筋肉が 震え、空気を吸おうとしても肺が膨らまず、胃腸が加圧される。首を狙っていた破片は一枚残らず落下して舗装に 貼り付いた恰好になったが、棘のように上を向いて待ち構えているものも多数ある。

「反重力装置の仕掛けについては理解し切れたわけではないが、使い方はすっかり覚えたよ。重力を軽減させること が可能であればその逆も然り、だ。局地的に重力変動を発生させるためにはそれ相応の演算能力が必要だが、 それに関しては何の心配もいらない。彼女達の助力がある」

 ビルの影から、びいいいいい、ぶいいいいいい、ぎいいいいい、とジガバチの群れが溢れ出してきた。黒い霧の ように見えるほど個体数が多く、皆、イカヅチに従順だった。デッドストックとプライスレスと、二人を眺めている群衆達 の間にやってきては壁を作っている。プライスレスはよろめき、乾いた笑いを上げる。

「ふへははははっ、こーの激安ビッチ共が! 女王が死んだ途端に男にケツ振りやがって!」

「全くだ」

 デッドストックは重力で瞼が降りそうになりながらも眼球を動かし、ハニートラップの姿を探したが、額に赤い印が 付いたジガバチは見当たらなかった。やはり、あの大乱戦で命を落としてしまったのだろうか。ジガバチの意識の ネットワークから逸脱しているのは、彼女だけだからだ。友好的とは言い難いが話が通じるハニートラップだけでも いてくれれば、事態を打開出来るのではと考えていたが、浅はかだったようだ。
 だが、ジガバチの一匹でも腐らせられれば、こちらのペースになる。デッドストックは敢えて重力に屈して、尖った 金属片に右腕の内側を切り裂かせると、血をまとわりつかせた。熱い痛みが全身に回る前に右腕を振るって鉈で 破片を弾き飛ばし、渾身の力で打ち出したが、前触れもなくその弾道にプライスレスが入ってきた。これでは労力が 無駄になる、とデッドストックが舌打ちしかけた瞬間、プライスレスは素早く振り向いてスコップを構え、小気味良い 音を立てて金属片を打ち上げた。

「イカヅチに刺さって“くれよ”!」

 その言葉が名もなき金属片に届いた途端、無軌道に飛ぶだけだった金属片に力が与えられた。空中で反転した 金属片は重力変動をものともせずに進行方向を変え、顔を引きつらせたイカヅチ目掛けて突っ込んでいった。電流 を弾けさせて金属片を跳ねさせ、イカヅチはおぞましい一撃を回避したが、すぐに金属片は息を吹き返して路面から 上昇し、イカヅチに向かっていく。プライスレスの命令が果たされない限り、何度でも甦るのだ。
 その隙に、プライスレスはデッドストックの右腕から滴る血を擦り付けた金属片を量産しては、スコップをバットの 代わりにして次々に打ち出していく。イカヅチに刺さって“くれよ”と、能力を付与させられた金属片は、忠実に命令 を守り通してくれた。イカヅチは鉄骨が中に入っている壁の破片を浮き上がらせたり、電磁力でバリアーを張ろうと したり、メダマを身代わりにしたり、と思い付く限りの手段で回避しようとしていたが、いずれも失敗に終わっていた。 守りに徹したからだろう、反重力装置の制御も鈍り、デッドストックは重圧から解放された。
 右腕のラバースーツの裂け目から滴る血が早々に外気を腐らせ、メタンガスを生んでいる。デッドストックは鉈を 縛っているロープも腐りかけてきたので、右腕を振るって鉈を外し、左手で持ち直した。

「ジガバチは適当に処分しておけ」

 首を回して関節を鳴らし、重みで凝った肩を解してから、デッドストックは歩き出した。

「あ、そう? んじゃ、まー」

 俺に殺されて“くれよ”、と高らかに叫んだプライスレスがジガバチに突っ込んでいくと、彼女達は抵抗すらせずに スコップに首を千切られ、足を折られ、体内に入れられている女性を引き摺り出され、青い体液を撒き散らしながら 倒れていった。遊び半分でジガバチや無抵抗な群衆を殺していくプライスレスを横目に、デッドストックはビルの中に 入った。そこで待ち構えていたダウナー上がりの能力者が能力を使う前に鉈で首を刎ね、腹を裂いてから、階段を 昇っていった。イカヅチのいたベランダが何階にあるのかは知らないが、見張りを兼ねた兵隊として配置されている 能力者達を辿って死体に代えていけば、辿り着けるはずである。
 と、考えながら鉈を振るっていると、その通りになった。死体を蹴り倒してドアをぶち抜くと、間取りが広く、小綺麗 な部屋に出た。びいびいと何かの機械が喚き散らしたので、鉈を叩き込んで真っ二つにすると、色の付いた甘い水 やコップや氷が噴き出してきた。給仕用のものだったらしい。死体から流れ出た血と混ざってマーブル模様になった 甘い水を踏み、ベランダに近付くと、人造妖精の姿をしたイカヅチが血の付いた破片と戦っていた。
 が、即座にデッドストックに気付くと、電磁力を用いて体を飛ばして部屋の中に戻ってきた。すぐベランダに通じる ドアを閉めたが、ドアの隙間に金属片が突き刺さり、猛獣の牙のような有様となった。イカヅチは電磁力を纏わせた 両手足で天井に貼り付き、デッドストックを恨みがましく睨んできた。

「人造妖精がそんなに大事か」

 デッドストックが汚れた鉈を構えると、イカヅチは口角を曲げて歯を覗かせる。

「そういうお前達は、ここまでして助けに来た相手に対して無礼を働けるのだな。薄情者めが」

「かもしれないな」

 デッドストックは鉈にべっとりと己の血を擦り付け、滴らせるほど付けてから、再び人造妖精に向ける。

「少しは堂々と立ち回ったらどうだ。イカヅチ」

「思い上がるな。お前達に合わせざるを得なくなっていただけだ」

 ばぢぃっ、とイカヅチから閃光が煌めき、空気が爆ぜた。不作法な電流が壁に埋まった棚に順序よく並んでいた ディスクの列を舐めては溶かし、調度品を砕いて散弾に変え、衣服を焼け焦がして大穴を開け、壁にもひび割れを 作った。少しばかり伸びた薄緑色の髪を静電気で逆立てた人造妖精は、偽物の羽に淡い黄色の光を走らせながら 浮遊し、デッドストックを見下ろしながら中指を立てた。

「この街の支配者は誰だ、そう、私だ」

 ばぢぃんっ。不意にデッドストックの脳天に雷撃が落ち、衝撃でつんのめる。何事かと見上げると、天井に付いた 照明設備から放たれたものだった。ラバースーツが高熱で溶けたのか、脳天がひどく痛んで煮えてしまいそうだが、 ラバーマスクを脱ぐことだけはしなかった。イカヅチは親指を立て、真下に向ける。

「地下世界を知り尽くしているのは誰だ、そう、私だ」

 びぢぃっ、とデッドストックの内股から股間に雷撃が突き刺さり、声にならない悲鳴を上げて仰け反った。何事かと 脂汗が入りかけた目をやると、先程踏んだ血混じりの水が湯気を立てていた。これに通電させたらしい。イカヅチは 無表情のように見えたが、目元は嫌みったらしく歪んでいた。高尚ぶっているが、性根の腐った男なのだ。

「地下世界で最も優れているのは誰だ、そう、私だ」

 イカヅチの手が翻ると、部屋の壁という壁から一斉に雷撃が放たれ、デッドストックに撃ち込まれた。ラバースーツ は電流こそ防ぐが、衝撃と熱だけはどうにもならない。先程の右腕の傷口から少しばかり電流が入り込んだらしく、 痺れが右腕から右半身へと広がっていた。おかげで右足も感覚が鈍り、踏ん張りが利かなくなった。どうやら、壁の 中に仕込まれている鉄骨やケーブルに電気を流し、放電しているようだが、そんなことに気付いたところで何がどう なるわけでもない。内臓が煮えたのか、蛋白質が焦げる匂いが鼻の奥に沸き、噎せる。

「そして、主役に相当する実力を備えているのも、この私だ」

 背中を丸めてうずくまったデッドストックの頭上に、イカヅチは近付いてくる。静電気で浮いているようだった。

「お前のような半端者のヴィランでもなければ、あの不死身の阿婆擦れでもない、この私だ」

「ぬぉ……」

 舌までもが痺れ、口が回らない。デッドストックは情けなく呻き、左腕に力を込めようと気張った。

「天上だろうが地下だろうが、強き者こそが正義となることに変わりはない。私は正義の味方ごっこをするつもりは 毛頭ないが、私の正義は私を導いてくれる。だが、お前には大望などない。目先の浅ましい欲望とつまらない見栄、 行き当たりばったりの思い付きだけだ。たかだかメタンガスを撒き散らすだけの腐敗能力で、いつまで勝ち抜けると 思っていたのだ? そんなことは無理だと、知恵の足りない頭でも考えればすぐに解るだろうに」

 イカヅチは側頭部を小突いてから、デッドストックの頭頂部に靴のつま先を載せ、火傷を抉る。

「デッドストック。名前からして、お前はこの世界の主人公には相応しくないのだよ」

「ぐ、ぬぉう」

 黙れ、この減らず口が。何を言っている。デッドストックは言い返そうとするも、舌が痙攣する。

「だから、もう休みたまえ。不良在庫」

 イカヅチは長すぎる袖で手を覆い隠してから、デッドストックの頭頂部に出来たラバーマスクの穴から、水膨れに なりつつある真新しい火傷に触れた。それだけでも激痛が走ったが、ラバーマスクの内側に電撃が走り、ただでさえ ダメージが蓄積した神経を焼け焦がした。全身の筋肉が引きつって内臓がひっくり返りそうになり、見開いた目からは 鉄臭い涙が流れ出してきた。と、その時、ただの電流ではない異物感が入り込んできた。
 脳が膨張し、神経が逆立ち、興奮とも苦痛とも区別が付けづらい感覚が、デッドストックの意識を押し流していく。 奪われていく。拭われていく。塗り潰されていく。今し方まで自分の意志が通じていた手足が萎んだ袋のように弛緩 してだらりと垂れ下がり、踏ん張りが弱くなっていた両足が屈して水溜まりに膝を付く。ずきずきと疼く股間が緩みそう になっていると危惧していたが、その感覚までも奪われ、支配された。
 イカヅチに憑依された。





 


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