DEAD STOCK




16.Fly Trap



 機械とはとても便利だと、思い知ったばかりだった。
 だが、融通が利かないものだとも思い知らされた。腐り果てつつある怪魚の胴体によじ登り、鉄板のように頑丈な ヒレに乗ったデッドストックが振り返ると、鉄の鳥の左翼から伸びたプラズマ砲が光を宿し始めていた。細かな電流が 散り、煙の粒子で濁った空気が雷雲のように煌めく。その照準が何に据えられているのか、考えるまでもない。だが、 逃げ場などあるわけがない。デッドストックは背中に貼り付くトレンチコートを気にしつつ、倒れている二人を視界の 隅に収め、左手から滑り落ちずに済んだ鎖を握り締めた。

「クソッ垂れが」

 悪態でも吐かなければ、やっていられない。デッドストックは鉄の鳥、その背後に窺えるヴィランの島を睨め付け、 ラバーマスクの間と口の中に溜まっていた腐った海水を吐き捨てた。それが怪魚のウロコを更に腐らせ、じゅわりと 泡立った。うぅ、と人造妖精は唸り、油まみれの小さな身体をひくつかせる。
 ヴィランの島の上空がやけに明るいのは、ヴィジョンが投影されているからだと気付いたのは、鉄の鳥との無益な 睨み合いがやけに長いと気付いた時でもあった。照準も合わせているだろうに、いつまでたっても撃ってこないので 焦れてしまったからだ。幸いなことに視力は悪くないので目を凝らすと、ヴィランの島の上空には鉄の鳥の視点から 見たデッドストックらが映し出されていた。その下には、少しは見覚えのあるヴィラン達がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てて いる。となると、彼らはデッドストックらの生死で賭けでもしているのだろう。誰も彼も、退屈だからだ。
 鉄の鳥はデッドストックらの周りを、威圧するようにゆっくりと旋回する。荒々しい潮風が機体に切り裂かれ、海面 の炎が鉄の鳥を中心にして円形に波打ち、火の粉が舞い上がって霧雨のように降り注いでくる。だが、ずぶ濡れの スーツに触れても一瞬足らずで消え失せるだけで、特に害はなかった。

「おい。マゴット」

 どうせ、敵の正体は解っている。デッドストックは左手に握った鎖を伸ばし、足枷を一回転させる。

『何か用かい、デッドストック? 生憎だけど、命乞いは受け付けていないよ。僕のシナリオにも入っていない』

 悪びれることもなく、鉄の鳥はそれを遠隔操作している相手の声を発してきた。

「そいつをどうやって奪い取った」

『事細かに説明したところで、君達に理解出来るはずもないし、時間の無駄だよ。あのね、番組ってのはテンポが 大事なの、テンポが。こうやって君達との膠着状態に持ち込んでいるのだって、正直言って不本意なんだよ。多少の タメは必要だけど、溜めすぎると逆に鬱陶しがられちゃうからね。だから、さっさと次の展開に移りたいんだけど』

「それはなんだ」

『いちいち言わなきゃ解らないだなんて、退屈な人だなぁ。解り切ったことじゃないか』

 そう言うや否や、鉄の鳥のプラズマ砲が倒れている人造妖精とプライスレスに向いた。どうやら、デッドストックに 二人を助けるか守るかをしてもらいたいようだが、プラズマ砲の光量からしてすぐには発射する気はないようだ。 となれば、まともに相手をするだけ時間の無駄だ。こっちのやりたいように、やらせてもらう。
 デッドストックは気を失っているプレタポルテをプライスレスの体の下に入れて盾にさせてから、トレンチコートを 脱ぎ、二人の上に放り投げた。ここまではマゴットも予定の範疇なのだろう、特に反応はなかった。ならば、この次は どうだ、とスーツの首から腹に掛けて指を滑らせ、特殊な素材の記事を開かせて素肌を曝す。そして、ラバーマスクと 左手の鎖を除いた全ての付属物を取り払ってから、鉄の鳥を挑発し、炎の合間目掛けて身を投じた。
 これにマゴットが食らい付くかどうかは賭けだったが、すぐに勝ちを確信した。鎖の足枷を怪魚の骨に絡ませて、 重り代わりにしたデッドストックは、濁りすぎて目の前すらも見通せない海中に飛び込んできた鉄の鳥を視認した。 空間湾曲シールドによって空気の薄膜を纏っている上に照明を付けているので、デッドストックの側からすれば、 一目瞭然だった。だが、それはこちらも同じこと。
 全身に触れた海水に混じっていた不純物と有機物が腐敗してメタンガスを生み出し、巨大な気泡が出来上がる。 鎖を振り回して気泡の中と外を掻き混ぜ、メタンガスを軽減させるが、デッドストックの忌まわしい能力がメタンガス を生成する速度の方が遙かに速かった。目眩ましにもならないが、魚を誘き寄せる罠にはなる。
 早速、デッドストックと鉄の鳥の間に、新たな怪魚が突っ込んできた。デッドストックが全身から発する腐肉の匂い が、獰猛な彼らを惹き付けて止まないのだ。メタンガスの細かな気泡が食い破られて更に細かくなり、濁流を纏った 怪魚のウロコが、一瞬照明を浴びて煌めいた。鉄の鳥には興味も示さず、メタンガスの気泡の中で徐々に下降して いくデッドストックに奇形の鼻先を向け、ぐわりと牙を剥いて直進してきた。そのまま、一息に飲み込まれる。
 ぱちん、とメタンガスの気泡が弾けると、デッドストックは胃液と瓦礫と様々な生物の骨が詰め込まれた怪魚の胃 の中に放り出された。それでも、怪魚の胃液よりもデッドストックの能力の方が強いので、デッドストックの体に触れた 胃液はじゅうじゅうと音を立てて煮え、腐っていった。

「……最悪だな」

 しかし、これ以外に打開策が思い付かなかったのだ。デッドストックは顔を拭って胃液やら肉片やらを拭ってから、 怪魚の胃袋に触れた。早々に腐り始めて内臓もひどく波打ったので、排泄物に紛れて外に出る。そして、真新しい 排泄物を狙ってやってきた別の怪魚にも飲み込まれ、同じ手順で胃袋を腐らせてやると、やはりまた排泄物と共に 外に出る。空気は、胃袋の中に少し溜まっていたものを思い切り吸い込んで持ち堪えた。それを何度となく繰り返す と、鉄の鳥の周囲にのたうち回る怪魚の輪が出来上がり、海流がひどく乱れた。
 もちろん、鉄の鳥も黙ってはいない。だが、水中では御自慢のプラズマ砲も出力が著しく低下するらしく、ほとんど 発射されなかった。その代わり、スクリューを高速回転させて死の苦しみを味わっている怪魚を切り裂いていたが、 あまり効率は良くなかったので、結局は自身の両翼で海中を行き来して怪魚を叩きのめしていた。鉄の鳥が動くたび に巻き起こる海流に弄ばれながらも、デッドストックはメタンガスを用いて浮上し、波間に顔を出した。
 精一杯泳いで、浮島代わりにしている怪魚の元に戻る。下手に肉に触れると足場が崩れてしまうので、ウロコや 骨やヒレを選んでよじ登ってから、デッドストックは一拍遅れて海中から戻ってこようとする、鉄の鳥の姿を水面下 に見た。素早くスーツを着込んでからプライスレスのリュックサックを探り、目当てのものを取り出した。
 リザレクションの胴体だった。澄み切った結晶と化した、女神の如し阿婆擦れの胸と腹と腰と尻と股ぐらである。 素手でそれに触れてみると、少し時間は掛かったが腐敗し、内臓が溶けた。鉄の鳥が迫りつつある影響で波が荒れ、 怪魚の浮島が大きく波打つ。振り落とされないように足を踏ん張ってから、デッドストックは女の胴体を素っ気なく 蹴り、水中へと向かわせた。どぷん、と小さく水柱が立ち、女の胴体が漆黒の海面に没していく。
 デッドストックは再びプライスレスの荷物を探り、ヴィジョン受像機を取り出した。すると、鉄の鳥の目線の映像は どす黒い海中に飲み込まれていくリザレクションの胴体を追い掛けていて、あれは女神だなんだのとマゴットの実況 が騒ぎ立てていた。天上世界に近付いた身であるマゴットが、リザレクションの胴体に対して価値を見出しているとは 思えないが、番組はあくまでも訳を知らないダウナーに向けたものなので、そう演出せざるを得ないのだ。
 だから、これが一番効率が良い。鉄の鳥のクチバシがリザレクションの胴体に接近したが、空間湾曲シールドに よって弾かれてしまい、のたうつ怪魚の胴体にめり込んだ。鉄の鳥は怪魚のでっぷりと肥え太った腹にクチバシを 突っ込み、クチバシの破損部分のシールドを解除してリザレクションの胴体を手に入れようとした。が、腐敗しきった 怪魚の体内に蓄積されていた濃密なメタンガスが鉄の鳥の操縦席にも入り込み、計器類から漏電していた電流が メタンガスと接触し、そして。
 猛烈な衝撃と轟音と同時に、煮えた海水が高々と吹き上がった。鉄の鳥の破片も多数紛れていて、クチバシが 折れ曲がったものが明後日の方向に飛んでいった。残りの怪魚爆弾も立て続けに吹っ飛んで、鉄の鳥の外装を 丸ごと剥がしてくれたらしく、特殊な合金製の殻が次々に浮かんだ。円形の大波が襲い掛かったが、デッドストック は二人を押さえ付け、なんとかやり過ごした。トレンチコートとブーツも吹き飛ばされずに済んだので、ぐしょ濡れ ではあるが身に付けた。これで、鉄の鳥に悩まされずに済む。問題があるとすれば、ヴィランの島に辿り着く手段 を失ったことだ。だが、そんなことはどうにでもなるだろう。

「どうにでも出来る」

 デッドストックは僅かに感じた不安を払拭するために呟いてから、荒波に洗われる怪魚の浮島に横たわり、壁に 塞がれた空を仰ぎ見た。海の延焼は止まる気配はなく、廃油の帯に沿って広がりつつあった。その影響で海流にも 変化が起きているらしく、じわじわとヴィランの島に向かいつつあった。偶然か、それとも。
 考えるだけ無駄だ、と経験が語り掛けてくる。どうせこの星の全てはリザレクションの腹の中であり、デッドストック という男はリザレクションを殺すためだけに生まれ、リザレクションは死に対して恋に似た憧憬を抱いている。その 世にも下らない願望を果たす役割を振られているのだからこんなところで犬死にするわけがない。慢心ではない、 確信だ。だから、マゴットとの小競り合いも長引かないだろう。
 長引かせてたまるものか。




 マゴットの隠れ家に辿り着くまで、三日と掛からなかった。
 どうせ、ここにいるだろうと踏んでいた。いないわけがないと思っていた。その通りだった。デッドストックは両肩を 大きく上下させて息を吸い、吐き、地下の地下の淀みきった空気を味わった。繋ぎ目が腐った首が外れ、頭部の 中身を辺りにぶちまけているマゴットの背後には、無数の蛆虫が死体に食らい付いていた。中でも目を惹くのが、 大人の手のひらほどの大きさにまで成長した、特大の蛆虫だった。食い出がありそうな代物だ。
 マゴットの周りには、コの字型に様々な機械が並んでいた。いずれもヴィジョンを操作するものなのだろうが、見た だけでは使い方がさっぱり解らないので、適当に壊しておくことにした。デッドストックは道中で拾った赤く錆びた 鉄パイプを振るい、次々に機械を薙ぎ倒しては叩き潰し、隙間にねじ込んで基盤を割った。

「にゅ」

 その様を、プレタポルテが不安げに窺ってくる。数日間の漂流の後、怪魚の浮島に乗っていたデッドストックらは なんとかヴィランの島に行き着き、それからまた歩き通してマゴットの隠れ家であった地下の地下を目指して進んで きたのだが、ほとんど休みはしなかった。ただでさえ衰弱していたプライスレスは死にそうになりながらも、なんとか 意地で持ち堪えているようだが、ガスマスクが外れかけるほど窶れているので、これ以上はさすがに拙い。
 鉄パイプを放り投げてから、デッドストックは痛んだ手首を振り、マゴットの首から下を椅子から押しやった。彼の 代わりに椅子に腰掛けると、ようやく一息吐いた。

「終わった?」

 掠れた声で問うてきたプライスレスに、デッドストックはぞんざいに返した。

「ああ」

「なんか……悪ぃ」

「どうでもいい」

「そっか」

 短いやり取りの後、プライスレスはガスマスクと顔の隙間から吐息を漏らし、手を失った右腕を腹の上に置いた。 ここで引き下がるのか、お前らしくもない、と言いかけてデッドストックは飲み込んだ。どうせ、しばらくすれば、また お喋りになる。どうしようもないぐらいに喋り倒して、腹を殴って黙らせる羽目になる。しおらしいのは、少しの間だけ に決まっている。余計なことを考えるものではない。
 不意に、白骨化した死体の影から鮮やかな光が昇った。途端にハエの群れが一斉に飛び立ち、粒子の大きい煙 のように押し寄せてきたので、それを振り払った。光源を辿ると、腐肉と腐敗汁にまみれたメダマが立体映像で闇を 拭い去っていた。そこには、死に絶えたと思われていたジガバチの群れが映し出され、そればかりか。

『今週もやってまいりましたぁ、クリミナル・ハァーンットォ!』

 今し方死んだはずの、マゴットの声が高らかに響いた。

「これは」

 どういうことだ、と口にするよりも先に、ヴィジョン越しにマゴットが饒舌に語る。

『思わぬ急展開の連続でしたが、クリミナル・ハントはまだまだこれからが本番です! お楽しみに!』

 ぞわりとジガバチの群れが沸き立ち、ただでさえ暗い空を覆い尽くす。目標は、デッドストックらが地下の地下へと 潜り込む際に入り口にした、下水道の割れ目だった。用意周到な罠、回りくどい仕掛け、ややこしい手段、などと 文句が思い付いたが、それを口にしている暇はなかった。やっと足を止められたと思ったのに、また進まなければ ならないのか。デッドストックは苛立ちながらも腰を上げ、音源に振り返る。

「こいつはマゴットであってマゴットではないんだ」

 良く似た別人とでもいうべきハエ人間なのだと、気付くのが遅すぎた。短い毛の生えた外骨格は真新しく、脱皮 して間もない艶やかさがあり、傷も少ない。その上、デッドストックらが現れた瞬間、身動ぎもせずに殺されるがままに なった。その無抵抗さはマゴットの性格故なのだとその時は思ったが、違ったのだ。単純に、見知らぬ相手が来た から戸惑っていただけだ。だから、これはマゴットの作った等身大の身代わりだ。デッドストックらを陥れるための 罠に信憑性を与えるための餌でもある。

「虫にしては頭が回るじゃないか」

 びいいいいい、ぶいいいいいい、びりりりりりりりり。地下の地下の構造物が痺れ、砂埃の粒子が巻き上げられ、 汚物が煮詰まった水が震え、饐えた死体に集っていたハエが一斉に飛び立って背中にぶつかってくる。ただでさえ 視界の悪い地下の地下に黒い粒子が増大したために、ほとんど何も見えない。そればかりか、ハエの群れが纏う 吐き気を催す腐臭が鼻も塞いでくる。どこかで壁が崩壊し、下水道が砕かれ、上層階からの濁流が流れ込むと、 汚水が数百倍に増えて腐臭は激しくなる。壁に反響する羽音が膨らみ、押し寄せ、そして。
 額の赤い印を持つジガバチが、先陣を切って現れた。





 


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