DEAD STOCK




2.Fairy Tail



 アルコールランプに火が灯り、青い光の輪が広がる。
 弱々しい光源の傍で胡座を掻いているガスマスク姿の少年は、熱心に本を捲っていた。人造妖精の飼育方法が 書かれている本の表紙には、妖精のシルエットが幻想的に描かれていた。隙間風でアルコールランプの火が揺らぐ たびに少年の影も揺れ、室内の生臭い空気が波立った。
 デッドストックはトレンチコートを脱ごうとしたが、右手首に巻き付けた鎖に袖が引っ掛かり、じゃらりと重く鳴った。 床を這っている合金製のヘビを目で追うと、鎖の付いた足枷を左足首に填められている人造妖精が、金色の瞳を 丸めながらデッドストックを見上げた。座ることもせず、何かを欲するでもなく、プライスレスが防塵のために被せた ガスマスクが煩わしいと愚図るでもなく、置物のように突っ立っていた。

「なあストッキー、妖精ちゃんに何か履かせてやれよ」

 そいつ裸足じゃんか、と本から顔を上げたプライスレスに咎められ、デッドストックは人造妖精を見下ろした。

「その必要はあるのか」

「有りも大有りだっての。ここに来るまではストッキーが抱えていたから平気だったけど、外を出歩いて足の裏でも 切れたら、すぐに感染症を起こして死んじまうよ。いくらストッキーの腕っ節が強くても、妖精ちゃんを脇に抱えて 歩くのは至難の業だし、そんなことをしちゃ内臓が圧迫されて可哀想じゃんか」

「それもそうだな」

 デッドストックが鎖を引っ張ると、左足を引っ張られたプレタポルテはよろけ、その場にひっくり返った。

「みゃう!」

「そのくらいで転ぶな、こっちに来い」

 デッドストックが再度鎖を引くと、プレタポルテは左足を上げる恰好になり、薄い服が捲れ上がった。

「あ」

「お……」

 柔らかな太股と丸っこい腹部が露わになったが、下半身を守る下着が付いていなかった。つるりとした幼すぎる 尻とくびれの全くない腰と股間をしばし凝視した後、デッドストックとプライスレスは目を合わせた。

「ヤるんだったら、奥に行ってくれよ。見たくねぇよ、ストッキーのイチモツなんて」

「買うつもりであれば金を払え。一千ドルは硬いな」

「全力で拒否する。つか、胸も尻も貧相なのはセーブツ学的に女って認めたくねぇしぃー」

「せっかく手に入れた餌に無駄に傷を付けるつもりはない。俺はガキには勃たん」

 無防備極まりないプレタポルテを目の前にして男同士の生臭い会話を繰り広げた後、両者ともその気がない ことを悟ると、プライスレスが行動を起こした。いいから起こしてやれよ、と叫んでから、少年は下着を探し始めた。
 とはいえ、ビルの一角に私物を詰め込んだだけのデッドストックの住み処に清潔な下着などあるはずもなく、布地 を捜すだけで精一杯だった。洗濯もままならない環境故に、どの布を引っ張り出してみても黴臭かったり、手触りが ぬるついていたり、虫に食われて布としての体を成していなかったり、と散々だった。仕方ないので、プライスレスの 背負っているリュックサックから出てきた使い古しのタオルを切り、プレタポルテの下半身に巻いてやった。

「むぅ」

 使いすぎて繊維が硬くなった生地が肌に触れるのが不快なのだろう、人造妖精は顔をしかめ、腰を捩った。

「いいから着ておけって。さすがに丸出しってのは拙いだろ。だから、我慢しろ」

 取って置きのタオルを下着にされてしまったプライスレスは、盛大にため息を吐いた。

「それで、こいつは何を喰うんだ」

 デッドストックが不機嫌そうな人造妖精を小突くと、プライスレスは本を広げた。

「高濃縮高機能性合成蛋白質錠剤、各種ビタミン錠剤、ブドウ糖錠剤、水、んで適度な日光、だそうだ」

「なんだそれは」

 デッドストックが訝ると、プライスレスはガスマスクのゴーグルの下で眉根を顰める。

「俺だって知らねぇよ、こんなもん。書いてある単語をそのまま読んだだけだし、意味も良く解らねぇ。一番解らないのが 最後のやつ、適度な日光だよ。それ、どういう意味があるんだか」

 さっぱり解んねー、とプライスレスが仰け反ると、ガスマスクとオレンジ色の作業着の合間に地肌が覗く。十六歳 の少年らしい、喉仏ばかりがやたらと目立つ首筋は、生まれてこの方一度も太陽光を浴びたことがない青白さを 保っていた。それはデッドストックも同じだ。ダウナーの中に、太陽と呼ばれるものを目にした者はいない。

「んで、蛋白質は解るけど、ビタミンってなんだろ。つか、それって必要なのか?」

「書いてあるのであれば、必要なんだろう」 

「俺らって、そういう食生活みたいなのって考えたことないからなぁ。目の前にあるものを喰うだけだから。となると、 どこかからパクってくるしかねぇのかなー? でも、どこからだよ」

 プライスレスはガスマスクのベルトに縛られたブロンドの髪を掻き乱したが、首を捻る。

「で、後はブドウ糖と水ねぇ。糖ってことは砂糖の仲間なんだろうけど、どこにあるかな、そんなもん」

「クイーンビーの娼館はどうだ」

「あー、あるかもしんねーなー。でも、ハードルが高すぎて潜ることも出来ねぇって。つか、クイーンビーに近付ける ほどの金もねぇし、能力もねぇし。娼館は事実上中立地帯だからな、ヴィランもヴィジランテもどっちでもない半端な 連中も手が出せねぇ。だから、俺も手を出さないし、口も出せない。はい詰んだ」

「酒を燃やすぞ」

「いやいやいやほんの冗談だから! それだけはしないで! 俺の食い扶持とコネが吹っ飛ぶ! 文字通り!」

「だったら策を練ることだな」

「えー? 俺に丸投げすんのー? つか、そこまでして欲しがった妖精ちゃんを自分で世話しないのー? うわー、 それでもストッキーは妖精ちゃんのごしゅじんたまなのー?」

 拳を振るう前に足が出た。ぐほっ、と鈍い声を漏らしながら背中を折り曲げたプライスレスは壁に突っ込み、強かに 後頭部を打ち付けた。頭を垂らしてくぐもった咳を繰り返していたが、プライスレスは力なく手を挙げる。

「だったら、金、くれる? さっきだって、殺した野郎共の肉を売って荒稼ぎしていたじゃんか」

「あの金には使い道がある」

「じゃー、ストッキーは俺に何をしてくれるんだよ? 俺は大事なガスマスクのスペアを妖精ちゃんに貢いでやったし、 こうやってアッパーの本を読んであげているし、妖精ちゃんのパンツに必要な布だってプレゼントしてやったんだ。 なのに、ストッキーが俺にくれるのは暴力だけかよ? それ、理不尽にも程があるだろ?」

「それはお前が黙らないからだ」 

「俺がべらべら喋らないと、ストッキーもなーんにも喋ってくれねぇじゃん。だから、喋らざるを得ないの」

 へらへらして、プライスレスは両手を上向けた。そうではないと言い切れないのが歯痒く、デッドストックは二発目の 蹴りを放とうとしていた足を下ろした。二人の愚にも付かないやり取りを見ていたプレタポルテは、デッドストックの 足を包むラバーを引っ張ったが、幼い握力ではラバースーツの伸縮力には勝てなかったらしく、程なくして短い 指の間から黒いラバーが逃げ出した。そして皮膚に衝突し、ぱちぃん、という乾いた音が淀んだ室内に響いた。

「ふあ」

 すると、プレタポルテは目を大きく丸め、再度ラバースーツを引っ張った。ぱちん。

「おい」

 デッドストックはプレタポルテを引き離そうとするも、味を占めたプレタポルテはデッドストックの背後に回り、脛の ラバーを引っ張っては離した。ぱちぃんっ。

「おい」

 痛くはないが、妙な気分になる。デッドストックは人造妖精の羽を掴もうとするが、プレタポルテは思いの外素早く、 デッドストックの手を逃れて離れたが、一瞬の隙を衝いて尻のラバーを引っ張った。ぺちっ。

「おい!」

 出来ることなら痛め付けたくはなかったが、仕方ない。デッドストックは鎖を思い切りよく引っ張って、顔の高さまで 持ち上げると、上下逆さになったプレタポルテはきょとんとした。が、デッドストックが被っているマスクを引っ張っては また指を離した。それが眉間だったので、思い掛けない痛みにデッドストックはよろめいた。

「うぃ?」

 プレタポルテはデッドストックの反応が面白いのか、にこにこしている。

「ごひゅりんたま」

「俺が主だと思うのなら、なぜそんなことをする」

「ごしゅりんしゃま?」

「もしかして、自分が言っている言葉の意味を理解してないんじゃねーの?」

 プライスレスは腹部をさすりつつ言うと、デッドストックは少し考えた後に納得した。

「そのようだな」

「だとすると、物事の善し悪しもまず解ってねぇんじゃねぇの?」

「おひゅじんたあぁ」

「かもしれないな」

「この本には人造妖精は別冊のマニュアルに沿って適切な教育と設定を施せって書いてあるけど、そのマニュアル は俺の手元にないしなぁ。あったとしても、内容が理解出来るかどうかは別だけどさ」

「ごひゅじんたあー」

「いいから黙れ」

 デッドストックはプレタポルテの天地を元に戻して床に置くと、プレタポルテは精一杯の語彙で不満を示した。

「にゅ」

 人造妖精とは大人しく従順なものだと考えていたが、どうやらそれは単なる思い込みだったらしい。デッドストックは プレタポルテに何度も引っ張られたラバースーツが破けていないかどうかを確かめた後、虹色に輝く羽が生えて いる背の後ろに腰を下ろした。背後を取っておかなければ、次はまたどんな悪戯をされるか解らないからだ。
 しばらくして、けひ、へひっ、と人造妖精は弱々しい咳を吐き始めた。ガスマスクを被せてあるのだから、有害物質 が溢れかえっている空気を吸わずに済んでいるはずなのだが。しきりに喉を引っ掻くようになったので、喉が渇いた のだと察しが付くまで、少し時間が掛かってしまった。酒の材料になる貴重な真水を飲ませるのは勿体ない気もして いたが、せっかく手に入れた人造妖精が病気になって死んでしまったら、また掴まえる必要がある。デッドストックは 渋々腰を上げ、空咳を繰り返しているプレタポルテを脇に抱えた。

「地下に行ってくる」

「いってらっしゃーい」

 プライスレスにやる気なく見送られながら、デッドストックは赤茶色に錆び付いたドアを開けて階段を下りた。普段、 デッドストックが住み処にしているのは、上半分が倒壊したビルの一階である。元々はオフィスとして使われていた 形跡があり、コンピューターや用途不明の機械がごろごろしているが、今となっては無用の長物ばかりだ。地下には 駐車場と思しき空間があり、乗り捨てられた乗用車が何台も転がっているが、スクラップにして売り捌けるほど状態の いいものはない。だから、密造酒の製造工場にした。
 手回し式充電器を何度も回してから、LEDライトを灯すと、青白い光が地下に隙間なく並んだ樽を照らし出した。 樽といっても、まともな木製の樽は一つもない。崩れたビルの屋上から落ちた給水タンクであったり、元々は石油を 入れていたタンクであったり、用途不明だが密閉性の高い円筒形の容器であったり、と様々だ。その中には穀物と 多少の糖類を混ぜたものに水を加えてあり、それをデッドストックの能力によって発酵させている。もっとも、それが まともな酒になるという保証はない。アルコール臭はするものの、濾過する段階で糸を引いている酒も数多くある。 だから、出来上がった酒をデッドストック自身が飲むことはなく、密造酒を誰彼構わず売り捌いているプライスレスも 舐めたことすらない。せいぜい、アルコールランプの燃料に転用する程度である。
 大金を積んで密造酒を買い込んでは喜ぶ者も多いが、アルコールか腐敗汁の毒に当てられて死んだ者もまた、 数多く存在する。だから、デッドストックを嫌う者もまた数多く存在する。何度かヴィジランテに襲撃されて密造酒の 製造工場を壊されたこともあったが、それでも止められないのは、単純に金が儲かるからである。プライスレスは、 その金目当てにデッドストックに擦り寄ってきた若者だ。今までにも浅ましい腹積もりのダウナーに絡まれたことは あったが、プライスレスはやけに辛抱強く、デッドストックが何度振り払おうとも食らい付いてくる。饒舌すぎて非常に 鬱陶しいが、役に立たないこともないので腐らせずにいる。

「少し待て」

 デッドストックは作業用のスチール机にライトを置いてから、手近な椅子にプレタポルテを座らせた。大粒の砂利と 粒子の細かい砂と薄い布を折り重ねて縦長の瓶に詰め込んだ濾過装置を外し、その下の容器に溜まっていた真水 を片手鍋に移した。それを網を載せたアルコールランプの上に置き、少しずつ加熱させた。
 ステンレス製の薄い鍋の底で、ぽこんぽこんと小さな泡が立ってきた。青い炎と泡を見つめながら、プレタポルテ は膝の上で両手をきつく握り締めていた。デッドストックは椅子を引いて、人造妖精の隣に腰掛けた。先程の様子 からすると、好奇心に駆られてアルコールランプの火に触ったりしかねないので、見張っておく必要があるからだ。 万が一、火傷でもされたら価値が下がってしまう。

「ま」

 プレタポルテは小さく咳き込んでから、金色の瞳でデッドストックを見上げてきた。

「どうした」

「う?」

「あれは火だ。触るな。皮膚が焼ける」

「くぃ?」

「あれは湯だ。触るな。細胞が煮える」

「けしゅ?」

「あれは酒だ。触るな。猛毒だ」

「くぁん?」

「それは俺だ。触るな。腐るぞ」

「ごひゅりんらま」

「そうだ。だから、俺の言うことを聞け」

 デッドストックが命じると、プレタポルテはそれなりに意味を理解したらしく、頷いた。湯が沸いてから冷めるまでの 間に、デッドストックは地下駐車場の隅に詰め込んでおいた雑多な物資を掘り返し、何年も前に拾ったがそのままに してあった人工皮革のベルトを見つけ出した。埃を払い、手近なドライバーで穴を開けて手首の太さに合わせてから、 もう一つ穴を開けて金具を通した。そのベルトを手首に巻いてから、登山用のカラビナでプレタポルテの鎖とベルトの 金具を繋ぎ合わせた。これで、プレタポルテの手綱である鎖を手で握っておく必要はなくなった。
 今のところは、だが。





 


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