DEAD STOCK




3.Stamp Down



 下水道は入り組んでいる。
 広々とした最も広いコンクリートのパイプの下には複数のパイプが横たわっており、複雑に曲がりくねっている。 塔とアッパーの廃棄物の山を中心にして形成されている街は、かつては世界有数の大都市であったことが窺える 構造である。崩落したパイプを降りていくと、地下鉄の線路や駅に出ることもあるからだ。線路に放置された車両に 住み着いている者や、駅だった空間を占拠している者や、下水道に流れ込んでくるダウナー達の廃棄物の中から 金目になりそうなものを拾い集めている者もいるので、彼らに気取られないように進んでいった。
 暗闇の中で最も目立つのは光である。常時薄暗い地下世界の住人であるデッドストックであろうと、多少の光源 がなければ視界は得られない。しかし、あまり強すぎる光では目が眩んでしまうし、地下世界の地下の住人達から 無用な敵意を向けられてしまいかねないからだ。また戦う羽目になっては、余計な体力を消耗するだけだ。
 だから、デッドストックはスタンドライトではなく、手回し式充電器に付属しているLEDライトを最弱で灯していた。 周りが暗すぎるので、相対的に青白く頼りない光でも充分すぎた。水の滴る音と虫やネズミのざわめき、下水道を 流れる汚水のうねりに紛れる程度に、足音も声も潜めて進んだ。プレタポルテはデッドストックの言うことをきちんと 聞き入れてくれたが、退屈に耐えかねたプライスレスが喋り出そうとするとその都度殴って黙らせた。

「……にょん」

 ヘドロと苔で滑りやすいコンクリートに小さな足跡を付けて歩いてきたプレタポルテは、デッドストックのコートの裾 を引っ張ってきた。二人の間で引き摺られていた鎖も止まり、一塊になって引っ張られてきた泥も崩れる。

「どうした」

「歩き通しだから疲れたんだろ」

 なー、とプライスレスがプレタポルテを覗き込むと、プレタポルテは泣きそうになった。

「うぃい」

「ヴィラン共の住み処から、あまり距離を稼げたとは思えんが」

 デッドストックは下水道の内部を見回したが、上部にある亀裂や数字には見覚えがある。ということは、ここはまだ ヴィランの生活圏であるという証拠だ。となれば、まだ危険を回避出来たとは言い難い。しかし、プレタポルテを疲弊 させて大泣きされても困るので、デッドストックは仕方なしに人造妖精を抱え上げた。
 それからまたしばらく歩いていくと、大昔に作られたシェルターを見つけた。内部に残っていた生活用品から察するに、 シェルターに住み着いていた者がいたようだが、床に堆積した砂埃には新しい足跡が見当たらなかったので、 放置されてからかなりの年月が経っているようだった。カーテン代わりの汚れたビニールシートを捲って、フレーム ごとひしゃげたせいで開きっぱなしになっているドアの隙間から中に潜り込んだ。

「おー」
 
 けひけひ、と弱く咳き込んでから、プレタポルテはデッドストックに縋り付く。

「水だとさ」

 すかさずプライスレスが通訳したので、デッドストックは訝る。

「お前みたいな半端者が、なぜフランス語など解るんだ」

「さあ? でも、解るから解っちまうの」

 プライスレスは開きっぱなしのドアの外に流れている汚水を見やるが、首を横に振った。下水道の汚水は地上 の水の何倍も汚れているので、濾過しても飲めるものではないからだ。プライスレスの意図を察したプレタポルテ は、ガスマスクの下でぐしゃりと顔を歪め、小さな手でジャケットの裾を握り締めた。

「にょお」

「仕方ねぇなぁー。特別だからな、トクベツ」

 プライスレスは重たいリュックサックを下ろすと、中を探り、金属製のボトルを取り出した。やはり金属製のコップも 引っ張り出すと、それに数滴の水を入れて布で拭いてから、透き通った水を三分の一ほど注いだ。プレタポルテの ガスマスクを外してやってから、プライスレスがコップを差し出すと、プレタポルテは目を丸めた。乾いた唇を寄せて そっと口に含み、充分に味わってから、喉を鳴らして飲み干した。

「手持ちの水があるのなら、先に言え」

 デッドストックが毒突くと、プライスレスは両手を上向ける。

「聞かれなかったからだよ」

「俺にも寄越せ」

「ざぁーんねぇえーんっ、ストッキーの言葉には俺と違って能力はない……ってああいやいや冗談冗談、だからその ガス玉を作るのは止めてくれる? 飲んでいいから、あげるから!」

 デッドストックが左手の手袋を外して空を握ると、プライスレスは慌てふためいてボトルを差し出してきた。それを 奪い取ったデッドストックは、一気に呷ろうとしたが、プレタポルテが袖を引いてきた。にこにこしながらコップを差し 出してきたので、もう少し飲みたいのだろうと察したデッドストックは、コップの中に水を半分ほど注いでやった。

「めりゅー」

 プレタポルテは深々と頭を下げてから、プライスレスの元に戻り、コップを渡した。

「えっ、いいの?」

「う゛ぉありゃ」

「うわぁ……」

 プライスレスは余程感激したのか、ガスマスクのゴーグルの下で目をじんわりと潤ませながら、プレタポルテの手 からコップを受け取った。ガスマスクを押し上げてこれ見よがしに飲んでから、なぜか勝ち誇った。

「どぉだぁストッキー、俺の方が懐かれている!」

「だからどうした。水をくれただけで懐くなら、苔も泥も俺の味方だ」

「うぃ」

「なんだよもう、ノリ悪ぃんだからなぁ」

 プライスレスはガスマスクを戻してから、使い終えたコップを拭って再びリュックサックに押し込んだ。デッドストック はプライスレスの鬱陶しさに、疲労と右腕の痛みも相まって苛立ちが膨らみ、その勢いに任せてボトルの水を全て 胃に収めた。だが、普段飲み慣れている濾過水に比べると、恐ろしく清浄で甘い水だったために噎せた。すぐさま 舌と喉と胃の中で甘い水は腐り始め、慣れた味に変わったが、違和感は拭えなかった。

「これをどこで手に入れた」

 デッドストックが空のボトルを投げ付けると、プライスレスは難なく受け取る。

「さあ?」

「どこの誰と取引をしているかは知らんが、あまり手を広げすぎるな。無駄に敵を増やすだけだ」

「えぇー、ストッキーって俺のことを心配してくれちゃうの? うっわー、嬉しいけどマジ複雑ぅー」

「お前が俺に付き纏っている限り、お前の敵がイコールで俺の敵になるからだ。それだけだ」

「うぃ」

 プレタポルテが全くだと言わんばかりに頷いたので、プライスレスは肩を竦める。

「スマックダウンのことは、俺も悪かったってちったぁ思っているさ。だけど、俺に根本的な責任はないからな! 酒と ドラッグが欲しいがために襲い掛かってきたのは屑ヴィラン共だし、ストッキーにケンカを仕掛けてきたのはスマック ダウンだし、そのスマックダウンにやり返したのもストッキーだし! ヤバかったけど、ほら、俺が絶妙なタイミングで 助けてやったじゃん! だからさぁストッキー、もうちょっと俺に優しくしてくれてもぉ」

 いいじゃんかあ、と言いかけたプライスレスをデッドストックが蹴り上げようとした、正にその瞬間。シェルターのドアに 何かが激突し、轟音が鳴り響いた。凄まじい金属音と破裂音が波状に広がって、虫やネズミが堰を切ったように 逃げ出した。デッドストックは身構えると、再び何かが激突し、プレタポルテはびくつく。

「ぷーるー?」

「見てこい」

 デッドストックが顎でしゃくると、プライスレスは声を潰したが、再度命じると渋々近付いていった。ドアの隙間から 慎重に下水道を見回したプライスレスは、ひしゃげたドアの外側に貼り付いている赤黒い液体と肉片を見咎めて、 その周辺に散乱する羽根を一枚拾った。粉々に砕けているが、骨とクチバシと思しき部品も放射状の血溜まりに 散らばっている。ということは、これは鳥だった物体なのだろう。となれば、答えは簡単だ。

「バードストライクのチキン野郎だぁ!」

 攻撃の主の正体を察したプライスレスはデッドストックの元に逃げ帰ってきたが、デッドストックは足で制する。

「お前、マンホールの蓋を閉め損ねたんだな? そうだな?」

「うぃ」

 プライスレスはガスマスクを被った顔面を思い切り踏まれながら、親指を立てた。デッドストックはプライスレスの 横っ面を蹴り飛ばして転がしたが、だって両手が塞がっていたしぃ、潜る時に閉めたら手元が見えなくなるしぃ、と 言い訳がましく喚いてきた。それらを無視しながら、デッドストックは考えを巡らせた。
 ヴィランの一人であるバードストライクの能力は、相手に鳥を投げ付けて命中させる能力だ。対象物がどれほど 離れていようとも、視界にいなくとも、関係ない。確実に攻撃を加えられる。一度狙いを付けられたら、それを防ぐ 手立てはない。狙いを外させるには、バードストライク本人を殺すか、自分が殺されるかのどちらかしか手はない。 シェルターに籠城し続けていれば、いずれは血の臭いを嗅ぎ付けた下水道の住人達が寄ってきて、デッドストックら を襲うだろう。だからといって、外に出れば最後、闇に紛れて飛んできた鳥が命中する。デッドストックとプライスレス であれば数発は凌げるだろうが、プレタポルテはそうもいかない。一発で死ぬ。

「おい、プライスレス」

 デッドストックはLEDライトの光量を上げ、シェルターの内部をぐるりと照らした。

「んだよぉ」

「ここはシェルターだと言ったな」

「あー、そうだよ。だぁからどうしたぁ。ドアにでかく書いてあったし、そのドアの分厚さからして、避難用のシェルター 以外の何物でもねぇだろ。なんだよもう、あんなに俺を邪険にしておいて虫が良すぎないか?」

「字は読めるか」

「英語まで怪しくなったのかよ、ストッキー。そりゃあ、俺らの間で使う英語と、昔のアッパー共が使っていた英語は 最早別物と言っても過言じゃないレベルの変貌ぶりだけど、単語ぐらいは普通に読めるだろぉー」

 ぶちぶちと文句を言いながらも立ち上がったプライスレスは、デッドストックの手からLEDライトをひったくり、壁や 天井を照らして眺めていった。プレタポルテは不思議そうに光を目で追っていったが、その間にもバードストライクの 投げ付ける鳥は次々に命中しては頑丈なドアを歪めていった。元々歪んでいたものが度重なる爆撃で更に変形し、 今となってはくの字に近い状態だ。あまり長引けば、ドアが吹き飛ばされてもおかしくはない。

「何が見つかった」

「えーと、備蓄室……は空っぽで空き缶しかねぇやクソ、トイレも詰まっていて正視したくねぇ、耐爆風ドアは今現在 鳥爆撃の真っ最中、エアーロック室の耐圧ドアは外れていて意味がねぇや、汚染空気濾過装置もぶっ壊れていて 錆だらけでジャンクにもならねぇ、んでこれが非常脱出口らしいけど……」

 プライスレスはLEDライトを奥の壁に向け、EXIT と書かれたプレートが付いた四角い蓋を示す。

「もしかして、トンズラすんの?」

「それ以外に選択肢があると思うのか」

「正面切って戦うだけ、時間の無駄だしなぁ」

 あらよっと、とプライスレスは埃だらけの四角い蓋を剥がし、中を覗き込んだ。デッドストックは先に行けと急かす と、プライスレスはリュックサックを四角い穴に押し込んでから、自身も非常口に入った。おおこりゃイケそう、との声 がしたので、デッドストックはプレタポルテを先に入らせてから四角い穴に入り込んだ。
 穴の中は、成人がなんとか通り抜けられる程度だった入り口に比べると一回りは広く、上に繋がるハシゴが壁に 埋め込まれていた。プライスレスは背中の大荷物に振り回されながらも登っていったが、マンホールのハシゴよりも 錆が進行しているらしく、デッドストックとプレタポルテの頭上にぱらぱらと錆の粉が降り注いできた。プレタポルテは 髪に付いた錆が気になるのか、しきりに頭を振っている。この分では、三人が登り切る前にハシゴが外れてしまうかも しれない。デッドストックはそれを内心で危惧しつつ、落ちるならプライスレスだけにしてくれと願った。
 それから数段ほど登った時、ひょえい、と素っ頓狂な悲鳴が聞こえてきた。それから間もなく、真っ黒な固まりが 重力に従って迫ってきた。考えるまでもなく、プライスレスとその荷物である。デッドストックは咄嗟に鎖を引いて人造 妖精を抱えたが、非常口は狭すぎるために逃げられるはずもなく、為す術もなく巻き込まれた。
 非常口の入り口に激突して終わるはずだった。だが、経年劣化とは恐ろしいもので、度重なる地震でひび割れた コンクリートは水が入り込んで緩んでいたらしく、加速が付いた三人分の体重を受けた途端に盛大に崩壊して大穴 が開いた。更なる地下へと吸い込まれながら、デッドストックはちらりと考えた。
 下水道の下の世界ならば、バードストライクの射程外だろう。




 ぎゃあぎゃあぎゃあ、ぎゃあぎゃあぎゃあ。
 黒い旋風が、死体の群れを取り囲んで渦巻いていた。内容物と共に腐臭と血臭を垂れ流している、ヴィラン達の 成れの果ては無数のカラスに啄まれていた。彼らは争いながら肉を千切り、臓物を抉り、骨を突いている。いかに 世界が変貌しようとも、野生動物の貪欲さは変わらない。といっても、彼らは以前の姿を保っているわけではなく、 奇形が大多数を占めていた。羽根が四枚であったり、足が三本であったり、クチバシが裂けていたり、目玉が複眼 のように分裂していたり、と多種多様ではあったが、濡れたような艶を帯びた黒い羽根だけは変わらなかった。
 肉片を掴んだ手をカラスに差し伸べ、数羽が寄ってきた瞬間に首を捉えて極めたのは、バードストライクだった。 ひょろりとした長身を黒いロングコートで覆い隠しているが、腰回りが異様に膨れ上がっている。なぜなら、ベルト に鳥の死骸をいくつもぶら下げているからだ。殺したてのカラスの首をベルトに挟むと、バードストライクは鍔の広い 帽子の位置を直してから、カラスの群れに突かれている巨漢を覗き込む。

「良い格好じゃないか、スマックダウン」

「……うるせぇなぁ、チキン野郎」

 巨漢、スマックダウンは自身の血と吐瀉物が溜まった口を動かして、ぐじゃぐじゃと肉片を噛んだ。ガスマスクは 余力を振り絞って毟り取ったため、ベルトが千切れ、傍らに転がっていた。

「リザレクションの肉片を使う気はない、それを使うとすればイカヅチを殺す時だって散々息巻いていたじゃないか。 それなのに、今、使うなんてなぁ。ガス野郎とやり合って、タマまで腐っちまったのか?」

「今の今まで、使いどころがなかったんだよ。だから、ガスマスクの裏側に仕込んだままになっちまっていたんだよ。 それぐらい、解るだろぉが。あのクソ女め、クソ不味いじゃねぇか」

「で、再生出来たのか?」

「内臓はそっくり、筋肉と神経はもう少し、血は盛大に足りねぇ」

「だったら、旨い鶏料理でも振る舞ってやるよ」

「毒の固まりだろぉが。そんなもんを喰うぐらいだったら、死んだ奴らの肉を喰う」

「結論から言おう、俺はガス野郎を殺し損ねた。途中まで手応えがあったんだが、逃げられた。おおっと殴るなよ、 ああ、今は殴れないか。さすがのあんたでも、腕が上がらないもんなぁ」

「お前の腕でも殺せねぇとは、大したタマだぁなぁ。ちったぁ、気に入った」

「あれ、俺にお仕置きはしないの?」

「見りゃ解るだろぉがあ、そこに回せるだけの体力がねぇよ。だがな、体が元に戻ったら、あのガス野郎にどぎつい お仕置きをぶちかましてやる。その時ぁ、手ぇ貸せよな」

「それは願ってもないことではあるけど、この街から引き上げた方がいい。俺の巣には、まだ余裕があるしな」

「俺にゃあ、野郎と寝る趣味はねぇんだがなぁ」

「それは俺も同じだが、この際、仕方ない。イカヅチに目を付けられた」

 バートストライクの背後で閃光が走り、廃ビルの屋上に突き刺さった。爆音の後に一筋の煙が上がり、炎の柱が 暴れ出した。デッドストックが起こした爆発による火災は収まっていたが、落雷による火災が更なる煙を生み出し、 ヴィランの街を丹念に燻し始める。バードストライクは、中世ヨーロッパの医者が被っていたマスクに酷似した鳥の クチバシ型のマスクを被った顔を傾け、にんまりと目を細めた。

「なあ、スマックダウン。俺はこう思うんだ。あのイカレたガス野郎に腹を立てているのは、何もあんただけじゃない。 ヴィジランテに鞍替えしやがったスピアーを殺されたことで、ヴィジランテも殺気立っている。更に言えば、パパルナ は元々クイーンビーの子飼いだった。てぇことは、つまり、そういうことだろう?」

「奴の頭越しに、一暴れしようってかぁ?」

「良い考えだと思うがね。上手くすれば、ヴィジランテ共もあんたの配下に出来る。この世界を支配しているものは なんだ、金か、酒か、ドラッグか、ちゃちな組織力か? ……違うだろ?」

「暴力に決まってんだろぉがぁっ!」

 雷光が腐った空をつんざき、爆音が崩れ落ち、廃ビルの屋上を砕いた。スマックダウンは再生したばかりの肺を 膨らませて肋骨を軋ませ、横隔膜を震わせて哄笑する。その荒くれた破壊的な笑い声に怯えたカラスの群れは、 一斉に羽ばたき、ただでさえ暗い空をどす黒く染める。迂闊に高く飛びすぎた者は雷光を浴びて一瞬で炭と化し、 食い散らかした死体に仲間入りした。スマックダウンはガスマスクを拾うと、被り直し、肩を怒らせる。
 強者こそが覇者であると、思い知らせてやる。





 


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