DEAD STOCK




2.Fairy Tail



 瓦礫の隙間を縫い、涸れた川を渡り、崩れた橋を越えた。
 砕けたアスファルトの上を跨ぎながら進み、錆び付いた看板が付いた廃工場に辿り着いた。デッドストックは肩の 上からプレタポルテを下ろし、強張ってしまった肩を揺すってから、廃工場の屋根付近に目を凝らした。古びた電柱 からか細く伸びている電線が繋がっていて、工場内へと続いている。耳を澄ませると、粒子の多いざらついた風が 吹き抜ける音に混じって、吸排気を行う換気扇が回る音も聞こえていた。通電している証拠だが、塔の周辺一帯の 電力供給源はヴィジランテのボスであるイカヅチだ。だから、アングルワームは電力と引き替えに生産した薬物を 売却していたのだろう。口ではヴィジランテを貶めていても、その実はヴィジランテに迎合しているヴィランは、別に 珍しくもなんともない。要領が良くなければ、生き残れないからだ。
 この廃工場が、アングルワームの薬物製造工場である。だから、この廃工場に向かう最中にも何人ものヴィラン に絡まれたが、その都度鎖を絡めて首や腕を千切り取った。おかげで、デッドストックとプレタポルテを繋いでいる鎖 は血と脂肪と肉片で汚れ切り、べとついていて、饐えた臭気を放っていた。
 鎖を引き摺りながら裏口のドアに行き着いたが、施錠されていたので、蹴りを入れて一撃で錠前を弾き飛ばした。 それでなくとも老朽化している建物ばかりなのだから、どの建物の鍵も古びている。だから、余程のことがない限り は実力行使で壊せてしまう。割れたドアを踏み越え、黴臭い廊下を進むと、視界が開けて光が目を刺した。
 白く眩しい光が、燦々と降り注いでいた。適度な湿気を含んだ空気は植物が放つ新鮮な酸素と土の匂いが濃密 に満ちていて、汚れた空気を常に吸っている体には強すぎた。デッドストックはトレンチコートの袖で口と鼻を覆い、 いつもの饐えた匂いを深く吸ってから、ケシの赤い花と大麻の青々とした葉が生い茂る工場内に入った。

「ぷーるー?」

 プレタポルテは禍々しい花と草に興味津々で、駆け出した。

「電源を捜す方が先だ。充電するのには時間が掛かるんだ」

 デッドストックは鎖を引っ張ってプレタポルテを引き留めると、壁伝いに歩いていった。上と下を交互に見ながら、 コンクリート製の灰色の壁と赤茶けた錆が浮いた鉄骨を、天井にずらりと並んでいるLED式蛍光灯が青白い光で 照らし出していた。デッドストックとプレタポルテの足元にも影が出来ていて、光源の多いため、薄い影が幾重にも 重なりながら二人を追い掛けてきた。
 しばらく歩き回り、照明の一つであるスタンドライトの電源を見つけた。デッドストックはショルダーバッグを下ろして バッテリーとケーブルを出すと、スタンドライトのコンセントを抜き、そこにバッテリーのケーブルを差し込んだ。充電 開始を示す赤いランプが灯ったので、デッドストックはバッテリーの傍に腰を下ろした。

「少し時間が掛かる。その間は休むしかない」

「みゅ」

 プレタポルテは再び駆け出し、大人の身の丈ほどの高さまで育った大麻の草原に突っ込もうとしたが、当然ながら 鎖がそれを阻んできた。左足首をを取られてその場で転び、大麻を掻き分けながら真正面に転んだ。

「にょん!」

 プレタポルテは左足首を振り回して不満を示していたが、デッドストックが構わずにいると、プレタポルテはぐずり 始めた。泣いてせがむほど遊びたいのか、とデッドストックが内心で呆れていると、プレタポルテは座り込んで肩を 怒らせた。小さな水音の後、はあっとガスマスクの下でため息を吐いてから弛緩した。

「……おい」

 どうやら、尿意に迫られていただけらしい。先程飲んだ水が、降りてきたのだろう。

「ごひゅりんたら!」

 出すだけ出して機嫌が良くなったプレタポルテに、デッドストックは腰を上げて襟首を掴み上げる。

「俺のジャケットを汚すな」

「ごひゅじんたみゃ!」

「とりあえず、脱げ。洗うだけ洗わないと、俺が触らなくても腐る」

 バッテリーの傍から離れるのは気が気ではなかったが、デッドストックは下半身がじっとりと湿ったプレタポルテを 脇に抱えて歩き出した。これだけの量の植物を育てるためには、光だけでなく水も必要だから、水場の一つはある はずだと踏んで捜してみた。すると、案の定、天井まで届く大きさの浄水装置が見つかった。ポンプで汲み上げられた 汚れた水が浄水装置の上から流し込まれると、下に備え付けられているタンクに真水が滴り落ちていた。

「それぇ、飲まない方がいいわよぉん」

 艶めかしい女の声と共にケシの花畑が二つに割れ、人影が立ち上がった。否、女性に似た曲線を帯びた体形の ケシの花だった。頭部は顔の代わりに赤い花弁が花開き、茎と同じ色の二つの乳房とくびれた腰は悩ましく、脂肪の 代わりに水気を含んでいる両手足の端々からは葉が生えていた。

「あたしの毒ぅ、入っているからぁ」

「洗うだけだ」

 デッドストックはプレタポルテの下半身を指すと、人型のケシの花は赤い花弁が生えた頭部を反らす。

「あらぁ、可愛い子。それ、どうしたのぉ?」

「俺のものだ。手を出すなら、お前も腐らせるまでだ」

「それは心配ないわぁ。放っておいてもぉ、あたしは根腐れを起こしちゃうからぁ」

 だって水が多すぎるんだものぉ、とくふくふと笑ってから、人型のケシの花、パパルナは手のように発達した葉の 生えた茎を頭部に寄せた。パパルナは、アングルワームに薬物の原料となる植物の栽培を始めるように手解きを した張本人であり、アングルワームに寵愛されていた。以前はクイーンビーの娼館にて、麻薬を用いた強烈な情交 を売りにしていた娼婦だったのだが、アングルワームに気に入られすぎて攫われてきたのだ。

「俺はミミズを一匹、潰してきた」

 デッドストックはプレタポルテの下着を脱がせ、水で洗ってからきつく絞った。汚れた鎖も洗った。

「こんな商売をしているんだものぉ、いつかそうなるって解っていたしぃ、なんかぁもういいかなぁって気もするからぁ、 別にあなたに怒る気もないしぃ、あの人がいなくなってもそんなに寂しくないしぃ」

 パパルナは地面に根を張っている両足を揃えると、大麻の草原に横たわり、毒の汁が詰まった乳房を反らす。

「あたしぃ、アングルワームに飼われるようになってからぁ、なんかぁ、全部どうでもよくなっちゃってぇ」

 デッドストックが黙々とプレタポルテの服を洗っている最中も、パパルナは酩酊した口調で話し続けた。

「工場の中でぇ、アングルワームが耕した土に根を張ってぇ、あたしの子株とぉ、大麻ちゃん達を育てなきゃならない からぁ、外の世界に出られなくなっちゃってぇ、それからずうっとずうっと退屈だったのぉん。女王様の下でお客さん を相手にしていた時はぁ、色んな人と関われたからぁ、結構楽しかったんだけどぉーん」

「退屈だから、死ぬのか」

「かもしんないしぃ、工場の中に根を張り過ぎちゃったからぁ、外に出ようにも出られないってのもあるしぃ、根を切って 外に出たとしてもぉ、今のあたしは綺麗な空気と綺麗な水に慣れちゃったからぁ、外に出たらすぐ死んじゃうって 解っているしぃ。だから、どうせなら、綺麗なままで死にたいなぁーん、ってぇ。くふふふふふ」

「勝手にしろ」

「うん、勝手にするぅー。だってぇ、あたしの人生だものぉん。自分の毒でラリラリになってぇ、幸せでぇ、キラキラした まま死ぬのぉ。アングルワームに飼われずに済むようになっただけでもぉ、とおっても幸せぇ」

「お前はあのミミズを嫌っていたのか」

「うん。だってぇ、ああいうのってぇ、タイプじゃなあいんだもぉん」

 きゃひひひひひひっ、と不意に声を裏返して笑ってから、パパルナは胴体を突き出して仰け反る。デッドストックは 支離滅裂な独り言を垂れ流し始めたパパルナを横目に、プレタポルテの下着と濡れた服を洗い終えると、先程の ものとは別のスタンドライトを見つけてきた。電源を入れて濡れた服をカバーに載せると、電熱で少しずつ乾いた。 そのスタンドライトを拝借していく、とデッドストックはパパルナに言ったが、パパルナはけたけたと笑い転げている だけで答えなかった。なので、それを了承と判断し、デッドストックは服を乾かし終えてからスタンドライトを分解して ショルダーバッグに入れた。大型バッテリーの充電も終わっていて、ランプも消えていた。
 荷物が増えたショルダーバッグを提げ直し、乾いた服を着直したプレタポルテを肩車すると、プレタポルテは眠気を 催したのか、こっくりこっくりと船を漕いでいる。勢い余ってヘッドバットを喰らいそうになったので、デッドストックは 仕方なく人造妖精を肩の上から下ろして右腕で抱えた。胴体を横にして持つと内臓を圧迫してしまうので、嘔吐され でもしたら後始末が面倒なので、右腕にプレタポルテの尻を抱えて向かい合う形で抱くことにした。
 人造妖精は熟睡していて、帰り着いても起きなかった。




 やけに長い一日だった。
 デッドストックはいつになく疲労が蓄積した両腕と両肩を回し、血流を促して少しでも早く疲労を取り除く努力を していたが、それ以上に気疲れがひどかった。子供一人を連れて外を出歩くことは、複数人数のヴィランを相手に するよりも余程体力を消耗する。ラバーマスクの下で苦々しく嘆息してから、デッドストックはラバーマスクを捲り上げ、 生臭い水を呷った。濾過する前の青緑色の腐った水だが、どれほど濾過したところで口に入れた時点で腐るので、 濾過するだけ無駄だからだ。胃の中に入った腐った水は少し泡立った後、消化、吸収されていった。

「おー、付いた付いた」

 デッドストックの自室の一角を陣取っているプライスレスは、ヴィジョン受像機をいじっていた。大型バッテリーから 伸びるケーブルから順調に電気を得たことで光度が安定したが、電波状態が最悪なので立体映像はノイズだらけ だった。それでも、音が聞こえるだけでもマシだ。デッドストックがプレタポルテを連れて電気を盗みに出掛けた後、 プライスレスは人造妖精の飼育方法が載っている本を読み終えたらしく、ページに折り目が付いていた。

「で、あれはなんだよ」

 プライスレスは、スタンドライトの前に座って手回し式充電器をぐるぐると回しているプレタポルテを指した。小さな手 が円を描くとスタンドライトの光量は増すが、手を止めると弱くなってしまうので、プレタポルテは熱心にゼンマイを 回し続けていた。スタンドライトのコードが手回し式充電器に繋がっていて、プレタポルテが生み出す脆弱な電力 を得て光っているが、思いの外消費電力が多いのか、電圧が足りないとすぐに消えてしまうようだった。

「ああしておけば大人しいし、自力で光を得られるだろう」

 デッドストックは生臭い水が入ったコップを揺すり、再度呷った。

「確かに効率的ではあるけどさ」

 プライスレスはヴィジョン受像機のチューニングを微調整し、それなりに映像が映る電波を拾った。

「いい加減に出ていけ」

 デッドストックが丸まりがちな少年の背に言い捨てると、プライスレスは肩を竦める。

「今、外に出たら、俺はすぐにバラされちまうって。このビルのドアに、ストッキーと妖精ちゃん以外は入ってこないで “くれよ”って言っておいたから、まともに留守番出来たんだけどさ。そうでなかったら、今頃、俺はブッチャーの店で 細切れにされて一山十ドルで売られちまっているって。つか、誰彼構わず売られたケンカを買うのはどうにかした方が いいんじゃねぇの、ストッキー。あんた一人ならまだしも、妖精ちゃんを連れているんだからさぁ」

「お前はそんなにこいつが気に入ったのか」

「気にいったっつーか、まあ、気になったっつーか」

 だってほら、とプライスレスはヴィジョン受像機の立体映像を指し示した。デッドストックが腰を浮かせて近付くと、 手回し式充電器で遊んでいたプレタポルテも引っ張られたので、デッドストックを追い掛けてきた。砂や土の粒子が 詰まったスピーカーから、雑音混じりの音声が聞こえてきた。アングルの全く違う、見覚えのある景色が映し出され、 仰々しい音楽が付けられている。最初に映ったのは、地下世界の中核である塔と、塔を囲んでいる廃棄物の山、 その次に映ったのがクリミナル・ハントの檻とパラシュート、そしてデッドストックだった。

『なんという展開、なんという蛮行、なんという奇策!』

 クリミナル・ハントの実況を担当するアナウンサーが、金切り声を上げる。

『この番組が始まってから二十年以上が経ちます、前々回で放送二千回を迎えました、ですが、今の今までこんな ことをしでかしたダウナーはいたでしょうか! いいえ、いませんでした! まさか、プレタポルテを奪い取るとは!  地下世界に関する情報が乏しいために、このダウナーの名前はまだ判明しておりませんが、現時点では暫定的に ラバースキンマンと呼ぶことにいたします!』

 ダウナー達の頭上を飛び交っていたメダマが多角的に捉えていた映像が合成され、拡大される。

『人造妖精プレタポルテは、我らアッパーにとっては掛け替えのない財産であり、食糧でありますが、それがダウナー の手に渡るとは想像だにしておりませんでした! 我らアッパーが技術革命を起こした際に地下世界に隔離した ダウナーは、知性も品位も教養も備えておりません! 環境汚染が解決するどころか、日を追うごとに悪化していく 劣悪な環境で、清潔な工場で製造、肥育され、無菌パッキングされて出荷されたプレタポルテが生き長らえるとは 思えません! ですが、ですが、ですが! この宇宙には、この惑星には、この番組には、ありとあらゆる可能性が 秘められております! ラバースキンマンが奪ったプレタポルテが生存すると思われる視聴者の方は赤いボタンを、 プレタポルテが死亡すると思われる方は青いボタンを押し、一週間後をお待ち下さい! 配当金とレートについては このチャンネルにて、随時お知らせいたします! また来週、この時間、ヴィジョンを通じてお会いしましょう! それでは 皆様、ごきげんよう!』

 それを最後に、クリミナル・ハントは終わった。曜日も時間帯も違うので本放送ではなく、再放送の枠なのだが、 デッドストックがプレタポルテを奪ったから急遽特番を組んだようだった。やかましいだけのCMが続けて放送され、 しばらくすると面白くもクソもないメロドラマが始まったので、バッテリーを節約するためにデッドストックはヴィジョン 受像機の電源を落とした。プレタポルテは立体映像が投影されていた空間に手を入れ、振ったが、デッドストックが いないと知ると不思議がり、本物をべたべたと触った。

「ぶへぁひゃははふはうふぁあっ、いや悪ぃ、通称にしたってひでぇよなんだあれ、でもよぉストッキぃひっ!?」

 盛大に笑い転げたプライスレスを手加減なしで殴り付けてから、デッドストックはぼやいた。

「上の連中は趣味が悪い。俺を避妊具みたいに言いやがって」

「う?」

 プレタポルテはデッドストックのトレンチコートを掴むと、目を丸める。

「んで、これがストッキーの目的ぃ? ヒーローなんて柄じゃねぇだろかぁー。つか、あっちの世界でチヤホヤされた ところで、こっちの世界じゃ何にもならねぇんだしさぁ。てか、アッパー共に気に入られて拾われるようなヒーローに なるつもりだったら、もうちょっと格好良くしてねぇとダメだって。そんなの、常識じゃん」

 クリスみたいにさぁ、とプライスレスが痛みと笑いを堪えながら言うと、デッドストックは再度殴った。

「俺はヒーローになるつもりはない」

「じゃ、じゃあさ、妖精ちゃんは誰の餌なんだよ?」

「幅を利かせているヴィラン共と、お前が例に挙げた男だ」

 その名をクリスタライズという。その名の通りの結晶化能力者のダウナーであり、触れたものを全て結晶化させる ばかりか自らの肉体も強固な結晶で覆い隠している。それ故に、方向性が変わる前のヴィジランテのリーダーとして 長らく君臨し、ダウナーらしからぬ洗練された知識と立ち振る舞いで、ヴィジランテばかりかヴィランにも一目置かれて いた男である。クリミナル・ハントにも幾度となく参加しては犯罪者達を的確に仕留めていたが、それがアッパー に評価され、ヒーローとして天上世界に招かれたのである。それ以降、クリミナル・ハントと同じスポンサーの番組に ヒーローとして出演しては大歓声と拍手を浴びている姿を、ヴィジョン越しに目にするようになった。だが、その実体 について知る者はあまりいない。デッドストックはクリスタライズの本性を知りすぎるほど、よく知っている。
 その、クリスタライズを再び地下世界に引き摺り下ろす。うええええ、と変な声を上げているプライスレスに一撃を 加えて黙らせてから、デッドストックは真っ直ぐ見つめてくるプレタポルテを一瞥し、口角を歪めた。
 まずはメダマを手に入れ、天上世界に己を知らしめ、仇敵を誘き出さなければ。





 


13 6/10