DEAD STOCK




18.No Body



 娯楽、快楽、怠惰。
 アッパーを現す言葉はそれだけで充分だ。クリスタライズは、結晶化させた壁を突き破り、その内側に潜んでいる 真っ白い球体に行き着いた。直径十キロはある、アッパーが暮らすためだけに作られた科学技術の集大成であり、 人間の生臭みを煮詰めて凝らせた器でもある。その球体の外角を結晶化させ、拳で砕き、中に入った。
 壁を成しているリザレクションの肉を結晶化させた時点で、球体の機能は死んでいた。それもこれもリザレクション の再生能力に頼り切っていたからだ。だから、リザレクションに異変が起きれば彼女の巨大な筋肉の収縮によって 行われていた発電も止まり、その電力を受けて動く機械も止まり、機械も止まれば人々も止まる。
 もっとも、これが人間だと言えるのかどうかは怪しいが。煌びやかなだけで機能性に欠ける通路を通り抜けた末に クリスタライズは居住区に出ると、本物のアッパーと顔を合わせた。宙に浮いた椅子に横たわっている物体は、醜悪に ぶよぶよと肥え太った白い肉塊だった。両手足らしきものが生えているが、筋肉が著しく衰えている。誰も彼も素顔 は透き通ったヘルメットに覆い隠されていて、その内側には顔中の皮膚が弛んで口元が緩んだ顔があったが、 男も女も区別が付けられないほどだらしない。それこそが、ダウナーを弄んできたアッパーの正体だった。

「はあ……」

 こんな連中を喜ばせるために、ヒーローを目指していたわけではないのに。クリスタライズは結晶で覆われた額に 手を当てると、嘆息した。電源が途絶えているので、アッパー達が乗っている椅子は床に転がっていて、その上に 乗っていた肉塊も転げ落ちていた。皆、生命維持装置を付けているようだったが、それもまた電源が切れているので 呼吸すらも出来なくなって死んでいた。中には息が残っている者もいたが、触ることすら嫌だった。
 球体の中を歩き回って水と食糧を得たクリスタライズは、機械を操作してアッパー達の世にも情けない死体の山 を片付けさせてから、地下世界で稼働しているメダマを通じて様子を探ってみた。クリスタライズが壁を透き通らせた からだろう、汚れきった大地に日光が差して見通しが良くなったが、それ故に惨たらしさが浮き上がる。ダウナー である人々が求めるのは、ヒーローではないという事実も知らしめられる。皆、英雄よりも食糧を、偶像よりも酒を、 神よりもドラッグを欲している。即物的なものにこそ価値があり、理想で腹が膨れるわけではないからだ。

「困ったもんだよ」

 それを知っているのに、ヒーローになりたくてたまらない。ヴィランとしてクソッ垂れな人生を全うし、欲望のままに 生き抜けばいいものを。それなのに、クリスタライズはイカヅチに捕らわれた際に見せられた偶像に夢中になって、 見栄えが良いだけで中身が空っぽな理想に耽溺し、自分は世界を救えるような凄い能力者だと過信した挙げ句、 アッパーのオモチャにされた。脳を引っこ抜かれて肉体を失い、その肉体だけはヒーローらしい振る舞いを行い、 今に至る。その立場に収まるべき男が他にいると知った時は、既に手遅れだった。

「俺はヒーローなんかじゃなかった」

 増して、主人公でもなかった。クリスタライズはボトルを傾けて手中に甘い酒を垂らし、結晶化させた。

「ただの馬鹿だったんだ」

 それを一息に握り潰し、砕き、輝く粉にする。

「おまけに」

 なんて陳腐で、在り来たりで、平凡で、つまらない恋をしたものだ。結晶体で覆った目の下で瞼を伏せ、腹の中で 渦巻く衝動をやり過ごす。気が狂いそうなほど恥ずかしく、情けなく、笑い飛ばせるほどの余力もない。
 あの時、リザレクションに目を奪われたのが、間違いの始まりだった。クイーンビーの娼館に捕らわれた、脆弱で 愚かでそれ故に美しい女だと思わなければ、クリスタライズの能力を厭わずに受け入れてくれた女の真意を計ろう としていれば、あの女が檻の中で誰を待っているのかを考えていれば、こうならなかったはずだ。だが、あの瞬間、 クリスタライズもただのつまらない男に過ぎなかった。触れたものを全て結晶化させてしまう能力を持ったがために、 他人の温もりも、肌の甘やかさも知らなかったせいで、リザレクションは女神にも等しい女だと思い込んだ。そして、 リザレクションを自分のものにするために立ち回り、デッドストックという腐れヴィランから守るために結晶化させ、 イカヅチが振り翳す大義名分が正義であると思い違いをして配下になった。だが、その結果がこれだ。
 それでも、己の正義を貫こう。




 空が明るいと、世界が見通せるようになる。
 もっとも、光量が多いので汚物もより鮮明に見えてしまうのが困りものだが。デッドストックは白骨化している怪魚の 背骨の上に横たわり、ぼんやりと透き通った壁を眺めていた。その隣ではプレタポルテがデッドストックの真似事を しようとしているのだが、背中の羽が邪魔なので俯せになっていた。内側に弓形に沿った肋骨と、ひどい奇形なので 噛み合わせが歪んでいる頭部の骨と複数のヒレには、年月と共に堆積した砂が付着している。
 また、壁の一部が崩れた。塔が立っていた場所に開いた大穴からは離れているが、大小様々な結晶体の破片が 降り注いでくる。特に大きな結晶体が落下した後、現れたのは白い球体だった。塔の真下に隠れていた球体と外見 は同じだが、どう見積もっても大きさが桁違いに上だ。その球体は自重で壁から剥がれると、棘のような結晶体の 破片に包まれながら、地下世界に降ってきた。もちろん、それを見つけたのはデッドストックだけではない。
 朽ち果てた農地の隅にある居住区から、悲鳴にも似た歓声が上がった。途端に人々が駆け出してきて、球体の 落下地点に向かおうと口々に叫んでいる。これでまたあの白い肉が食える、と喜んでいる。彼らが乗る古びた車の エンジン音が遠ざかっていくのを聞きながら、デッドストックは首を横に振った。

「悪食共め」

「うー」

 プレタポルテが唇を尖らせると、二人とは反対側で座り込んでいたプライスレスが肩を竦める。

「仕方ねぇだろ。あいつら、俺らとは違うんだもん。人喰いだもん」

「あの球体の中身は、十中八九アッパーだろうに」

 よくもそんな肉を食えるものだ、とデッドストックは変なところで感心してしまった。能力者でもアッパーでもなければ イミグレーターでもない常人達は、食い意地という最も業の深い能力に特化しているのだろう。しかし、利点がない わけではない。彼らがアッパーを食糧にして処分してくれるのであれば、球体が落ちてくるごとに生き残りのアッパー を殺しに行く手間が省ける。ヴィランの島で這いずり回っていたヴィラン共も、ジガバチの群れが潰してくれたので、 奇襲されることのない緩やかな時間を過ごせている。

「おとうたま」

 拙い言葉と共に骨の檻に舞い降りてきたのは、一匹のジガバチだった。触角の根本に、プライスレスの作業着の 袖を千切って作ったオレンジ色の布が巻き付けてある。それが、概念操作能力を継承した者である証しだった。

「お帰り、スイーティ」

 プライスレスが袖を千切った右腕を振ってやると、幼いジガバチ、スイートハートはかちこちと顎を鳴らす。

「たぢゃいま」

「んで、イカヅチとマゴットが使っていたデータバンクは見つけたか?」

「ん。しろくて、まるいの、あった」

 スイートハートは首を上下させると、上右足で地平線の彼方を指した。

「いもうと、みちけた」

「どれぐらい遠い?」

「ずっと、じゅっと、ずうっと。いもうと、じゅうはち、あさ、こえて、やっと」

 スイートハートはプレタポルテと大差のない言語能力で、必死に説明してくれた。この大陸はとてつもなく広大で、 海から離れれば離れるほど地面も乾いていき、砂だらけになり、人間の影も見えなくなる。その砂の海を十八日も 真っ直ぐ飛んでいくと、砂の中に例の白い球体が埋もれている。ジガバチのネットワークとは異なる情報網なので、 内容までは読み取れなかったが、常に膨大な量の電波が飛び交っていた。それが当たりかどうかは確証はない が、他に思い当たる節もないし、手掛かりもない。そのデータバンクから情報を引き出した者がまた良からぬ企て をすると、厄介なことになるのは目に見えているので、手っ取り早く壊すに限る。
 だが、あまりにも遠い。ジガバチの力を借りようにも、パパルナのドラッグという餌もないのでスイートハート以外 のジガバチは他人の指図を受けるとは思いがたい。その上、再び妄想と狂気に駆られるようになったジャクリーン・ ザ・リッパーもジガバチのネットワークに繋がったままなので、万が一スイートハートが弱ってしまうとジガバチ達を 制御するのは意識が強いジャクリーンになってしまう可能性も否めない。
 スイートハートが無意識に行った概念操作の影響で、廃油や化学物質で汚れた海が澄み渡り、吹き抜ける潮風も 爽やかになった。そのため、プレタポルテはガスマスクを付ける必要がなくなり、デッドストックもかなり呼吸が楽に なっていた。それでも、プライスレスはガスマスクのストラップを緩めようともしなかったが。

「またね、おとうたま」

 おちごと、おちごと、と言い残してスイートハートは飛び去っていき、ジガバチの群れに混じった。概念操作能力を 備えた彼女はジガバチの新たな女王でもあるようで、群れに戻るや否や、多数のジガバチに囲まれた。彼女達は 地面を掘り返してその下に巣を作っているらしく、土にまみれたジガバチ、巣作りの材料を運ぶジガバチ、餌となる 人間の死体を運んでくるジガバチ、と役割を分担していた。どれほど遺伝子をいじくられようと、生態系はハチらしい ままである。時折、ジガバチの群れが二つに分かれて騒がしくなるのは、ジャクリーンの狂気に煽られた一派が 攻撃衝動に駆られて暴れるからだ。それ以外にはトラブルもなく、新たな巣作りに勤しんでいた。

「暇だな」

「うぃ」

「だなぁー」

 デッドストックの呟きにプレタポルテが同意し、プライスレスも同調した。

「まずは足を探すか」

 ジガバチの飛行速度でも十八日も掛かるとなれば、徒歩ではまず無理だ。デッドストックの提案に、プライスレスは 同意しようとするも、背を丸めて頬杖を付いた。

「つっても、そんな当てがあるの? ないよねー? 鉄の鳥も海の底だしねー?」

「うぃー」

「常人共から車を奪うか」

「んー。悪くねぇけど、燃料がなー。スイーティが海を綺麗にしちゃったもんだから、石油が減っちゃったし」

「うぃー」

「かといって、他に何もないだろう」

「だよねー。んじゃ、ストッキー、よろしくぅ」

「うぃ!」

「なぜ俺に丸投げする」

「そりゃ、だって。俺の能力の使いどころはストッキーが決めるって言ったしぃ、こんなことのために全身バラバラに なって死ぬのは勿体なさすぎるしぃー?」

「みゅう」

「全く」

 デッドストックは身を起こし、農地の奥にある居住区を見据えた。常人を相手に暴れるなら、鈍っていた体を温める には丁度良い。うとうとしているプレタポルテを小突いて起こしてから、デッドストックは怪魚の脊椎から降り、両肩を 大きく回して筋を解した。プライスレスは余程退屈していたらしく、よっしゃ来たぁっ、とはしゃいだ。
 天からの落とし物によって人払いが済んだ居住区に近付いた頃、結晶体の雨がぱらぱらと降ってきた。大気摩擦 で燃え尽きたものもあれば、原形を止めているものもあり、弾丸の如く瓦礫に突き刺さっては大穴を開けた。無用な 傷を避けるために大きな瓦礫の下に身を潜めていると、一際巨大な結晶体が落下し、居住区の中心に突き刺さった。 と、同時に衝撃波が生じ、乾いた土が円形に抉れて茶色い粉塵が上がった。海風が粉塵を拭うと、花の蕾のような 形状の結晶体が解け、開ききり、両手足を伸ばしきって直立した。それは、人の姿をしていた。
 間違えようがない。クリスタライズだ。





 


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