DEAD STOCK




1.Live Bait



 人造妖精は矮小だった。
 これまでデッドストックが目にしてきた人造妖精は五体満足ではなかった。蛆虫のように短い指や、水死体のように 膨れているだけで筋肉がほとんど付いていない手足や、あばらの浮いている薄い上半身や、つるりとした内臓や、作り物 じみた人工的な色彩の目と髪が、バラバラにされていたからだ。それらの部品を掻き集めて繋ぎ合わせるためには 途方もない金と手間が掛かってしまうし、繋ぎ合わせたとしても元通りに動く保証はない。
 それに、傷が付いていたら何の意味もない。デッドストックは縦に長いだけの体を折り曲げ、狭苦しい檻の中へと 入り込むと、妖精はびくりと震えた。虹色の透き通った羽がふるふると揺れ、神話の神々が着ている衣服によく似た 一枚の白い布を肩で結び合わせただけの脆弱な服が捩れた。

「ふむ」

 デッドストックが顔を寄せると、人造妖精はひどく噎せた。メタンガスでも吸ったのだろう。

「プレタポルテだな」

 デッドストックが名を呼ぶと、人造妖精は口を広げたが、喉の奥から言葉が出なかった。喋ろうと息を吸った途端 に激しく咳き込み、砂の粒でざらついた床板に突っ伏した。無理もない、大量の汚染物質が漂っているのだから、 少しでも吸えば粘膜が炎症を起こす。能力を持つダウナーは劣悪な環境に適応しているからか、多少のことでは 咳き込んだりはしないのだが、そうでない者達はマスクを被って防ぐしかない。そうなると、このプレタポルテは何の 能力も持っていない、本当にただのプレタポルテなのだろう。
 ぐぇ、ごぅ、と人造妖精は咳き込みすぎて血が混じった胃液を吐き出した。この分では、肺が機能しなくなるのも時間の 問題だ。だが、生憎、デッドストックはマスクの世話にならずに済む体質なので、マスクなど持ち合わせていない。 かといって、プレタポルテを放っておけば他の誰かに奪われかねない。
 手近な布があるとすれば、このトレンチコートしかないが、これを切り裂くのは惜しい。長年使い込んでいるから、 愛着が強いからというのも躊躇の理由の一つだが、切り裂いたとしても繋ぎ合わせるための布地を調達するのが 難しいからでもある。更に言えば、デッドストックは裁縫が不得手だ。化学繊維以外の布地は触った部分から腐って しまうし、ラバー製の手袋を填めた手では細かい作業が難しいからだ。
 だが、下らないことで迷っている間にも人造妖精は弱りつつあった。胃液を全て吐き戻してしまったからか、苦しげな 空咳を繰り返した末、血反吐までもを撒き散らすようになった。このままではせっかく手に入ったプレタポルテが 死んでしまう。デッドストックはマスクの下で苦虫を噛み潰したような表情を作りながら、袖に手を掛けた。

「捜すまでもなかったぜぃ、ストッキー」

 ばさぁっ、とパラシュートの布地が跳ね上げられ、薄暗い外界が現れた。デッドストックは袖から手を外して手袋を 外そうとしたが、手を止めた。塔から降り注ぐ弱々しい光を背にして立っているのは、薄汚れたオレンジ色の作業着に ガスマスクを被った少年、プライスレスだった。全財産を詰め込んだリュックサックを背負っているせいで、逆光の中では 体格が一回り大きくなっているように見えるので、一瞬見違えてしまった。

「何の用だ」

 だが、邪魔であることに代わりはない。デッドストックは右手の手袋を外して手を広げ、少年を指す。

「ちょちょちょちょ、ちょい待った! 俺は別に横取りしに来たわけじゃねぇし、だからその手を引っ込めろ!」

 プライスレスは両手を広げながら後退るが、口は止まらない。

「なあおい兄弟、ストッキー、俺の最高のダチ公、あんたがずっと欲しがっていた妖精が手に入ったことをお祝いして やろうって言ってんだよ。で、だな、妖精を飼うのに必要なものが何なのか、知ってんだろ?」

「それなりにな」

「それってあれだろ、窓辺にミルクとビスケットってやつだろ? でなかったら、ワインとチーズを少しずつ」

「それがどうした」

「ここにそんなもんがあると思う?」

「いや」

「でもって、そりゃ民話で童話で寓話でファンタジーだ! 大体、そいつが本物のフェアリーだなんて」

「違うのか」

「えぇ!? ストッキー、そういうの信じちゃうタイプ? うっわーマジかよ、なんだよ可愛いんだけど」

「その茹だった脳みそを腐らせて、首から下を捌いて売るぞ」

「悪かったよストッキー、解るだろ、ただの冗談だよ。マジにすんなって。で、だ、モノは相談なんだけど」

 プライスレスは作業着の懐を探り、一冊の本を出して突き付けてきた。

「これ! こいつをストッキーにやるから、俺も妖精に一枚噛ませて“くれよ”!」

「なんだそれは」

 妙なタイミングで能力を使われたが、デッドストックは言い返した。意味が解らなかったからだ。

「どう見たって本だろ、ほらタイトルにあるだろ、人造妖精を飼育する方法、って」

「そう書いてあるのか」

「え、ここへ来て二つめの新事実? ストッキーって、もしかしてアッパー言語が読めない?」

 ガスマスクのゴーグルの奥で、プライスレスがにやにやと嫌みったらしく目を細める。今までのやり取りで苛立って いたデッドストックは大股に歩み寄り、プライスレスの胸倉を掴むと、プライスレスは本を落として両手を広げる。

「悪かった、ほんっとーおに悪かった! だから、許して“くれよ”!」

 このクソガキが。能力の使い方を完璧に理解している。デッドストックは意志に反して右手から力が抜け、オレンジ 色の汚れた布地が緩んでプライスレスは自由を取り戻した。あーやべ、ちょっとやりすぎた、と苦笑しつつ、プライス レスは落ちた本を拾い直して表紙の汚れを払った。

「俺とお前が組む利点がどこにある」

 デッドストックは檻を一瞥すると、人造妖精は顔色が青ざめ、息も絶え絶えだった。咳き込む力も弱々しくなって、 這い蹲った床に散らばる血の量も増えている。このままでは、本当に死んでしまいかねない。

「んじゃ、説明しよう。妖精を飼うために必要な餌や物資を、俺が脅し取る。だが、脅し取った後は逃げるしかない ってのは知っているよな、俺が対人戦闘にはすこぶる弱いってことも。だから、その後のことを頼む。んで、その 脅し取った物資が余ったら売る。その売値の四割はやるからさ」

「他には」

「俺がこの本を読んでやるよ。でないと、ストッキーはあいつを飼った傍から死なせちまうだろうし」

「他には」

「えぇー、まだあるのかよ、この強突張り。っておうふぉっ、いきなりガス玉を撃つなよ! 死ぬだろ!」

「殺すつもりで撃ったからだ」

 左手で灯したライターの火を消して、デッドストックはメタンガスを纏った右手を握り締めた。プライスレスの足元 には大きな焦げ跡が付き、ぢりぢりと堆積物が燃えて刺激の強い煙が上がっていた。プライスレスは一度深呼吸した が、ガスマスク越しでもきつかったらしく、背中を曲げて咳き込んだ。

「もしかして、これが欲しいの?」

 プライスレスがガスマスクを小突いたので、デッドストックは頷いた。

「それ以外に何がある」

「脱いだら死ぬだろ! 俺の能力と耐性がショボいって知ってんだろ!」

「人造妖精も死ぬぞ」

「だぁあっもう仕方ねぇなあー、特別だぞ特別。ストッキーだから特別。但し、この借りは一万倍返しだぞ」

 文句を言いつつ、プライスレスは背負っていたリュックサックを下ろし、スペアのガスマスクを取り出した。

「フィルターは割と綺麗なやつだから、さっさと妖精に被せてやれよ。んで、そいつを受け取ったってことは、俺との 取引が成立したってことだからな、解ったか!」

「仕方ない」

 不本意だが、他に当てはない。デッドストックはプライスレスの手中からガスマスクをもぎ取ると、檻の中に戻り、 人造妖精に被せた。プライスレスよりも頭が小さいからだろう、被せた傍から滑り落ちてしまった。これでは意味が ないので、デッドストックがガスマスクを支えてやると、次第に人造妖精の呼吸が落ち着いてきた。瑞々しい唇の端 からは血と唾液が滴り、胃液で顎と胸元が汚れていた。再度手を離すと、またも外れてしまった。人造妖精の手で 支えさせようとするが、腕に力が入らないのか、持たせた傍からガスマスクを落としてしまった。

「あー、ここを調節してやらないと」

 狭苦しい檻に入り込んできたプライスレスは、ガスマスクの後ろ側のアジャスターを調節してサイズを合わせると、 妖精の顔からずり落ちなくなった。怯えきった人造妖精は目をしきりに動かしていたが、デッドストックがプライスレス の手から奪い取った本を突き付けると、妖精は躊躇いながらもデッドストックを見据えてきた。
 薄緑色の髪に透き通るような白い肌、金色の瞳、細長く尖った耳、ぷっくりとした小さな唇、虹色に煌めく四枚の 羽、骨も肉も薄べったい手足。その全てが人造妖精・プレタポルテの特徴であり、高品質の愛玩動物である証拠 でもあり、地下世界には決して存在し得ない清浄さでもあった。年頃は、せいぜい七歳前後といったところか。

「ご、ひゅじん、たま」

 唾液と胃液と血を喉に詰まらせているため、プレタポルテは濁った声で舌っ足らずに喋った。

「どっちが?」

 プライスレスが若干の期待を込めて自分とデッドストックを指すと、プレタポルテはデッドストックを見た。

「んだよー、そっちかよー。まあ、脅し取ればいいんだけど……ってだあああっ、ごめんごめんごめん、うわ殴るな、 手袋越しだけどそれでも充分痛っ、でぁっ!」

 減らず口のプライスレスに強かに拳を浴びせてから、デッドストックはプレタポルテを立ち上がらせたが、金属音が 狭い空間に響いた。細い足首には金属製のリングが填められ、見るからに頑丈そうな鎖が檻の格子にも繋がって いた。格子の鍵とリングの鍵はそれぞれ違っていたが、檻の中にはそれらしい鍵は見当たらなかった。恐らく、他の 檻の中にプレタポルテの鎖を外すための鍵が隠されているのだろう。以前にも、クリミナル・ハントにはそういった 悪趣味なイベントがあったからだ。プライスレスは鍵を開けるための道具を探っていたが、デッドストックは檻の材質 が何なのかを確かめるために、手袋を外した。
 触れてみると、少しの間の後、赤茶けた錆が浮き上がった。鉄製だ。他の合金製であれば腐食させられない場合 もあるのだが、鉄製の棒であれば問題はない。デッドストックは鎖が繋がっている鉄格子を握り締めると、手のひらの 下で冷え切っていた鉄が熱し、崩れ、朽ちていった。程なくしてデッドストックが握った鉄格子は完全に錆び付き、 軽く曲げただけで呆気なく外れてしまった。

「行くぞ」

 デッドストックは錆びた鉄格子を放ると、鎖の片方を手首に巻き付け、プレタポルテを脇に抱えた。

「ちょ、待てって、待てよ!」

 デッドストックに続いて檻の外に転げ出てきたプライスレスは、檻とパラシュートとそれを繋いでいた紐をその場に 残していくことが名残惜しいようだったが、欲を掻いては元も子もなくなってしまいかねないので振り切った。道中、 プライスレスは矢継ぎ早にプレタポルテに話し掛けたが、プレタポルテはほとんど喋らなかった。たまに返事をしたと しても、あ、う、という生返事だけだった。言葉を喋れるだけの知能がないのかもしれない。

「んで、ストッキー、そいつをどうするわけ?」

 物陰と裏道を抜け、ヴィランばかりが住む街に戻ってくると、プライスレスはわくわくしながら問い掛けてきた。

「餌にする」

「クジラでも釣るのかよ? 儲かるんだったら、俺にも稼ぎを“寄越して”くれよ」

「それはお前の働き次第だ、プライスレス。そう言ったからには、死体になろうが俺に従え」

 うぇ、とプライスレスが声を裏返しかけたので、デッドストックは強かにその下腹部を蹴り付けた。リュックサックの 重みで仰け反った末に仰向けにひっくり返ったが、下手に構うとまた余計なことを喋りかねないので、デッドストック は帰路を急いだ。背後から何度となく名前を呼ばれたが全て無視し、地下世界の吹き溜まりで燻っている悪人ヴィラン共も 無視し、トレンチコートの内側に入れたプレタポルテの所在を悟られないために足を速めた。
 矮小な生き物の生温さが、気色悪かった。





 


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