DEAD STOCK




5.Rip Off



 地下世界にも雨は降る。
 工場街から絶え間なく噴き上がる黒煙が、溜まりに溜まった水蒸気を掻き集めて分厚い雲となり、そこにイカヅチ の過電流が加わることで発生する、人工的な現象である。ならばイカヅチが産まれる前はどうだったのかというと、 何の前触れもなく襲い掛かってくる猛烈な砂嵐が海から黒い海水を巻き上げては、おざなりに雨を降らしていた。 その雨は多量の汚染物質と廃油と共に塩分を含んでいたので、貧しい植物はあっという間に蝕まれて作物も収穫 出来るほどには育たなかった。だから、イカヅチの能力が生み出す雨は、やはり汚染物質からは逃れられなかった が、塩分を含んでいないという利点があった。
 その雨に打ち据えられて頭を垂れている作物は、いずれも華奢だった。デッドストックは少しばかり膨らんでいる 麦の穂を眺めながら、押し麦を囓った。加熱した方が消化にいいのだが、どうせすぐに口中で腐ってしまうのだから 代わりはない。デッドストックが持ち出してきた酒と引き替えにマゴットから買い上げたものである。だが、人造妖精 はそうもいかないので、やはりマゴットの元でくすねてきた真水を小さな片手鍋に注ぎ、アルコールランプで加熱して 押し麦を炊いてやった。ふつふつと煮えてきた麦粥を冷ましてから、スプーンで掬ってやった。

「喰え」

「うぃ」

 プレタポルテは小さな手でスプーンを横に握ると、頬張った。以前よりも零す量が減ったので、スプーンの使い方 に慣れてきたようだった。麦粥を食べ終えて空になった鍋に少し水を入れて湯を沸かし、そこに麦芽糖を垂らして から混ぜてやると、プレタポルテは上機嫌で甘い汁を舐めた。ビタミンは大いに欠けているが、糖分だけでも与えて おいた方がいいと判断したからだ。
 かしゅかしゅかしゅ、とプレタポルテが名残惜しげに鍋の底を引っ掻く音を聞きながら、デッドストックはどす黒い 雨雲とその下に広がる広大な農地を睨んだ。長い煙突を生やした長方形の灰色の建物が整然と並び、腹の底に 響く唸りを上げながら、どろりどろりと濁った煙を吐き出している。あの工場で生産されているものが何なのかは、 ある程度把握している。ヴィジランテの間で流通する生活用品、道具、食料、といった必要物資だ。しかし、それが ヴィランの手元に入ることは少ない。ヴィジランテからは売ってもらえないので、どうしても手に入れたければ盗む しかないのだが、ヴィジランテは結束が強いのであっという間に情報が行き渡り、盗んだものがなんであろうとも問答 無用で殺される。だから、ヴィランはヴィジランテの目を盗んで悪行を繰り返し、繰り返し、繰り返し、どんどん淀み の底へと沈んでいく。悪人とは、そういうものだ。

「ごひゅじんしゃま」

 肌寒いからか、プレタポルテはジャケットの中にすっぽりと体を収めて丸くなった。さなぎのようだ。

「薬も舐めろ」

「うぃ」

 デッドストックはショルダーバッグを開き、プレタポルテに飴に混ぜ込んだ薬を舐めさせてやると、もごもごと口を 動かしてから飲み下した。麦芽糖のみの味よりも苦いらしく、顔をしかめてはいたが、吐き出しはしなかった。薬は これで最後なので、再び病気にならないことを祈るばかりだ。そうでないと、また余計な手間と時間と金を食う。

「ぷー?」

「プライスレスはまだ帰ってこない。斥候に出した」

「う?」

「さあな。行けるところまで行けとは行ったから、すぐに帰ってこいとは言い付けていない」

「ぷーるー?」

「焦る必要はないからだ」

「ぷーるー?」

「恨み辛みは、時間を置いた方が煮詰まるからだ」

 デッドストックはラバーマスクの下で嘆息してから、じゃりぃ、と鎖を軽く引いた。雨宿りをしている廃屋の屋根には いくつも穴が開いているので、雨水が幾筋も滴っている。それがプレタポルテに掛かってしまいそうになったので、 少し自分の側へと近寄らせた。プレタポルテは丸くなったまま進み、デッドストックの隣に腰を下ろす。

「お前も俺を恨むがいい。その方が、死にづらくなる」

 デッドストックはプレタポルテを小突いたが、反応が返ってこなかった。食べるだけ食べたので眠気を催したのか、 目を閉じかけている。デッドストックはその顔面にガスマスクを被せてやると、プレタポルテはすぐさま寝入り、男の 足へと倒れ込んできた。脱力したせいで関節がぐにゃぐにゃする人造妖精を抱え、ショルダーバッグに枕代わりに させてやってから、デッドストックは雨雲の果てにある、空を塞ぐ壁を望んだ。
 汚れきったトレンチコートの襟を立てて首を窄め、細く長く、息を吐く。雨音がやかましいはずなのに、耳の奥には じんとした静けさが溜まり、自分の呼吸音と鼓動の音だけが良く聞こえた。ラバースーツの下に、生理現象である 発汗とは異なる汗が滲み出し、ぬるついた。あの女を思い出すだけで、こうも苦しくなるものなのか。
 ただの一度だけ、柔らかな感情に突き動かされるままに、他人と肌を触れ合わせたことがある。その結果、相手 の女は腐りかけて死にかけたが、自身の能力によってすぐに再生した。快楽よりも苦痛が勝り、苦痛よりも達成感 が強く、達成感の果てに罪悪感を感じた。物心付いた頃から人を殺し、物を奪い、泥水を啜り、血反吐を吐きながら 生きてきた自分が感じるはずのないものだった。当然ながら混乱し、恐怖さえ覚えていると、その女は言った。
 デッドストック。それがあなたの名前なのね。




 プライスレスが帰ってきたのは、それから半日後のことだった。
 どこからか調達してきた防水布を頭から被り、丸々と肥えたリュックサックのせいで背中が大きく膨らんでいるの で、さながら足の生えた小山のようだった。意気揚々と斥候の成果を報告してきたが、話が脱線するばかりで一向に 本題に入らなかったので、水溜まりに転がしてやった。そして、ようやく、ヴィジランテが掻き集めた物資が保管されて いる倉庫の場所を聞き出した。これほどの規模の工場を動かすためには、アッパーの廃棄物の中から使い道が解り、 尚かつ有効活用出来るものを使わなければまず無理だろうと踏んだからである。
 プレタポルテを肩車したデッドストックは、プライスレスにその倉庫まで案内させた。その間も雨は降り続き、雨脚は 弱まるどころか強くなってきていたが、農民達は青白い照明で照らされた畑で働き続けていた。一時も休まずに、 黙々と、下を向いて手を動かしていた。だから、気付かれることはないだろう。たとえデッドストックらの存在に 気付いたとしても、能力を持たないダウナーが能力者に太刀打ち出来るはずもない。
 掘っ立て小屋しか建っていない農民達の街を抜け、人気はないが機械は働き続けている工場街を抜け、荒れた 道を進んでいった。運搬用の車両のものと思しき轍には雨水が並々と満ちていて、中央を歩かなければブーツの中 に水が入ってしまうほどだった。視界も悪ければ足場も悪いので、プライスレスが帰ってくる時間が遅くなった理由が おのずと理解出来た。道中、殺されて間もない人影がいくつか転がっていたので、荷物を目当てに襲われたので 応戦しなければならなかったのだろう。もっとも、曲がりなりにもヴィランであるプライスレスが能力を持たない人々 に負けるはずもないのだが。一撃で致命傷を与えられた死体は、いずれも身ぐるみ剥がされていた。
 
「ほうら、あれだ」

 歩き通した末にプライスレスが得意げに指し示したのは、半球状のドームだった。これもまた、アッパーが地球を 見捨てて地下世界を作り出す前に建てた施設なのだろうが、用途は不明である。恐ろしく頑丈なのだろう、屋根 には落下物が衝突した痕跡はあったが、穴は開いていなかった。ドームの周辺には堆積物か、或いは廃棄物と 思しき壁が出来ていてぐるりと取り囲んでいたが、一箇所だけ切れ目があった。そこが出入り口だった。

「あれが本当に倉庫なのか。どうしてそう言い切れるんだ」

「う」

「疑り深ぇなー。倉庫だって思ったのは、あの建物の中にでっけぇトレーラーが入っていったからだよ。この辺りで まともに動く車なんて持っているのはイカヅチの部下ぐらいなもんだし、トレーラーってことは積み荷があるってこと でまず間違いないだろ? 運び入れるにしても出すにしても、モノがあることは確かだ。んで、お目当てのメダマも 見張りに使われている。てぇことは、メダマの在庫があってもおかしくない」

 プライスレスが顎で示した方向では、ぶんぶんと唸る機械が飛んでいた。広角レンズの付いた球状の機械が雨粒 に殴られながら浮遊していて、四方八方に注意を向けている。それは間違いなく、アッパーがクリミナル・ハントの 撮影に使っている撮影機材、メダマだった。しかも、それも一つは二つではない。雨音で駆動音が紛れているが、 最低でも十台は飛んでいる。メダマを奪えば目的の一つは達成出来るのだが、デッドストックもプライスレスも空を 飛んでいるものを撃ち落とせるような能力はなく、撃ち落とせたとしても、壊してしまったら元も子もない。ヴィジョン 受像機の扱いすらも今一つ理解し切れていないが、無線通信の仕組みの方はそれなりに把握しているので、首尾 良くメダマを奪えたとしても、設定を変えなければイカヅチの元に映像が送信され続ける。そうなったら、イカヅチから 部下を差し向けられて袋叩きに遭う。いかに能力者の再生能力が高かろうと、矢継ぎ早にダメージを受けては、 肉体が再生する前に力尽きてしまうからだ。
 となれば、策を練らなければならない。生きている見張りであれば殴り倒して、息の根を止めれば済むのだが、 相手が機械となると話は別だ。注意を引いて誘き寄せるにしても、安易な手段を取っては見つかるだけだ。素早く 対処し、イカヅチに連絡が届く前に事を終えなければならない。だとしても、何をどうすればいいのやら。

「そうだな……」

 デッドストックはしばし考えた後、畑を見やった。ドームの周囲でも耕作が行われており、やはり農民達が黙々と 仕事に精を出していた。ざっと数えただけでも、人数は三十人近くいる。土地は広いが、一箇所に追い詰めることが 出来れば事は簡単に済む。デッドストックはプライスレスのガスマスクを掴み、凄む。

「あいつらを殺してこい。メダマも潰してこい」

「へあ」

「お前だけなら、イカヅチに気取られても問題はない。だが、俺はそうもいかない。まだやることがあるんでな」

「ちょっ、おっ、いや待てよ! 殺され返されたらどうすんだよ!」

 腰を浮かせたプライスレスに、デッドストックはその襟首を掴み、汗ばんだ喉を親指で押す。

「殺されても文句は言うな。せいぜい、良い囮になることだな」

「げはっ、へひっ、はぁ」

 喉を押さえられて噎せたプライスレスは膝を折り、ガスマスクの下で喘いだ後、肩を落とす。

「解ったよ。だが、タダじゃ働かねぇからな」

「あの倉庫の中身、お前が欲しいものをなんでもくれてやる」

「ろくなものがあれば、っつー大前提に基づいたもんだけどな。それ以上の報酬は用意出来るわけねぇよなぁ、今の ストッキーには。ああいやいやいや他意はねぇぞ、いやマジでガチで。んじゃ、ちょっと行ってくる」

 プライスレスは渋々腰を上げると、再び防水布を被って、紐を顎の下で括った。雨水を蹴散らしながら歩いていく 少年の後ろ姿を見送っていると、プレタポルテが不安げに目線を泳がせたので、デッドストックは言い聞かせた。

「心配するだけ無駄だ」

 畑に行き着いたプライスレスが最初にしたことは、廃油を掻き集めて精製した劣化石油を畑に蒔いて、火を放つ ことだった。そうすれば、農民達が集まらないわけがない。大事に育ててきた作物があっという間に灰と化していく 様に慌てふためいた農民達が近付いてくると、背の高い麦の下に身を潜めていたプライスレスが飛び出し、リュック サックから出した幅広の鉈を振るって首を刎ねる。一人、また一人、と鮮血を散らしながら、麦の海に沈んでいく。
 能力者とそうでない者の力の差は歴然だった。同じダウナーであろうとも、何らかの突然変異によって特異な能力 を得た者と、何の力も持たずに搾取されるだけの者達の間には深い隔たりがある。プライスレスは、どちらかという と能力を持たない者に近かった。どんな相手からでも脅し取れる能力は使い方によってはいくらでも応用が利くが、 言い換えれば、使い方を見出せなければ何の価値もない。だから、プライスレスは持って生まれた半端な能力の 活用法を見出すために頭を捻る傍ら、ヴィランの中で生き延びるために鍛錬も重ねていた。
 だから、並みの人間に殺せるような相手ではない。血と脂にまみれた鉈を放って、リーチのあるスコップを出した プライスレスは、研ぎ澄まして恐ろしい切れ味を与えた尖端を振り翳す。一撃で首が飛ぶ、腕が飛ぶ、胴が裂ける、 内臓が飛び散る、内容物が迸る。雨水よりも濁った水溜まりに立ち尽くした少年は、メダマを見やる。

「よおし、お前ら。掛かってきて“くれよ”!」

 何らかの理をねじ曲げる命令を聞き取った球状の機械は、忠実に従った。見えない糸を括り付けられ、リールを 巻かれた魚のように、プライスレスを注視していたメダマの群れが一直線に向かっていった。それらが守備範囲に 入ってくると、プライスレスはスコップの尖端を上向きに構えて横に薙ぎ払う。かぁんっ、と景気の良い金属音の後に メダマの外装が抉れ、電流を散らしながら水溜まりに転がる。その場で回転しながら、プライスレスは次々にメダマ を撃破していく。この調子であれば、遠からずメダマはプライスレスに一つ残らず叩き落とされるだろう。
 そう考えたデッドストックは、孤軍奮闘するプライスレスを横目にドームに向かった。メダマもいないので、何事も なく近付けた。見張りも数人いたが、ナイフで上着を引き裂いて胸倉を素手で掴んで腐らせ、殺した。背の高いドア には特殊な錠前が付いていたが、光る板に見張りの手を翳してやると呆気なく開いた。
 滑らかな動作でドアが開くと同時に、銃口が突き出してきた。





 


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