DEAD STOCK




17.Breed True



 手始めに、ジガバチを誘き寄せるための罠を作った。
 水を堰き止めた浅い池にジャクリーンが分泌した蜜をたっぷりと混ぜてやり、この水場のある空間と併設している 農地で放棄されていた穀物を集めてから、蜜を混ぜた池にばらまいてやった。その水にデッドストックが肌を浸して 腐らせてやると、数日後には発酵し、濁った酒が出来た。その酒精に惹かれてやってきたジガバチを手当たり次第に 掴まえては、遺伝上の父親に懐かせた。
 女王とリーダーの不在で不安がっていたジガバチ達は、新たな王の出現に歓喜して、プライスレスに従順に従って くれるようになった。但し、無条件で従っているわけではなく、プライスレスが定期的にパパルナから絞ったドラッグを 混ぜた穀物を与えることでジガバチ達は従属してくれた。つまり、ドラッグを餌にしているのである。だが、それには パパルナ達を隔離する必要があったので、酒が完成する前にパパルナ達は一本残らず引っこ抜ぬき、水場の隣に ある農地に植え替えてから肥料を与えた。そのおかげで、パパルナ達も株が増え、目に見えて豊満になった。
 いつしか、水場のドームの中はわんわんとジガバチの群れが飛び回るようになっていた。サンダーボルト・シティ から逃げ出してきた者だけではなく、地下世界に放置されていた卵から孵化した者も多かったが、どちらであろうとも 父親はプライスレスだったので、作業は順調に進んだ。パパルナの体液を絞って作った強烈なドラッグの効力で、 マゴットの蛆虫の支配下から逃れられたおかげだろう、娘達は生き生きしていた。

「んで?」

 おとうたまおとうたま、と近寄ってきたジガバチにドラッグを混ぜた餌を食べさせてやりつつ、プライスレスは次なる 酒造りを終えて池から上がってきたデッドストックを見やった。デッドストックはメタンガスと酒精が混在する臭気を 全身から立ち上らせながら、スーツを身に付けていき、トレンチコートを羽織ってから左腕に鎖を巻いた。

「刃物女」

 デッドストックはプライスレスを歯牙にも掛けずに、ジガバチの一匹を呼んだ。程なくして黒く大きな虫の群れから、 白い包帯を触角に巻いたジガバチが飛んできた。外見だけでは他のジガバチと見分けが付かないので、目印として 付けたのだ。ジャクリーン・ザ・リッパーはデッドストックの前に舞い降りると、胸の外骨格を開いて顔を出す。

「うん、見つけたよー。天上世界への搬入口がね、あったよぉ」

「なんだそれ」

 プライスレスに訝られ、デッドストックはスーツと肌の間に溜まっている水を気にしつつも返した。

「この施設がアッパー共への貢ぎ物を作る工場ならば、それを捧げるための手段がないわけがない。ジャクリーンと ジガバチ共には、それがどこにあるかを探せと命じていたんだ。このドームは規模が大きい、いちいち歩き回って いては時間と労力を無駄にするだけだからだ。それで、どこにあった」

「下だよぉー」

「この施設の地下ということか?」

「うーんと、説明するのが難しいんだけど、とにかく下にあったの。下ね、下。このドームは真ん丸なボールみたいなもの で、私達はその上半分の中にいるんだけど、下の方を探険してみたらね、なんか凄いのがあったの。ジガバチの子が その穴に入ってみたら、出てこなくなっちゃって、それっきりなんだぁ。でも、それっきりってことは、そこからどこかに 出たってことだからぁ、ストッキーが言うところの搬入口なんじゃないかなぁーって。えへへ、賢い?」

 ジャクリーンが得意げに笑うと、プライスレスは苛ついた。

「誰がこの腐れヴィランをストッキー呼ばわりしていいって許可した、あぁ!?」

「下らないことでいきり立つな、鬱陶しい」

「うぃ」 

 デッドストックがぼやくと、プレタポルテがしみじみと頷いた。

「案内しろ。こいつらを連れていく」

 デッドストックが立ち上がると、ジャクリーンはばちんと外骨格を閉じてから頭を垂れた。

「うん、解ったあー。乗せてあげるねぇ」

 プレタポルテを肩に担いだデッドストックがジャクリーンの背に跨ると、プライスレスが何やら文句を言ってきたが、 聞かなかったことにした。プライスレスはすぐさま別のジガバチを手招くと、ジガバチ達の餌をたっぷりと詰め込んだ リュックサックを担いだ背中を揺すりながら、少々苦労して昇った。
 ジガバチの群れと共に飛ぶこと数時間、目当ての場所に到着した。それを目にしたデッドストックは、頭の弱い女 のいうことを信じるものではないな、と痛感した。ジャクリーンが自信満々で示してきたのは、外部へ繋がっているで あろう排水口だった。このドームの内部の環境は宇宙ステーションなどとは違って完全に循環しているわけではない らしく、海から引っ張ってきた汚水がパイプを伝って濾過装置のあるドームに向かって流れている。その濾過装置から 出てきた水が、直径十メートルはあろうかという化け物じみた排水口に飲み込まれていく。周辺の空気は、地下 の地下の下水道と大差のない饐えた匂いで膨れ上がっていた。

「……どーすんの」

 話が違いすぎねぇ、とプライスレスがガスマスクの下で渋い顔を作ると、プレタポルテも嫌がった。

「むぅ」

「ここから出るしかないだろう」

 どうせ、他に手段もなければ探している暇もないのだ。デッドストックは大きな排水口を囲んでいる通路に下ろして もらってから、ジャクリーンに頼んだ。

「お前の腹の中に入れろ」

「ふぇ?」

 きょとんしたジャクリーンに、デッドストックは膨大な汚水を排出し続けている排水口を示す。

「俺達が生身であの中を通れると思うのか」

「無理だね!」

「だから、お前の腹の中に入れろ。人造妖精と、お前らのパパもだ」

「うん、解ったあ!」

 これといった疑問も持たないのか、ジャクリーンは胸部の外骨格を広げてみせた。ジャクリーンの場合は両手足を 欠損しているので、かなり無理をすればデッドストックが入れないこともないだろう。だが、他のジガバチの中身の 女達は基本的に五体満足なので、小柄を通り越して矮小なプレタポルテは簡単に入るが、プライスレスはこれまで ずっと生死を共にしてきた荷物を捨てなければ入れなかった。
 少年の決心が付くまでは大分時間が掛かったが、どうしても捨てられないものを少しだけ持っていくということで腹を 括った。デッドストックはプレタポルテの入っているジガバチを見失わないために、プレタポルテの相手のジガバチ の触角の根本に、トレンチコートの袖を千切って結び付けておいた。その切れ端をプレタポルテも欲しがったので、 更に細かく千切って渡してやると、にこにこしながら握り締めた。
 ジガバチの狭い胎内に収まったデッドストックは、ジャクリーンの口にパパルナの白い汁を煮詰めて固めたものを 押し込んで酩酊させてから、彼女に身を任せた。一度中に入ってしまえば外の様子は解らないし、ジガバチ達のような 繋がりもないので二人の様子も解らなくなる。だから、ジャクリーンを信頼するしかない。最も信頼に値しない女では あるが、非常事態なのだから仕方ない。微細な震動と共に足元がぐらついた、かと思うと転落した。
 直後、濁流に呑まれ、揉まれた。




 あらゆる水は海に至る。
 だから、デッドストックらも再び海に浮いていた。正確に言えば、外骨格が開いたジガバチの腹から浮き上がって いた。周囲にはジガバチの死体が大量に漂っていて、海面を埋め尽くしている。腹を空かした怪魚が、ジガバチを 喰おうとしたようだが、毒針が口の中に刺さったらしく、死んでいた。ジャクリーンはどうなったのだ、とデッドストック が外骨格から体を引き摺り出すと、ジャクリーンは汚れた海水ではなく自らの体液に浸っていたので、生きていた。 それがありがたい一方で、少し残念だった。この女も、かなりしぶとい。

「おい、起きろ」

 デッドストックがジャクリーンを引っぱたくと、両手足のない女は包帯を巻いた顔を振り、左目を剥く。

「あれぇ、ここ、どこ?」

「外だ」

「わぁい、外だぁ! 広いなー! 冷たいなー! 空気が汚いなー! うわあー!」

「人造妖精とプライスレスを外に出せ、動ける連中を全部動かせ。マゴットを殺しに行くぞ」

「はぁーいっ」

 ジャクリーンはにこにこしながら油膜の張った海面から浮上し、ぶびびびびび、と羽から水気と油を払ってから、 触角を曲げた。デッドストックがその背によじ登ると、生き延びていたジガバチが次々に浮き上がってきたが、その 数は全体数の半分にも及ばなかった。だが、一匹もいないよりはいい。羽を震わせて飛び始めたジガバチを眺める と、触角の根元に茶色い糸切れが絡んでいるジガバチを見つけた。その虫を手招いて胸の外骨格を開かせると、 青い顔でぐったりしているプレタポルテが出てきた。プライスレスは自力でジガバチの胸を開けさせ、外に出たが、 うっかり海に落ちかけたところを他のジガバチに拾われた。
 ジャクリーンに与えたドラッグが切れないうちに終わらせなければ、こちらが痛い目を見る。デッドストックは彼女を 急かし、マゴットの居所に向かわせたが、その道半ばでジャクリーンが奇声を発するようになった。ドラッグの効果が 薄れると妄想も出てきてしまい、会話の端々にまーくんが混じり始めた。その度に残り少ないドラッグを喰わせたが、 多く与えすぎると逆に妄想が強くなるらしく、ジャクリーンはデタラメに飛び回るようになった。
 それでも、辛うじて目的地へは到着したが、着陸とは言い難い角度で地面に突っ込んだ。乾いた土と枯れた麦 と共に飛び散ったのは、人間の骨だった。他のジガバチ達も次々に墜落しては干涸らびた畑に突っ込んで、中には 頭が取れてしまった者もいたが、プレタポルテとプライスレスのジガバチは無事だった。デッドストックは支離滅裂な ことを捲し立てているジャクリーンを押しやってから、立ち上がり、トレンチコートの襟を正した。
 デッドストックらがこの土地を訪れた時は、まだイカヅチとヴィジランテの影響力が残っていた。だから、大規模な 農地を耕せるほどに人員を割き、設備を整え、あの地底のドームから汲み上げた澄んだ水を撒いて穀物を育てる ことが出来ていた。だが、イカヅチの電力も失い、イカヅチと共にヴィジランテも失った今、農地を運営出来るほどの 権力もまた失った。以前は昼夜を問わず働いていた農民の姿もないが、この無数の人骨はかつては労働力として 重宝されていた人々なのだろう。それを安易に殺してしまうとは、浅はかにも程がある。
 だから、こうなるのは自然の摂理だ。干涸らびた畑の中央にぽつんと作られた、ハエの餌の成れの果てであろう 人骨を組み上げた玉座で、額に赤い印が付いたジガバチがハエ人間の頭部を噛み砕いていた。その複眼には、 ハエ人間の体液がこびり付き、ぬらりと光る。だが、額に赤い印が付いたジガバチもまた息絶えていた。胸の外骨格が 開き切り、絶命した女の肉体が零れ落ちていたが、青ざめてふやけた肌を蝕む蛆虫もまた一匹残らず死んでいた。 それが彼女の勝利の証しであると共に、黒い外骨格が爆ぜる寸前まで胎内で増殖した蛆虫と、蛆虫の王に対する 報復だった。デッドストックはハニートラップだった肉塊を一瞥すると、背を向けた。

「来るまでもなかったな」

「どうすんの、これ」

「うー」

 プライスレスとプレタポルテの尤もな感想に、デッドストックはリーダーの死に沸き立っているジガバチ達を眺め、 トレンチコートの襟を直した。ジャクリーンを含めた生き残りのジガバチ達は、次なるリーダーを決めるための争いを 早々に始めていた。彼女達の破片と体液が降る中、デッドストックは少年と人造妖精を伴って歩き出した。

「そんなもの、血が決めることだ」

 争いを勝ち抜き、生き残った者が主役になるのは、この世の道理だ。それが、小細工でどうにかなるわけもない。 自分より強い者を操ろうとしても、操れるわけがない。ぷちぷち、ぶちゅぶちゅ、ぐにゅぐにゅ、と無数の死んだ蛆虫を 踏み潰しながら、デッドストックはほのかな温もりを感じて顔を上げた。光が降り注ぎ、足元に影が落ちた。
 クリスタライズの仕業だ。ぐるりと頭を巡らせてみると、見渡す限りの壁という壁が透き通っていた。鉄の鳥から見た 光景を信じるならば、リザレクションの肉を用いた壁は地球全土を覆っているので、クリスタライズもまた地球全土 に匹敵する距離を移動しながらリザレクションを結晶化させていったことになる。なんという執念、いや、愛情か。 どちらにせよ、これで仕事がかなり楽になった。
 ブーツの底に貼り付いた潰れた蛆虫の煩わしさに辟易しながら進んでいると、どお、と海面が割れた。何事かと目 をやると、鉄の鳥が水没しているであろう海底から光の柱が上がっていた。それだけであれば、故障した鉄の鳥が 何らかの原因で爆砕しただけで済むのだが、光の柱は種火が残る廃油の波を蒸発させた。それどころか、日光を 受けた海水が清浄に煌めいた。汚物、汚水、排泄物、廃棄物といった穢れが光の柱に触れては消えていく。
 これは鉄の鳥に搭載されていたクォンタム・ドライブの影響なのか。それ以外に理由らしい理由は考えられないが、 だとしても原因は何だ。クォンタム・ドライブを無意識に操っていた概念操作系の能力者であるプライスレスの能力に よるものだとは考えづらいし、右手を失ってからは能力を行使していない。と、いうことは。

「お前の娘の仕業だな」

 デッドストックがプライスレスを見やると、プライスレスはぎょっとする。

「へぁっ!?」

「イミグレーター共はお前やスマックダウンを生ませ、利用し、この星を作り直そうと企んでいたが盛大に頓挫した。 スマックダウンも死んだ。お前も馬鹿をやらかして、能力の限界を狭めた。だが、イミグレーター共のクソッ垂れな 血はまだ息づいている。お前がクイーンビーに搾り取られた分だけ生まれた、ジガバチ共の中にお前と似たような 能力を持っている奴がいるんだろうさ。もっとも、そいつには自覚がない上に、クイーンビーの価値観の影響のせい で綺麗な世界とやらに憧憬を抱いているようだがな。そのせいで、妙なことになっていやがる」

 デッドストックが浄化されつつある海を指すと、プライスレスは口籠もった。

「え、てぇ、ことは」

「お前は用済みなんだよ。喜べ」

「急にそんなん言われても、なんか、うん……」

 どんなリアクションしたらいいやら、と小声でぼやきながら、プライスレスはオレンジ色の作業着のポケットに両手 を突っ込んで背中を丸めた。プレタポルテは光の柱と透けた壁と、なぜか落ち込んだプライスレスと、それらを一切 無視して歩き出したデッドストックを見比べていたが、デッドストックの背を追い掛けた。しかし、途中で盛大に足を 滑らせてしまい、死んだ蛆虫の上に転んでしまった。体の前面にべっとりと付いた蛆虫の体液と肉の匂いと感触に プレタポルテは青ざめたが、ぐっと吐き気を堪え、半泣きでデッドストックを追い掛けてきた。
 茶色い布地を巻き付けた小さな手が、鎖を巻き付けた左手を掴んでくる。蛆虫まみれだが、少女の手の温もり と柔らかさに代わりはない。もう一息、もう少し、もうしばらく、だが、その後は。クリスタライズを殺し、アッパーを殺し、 リザレクションを殺した後はデッドストックは用済みになる。デッドストックを始めとしたヴィランを釣るための餌だった プレタポルテも用済みになる。イミグレーターが地球を良いようにするために作ったプライスレスも、プライスレスの 血を継ぐ娘も用済みになる。その後に、何があるのだろう。イカヅチやマゴットが追い求めて止まなかった英雄譚も いつか終わってしまうし、終わってしまえば続きはない。未来もなければ、過去も消える。
 だから、残るのは勝者の血だけだ。それ以外には、何も残らない。それでいいのだと思った反面、そんな結末で いいのかという疑問も湧く。自分はともかくとして、人造妖精は滅ぶべきではないという執着が生まれてくる。それが どれだけ愚かな考えであるか、空しい夢想であるか、知っているはずなのに。
 ヴィランのくせに、焼きが回ったものである。





 


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