DEAD STOCK




18.No Body



 轟音、爆音、悲鳴。
 ふと気付くと、見たこともない景色が目の前に広がっていた。ビル群が乱立する都市を化け物じみた怪力を持つ 人間が駆け抜け、怪物と死闘を繰り広げている。壮大な音楽と共に放たれる攻撃は怪物を退け、圧倒し、遂に怪物 の命を奪い去った。だが、怪物と戦っていた奇妙な恰好の人間は賞賛されることはなく、都市を破壊した悪人だと 誹られ、蔑まれ、差別され、ついには地球から追放された。

「面白いだろう?」

 声を掛けてきたのは、デッドストックの隣で胡座を掻いている結晶体の男、クリスタライズだった。

「おい」

「何がどうなったのか、って聞きたいのか。そりゃまあ、ごもっともな質問だけど」

 説明するよりも自分で確認した方が手っ取り早いだろ、と言って、クリスタライズは手のひらを空中に差し伸べて 平面の結晶体を作り、デッドストックの前に置いた。即席の鏡だ。そこには、両手足を尖った結晶で固められて動き を封じられた、黒い肌の男が映っていた。その背後には、両手足だけでなく全身を固められた人造妖精と少年が 転がされていた。ぎくりと心臓が跳ね、血流が戻ると、氷解するように記憶が解けてきた。
 天上世界と地下世界を隔てていた壁から突如降ってきたクリスタライズが人型に戻り、デッドストックと対峙した。 そこまではよかったものの、クリスタライズの能力と実力は圧倒的だった。デッドストックがクリスタライズに触れる よりも早く、クリスタライズは自分の周囲の空気を結晶化させた上で軟化させ、デッドストックに向けて投擲し、デッド ストックの全身を結晶体で包み込んだ。こうなると、身動きも取れなければ腐敗能力も役に立たない。抵抗出来る はずもなく、デッドストックは結晶体の彫像と化して意識を失った。
 だから、それから先は思い出せない。思い出せないから、なぜクリスタライズと隣り合って同じ立体映像を眺めて いなければならないのか、という理由が何一つ解らない。奥行きのある音楽と共に大量の人名が流れていき、最後 に何かのロゴが現れると、映像が止まった。立体映像の明かりに縁取られた横顔が、デッドストックに向く。

「要するにだな、俺はお前らを掴まえて持ってきて、一緒に映画を見ている」

「どうやったんだ」

「大したことじゃないさ。アッパーのデータバンクに至るまでの道を結晶化させて摩擦係数を軽減させて、その上を お前ら三人を担いで滑ってきたんだよ。結構楽しかったよ」

「御苦労なことだな」

「ははは、いや全くだよ。途中で何度放り投げて捨てようかって思ったけど、そんなことをすれば労力が無駄になる から、ぐっと我慢して担いでいたんだ。褒めてくれてもいいんだぞ?」

「誰が褒めるか」

「だろうね、そう言うと思ったよ」

 次はどれがいい、とクリスタライズに急かされて、デッドストックは目を動かした。クリスタライズが指し示したのは、 四角く区切られた板状の立体映像だった。そこには、興味を惹き付けるための仰々しいデザインとキャッチコピー が添えられた写真や絵がずらりと並んでいた。他にもあるよ、とクリスタライズは透き通った板の端を上下させて、 新たな写真を見せてきた。だが、一度に見せられると何がなんだかさっぱり解らず、困惑した。

「そうか、お前は映画なんか観たことなかったっけな。せめてジャンル分けしてやろう」

 デッドストックの心中を察したクリスタライズは板状の立体映像を操作し、分類した。

「とりあえず、アクションとSFとホラーと恋愛とアニメに分けたけど、どれがいい?」

「アクションとSFの違いがよく解らんのだが」

「俺もよく解らないけど、規模のでかいテロが起きて爆発ボンボンするのがアクションで、何かにつけて地球の危機 とか宇宙の危機に陥るのがSF、って感じかな。原因は大体異星人だけど」

「余計に解らないぞ。何がどう違うんだ」

「んー……」

 それを俺に聞かれてもな、映画を作った人間に聞いてくれ、とぼやいてから、クリスタライズは写真を一つ選んだ。 とにかくこれでも見ようか、と言って写真を立体映像に向けて投げると、写真に付いているロゴと同じタイトルの映像 が始まった。冒頭から次々に爆発が起きては人間が吹き飛んでいるので、アクションなのは間違いなさそうだ。
 クリスタライズは背を丸めて頬杖を付いていて、これが伏線、こいつはすぐ死ぬ、こいつは警官だけど悪人だ、と 映画の展開をバラしてしまった。それだけ何度も見た映画だということなのかもしれないが、デッドストックは映画を 見ること自体が初めてだったので、それに怒るべきか困るべきか少々悩んだ。
 テロリストと警官が戦い抜いたアクション超大作映画が終わると、クリスタライズはすぐに次の映画を再生させた。 それは人間関係がやたらと入り組んだ恋愛映画で、婚姻関係にある男女がまた別の婚姻関係を持っている男女と 深い仲になったかと思えば、主人公である男女と過去に関係していた男女が現れ、何がなんだか解らなくなった。 挙げ句の果てに、男女六人は殺し合ってしまった。この筋書きを書いた人間は良い結末を思い浮かばなかったの だな、とデッドストックは在り来たりな感想を覚えた。エンディングの後では、ただ一人生き残った女が、行きずりで 肉体関係を持った男に背中から刺されて死んでいた。
 その次に再生されたのは、化け物が現れて都市を破壊し始めると、また別の化け物が現れて取っ組み合う映画 だった。単純明快だがそれ故に面白かった。デッドストックは初めて興味を持ち、前のめりになった。クリスタライズ も茶々を入れようとはせず、ビルもタワーも越える背丈の化け物同士の乱闘を凝視していた。
 その次に再生されたのは、化け物の乱闘に比べるととても退屈な映画だった。美しい情景と思わせぶりなセリフと 意味ありげな表情の俳優達が、延々と映っているだけのものだった。先程の映画の余韻が残っているデッドストック は上の空で立体映像を見ていたが、内容は全く頭に入ってこなかった。クリスタライズも同様だった。一つだけ気に なったことがあるとすれば、若い女優が着ていた服のデザインだった。ジャクリーン・ザ・リッパーがヴィジランテ時代 に着ていた、ジョシコーセーとやらの制服と全く同じだった。画面の中では、その制服を着た黒髪の少女が若い恋人 との青い恋に悩んだ末に、恋人のナイフで自殺した。恐らく、イカヅチはこの衣装を元にした服を作り、ジャクリーン に与えていたのだろう。繊細すぎて恋愛すら覚束無い儚げな少女と、全身から刃が生える苦痛から逃れるために 妄想の恋人に執心する女に共通点があるとは思えないが、イカヅチの言わんとしがたいことはなんとなく解らない でもなかった。制服と血染めの刃物は、実によく似合うからだ。

「で」

「で、って」

 デッドストックが問うと、クリスタライズは生返事をした後、ごきりと硬い首を曲げた。

「この映画が終わったら、こいつらはどうなると思う」

「どうにもならん。ただ終わるだけだ」

「まあ、そうだよな。プライシーもそう言っていた。これは所詮作り事だから、俺達が見るのを止めれば全部なかった ことになる。映像を消してしまえば終わる。それだけだ。だけど、そうじゃなかったとしたらどうなる」

「意味が解らん」

「筋書き通りに物事が起きて、戦って生き延びて戦って生き延びて戦って戦って戦って、んで、その後は?」

「だから、どうにもならん」

「後が肝心なんだろ。映画の中には続編が作られたり、外伝が作られるものもあるが大体は投げっぱなしだ。世界 は何度も滅びそうになるし、ヒーローは迫害されるし、ヴィランは何かにつけて出てくるし、ゾンビが溢れるし、男と女 がベタベタしまくるし、宇宙人が襲い掛かってくる。でも、その後が肝心なんじゃないか。非日常が終わったら、何事 もなかったかのように日常が再開されるわけがないんだ。世界を救った英雄が、映画の冒頭と同じように凡人扱い されて一生を終えるわけがないんだ。紆余曲折を経てくっついた女とすぐ別れるわけがないんだ。ゾンビを残らず 殺しても、ゾンビになった人間が生き返るわけでもないんだ。俺達も、それと同じことだろ」

「それを言いたいがために延々と映画を見せてきたのか。下らん」

「俺のややこしい感情を理解してもらうには、これが一番だと思ったんだよ」

 クリスタライズは薄暗い空間に手を差し伸べ、空気中の粒子を結晶化させて手のひらに落とした。

「俺はヒーローになりたかった。アッパー共のオモチャにされて、ヒーローごっこをしていた。で、ヒーローになったし、 ダウナー共の間でもそれなりにヒーローらしく扱われていた。でも、そこに俺はいないんだ。俺自身はノーバディ にされていたし、俺の体がヒーローごっこをしていただけだった」

「下らん」

「まあ聞けよ、最後まで。ヒーローが世界を救う輩なら、俺はその世界を救う輩の前に転がされるだけの石ころなんだ って気付いたのは最近のことだ。けどな、石ころだって解っても、俺はやっぱりヒーローになりたいんだよ。女に 惚れてもいいじゃないか、男なんだから。その女が俺を見てくれないと解っても、足掻いてもいいじゃないか」

「イカヅチも似たようなことを言っていた。マゴットもだ。お前も同類だったか」

「かもな。俺達が連んでいられたのは、根っこの価値観が似ていたからなんだろう。そうでもなかったら、あんな奴ら と付き合うかよ。イカヅチは危なっかしかったし、マゴットもヤバかったしな」

「それは功名心なのか、自己顕示欲なのか」

「似ているようで違う。俺自身が世界の軸で、中心で、本物なんだって思いたいからじゃないのかな」

「なぜだ」

「偽物には価値がないからさ」

 これでも喰え、とクリスタライズはチューブ状の容器を突き出してきたが、デッドストックは顔を背ける。

「いらん。なぜそう思う」

「映画って、一度大当たりした映画と似たようなタイトルと内容のやつが何本も作られるんだよ。で、それもいくつか 見てみたんだけど、それがまたひどいんだよ。中には面白いのもあるけど、ほとんどは安っぽくて出来が悪くてさぁ。 複製というのも憚られるほどで。だから、俺達もそうなんだ。そうでないわけがないんだ」

 チョコレートと文字が書かれているチューブ状の容器を銜えたクリスタライズは、容器を握り、中身を飲んだ。

「リザレクションを殺せるのがお前だけ、って辺りで全部読める、読めないわけがないよ。それなのに、俺にどうしろ ってんだよ。恰好付けてポーズ決めて、良い感じのセリフを言って、可哀想で可愛い女の子を助けても、俺はお前には なれはしない。それが解るかよ、解らないだろ、解ってたまるかよ」

「だったら、なぜ俺を連れてきた。その場で殺せばよかったものを」

 デッドストックの意見に、それもそうだな、とクリスタライズは半笑いになって容器を噛んだ。

「お前は、自分が誰でもなかった頃のことを覚えているか?」

「少しは」

「俺は覚えてねぇよ。思い出せない、といった方が正しいな。ある日突然地下世界に生まれて、親兄弟もいなくて、 能力に振り回されるばっかりで、気付いたらこの有様だ。何者になるべきか、なりたいのか、って考える余地すらも 与えられていなかった。名前も最初から決まっていた。クリスタライズ。クリス。クリスティ」

「俺に名前はない。あの女がこの名で呼んだから、俺もその名で自分を呼んでいるだけだ」

「それでも、華々しい役割が決まっているだけマシじゃないか。不良在庫であっても、一つだけ残っているもので あるのなら、本物になるんだ。オンリーワンってやつだ。だから、愛してやれよ。あの女を」

「一度は抱いたが、二度はない。反吐が出る」

「殺されたいって言われるほど惚れられているくせに?」

「戯れ言を抜かすな。口を潰すぞ。大体、あの女はもう女じゃない。その上、あの女を砕いてバラしたのはお前だ」

「そりゃあな。んで、その破片を使ってこの状態まで体を再生させたが、かなりきつかった。それもこれも、あの女の 心をお前が埋めているからだ。今まではそうでもなかったから、誰でもあの女の肉片を使うことが出来たが、それは もう無理なんだ。あの女が気を許しているのは、お前だけだから」

 俺のものだと背中に書いても無駄だった、と呟いてから、クリスタライズはかぶりを振った。リザレクションの背景と 真意を知ってしまうと、そこまで深入りするほどの女だとは思えないが、クリスタライズにとっては未だに女神なのだ。 だから、つまらないことで思い悩む。なんて小さく、俗な男だろうか。だが、それだけクリスタライズは真っ当な価値観 を持っているのだとも思う。一時の生温い感情に揺さぶられるほど、ナイーブだ。その繊細さが少しばかり羨ましいと 思ったのは、人造妖精に対して感じている感情を持て余しているからだろう。
 最後の映画が終わると、クリスタライズは銜えているうちに結晶化したチューブ状の容器を噛み砕くと、その辺りに ぺっと吐き捨てた。が、破片に絡んでいた唾液も即座に結晶化してしまい、唾液が触れた床も壁も結晶が生える。

「お前は、あの女をどうやって抱いた」

 こんな能力持ちでは、股を開かせるだけでも一苦労だ。デッドストックが訝ると、クリスタライズは口角を曲げる。

「床に貼り付けさせた両手足を結晶にして、俺のを突っ込めるように股を裂いて、俺のが入る前に股が固まらない ようにジガバチ共の蜜をぶちまけて、んでなんとか一発。お前は?」

「似たようなものだ。もっとも、俺の場合は腐りつつある肉を抉っているのと同じだったがな」

「でも、良かったよな?」

「……ああ」

 生まれて初めて、生きた人間にまともに触れられたのだから。デッドストックが忘れがたい情欲を思い返して いると、クリスタライズは肩を揺する。がしゃがしゃと結晶体が擦れ、耳障りな音を立てる。

「世の中がこんなんじゃなかったら、俺とお前、良い友達になれたかもな」

「小綺麗な言い方をするな。穴兄弟と言え」

「ぶはひゃはははははははっ、そうだな、そうなんだよなー。ふひひひひへへへへへ」

 クリスタライズは品性の欠片もない声でひとしきり笑ってから、不意に真顔になった。

「んで、お前は何のために生きるんだよ。ヒーローは大義名分が一番大事なんだよ。世界か恋人か家族か街か、 そのどれかを守らなきゃヒーローにはなれないんだよ。だから、俺はとりあえず世界を守ってやるよ。クソッ垂れで 屑で汚くて人喰い共がのさばる、本当にどうしようもねぇ世界だが、まあ嫌いじゃないからな」

「俺は」

 デッドストックは見事な彫像となって横たわる人造妖精を一瞥すると、クリスタライズは鉱石の歯を剥く。

「ロリコンめ。だが、まあいい。大義名分が出来たなら付き合えよ、屑ヴィラン。俺をヒーローにしてくれよ」

「屑はお互い様だろうが」

 デッドストックを拘束していた両手足の結晶が緩み、軽くなったのは、クリスタライズが撫でるように浅く触れたから だった。外で思い切り暴れよう、と子供のようにはしゃぐクリスタライズの背が、通路の奥へと消えていく。結晶体が 羽のように生えた背から目を外し、再度人造妖精を窺う。次に会う時には、ぐずられてしまうだろうか。
 無事元に戻ってくれたら、の話ではあるが。





 


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