その後、デッドストックは黙々と死体の山を腐らせた。 死んで間もないからだろう、折り重なっている死体は肌が青黒く、傷口や穴からは体液が漏れていなかった。皆、 体付きは貧相で服装も汚らしく、泥にまみれていた。中には、有り金や私財を抱きかかえたまま死んでいる者や、 クイーンビーの配下の娼婦である証のタトゥーが彫られている女もいたので、デッドストックらと同じように下水道 に落ち延びたはいいが道に迷った末に行き倒れたのだろうと察しが付く。 死体の身ぐるみを剥がして現金や財産を奪い取ったが、それらは全てマゴットの懐に入った。この死体を集めて きたのはマゴットなのでそれが当たり前であり、そんな小銭如きで争って無駄な労力を使いたくなかったので、デッド ストックは文句を押し殺しながら、素手を死体の腹にねじ込んで腐らせた。 わんわんと飛び交う無数のハエが死体に群がって、すぐさま卵を産み付けていく。既に蛆虫が育っている死体は 腐肉が食い尽くされていて、むちむちとした白い幼虫が波打つように蠢いていた。マゴットはその蛆虫達をホウキで 集めると、カゴに入れて待合室に運んでいっては茹でていた。 デッドストックが仕事に耽っている間、当然ながらプレタポルテも傍にいなければならなかったので、死体の山の 上に掛けられているネットの向こう側に座っていた。マゴットに薬が混じった水飴を舐めさせてもらってからは機嫌も 良くなっていたが時折咳き込んでいるので、まだ本調子ではないようだった。行く当てもないので作業場にやってきた プライスレスは、プレタポルテの様子を気にしつつ、リュックサックの中身を広げて壊れたものがないかどうかを 確認していた。破れた作業着は洗って縫い合わせるために脱いでいるので、垢染みた長袖のシャツと、擦り切れた ジーンズを着た姿になっていた。外気が汚れすぎているので、服を重ね着するのはごく当たり前のことだ。 「けしゅ?」 プレタポルテはプライスレスが広げた道具を眺め、興味深げに目を輝かせる。 「下手に触るなよ、危ないのも多いんだからな。つか、裁縫道具を拾った記憶はあるんだけど、どこに入れていたか っつー記憶が出てこねぇー」 「けりゅ?」 「こいつはナイフだ。投げナイフの能力を持っていた奴から“寄越して”もらったんだけど、使いづらいから奥の奥に 入り込んでいたんだよ。ダガーなんて俺の手には余るけど、売るには惜しい切れ味でさ」 「う?」 「これはまあ……金になるモノだよ。でかいから持ち運びが不便だけど、持って歩かねぇと盗まれるし」 「きゅ?」 「ああ、それはなんつーか、機械? 使い方は解らねぇけど、そのうち使えそうな気がしてさ。どこで拾ったかは特に 覚えてねぇなー、めぼしいものはとりあえず拾うクセが付いちまっているから。そのせいで死にそうな目に遭ったのも 一度や二度じゃねぇけど、その時はその時ってやつだし。あ、裁縫道具出てきた。糸は……まあ使えそうかな」 「くぁん?」 「この傷? あーそりゃあ、むかーしむかしに俺が人買い野郎に拾われた時にタトゥーを焼かれたんだよ、劇薬で。 製造元が娼婦だと売れ行きが悪いからってんで、ジャバっとやられたんだけど、色々あって逃げてきて、ヴィランに なって、こうなったってわけ。能力に気付いたのはその時かな。殺さないで“くれよ”って言ったら、俺の脳天を割ろう としていたハンマーが止まったんだよ。……んー、こんなもんかな。穴さえ塞がればいいわけだし」 「ぽーう゛ー」 「俺が可哀想って、そんなん別に普通すぎだし。つか、まだマシだよ。俺は女じゃなかったから、生まれても売りに 出されただけで済んだんだよ。だから、妖精ちゃんは気を付けろよ? 今でこそストッキーがべたべたに可愛がって くれているけど、用事が済んだり、飽きたりしたら、すぐに売られちまうからな? そうならないためにも、媚び売って 甘えておくことだな。そうすりゃ、ストッキーなんてイチコロだ。ホモじゃなかったらの話だけど」 「うぃー!」 「黙れ」 人造妖精にろくでもないことを吹き込んだプライスレスを、デッドストックが睨むが、少年はへらへら笑う。 「えぇー? だって、ストッキーがクイーンビーの娼館から出入り禁止喰らっているのって有名な話じゃーん」 「どいつもこいつも弱いのが悪いんだ」 「俺が知る限り、ストッキーが女を連れ込んだところは見たことないしぃ、女のところに通っているところも一度も 見たことねぇしぃ、買っている様子もねぇしぃさー。それともなんだよ、ラバー製のダッチワイフがあるから生身の女 でヌかなくても平気ってこと? うひゃははははははははははぐぶへはっ!?」 笑い転げたプライスレスに、デッドストックはネットを捲って腐肉を投げ付けた。ガスマスクを被った顔面に腐肉が 命中したプライスレスは仰け反り、コンクリート製の壁に強かに後頭部をぶつけた。腐肉を追っていったハエの群れ に襲い掛かられたプライスレスは悲鳴を上げ、見苦しく謝ってきた。 デッドストックはネットを下ろしてから、また作業を再開した。プライスレスが腐敗汁にまみれたガスマスクを洗いに 行ったので、その場に残されたプレタポルテは、広げたままになっている道具を眺め回した。特に興味を惹かれた のは、自分と似た絵が描かれている人造妖精の取扱説明書だった。プレタポルテはそれをぱらぱらと捲ったが、 字は読めないらしく、挿絵が描かれているページを広げては喜んでいた。その中には、かつては軌道エレベーター として機能していた塔に関する挿し絵も入っていて、プレタポルテは塔の絵を見て首を傾げた。 「どうした」 「しゅあ」 プレタポルテが上を指した。なぜ登らないのか、と問われたのだと察し、デッドストックは答えた。 「登れないからだ」 「ぷーるー?」 「入れないからだ」 「ぷーるー?」 「お前も落ちてきた時に見ただろうが、塔の周りに堆積した廃棄物の山を。昔は入り口が見えていたらしいんだが、 廃棄物に塞がれてどこにあるのかも解らなくなったんだ。それと、その入り口を開ける方法も解らないんだ。ドアの 鍵をこじ開ける能力を持ったダウナーもいたにはいたが、そいつはもう何年も前に死んだ」 「う゛ぉりー」 そう言いつつ、プレタポルテは手を回したので、誰も空を飛べないのかと問うてきたようだった。 「以前は飛べる奴もいたにはいたんだが、そいつらは一人残らずイカヅチに焼き殺された。マゴットは例外だ、奴が イカヅチにどうやって擦り寄ったのかは解らんが、知りたくもない」 「ぷーるー?」 「目障りだからだろう。あいつは昔はそれほどイカレてはいなかったんだが、ヴィジランテのボスの座に着いてから はタガが外れてきたんだ。クソッ垂れな能力者共に上下関係を作って使役して、そいつらに能力すら持っていない 屑共を束ねさせて、農地や何やらで労働させては生産物を上納させている。国でも作るつもりらしいが、女王バチの クソアマが何十年も前から似たようなことをやっているから、特に目新しいことでもなんでもない。共倒れしてくれれば 一番だが、どいつもこいつも足場が頑丈すぎて簡単に崩れるとは思えない。だから、奴らを惹き付け、俺の手の届く 場所まで誘い込み、腹の底に手を突っ込んで内臓を握り潰せるような罠を仕掛けるために、餌がいる」 「……じゅ?」 「そうだ。お前は賢い」 躊躇いがちに自分を指したプレタポルテに、デッドストックは腐肉が絡み付いた手をじゅぷりと握り締める。 「俺があいつらの命を奪う」 「随分と大きく出るんだね、デッドストック」 蛆虫の収穫にやってきたマゴットは、ネットの中に入るとホウキで蛆虫を集め、バケツに入れた。 「イカヅチに言うなら言えばいい。俺の方から出向く手間が省ける」 ハエ男の背にデッドストックが吐き捨てると、マゴットは蛆虫を一匹抓み、ぷちゅりと噛んで味見をした。 「そんなに無粋なことはしないよ。勿体ないからね。僕は地下にいくらでも隠れ家があるし、イカヅチも知らない場所 を何カ所も知っているからどうにもなるけど、命は惜しいからね。それと、君達を生かしておけば塔への入り口が開く かもしれないんだ。僕は飛べるから、塔の側面に開いている穴を使って出入りしているけど、入れる区画は限られて いるからね。妖精ちゃんは仮にも天上世界の産物なんだから、僕達に出来ないことが出来るはずなんだ。 と、思っておけば楽しいし、そんなことがあったらいいなぁっていう妄想でもあるんだけど、妄想はしておいて損には ならないよ。むしろ、妄想でもしないとやっていけないっていうか、そんな感じ」 君だってそうじゃないか、とマゴットは黒い複眼に黒い皮膚の男を写す。 「デッドストックの能力はユニークだし、使い方によってはどうにでもなるけど、君一人で彼らに勝てるとは思えない。 スマックダウンには一矢報いられたようだけど、その後に追撃を仕掛けられたことからして、確実に殺せたわけじゃ なさそうだしね。かといって、君はチームを作るようなタイプでもないし、プライスレスはあの様だ。都合の良い妄想で 自分を鼓舞するのはいいけど、程々にね。でないと、せっかくの人造妖精が死んじゃうからね」 「俺は妄想などしない。確信だ」 「ああ、そう? その確信すらも妄想だって可能性は否めないけど、どうぞお好きに」 このくらいで充分だよ、と三つのバケツに貯めた蛆虫を抱えたマゴットは、作業場から引き上げていった。それと 入れ替わる形でプライスレスが戻ってきたので、デッドストックはさっさと荷物をまとめろと急かした。プレタポルテは きょとんとしていたが、デッドストックが鎖を引くと大人しく従った。煮沸消毒された服と借りた服を交換させ、現金を 渡してプレタポルテの薬と当面の食糧と真水を買い取った。人造妖精は、まだ全快していないからだ。 話し相手がいなくなるのが少し寂しいのか、マゴットは不満そうだったが、出口の道順教えてくれた。それを頼りに 上へと登っていくと、やはり何日も掛かったが、地下鉄と下水道から脱出出来た。そこに至るまでにも紆余曲折は ないわけではなかったが、地下の地下に落ちた時に比べれば大したことではなかった。割れたコンクリートと折れた 鉄骨を登り、下水道の配管を辿っていくと、ようやく視界が開けた。 LEDライトの細い光条が照らしたのは、黒々とした重たい波だった。石油と汚泥と排泄物が混じり合った水面は どこまでも広がっていて、岩場に衝突した波が砕けて散り、石油の匂いを撒き散らした。それは、海だった。 「あれ? なんで海に出ちまうんだよ?」 プライスレスは廃油まみれでぬるつく波が打ち寄せる下水道から一歩下がり、訝った。 「地下鉄の路線は川を越えているからな」 デッドストックはプライスレスのリュックサックからノートを引き抜き、地下鉄の駅構内にあった路線図を書き写した ページを広げた。プライスレスは下手くそな路線図を睨んでいたが、顔を上げる。 「つまり、俺達が元いた場所に戻るためには橋を渡る必要があるってことか」 「或いは船に乗る」 「でなきゃ、またモグラに逆戻りか」 「にょん」 「橋は無理だよな。ヴィジランテ共が塞いでいるから」 「船に乗ったところで、向こう岸に着くという保証はない。乗員を殺すのは簡単だが、俺には船の扱いは解らん」 「うぃ」 「だからって、またハエ野郎の元に帰るのは癪だしなぁー」 「全くだ」 「うぃ」 「だからって、ここにいてもろくなことはねぇから、上に行こうか」 「それ以外の選択肢はない」 「うぃ」 意見がまとまったところで、三人は行動に移った。下水道の付近は海草や廃油で足場が悪すぎるので、ひとまず デッドストックの能力で堆積物を全て腐らせてから、プライスレスの荷物に入っていた折り畳み式のスコップを用いて 剥がし取って足場を確保した。最初にプレタポルテを上に向かわせ、次にデッドストックが登り、最後にプライスレス が這い上がった。そこで三人が目にしたのは、煌々と照る青白いライトと四角く区画整理された畑だった。 照明設備には電線が繋がっているので、電源が確保されているようだった。畑のそこかしこには、散水用の設備 が設置されていて、透き通った水を回転しながら噴霧していた。マゴットが惜しみなく使っていた真水の供給源も、 この農地の付近にあるのだろう。ということは、と辺りを見回すと、農地の彼方では大規模な工場が稼働していた。 塔とは異なる光源があることには薄々気付いていたが、ヴィジランテが塞いでいる橋を渡るためには手間が掛かる ので、対岸には訪れたことはなかった。だから、これほどまでの規模が展開しているとは思いも寄らなかった。それ だけ、イカヅチが勢力を備えた証拠である。 「行くぞ」 デッドストックは光の差さない場所を選び、歩き出した。プレタポルテもそれに続く。 「うぃ、ごひゅりんしゃま」 「ぼけっと突っ立っていたら、化け魚に喰われちまうもんなぁ」 照明の余剰分が三人に長さの違う影を与え、粘つく海面に白い光沢を加えた。広大な農地にはちらほらと人影が 見受けられ、青々と茂った作物が波打っていた。地下の地下に没してからは灰色と黒と茶色以外の色彩は目にして こなかったので、その青さが痛いほど目に染みた。プレタポルテは見慣れないものが気になるようだったが、黙って 付いてこいと命じるとその通りにした。プライスレスは最後尾をやる気なく歩いていたが、襲われても対処出来るように ナイフを弄んでいた。悪人共に、ケンカは売るだけ売った。だから、後は買われるだけだ。 せいぜい高値で買ってくれと願うばかりである。 13 6/20 |