DEAD STOCK




17.Breed True



「ね? 恋って素敵なものでしょ?」

「そうとは思えない」

「なんでなんで、ねえ、なんで? だって、あんなにも輝いているのに儚いなんて、素敵でしょ?」

「そんなものは一時の感情に過ぎない。そのせいで、ろくでもない末路に至った連中も多くいる」

「あれはあれで素敵じゃない。周囲に流されず、真実の愛を貫いたんだから」

「その結果、心中するのでは何の意味もない」

「どうしてこう、あなたは辛辣なの?」

「お前こそ、なぜそこまで恋愛に執着する。私達のような連中が生きていく上で、最も不要なものだろう」

「不要だからこそ、大事にしなきゃいけないんだよぅ。そうでもなかったら、アッパーとダウナーの御先祖の人類は、 何かにつけて色恋沙汰を題材にした映画や小説や漫画や歌を作ったりしないはずだよ」

「それが一番手っ取り早くて人心掌握に持ってこいだったから、だと思うが。お前のように物事を深く考えずに上っ面 だけで全てを理解したような気になって、意味深なようでいて実は何の意味もない言葉の羅列をありがたがっては、 きゃあきゃあ騒いで、感情だけで物事を判断するような輩が、大多数を占めていたからだろうに」

「多数決は正しいんだよ」

「その割に、民主主義は成功しなかったようだが」

「わあ、ひどい」

「とにかく、私にお前の思想を押し付けるな」

「でも、私達は一つなんだよ。一つになっちゃったんだよ。だから、通じ合うしかないじゃない」

「だからといって、それがお前と下らないお喋りに時間を費やさなければならない理由にはならない」

「だけど、それがあなたと私が友達になれない理由にもならない」

「友達ぃ?」

「どうして嫌がるの?」

「お前こそ、なぜそんな考えしか浮かばない。恋だの愛だの、挙げ句に友達とは。笑わせるな」

「私はね、気付いた頃から何もかもが痛かった。辛かった。だから、そういう甘ったるいものが大好きなの」

「それを私に押し付けるなと、何度言えば解るんだ」

「解りたくない。あなたこそ、どうして」

 そんなに意固地なの。その言葉を最後に、ジャクリーン・ザ・リッパーの意識が遠のく。ようやく自由が戻ってくる。 と、喜んだのも束の間、ハニートラップの複眼に無数に増殖した黒い肌の男が映った。同時に、あの忌々しいメタン ガスが触角に突き刺さってくる。わんわんと数万匹のハエが行き交い、聴覚を塞いでくる。ここはどこだ、何がどう なっている。それを理解するよりも先に、脳が蝕まれる。目の前のハエと同じ遺伝子を持つ蛆虫に。
 みぢり、と脳の奥で蛆虫が脳神経を噛んだ。




 こんなことは、前にもあったような気がする。
 但し、あの時は三人が入った檻ごと輸送されていたので、細部は異なっている。だが、大筋だけならあまり違いは ない。デッドストックは両手足をジガバチの唾液で固められたせいで、背中を丸めた恰好になり、その状態 でジガバチに抱えられていた。仰向けにされているのでそれほど苦しくはないが、手足を曲げ続けなければならない のはきつく、曲げ続けた下腹部が重たい。右隣を飛ぶジガバチは、やはり両手足を固めて丸められているプレタポルテを抱え、 左隣を飛ぶジガバチはプライスレスを抱えていた。だが、少年は抵抗する余力すらなかったので、固められている のは手だけで両足はだらんとぶら下がっていた。
 目的地はどこなのだろうか。それ以前に、このジガバチを統率しているのは誰なのか。クイーンビーが死んでいる という確証はないものの、クイーンビーが生きているとすれば、大事な戦力であるジガバチをクリミナル・ハントには 貸し出したりしないはずだ。余程の利益でもなければ話は別だが。クイーンビーでなければ、ジガバチのリーダーで あるハニートラップと考えるべきなのだろうし、この場にも彼女はいる。だが、無反応だった。両手足を固められる前 に散々怒鳴り散らして問い質してみたものの、一言も応じなかったのだ。
 事の成り行きを見守るしかなさそうだ。などと諦観してから、何時間過ぎただろうか。何度か眠りかけたが、振動と 風の冷たさで目を覚まし、ジガバチの乗り心地の悪さに吐き気を憶えたが、体力を温存するために喉の奥に胃液と 共に迫り上がってきた内容物を何度となく飲み下した。
 ジガバチの群れはかつての色街を通り抜けると、次第に高度を下げた。群れ全体で大きく輪を描きながら降下して いき、辿り着いたのは、塔の根本だった。もとい、塔の根本が埋まっていた部分に開いた、巨大なクレーターだった。 塔が爆砕した際にサンダーボルト・シティの名残であったクレーターが更に拡張されたばかりか、大量の瓦礫と土を 消し飛ばして、地面の下に隠されていたものが露わになっている。
 それには、見覚えがあった。粉塵を浴びているのに純白で傷一つ付いていない、半球体のドームだった。記憶が 確かならば、イカヅチがクリミナル・ハントの際に投げ込まれる人間やアッパーの廃棄物を集めては収納していた建物 と全く同じ構造だ。だが、大きさが桁違いに大きい。あの倉庫が卵だとすれば、こちらは月だ。サンダーボルト・シティの 直径を遙かに超えていて、見渡す限りの地平線に半球状の屋根が横たわっていた。
 直径数百キロ、いや、それ以上かもしれない。デッドストックはそんなことを考えながら、半球状の屋根の一部に 開いた穴に吸い込まれていくジガバチの群れに導かれ、中へと運ばれていった。
 うんざりするほど長い通路を通り抜けた先に、ぽっかりと大きな空間が出現した。その構造にまたもや既視感を 覚え、デッドストックは混乱しそうになったが、程なくして思い出した。ドームの中身は、衛星軌道上に浮かんでいた 宇宙ステーションと変わらなかった。違いがあるとすれば、半球状の天井に沿って川が流れていたり、農地で作物 が育っていないことぐらいなもので、それ以外はほとんど同じだ。建物の並びも、道筋も、何もかも。
 ということは、つまり。デッドストックが結論を見出そうとした瞬間、ジガバチの高度が急激に下がり、地面へ乱雑 に転がされた。柔らかな草が生えていたおかげで痛くはなかったが、不意打ちだったので肝を潰した。デッドストック と同時にプレタポルテとプライスレスも放り投げられ、二転三転した後に止まった。
 青々と茂った草が生温い風に吹かれ、揺れる。どこからか、きゃはきゃはきゃは、と女達の明るい笑い声が流れて くる。音源に振り返ると、赤い花の頭から生やした植物の女が左右に身を揺すっていた。パパルナだと察したが、 それにしては数が多すぎる。数十体のパパルナは悩ましい曲線を帯びた両足を澄んだ水に浸していて、肢体を しならせるたびに水が跳ね、葉や茎に水飛沫を浴びては笑っていた。

「……ここ、どこ」

「知らん」

 プライスレスの至極尤もな問いを一蹴してから、デッドストックは両手足を固めている唾液を剥がそうと、両手足を 捩ってみたが、びくともしなかった。スーツを剥がせば唾液ごと外せるかもしれないが、そのために手を動かすこと すら出来そうにない。あれほど大量に飛び回っていたジガバチの群れがいつのまにか姿を消していて、彼女達の 羽音の代わりに、パパルナ達の酩酊した笑い声が響き渡っていた。

「にゅう」

 身動き出来ないのが不愉快なのか、プレタポルテがむくれている。

「どうしたものかな」

 ここがアッパーが作った施設なのは間違いないが、どうやって外に逃げ出したものか。デッドストックがぼやくと、 元気を取り戻してきたプライスレスが噛み付いてきた。

「なんだよそれ!? ここはストッキーの能力でずばーんと自由になって、事態を急転させてどばーんと暴れ回って、 どかーんと外に出るもんだろ! なんだよそのテンション下がるリアクションは! 移動時間がクソッ垂れに長かった んだから、その間にジガバチの唾液をどうにかする方法ぐらい考えてくれよ! 俺が信じたってことは、ストッキーが どう判断するかって事も信じたわけであって、ストッキーが考えてくれることも信じたってことであって!」

「知るか。自分で考えろ」

「あーもうっ、そういうところが嫌いじゃないけどっ! でもっ!」

 一人で騒ぎながら首を振ったプライスレスは、両足をばたつかせたが、はたと気付いた。

「あ、そっか。俺が動けば良いんだ」

「うぃー!」

 プレタポルテが唇を尖らせると、プライスレスは失笑してから立ち上がった。

「んじゃ、ちょっとその辺見てくる」

 そう言い残して、少年は歩き出した。その背中には辛うじてリュックサックが残っていたが、海での乱戦の最中に リザレクションの胴体を引っこ抜いてしまったので、随分と軽くなっているようだった。プライスレスは暖かな日差しと 涼やかな水音と青臭い草の匂いが立ち込めている空間を歩き回り、辺りを眺めていた。デッドストックは丸まった体 に勢いを付けて起き上がり、頭を振ってから、プライスレスを目で追ってみた。
 ドームの中に作られた空間は円形で、パパルナ達が水耕栽培されている浅い池が点在していて、浅い池同士を繋ぐ 細い川が円形に沿って流れていて、その川の間にあるのがデッドストックらが放り投げられた草原だということが 判明した。出口はないものかとプライスレスは探し回ったが、それらしいものは半球状の天井にしかない。しかし、 円形の穴は数十メートルも上にあり、塞がっているので、自力ではまず辿り着けないだろう。
 これでは、手足が自由になっても脱出しようがない。かといって、このまま朽ち果てるつもりはない。駆け戻ってきた プライスレスが矢継ぎ早に捲し立ててくる話を右から左へと聞き流しつつ、デッドストックは思案した。パパルナ達を 利用して外に出るか、或いはパパルナ達に水を与えている水路を通じてこの建物全体にダメージを与えるか。だが、 そのどちらも成功するとは思いがたいし、海の時よりも効率が悪そうだ。
 ならば、どうすればいい。ねえ聞いてる聞いてんのかよっ、とまとわりついてくるプライスレスから顔を背けながら、 デッドストックが思い悩んでいると、天井の蓋が開いて一匹のジガバチが紛れ込んできた。酒に酔っているかのように ふらついていて、何度も天井にぶつかった後、回転しながら落下してきた。
 地面に突っ込む、かと思われたが、激突する寸前に一回転して態勢を整えた。弱い風を纏いながら軟着陸する と、パパルナ達が生えている池に歩み寄っていき、きゃはきゃはきゃはきゃは、と笑い転げているケシの花の女に 食らい付いた。きゃひぃっ、と笑い声が途切れて白い汁が吹き上がり、ジガバチの黒い外骨格を濡らす。パパルナ 達は感覚をある程度共有しているらしく、一人が貪られている最中には金切り声を上げて痙攣した。
 白い汁を顎の周りに垂らしながら、ジガバチは触角を立てて、尖端を彷徨わせる。白い汁と緑色の汁と千切れた 花弁で汚れた複眼がデッドストックを捉え、プレタポルテを捉え、プライスレスを捉える。緩やかな風の中、下両足を 伸ばして直立したジガバチは腹部の外骨格を開き、内膜を開き、その中に宿していた女を露わにした。

「うげっ!?」

 プライスレスが声を潰したのも無理はない。左目以外は包帯で覆った顔、体液でぐっしょりと濡れた長い黒髪に、 ふやけた皮膚を突き破って生えている刃、刃、刃。両手足は失ったままで、胴体には首以外は付いていなかった。 瞼が剥がれて眼球が剥き出しになっている左目がぎょろりと蠢き、焦点が合い、湿った包帯の下で裂けた口元が 引きつった。間違えようがない、この女は。
 ジャクリーン・ザ・リッパーだ。





 


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