DEAD STOCK




1.Live Bait



『さあ、今週もやってまいりました! 全てのアッパーがお待ちかねの、この番組!』

『誰も彼もが大興奮、アドレナリンが炸裂すること間違いなしの過激でクールなリアルアクション!』

『クリミナル・ハァーンットォオオオオオオオ!』

『ゲームのルールは至って簡単、ダウナー達が蠢く地下世界に犯罪者を入れた檻を投げ込んで、まずは犯罪者が 生きて檻から出られるかどうかを賭けて頂きます! 続いて、犯罪者を追い詰めるダウナーを選んで、気に入った 能力のダウナーに賭けて頂きます! そして、お目当てのダウナーが勝ち残っていけば賞金は倍、そのダウナーが 犯罪者を殺せば賭け金は五倍! ですが、そのダウナーまでもが死んでしまったら、賭け金はキャリーオーバーと なってまた来週へと持ち越されます! さあご覧下さい、これが今週の犯罪者共ですっ!』

『一番、強盗殺人犯のジェフ・ハート!』

『二番、連続強姦魔にして児童虐待犯のディック・ディーン!』

『三番、何人もの男を泣かせてきた結婚詐欺師のガブリエラ・アダムソン!』

『四番は大穴、人造妖精・プレタポルテ! プレタポルテが生き残れた場合、賭け金は十倍!』

『さあさあさあっ、檻が降りてまいりましたよ! 地獄への入り口であるゲートに設置されます、そして今、拘束具が 外されてカタパルトが傾きました、穴の底に瓦礫に埋もれた地下世界が見えますでしょうか! それでは、ただいま よりゲームスタートです! 追いかけっこが放送時間内に終わることを祈りつつ、彼らを見送りましょう!』




 ノイズが多すぎて、アナウンサーの声は思うように聞き取れなかった。
 古臭い四文字言葉の罵倒を吐き捨ててから、耳の穴からイヤホンを抜き、ラバーのマスクを引き摺り下ろした。 が、指の間でぺちゃりとイヤホンが潰れてしまった。これはプラスチック製なのだからそう簡単には壊れないだろう と考えていたのだが、イヤホンの表面に付いていた細菌が増殖して劣化させてしまったらしい。苦労して手に入れた まともに機能する機械だったのに、まだ使い始めて一ヶ月も過ぎていないのに、もう壊れてしまうとは。やはり、迂闊 に素手で触ってしまったのがまずかったのだろう。
 だが、そんなことで腐っている場合ではない。待ちに待った餌が降ってくるのだから、見過ごすわけにはいかない。 中途半端に脱いでいたラバースーツを着込み、前面に付いているファスナーを引き上げて肌を覆い隠し、両手にも 同じ素材のグローブを填める。靴だけはラバーではすぐに弱ってしまうが、直に触れたらすぐに靴も傷んでしまうので 薄手のラバーを被せた足をくたびれたブーツにねじ込む。そのままでは全裸に等しい恰好なので、トレンチコートを 羽織ってから、砂埃に汚れた窓の映る己を、ラバーマスクの目元に開けた小さな穴から見据えた。
 黒いラバースーツで素顔も素肌も何もかも覆い隠した男、それこそがデッドストックである。素肌が空気に触れて しまえば、体表面に付着しているメタン菌が一瞬で発酵し、メタンガスが発生してしまうからだ。触れたものは全て 腐敗して泡立ち、口に含んだ水は糸を引き、食したものは嚥下する前に腐臭を放つ。それがデッドストックの能力 であり、他者から疎まれる最大の理由である。

「ヘイヘイヘーイ、ストッキー!」

 ドアを豪快に開け放って廃ビルの一階に飛び込んできたのは、ガスマスクを被り、オレンジ色の作業着を着ている 小柄な少年だった。デッドストックはラバーマスクが歪むほど、顔をしかめる。

「プライスレス。お前が知っていることは、俺も知っていることだ」

「なぁんだよ、そりゃ残念。ストッキーから情報提供料でもふんだくろうと思ったんだけどなぁ」

 ガスマスク姿の少年、プライスレスはゴーグルの奥で目を細めた。

「で、誰から狩りに行くんだよ? ここから一番近いゲートから落とされてくるのは、強盗殺人犯だからそれで決まり だろ、なあそうなんだろ、なあなあストッキー!」

「俺の狙いはプレタポルテだ」

「えぇー? あんなの狩ったって、面白くもクソもねぇだろー。この前もプレタポルテが落ちてきたけど、あいつ、全然 逃げようともしなかったし、スプリンクラーのやつの一発で死んじまったほど弱かったじゃんか。止めとけって」

「だったら、お前が一人で強盗殺人犯を狩りに行け」

「なあなあストッキー、もうちょっと考えてみよーぜぇー? どうせ俺達はヒーローになれる器でもキャラでも能力でも ないんだしさぁー、アッパー共に媚びなんて売らないで、小銭稼ぎして遊んだ方がいいってー」

「しつこい」

「そりゃだって、俺はストッキーから酒を“寄越して”もらわなきゃならねぇんだから」

 だからストッキーが儲かってくれなきゃ困るんだよ俺は、とプライスレスは肩を竦めた。少年の他愛もない言葉に、 デッドストックは僅かに身動いだ。即物的な能力を持っているのであれば、デッドストックの腐敗能力を使えばどうに でも出来るのだが、プライスレスはそうではない。いかなる相手であろうと、一言、寄越せと言えばモノを脅し取れる 能力を持っているからだ。出会った当初は馬鹿にしていたが、相手にするとこれほど厄介なものはない。
 デッドストックはマスクの下でぶちぶちと文句を零しながらも、トレンチコートを翻して住み処を後にした。当の昔に 朽ち果てたビルの一角を改造した部屋を出ると、瓦礫が散乱している道を歩いていく。待てよ待ってくれよなあおい ストッキー、と叫びながら、プライスレスがまとわりついてくる。相変わらず厄介だ。引き離すには、これしかない。
 両足に力を込め、思い切り地面を踏み切る。体が浮き上がった瞬間に右手の手袋を外し、一瞬のうちに発生した メタンガスを左手のライターで着火させ、小規模ながらも充分な威力を備えた爆発を起こす。肌を曝している部分 から発生し続けるメタンガスを広がらせ、爆風で更に着火させると、デッドストックの痩せた体は宙を舞った。
 高度数十メートルの高さから穢れた世界を望む。見渡す限りの瓦礫、瓦礫、瓦礫。眼下では置いてけぼりにされた プライスレスがあらん限りの語彙で罵倒していたが、それを無視し、デッドストックはトレンチコートの裾を掴んで爆風 と上昇気流を上手く掴んで更に高度を上げていった。
 頭上には空はない。平べったい、汚れた板が横たわっているだけだ。その上には、アッパーと呼ばれる常人達が 栄華を極めた生活を送っている。彼らの生活に関する情報は、時折流れてくる電波を拾えた時に知る程度だが、 それだけでも充分だった。知れば知るほど、うんざりしてくるからだ。
 天上世界に住む者、アッパー達は、地下世界に住むダウナー達を喰い物にしているからこそ、至極平和な日々を 過ごしている。かつては軌道エレベーターとして機能していた塔を中心にして造られた巨大な壁が大地と空を隔て、 地球全体を殻のように包み込んでしまってから、数百年が過ぎていた。
 世界が著しく形を変えた根本的な原因は、度重なる天変地異だった。地震、噴火、火災、津波、嵐、その他諸々の ありとあらゆる自然災害が一度に発生し、地球環境は短期間で劇的に悪化し、環境の変化に耐えられない人間達 はばたばたと死んでいった。その人口減少に歯止めを掛けるために、人類にとって希少価値の高い人材達は、軌道 エレベーターの中でコールドスリープし、目覚めるべき日が来るまで穏やかな眠りに付いた。
 だが、希少価値がないと見なされた者達は地上に放り出されて、生きることを余儀なくされた。その間に、彼らは 汚染物質が蔓延した空気を吸い、化学物質に溢れた水を飲み、土から毒素を吸った作物を食べ、汚れきった環境に 適応した。そんな彼らを神が哀れんで手を下したのかもしれないし、人間が元から秘めていたものが目覚めたの かもしれないが、彼らは特殊な能力を身に付けるようになった。
 けれど、コールドスリープから目覚めて地球の復興に取り掛かろうとした優秀で高潔な人々にとっては、彼らは ただの狂った獣に過ぎなかった。能力を備えた者達は人間ではない全く別の生命体だと見なし、差別し、侮蔑した。 清浄なる世界の人々は、地上で生き延びた人々と少しだけ争った末に、住む世界を隔ててしまえば全ての問題は 解決するという結論を出した。そして、優秀で高潔な人々は、素晴らしい科学で壮大な発明をして地球全土を壁で 包み、天上と地下を区切り、自分達をアッパーと呼んでそれ以外はダウナーと呼ぶようになった。
 そして、混沌が出来上がった。




 汚れた空に穿たれた、小さな小さな四角い穴。
 それが、天上世界と地下世界を繋ぐ、唯一の穴だった。かつては軌道エレベーターであったが、今ではただの塔 としか呼ばれなくなった巨大建造物を中心にして、東西南北に配置されている。右手に手袋を填めてメタンガスの 発生を止めたデッドストックは、ビルの屋上だったと思しき四角いコンクリートの板に着地し、ブーツの底を擦った。 何度となく爆風を受けていたためにトレンチコートの裾が少し焦げてしまい、デッドストックは舌打ちした。
 ぐい、とラバーマスクの穴を広げて目を凝らす。クリミナル・ハントのアナウンサーの言葉が正しければ、犯罪者達 が入った檻が投下されてから、二十分は経過している。犯罪者達の最初の関門は、檻に付いているパラシュートが まともに開くかどうかだ。息を詰めて凝視して、塔を取り巻く乱気流に翻弄されているパラシュートを、一つ、二つ、 三つ、と確認した。ではもう一つはどこに、と見回すと、パラシュートが半端に開いた檻が地面に突き刺さっていて、 赤黒いものを撒き散らしていた。パラシュートの布地に書かれている番号は、1。目当ての檻の主が死んだわけ ではないのだと察し、少し安堵したが、落下予測地点には他のダウナー達が群がり始めていた。

「ぐへぁっ!?」

 突如、背中に打撃を受けた。冷たさと衝撃を感じながら振り返ると、少し離れた廃墟の上に人影が立っていた。

「射線に入っている方が悪ぃんだよ」

 背中から肋骨まで貫通したかのような鈍痛を堪えながら、デッドストックは目を据える。その男は、丸めたホース を肩に担いでタンクを背負い、見るからに蒸し暑そうなレインスーツを身に付けていた。スプリンクラーである。

「目障りなんだよ、さっさと消えろ。でねぇと、ぶちまけるぞ」

「お前の方こそ、引いたらどうだ。俺に触られる前に」

「はっはー、あれか、あれなんだな、恰好付けたいんだなぁ? 解る、解るけど、そういうのって流行らねぇよ。特に 俺達の業界じゃ、形振り構わない方が稼げるんだよ!」

 スプリンクラーは担いでいるタンクのバルブを捻り、ホースの尖端を指で潰した。途端に超高圧の水が噴出して、 デッドストックの立っているコンクリートが真っ二つに断ち切られた。詳しい理屈は解らないが、ガスボンベの類など で加圧されているわけでもないのに、スプリンクラーの放つ水の勢いは、鉄板すらも貫通するほどに速い。それが、 ダウナーの世界における能力というものだ。理屈や理念や概念を無視した、奇妙な個性の通称でもある。

「先週の狩りで妖精を手に入れたそうだな」

 デッドストックは両手の手袋を外し、トレンチコートのポケットにねじ込んだ。すぐにメタンガスが膨らみ、漂う。

「あぁー、あのプレタポルテか? 一撃で脳天ぶち抜いちまったから、ろくなものは取れなかったな」

「何を手に入れた」

「虫みたいな羽と薄っぺらい衣装と、後は量が少なくて歯応えのない肉かな。肉はブッチャーに売ったけど、酒代 にもならなかった。金なんて持ってねぇんだもん、あのクソ妖精」

「旨いのか」

「ぶち込んだって、中が狭すぎて味わうどころじゃねぇよ。だって、あいつの体ってガキだもん。穴だけはあるけど、 根本まで入らねぇの。首から下の体だけじゃ、小遣い稼ぎにしかならねぇよ。頭も残して生かさないと」

「他には」

「くどいぞ、ガス野郎。つまんねぇお喋りに付き合ってあげただけ、ありがたいと思え!」

 びしぃ、とスプリンクラーの手元から再び水が放たれる。デッドストックは素早く足元のコンクリート片を蹴って跳躍 して別のコンクリート片に飛び移り、スプリンクラーの手元と射線と自分自身の位置関係を計算しながら、微妙に軸を ずらしながら進んでいった。スプリンクラーの背負っているタンクの容量は、せいぜい二十リットル。一度に発射される 水の量は、少なく見積もっても三リットル。だから、無駄撃ちさせていけばいい。
 逃げ回るのは得意だ。デッドストックに限った話ではなく、能力を持って生まれた者全般に言えることだが、やたらと 身体能力が高い。栄養の乏しい食事で生きてきたわりには筋力も高く、足も速い。だから、壁を駆け上がるような 軽業も楽にこなせる。スプリンクラーの放つ水に追われながらも、円を描くように徐々に距離を縮めていき、槍の 穂先のように突き出しているコンクリート片の頂点へと一息に駆け上る。
 トレンチコートの内ポケットからステンレス製のボトルを抜き、ぽん、とキャップを親指で押し開ける。デッドストック は、その中に充ち満ちている高濃度のアルコールにライターを近付けて火を灯すと同時に放り投げ、更にメタンガスを 纏わせた。ひぃ、と短い悲鳴が聞こえた気がしたが、スプリンクラーの姿は猛烈な爆発に掻き消された。焼け爛れた水 のタンクと縮れたホースが転げ落ち、爆風で吹き飛んできたステンレス製のボトルが跳ねた。

「デタラメなこと、しやがってぇ……」

 生臭い風が爆煙を掻き消すと、黒焦げになったスプリンクラーがのたうち回り、舌を出してひどく喘いだ。

「お互い様だ」

 デッドストックはスプリンクラーの頭上で屈むと、人差し指を立て、赤く焼けた肌に近付けた。

「おい、おいおいおいおいおい! それだけは止めろよ、なあストッキー! なあなあなあなああああ!」

 縮れた瞼を見開いて白濁しかけている眼球を震わせ、スプリンクラーは唾を飛ばす。

「俺とお前に、そこまでの義理はないだろう?」

 ラバーマスクの下で、デッドストックは口角を右側だけ広げる。薄く黒い、偽物の皮膚が歪む。

「ひぅ」

 浅く息を飲んだスプリンクラーの額に、デッドストックは手のひらを押し付け、力を込めて握った。熱を持った肌が ぐじゅりと柔らかくなり、溶け、泡立つ。額から瞼、瞼から眼球がとろけていき、饐えた匂いが漂い始めた。苦痛が 生み出す嗚咽を漏らしながら、スプリンクラーの体は不規則に痙攣していたが、頭蓋骨が脆くなっていくにつれて 動きが弱まっていった。デッドストックが腐敗した部分から手を外すと、それだけのことで頭蓋骨は粉々に砕け散り、 その中に満ちていた脳漿と脳がでろりと零れた。
 吐き気を催す腐臭がこびり付いた手を無造作にトレンチコートで拭ってから、デッドストックは手袋を填め直した。 スプリンクラーとじゃれている間にパラシュートはかなり降下していて、目当ての人造妖精が詰まった檻もまた地上 に近付きつつあった。その落下予測地点は、と目を動かすと、猥雑で粗雑な建物の密集地帯の上にパラシュートの 薄い影が掛かっていた。デッドストックはスプリンクラーの無様な腐乱死体を一瞥してから、再度駆け出した。
 余計な時間を喰ってしまった。







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