食物連鎖の底辺は、排泄物を喰らうしかない。 虫が獣の糞を喰らって肥えるように、ダウナーはアッパーの廃棄物を糧にするしかない。それがどれほどの屈辱 であろうと、汚辱であろうと、他に選択肢がないからだ。汚れを蔑めるのは、綺麗なものを選び、澄んだ水を飲み、 優しさの意味と他人の暖かさを知り、下らない冗談で笑える世界で暮らせる者だけに許された、極上の贅沢だ。 塔を中心にして積み重なった廃棄物の山は、ダウナー達の生活の拠点である。有機物と無機物を分けることすら されずに、塔の中を経由して地下世界に投げ込まれてくる廃棄物は、年月を経て膨大な量が蓄積していた。その形 だけを見れば、棒倒し遊びをするための砂山のようにも見える。人間の俗っぽさに飽き飽きした神が無邪気に世界と 戯れて造り上げた、稚拙なものだ。だが、太陽光が遮られているために資源が限られている地下世界の住民達に とっては、たとえリンゴの皮の切れ端であろうとも、尊ぶべきものなのだ。 誰かの乾いた骨を踏み砕き、デッドストックは足を進めた。塔の東側に出来上がっている街は相変わらず猥雑で、 一歩踏み入れただけで罵倒と石が飛んできた。難なく石を受け止めて手首を返し、石を投げた主に無造作に 投げ返すと見事命中したらしく、ぎええと声が上がった。 瓦礫と泥で造られた不格好な家が並び、廃棄物の中から値打ちがありそうなものを掻き集めて売る店が連なり、 ろくな能力も持たないが常人ではない半端な人々が息づいていた。彼らにとってもクリミナル・ハントは一大イベント で、皆、ヴィジョン受像機から流れる音声を聞きながら、檻を吊したパラシュートの行方を見守っている。 「ようデッドストック、これはほんの御挨拶だ!」 デッドストックが通り掛かると、民家の屋根に立っていた男が砂の詰まったバケツを振る。砂の雨が降る。 「やあデッドストック、御機嫌はいかがかな!」 窓から泥の固まりが投げ付けられる。べしょり、と顔の右半分が重たく濡れる。 「ゾンビの彼女が出来たら教えてくれよな、デッドストック!」 背中に分厚く重たいものが激突し、背骨が痺れる。足元には、千切れたタイヤが転がった。 「そうらデッドストック、お前さんの好物だ!」 いきなり開いた窓から腕が伸び、顔面に青緑色の腐った水がぶちまけられる。目の穴から内側に入った。 「この街にもな、イカヅチの電気が届くようになったんだ! お前なんか、すぐに焼き尽くしてもらうからな!」 「お前がいるせいで、喰えるものも腐っちまうんだよ!」 「デッドストック、地獄に堕ちろ!」 「デッドストック、ゾンビの出来損ないめ!」 「デッドストック、屍肉喰いの変態野郎が!」 「デッドストック、クソッ垂れヴィラン!」 「デッドストック、毒酒造りの殺し屋が!」 「デッドストック、女神殺しの悪魔め!」 「デッドストック!」 「デッドストック!」 「デッドストック!」 「デッドストック!」 「デッドストック!」 皆、声を揃えて罵倒する。毎度毎度、よくも同じ言葉を言えるものだと呆れてしまう。デッドストックはラバーマスクに 付いた汚れを拭ってから、歩調を早めた。一つ一つにやり返していると無駄な時間を食ってしまうし、何より相手に するのが面倒臭かったからだ。罵倒されている言葉は大筋では真実で、デッドストック自身も認めていることだし、 周知されていることでもあるので、それをいちいち喚き立てる意味が解らない。事実なら事実で、それでいいのでは ないだろうかと思っているのだが、彼らはそうは思わないらしい。理解出来ない価値観である。 ラバーマスクに付いた腐った水を掬って舐めると、酸味の効いた味がした。 東の街を抜けると、檻が下がったパラシュートの高度は大分下がっていた。 時折塔から吹き下ろされる風に煽られ、檻が左右に揺れたが、その度に中身の人間が絶叫しているので生きている のは確実だろう。獲物が地上に近付いてきたから、それに応じて能力を持つダウナーもぞろぞろと落下地点に 集まり始めていた。少し離れた場所から、デッドストックはダウナー達を眺めたが、檻を手に入れられるほどの力を 備えている者がいるとは思いがたかった。今一度、檻のパラシュートを確認すると、裏文字になった4が見えた。 「また妖精狙いかよ、デッドストックぅ」 瓦礫の山を危なっかしく歩いてきた男は、これ見よがしに針をちらつかせる。 「スピアーか」 これも、どうということのない能力のダウナーだ。その名の通り、針を相手に確実に突き刺す能力を持っているが、 ただそれだけしか出来ない。武器が針であれば、いかなる防具も合金も貫通出来るのではあるが、自らの手で その針を突き刺さないと意味がない。だが、スピアー自身は打たれ弱い男なので、近付いた時点で殴り倒されて ばかりいる。尖端を尖らせて針型に加工した工具に紐を通して、腰からぶら下げているので、スピアーが動くたびに じゃりじゃりと派手な金属音がした。 「お前さ、なんでいつも妖精狙いなんだよ? キモいんだけど」 スピアーは複数のピアスが付いた唇を歪め、黄ばんだ歯を覗かせた。 「あれが必要だからだ」 「アッパー共にアピールして、ヒーローに成り上がろうって腹か?」 スピアーは針を翻して、羽虫のようにぶんぶんと唸りながら上空を飛び交う小型の機械を指し示した。プロペラが 上下に付いた球体のカメラが、しきりに檻の行方とダウナー達の動向を熱心に追い掛けている。クリミナル・ハント のスポンサーである企業のロゴのステッカーが隙間なく貼り付けられた銀色の外装を纏い、広角レンズのカメラを 見開いて地下世界の醜悪な争いを凝視している。さながら空飛ぶ目玉だ。 「止めとけって。お前じゃヴィジョン写りが悪すぎる」 スピアーはけたけたと笑い、タトゥーだらけの肩を揺する。 「人のことを言える立場か」 デッドストックが言い返すと、スピアーは針の尖っていない方を銜える。 「つっても、ヴィランのままじゃそんなに長生き出来ねぇぞ。せめてヴィジランテになれよ」 「スマックダウンから鞍替えしたのか」 「いいぜー、ヴィジランテ。ボスの言うことを聞いておけば、食いっぱぐれはしねぇし、能力もない屑共からも評判は 良いし、何より女が手に入る。ヴィランの街にはろくな女はいねぇし、いたとしてもメスゴリラだもん。あーでも、デッド ストックには無理だなぁ。俺達は人間ですらねぇ連中ばっかりだが、ゾンビの女だけはいねぇからなぁ」 にたりと口角を吊り上げたスピアーを、デッドストックは一瞥する。 「それしか考えることはないのか」 「そりゃそうだろ、他にやることもねぇんだから。ヤる、殺す、喰う、そのどれかしかねぇのが、俺達の世界よ」 「生憎だが、俺は普通の女には興味はない」 「だからロリコン? メルヘンな幼女狙い? うっわーひでぇ、妖精がカワイソー、ゲロりそう」 「勝手に吐いていろ」 「おう、そうするぜぇ。んで、ストッキーは俺らのボスのお誘いは断るのか。良い御身分だな、ゴミ野郎」 「ヴィジランテにも興味はない。ヒーローにもだ」 「じゃ、その返事を伝えてやるから、目玉の一つでも引っこ抜かせてくれよ!」 ひゅおんっ、と針の切っ先が淀んだ風を切る。その間にも檻は降下し続けていて、ダウナー共が群がっていた。 スピアーになど構っている暇はないのだが、足場が悪すぎて簡単には振り切れそうにない。腐らせて殺すのは簡単 だが、それだけでは少し勿体ない気がした。ダウナー共を追い払うためにはスピアーを利用すべきだ、と判断し、 デッドストックはデタラメに針を振り回しているスピアーの腕を掴み、捻り、背負って投げた。 「ぐぶぇっ!?」 大きく弧を描いたスピアーの体は瓦礫に激突し、同時に錆び付いた鉄骨が腹部を貫通した。 「さて……」 出血量から考えるに、スピアーの寿命は残り一時間という程度だろう。鉄骨が押し出した内臓の破片と血飛沫 を浴びたラバーマスクを拭ってから、デッドストックはぜいぜいと喘ぐ男の傍に片膝を付く。 「狙え」 スピアーの左手に針を握らせ、強引に持ち上げる。 「ね、ねらうぇ、っで、だれを」 血が逆流してきたからか、スピアーは鼻から血を垂らしながら呻いた。 「誰でもいい。但し、プレタポルテは殺すな」 スピアーは、狙えば当たる。それだけは確実だからだ。 「うぇ、ぉう……」 涙と鼻水と鼻血と吐瀉物を散らしながら、スピアーはかくんと手首を曲げて針を投じた。汗ばんだ指から外れた針 は瓦礫の上に転がるかと思いきや、人智を越えた未知の力を得て一直線に滑空し、檻に群がっていたダウナーの 一人の眉間に突き刺さった。即死である。スピアーの息が絶える前に、露払いを済ませなければ。 握らせては投げさせ、握らせては投げさせ、スピアーが抗って握り締められなかったら無理矢理手首を振らせ、 痛みと失血で意識を失いそうになったら本人の針を突き立てて意識を戻させ、投げて投げて投げさせた。そして、 スピアーが持っていた針が尽きると、檻の周囲には十数体の死体が折り重なった。 「返事を出してもらう必要はない。俺が答える気がないからだ」 デッドストックは右の手袋を外し、舌に針を突き刺されて白目を剥いているスピアーの首を掴むと、その部分から 呆気なく腐っていった。皮膚、血管、筋肉、神経、と崩れて頸椎が覗き、腹部の傷跡からは出血しきっていなかった 血液が滴り落ちた。頭の重さに従って首が仰け反ると、ぷつんと外れて転がった。腹部を貫いている鉄骨に絡んだ 血液からは馴染み深い饐えた匂いが立ち上り、デッドストックはその臭気を胸一杯に吸い込んだ。 「ヴィラン崩れのヴィジランテにしては、良い香りだ」 それだけでも、スピアーを殺した価値があったというものだ。スピアーの内臓と骨片を踏み潰したデッドストックは、 赤黒い足跡を点々と付けながら、大振りな瓦礫から降りて比較的平らな地面を歩いて落下地点へと急いだ。 この世界に太陽はない。あるのは、塔のそこかしこに付いている信号灯の弱い光だけだ。空を覆ったせいで気流 が大幅に変動したせいか、気候変動はほとんどなく、時折思い出したように砂嵐が発生して襲い掛かってくる程度 である。だから、足元には薄い影しか出来ず、昼と夜の境目はない。あるのは、暗がりと、それよりも更に奥の深い 闇と、際限なく降り積もっていくゴミだけだ。 「肉屋を呼びに行くか、或いは」 死体の山に歩み寄ったデッドストックは、死体の肉を売って金を稼ぐか、放置して人造妖精の回収に向かうかを 両天秤に掛けた。人造妖精は手に入れたいが、金もまた必要だからだ。 「呼ばれるまでもねぇさ。街の連中が騒がしいんで追ってきてみたら、案の定だ」 返り血で赤黒く染まったエプロンを付け、防塵マスクを被った禿頭の中年の男が、肉切り包丁を手にして現れる。 見上げるほど背が高く、年相応に腹も丸く突き出しているが、脂肪以上に厚い筋肉が付いているので、だらしなさは 感じられない。それどころか、下手なヴィランよりも余程迫力がある。太い右上腕には牙を剥いた猛獣のタトゥーが 彫られており、筋肉によって盛り上がっていた。 「触っちゃいないだろうな?」 「触っちまえば喰える部分が減るし、その分、売値が下がるからな。そんなことはしない」 「だったら、いいんだがよ。おおう、ほぼ即死じゃねぇか。これなら捌きやすいぜ」 ブッチャーはゴム長靴を履いた足で死体を転がし、肉切り包丁の峰で小突くが無反応だった。 「こいつらをいくらで買い取る」 デッドストックが不躾に問うと、ブッチャーは太い眉を片方持ち上げる。 「そうだなぁ、全員まとめて五十ドルってところか?」 「安すぎやしないか」 「贅沢言うなよ、金で払うだけマシだと思え。お前も相棒も肉は喰わねぇから、現物支給じゃ意味ねぇだろうし」 「プライスレスは俺の相棒じゃない」 「だったらどういう関係なんだよ、デッドストック。あいつを嫌うわりに、いつも一緒にいるじゃないか」 「腐れ縁だ」 「ああ、そうだろうねぇ。それ以外にねぇなぁ。聞いた俺が馬鹿だったよ」 ブッチャーは骨太な分厚い肩を揺すって笑ってから、東の街の肉屋から引き摺ってきたリヤカーを取りに瓦礫の 奥へと消えていった。程なくしてリヤカーを引いて戻ってきたブッチャーは、死体を一つ残らず荷台に載せると、汗と 血の染みたズボンのポケットからシワだらけの札束を出した。 「そらよ、金だ」 「プレタポルテには手を出すなよ」 「あれは味も悪ければ喰える部分も少ねぇし、仕入れても売れねぇ。だから、端からその気はねぇよ」 あばよ、と肉切り包丁ごと手を振ってから、ブッチャーは死体を満載したリヤカーを引いて東の街へ帰っていった。 デッドストックは紐で括られた札束をトレンチコートの内ポケットに突っ込んでから、萎れたパラシュートに包まれた 檻に向き直った。白地に赤で4と書かれたパラシュートはプレゼントを守る包装紙のように四角い檻に被さっていて、 その中のものを大事そうに隠していた。 大きさ故に重たい布地を剥がすと、紐が鉄の柵に絡み合った正方形の箱が顔を出した。これもまた、クリミナル・ ハントのスポンサーである企業ロゴが至るところに付いていて、錠前にすらも食品会社の宣伝文句が踊っていた。 錠前には電子キーと思しきカードの入ったビニール袋が貼り付けられていて、デッドストックはビニール袋を剥がして 破ると、錠前のスキャナーに差し込んで滑らせた。短い電子音の後、錠前が外れ、扉が軋みながら開いた。 檻の隅では、人造妖精が蹲っていた。 13 6/2 |